時の雫・風そよぐ青空の下で

静かな夜  1/2


「あ、瀧野」
聞き覚えのある声が飛んできた。
無造作に顔を向け、その顔の主を見ると納得した顔を浮かべる圭史。
「おお」
「学校か?」
「そ。部活だよ」
「もしかして毎日とか?」
「まーほぼ毎日だな。そっちは?」
「俺ントコはそこまで熱心じゃないからなぁ。毎日練習じゃゆっくりもできないんじゃね?」
「まー、毎日が一日中練習という訳でもないしなぁ」
「その一日中練習じゃない日って例えばどの日だよ?」
「そうだな。大体土日かな」
「じゃあ学校ある時と変わらないんじゃねーの?」
「まぁそうだな」
「進学校なのに、勉強と両立大変そうだけど」
「まぁ、授業だけでも理解できてればあとは応用きくから」
「……さすが、進学校というべきか、さすが瀧野、というべきか……」
「お前の方は最近どうしてんの?」
「んー、これと言って特に何も。あ、そだ。春休み中って特別用事あったりすんのか?」
「いやー、特にない。何?」
「ん、聞いてみただけだよ」
「ふぅん?あ、じゃ俺この電車乗るから」
「おう。じゃあまたなー」
彼にしてはにこやかな笑顔で手を振り圭史を見送った。


 今日も練習を終え、部室で着替えていると、いつも明るいはずの谷折は肩を落としている。それに気付きながらも、圭史は素知らぬ顔で帰り支度を進めていた。
今日初めて部室に来た時は、こんな様子ではなかったのを思い出しながらも圭史は声をかけずにいるのだ。
「なぁ……」
声をかけるように口を開いた谷折。しかし、誰もそれに答えない。
「……」
少しばかり疑問に思った圭史は静かに辺りを見回す。他に誰もいない。
「あ、俺に言ってたの?」
「じゃなかったら誰が他にいるんだよ」
「……。独り言かと」
「んな訳あるかい!」
それを即座に終わらせるように圭史は言う。
「で、何」
「うう。なんか最近素っ気無くない?」
そんな谷折の台詞にも圭史は即座に言う。
「気のせいだろ」
「嘘だー。ここ数日春日さんが学校に来てなくて昼一緒できないからだろー」
「……」
ばたむ。と静かにロッカーの扉を閉めると、しらっとした目を向け静かな口調で言う圭史。
「それはお前の思い込みだろ。このお邪魔虫が」
「……ひ、ひどい。だって、あの時は他に場所なかったし、それに、春日さんだって喜んでたじゃないかーーー」
「……。」
数秒沈黙してからぼそりと呟く圭史。
「だから面白くないんだろうが」
「え?何?何か言った?」
「いや何も。で、なんだよ」
「え?あ、ああ。今日これから遊び行っていいかな?」
ちろりと様子を窺うように目を向けた谷折。
「……」
圭史は口を閉じた。
「あの、行かせてもらえませんか……」
急に低姿勢になった谷折に圭史は冷静に分析する。
「……なんだよ、又追い出しか?」
「うう、さようで」
泣き真似をしながらの谷折の返答に、圭史は呆れを混じりながら口にする。
「お前、意外と苦労人だよな」
「うう、分かってくれる?気の強い姉をもつと大変なのよ」
「ふーん」
「あ。それで出来れば泊まりでお願いします」
「…………。」

「お前ね、泊まりたいならもっと早く言っておけよ。俺だって親に言うんだから」
「すんません。何分、今日の朝突然言われたもので……」
「……」
もうそれ以上何も言えなくなった圭史だった。


 部屋で遊んでいると、下から広司の声が飛んできた。
「けい兄―、電話―」
「おー」
返事をするなり立ち上がり1階に下りていった。
受話器を持ち電話に出る。
「もしもし?」
「よぉ。戸山だけど」
「ああ。どした?」
「面白いもの見れるから、今から来いよ」
機嫌の良さそうな声に、自然と警戒心を抱く圭史。
「……いや、今学校の奴来てるから」
「学校の?」
「そう。……何度か会っただろ?テニス部の谷折っていうヤツ」
「ああ。じゃあいいじゃん。一緒に連れてきたら」
「……、うーん」
貴洋のあっけらかんとした反応。だが、圭史は乗り気がしないのが本音。
それを分かってなのか貴洋は話を進めてくる。
「俺んち知ってるだろ?中学の時来た事あったし」
「まぁ、覚えてるけど」
質問された事に答えると貴洋は言う。
「じゃあ待ってるから来いよ。じゃあな」
乗り気でない様子を分かっていながら強引に話を進め、有無を言わさず電話を切ってしまった貴洋。
置き去りにされた圭史は、切れてしまった受話器を無表情に見つめ、このままでいても仕方がないと思い受話器を置いた。
 部屋に戻り扉を開けるなり圭史は声を出す。
「おーい、今から出かけるぞ」
「へ?」
「春日の幼馴染の戸山。覚えてるだろ?」
「ああ、覚えてるよ」
「そいつが遊びに来いってよ。お前いるって言ったら、一緒に連れてきたらいいだろってさ」
「ふうん。結構親しいんだ?」
「さぁ」
そんなに親しかったっけな?とでも言うように肩を竦めて言った圭史。
「まぁ春日さんの話も聞けるしいいじゃないの?」
「……それはそれで複雑なんだけどな」
面白くない、とでもいうような表情でぽつりと言った圭史。
それを見て、おやぁ?という顔を浮かべた谷折だった。

 圭史の自転車に二人乗りをして貴洋の家に向かった。
圭史が自転車を漕ぎ、後ろに谷折が立つ。本当だったら、圭史が後ろに乗りたいところだが、地理に詳しくない者を運転に回すとスムーズにいかないし、安全にも信頼性が無いので仕方なく運転に回ったのだ。
「ほら、着いたぞ」
降りろと言わんばかりにブレーキを握る。
「はいよ、と」
身軽に飛び降りた谷折は圭史が自転車を停めるのを待つ。
そして、門扉の前に立った圭史はインターホンを鳴らした。
「はーい」
中から聞こえてきた声に、多少なりとも違和感を抱きながらガチャと言う扉の開く音に目を向けた。

 中から姿を見せたその人と目が合ったその瞬間、お互いがピタリ。と動きを止めたのだった。

先に進む気配がないので、谷折は無造作に顔を玄関口へと向け、一言声を漏らした。
「あ」

「……えー、と、ごめん。ちょっと待ってて」
まだ戸惑いを隠せない様子でそう言い、開けた扉を閉めたのは美音だった。
 凄い勢いで階段を駆け上る音、そして貴洋の部屋に行き口を開いた美音の声が、外にいる圭史の耳にまで届いてくる。
「ちょっとタカ!!」

 ― ……聞こえてるし…… ―

圭史は心の中でそう呟くと、この間駅で会った時の貴洋の顔を思い出していた。
「聞いてみただけだよ」と意味ありげな笑顔。
そして、今日の電話で「面白いもの見せてやるよ」と言った貴洋。

 ― あのやろ、全部コレのことか ―

本心、ふてぶてしい気持ちに駆られている圭史は何か面白くないものを感じていた。
ふと視線を感じて、隣に立っている谷折に目を向けて見れば、何か言いたげな顔をしている。
「……なんだよ」
気持ちが声に出てしまい、どこか不機嫌に低い声だった。
「え?別になんでもない」
視線を少しうろたえ気味に逸らした谷折はそう答えて口を閉じてしまった。

さて2階では、美音のうろたえぶりにお腹を抱えて大爆笑中の貴洋に、目眩を起こして倒れてしまいたい心境になっている美音がいた。

 そして、数分が経って、ようやっと扉が開き貴洋が姿を現した。
まだ笑い治まらずといった様子の顔に、圭史は呆れた様子で息を吐いた。
「お前……、人使って遊んでんなよ」
「はは。まぁあがれよ」
扉を開け切り中へと促す貴洋に、不満ありありの顔をして圭史は足を進めた。
2階の貴洋の部屋に入ると、ぶすくれた顔を俯かせている美音が座っていた。
それを見た圭史が言葉に困っていると、後ろにいる谷折がいつもの明るい調子で声を放った。
「やっほ」
「……いらっしゃーい」
不機嫌そうに目を細めた美音は、決して歓迎している声ではなかった。
そして、じーっと何か言いたげな目を圭史に向けてくる。

 ― ……俺だって、知らなかったんだけど…… ―

困惑気味の表情で圭史は美音からの視線を流していた。
 少々遅れて貴洋が部屋に入ってくると、美音は尚不満そうな顔をぶつけた。
「……お前、何おっかしな顔してんだよ」
「おかしなとは何だ!失礼な!大体タカが」
美音が文句の言葉を口にし始めた途端、貴洋は怯む事無くあっさりと言う。
「あ、何か飲み物持ってきて。よろしく」
「う〜」
そう唸り声を口にしてから美音は部屋を出て行った。
 静かになった部屋。美音を目にしてから重い口になっていたのだが、無理矢理と言った感じで開けた。
「……で、今日はナンなんだよ?」
「俺んちの両親と春日んちの両親が一緒に旅行に行ってるんだ。で、晩飯一緒に食べる様に言われていて。で、面白そうだから瀧野に声かけたんだ」
面白そう、という言葉が妙に引っ掛かる。だが、圭史はあえて口にせずただ一言返事をした。
「……そう」
「もう暫くしたら、春日の妹も来るから」
「え?春日さんの妹も来るの?」
反応を見せたのは谷折だった。
ぱっと明るい顔で言ったそれに貴洋は笑みを浮かべながら言う。
「うん。でも、妹に余計な事すると、あいつ怖いぞ〜」
「え?……ん」
目を泳がせながらそう返事をした谷折だった。

「あ、そうそう、この間クラブのヤツから回ってきたやつで中々良かったのがあって」
「?」
疑問に思った二人を置いて、貴洋はベッドの下に手を伸ばした。
だが、目当ての物は手にかからないようで、「あれ?」と焦った顔をすると、顔を覗きこませた。
「あ!ない!マジでない!」
 貴洋のその姿を見ていて、圭史の頭には遊びに来ていた時の美音がベッドの下を覗いていたのを思い出した。

 ― 「え?あー、……ちょっといつものクセで」 ―

そう言った美音。
ベッドの下を覗いて確認するモノと人と言えば、目の前にいる人物でしかない。
「……お前か」
そうぽつりと口に出た圭史の声だった。

数秒何かを考え込んでいた様子の貴洋は、はっとした表情をすると声を上げた。
「あいつ……!勝手に捨てやがったな!!」
「プ」
思わず噴出してしまった圭史。
「おい、何がおかしんだよ」
機嫌を損ねた様子の貴洋。
「そんなバレバレな所に隠しておく方が悪いんだろう」
「バレバレって……」
「お前それ絶対母親にもばれてるって」
「えええ?」
「それにとばっちりが俺にも来るんだから注意してくれ」
「……。え?あいつ、お前んちでもやった?」
「思い切り確認してた。まぁ、俺はそういう物は部屋に置いてないけどな」
「へー、じゃあどこに隠してんの?」
素朴な疑問を訊ねる谷折。
「あ?それは」
と答えようとしたところで、美音が部屋に戻ってきた。
「ジュースとお菓子持ってきたよー」
「ぐっ」と慌てて口を噤み、顔を逸らす圭史。
谷折も美音から見れば不気味に、にーと笑みを向ける。
「?どうしたの?」
それが反対に疑問を抱かせたらしい。ぎくりとしながら谷折は言う。
「え?ううん」
「ふうん?」
怪訝そうな顔をしながら、トレーを下に置いた美音。
「おい!ベッドの下のブツ!処分しただろう?!」
貴洋にしてはムキになった様子で美音に言った。
それに美音は何も気にした風でなく口を開く。
「え?今日は見てないよ。おばさんじゃないの?」
「……うっそ」
唖然とした顔した貴洋。すぐに青ざめ両手を床に着いた。
「うわーマジ最悪……」
その様子を見て、美音は貴洋から顔を逸らしニヤ。と笑っていた。
それを目にした圭史は心の中で思う。

 ― 絶対美音だ…… ―

「……あ、そうだ。みお坊、晩飯2人分追加な」
いつもと変わらない台詞なのだろう。貴洋と美音の間では。
だけど、「みお坊」で圭史の手がピクリと動いた。
「あ、うん。同じ地元の瀧野くんはともかく、谷折君は大丈夫なの?」
「え?俺大丈夫だよ。……今日瀧野んとこに泊まりだから」
「……また追い出されたの?」
「……う。実はそうでございます」
「ふうん、大変ねぇ。あ、そだ、タカ」
一旦平生に戻っていた圭史の手が又ピクリと動く。
「あ?」
「晩御飯にお母さんから食材費貰ってるから」
「え、ホント。うちの親、すき焼きしろって材料揃えてくれてるよ」
「まぁ、5人分だし、足りない分買うわね」
「へいへい」
二人がそう会話をしている中、圭史は気分を落ち着かせるように小さく息を吐いた。
それを谷折は視界に入れていたようで、何とも言えない表情を浮かべた。
 そして、その後貴洋がお手洗いに1階に下りていなくなった時、圭史は美音に顔を向け訊いた。
「今日、バイトは?」
「え?えーと、朝から2時までだったから。ここに来たのは、二人が来る10分くらい前で」
「そう」
いつになく不機嫌そうに見える表情と、いつもより素っ気無くも感じる反応だった。
それに美音は気まずそうな表情を浮かべる。
圭史の隣にいる谷折も心中穏やかではない。気まずく沈黙でいるよりは、と声を出す。
「戸山君は付き合ってるの知ってるの?」
「あー、うん、知ってるよ」
ほんのりと頬に赤みが差した美音を見て、圭史の顔に表情が浮かぶ。
「仲いいんだねぇ」
「仲いいというか、赤ちゃんの時から一緒にいるのが当たり前な感があるから、兄弟にしか思えないんだけどね。小さい頃、よく二卵性の双子の男の子と思われたから」
「へー。男の子だって」
言葉を投げるように谷折は圭史に目を向けた。
「俺も初耳」
「えー、まぁむかーしの話だしね」
にこり、と微妙にぎこちない笑みを浮かべて美音はそう言った。
圭史から見て、その昔の話に深く触れられたくないのが分かる。
 そして部屋に戻ってきた貴洋は、座るなり声を上げた。
「あ。お菓子持ってこようと思ってて忘れた」
「じゃあ私持ってくるよ。戸棚にあるんでしょ」
「そうそう。すまんな、よろしく」
それは珍しくない事のように美音は立ち1階へと降りていった。
 その光景に、圭史の心の中では不愉快な感情が蠢き立っていた。
「……」
自然と伏せがちになる視線。表情のなくなる顔。
 隣にいる谷折は、顔を強張らせながらもどうにか平生を装う。

 ― ……空気が、隣から流れてくる空気が怖い!俺嫌だ。ここにいるの、こわいよ〜 ―

一人おどおどと心の中でそんな事を喚いていた谷折は、どうにか空気を緩和させようと言葉を紡いだ。
「小さい頃の写真とかって、あったら見せてよ」
「へ?」
「さっき春日さんが小さい頃は男の子みたいって話しててさ。俺としては信じられないんだけど?」
「ああ、……見る?」
そう貴洋は圭史に向いて訊いた。
「うん、見せて」
素直に答えた圭史を見て、貴洋は押入れを開けて奥の方から出してきた。
「また奥の方に仕舞ってんだねぇ」
感心したように言った谷折に貴洋は笑みを浮かべて言う。
「見える所に置いてると、学校のヤツが来た時に餌食にされるからな。煩わしいからかいのネタにされるはごめんだし」
「ふーん。幼馴染だって言うだけでも大変そうですな」
「まぁな。相手が悪い」
「まぁ、それは言えてるかも」
差し出されたアルバムを受け取り、ページを捲り圭史は目を向ける。
確かに一見見た目には男の子が二人並んでいるように見える。
しかも、見目が良い子供が二人。
「え?もしかして、この二人がそう?」
横から覗き込んでいた谷折がそう声を出した。
ちらりと目を向けて、貴洋は何事もなく言う。
「そう」
「え?どっちがどっち?」
「……。こっちが春日?」
数秒悩んで、圭史は指をさしてそう言った。
「ピンポーン。そっち」
「へーーー。春日さんって、本当に男の子っぽかったんだ」
「言っておくけど、俺よりあいつの方がやんちゃだったぞ。連れ回されたのは俺の方」
「へー」
貴洋と谷折が言葉を交わしている中、圭史は黙々と写真を見ていっていた。
 そして、戻ってきた美音。
この部屋の光景を目にして、手に持っていたお菓子を勢い良く落とした。
「!!」
「あ」
落ちたお菓子を見て声を上げたのは谷折。
冷静に目を向ける貴洋。
「な、な、何を見せて……」
圭史は知らないフリを決め込んで次々ページを見ていっている。
「えーと、俺トイレ行きたいんだけど、場所どこかなぁ?」
「あー、案内するよ」
と谷折と貴洋は知らないフリをしてその場から立ち去っていった。
部屋に二人になった圭史と美音。
「あ、あの、それを渡して下さい……」
貴洋に言う時の様には毅然と言えない美音。
ちらりと視線を向けてから、圭史は口にする。
「やだ」
「え……!」
何かを言おうと口を開けて、あぐ、と口を閉じた美音。
その様子に困ったなぁとでも言うような笑みを浮かべると圭史は言う。
「すぐどれが美音か分かったよ?」
「え……」
かぁっと頬が赤く染まった。顔は嬉しそうで、でも恥ずかしそうな何とも言えない表情で。
「でも、そんな面白いものでもないよ?それ」
「いいんだ。美音の小さい頃が知れたって言う自己満足だから」
その台詞に美音の顔が尚赤く染まった。
それを見て、圭史の顔には優しい笑みが浮かぶ。
美音のそんな姿を目にするだけで、圭史の心は浮上する。
我ながら単純な話だ、と圭史は思うのだが。

 部屋に二人が戻ってきてからは、今年ある修学旅行の話になっていた。
「南藤は5月の、確か中頃だったかな」
行事予定表を頭の中で思い出しながら美音が言った。
「ふうん、割と早いんだな」
「そうなのかな。クラス替えも進路希望で大体決定してるけどね」
「ふうん」
「2年の時はおおよそだったけど、3年でははっきりとしてるし、毎月実力テストがあって、夏休みは希望者の補講もあるし」
「へぇえ〜」
その返答には貴洋と谷折が同時に口にしていた。
思わず冷めた眼を向ける圭史に、谷折はそれに気付いて渇いた笑いを口にする。
「はは、……5月と言えば、県大会あるけど、まさか重ならないよなぁ」
「……どうだろ。毎年前半にあるからかろうじて大丈夫だろ」
「まぁ、その前に予選勝ち抜かないとダメなんですけどね」
「ああ。……今年は新入生何人入るかなー」
「んー、多くは無いだろうけど。入学式、楽しみだなー。どんな子が入ってくるか」
「ふーん、でも、谷折君入学式関係ないじゃない」
「え?どして?」
「入学式は、新入生の他には、生徒会役員だけだよ?出席するの」
「え?ええー!」
 雑談に花を咲かせていると、玄関の戸が開き誰かが入ってくる音が聞こえてきた。
それだけで貴洋は言う。
「あ、真音だな」
足音はそのまま2階へと向かってきた。そして、元気よく扉が開くと姿が見えるより先に声が飛んできた。
「タカちゃーん、来たよー」
「おー」
全く動じていない貴洋の反応を見れば、声の主が美音の妹、真音だと分かる。
扉が開ききって姿が見えた瞬間、真音の動きは止まった。
 谷折は「ナンだろう?」という顔をして視線を向けている。
圭史も疑問には思ったがあまり気にしていない様子。
美音は半ば呆れ気味にため息をついている。
そして貴洋も予想がついている顔をしている。
「きゃああ〜、いい男が3人も揃ってるー」
「は。3人はありえないでしょ、真音」
視線を明後日の方向に投げてそう言った美音。
貴洋はぴく。と顔を引きつらせた。
「もー、お姉ちゃん、タカちゃんもいい男なんだよー?」
「はいはい、はいはい、はーいはい」
「お前、口返事するにもそれはあからさますぎだろー」
横目で見ながら言った貴洋。
「あ、ごめん、つい」
「お姉ちゃん〜、お姉ちゃんが変わってるんだよー。一体お姉ちゃんのいい男基準ってどこから?」
「真音の基準が低いだけでしょー?お姉ちゃんは、これにセンサー感じるほど錆びてません」
「またそんな事言って。あ、誰かと思ったら圭史さんー。タカちゃん、隣の人は?」
「瀧野の友達。おねぇと同じ学校だよ」
「へぇええ、やっぱ南藤ってレベル高いねー」
何のレベルだ。そう小声でぼやく美音の姿を目の端に捉えている圭史と谷折。
今二人の胸中は、面食らっていたのが正直なところだ。
「もうその話はいいから。真音、自分の分のジュース取っておいで」
美音がそう言うと素直に返事をする。
「はーい」
真音の姿が部屋から消えると美音はため息を吐いた。
「なんで真音はあんなに男子に目ざといんだろう?」
「お前が関心なさすぎなだけだろ」
あっさりと意見を述べる貴洋。美音はそれに「うーん?」と唸りを見せた。
その光景に思わず噴出してしまう谷折。
「姉妹でもタイプが全然違うんだねー。妹の方がすんごい愛嬌あるタイプ?」
「……」
美音の顔から表情が消えた。
谷折は何も考えずに思った事を口に出してしまっただけだった。
 凍りついたような空気に誰もが口を閉じている。

 ― ……地雷、踏んだな ―

ごく冷静に眺めている圭史は心の中でそう思った。
貴洋に目を向けてみれば、彼も同じ事を思っているらしい。

 確かに妹の真音は、見た目にも女の子らしいと言う華やかさを持っていて可愛いというタイプだ。服装もそんな感じだし、まさしく姉とは対極だった。
因みに美音の今日の服装は、ブラックのジーパンにスポーツブランドのカットソーの上に水色のフード付ニットパーカ。
幼馴染の家に行くだけなのだから、そんな格好でも良いというのかもしれないけど。

 親が春日姉妹の事も話をする事があるので、圭史は大体の推測はついていた。昔だが、真音だけ母親について家に来た事もある。
その時は人懐こそうな笑顔を持って話しかけられた。
同じ姉妹でも印象が違うもんだな、とその時は思ったのだ。
それから後に、母から話を聞いていて大体予想はついていた。
親の手をかけずしっかりしている姉に、明るくて愛嬌のある妹。
いつも比べられてきた二人。

「そんな事言って、ちょっとでも真音に手出したら、お姉さん怖いよ」
ちょっとおどけながらそう言った貴洋。
それで美音は「あ」という顔をすると口を開いた。
「そう言えば、前にそんな事言ってたよね、谷折君」
「え?言った、け?」
「うん、言ってた。それはたとえ谷折君でも許さないからね?」
「はい……。大丈夫です」
「じゃ、そういう事で。晩御飯の支度にとりかかろーっと」
余計な動作を何一つせず、美音はそのままスイッと1階に下りていってしまった。
 部屋には何とも言えない微妙な緊張感がまだ漂っている。
そんな中、頬杖をついた圭史がぼそっと言った。
「お前って、たまに無神経な事口にするよな」
「……うっ。そんな、つもりは、ないんですけどね……」
貴洋は片眉を上げて苦笑していた。

「あれ?お姉ちゃんどうしたの?」
「んー、晩御飯の準備だけしておこうと思って。お腹すいたらすぐに食べられるように」
「ふーん、じゃあ手伝うよ」
「うん」
二人は台所に行き、冷蔵庫から材料を出し始める。
「今日はなぁに?」
「すき焼き。おばさんが用意してくれてるんだって」
「わーい、すき焼きー」
野菜を洗って切っている間、姉妹のお喋りは続く。
「今日はなんで圭史さん来てるの?」
「タカが呼んだみたい」
「圭史さんの友達もカッコイイね。で、誰?」
「えーと、圭史君と同じテニス部で部長の谷折君。テニス部の有名人だよ」
「へー、もてる顔してるよね」
「そうなの?」
「そうなのって、お姉ちゃん……」
「私に深くを追求しないで……」
「……そうだね。前も思ったけど、圭史さんって喋りにくいねぇ、なんか」
「……そお?」
「うん、何考えているか読みにくし」
「うーん?そうなのかなぁ?よく分からないけど」
「でもカッコイイんだよねー。瀧野3兄弟ってタイプバラバラだけど」
「まぁ、そうだけどさ」
「お姉ちゃん、どの人が好み?」
「こ、好みってっ……」
「あ、でも大体分かる。一番上の功志さんでしょー」
「……。そういう真音は?」
「私はねー、広司くん可愛いと思うよー」
「あー、ひろ君ね。確かにかわいいね、あの子」
「でしょー。もう学校で見かけなくなるから、ちょっと寂しいけど」
「はいはい。って、あんまり手が動いてないみたいだけど?」
「あ。ごめんごめん」


「じゃー、ちょっと買い足しに行って来るー」
下から美音の声が聞こえてきた。
すると貴洋が圭史に言う。
「自転車で来た?」
「おう?」
「じゃ後ろ乗っけてやって。今日徒歩だから」
「ああ」
返事をしてその場を立ち部屋の外へと向かう圭史に、貴洋はにやっと笑みを浮かべながら言う。
「あいつの昔からのささやかな夢は、付き合ったヤツと二人乗りすることだよ。しかも後ろに立つやつ」
「……」
圭史は背中を向けていたが、頬が赤くなるのを感じた。それを見られている訳でもないのに恥かしく感じるのは何だろう。そして無言のまま扉を閉める圭史だった。
 玄関で靴を履いている美音を見て、階段を下りながら声をかける。
「一緒に行くよ」
「え?谷折君は?」
「あいつは大丈夫だよ。基本的に人見知りしないやつだし」
「うーん、そう言われると何も言葉が浮かばないけど」
目線を上に向けて言った美音に、圭史は笑みを向けた。
玄関の扉を閉め外に出てから圭史は言う。
「自転車、後ろ乗る?」
「うん、乗せてー」
圭史が自転車を出して乗りやすいように構えると、後方にやって来た美音は思いついたように声を上げた。
「あ、立ち乗りしてもいい?今日ズボンだし」
「あ、……どぞ」
「えへへ」
嬉しいような何とも言えない気持ちが渦巻いていく圭史の心。
油断すれば顔は緩みそうになっている。
 こうやって買い出しに行くなんて事は初めての事で、何やらいつもと違う緊張を感じてしまう。
どうにも慣れないコレにぎこちなさが生じてしまっている自分にため息を吐きたい衝動に駆られた。だが、美音を見ていれば、彼女の様子もまた同じ感じだ。
どこか照れくさそうにしている。それがなんだか嬉しく思って、勝手に笑みは零れていた。

2006.4.25