時の雫-紡がれていく想い Story21

零度の距離 -1


§12

「あ、春日ちゃん、これ」
と図書室で急にいさちゃんから差し出された可愛い白い封筒。
思わず、じっとそれを見つめてしまった。
宛名書きには「春日先輩へ」と書かれていたから。
そして、恐る恐るいさちゃんの顔を見つめていた。
「あの、可愛い1年男子からのお手紙、ではないからね?」
その台詞に「ああ」とほっとして胸を撫で下ろしていた。
「ちょっとだけびっくりした」
そう言いながら受け取ったんだけど、いさちゃんは呆れたように言う。
「ちょっとという風ではなかったよ」
それには苦笑しつつ差出人を見ると、松内さんからだった。
「昨日、練習終わった後に頼まれたんだけど。良かった?」
「うん、大丈夫だよ」
とりあえずブレザーのポケットにしまったんだ。


 その手紙の封を開けたのは放課後の生徒会室で一人のとき。

もっとも今日は活動の無い日になっている。だけど、雑務があって亮太と私は居残る事にした。薫ちゃんにはちゃんと告げているけど、1年の二人には言っていない。
言えば、野口君は責任感で残るだろうし、藤田君は別の意味で居残るだけで何の役にも立たず煩わしいだけだから。
それに、今日する仕事はそんなに大したものではないし、亮太と私で手は足りる。
気がつけば、二人で事足りるのは自然とやってきていたような気がする。亮太と私で。
薫ちゃんは元々忙しい人なので、小さなことでは煩わさないようにしている。
休日のときに誘われて何度かおうちに遊びに行ったことがあったけど、立派な家だった。
どうやらお嬢様らしく、習い事やら家庭教師やらで放課後は結構予定が埋まっているらしい。私立校に行かなかったのはせめてもの自由と反抗だと言っていた。

「……」
ポケットの中から昼休みのときに受け取った手紙を出し、しばし見つめた後中身を出した。
女の子らしい可愛い便箋に硬い紙が一緒に入っている。
何だろうと思ってそれを見てみたら、テニスウエアを着ている瀧野くんの写真。それに驚いて心臓が大きな音を立てたと同時にばっと写真を伏せてしまった。
「あー……、びっくりした……」
予想もしなかったそれにまだ少し心臓がどきどき言っている。
 どうにか落ち着かせようとしつつ便箋を広げた。
それにはいろんな事が書かれてあった。
以前はあんな態度を取っていたけど、今は凄く反省していて仲良くなりたいという事や、良く映っている瀧野くんの写真を私にくれるという事。
その写真は友人が親切でくれたものという事も書かれてあった。
 その手紙は素直に嬉しくて、今日の夜返事を書こうと思った。

「おー、写真貰ってきたぞー」
教員室に行っていた亮太が片腕にたくさんの写真を抱えてやってきた。
今日やる仕事は、今までの活動記録を完成させる事。先生が密かに撮っていた写真を所々に貼りつつ。
「使わなかった写真は処分していいってさ。いるやつは持っていけって」
「へー」
私が文章担当。亮太はその文章の確認と写真の選出。時間は言うほどかからなかった。
普段から活動記録のノートを私はとっていて、普段からちょこちょこやってるから。
仕事が一段楽してから、山積みになって残っている写真に目を通したんだ。
実行委員で写っていた瀧野くんの写真は何枚か貰いました。あと皆で写ってるものとかも。
それらはまとめて引き出しの中に入れっぱなしの、学祭のときにもらってたあの冊子に挟んだんだ。とりあえず、後でカバンに入れようと思って。
 亮太と雑談をしていたら、ひょいっと彼が現れた。
テニス部の居残り届けを持ってきたんだ。
途中、亮太が席を外して二人きりになった。
するとどうだろう。
亮太と二人でも全く平気なのに。
彼と二人きりになると途端に緊張が走るんだ。
付き合っているのだから、二人になることは当たり前の事になるんだろうけど、でもそんなすぐには慣れない。
だけど、彼はすぐ傍にいつものようにいるんだ。いつものように喋って、いつものように笑顔を向けてくれる。
私ばっかりが意識してるみたい。頑張って平気なフリをして見せはするけど。
 向かいの机に置いてある書類を取ろうと、椅子から立ち上がり腕だけを伸ばしていたら、残していた手を不意に掴まれて心臓は声を上げた。驚いた私を置き去りにして彼は言った。
「来週さ、放課後図書室で勉強して帰ろう?」
「あ、うん。また、……数学教えてもらえる?」
気の利いた言葉を言えない私はそんな事くらいしか言えないんだけど、彼は笑顔で「うん」と答えてくれた。
そんな反応一つだって心の中には嬉しさが広がる。
だけど、ちっとも腕を放してくれる様子のない彼。
それどころか、手首を掴んでいたはずの手がいつのまにか私の手を握っている。
彼は真っ直ぐと見つめてくる。
それが見なくても分かるんだ。見つめ返す事もできなくて、恥ずかしさでいっぱいの私は赤くなる顔を伏せる事しかできなかった。
他にどうすればいいなんてことも浮かばないし、動けないし、言葉も浮かばない。
頭の中でパニックになっていたら彼がふっと手を放した。
「……ごめん」
控えめに放たれた言葉。
それに少し胸が切なくなった。多分、そう言わせたのは私。
だけど、今の私には何も言えなくて、ただ赤い顔を必死で落ち着かせようとする事だけしか出来なかった。今感じるのはもう顔の熱さだけ。

まだ熱が引かぬ間に言われて何も考えずに答えた。
「このボールペン、引き出しの中にしまって置いたらいい?」
「あ、うん」
すっかり忘れていたのに、彼の言葉を行動で思い出していた。
「あ、そう言えば、この冊子って学祭の時の?」
「え?」
そう言って目を向けたときにはもう、彼はその冊子を持っていた。すぐにでも中を開けそうなその勢いにはっとしたんだ。
その間に挟んだもの。
思い切り彼が写っている写真。どうやって手に入れたんだ?って思うはずの、写真。
それを見られて思われるのが恥ずかしすぎる!
そう思ってしまった私は慌ててしまっていた。
「あ!だ、だめ!!」
反射的に取り返そうと手を伸ばしたんだ。だけど、かれはひょいとそれを避けていた。
尚、必死になる私に彼は余裕を見せていた。
「だめだめ!」
「何がそんなに駄目?確か次に見つけたら見せて貰うって約束したと思うけど」
届かないって分かってるけど必死に腕を伸ばす悲しいくらいの私だった。
私が書いたものを見られるとかいうのが問題なのではなくて。
「う〜〜〜、見せるしちょっと貸してー」
「ホントはもう見た後って言ったらどーする?」
彼の顔に浮かんでいたのは、少し意地悪な笑み。
見たって、さっきの一瞬の間に?もしかして?
「……え?い、いつ?」
確かめるように彼を見たら、私は必死のあまり物凄く密接した距離にいた。
彼の顔はもう本当に目の前にあって、羞恥に顔が赤くなった。
慌てて飛びのいて。
「わ、わ、わ、ご、ごめん」
後ろにあった椅子にガシャン、と足をぶつけ「いた!」と間抜けに声をあげた。
思わず見た彼の顔には笑顔が浮かんでいて、それは明らかに私のこの一連の行動を見てだっていうのが分かる。ああ、恥ずかしい……。
思わず瀧野くんのせいだって思ってしまうよ。
 その後、彼は私に意表をついて変わらない笑顔のままその冊子を差し出してくれたんだ。
気の変わらないうちにと受け取りつつ、頭の中では前にしてしまった約束が思い出されていた。

  「え、えぇと、まだ見てないし、は、恥ずかしいから、また今度」
  「じゃ次にそれ見つけたら見させてもらうよ?」
  「う、うん」

そのときを逃れる為にそういう事を言ったのだとしても、自分が口に出した事は破りたくないから。
「あ、……物挟んでて、それがなかったら別に……」
「あ、うん。じゃあ、その冊子ちょうだい」
「う、うん、いいよ。ちょっと待って」
中に入っているのを取る為に彼に背を向けて、その物をスカートのポケットにしまいこんだ。下手しても彼が取る事ができない所に。
それをしてから、笑顔で冊子を手渡したんだ。
「はいどうぞ」
「どうも」
にこりと笑顔で受け取った彼だけど、物言いたげにじーっと見つめてくる彼。
何を言いたいのか十分に分かっていて、無理矢理笑顔を作って言った。
「な、何?」
「ん? 隠すようにポケットに入れた物は何かなぁと」
どうしてもその話に触れたくない私は無理矢理他の話を口にした。
「あ!そう言えばね、あと用済みの写真あって、いるものは持っていっていいって言われてるんだけど、見る?」
彼からの言葉はない。ただ、じーっと見てくるだけ。
ええ、分かっています。強引に話を逸らそうとしてるんだから、怪しい事この上ないって。
「み、見ない? あとは捨てるだけなんだけど今日にでも」
「……、見る」
半分脅しみたいなもんだよね、その台詞って。
たくさんの写真をどうぞと渡して、ようやっと椅子に戻った。
彼は写真を一枚ずつ眺めていく。
「欲しいの貰っていい?」
「うん。何枚でもいいよ」
「じゃ、2枚ほど」
「どの写真?」
「気になる?」
「うん」
「じゃ、さっき隠したの教えてくれたら」
素直に返事したらそんな台詞が返ってきた。
「……う」
思わず声が漏れてしまった。
だけど、何かを口にすれば墓穴を掘りそう。
 時間的に、もうそろそろ亮太が戻ってくるだろうし。そうしたら、この話だって触れないで済むかも。
そう考えた私は、何もなかったフリをして仕事をする事にした。
 だけど、彼の行動は予想外だった。
彼は静かに椅子から立ち上がると、私の背後に立った。そっと左手を机に当て横顔を覗き見るように顔をしゃがめて声を出す。
「春日美音サン、どうかしたんですか」
本当に耳の近くから聞こえてくる彼の声。しかも、下の名前まで呼ばれて。
カチンコチンに体は固まってしまう。
「美音サン?」
今度は名前だけを口にされて、意識のあまり耳まで熱くなるのを感じた。今まで苗字でしか呼ばれたことなかったから、その差は大きい。
「は、はい」
やっとの思いで返事をしたら、彼の手が私の手を覆い被せるように握った。
「隠したの何?」
耳元で放たれた声に堪らなくなって目をぎゅうっと瞑った。
心臓がうるさく鳴り響いていてからだの外にまで丸聞こえじゃないだろうか、って思うくらいに。
「……別にいいけど。後は押し倒すだけだから」
「……!!?」
続いて言われた、思いもしない言葉に驚いて顔を上げた。
じょ、冗談ばっかり……。
そう思っても彼の顔は変わらない表情で、本気なのかどうなのか私には判別できなかった。それに恐ろしさを感じたのか、そこから逃げるように、椅子から立ち上がり離れようとした。
だけど、彼の両手はそれを許してくれなかった。
閉じ込めるように私の後ろにある机に両手を置いている。視界に広がって見えるのは彼の胸だけで、他には何も入らない。
ぎこちなく顔を上げて彼を見ると、余裕たっぷりの彼はにっこりと極上の笑顔を見せた。
そんな笑顔を見せられて、参らない女の子がいるだろうか。
私の顔は忽ち真っ赤に染まりあがった。
熱い顔を重々分かりながらも、頭の片隅にはもうそろそろ戻ってくるだろう亮太の事が浮かんでいた。
「あ、の、……そろそろ、戻ってくるから……っ」
必死の逃げ口上で言ったのに、彼はあっさりと言う。
「うん」
だけど、全く動じていない彼。全くどいてくれそうのない彼。
もう気持ちの中では完全に敗北。だけど……。
「だから、あの……」
そう頑張って口にしたのだけど、彼は無言の笑顔だけ。
普段は感じない威圧感をこの身にひしひしと感じる。
もう縋る様な気持ちで目を向けていた。
だけど、彼はその様子のまま。
「だって、春日が悪いんだよ?」
その台詞だけで十分泣きたくなっていた。
彼の手が腰に添えられて、彼の言葉が本気なのだと知る。
体は勝手に恐怖を感じるのだけど。でもこれは、普段に異性に感じる恐怖ではなくて。
もうどうして良いのか分からなくて、頭の中混乱していて。
こんな彼を見たいんじゃないのに。こんな風にさせたいんじゃないのに。
でも、させてしまったのは自分で。
ぐしゃぐしゃな思いになっていて、目は勝手に涙が浮かんできていた。
「ご、ごめっ……」
堪らずそう声に出したときには、私の頭は彼の胸元に抱き寄せられていた。
彼の手は私の後頭部にある。ぐいっと引き寄せられたんだ。
ぎゅっと力はこもっているけど、とても優しい感触だった。
「……ごめん、いじめすぎた。つい反応が面白くて、かわいいから……」
頭から振ってきたように聞こえた彼の声は、さっきまでの様子とは変わっていた。
何かに感情が揺れた声だった。
「うう〜」
気を緩めれば涙が零れてきそうな気配に必死で耐えていたんだ。
そして感じた彼の温もり。
ぎゅうっと抱きしめられ、彼の温もりと匂いに包み込まれていく感覚だった。
頭の中がぼうっとしてきて思考力を奪われていくような。
他の事は考えられなくなっていて、もう、このままでいたい、そんな事を思っていたとき、あまり聞いたことのない彼の声が届いた。何かに耐えたような声音だった。
「……もう、ヤバイから練習に戻るよ」
ヤバイという意味がどんなものなのか私には分からなかったけど。
 そっと彼の中から解放されて、まるで置き去りにされたようなそんな気持ちになった。
だけど、まだ何も考えられなくて、耳に届くのは彼の足音だけだった。
いつもよりどこか不確かで静かな音。
そして、開かれたはずの扉が一向に閉まる気配がなくて、目を向けた。
 名残惜しそうに切ない目でこちらを見ている彼がいた。
そんな彼を見たのは初めてで、胸がどきんと声を上げた。
途端に彼の温もりと匂いがこの身に思い出されて、体中が熱くなった。
びっくりするような感覚に自分自身緊張して指先も動かせなくなっていた。
そんな私を見て、嬉しそうだけど困ったような微笑を浮かべて「また、ね」と言った彼はこの場からいなくなってしまった。
 静かなこの部屋に一人。
だけど、心臓はけたたましく鳴り響いている。痛いくらい。
頭の中で、ここにいた彼の姿が思い出されていた。
彼の色んな行動、言葉、そしてその表情に私はいっぱいいっぱいになってた。
まるで落ちるように椅子に座って、体を落ち着かせても何も考えられない。
「…………心臓、爆発、しそう……」
いつまでたっても落ち着く事のないこの胸に全てがおかしくなってしまいそうだった。
 だって、熱い。彼の感触が。私が。



 松内さんからもらった写真を再び目の前に出したのは、夜、自分の部屋でだった。
「うわ〜〜」
写真を目にして、思わず声を出してしまう。
心臓がドキッと言ったよ。多分顔だって赤らんでいるんじゃないかと思う。部活用のウエアを着て顔の向きは斜め向こう。テニスをしているときって凛々しい顔をしていてとてもカッコいい。普段とは違う男らしさを感じてしまう。そんな感じだった。
彼のことは、カッコいいと素直に思ってしまう。
この高鳴る胸も心も意識も全部彼に傾いてしまうから。
 この写真を写真たてに入れて飾っておきたいと思う。
だけど、家族の誰かに見られる可能性は大きいから出来ない。
机の中にだってしまっておけない。見られないという確証はないから。
どこにいれておこう?
暫く考えて思いついたのは、生徒手帳だった。
いつも胸ポケットに入れて必ず身に着けている。たとえ落としたとしても、学校の子なら見られても構わない。
 写真を生徒手帳の大きさに合わせて切って、嬉々として中に入れ込んだんだ。
まるでお守りのように感じて嬉しかった。
彼との距離が縮むたびに、何かが起きるから。
だから、今幸せだと思う分、これから色々と起きるのだと思う。
その時に強い自分でいられるように。そう願いを込めて制服のポケットにしまった。



 滅多に会う事はないけど、見かけると必ず声を掛けてくるという男子がいた。
声を掛けられたら、普通の女子なら少なからず喜ぶのかもしれない。
でも、私からすれば正直迷惑だった。嬉しい気持ちになんてならない。
彼の笑顔は何を考えているのか分からなくて困惑する。そして、妙に得体の知れない威圧感があった。
それに心は怖いと感じていた。
峯君は独特の空気を纏っていて私の反応をいとも容易く霧散させてしまう。
 自分のことを思い出してくれた?と聞く割にはそんな事はどうでもよい事のような口調に聞こえた。
彼が何を見ているのか分からないから、そこに闇を感じて恐怖を感じる。
 今日、教員室の前で偶然会った峯君は始終そんな様子だった。
そして、私を「普通の子と違うから興味引かれる」と言ったけど、そんな風に本当に思っているようには聞こえなかった。
その場を立ち去ろうとしたら手首を掴まれて、目の前が真っ暗に感じた。
彼以外の人に触れられたら、心に沈んでいる恐怖の全てが蘇る。
どうにか自分を取り戻したとき耳に聞こえてきたのは、峯君の声。
多分、ずっと何かを言っていたんだろうけど、それまでの台詞は聞こえていなかった。
「瀧野だってさ、おんなじだと思うよ。思ってる事だってスル事だって」
その台詞で聞いていなかった間、どんな事を言っていたのか大体予想がつく。
急に彼の名前を口にされてかっとなったのと、たとえカタチが同じだとしても相手が瀧野くんなら私にとって全てが変わる。
まるで心に土足で入られたような気分になって、腕を振り払い、声を放ってすぐその場を去っていた。
これ以上気分を害したくなくて。
私の感情と呼応するかのように、掴まれていた手首は痛みを感じていた。時間が経つにつれ痛みが増しているようにも感じた。感情も混濁していて何を思っているのかも分からなくなっていた。
 そんな時、私の足は教室のある階に辿り着いていた。
自分の教室と彼の教室。いつもの場所。
そこでようやっと自分の心臓がずっと音を立てているのに気づいた。
息を吐いて落ち着かせる。
 ……ここは大丈夫だから。
そして、廊下を進めば、いつものお昼の指定場所に谷折君と瀧野くんはいた。
彼が私に気づくとすぐ名前を読んでくれる。
それで引き寄せられるように彼のもとへと行くんだ。
そこはもう彼の空気に包まれていて心はもう自然にほっとした。
 なのに、手首だけがずきずきと音を立ててる。まるであそこから引き離さないように。
違和感のある手首。動かせない手首。
彼が谷折君を見ている隙に袖を捲って見たら赤くなっているのにぎょっとした。
そんなに力強く握られていたんだ。
引き止めてみるくせに、心底引き止めている訳じゃない。
だって分かる。峯君の目は私を見ていない。
違う何かを見ている。私に向って違うところに何かを言っているような気がする。
違うところ?
 そう思ったとき、「どうしたの、それ」と彼の声がこっちに飛んできてはっとした。
手首を隠そうにも彼の手はそこを優しく触れていたから……。
「あ、ちょっと、ぶつけて」
そんな風にしか言えなかった。
本当のこと、言えなかった。
彼はきっと嫌な気分になる。そして、峯君に対して強く何かを思う。
なんとなく、それがいけないことのような気がした。
……それに、今の私じゃうまく説明できそうになかったから。
「だ、大丈夫だよ。大した事、ないから……」
そうとしか言えなかった。
彼はずっと心配顔をしていたけど。それを分かっていても何も言えなかった。

 そんな風に中断した考え事を、再び考え出したのは彼と離れた後。
最初の時から峯君の私を見る眼は嫌いだった。
「ふぅん」と言うような、何かを面白いと思っているような目だったから。
「……」
あの時の峯君の顔を思い出して、直感した。
 瀧野くんの隣にいるのが「わたし」だったからだ。
私個人としては興味がない。峯君が執着しているのは、瀧野くんの付属品である私だけ。
あの顔は、面白いものを見つけた、と言っていた。
 ……それらを思うと、頭の中の霧が晴れたようにスッキリした。
「私、強くならなくちゃ」
ぽつりとそう声を漏らしていた。
彼のために?自分のために?
ううん、彼を守る為に。
いつも守ってもらってるばかりの私が言うのは変かもしれないけど。
 彼への想いを強さにかえよう。

2007.8.31