時の雫-紗彩 樹
泣きたくなる時
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数日後、学校からの帰り道。
元気なく私は家までの道を歩いていた。
これも一種の失恋になるんだろうか?
そんな事をぼんやり考えながら浮かない気持ちのまま足を運んでいた。
あと一つ角を曲がればマンションのある道筋、という所で何となく顔を上げたら、思いもしなかった光景がそこにあった。
制服姿の樹くんが両手をポケットに入れてそこに立っていた。
学ラン姿が似合っててかっこいい。
思わず見惚れていた。彼は結構スラリとした体形でがっしりとしたタイプではなかったけど、彼の胸の中に私は簡単に納まってしまう。
……そんな事をふと思って心臓がどきりと声を上げた。
慌てて首を振って余計な事を消し去ってから、どきどきと騒がしい心臓をこの身の中に感じながら、彼に歩み寄って声をかけた。
もし、これが違う場所で偶然通り過ぎただけだったら、私は気付かないフリをして違う方向に向かっていただろう。
だけど、今の状況は違うと思うから。
「樹くん、どうしたの?」
私の声に一瞬はっとした顔をした彼は、真っ直ぐ目を向けた私の顔を見ると、安心したような笑みを浮かべた。
思わずそれにときめいてしまう私の心。
そんな自分にはっとしながらも、私はまだ何も言わない彼に言葉をかける。
私の心臓はどきどきと賑やかに騒いでいる。
「学校だったの?今日はもう終わり?」
「あ、うん。……その、話があって、待ってたんだ」
見にくそうに私に視線を時折向けながら、そう言った彼。
「……え?」
私の心臓がどきり、と嫌な音を立てた。心の中は嫌な予感が渦巻き始めていた。
どうしよう、私、……
そんな事を思った次の瞬間、樹くんは深々と私に頭を下げて言い放っていた。
「ごめん!!」
何が起こったのか分からない私の傍を、近所の人が不思議そうな顔を向けていくのを見て我に返った。
「あ、あの、家すぐそこだから、誰もいないしとりあえず上がっていって?」
「あの、いいの?」
躊躇いがちに聞く彼に私は素直に頷いた。
「うん」
誰もいない家のリビングに二人きり。
とりあえず私はお茶を入れて賑やかな心臓をどうにか落ち着かせていた。
彼の方に目を向けると、ソファに静かに座っているのが見えた。
丁度この位置からは、ソファに座っている胸から下が見えて、顔は隠れて見えないのだけど。
少しでも気を抜くと、緊張で指先が震えてしまうのを必死で抑えながら用意できたお茶をテーブルに運んだ。
「あ、ありがと……」
角を挟んだ隣のソファに私は座った。
話があると言った彼が話し出すのを待つようにお茶に口を付ける私。
出来ることなら、もう何も聞きたく無いのが本音なんだけど、そうもいかない。
話があると出向いてくれた彼に、避ける理由はないから。
言い難そうにしていた彼は、思い切って口を開いたようだった。
「あの、この間はホントごめん!」
思いもしなかった言葉にきょとんとする私に、彼は言葉を続ける。
「部屋に誘ったのは、その、男だしそう言う下心は確かにあったけど、でも本当にあんなつもりだけではなくて……。なんていうか、他の子だったら、部屋に誘ったりしないし、……あの、バレンタインにチョコ貰って嬉しくて、でも周りは、千野さんは山口とデキてるって言うし、学校の奴らは桜女(おうじょ)の子は進んでてませてるからからかわれてるだけで見込みないって言うし。でも、写真見たいって言うから、少し期待しちゃって家誘ったら笑顔で頷いてくれたから俺嬉しくて……。でも、やっぱり周りの言ってた事が頭ん中ぐるぐる回ってて、それで、部屋で二人きりで気持ち止められなくなって、からかわれてるだけでもいいやって遊びだと思われててもいいやって思って……、その、だからまさか初めてとは思わなくて……。謝って済む問題じゃないけど、ごめん!!」
そう言って、彼はソファから降りて土下座した。
矢継ぎ早に紡がれた言葉は、まだハッキリと把握出来ていなかったけど、深々と頭を下げている彼を見て思わず私はその腕を自分の両腕で抱きしめるように掴んでいた。
「いいよっ、土下座までしなくて」
私は何も考える事無く思ったままを言っていた。
その言葉に彼は顔を上げた。
私は込み上がってくる感情に堪えきれなくなって、その腕に抱きつくようにして顔を埋めた。気配で彼が戸惑っているのが分かった。
「……良かった。遊ばれたのかと、思ってたから……」
溢れてくる感情に涙声になっていた。
それに彼は固まっているようだった。
彼の腕をぎゅうっと抱きしめて、堪らず言っていた。
「だって、何も言ってくれなかったから……、だから、何とも思われていないんだって思って……」
「千野さん……」
呟くように言った彼の手が、戸惑いながら、それでもそっと撫でるように私の頭に添えられた。
その優しい感触に、顔を上げてみて彼の顔がすぐ近くにあることを知り我に返った。
「あ、ごめん……、私ってば……。あの、ソファに座って、ね」
恥かしくなった私は腕を外して、どんな顔をした良いのか分からず俯いてしまった。
「あの、隣来て……」
ソファに座った樹くんが横の開いている場所に手を添えてそう言った。
その言葉に素直に従って、私は横にちょこんと座った。
どうして良いのか分からず、両腕を伸ばしながら膝に手を伸ばして置いた私に、樹くんは話し出した。
「中学の時から、見かける度に可愛いなって思ってたんだ。千野さんのこと。
山口と仲いいのは知らなくて、山口の家で会ったのはホント偶然だったんだけど。
……ずっと意識しすぎてまともに話す事できなかったんだ。それに、相手にされないって思ってたからずっと諦めてたから。……勇気出して、もっと早く言っておけば良かった。そしたら、こんな事にはなっていなかったのに」
その最後の言葉に樹くんを見つめていた。
そんな私をちらっと見てから、目を伏せると小さく息を吸って彼は言葉を紡いだ。
「……今でも好きです。だから、良ければ、その、俺の彼女になって、ください」
胸いっぱいに言葉にならない感情が広がっていった。
どうしよう、凄く嬉しい。
「あの、あの、……抱きついていい?」
お願いするような感じで言った私に、樹くんは笑顔で頷いてくれた。
そっと手を伸ばして彼の胸の中に収まった私を見て、両腕を背に回して優しく抱きしめてくれた樹くん。彼の胸の中は広くてとても居心地が良かった。
「うん、好き。樹くん大好き」
それに返事をするように樹くんにぎゅうっと抱きしめられて夢心地だった。
「順序、違ってしまったけど、……ごめんね」
「ううん、私、本当に好きでいていい?」
「うん、嫌いにならないで」
もう嬉しくて嬉しくて彼にぎゅうっと抱きついていた。
ずっとこうしていたいくらいだった。
そうして、どれくらいの時間が経ったのか分からないけど、背にあった手が気付けば下に下がっていてお尻の辺りをさすっている。
「樹くん、手……」
「あ、……ごめん、男の本能です」
そして、その手が太腿に落ちてきて、私の背筋を何かが駆けて行った。
「ひゃあん!」
体がびくっとなると、樹くんの顔は笑っていた。
「もう!」
そう拗ねた顔を見せると、樹くんは笑いながら言った。
「俺だけのせいじゃなくて、感じやすいからだよ、ほら」
そう言った彼に私の制服の中に手を入れて脇腹を撫で上げられて、私の体はまた反応を見せた。
「……ん」
私の体は一体どうしちゃったんだろう。
ふと、そんな事を思っていたら、樹くんがぽつりと言った。
「二人で、旅行行こっか。卒業旅行。近場でいいから……無理?」
彼の胸の中に顔を埋めながら私は言った。
だって、私も居られるだけずっと一緒にいたいもの。
「ううん、友達に頼んだら大丈夫、だと思う」
「じゃ、その日まで我慢しよ」
独り言のように言った彼に私は小首を傾げた顔を向けた。
彼はそれに苦笑すると、ゆっくりと回していた手を解放し何かに言い聞かせるように言った。
「理性の残っているうちに、帰るよ。今も結構限界ぎりぎりだし」
その台詞の意味がわかって、照れながらも笑顔を向けた。
心の中で、別にいいのに、とか思いながら。
そして、後日談。
「……さすがに、付き合う事になったその日に誰も居ない彼女の家では怖くて手は出せません」
いつ誰が帰ってくるか分からないのに。ということだったそう。
お互いの家のことなんて知らないものね。まだ。
はにかんだ笑顔で軽く手を上げた彼を笑顔で見送ってからも、私はずっと笑顔だった。
あんなに暗い気持ちだったのが嘘みたいに私は心が春のようになっていた。
順序はめちゃくちゃだけど、でも、それでも、良かった。
樹くんが好きだって言ってくれたから。
今度は嬉しくて泣きそうになってた。
きっと、卒業式はこの嬉しさで泣けないね。
その後。
桜が見事開花した頃、樹と紗彩は手を繋ぎながら歩いていた。
その日は暖かくすっかり春の訪れを感じていた。二人も春を感じさせるほどの空気を漂わせている。
全てを任せている安心しきった笑顔を樹に向けながら、紗彩はお喋りをしていた。
樹も彼女を包み込むような優しい笑顔で見つめている。
彼女がこうして横にいて笑顔で何でも良いから話してくれるのが堪らなく嬉しかった。
そこへ、二人の空間を壊すものが。
「あ!橋本じゃん」
「お前も来てたの?」
つい先日卒業した高校の友人たちが樹を見つけて声をかけてきた。
「あ、偶然だな」
手を離すことなく樹はそう答えた。
友人たちは紗彩に目を向けて、驚いた顔で顔を見合すと再び樹に顔を向けた。
樹は紗彩に言葉をかけていた。
「高校の友達」
そう言われて、紗彩は笑顔で挨拶をした。
「どうも初めまして」
それを見た友人たちは口々に樹に言い出した。
「もしかして、前言ってた桜女の子?!」
「え?!嘘だろ」
「ちょっとお前には勿体無いだろー」
「え?マジでうまくいったの?」
「うわー信じらんねー」
「なぁ、俺に譲ってよ」
「譲るかバカ!俺ら行くから、じゃあ又な。邪魔しにくんなよ」
これ以上余計な事を言われてたまるか、と彼らから隠すように紗彩の腰に手を伸ばしてさっさと歩き出していた。
「あいつらの言う事は今後二度とあてにしない」
その教訓が刻まれて、大学生の春を迎えた樹だった。
2005.3.27
この作品は夢で見たシーンが広がってできた世界です。
「何か、ちょっと読者サービスあり(笑)で、せつなーいのが書きたいナー」ということで
5万HITのお礼に書き上げてみました。
抱いた世界のすべてを表しきれていないのですが。(それはこの実力の限界ということで・・・)
また何かシーンができたら、この二人登場することでしょう。
お付き合いいただいてありがとうございました。
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