時の雫-之紀 栞1
Chapter3 滲んだ空の色
§5 Episode1
夏休みに入ったある日、春日ちゃんに電話をして話を聞いてもらっていた。
好きな人と色々と話をしてみたいんだけど、中々そういう機会は無くて……。
「それでね、やっぱり部活中は話し掛けられないの」
「んー、じゃあ部活が終わって部室に戻る時とかに、さりげなーく、一緒にどお?とか言ってお昼とか誘ってみたら?あらかじめ同じ部活の子一人くらい誘っておいてさ」
「え?どうやって声かけたら良いの?」
「今日も暑かったねー、とか最初声かけてさ、じゃあ、となった時に、あそうだ、行くんだけど一緒にどう?って」
「うん、頑張ってみる」
夏休み、7月中は図書室に行ってるから、何かあったらおいでね。
と春日ちゃんは言ってくれた。
そして、それが実行できたのは、春日ちゃんに電話してから5日後のことだった。
その日の練習は午前だけだったので、同じ部の子を一人お昼にマクドナルドに誘った。
練習が終わり、ネットとかを用具室に運び終わって最後の確認でコートに戻っている途中に谷折君に会った。
これは誘うチャンスかもしれない、と思ったんだけど、実際目の前にすると、言葉が浮かんでこなかった。
「お疲れ」
と声をかけられて、いつもと同じように返す。
「うん、お疲れさま」
谷折君の両腕に山積みになっている用具を見て言葉を続けた。
「あ、運ぶの手伝うよ」
「あ、ありがとう」
二人で並んで歩きながら何気ない会話をしていた。
「練習が午前で終わりだと嬉しいよな」
「そうだね。何して遊ぼうかなぁって気になるね」
「伊沢さんはいつも何してるの?」
「うーん、部屋の掃除したり、買い物に行ったりとか、たまに弟とゲームしたりするよ」
「弟いるんだ」
「うん、6つ離れててかわいいんだ。谷折君のところは?」
「2つ上の姉貴がいるだけ。えらい気が強くてよく苛められてる」
「ああ、やっぱ兄弟でも女の子には手上げられないんでしょ?やっぱ優しいから」
笑顔で言うと、谷折君は照れた顔になって「うん……」とだけ言った。
「うちの弟も、色々と我慢してくれてるみたいだから。女には手出さないんだって」
「へぇ。仲いいんだ」
「うん」
私が笑顔でそう答えると、谷折君は顔を向こうに向けて、暫くしてから顔を戻して話してきた。
「じゃあ、今日とかどうやって過ごすの?」
「今日は、……」
答えようとして、今が言うチャンスなのだと気がついた。
自分の心臓が騒がしくなるより先に言葉を放った。
「他の子と二人でマクドナルドに行くんだけど、」
「あ、そうなんだ……」
「良かったら一緒に行こ?」
頑張って普通を装って笑顔で言ってみた。駄目元は承知の上で。
そしたら、……そしたら、微笑みながら頷いてくれた。
「うん」
この時は本当に嬉しかった。
今から部室に戻って帰り支度。私が最後の筈なので、支度が終わってる頃には、他の皆は帰りだしている頃だから、待ち合わせは校門前にした。他の谷折君を好きな子と鉢合せしたりする事はないだろうと思って。
用具室に仕舞い終え部室に向かう途中、谷折君は教員室に用事があるからと別れた。
そして部室に一人で向かっていたら、今日約束している子が急いだ様子で私の所へ駆けてきた。
「栞!ごめん、今日の約束無理になっちゃった」
突然の話に私は唖然。
「今日から付き合うことになって、それで一緒に帰ることになって…」
「そ、か。それなら、しょうがないよね。うん、わかった」
「ごめんねごめんね」
「で、誰々?」
「サッカー部の工藤君。まだ内緒ね」
「うん」
こればかりは仕方がないと諦めた。
部室に入ると、他の皆は着替え終わった頃で、予想通り私が最後になった。
でも、二人って言ったのに、一人で行ったら変に思うよね。多分、谷折君も誰か一緒に誘ってるだろうし。
そう思ったところで、春日ちゃんが図書室に行っていると話してくれたことを思い出した。
慌てて戸締りをして荷物を持って、鍵を置きに教員室に走り、それから図書室へ急いだ。
でも、いくら見渡しても春日ちゃんの姿は見えなくて、本棚の間に立っていないかとくまなく探したけど、やっぱりいない。
受付カウンターに座っている司書さんに尋ねてみることにした。
「あの、すいません、今日春日さん来てましたか?」
「ああ、春日さんなら、つい先ほど帰りますって出た所よ。今から走れば間に合う時間差だと思うよ」
「あ、はい、すいません」
そう言うと、図書室を後にして下駄箱に向かって走った。先生方に会わないことを祈りながら。さすがに廊下をこんな速さで走ったら叱られてしまうもんね。
下駄箱に到着して春日ちゃんのところを空けてみたら、上履きが置いてある。
急いで履き替えて校門に向かった。校門との距離が近づくにつれ、春日ちゃんの姿がはっきりと見えてきた。春日ちゃんが校門の手前数メートルまでに達した時、必死で呼んだ。
「春日ちゃーん!」
声に気づいて、足を止めて振り向いてくれたのを見てスピードを落とした。
「あれ?いさちゃん、今日も部活……」
その台詞を言い終わらないうちに、やっとの思いだった私はなお必死な思いで抱きついた。
「な、な、何?」
驚く春日ちゃんをよそに私は縋る思いで言った。
「今日お昼誘ったんだけど、一緒に行く筈の子が無理になっちゃって、だから、一緒に行ってー」
「い、いーけど、でも私谷折君と面識って殆ど無いよ?」
うろたえつつもそう返してくれる春日ちゃんに泣きそうになりながら言った。
「ひ、一人よりは全然いい」
「そーかぁ、私の言った通り頑張って誘ったんだー」
「うん、頑張った」
こくんと頷いて言うと、よしよしと頭を撫でてくれた。
そして、暫く間があって春日ちゃんの声が頭から落ちてきた。
「谷折君まだ来てないみたいだね」
そう言われて、抱きついていたのを離れて校門に目を向けると、校舎に背を向けて門柱にもたれて立っている瀧野君があった。
もしかして、聞かれてた?私、声大きかった?
ここからでは、瀧野君の顔は見えなくて、判断できなかった。
すごく困惑した気持ちになっていると、春日ちゃんが声をかけてくれた。
「瀧野君、誰待ってるの?」
すると、瀧野君はもたれていた背を起こしてこっちに体を向けた。
「ん、谷折。今日はやけに支度に時間がかかってるみたいで」
「じゃあ、お昼一緒に行くんだよね?他誰か誘ってた?」
「うん、俺だけだと思うよ」
「そう、良かった」
二人のやり取りを見ている限りでは、大丈夫な感じ。
その後、春日ちゃんの笑顔を見た瀧野君の表情が何か辛そうに見えて何か違和感を感じた。こんな表情、したことないよね……?
その後、谷折君が来て、駅の近くのマクドナルドへと行った。
春日ちゃんと二人、先に注文をしてトレーを受け取ると席に向かった。
この席に先に来たのは瀧野君で、手前の席、春日ちゃんの向かいに座った。
じゃあ、谷折君が私の向かいに座るんだよね……。
なんか緊張する。この二人がいるから尚更かもしれないけど。
一人でいろいろと思っていると、やっと谷折君が来た。
谷折君はすんなりと空いている私の向かいの席に座った。
なんか、ちょっと不思議な感じ。
「春日さん、今日は生徒会で学校に?」
谷折君の質問に春日ちゃんは笑顔で答える。
「うん、作成書類の提出と図書室に用事で。やっぱ私だと生徒会の用事になるのかな?」
「いや、春日さんの話は亮太からよく聞いてるからさ」
亮太って、溝口亮太の事よね。小学校のとき一緒だったから知ってるんだけど。
春日ちゃんの顔からは笑顔が消え失せていた。同じ生徒会内でも何かあるのかな?
「……話って、どんなの?」
「えーと、仕事に関しては鬼のようで女のかけらも無くて、なのに女にも好かれて、自分が男だと思ってるんじゃないかとか、敵に回したら性質が悪い一番は春日さんだとか」
あの子、まだそういう所直ってないんだ……。
「……あの男、人のいない所で……。次会ったら殴ってやる……」
むうっとした表情で春日ちゃんが言うと、必死で笑うのを堪えていた様子の瀧野君がたまらずといった感じで吹き出した。
意外……、こういう反応もするんだ。
「……瀧野君?」
硬直したままの春日ちゃんが瀧野君に声をかけると、笑いながら瀧野君は言った。
「あ、ごめん、我慢しようと思ったんだけど……。溝口ってそういう事言いそうだよな」
「あの男はいつだって口が減らない」
それを聞いて、怒った様子で春日ちゃんは言うと黙々とポテトを食べ始めた。
亮太の言うとおり、女にしておくには勿体ないくらいさばさばしていて決めるところはいつも決めてくれるのが春日ちゃん。
責任感も人一倍強いから、生徒会の仕事に向ける姿勢は相当なものだと思う。
もし、春日ちゃんが男だったら、惚れてたと思う。
本当は、亮太もそう思っていると、私は思うよ。
でも、でもね、そんな春日ちゃんがものすごく可愛い時があったの。
好きな人の話をしているときの春日ちゃん。1年の時、その人の事を本当嬉しそうに話す姿は、「女の子」って感じですごい可愛いの。
……1年ぐらい、話聞いたことないなぁ。そう言えば、学祭から先輩と付き合って結局消滅しちゃってから、何も聞かないんだよね。
まだ好きなのかな?それとも他に好きな人出来たのかな?
あんなに好きだった人のこと、忘れられるのかな?
そう思った途端、私は二人のいる前で聞いてしまっていた。
「あ、そー言えば、春日ちゃん好きな人の話最近しないけど今はどーなってるの?」
突然の質問に、春日ちゃんはポテトを喉に詰まらせ噎せてしまった。
ジュースを喉に流し込んで呼吸を繰り返すと、驚いた様子で口を開いた。
「い、いさちゃん、何を突然……」
「え?話してる時、いつも女の子らしかったなぁと思ってね」
「む、昔の話!い、今は、……もーいさちゃん!!」
ゆったりとした私の空気にたまらず声を上げた感じで春日ちゃんは慌てた様子を見せていた。それを見た谷折君、楽しそうな表情で聞いてくる。
「え?何々?誰?」
それに対して瀧野君は目線を飲んでいるジュースに向けたまま静かだった。
「あーもうやめて〜、そういう恋バナは苦手なんだから」
紅くなった顔を両手で覆い隠し声を上げた春日ちゃん。
でも、谷折君はやめないんだよね。
「でも、春日さんならよく聞かれるんじゃない?好きなタイプは?とか」
自分を落ち着かせる事を先にして、ジュースをゆっくりと飲んでから春日ちゃんは答えた。
「いやぁ聞かれないよ?それに毎日毎日忙しく走り回ってる私に、そんな事聞いてきたら、睨みつけるよ」
最後の「睨みつけるよ」は谷折君に向けて言ったんだけど、その顔は半分脅し入ってるよね、春日ちゃん?
「そーですか」
それが谷折君には効いたらしく、さっきまでの楽しそうな表情は消えてしまった。
そして追い討ちをかけるように、春日ちゃんは楽しそうな笑顔で言うの。
「じゃあ、瀧野君と谷折君の好きな人って誰?」
ピタ、と瀧野君の手は止まって、谷折君は目を逸らした。
あーあ、巻き添え食らっちゃったよ、瀧野君。
「……い、いない」
そう答えたのは谷折君。そーかぁ、いないのかぁ。
で、瀧野君は知らんフリをしている。それが一番得策かもね。
「そう」
素っ気無くとも感じるくらいに、春日ちゃんは一言口にしただけで、何も無かったようにジュースを飲み始めた。
様子を伺うように見てきた二人に気づいているだろう春日ちゃんは、ただ静かに意地悪な笑みを浮かべてた。
春日ちゃんの勝利みたいです。
頬杖を突いていた谷折君が、何気なく話を振ってきてくれた。
「ゲームってどんなのしてるの?」
それに答えだしたら、あれよあれよと話は弾んでいった。
話をしているのが楽しくて春日ちゃんと瀧野君の存在を忘れかけてたくらいだった。
それを思い出して、二人に目を向けると、穏やかな雰囲気で会話をしていた。
そして感じたのは、違和感。
だって、春日ちゃんがいつもと違う。
どこが?と聞かれれば、はっきりと説明できないけど……。
でも、春日ちゃんて、こういう表情を男の人に向けていた事があったかしら?
いつもは、こうなんていうか、隙のない表情で好戦的な空気がひしひしと伝わってくる感がある態度で男の人に接している。でも、今は違うよね。
雰囲気的で言うなら、今の春日ちゃんは、優しい。
そして、瀧野君も、優しい。
瀧野君て、女の人には線を引いてる感があって、どこか冷めた表情なんだよね。
でも他の子は、「あの顔がいい」とか、「人懐こそう」とか、「優しそうでかっこ良くてあの笑顔がいい」とか、……まぁ様々。私は個人的には瀧野君は話し難い人なんだけど。
そんな人が、春日ちゃんの前では、皆が抱いている姿そのまんま。……なんで?
そう疑問を抱きつつ、私は谷折君とお喋りをしていた。
二人の雰囲気が険悪だとか言うわけではないので、とりあえず、よしということで。
そして、楽しくてどれくらいの時間が経ったのかも分からなくなってた。
春日ちゃんが腕時計に目を向けて、もう3時だと声を漏らした。
もうそんなに時間が経ってたんだ。楽しいと時間てあっという間に過ぎるよね。
マクドナルドを出て、四人は言葉を交した。
「いさちゃん、電話するね」
「うん」
私と春日ちゃんが言葉を交している横で、瀧野君が谷折君に言っていた。
「春日俺と同じ方向だから。谷折は反対方向だよな。伊沢は?」
それには谷折君が答えてくれていた。
「俺と途中まで一緒だよ。じゃあ、又明日な」
「おう、遅れるなよ」
「へーい。じゃ、春日さんもまたね」
「うん、またね」
谷折君は皆に見せる笑顔で春日ちゃんに言った。春日ちゃんも幾分柔和に笑顔で答えていた。私の不安が伝わったのか、すぐ春日ちゃんは私を見て、心配要らないと笑顔を向けてくれた。
……顔に出てたのかしら?
春日ちゃんが自然に瀧野君の隣に並んで歩き出すと、瀧野君は谷折君に見せるような気の許した表情で言葉をかけていた。
……もしかして。
不意に私の頭にそんな言葉が浮かんだ。これは、女の勘て言うヤツよね。
でも、まさか本人に聞ける訳も無いし。
谷折君と二人、春日ちゃんたちとは反対側のホームに向かった。
ホームに出て、反対側に目を向けると、二人が仲良さそうに話している姿が見えた。
私は思わず、谷折君にそのことを聞いてた。
「瀧野君て、あんまり女子と楽しそうに話したりしないよね?」
「あー、瀧野は無害で気の良い子には、まだ愛想いいんだよ」
「うーん、そうだよねぇ、そういう所は瀧野君と谷折君は正反対のタイプだもんね」
「・・・・・・。あの、それは俺が八方美人だと言いたいんでしょうか」
「え?あっ、瀧野君が無愛想っていう話で、別に他に意味は……」
語尾がしどろもどろになると、谷折君はふ…、と笑みを浮かべてから、向こうにいる二人に目を向けた。
「まぁ、相手が春日さんだと、委員(仕事)関係でさすがに瀧野も愛想よくなるでしょ。そういうところ、結構抜け目の無いやつだし。……気になるの?」
「え?な、何が?」
突然口にされた言葉と、いつもとは違う、他に何か言いたげな微笑に戸惑いを隠せなかった。
「瀧野もいい奴だし、女の子いじめたりはしないよ。……多分」
取って付けたような最後の言葉に思わず噴出してしまった。
谷折君は拗ねた表情をしていたけど、私は笑わずにはいられなかった。
思わず、期待してしまった。それは思い込みなのだと、自分がおかしかった。
私の気持ちが彼に届いている訳ではないのだから。
谷折君は優しい。いつどんな時でもどんな相手にも。
それをよく知っている。そんな彼だからこそ、私は好きになったのだから。
二人の間には沈黙が訪れていた。
谷折君の顔を見ると、それに困っている様子がわかる。
反対側のホームに電車が到着して、二人の姿は無くなっていた。
私は決意をして静かにゆっくり呼吸をした。
想いを知ってもらいたかった。彼に伝えたかった。
他の人を好きだなんていう事を少しでも思われたく無かった
今、そんな気持ちでいっぱいだった。きっと、後悔しない。
「谷折君、私」
そう声を出したら、谷折君は「何?」と顔を向けた。
「谷折君のこと好きだから」
それを聞いた谷折君は固まっていた。突然の事に驚いたようだった。
その顔はすぐ動揺の色に染められて、何度か何かを言おうとしては口を閉ざしていた。
開いていた手も硬く握られている。顔を見て分かった。すごく困っているのだと。
何か言わなくちゃ……。
そう思った次の瞬間、谷折君がつらそうな顔で口を開いた。
「あの、今、毎日の生活で頭いっぱいで、あと部活に必死で、だから……」
「うん、返事してくれてありがとう。……電車着たみたい」
「あ、うん……」
「……じゃ、また学校でね。私この後の電車に乗るから」
笑顔を絶やさぬよう、頑張って言った。
谷折君の方がつらそうな表情で私を見つめている。まるで立場が反対のようね。
ホームに電車が到着して、扉が開いた。
それを見て、私はその場から離れようとしたのだけど、谷折君の声が聞こえて足を止めた。
「あの、嫌いだとか、伊沢さんの事なんとも思ってないとか、そういう事じゃないから!」
「あ、りがと。あの、反対に困らせて、ごめんね」
まだ何か言いたそうだった谷折君に、やっとの思いでそう言って、小さく手を振ってから、そこの車両から離れた。もう、これ以上笑顔は浮かべられないから。
早く、電車が行ってしまうことを願いながら足を進めた。
端の方まで歩いていき、誰もいないベンチに座った。
困らせたかった訳じゃない。笑顔で「ありがと」と言ってもらえたら、それで良かった。
何かを期待しなかった、と言ったら嘘になる。
でも、それは思い込みに似たものだから、破れても当たり前と思っていた。
私だけが「特別」な訳じゃない。彼は皆に優しい。
でも、それでも、悲しみは広がる。心に。体中に。
あーあ、ふられちゃった。
必死に堪えて、空を見上げた。涙が零れない様に。これ以上、溢れてこないように。
入道雲が広がった青い空が、私にはぼやけて見えて、それが包み込んでくるように見えた……。