時の雫-美音

零度の距離


§5

 何もない平穏な生活の中には、彼との縁を感じる事が度々あった。
それを一つかいつまんで見てみれば、他愛のない事で気にするような事でもない。
だけど、そんな日常が楽しいのも事実だった。
 そして、その学校生活は一先ず終わりを告げ、夏休みに入った。

 休みに入ったと言っても、生徒会の用事で学校に行く事は多かった。
ついでに図書室に通って、その場で読書して帰ったり、本を借りて帰ったりと、自分の静かな時間を楽しんでいた。その行きしなや帰りしなに、通りから見えるテニスコートを眺めるのはクセのようになってた。
……中学の頃、テニスコートを眺めるのが好きだったから。
多分、それがあるからなんだと、私は思うようにしていた。

 その日も図書室での時間を終わらせ、家に帰るために靴を履き替え、外庭を校門目掛けて歩いていた。
校門の所では、生徒が誰かと話しているようだった。
日差しが暑いので早足で帰る気にもならない。
 天からの圧迫感を身に受けながらただ歩いていた。
何もない日常の、何もないいつもの場所。
なのに、私は強い視線を感じて、顔を向けた。
向かう先から向かって歩いている女生徒。
多分それは、ついさっきまで校門の所で足を止めて誰かと話していた人。
様子から察するに、夏期講習を受ける3年生のようだった。
1年違うだけ感じる、大人びた雰囲気。落ち着いた物腰。
私が得ようとしても、絶対無理なもの。
それを持ったその人が、何故だか私を真っ直ぐと見つめてきていた。
その強い眼差しを、私は不思議に感じた。
ある程度近づいた所で、その人の目は校舎の方へと向けられていた。
 知らない女(ヒト)。
なのに強い眼差しが印象的だった。
何かをその瞳には湛えていたけど、私には理解できないもので不思議にしか感じなかった。
すれ違いざまに感じる、その人の香り。
コロンの匂いだけど、決して嫌な匂いじゃない。
 その時は、その人の事を「不思議」に感じた。
 なんとなく、どこかで見た顔。
同じ学校なのだから、すれ違いざまに一度くらいは顔を見ているかもしれない。
だけど、私に感じたのはそういうものではなくて、もっと違う事。
……なんだっただろう?
 頭の中が、霧にかかったようにハッキリしない状態になった。
そんな時に、私を呼ぶ声がした。
 丁度それは、校門まであと数メートルという所でだった。
「春日ちゃーん!」
それは私の大好きな友達、伊沢栞ちゃん。
彼女もまたテニス部で、いつも真面目に頑張っている人だった。
「あれ?いさちゃん、今日も部活……」
台詞を言い終わる前に、抱きつかれた。それはいさちゃんにしては珍しい行動で、驚いた。
「な、な、何?」
「今日お昼誘ったんだけど、一緒に行く筈の子が無理になっちゃって、だから、一緒に行ってー」
彼女にしては珍しい必死な様子。
数日前、電話で相談を受けたんだ。
いさちゃんが好きな人もテニス部の人で、挨拶を交わすくらいしか関わりがない。
どうしたらいいだろうって。
偶然装って、お昼とか誘ってみたら?何て事を言ったんだ。
話から察するに、頑張ってみたという訳ね。
「い、いーけど、でも私谷折君と面識って殆ど無いよ?」
「ひ、一人よりは全然いい」
「そーかぁ、私の言った通り頑張って誘ったんだー」
「うん、頑張った」
その台詞に、お姉さん的気持ちが湧き出てきて、妹にするみたいに頭を撫でたんだ。
そして顔を上げた先に、事もあろうに、テニス部男子の姿が。
そこにずっと立っていたであろう様子の、瀧野君。
私は内心唖然と目を向けた。
何か言いたげな顔で目だけが私に向けられた。どうやら私の視線に気づいたらしい。
その顔は明らかに、「聞こえちゃったよ」と言っている。
 あー……、どうしよう。
でもこの状況で、いさちゃんが知ったらショックを受けるよね。
そう思った私は、「内緒だよ」と指を一本口に当てた。
それに瀧野君は笑顔で頷いてくれた。
 それを見て、私は知らない顔でいさちゃんに言ったんだ。
「谷折君まだ来てないみたいだね」
そう言えば、確かめるのに瀧野君がいる校門の方を見るだろうから。
それは当たりで、ようやっといさちゃんは瀧野君の存在に気がついた。
知らない顔をしている瀧野君は、意外に演技派なのだと思う。
それにいさちゃんはホッと安心していたから。
で、私は白々しく聞いたんだ。
「瀧野君、誰待ってるの?」
そこで、こちらを向いた瀧野君は答えてくれた。
「ん、谷折。今日はやけに支度に時間がかかってるみたいだよ」
「じゃあ、お昼一緒に行くんだよね?他誰か誘ってた?」
それは浮かんだ不安から訊いていた。
「うん、俺だけだと思うよ」
その答えに私は自然と笑顔で言っていた。
「そう、良かった」
自然とその場で谷折君を待っている事になった。隣に立ついさちゃんを見て、違和感が生じた。
「あれ?いさちゃん、カバン、ないの?」
「あ。春日ちゃん探すのに置いてきちゃった。ちょっと取って来るね」
「うん。ここで待ってるから」
「うん、すぐ取って来るから」
慌てた様子で言ったいさちゃんは下駄箱の方へと走って行った。
 その背中を見送ってから、私は瀧野君の顔を見る。
何とも言えない顔で、向こうの方を見ている。
私はその隣に移動し、ポスンとコンクリの壁に背を預けた。
「……聞こえてたよね。全部?」
徐にそう言った私の声に、瀧野君は「う……」と表情を崩したのを見た。
顔を自分の足もとに向けて、又言葉を紡ぐ。
「じゃあ、必然と分かっちゃったよね?」
そうして又反応を見るために目を向ける。
「……うん」
小さく聞こえてきた声。
そう返事するのも躊躇ったのが見える。分からないフリをしようか、きっと悩んだはず。
「じゃあさ」
私のはっきりと言い出したその声に、ギクッとしたような表情を浮かべた瀧野君。顔はずっとあちらの方を向いていたけど。
「誰にも言わないでね。私も聞かれてたなんて言わないし、瀧野君に谷折君の事を聞いたり何か頼んだりはしないから」
「……。う、うん」
一瞬動きが止まっていたけど、どこか安心したような様子で頷いてくれた。
多分、私が言った反対のコトを、瀧野君は最初予想したんだと思う。
 じゃあ、うまくいくよう協力して。なんてことを。
でも、私はそういう事は言わないから。
そんな気持ちを心の中で抱きながら、じーっと瀧野君の顔を見た。
すると、ちらり、とだけ目を向けてから、困ったように頬をぽりぽりと掻いて瀧野君は言った。
「口は、割らないよ」
「うん」
瀧野君の言葉を聞いて、顔を自分の足もとに向けた。
それで、その話は終わった。

4人が揃って、駅に近いマクドナルドへ行ったんだ。
「春日さん、今日は生徒会で学校に?」
あまり話した事のない谷折君がそう話し掛けてきた。
本当は図書室がメインで来ていたりするんだけど。
「うん、作成書類の提出と図書室に用事で。やっぱ私だと生徒会のイメージが濃厚なのかな?」
「いや、春日さんの話は亮太からよく聞いてるからさ」
 亮太?
その名前を聞いて、必然に私の動きは止まった。
「……話って、どんなの?」
とりあえず、そう訊いてみる。
いや、訊かなくても大体の予想はついているんだけどね?
「えーと、仕事に関しては鬼のようで女のかけらも無くて、なのに女にも好かれて、自分が男だと思ってるんじゃないかとか、敵に回したら性質が悪い一番は春日さんだとか」
谷折君も、よくまぁそこまでぺらぺら出てくるなぁ。
という事は、それだけ似たような事をいつも言っている訳ね?亮太?
何かにつけては、人の事を悪く言うんだから。
「……あの男、人のいない所で……。次会ったら殴ってやる……」
その時、私の顔は怒りで引きつっていたんじゃないだろうか。
コレは又珍しい反応で、堪えきれず瀧野君が吹き出した……。
「……瀧野君?」
ここは笑うところでないと思うんだけど?なんで?
思わず硬直したままの私。それでも彼の名前を口にしたんだけど。
笑いながら目を向けてくる瀧野君。笑いが止まらない、という感じだった。
「あ、ごめん、我慢しようと思ったんだけど……、我慢し切れなかった。溝口ってそういう事言いそうだよな」
「あの男はいつだって口が減らない」
ムカムカと湧き出てくる怒りに任せて、ポテトを口に運ぶ。怒りが食欲に繋がるのもどーかと思うけど、行き場のない怒りだから、こうするしかないじゃない。
なのに、そんな話だったのに、なんでだか、いさちゃんの口からは全く関係のない事が出てきた。
「あ、そー言えば、春日ちゃん好きな人の話最近しないけど今はどーなってるの?」
全くの範疇外のそれに、次から次へと流し込んでいたポテトが喉に引っ掛かった。
夢中でジュースに手を伸ばし喉に流し込んで、どうにか助かった。
「い、いさちゃん、何を突然……」
しかも、他の人がいる前で。よりにもよって、瀧野君のいる前で!
怖くて瀧野君の方、見れないじゃないか。
そんな私の気持ちを他所に、いさちゃんはのんびりと言う。
「え?話してる時、いつも女の子らしかったなぁと思ってね」
そのあなたの笑顔に、私は何度も癒されてきました。でも、今は無理です!癒されません!
やめてー。
その理由も口に出来ないし、谷折君に喰らい付かれたくないし……。
「む、昔の話!い、今は、……もーいさちゃん!!」
お願いだから、やめてー!
今の話して話題変えようかとも思ったけど、今、いないー。
何の話にもならないー。
「え?何々?誰?」
ほら来た。ほら、谷折君が突っ込んできた。
反射的に顔を向けた。瀧野君は一人静かにジュースを飲んでいるだけ。
それにどこかほっとしながら、赤くなる顔を両手で隠しながら言った。
「あーもうやめて〜、そういう恋バナは苦手なんだから」
苦手なのは本当。
「でも、春日さんならよく聞かれるんじゃない?好きなタイプは?とか」
とりあえず、昔の話からそれた事に安心して、私はジュースを飲む。ついでに気持ちを整えながら。そして、間を置いてから言う。
「いやぁ聞かれないよ?それに毎日毎日忙しく走り回ってる私に、そんな事聞いてきたら、睨みつけるよ」
意地悪い笑みをニタリと浮かべてそう言って差し上げた。半分脅しのそれに、谷折君は期待通りの反応。
「そーですか」
目を逸らしながらそう言った谷折君。
ついでに瀧野君にも目を向けてみたら、我関せず、という様子で静かに食べてる。
で、また谷折君に目を向けてみたら、この顔は何をどうやって訊いてやろう、って様子だ。こういう時は先手必勝。
笑みが零れるのは止められないまま、訊いた。
「じゃあ、瀧野君と谷折君の好きな人って誰?」
そう言った次の瞬間、ピタ、と手が止まったのは瀧野君。谷折君は私から目を反らした。
「……い、いない」
苦し紛れに、と言った様子が強い谷折君。
これで、もう余計なことは聞いてこないだろう。
「そう」
心の中でほくそ笑みながら、一言そう口にした。
これで、このネタはおしまい。
心の中で、ふっふっふ。と笑っていた私だった。


そして気がつけば、いさちゃんと谷折君は楽しそうにゲームの話なんぞをしている。
いさちゃんには弟がいて、私も遊びに行った時は3人でゲームしたり。
だから、そういう話は、いさちゃんの方が詳しいんだよね。
 でも、見た感じ、いい様子。いい光景。頑張れ、いさちゃん。
と、心の中でエールを送る。

 そして、また気がつけば、時間はもう3時になっていていい加減帰らなくてはいけない時間になっていた。
駅に向かい、方向別に別れる。降りる駅は違うものの、いさちゃんは谷折君と同じ方向みたいで、ひっそりと心の中でエールを送った。
 向かう方向に体を向け、何気なく瀧野君に顔を向けると、優しい表情をした彼はゆっくりと足を進めだした。
どうやら、私の様子を見て待っていてくれたみたいだった。
 無言の優しさに、なんとなく気持ちが穏やかになったのを感じた。
彼は最初から優しさを持ち合わせた人で、私には気配りできないそれがたまらなく羨望の気持ちを抱かした。
 彼と他愛もない事を喋りながら帰っていた。
彼の穏やかな空気は、不思議と私までを落ち着かせる。
 そんな道の途中に、突然閃いたように頭に浮かんだ。

校門で誰かと話していた、あの不思議な3年生。
あれは、瀧野君と話していたんだ。
 そして、思い出した。
瀧野君の彼女。同じテニス部。3年のアイダさん。
そうだ。1年の学祭後の時、足立さんと轟さんが話していたんだ。
そうだった。
 でも、別れたっぽいっていう話を聞いたけど……。
単なる噂かな?
だから、何度も助けてもらって、帰りも一緒に帰った事あるから、……それで、あんな風に見られたのかな?
……そうだったら、悪い事、しちゃったな……。

そして、急に沈んでいく心。
そして、心に浮かぶ思い。
 瀧野君は、ああいう人が好み、なのね。

そして、私は電車の、窓の外の景色を眺めている瀧野君を見た。
 大人だもんなぁ。彼の態度って。


 その日の夜、いさちゃんからの電話。
受話器を手に持ちながら、頭の中では今日の帰りの二人の姿を思い出していた。
中々良い感じだったんだけど。
「もしもし?」
「春日ちゃん……、あの、明日も学校来る?」
今日最後に見た時の様子とは違う暗い声だった。
「あ、うん……」
「じゃあ、また図書室で話聞いてもらっていい?」
「うん、いいよ」
電話では他に何も話さず、いさちゃんは明日の約束だけをした。
 ……何か、あったんだろうか?
様子がおかしい。
 でも、帰って行く二人の姿は、中々いい感じだと思ったんだけど……。
首を捻りつつ、部屋に戻った私だった。
 いつもとかわらない時間を送っていれば、もう約束の時間になっている。
その時ばかりは、いつものように本に目を向けている事が出来ず、両手で頬杖をつきながら窓に見える景色を眺めていた。
それは、いさちゃんを待っている事の行動だったのだけど。
 突然、後ろからガバッと抱きつかれて、はっと息を呑んだ後に声が聞こえた。
「春日ちゃん!」
いさちゃんだった。
彼女がこういう現れ方をするのはとても珍しい事で、よっぽどな事があったとしか思えない。
で、私は、その反応だけで口にした。
「なぁに?何かいい事でもあったの?あの後谷折君と何か……?」
そう言って振る向いてみれば、ふふふーと笑みを見せたいさちゃんは口を開いた。
「ふられちゃった」
「え?」
表情とは全く違う言葉に、私は硬直した。
私の方が頭の中真っ白になって、どう言えば良いのか分からなくなっていた。
「昨日、いい雰囲気、だったのに?」
それにいさちゃんは悲しげに微笑を浮かべた。
それを見て、今自分が言った言葉の無神経さを知った。
「え、……あ、あの」
「え、とね、昨日春日ちゃんと別れてから、なんでだか告白しちゃってね」
「う、うん」
「今でも告白した事は後悔してないけど、……別にいい返事を期待した訳じゃないんだけど、さすがに困った顔を見た時は胸が痛かったなぁ。生活に頭いっぱいで部活に必死だからって言われちゃった。それ聞いてね」
「うん」
「あー、私って本当、ただ部活が一緒だけの存在にしか思われてなかったんだなぁ、と思って。私が一方的に想ってただけだから、それも当然なんだろうけど……」
その台詞は、私の胸に痛く響いた。
私も、ちょっと前まで、そんな事を思っていた。
勝手に想って、期待した何かが破られた時、勝手に傷ついて勝手に悲しんだ。
そんな前の私の姿が、見つめる先に見えるようだった。
「そっか、仕方ないか。そう思って背中向けたら、必死に言ってくれた谷折君の声が聞こえて。嫌いだとか、なんとも思ってないとか、そういう事じゃないからって」
そう話すいさちゃんの目が潤んでいく。
なんか、私まで泣けてきそうになっていた。
「……私、そっちの言葉の方が、辛かったよ……!」
「いさちゃん……」
その、溜まらず感情と共に言い放った言葉が、私の心にも悲しみを呼んだ……。


 それらは夏休みに入ってまだ7月の事だった。



 今日も生徒会室で書類の整理をしていた。
部屋はクーラーが効いている筈なのに、体は何だか汗ばんでいる。それくらいに外は暑いのだと語っているようだった。
 その時まで、私の心は穏やかで、いつもと変わりない日をその日も送っているものだと思っていた。何も考えないように、その日その日のしなくてはいけない事を済ましていく。
なのに、それを壊すかのように紡がれた台詞に私は思わず手を止めたのだった。

 それは、丁度他のメンバーが席を外している時だった。
「僕、生徒会に入ったの、春日さんがいるからなんですよ」
明るい口調で、少しも悪いなんて事は思っていない様子で、1年の藤田君は言った。
 私の手は反射的に止まり、数秒の間をもって口を動かした。
「そう。変わった動機だね」
自然と私の表情は冷めていた。
何もなかったように再び手を動かす私に、藤田君は口を開く。
「それだけですか〜?」
「……」
私は無言のまま手を動かす。
「本音を言うと、入学式の時に一目惚れだったんです。その時から生徒会に入ろうと思って」
それを聞いて、私は嬉しいとは思わなかった。反対にイライラした感情が沸きあがってきた。
 今の私に、そういう気持ちは迷惑としか感じられなかった。
「私、……そういうの嬉しくないから」
「でも、春日さんの事、」
「藤田君、やるべき仕事をこなして」
それはキツイ口調だったかもしれない。
だけど、そう言わずにはいられなかった。
藤田君の言葉を聞いていると、イライラが増すばかりで何でもいいからひどい言葉を言いたくなる。
それだけは、と必死で堪えていた。
だけど、藤田君の態度は私にとって無神経と思えるくらいのものだった。
「春日さんって、いつも仕事仕事ですよね。息抜く暇なくて疲れません?」
全く意に介していないようなその態度が、私に怒りを覚えさせる。
「余計なお世話よ」
「え〜?息抜きに相手になりますよ〜?」
「間に合ってますから」
言葉の端々に苛立った感情が見えていただろう。
なのに、藤田君はそんな事はお構い無しにとそこにいた。
私にはそれが苦痛だった。
 頭の中で、いろんな場面が思い出されてぐるぐる回っている。
瀧野君の顔、いさちゃんの顔、……そして、3年のアイダさん。
そして、私の体中をストレスのような、息が詰まりそうな感情が走り巡っていく。
「恋人候補に僕を」
 まだ言うか、この男は。
瞬間的にそう思った私は、感情のまま言葉を放っていた。
「うるさいな!生徒会の後輩をそんな風に考えない!そういう事言うのはよしてよ!」
言い終えて荒く息を吐き、それ以上感情が吹き出さないように抑えた。
 藤田君はそれに少し驚いたような顔をしていたけど、別に何も動じた様子はなかった。
それでも、次から次へと湧いて来る得体の知れない怒りが、理性を押さえ込もうとした。

 なんで私、こんな気持ちにならないといけないの?
ああ、もう、訳わかんない。
 ダメだ。このままこの場所にいたら、もっとおかしくなる。

ぎりぎりの精神状態だった。
だから、とりあえずこの場所を出る事にした。
藤田君が何かを言おうとしていたけど、そんなもの、聞く気にもなれなかった。
「ちょっと休憩してくるから!」
投げ捨てるようにそう言うと、生徒会室を出てそのまま早足で外に出た。
 行きなれた図書室への道を感情に任せて進んでいるうち、爆発しそうになっていたのが段々と収まっていくのを感じた。
 なぜだか、藤田君は私にとっては波長の合わない人だった。
外は汗ばむ陽気で、気を抜けば平衡感覚さえ奪い取られそうな暑さだった。
次第に歩調はゆっくりになって行き、自然と止まった。
図書室に行くのなら、真っ直ぐに行くその道を外れ、校舎の向こう側に移動した。
そして、日陰になっているそこに腰を下ろした。
生暖かい風が、頬を触れて行き尚更汗を呼んだ。

 なんで、こんなに不安定になっているのか分からない。
そう自分にぼやいて、膝を抱えた両腕に顔を俯かせた。
 暫くして、耳にラケットでテニスボールを打ち返す音が聞こえてきた。
その音はずっとあったのだろう。
私が、気がつかなかっただけで。
 それさえも、私を泣きたい気持ちにさせた。
「……泣くもんか」
何に反発した気持ちなのか、自分でさえ分かっていない。
だけど、そう言わないではいられなかった。

頭は勝手にこの間の瀧野君の事を思い出していた。
 彼が優しいのは、皆に、だから。
それでも、一番に優しくするのはカノジョにだから。
そして、いさちゃんを思い出して。
 なんて、私って間が悪いんだろう。気が利かないんだろう。言葉一つ言えないなんて。
ごめん、いさちゃん。
目に浮かんだ涙を手の甲で拭って、暫くの間小さく固まっていた。
そして、耳に届いてくるテニス部の音に、私はゆっくりと立ち上がった。
ちょっと場所を移動して、テニス部が見えるところに。
 中学の時と違うのは、今は硬式ボールの音だという事。
だけど、その音は私を落ち着かせた。

 私、この音、好きなんだなぁ。

中学の初めの頃、テニス部に入ったタカの練習相手をさせられた。
たったそれだけだったけど、ラケットでボールを打ち音を聞くのは楽しかった。
打ち返すその1球1球が気持ちよかった。
 そして、今、おかしかった気分が、正常に戻っていってた。
多分、この視界に見えるテニス部員の粒の中に、彼もいるんだろう。

ようやっと気分が落ち着いた私は、その場を立ち生徒会室に向かってゆっくりと歩き出した。
そして、藤田君の事を思い出し、自分の頭をこつんと小突いた。
「らしくないな、私」
暑い陽射しの下に、おかしな自分を置き去りにして自嘲気味に息を吐いた。
 理由は解らぬまま、いつもの生活に戻ろうとした私。
だって、これからも、「いつもの生活」だと思っていたから。
 たとえ、何も解決していなくても。


2006.2.18


あとがき