時の雫-紗彩 樹

泣きたくなる時


2/3

 山口とは小・中と学校が一緒で仲がいい友達だ。
その山口が「ちぃさん」と呼ぶのは、中学校が一緒だった千野 紗彩さんのこと。
山口の話では中3の時に同じクラスになって卒業してから親しくなったという事だった。
そんな事を知らない当時の俺は、高校生になったある日こいつの家でその事実に驚いた。

「なぁ、○○○のCD持ってない?」
「いやぁそれは持ってないなぁ」
「誰か持ってない?どこ行っても置いてなくてさ」
「うーん、そう言えば、一人持ってるのがいたような……。誰だったかな」
腕を組んで考え始めた山口。暫くしてから、ぽんと手を叩いて言った。
「ああ、いたいた。一人いた。今度頼んでみるよ」
「うん、よろしく」
そんな会話をして暫く経ってから、電話が鳴って部屋に置いてある電話を取った山口。
受話器から微かに聞こえてくる声。でもそれだけでは男性か女性かも分からない。
「おー?ちょっと待って」
山口はそう言うと保留にして言ってきた。
「この電話の主がCDもってる子なんだけど、一緒に家に来てもいーよな?」
本当は知らない子とはあんまり接したくない性格なんだけど、そのCDは本当に聴きたいヤツなのでOKする以外なかった。
「うん……」
俺のその返事を聞くなり山口は受話器を取って言っていた。
「いーよ。ついでにさ、○○○のCD貸してもらえない? おーよろしくー」
そして電話を切ると、何事もなかったように言った。
「貸してくれるって」
「で、誰な訳?」
訝しげな俺の眼差しに山口はさらりと言った。
「ちぃさん」
「誰それ?」
「千野紗彩。知ってるでしょ?」
その名前に俺は一瞬固まった。
「え?お前千野サンと友達なの?なんで?お前の家に平気に電話してくんの?」
だって俺中学ん時、見かける度に可愛いって思ってたんだ。
「同じ卒業委員だったからそれでだよ。何そんなに慌ててんの?」
「え?いや、別に……」
それから暫くして家のチャイムがなった。
全然動こうとしないこいつに出なくていいのか?と聞くと、平気で言うのだ。
「ちぃさんだから、開けて入ってくるよ」
そんなに親密だというのだろうか。
なんて事を思っているうちに階段を上がってくる音が聞こえてきた。
そして部屋に入ってきたのは千野さん。
初めて真っ当に見る私服姿に思わず呼吸をするのを忘れていた。
目が合ったことすらすぐに気づかなかった。
「あ、え?私来て良かったの?」
気遣っての千野さんの言葉に、山口は平生と言う。
「いーのいーの。実はCD貸して欲しいの樹なんだ」
「あ、そーなんだ。じゃ橋本くんどーぞ」
そう言ってテーブルの上で差し出された彼女のCDに、本当に俺が借りて良いのか気になって聞いた。
「本当に俺、借りていい?」
不安な俺に彼女は笑顔で答えてくれた。
「うん、どーぞ」
彼女からCDを借りるだけでも、密かに喜んでいたんだ。

 それが、彼女との関わりの始まり。
 その後も、山口の家でたまに一緒するようになったんだ。
彼女は俺よりもちょくちょく遊びに来ていたみたいで、俺が来た日は大概いた。
でも、意識してしまう俺は彼女と中々話すことができないでいた。
仲良くなりたいと思いつつも行動に移せないもどかしさ。
そして、会うたびに気持ちは積もっていって、気がついた頃にはすっかり好きになっていた。

 ある日、彼女が俺の事を「樹くん」と名前で呼んでくれた時、驚きはしたけど内心どれだけ喜んだか。
山口が「樹」と呼んでいるので、話している内にすっかり「樹くん」と呼ぶようになっていたらしいんだけど。彼女が名前で呼ぶのは俺ぐらいなものなので、それだけでも嬉しいんだ。



「樹、これ渡してって頼まれてたんだ」
大学受験が終わって久しぶりに山口の家に行くと、目の前に差し出されたラッピングされた小包の入った小さい紙袋に、俺は一瞬躊躇った。
 今確かに山口は「頼まれた」って言った。
「え?なに?」
思わずそう確かめてしまう。
「バレンタインのチョコ」
その山口の答えに、心の中に広がる期待の文字……。
「誰、から?」
「ちぃさん」
「え?ほんとに?」
しつこく俺は確かめていた。
「うん、いつ会えるか分からないし、用意しててあげないのも嫌だからって」
その台詞に顔が自然とほころぶのを感じた。
本気で嬉しかった。
 もうバレンタインは過ぎていたけど、千野さんから初めて貰ったチョコに俺は舞い上がっていた。

その喜びようは自分で言うのも何だけど、かなりのものだった。
だから、学校で友達とバレンタインの話題になった時、俺は嬉しくて話していたんだ。
だけど、友人たちの言葉は散々なものだった。
「えー?桜女の子だろー?お前からかわれてるんじゃね?」
「なー。桜女の子は相手がより取り見取りで男付き合い激しいって言うし、遊ばれてるだけだろー」
「そうだよ、お前見込みないって」
否定の言葉を口々に浴びせられた。
……そうだ。山口の家でも、他の連中が言っていたんだ。
「あの二人、絶対あやしいよな。ちぃさんは山口とデキてるだろ」って。
それはもう揺るぎようのない事実のように。

 正直、俺は落ち込んだ。
彼女への気持ちがあるばかりに、些細な話でも凄く不安になって暗い気分になった。
だけど、彼女といるととても楽しいし幸せな気分になる。
 そう、バレンタインから10日程過ぎた頃だったかな。
山口の家からの帰り道、一緒に帰っていたんだ。
彼女に会ったのは久しぶりだった。
お互い大学受験で忙しかったからね。
3年になってから、やっと楽しくお喋りが出来るまでになって、その時も楽しくお喋りをしながら歩いていたんだ。彼女も笑顔でいて、……ホント可愛い笑顔だった。
そう思っていたら、彼女が思い出したように言ってきたんだ。
「あ、今度写真見せて?見てみたいって思ってたから」
「卒業アルバムのこと?」
「ううん、……あ、それも見てみたいけど、学校の行事とかで撮った樹くんの写真の事」
え?それって俺のが見たいってこと?
思わず期待してしまう。
そんな事を思って、俺は笑顔で言っていた。
「いいよ、明日でも家に見においでよ。気遣う人もいないし」
家で二人きりだけど。俺の、男の部屋に、だよ?……そういう意味にもなるんだけど。
その男の下心を彼女は分かっているんだろうか。
彼女はすぐ返事してくれた。思い切りの笑顔で。
「うん、行く」
それに心の中で期待が広がっていった。
もしかしたら……。もしかすると……。

 でも、そんな気分も長くは続かなかった。
家に帰って時間が経つにつれ、何か色々考え込んでしまっていた。
友達たちの言葉が頭の中をぐるぐる回っていて、何がどうなのか分からなくなっていった。
どつぼにはまる、というやつ。
 へんな事を一人で考えて、気がつけば翌日になっていて、鬱蒼とした気分のまま待ち合わせ場所に行って彼女を待った。
来なかったら……。そんな事も思いながら。
だけど、彼女は来たんだ。コートにフレアースカートのいでたちで。
思わずスカート姿にどきりとする心臓。
いつもと違うシチュエーションにどきどきしながら家に向かった。
「誰もいないけど、どうぞ」
「あ、お邪魔します」
笑顔でそう言って、脱いだ靴をちょこんとしゃがんで揃える彼女が何とも可愛くて。
 部屋に行って、普通にお喋りしてたんだ。最初は。
彼女の口から山口の話が出て、急に気持ちが沈んでいくのを感じた。
そしたら、又いろんな事が頭の中を駆け巡っていったんだ。
 山口の事を口にする彼女は、別に特別な感情を抱いているようには見えない。
だけど、それは本当に真実だろうか。
彼女が山口と付き合っていないとしても、これだけ可愛いんだから、付き合ってる人くらいいるよな。きっと……。
俺なんかよりかっこよくて、彼女と並んでも遜色なくて、彼女もいい表情を見せるんだろうな。俺の知らない彼女の表情とか声とか、今その服に覆われている素肌とか……。

 気がついたら俺の頭の中やらしい事ばかり。
目の前にいる彼女が欲しくて欲しくて堪らなくなってた。
だって、部屋に二人きり、だよ?ベッドすぐそこだよ?
彼女が目の前にいるんだよ?可愛い笑顔向けて。

 でも、きっと彼女に取ったら俺なんて暇潰しでしかなくて、好きになってくれない存在なのかもしれない。それどころか男としてみて貰ってないのかもしれない。
じゃなかったら、普通ここまでこないよな。
 男としてみてもらえないまま、このまま人生が過ぎていくのだろうか。
山口の家で偶然に一緒になって、たまに顔を合わすぐらいの仲で終わってしまうのだろうか。あれ以上の笑顔を見ることがないまま、気がついたら彼女は他の男と一緒になっているのだろうか。
 ……俺だって、彼女のことが知りたい。
彼女に触れたい。どこをどう触ったら、どんな声を上げるのか知りたい。
 どうせ、時の経過と共に忘れ去られてしまう存在なら。
 暇潰しに遊ばれているだけの存在なら。
 それだったら。
 それだったら、いっその事……。

 そして、俺は見ていた物を本棚に戻そうとして立ち上がった彼女をベッドに押し倒していた。
 どうせなくす物だったら、彼女の事を知って、そして嫌われてしまえば、もうバカな夢を見ないで済むから……。
 きっと、彼女とはこれで最後なんだ。
でも、もしかしたら、これをきっかけに俺を選んでくれるかもしれない。
しょうがないからいいよって言ってくれるかもしれない。



 もう頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。



 この状況を分かっていない表情の彼女。
彼女の頬にかかったセミロングの髪をそっとよけてあげた。柔らかいその感触だけでも、何とも言えないものが俺を駆り立てる。そして目に入った彼女の白くて綺麗な首筋。
吸い寄せられるようにして首筋に口を這わせた。それだけで彼女の体に反応が見られた。
「やっ……!」
彼女はそう言うけど、体の方は感じているみたいだった。
空いている片手で俺を押しのけ様とするけど、そんな抵抗じゃ止められないよ。
益々欲しくなる。
「やめっ……、ひゃ……」
首筋から鎖骨に動いただけで彼女の反応は敏感だった。
彼女の肌にもっと触れたくて脇を撫で上げるようにして服の中に手を入れた。
吸い付くような肌に堪らなくなって頬にキスをしてそのまま口を塞いだ。
その可愛くて柔らかい彼女の唇。もう俺は彼女を得ることに夢中になっていた。
「ん……っ」
彼女の全てを漏らす事無く自分の物にしたくて貪るようにキスをして彼女に触れていった。
「んんんっ」
あらゆる所に触れるたびに放たれる彼女の甘い声は尚も俺を追い立てていく。
彼女の体は感じやすくて、思い切り攻め立ててる訳ではないのに潤んだ瞳を俺に向けて体を預けてくる。だから、せがんでいるのだと思って、その快感を求めているのだと思って、俺は手を止めなかった。その証拠に彼女のあそこは充分だというくらい潤っていたから。
愛しい気持ちを感じながら、胸に身を預けている彼女の髪を優しく撫でてから、そのまま突き進みたい気持ちを必死に抑えてベッドの端に行って下から避妊具を取り出して準備した。
「樹くん……?」
彼女の俺を呼ぶ色っぽい声に俺は逸る気持ちを抑えて足の間に身を落としてからキスをして舌を絡ませていった。
 これ以上の悦びを感じたことがあっただろうか。
離した唇から零れた甘い吐息に、もう我慢の限界を感じていた。
腰を落として中心部に下半身をあてがった時、ここまで来て何故だか彼女は縋る目を向け言ったんだ。
「あ、ま、待って……」
どうして今更?
「無理だよ……。ここまできたらもう止められない」
彼女のその言葉を聞かず、俺はそのまま彼女の中に入っていたんだ。
最初はそのままスムーズに入っていくと思ったそれは、すぐ突っかかりを感じてゆっくりになった。凄い締め付けに雄としての衝動が湧き上がってくる。
だけど、もれる彼女の声は……。
「……あっ……、い…た……」
痛さに俺の背に手を回して必死でしがみ付いている彼女の目には涙が浮かんでいた。
「んんっ、……うーっ」
痛みを堪える彼女の声なのに、既に納まっていた下半身はその予想以上の締め付けにぎりぎりの状態。俺の頭がくらくらしていた。
 ……でも、痛みを堪えてるって、まさか……。
そう考えが過ぎっても、もう殆ど限界だった。
止めようのない自分に、欲望の限りを出して動かずに入られなかった。
 彼女の痛み堪えていて零れてしまう声に、時折切ない声が漏れていた。
「……あっ、……ぁん、は……」
それすら俺を追い込んでいくものになっていって、もう何も考えられなくなっていた……。

 もう、欲望に囚われただけの男になっていた。
まさか。そう思いながらも止める事はできず果てた後に訪れた現実は、彼女が初めてだったというしるしだった。
 目の前は真っ暗になって、自分の身が谷底に落ちていくのを感じた。

 取り返しの出来ないそれに、俺は何も言う事が出来ず、何を言って良いのかも言葉が全く浮かばず、血の気が引いたままの自分をひたすら感じていた。

その後、服装を整えている彼女にジュースを出し、少し距離をとった場所に座った。
俺を避けるようにして背を向けている。顔だって俺に見せないようにして。
ボタンを留めているブラウスの隙間から彼女の白い肌が見えて、見つめてしまった先に俺が付けた紅い痕があった。
それに気がついた彼女は隠すように素早くボタンを留めていった。
 胸が、ずきん、と痛んだ。
ずっと俯いている彼女に俺は何も言えないでいた。
 何か言わないといけないはずなのに、何も言葉が浮かんでこない。

 どうしよう、どうしよう。
気ばかりが焦って肝心の言葉は浮かばない。
そんな俺に彼女は言ったんだ。
「あの、……帰るね?」
顔を向けずに放たれた言葉に俺の体は硬直した。
「あ、うん……」
そう答えるのが精一杯だった。
送って行こうと靴を履いた俺に彼女は拒絶の台詞。
「あの、まだ明るいし一人で帰れるから、……じゃあね?」
「……うん、わかった……」
そうとしか言えなかった。
 彼女は背を向けたまま帰っていく。

 もう終わり。
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回って目の前が真っ暗になっていた。
 気がついたら部屋に戻っていて、力なくその場に腰を下ろすと頭を抱え込んだ。
「何やってんだよ、俺……」
どうしようもない気持ちでいっぱいで、どうしようもなく泣きたくなった。
 ああ、もう完璧嫌われた。嫌われて当然のことをした。
もう戻れない。
 遊ばれている訳でも、遊んでいる子でもなかった。
ばかだ、おれ……。





☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆





 数日後、何もする気の起きない俺の所に山口から電話がかかってきた。
前に、一緒にしようと約束していた新作のゲームが手に入ったという内容で今から来ないかと言う誘いだった。
部屋に閉じこもって、ただぼーっと過ごしているだけだったから、行く事にした。
 もしかしたら、彼女も来ているかもしれない。
もしかしたら、いつもと変わらず笑顔で話しかけてきてくれるかもしれない。
そんな事を思いながら山口の家に向かったんだ。
だけど、いるのは山口本人だけで、訊ねてみたらあれからずっと連絡はないという事だった。
「そっか……」
安心と残念が混じった気持ちでそう呟いた俺に、面白そう、という表情を浮かべた山口が話してきた。
「なに?なんかあった?」
「ない!何だよその顔はっ」
「あ、そう。最近仲良さそうだったから何かあったのかと思ったのに」
うぐ。その言葉は当たっているけど、内容は山口が思っているようなものではないのに……。
 そうしてゲームを始めて間もない頃に、インターホンが鳴って山口は下に下りていった。
インターホンが鳴った時から俺の心臓は緊張の声を上げ始めた。
 もしかして……。
その予想は当たったんだ。
下から二人の声が聞こえてくる。
「何となく外をぶらぶらしてて、気が向いたから寄ってみただけなんだ」
「うん、あがりなよ。ゲームしてるだけだけどさ」
階段を上って部屋に入ってきた二人。
どんな顔を向けられるのか、見るのが怖くて、目が合うより先に顔を背けていた。
彼女からもぎこちない空気を感じて、尚更俺は顔を向けられないでいた。
 暫くして、それでも彼女が気になって、恐る恐る目を向けて見たんだ。
丁度彼女は違う方向を見ていたので、そのまま俺は見つめていた。
 いつもと違う彼女の表情だった。
暗い表情で何かつらそうだった。
 俺は、もっと怒った顔をしているのかとも思っていた。
だけど、その予想は違っていたんだ。
でも、俺のせいだって事は充分分かってる。
 だけど、……だけど……、今更なんて言う?
そんな事を考えていたら、隣にいた山口が言ったんだ。
「なんか元気ないな?どした?」
それに顔を上げた彼女を見て、おれは咄嗟に向けていた顔を背けてしまった。
「あ、なんでもないよ?」
無理しているのが充分に分かる声音だった。
「そぉ?……じゃ、ちょっとおやつ取ってくるわ」
そう言って山口は1階に下りていった。
話をするなら今がチャンスだっていう事は分かっていた。
だけど、何を言えば良いのか分からなくて、何も浮かんでこない頭を必死に動かしていた。
だけど、何も出てこない。
彼女に何か言われたら、何て返そう?
俺はその時、いっぱいいっぱいで彼女の様子は目に入っていなかった。
 そうこうしているうちに、山口が戻ってきてテーブルにお菓子を置き部屋に置いてあったポットで急須にお湯を入れ始めた。
頭を抱えたい気持ちで堪らなかった時、彼女が言った。
「あの、やっぱしんどいから帰る」
「え?」
山口がそう口にした。そして俺の視界の端に、ジャンバーを手にして部屋を出て行こうとしている彼女の姿が写っていた。
「あ、じゃあ、しんどいなら送ろうか?」
その山口の言葉にも彼女は言ったんだ。
「いい。一人で帰れる。じゃあお邪魔しました」
彼女らしかぬ口調。
 心臓を掴まれた気分になって、その場にうずくまってしまいたかった。



「どうしたんだろ?あそこまで情緒不安定なんて珍しいな」
その山口の台詞に、心臓に何かが刺さったような感覚が襲った。
「……そう、だよな。お前何か聞いてないの?」
やっとの思いでそれだけを返すと、俺はガクッとうな垂れた。
だめだ。もう、見たくもないくらいに嫌われてる。
いや、そうなるのも当然のことをしたんだけど、……つくづく甘い期待を少しでも抱いた自分が本当にバカだと思う。
「いやぁなんにも。樹、なんかひどい事言ったりとかしてない?」
「……言ってない」
「うーん、じゃあ、言わなきゃいけない事を言ってないとか?」
そういう問題ではないよな、俺の場合。
「心当たりない」
いや、無い事もないんだけど。でも、それは山口が言っている事とは少し違う事だし。
「うーん、じゃあなんだろ。バレンタインのお返しにはまだ早いし」
「で、なんで俺にばかり聞いてるの、それ」
「んーだって、俺の勘ではちいさんは樹に気がある」
 ゴン!
山口のその台詞にうな垂れていた顔をテーブルに打ち付けてしまった。
「……だって、千野さんはお前といい仲なんじゃないの?」
額をテーブルに乗せたままの状態で俺はそう言った。
「えー?俺らそんな特別な感情少しも抱いてないよ」
「……じゃあ、付き合ってる人とかいたりとか……」
「いる訳ないじゃん。暇な日は殆どここに遊びに来てるのに」
「あんなに可愛いのに、なんで?」
「うーん、ちいさんは言葉にこだわるから、曖昧な事しか言わない相手には応えないんだ。それに基本的に自分から行動起こすタイプでもないしね。俺はちいさんに何かするって事は絶対無いから。ちいさんもそれ分かってるから俺んちに来るのであって、同じグループの、親しい奴でも他の男の家には行かないよ。よっぽど好きな相手じゃない限り。ガード固いんだよね」

……言うの遅いよ。全部。今更どうしろって言うんだよ。
取り返しのつかないことしちゃった後だよ、既に。
もう嫌われてるよ。

 でも、このままでいいわけないよな。何も言わないままでいる訳にいかないよな。
たとえもう顔を見たくないって思われていても、伝えなくちゃいけない事ってあるよな。
本音を言うと、このまま姿くらまして失踪してしまいたいんだけど。
……いやいや、そういう訳にはいかないって。

「千野さんって、今週登校日あるの……?」
元気のないままそう声を出した俺。
「さあー?ちゃんと家に着いたか電話してみるからついでに聞いてみましょ」
 そうして、数分後山口は千野さんの家に電話をかけた。
「もしもーし。ちゃんと無事家に着いたかと思ってさ。なんか様子もおかしかったみたいだし。大丈夫?……今週残り登校日って言ってたっけ?……でも本当に何かあったんじゃないの?……え?ちょっと、ちいさん……」
山口は顔をしかめて受話器を耳から離していた。
「……なんか凄い機嫌悪いなぁ」
そう呟きながら受話機を置いた山口。

 もう俺は覚悟を決めるしかなかった。
嫌われているの確実だろう。次、顔を合わせたら殴られる可能性も大いにあるだろう。
手遅れでも、伝えなくちゃ。
自分の気持ち。
そう言えば、俺、なぁーんにも表に出してなかったもんな。相手にされなくなるのが怖くて。
ちゃんと伝えて、振られよう……。
 俺、ひどいこと好きな子にしたんだから、せめてもの謝罪をしなくちゃ。


……しかし、彼女としたえっちは気持ちよかったな……。
ぼんやりとそんな事を考えていた俺は、我に返って、そんな事を考えている場合ではないと、自分を諌めたのだった。



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