時の雫-紡がれていく想い Story18
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§11
次、瀧野くんに会っても、普通に話せそうな気がしていた。
だけど、そう思うと不思議なもので、彼と出会うことはなかった。顔を合わせたのは翌日の生徒会室でだった。
必要な書類を取りに来ただけだったんだけど、手を止めて思わず彼を見つめていた私に気づいて小さく微笑んでくれた。そうして、流れるまま部屋を出て行った彼。
すぐその後、机の上に顔を向けて仕事をしているふりをしたけど、顔はきっと赤かったはず。
こんなにも心は彼のことでいっぱいなのに、不思議と今はちょっと前みたいに逃げ去りたいという気持ちに襲われなかった。代わりに、彼の笑顔を見ると胸が締め付けられるように切なくなった。
大分体力は戻ってきたけど、さすが授業が終わったこの放課後に、生徒会の仕事で動き回っていると、普段の半分くらいのところを過ぎると疲れてきていた。
動きに機敏さが無くなって、気がつけば少しぼーっとしていたり……。
自分が平気だと思うのとは反対に、体は重さを感じていた。
そんな時だった。体が冷たく凍りつくようになるのを体験したのは。
疲れたなぁ、とぼんやりしている所に、そこへ訪れてきた生徒たちの話し声がなぜかその時耳に入って自然と顔を向けた。何度か見た顔。それはバスケ部の面々だった。
その中には片岡君もいた。メンバーの中で少しだけ外れにいる。
その片岡君が本当に、ふ、と、こっちに気づいて、顔を向けた。
その瞬間、体が凍りついたように動かなくなった。足の感覚まで無くなって自分が木になってしまったように感じた。なのに、不思議と脳だけが働いているのを感じる。
片岡君の額にはまだ絆創膏が貼ってある。あれは瀧野くんが殴った痕。そんなにも強打だったのだと知る。
……私を見た後の表情を予測して怖かった。蔑まれる顔でもされるのかと思ったんだ。
だけど、それは片岡君の表情を知るまでの一瞬の間に考えたことだった。
片岡君の表情は思っていたものと違ったから。
暗い表情をしていた片岡君が、私に気づいてはっとした目をした。目にもひどく暗い翳があった。私と視線が合うとバツの悪そうな顔をして逸らした。
他のメンバーが私の存在に気づいて名前を口にして笑顔を向けてきたとき、片岡君は一人そこから離れていった。
その光景に心臓が低くどきっと鳴った。それはぎくりとした時と似ている。
自分から離れていった片岡君。いつもだったら、……ううん、あんなことがある前だったら笑顔でそこにいたろうに。そして、大した用で無くても話に来ていただろう。
私の中で不思議な風が流れていった。自分ではどうしようもなくて零れ落ちていったもの。そこから流れてくる、荒廃したような、寂れてしまったような空気があった。
どこで何を間違えたんだろう。どうして、こういう風になってしまったんだろう。
あんな風になりさえしなければ、今頃もっと違う今が存在していたかもしれないのに。
いろんな事が絡まりあって事件が起きた。それは本人の意図するところじゃなくても。
でも、私はどうあっても、他の誰かを好きになっていなかったと思う。
彼以外の誰かを思う自分は存在し得ないと思う。
……瀧野くんだから、好きになったんだ。
瀧野くんを好きになっていなかったら、他の誰も好きになっていないままだったと思う。きっと。
亮太と一緒に生徒会室へ戻っていた。
別段何かを話している訳じゃなかった。何かを話すこともなかったし、そんな気も起こらなかった。
話さないでいても別に気まずいとか何も思わない。
ただ歩いていた。
「どうした?」
「え?何が?」
「顔が、蒼いを通り越して白い」
「え?……まぁしんどいなーとは思ってるけど」
「ほんとにそれだけか?」
「え?なんで?」
なんでそんな事を言うんだろう、と思った。
「……また余計なこととか考えて後ろ向きになってるんじゃないよな?」
「え?何が?」
本当に分からなくてそう言ったら、亮太は様子を伺うようにじっと見ると小さく息を吐いていた。
「昨日、瀧野に、……お礼しには行けたのか?」
それが、バレンタインで渡したことを訊ねているのだとすぐ分かった。
別にそれが珍しいことでもなく答えたんだ。
「……まぁ、行くには行ったけど。元々瀧野くんってたくさん貰ってるしねぇ」
私があげたくらいで、今更1つ増えたくらいでどうってことないだろうけど。という意味で言ったんだ。
「貰ってるというか、強制だけどな。強引に下駄箱に入ってるか机の中に入ってるか。カバン開けたらその中にも入っていて、さすがにひいたって言ってたな」
「へー。やっぱそれだけもてるんだねぇ〜。で、亮太の方は?」
「……聞くなよ」
「え〜?なんでよ?」
「うるせー。瀧野の話した後で自分の事言えるかよ、ふつー。他のやつも言わないよ」
「ふぅん?そんなもん?」
「そんなもんなんだよ」
「ふぅん、あんまりよく分からないや」
「さいでっか」
ため息混じりに、諦めたように言った亮太は口を閉じた。
生徒会室に戻ってきて自分の席に着いたら、どっと疲れが押し寄せてきた。もう動く気にはなれなくて机でやれる仕事だけをこなしていた。
そして、急ぎで必要な進行表の追加書類の原紙が出来上がった。あとはこれを印刷室に持って行ってコピーをし、実行委員に手渡すだけ。
だけど、体が重くて全く動く気になれなかった。そして、普段からでも印刷室だけは行く気になれなくて、重いため息を吐いていた。
不意に亮太の言葉を思い出して、今忙しいかと視線を向けてみた。
亮太は机に向かって仕事を進めている様子だった。多分今しているのは会計の仕事。
「亮太君」
珍しくクンをつけて呼んでみる。
すると、呼ばれた最初の一瞬なんでもない顔をしていたのだけど、それはすぐ崩れていった。嫌そうな表情を思い切り堪えながら言った、という感じに私には見えた。
「……んだよ、そんなふうに呼ぶから一瞬にして計算してたのが全部飛んだだろうが」
「あー、いや、手が離せないほど忙しいのかなぁ、と思って」
えへへ、と笑いを浮かべて言ったら、ちろりと細目を向けて言われた。
「気にせず言えって言ってんだろ、なんだよ?コピーか?」
「……うん。座ったら思ったより体がしんどくて」
「コピーだけか?」
「途中で実行委員に会ったら渡してほしいんだ」
「へいへい」
そう返事をしながら席を立つと、生徒会室を出る途中で私の所で原紙を受け取っていった。
そうして一人になった生徒会室で、黙々仕事をしていた。後はもう急ぐものは無い。
そんな中、ふと家の鍵につけているキーホルダーが頭に浮かんだ。何かを思って思い出した訳じゃないんだけど、気になって仕方なくなって物を手にして見たくなる。
えーとどこにしまってたっけ。スカートのポケットを触ってなかったのでそう心の中で呟きながらしまった場所を思い出そうとする。程なくして「ああそうか」と思い出しそこから出す。
ちゃら……、と音をさせ手のひらに乗せて見つめた。
今やそれは、私のもっとも大事な物になっていた。デザインも気に入っている。
……気に入ってるけど、カバンとか目のつく所にはつけられなかった。男子が技術の時間に作ったキーホルダーって見れば分かるから、……恥ずかしくて。
それに、見られるのが勿体無い様な気もしてたんだ。
こうして眺めているだけで、なんとなく幸せな気持ちになってくる。
そして、彼の顔を思い出して、尚私の顔はほころんでいくんだ。
バレンタインギフトを渡した時のあの笑顔が忘れられない。
彼の笑顔を、もっと見たいと思った。
私が起こした行動でなる笑顔を見たい、と思ったんだ。
それが叶った時の満たされていくような温かい気持ち。これは、相手が瀧野くんだから。
目は手に置いたキーホルダーを眺めながら、彼の事だけを考えていた。
彼を見つめている時、彼の事を考えている時は、時が止まったように感じていた。
その瞬間瞬間がとてもゆっくりと進んでいく。世界にそれしかないかのように感じるくらいに。でも、頭の中も冷静な部分は分かってる。それがとても危うい事であるのを。
下手すれば、全ての事がそれに囚われてしまう恐ろしさ。身を全て投げ打って恋に没頭する、まるで中毒のようなもの。
そうなった時、自分を見失ってるんだろう。一人勝手な言い分だけを持って、相手に押し付けるようになるんだろう。道を外せば、きっと私も。
……こわいな。それはとても。
そして、それは、見たくない自分。
私は私でいられるだろうか。私のまま、彼を好きでいられるだろうか。
それはまるで堂々巡りのように頭の中にあった。
多分、最初からそれを懸念していた。自覚が無くてもその意識はあったと思う。
彼を前にして、どうしても一歩前に出られない自分がいたから。
このまま惹きつけられるまま彼に想いが流れていけば、抗えなくなるのではないか。自分の気持ちに。
そうずっと思っていた。
……そして、今。
ガチャリと扉の開いた音がして、心底驚いた私はびくっとなった。
それで今までの思考が彼方へと飛んでいった。
まさか彼だったらどうしようと思って顔を向ければ藤田君だったので思わず安心の息を吐いた。
藤田君からなんとも微妙に重い空気が発せられていたけど、私はちっとも気にしなかった。
それどころか、別に何も言葉をかけようとも思っていなかった。
「……どーかしたんすか?」
「ううん、別に?」
「……それ、大事なキーホルダーなんですよね?」
「そーだよ」
「もしかして好きな人から貰ったとか?」
そう言われてすぐ彼の顔が浮かんだ。だから、素直に頷いていた。
「うん」
仄かに笑顔を浮かべながら。
「……頼んで作ってもらったって……、だからですか?」
一瞬、何を話しているのか意味が取れなかった。少しの間を得て考えてすぐ思い出した。
以前、それを拾った藤田君が自分の持っているキーホルダーと交換してと言ったとき、全く返してくれない藤田君に亮太がフォローで言ったんだ。頼んで作って貰った物だからあげたらまずいだろって。
一瞬、心に焦りが浮かんだ。だけど、相手が誰かなんて言った覚えはないし……。
いや、別に知られて困るものは何も無いけど、……けど、知った後の藤田君の動向が心配だったり……。
「その時は、そういうつもりは無かったんだけどね。まぁ、きっかけの一つにはなってるかな。……どうして、そういう事までいちいち聞いてくるの?」
それは嫌な言い方だったと思う。刺々しさを故意に出した言い方だった。
だけど、それはある意味けん制でもあった。
敵意を持って真っ直ぐに向けた目。藤田君はほんの数秒何も言わなかったけど、少しためらってから言葉を口にした。
「溝口さん、どこ行ったか知りませんか?」
「印刷室に向ったのは知ってるよ。今もいるかは分からないけど」
「そうですか」
そう言って藤田君は生徒会室を出て行った。
そして、また静かになったこの部屋。
心の中にざわつく何かがあった。藤田君を相手にした後はいつも後味の悪さを感じた。
こんな態度を取りたい訳じゃない。こんな自分であんな言葉を口にしたい訳じゃない。
だけど、そうせざるを得ない自分。なんだか、心がギスギスしているようだった。
そのせいもあってか、その後は余計に体がしんどく感じていた。
その日のやる仕事もあと少しで終わりという頃、しんどさに耐え切れなくなって頭を机に預けるようにして休んでいた。頭がボーっとして働かない状態。
これが自分の部屋だったら、ベッドに横になってるのにっていう心境だった。
……本当はこんな風に気分で左右されたら駄目なのにね。
周りは皆黙々と仕事してるのに。
そんな事を思った時、扉が開く音がして誰かが入ってきた。
呑気に、誰かなぁ、と思って何気なく目を向けてみれば瀧野くんだった。
その瞬間、まるで眠気が覚めた感じになり、だらしなく座っていたのをきちんと座り直したりした。なんか、恥ずかしいところを見られてしまった、と感じる瞬間だった。
他の人ならそんな事気にしないのに。
それからのんびりと仕事をしていた。
彼がここにいると思うだけでやる気が出てくる、なんて言ったらバカにされてしまうかもしれないけど。
途中、彼のことが凄く気になって、誰にも見られていないことを確認してから彼に目を向けた。何気ない彼の表情やしぐさが、心にすーっと染み渡っていく。
特別なものじゃないんだけど、彼の普段の様子が見られるだけで、幸せな気分になる。
そして、満足して再び手を動かしていた。
いつもなら、全部の意識を目の前のすべきことに向いているのに、今は違った。
確かに意識は仕事に向けている。だけど、全部じゃない。確実に彼に向いている意識がある。その証拠に、彼がちょっと立っただけでもすぐ気づいていた。
実行委員会があった日、その日の活動記録を彼が書いている。今では生徒会室に来て空いている席で書いてから、私に出すんだ。
だから、席を立ったという事は、ここへ来るという事。
それを察しただけで、胸には緊張が走る。何もないフリをしながら書類をファイルに閉じる。
そして、机の上に差し出された用紙。机の脇に置かれた彼の手。
本当はどきっと高鳴っているのに、そんな事は無いような顔を、その時ばかりはして言葉を綴る。傍から見たら白々しく見えても。
「あ、お疲れ様」
差し出されたそれを手で受け取りそのまま中身を確認する。
「誤字なし?」
「……うん、ないよ」
彼の言葉に用紙に向けたまま答えると、亮太が声を放ってきた。
「春日、あと何の仕事残ってんの?」
珍しい台詞にほんの少し戸惑いながら答えた。
「え?もうこれ片付けるだけだよ。何か手伝おうか?」
「いや、俺はまだかかるから終わったんだったら先帰れよ。そしてとっとと寝ろ」
その言い方が上から見下ろした感じで決定事項という感じだった。
「人を子供みたいに……」
「じゃー、僕も仕事ないんでー」
割り込んでそう言ってきた藤田君。思わず閉口してしまう。
それに言葉を返したのは亮太だった。
「藤田はこれ手伝え。1年は覚える事いっぱいあるんだよ」
思い切り不満な顔をした藤田君だった。
……いつもだったらこういう言い方はしない。
だけど、今いつもみたいな言い方を私がして、余計なことまで言われたら、という懸念が浮かんだのでそれを今回は選んだ。
いつもは見せない笑顔を向けて言葉を放ったんだ。
「頑張ってね。期待してるから」
良くなることを。少しでも仕事が出来るようになることを。
それは思ったより効果があったらしく、途端に藤田君はやる気を見せた顔になり返事をしていた。
「はい!頑張ります」
視界の端に映った亮太が少しばかり呆れたような顔をして息を吐いていた。
その後、用事を済ませた瀧野くんが私に聞こえるように言ったんだ。
「じゃ、下駄箱にいるから」
「あ、うん……」
咄嗟に笑顔を向けるように顔を向けた。だけど、目を合わせる勇気は無かったけど。
部活動が無くて委員会があった日は、彼が家まで送ってくれる。
それはまるで無言の約束、暗黙の了解。
二人になることを少しでも考えると胸がドキドキ言うのに。
……私、大丈夫だろうか。
机の上を片付けて帰る準備をする。それから彼の所へ向かうのだと思うと心臓はどきどき言っていた。昨日バレンタインのチョコを渡したばかり。
その事について何か聞かれるだろうか。
そう考えただけで喉から心臓が飛び出そうなほど緊張した。
でも、昨日言えなかった言葉を言うには絶好の機会な訳で……。
言えるかなぁ。どうかなぁ。
そんな事を思いつつ生徒会室を出て、廊下を歩いていく。
さすがに生徒の姿は見当たらない。明かりはついているけど、なんとなく薄暗さが気になる。空はもう日が沈んでいて、その藍色が迫り来るような圧迫感があった。
するとどうだろう。
心になんとも言えない恐怖が広がっていた。
体が硬直して冷汗が浮かんでくる。後ろを見たくなくて、何かから逃げるように先を急いでいた。
誰かが後方から追いかけてくるような怖さがあって、足は必死で下駄箱へと動いていた。
息があがろうとするのさえ抑え込んで急いでいた。
やっとという感じで辿り着いた下駄箱。そこにはちゃんと瀧野くんの姿があってほっとした。
こっちに振り向いた彼を見て言葉を口に出す。
「ごめん、……」
長い単語を綴れば、絶対途中で息切れそうな呼吸だった。
もうしんどくなって肩にかけていたカバンを地面に下ろして靴の履き替えをしたんだ。
強張っていた体をほぐすように息を吐いたとき、すっと横に来た彼が置いていた私のカバンを持ってくれたんだ。
「あ……」
思わず漏れた声。それに彼はごく当たり前の事のように言ったんだ。
「持つから」
「で、でも……」
いいよ、自分で持つよ。そう言おうとしたんだけど、その後に言った彼の口調が反論することを許さない声に聞こえた。
「しんどそうだから」
だから私はお礼を口にするしか出来なかった。彼の優しさと、そう扱われることに恥ずかしさを感じながら。
「……あ、ありがと……」
搾り出したような声だったのに、彼は笑顔で言葉を掛けてくれたんだ。
「帰ろうか」
「……うん」
彼と一緒に居る事でさえ胸が高鳴りを見せるのに、そんな顔を向けられたらどうしていいか分からなくなる。
勝手に赤くなる顔を隠すように顔を伏せた。彼がいるこの空気が温かく感じながら。
そして、今がこの時間帯でよかったと思った。
だって、顔が赤いのまで見えないから。
けれど、家に向う道を歩いていけば、以前のようにお喋りを楽しむことも出来ないでいた。
この、日が沈んだ世界に、歩き慣れた道。もうありえないと思ったこの環境。
それは、隣に彼がいること。
でも、以前と違うのは、妙に意識してしまってお喋りが出来ていない事だった。
なんか、こう照れくさい、というか。心臓は密かにどきどき鳴っている。普段より、自分の働きを主張するように。
気にしないつもりでいながら、本当は凄く気になって仕方がない。
バレンタインに渡したあれは、彼にどう思われているだろう。
そして、言おうと思っている言葉を、いつ伝えよう。
いまだ、と思っても、勇気は出せずに俯いてしまっていた。
次の電柱にきたら、次の角にきたら、この話が終えたら、そんな事を考えるばかりでちっとも行動に移せないままだった。
心の中では、自分の不甲斐無さに地団太を踏んでいる。だけど、どうしても今一歩が踏み出せない。
必死で自分に言いきかせる。落ち着こう。落ち着いて呼吸をして、もう一度……。
突然聞いたら驚かれるかもしれない。
昨日、朝に突然ごめんね、から始めるべきかもしれない。そして、あれね…って選んだ理由とか軽く言ったほうがいいかもしれない。それから言葉を伝えるべきか。
そんな事を考えているだけで心臓が騒がしく鳴っていた。
そして、思う。今彼は何を思っているだろうって。どんな顔をしているんだろう、そう思って、そろりと様子を伺うように顔を見てみる。
すると、お互いが顔を見合したように、目がバッチリ合った。
それはもう誤魔化しようが無いくらいに。
それにはっとする心と体。どんな顔をすれば良いのか分からなくなるくらい必死になる。
だけど、目を逸らすことはしてはいけない。
……だとしたら、にっこり笑顔を見せることが最善の選択。
懸命に笑みを向けてみて、……力尽きた。
顔を伏せて心臓を落ち着かせる。
バクバク言っている。あー驚いた。まさか目が合うとは思っていなかったから。
でも、その後直ぐ顔を逸らしたから、意味が無かったのでは?
あ!今のってチャンスだったんじゃ?!
わ〜、もう、言えないよ〜。
はぁ、どうして私ってこう……。
自嘲する思いで肩を落としていた。
自分が嫌になりそうだった。その流れで、もう今日はいいや、なんて思っていた。
そう、諦めた時だった。
温かくて優しい感触が私の手を覆ったのは。
彼に繋がれた、私の手。
私は心底はっとした。
「……嫌だったら離していいよ」
いつもと同じように聞こえるかもしれない、彼の声。だけど、違う。
私にはそれが分かった。どこか淋しげな、聞いたこっちが切なくなるような、……声。
自分が恥ずかしく思った。
ついさっき、あんなことを思っていた自分が情けないと思った。
彼にそんな声を出させてしまった自分が本当に不甲斐無いと思った。
だけど、今この場面で何が言える?
こんな気持ちで、好きです、なんて言えないよ。
言い切る前に泣いてしまいそうだ。
なんで、好きだと思う想いだけで動けないのだろう。
好きだって言う気持ちは確かにあるのに。
余計なことばかりを考えてしまって、自分で自分を何かでがんじがらめにして、彼の気持ちを踏みにじってる……。
突き放したり、見捨てたりなんてこと、彼はしないのに。
されたこと、ないのに。
こんな私だから、彼を好きになった……?
ううん、どんな自分だったとしても、彼を好きになってる。
彼は眩しいくらい、私の中で輝いているから。
何をどんなに考えても、結局最後は同じところが終着点だった。
私は瀧野くんが好き。
ただそれだけ。
彼の手を感じながら、溢れ出していく想いは留めようが無かった。
今はまだもう少しだけ、このままでいさせて。
彼を想うこの気持ちの中で、彼の温もりを感じられることの幸せを知りながら、心が満たされていっていた。それと同時に膨らむ彼への想い。
貴方の幸せな顔を、私によって見られるように、そう願いながらこの道を歩いていた。
2007.4.22