時の雫-紗彩 樹
泣きたくなる時
1/3
「ひゃっ……」
予想し得なかった衝撃に口から出た言葉はそんな間抜けな声だった。
私の頭はフリーズ状態。何が起こったのかすら分かっていないのに、目の前にある彼の胸元が何故こんなに近くにあるのかも分かっていなかった。
しっかりと掴まれている手首の痛さに気がついて、目線を上にずらした。
そこには私をベッドの上に組み敷いて、見たこともない真剣な顔で私を見つめている彼がいた。
「……な、に……?」
何がどうしてこうなったの?
分からない理由を訊ねようとしても、声が上手く出なかった。
見下ろす彼の顔が悲しげに歪んで、切ない色の瞳になった。
それに声を上げた私の心臓に、つられるようにして体に力が入った。
その反応に、手首を掴む彼の手に力が入って、私は声を出していた。
「いた……っ」
それを聞いた彼の片手が、指を交差させるように私の手に覆い被さっていく。
彼の手から力が緩められて、自ずと痛みが引いて私の表情が緩んだ。
すると彼はさっきみたいな力任せではなく手をぎゅっと握ると、もう片方の手で頬にかかった私の髪をそっと後ろに流した。
その状態に、体を動かす事も声を出す事も忘れていた私はただ成り行きを見守るようにただ茫然としていた。
そのままゆっくりと首筋に彼の唇が落とされて、奔るような痺れに思わず声が出た。
「やっ……!」
握られている片手は動かせなくて、空いている片手で必死に彼を押しのけ様としたけど全くびくともしない。
「やめっ……、ひゃ……」
首筋から鎖骨にずっとキスを落とされて、その何とも言えない痺れに思わず声が出る。
それでも、ちっともやめてくれなくて、彼の手が脇を撫で上げるようにして服の中に入ってきた。たったそれだけの感触に体が勝手にびくーっと反応する。
頬に彼のキスが落とされて、ふわあ、とした感覚が広がって自然と体の力が抜けていった。
彼に目を向けると目が合ってそのまま口を塞がれた。
その柔らかい感触に体に力が入らない。頭の中までふわふわしてて何も考えられなくなっていた。
私の唇は全部彼に啄まれて、何度もキスを落とされて、息苦しさに唇が開いたら、彼の舌が入ってきた。
「ん……っ」
口の中を舐め回されてどうしていいのかも分からなくて視界もぼうっとしてきた。
彼の舌が吸い付くように絡みついてくる。
「んんんっ」
彼の手は揉み解すように胸を触っている。
唇が離されると、私の手も離されてブラのホックを外された。彼の頭が下がっていったかと思うと胸を口に含まれてまた違う刺激が私の背を奔っていく。
「……あ……っ」
勝手に出てしまう声に自分自身戸惑いながらも、彼の温もりに抗えないでいた。
愛撫に翻弄されて、気がついたらスカートも脱がされていて、彼の手が下着の中にしのばされていた。
「あ、やめ、て……、やっ……!」
やめてって言ってるのに、指が中心部にきて今までよりも確かなその刺激に身を捩っていた。なのに、彼の指は私を逃さないでいた。そのまま中に指先を入れられて、そして、自分の滑りに初めて気づいた。
「や、……ん」
「ここ、嫌がってないよ……」
微かに掠れた彼の声に、恥かしくなって顔を背けたら、溝をすべるように蕾まで擦り上げられて痺れにも似た刺激に体が襲われた。
「は、んんん!」
耐えようのないそれに、彼の服をしがみ付く様に握り締めて彼の胸に額を預けていた。
「あ……!んんんっ」
やめてくれない彼の動きに体は勝手に反応を見せる。
自分では恥かしいと思う声が勝手に出て、それなのにそこからにげられないでいた。
あそこはもうとろとろになっていて、彼の指が入ってきただけで恥かしい音が聞こえる。
「ぁんっ……」
そして、その感覚がお腹の下の方から切ない感覚を起こしてきて、無意識に彼の胸に身を預けていた。
彼は私の髪を優しく撫でると、そっと身を離して何かをベッドの下から探っていた。
なに?
そう思っても、頭はぼんやりとして何も考えられない。
「樹くん……?」
思ったより掠れた声になってた。
戻ってきた彼は、再び私の足の間に身を落とすとキスをして舌を絡ませてきた。
自然に私もそれに応えていて彼の胸に手を当てていた。
離した唇から零れるのは甘い吐息。
腰を落として中心部に彼のそれをあてがってきた。
それと同時にどこからか変に切なくてどきりとしたものが身を包む。
「あ、ま、待って……」
縋るような私の目に、彼は辛そうな表情で言った。
「無理だよ……。ここまできたらもう止められない」
彼は私の太腿に手を当てるように持ち上げると腰を当てて中に押し込んでくる。
思ったより簡単に入ってきてそれは途中でスムーズさを欠いてゆっくりと進入してきた。
「……あっ……、い…た……」
あまりの痛さに彼の背に手を回して夢中でしがみ付いていた。身を裂けるような痛みに目には涙が浮かぶ。
「んんっ、……うーっ」
それがずっと奥まで進み止ると、まだ痛みはあったけど、さっきよりはましになってどうにか腕から少し力を抜いた。
ふと見上げた彼の顔はなぜか戸惑った顔をしている。
それがすぐ、辛そうな表情になって彼は動き出した。
痛いだけの感覚だったのが、突き上げられたそこに時折切ないものが混ざって勝手に声が上がる。
「……あっ、……ぁん、は……」
緩やかな抽送が段々と勢いを増していき、そして大きく突き上げた彼は切なげに声を洩らすとそのまま私に覆いかぶさった……
彼の部屋で乱れた服を直していると1階から戻ってきた彼が躊躇いがちに言った。
「ジュースでいい?」
「あ、うん、ありがと……」
恥かしくて顔を見れないでいる私に、彼はそっと近くにジュースの入ったコップを置いてくれた。ブラウスのボタンを留めていても視線を感じる。恥かしくて逸らした先、自分の胸元についている紅い痕に気がついて、手がふと止まった。
分からなくて一瞬考え込んで、それがキスマークだと分かるとボタンを留める手を慌てて動かした。
心臓がドキドキ言い出して余計に顔を向けられなくなった私に、彼は何も言わない。
私がジュースを飲み終わっても、黙っていても、彼は何も言わない。
「あの、……帰るね?」
どうして良いか分からず、このままこういう雰囲気でいるのに耐えられなくなって勇気を振り絞ってそう言った。
どう反応するのだろうと思ったんだけど、彼は特別に何かを言う訳ではなく素っ気無いとも取れる反応だけだった。
「あ、うん……」
玄関に行き靴を履きかえると彼も靴を履こうとしたのを見て私は躊躇いがちな笑みを浮かべて言った。
「あの、まだ明るいし一人で帰れるから、……じゃあね?」
「……うん、わかった……」
それ以上お互い何も言わず、そのまま別れた。
私が門扉を出た頃には彼は玄関の扉を閉めて中に入っていた。
私はそれが堪らなく悲しくなって、体はだるくて下半身も重たくてしんどいのに家に向かって駆け出していた。
訳が分からず、涙が次から次へと浮かんでくる。
彼が私を抱いた理由も分からず、ただ終わった後の彼の態度が無性に悲しくて、家に着いて部屋に入って一人になっても、涙は中々止まらなかった。
「樹くん……」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
橋本 樹くんとは中学が一緒だった。在学中に話した事なんて本当に数えるくらいだった。同じクラスにはなった事はなかったから。
高校はまったく別で、通学で一緒になることもないくらいバラバラだった。
それなのにどうして今一緒にいる機会が出来るようになったかと言うと、中学卒業してから仲良くなった男友達・山口が、樹くんと友達だったから。
山口は私立の共学、私は私立桜和女子高校で、樹くんは近くの野田高校に通っていた。
それもあと数週間で卒業。
私たちは春から大学生になる。
なのに、私の心は今ちっとも晴れない……。
中学を卒業してから、私が初めて樹くんに会ったのは、山口の家でだった。
その日、私は暇を持て余していて何かないかと思っていた。
頭に浮かんだのは山口の顔。そしてすぐ電話をかけた。
「暇だから遊びに行ってもいー?」
「おー?ちょっと待って」
山口はそう言うと保留にして数秒してから電話口に戻ってきた。
「いーよ。ついでにさ、○○○のCD貸してもらえない?」
「うん、いーよ。じゃ今から持って行くね」
「おーよろしくー」
電話を切ってすぐ用意して山口の家に向かった。
インターホンを鳴らしてから開いている扉を開けると、男物のスニーカーが2足。
1つは山口のだと分かる。他に誰か来ているのかと思って部屋に上がると、いたのはグループの他の子ではなく、樹くんだった。
「あ、え?私来て良かったの?」
初めての顔ぶれにそう言うと、山口は笑顔で言った。
「いーのいーの。実はCD貸して欲しいの樹なんだ」
「あ、そーなんだ。じゃ橋本くんどーぞ」
そう言ってテーブルの上で樹くんが座っている方に押しやると、躊躇いがちな表情で聞いてきた。
「本当に俺、借りていい?」
「うん、どーぞ」
それから何度か山口の家で一緒するようになり、山口から振られた言葉に一言二言返すくらいだったのが、1年が終わる頃には大分会話が成り立つようになり、2年が終わろうとする頃にやっと二人でお喋りが出来るようになった。
特別二人で出かける事はなく、出先で偶然会う事があって一緒に帰ったり、山口の家でおやつの買出しに行くのにジャンケンで負けた私に付き添ってくれたりする事があったくらい。
最初の頃は、苗字で読んでいたのに、山口につられていつのまにか私も名前で呼ぶようになっていた。それに気付いたのは、呼ぶようになってから大分過ぎた後。
「あ、私山口につられて勝手に樹くんって呼んでる事に今気付いた!……気、悪いよね?ごめんね」
そう謝った私に、はにかんだ笑顔を見せて樹くんは一言言った。
「いーよ」
樹くんが向けてくれる些細な笑顔も言葉も私には嬉しかった。
皆で遊園地に遊びに行く約束の日、出掛けに電話があったからと、山口は「今から駅で」とだけ言って樹くんからの電話を切ったんだと言っていた。
皆で来るかなぁと言って待っていた所へ、渋々顔の樹くんが登場した時は皆の口から笑いが零れた。本人は訳が分からないという表情をしていたけど。
遊園地の広場を通って、反対側にある乗り物に向かっている時、繋がれていない犬に遭遇した私は、ピタ。と動きを止めた。私は犬が大の苦手だから。
ちょっとでも動いたら近寄ってきそうな気配のそれに、それ以上身動きが取れなかった私の背を思い切り押しやった山口。
叫び声を上げながら必死で進まないよう耐えた私の腕を山口は掴むとずるずると犬の方に引きずっていく。涙目で止めてと叫ぶ私の訴えをひたすら無視して突き進む山口の手を必死で剥がすと、一番近くにいた樹くんの腕に抱きつくようにしてそのまま背に隠れた。
その時、樹くんがどんな表情を浮かべていたか分からないけど、山口に対して呆れていた声を出していたのは聞こえていた。
あの時、私はどさくさに紛れて彼に抱きついたのだけど。
もしかして、そんな私の気持ちも気付かれてたんだろうか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
気がつくと、あのまま眠っていたみたいだった。
もうすっかり窓の外が藍色になっている。
目を擦りながらだるい体を起こすと、自分の体の変調に気付いてトイレに駆け込んだ。
初めての行為に出血していて余計に体がしんどく感じる。足に力が入らないし……。
「……はぁ」
ため息をついてから、また部屋に戻って灯りもつけずにベッドを背もたれにして膝を抱え込んで座った。
今日、樹くんの家に行ったきっかけを思い出していた。
昨日、山口の家から一緒に帰っていて、お互い笑顔で会話をしていた。
それで、ふと思い出したように頼んでみたんだ。
学校行事の写真を見せて欲しい、って。
知ってる子が写ってるかもしれなくて、それを見てみたくて。
そしたら、樹くん笑顔で言ってくれた。
「いいよ、明日でも家に見においでよ」
嬉しくなって笑顔で「うん、行く」って即答したんだ。
だって本当は、あと、知らない所での樹くんの姿を見てみたかったから。
私は女子高で男の子と変な付き合いはなかった。他の子とも交流はなかったし、友達付き合いしてるのは本当に山口たちくらいのものだった。
山口と部屋に二人きりでもお互い別に何も思わなかった。たまに周りが冷やかしたりしてたけど、本当に何もないからムキになったりする事もなかった。
だから、男の人の部屋に行くっていう事、あまり深い事を考えていなかったと思う。
だけど、樹くんじゃなかったら、行ってなかったと思う。
うん、それだけははっきり言える。
あー……、私、遊ばれたのかな
漠然とそう思うと、膝に顔を伏せて悲しい気持ちを必死に抑えこんだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「なんか元気ないな?どした?」
山口に不意に言葉をかけられて反射的に顔を向けた。
その隣に樹くんは居たんだけど、私が顔を向けた途端目を逸らされた。
今日、この部屋に入った時もそうだった。
胸につくん、と痛みを感じたけど、一生懸命笑顔を取り繕って言った。
「あ、なんでもないよ?」
「そぉ?じゃ、ちょっとおやつ取ってくるわ」
そう言って山口は1階に下りていった。
部屋に二人きりで、言葉を交わす事もできなくてただ不気味なくらいの沈黙が漂っている。樹くんからは、なんか拒絶にも似た空気を感じて話しかけられないでいた。
私は私で顔が見れない。
やっぱり、今日来なければ良かった……
こうしていると、なんか物凄く辛くなってきて涙が勝手に浮かんでくる。
やっぱり、帰ろう。山口が戻ってきたら、今日はもう帰ろう。
そう思ってたら、自然と手に力が入ってぎゅっと握り締めていた。
数分して戻ってきた時、山口はテーブルにお菓子を置き部屋に置いてあったポットで急須にお湯を入れ始めた。
「あの、やっぱしんどいから帰る」
「え?」
山口がそう口にして顔を向けた時には、私はもうジャンバーを手にしてその場を立っていた。
「あ、じゃあ、しんどいなら送ろうか?」
山口の言葉に顔も向けず、無愛想とも取れるくらいのそれで私は言った。
「いい。一人で帰れる。じゃあお邪魔しました」
少しでも早くあの場所から逃げ出したかった。
息が詰まりそうになって胸が苦しくておかしくなりそうだった。
一人でとぼとぼ歩きながら、浮かんでくる涙を拭っていた。
私、なんかした?
……何を聞いたらいいのかわかんないし、何も言ってくれないからわかんないし、どうしていいのかわかんない……
こんな辛い思いしなきゃならないんだったら、行かなきゃ良かった。
マンションに辿りついてエレベーターであがった。
いつもだったら3階の部屋まで階段で昇るんだけど、あの翌日から足の変な所が筋肉痛でまだ治っていなくて辛いから……。
まだ誰も帰って来ていないこの時間。自分の鍵で開け家の中に入る。
のろのろと靴を脱いで部屋に向かうと、家の電話が鳴った。
一瞬躊躇ったのだけど、その電話に出た。
「はい、千野です……」
相手は山口だった。
ちゃんと家に着いたかの確認と、様子がおかしかったからそれを訊ねてきた。
「何でもないって。……今週後半はずっと学校。うん、そう。……もう!だから何でもないってば!もう切るよ?!じゃあね」
投げやりな口調とともに電話を切って、やるせない気持ちで部屋に入った。
荷物を適当に置き、ベッドに身を放り投げるとどっと疲れが出てくる。
「……なんか、どうでもいいや、もう……」
そう呟いて静かに目を閉じた。
2005.3.17
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