時の雫-之紀 栞1

Chapter4 悲しい選択


§5 Episode1

高校2年生の夏。
この時あった事を、大人になってからも俺は忘れることが出来ずにいるのだろうか。
 それを選ぶことしか出来なくて、それでも悔いばかりが心に残って。
 その日までは、ちょっぴり切ないけど、それなりに幸せな片想いだった。
なのに、その日を境に、俺はこの想いを辛くてただ切なく感じるようになった。
 幾度とその日の事を後悔しては、それを選ぶことしか出来なかったのだと、自分に納得させるように言い訳をして、幾度と気持ちは沈んだ。





 夏休みに入っても、毎日練習の日々。
俺的には好きな子の顔が休みでも見られるので嬉しい事だった。
こんな事は口に出しては言えないけれど。

 とある日、その日は午前だけの練習が終わって、片づけをしていた。
当番でない奴は早々にあがっていたのだが、俺は当番の奴と無駄話をしていたので結局最後までコートにいた。
話していた奴が整備を終了し上がろうとしたところで、まだ片付けていない用具に気づいた俺は一人でそれをしまいに行った。

こういうのほっとけないんだよね。

一人で用具室に向かっていると、その先からあの子が戻ってきているところに出くわしたんだ。
「お疲れ」
すかさず俺はそう声をかける。すると、彼女はいつもの笑顔で返してくれるんだ。
「うん、お疲れさま」
優しい彼女は俺の腕の中に山積みになっている用具を見ると言ってくれた。
「あ、運ぶの手伝うよ」

やった!ふたりきり。

「あ、ありがとう」

二人で並んで歩くのなんて、あの雨の日以来かな?

「練習が午前で終わりだと嬉しいよな」
「そうだね。何して遊ぼうかなぁって気になるね」
「伊沢さんはいつも何してるの?」
「うーん、部屋の掃除したり、買い物に行ったりとか、たまに弟とゲームしたりするよ」
「弟いるんだ」

初めて知った彼女の事。一つ知ると嬉しい気持ちになる。

「うん、6つ離れててかわいいんだ。谷折君のところは?」
「2つ上の姉貴がいるだけ。えらい気が強くてよく苛められてる」

出来るなら、その弟くんと換わってほしいです。

「ああ、やっぱ兄弟でも女の子には手上げられないんでしょ?やっぱ優しいから」

そんな事を笑顔でいわれて、なんか照れくさいような気持ちになった。

 たとえどんなに腹立つことを言われても、やっぱ女の人には優しくしないとね。
それに何かしたら、後が怖いし面倒だし。

だから、とりあえず「うん……」とだけ言った。

「うちの弟も、色々と我慢してくれてるみたいだから。女には手出さないんだって」
そう話す彼女の顔が、その弟が大好きって言ってあって、なんかその弟が羨ましくなった。
「へぇ。仲いいんだ」
「うん」
そう返事する彼女の可愛い笑顔。

思わずにやけそうになったので、顔を向こうに向けた。やばいやばい、こんな顔は見せられないって。
 彼女の事がもっと知りたくなって、やっとにやけが治まってから顔を戻した。
もっと二人で話したいなって思ったんだ。
でも、急にそう言う事は出来なくて、とりあえず訊ねてみた。
「じゃあ、今日とかどうやって過ごすの?」
「今日は、……」

もし、何も用事ないのなら、勇気を出して誘ってみようかと思って。

「他の子と二人でマクドナルドに行くんだけど、」
「あ、そうなんだ……」

撃沈。そう思ったら。

「良かったら一緒に行こ?」

そう笑顔で言われた!やった!
嬉しくて笑顔になって頷いたよ。
「うん」って。



 さて、誰誘う?
信頼のおける奴と言ったら、やっぱ、瀧野かなぁ。
峯は油断ならないし、他のヤツも、なぁ……

まだ、いるかなぁ。と思いつつシャワー室に行ったら、丁度瀧野だけがいた。
これはなんとタイミングの良い……。
シャワーを浴びながら、何気なく言ってみた。
「昼女子にマクドナルド誘われてるんだけど、一緒にどお?」
「相手誰?」
「伊沢さん」
「……なんでまた」

……そういう反応かー。でも、まぁ特に関心がないということで、それはそれでいいかな。

「いや、フツーに誘われたんだよ。行くんだけど良かったら一緒にって」
「……まぁ、別にいーけど。で向こうは後誰来んの?」
「あー、それは聞いてなかったなぁ」
誘われた事に喜んで、そんなこと頭にも浮かばなかったよ。

 俺がシャワーを浴び終えた頃には、瀧野は既にドライヤーで髪を乾かし終えていた。
今度は俺がドライヤーを使い出した頃には、瀧野の支度は整っている。
「おーい、まだかよー?」
「うーん、ヘアスタイルが中々決まらなくて」
「そんな決めるような髪かよ?」
「まーひどいいいようね。女の子と一緒するのに最低限の身だしなみよ」
「その言葉使いはやめれ。気持ち悪い」
結局、俺の髪が納得行かなくてやり直した。
瀧野は「中は暑い」と言って、「先に校門で待ってる」と行ってしまった。

ようやっと支度が整って行こうと思ったら、部室に荷物を置いてきたことに気づいた。
あーあ、……浮かれすぎ?
 荷物とって早く行こう、と。
そう思いながら部室へ行った。部室には誰もいなくて俺一人。
 荷物をカバンに入れてさぁ行こうか、と思ったとき、外から女子の話し声が聞こえてきた。
「ほんと、あの1年生意気だよね」
「うん、私ら差し置いて峯君にちょっかいかけるなんて」
「シメてやったからもう大丈夫でしょ」
「1年が峯君谷折君に手出そうとするのは許せないよね」
「あと瀧野君にもね」
「でも、瀧野君はどんな子相手でも興味示さないから」
「そー、なんだよね……。ちょっとでも踏み込もうとするとうまくあしらわれるよね」
「そうそう。ガードが固いというか」
「谷折君と峯君は、そんな事ないけどー」
「でも、どーする?同じ学年の子が谷折君とうまくいって付き合うようになったら?」
「テニス部内ではそれは許せないでしょー。谷折君は皆の谷折君」
「全員で無視」
「無視だけですむぅ?」
「すまないよねー」
この声には聞き覚えがある。同じテニス部で1組の女子たちだ。
見ていても一番きつそうな子の集まりだ。

女同士って結構陰険だもんなぁ。いじめられている子とか見ると、すごい可哀想に思う。
 ん?ちょっとまてよ?今の会話って……。
 ……っていうか、俺は付き合う事も許されないのか?
「峯に頑張っていた1年」って、最近急に大人しくなったと思っていた子の事だ。
そういう理由だったのか……
 ……じゃあ、もし、俺が万が一あの子とうまくいったら、(ちなみに俺は隠そうとしても表に出てしまうタチなので)……

そう考えて、なんかすごい沈んできた。
 いや、別にうまくいくとは思ってないし、彼女はきっと俺が想っているように俺の事を想ってくれてはいないだろうから。……俺の片思い、だし。

 しかし、部室の前でそういう立ち話するのやめてもらえないかねぇ。
出るに出られないじゃないか。
っていうか、早くいなくなってほしい。せっかく、待ち合わせしてるっていうのに……





 その女子たちのお陰で、俺の気分は一変していた。俺は沈んだ気持ちで校門に向かった。
前庭を通って校門に向かっていると、伊沢さんの姿が一番に目に入った。
嬉しい気持ちと沈んだ気持ちが一緒ごたになって何かぐちゃぐちゃだ。
……穏やかな笑顔で彼女たちに顔を向けている瀧野が見える。
もう一人は誰だろうと見てみれば、それは春日さんだった。

そーかぁ、伊沢さんと春日さんて親しいのかぁ。知らなかった。

 混濁した心のまま、取りあえず3人のいる所で足を止めて声をかけた。
そして、流れるようにして皆と一緒にマクドナルドへ向かった。
注文して席に着いたら自分が最後で座るべき席は、伊沢さんの向かいだった。
あー、嬉しいけど、なんか、いつものように素直に喜べないのはなんでだろう……。
……いや、理由はわかってるんだけど。なんか、つらい。
そんな気持ちを誤魔化すようにして、今まで話す機会のなかった春日さんにとりあえず声をかけてみた。
「春日さん、今日は生徒会で学校に?」
春日さんは愛想笑いともいえる笑顔で答えてくれた。
「うん、作成書類の提出と図書室に用事で。やっぱ私だと生徒会の用事になるのかな?」
「いや、春日さんの話は亮太からよく聞いてるからさ」
仕事熱心で、他のメンバーは頭が上がらないって。
勿論、それだけじゃないけど。
それを分かっているのか、春日さんの顔からは笑顔が消え失せていた。
「……話って、どんなの?」
うーん、素直に言った方が良いんだろうか?それとも……
悩んだけど、春日さんに興味を持って聞いてくる輩に普段亮太がよく言っている事を教えておくことにした。
「えーと、仕事に関しては鬼のようで女のかけらも無くて、なのに女にも好かれて、自分が男だと思ってるんじゃないかとか、敵に回したら性質が悪い一番は春日さんだとか」
「……あの男、人のいない所で……。次会ったら殴ってやる……」
むくれた顔で言った春日さんを見て、瀧野は必死で笑うのを堪えていたんだけど、結局吹き出した。さすがのこいつも我慢できなかったみたいだ。
春日さんは少しむくれた表情をしている。
こういう顔もするんだー。なんて、思っていたら、伊沢さんが唐突な事を言い出した。
「あ、そー言えば、春日ちゃん好きな人の話最近しないけど今はどーなってるの?」
突然の質問に、春日さんは噎せている。
ジュースを喉に流し込んで呼吸を繰り返すと、驚いた様子で口を開いた。
「い、いさちゃん、何を突然……」
「え?話してる時、いつも女の子らしかったなぁと思ってね」
「む、昔の話!い、今は、……もーいさちゃん!!」
おお、普段の春日さんから想像もつかない反応だ。思わず俺は身を乗り出して聞いていた。
「え?何々?誰?」
それに瀧野はのってこようとはせず、飲んでいるジュースに目を向けたまま静かだった。
「あーもうやめて〜、そういう恋バナは苦手なんだから」
へーそうなんだ。紅くなって、可愛いね。
「でも、春日さんならよく聞かれるんじゃない?好きなタイプは?とか」
俺が尚聞くと、春日さんはジュースをゆっくりと飲んでから言った。
「いやぁ聞かれないよ?それに毎日毎日忙しく走り回ってる私に、そんな事聞いてきたら、睨みつけるよ」
あ、睨まれました。威嚇されました。それ以上聞くなって。
好きなタイプくらい聞いてもいいじゃん。 ……なんて怖くて言えない。
「そーですか」
心の中とは裏腹にそう言うと、まるでそれが聞こえていたように聞かれた。
「じゃあ、瀧野君と谷折君の好きな人って誰?」
あ、やば。と思って、思わず目を逸らした。視界に入った瀧野は固まっている。
顔を見ると、聞こえなかったフリを決め込んでいるみたいだ。
春日さんにちらりと目を向けると、にっこりと笑顔を浮かべつつ俺を真っ直ぐに見ている。
今の俺に、言える訳ないじゃないですか。
「……い、いない」
搾り出すようにしてそう答えた。
又何か言われるのかと思ったんだけど、春日さんは一言言っただけだった。
「そう」
そして、静かにジュースを飲んでいる。
え?それだけ? 
と思って目を向けたら、静かに笑みを浮かべている春日さんの顔が小悪魔に見えた。
あまり、余計な事は聞かないでおこうと思った瞬間だった。
まだ明らかにされていない春日さんの恐ろしさを俺は予感したんだ。
 
そのうち、春日さんと瀧野が話し出して、黙ったままでいるのも何なので、思い切って話題を振ってみた。
「ゲームってどんなのしてるの?」
弟とゲームしてるって言ってたし。
そして、伊沢さんが教えてくれたやつが、俺が今頑張ってるやつで話はあっという間に盛り上がってしまった。ここは、どうやってこすの?とか。
 意外な共通点に俺はなんだか嬉しくなった。

 いいや、別に。
どうせ俺の片思いだし、今はこうしてお喋りできるだけで。

普段では考えらない時間を過ごす事ができて、いつもよりたくさんお喋りできて嬉しくて、今日あった事を忘れかけていた。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。
マクドナルドを出ると、そのまま帰ることになった。
伊沢さんと俺は同じ方向で、瀧野と春日さんが同じ方向なので、改札口を通った後2組に分かれたんだ。
瀧野と春日さんって同じ方向だっていうの初めて知った。
ホームに出ると、反対側に瀧野と春日さんが話しながらゆっくりと歩いている姿が見える。
あの二人、並んで歩いてるの見ると中々似合ってるなぁ。
なんて事を思っていると、隣にいる伊沢さんが訊ねてきた。
「瀧野君て、あんまり女子と楽しそうに話したりしないよね?」

一緒にいるのが春日さんなので心配しているのかな?友達思いなのね。
まぁ、確かに女に愛想ないかも、だけど、全部そうという訳ではないはず。

「あー、瀧野は無害で気の良い子には、まだ愛想いいんだよ」
「うーん、そうだよねぇ、そういう所は瀧野君と谷折君は正反対のタイプだもんね」
納得したように言った伊沢さん。

それって、もしかして、……。思いっきり比べてるけど、……

「・・・・・・。あの、それは俺が八方美人だと言いたいんでしょうか」

実際そう見えるだろうけど、……まぁ愛想は振りまいてるけど、俺、誰にでも優しい訳ではないんだけど……。

「え?あっ、瀧野君が無愛想っていう話で、別に他に意味は……」
しどろもどろになってそう話す姿を見て、思わず笑顔になってしまった。

そうだね、春日さんを心配してるんだよね。

そして、向こうにいる二人に目を向けてから言ったんだ。
瀧野は実行委員で生徒会の春日さんとは接触があるから、場が悪くなるような事はしない。
そこらへんは気を配ってるやつだから。
でも、なんでそんなに心配してるんだろう。気になってるのは、春日さんの事だけ?

「まぁ、相手が春日さんだと、委員(仕事)関係でさすがに瀧野も愛想よくなるでしょ。……気になるの?」
「え?な、何が?」
戸惑いの表情が浮かんでる。それを見て咄嗟に言葉を紡いでいた。
「瀧野もいい奴だし、女の子いじめたりはしないよ。……多分」
その最後の言葉は、自信がなくて付け足したんだ。
そしたら、笑われちゃったよ。
何もそんなに笑う事ないでしょ。思わず拗ねた顔したら、尚笑われてしまった。

まぁ、いいけどね、困った顔されるより、笑っている顔見られて嬉しいし。
 あーあ、でも、伊沢さん、実は瀧野の事を見てない?
俺の気のせい?
それで、仲の良い春日さんが一緒にいて心配してたりする、ということじゃないの?
あー、なんか変な事考え出してる。
 今日、浮き沈みが激しいなぁ。

なんて事を考えていると、しっかりとした口調で伊沢さんが声を放ってきたんだ。
いつもより意思のこもった声。
「谷折君、私」
「何?」

その様子がなんだかいつもと違う雰囲気だなぁ、と思いながらと顔を向けたんだ。

真っ直ぐと俺を見つめて、はっきりと彼女は言ったんだ。
「谷折君のこと好きだから」

そんな事を言われるなんて、微塵にも思っていなかった。

本当に驚いた。
でも、嬉しかった。

うん!俺も! そう大きな声で言いたかった。
いや、それを言おうとして、すぐ今日偶然聞いてしまった女子たちの会話が頭の中で思い出された。

……言えない。
一番言いたい言葉が言えない。言いたいのに。

でも、それを言ってしまえば、今度は彼女がいやな目に遭う。俺のせいで。

……でも……、俺だってずっと好きなのに。

……だけど、どうしていいか分からない。

 彼女が不安な顔をしてる。早く、何か言わなくちゃ……。
でも、何て言う?どう言ったらいい?

頭の中をいろんな思いが駆け巡っていく。
思いは同じなのに、それを伝える事ができないなんて……。

でも、いやな目に遭わせたくない……。
今一番に思ったのはそれだった。だから、苦肉の策で言ったんだ。

「あの、今、毎日の生活で頭いっぱいで、あと部活に必死で、だから」

他の子と付き合う気はない俺の、精一杯の気持ちを込めた台詞だった。
もう、他に言葉が浮かばなくて、あと何て言ったら良いだろうと思っていたら、伊沢さんが少し悲しげに微笑みながら言ってくれた。

「うん、返事してくれてありがとう。……電車着たみたい」
「あ、うん……」

気がつけば、近づいてくる電車の音がしていた。
必死でそれにも気づいていなかったんだ。

「……じゃ、また学校でね。私この後の電車に乗るから」
笑顔で、彼女は言った。

物凄く、胸が痛い。
気を遣って電車をずらすと言った彼女の表情を見て、尚更つらく感じた。
電車が到着するまでの短い時間が、俺には途方もなく長く感じた。

ホームに電車が到着して、扉が開く音が聞こえた。
そして彼女はその場から離れようと動いたのを見て、俺は言葉を放っていたんだ。
「あの、嫌いだとか、伊沢さんの事なんとも思ってないとか、そういう事じゃないから!」
伝わったかどうか分からないけど、一瞬彼女の瞳が大きく開かれていた。
そして、すぐ笑顔を浮かべて、言ってくれたんだ。
「あ、りがと。困らせて、ごめんね」
小さく手を振ってから、そこの車両から離れていく彼女の後ろ姿を俺はずっと見つめていた。目を放す事ができなかった。

なんだって、こういう結果になっているんだろう。

駅のホームが見えなくなってから、俺は扉に背を向けもたれた。自然と顔は俯いている。
好きだ、と言う事がどれだけ勇気のいる事か……。


「……ばかだよな、おれ……」

泣きたい気持ちで、呟いた。

 あんな話を聞いたりしていなきゃ、「うん俺も!」って言えていたのに。

……そうなっていたら、後でえらいことになっていたんだろうか、やっぱり。

ただ、俺は、彼女の笑顔が好きで、だから、それを守りたいと思ったんだ……。




 どれだけの月日が流れても、俺はその日の事を思い出す度、胸に痛みが走るんだ。
忘れらない高2の夏。

2004.11.14


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