時の雫-紡がれていく想い Story18

零度の距離 -1


§11

谷折君の言葉がずっと頭の中をぐるぐる回っていた。
だから、静かに思った。
バレンタインはちゃんと手作りして彼に渡そうって。
そして……。


 あんなことがあった後でも、彼がいつもと変わらず普通に声を掛けてくれるので、ありったけの根性を振り絞って、普通に返せるように頑張った。
でも、いっぱいいっぱいだった。
体は緊張で硬直するし、それでも汗ばんでくるし、顔はもう勝手に赤くなってくるし……。
でも、また避けるようなことをして、彼の顔を曇らせたくないから。
……必死に頑張ったんだ。


 バレンタイン前日、放課後の生徒会活動は、やらなくてはいけないものだけを終わらせて、一人先に帰宅した。
それを告げた時の亮太はいつもより機嫌がよさそうに感じた。
多分、明日はバレンタインだから。きっと美味しいものを貰えるという大前提のもとで。
学校を後にしながら、「やっぱ亮太にはちゃんと選ぼう」と思っていた。あんなに楽しみにしているんだから。
 家に帰るより先に、お店に寄った。洋菓子を作る材料を買い揃える為に。
レジを済ませてから家に向かう。帰っている中、頭の中で色々と考える。
作るものはもう決めていた。甘さ控えめの一人分のチョコケーキ。
作ったら14日当日に渡そう。でも、学校には持っていけない。マフラーの時みたいな事になったら嫌だから。学校終わって帰宅してから家に行くのがいいかな。
でも、部活の練習が何時に終わるかなんて分からないし、家に行ってもいなかったりとか、何か用事している時で表に出てこれない時だってあるだろうし……。こういう時におばさんと顔合わせるのはちょっと辛いかも……。
じゃあ、朝?いつもより早めに家を出て、駅へ向かう前に彼の家に寄っていく。
……それなら、いけそう。
それで、頑張ってみようか。

 家に辿り着いてからは早い行動だった。
とりあえず、終わらせなければいけない事を先に終わらせる。そしているうちに晩御飯になって、食べ終わってから片づけを真音と二人でする。
全てが片付け終わってキッチンには誰もいなくなった頃に、再び部屋からこっそりと降りていった。
ケーキを作る私は真剣だった。こんなに真剣に作ったことは無いってくらいに。
そもそも誰かに贈る為に作るって事が初めてなのに。
生徒会で持っていくお菓子はもっと気軽なものだし。
作りながら明日のことを考えていて、心臓はずっとドキドキ言っていた。
 こんな風になっている私、本当にらしくないって思う。
だけど、これもまた私自身なんだろうね。
それもまた不思議な気持ちだった。

 翌朝、自然といつもより早い時間に目が覚めた。
微妙に心臓はドキドキ言っている。当日なのだから無理もない。
 いつもより念入りに準備を整えて家を出た。
時間はいつもより早い時間。この時間なら、多分瀧野くんも大体用意を終えている頃だと思うから。まぁこれは一種の賭けだけど。
門扉を出てから大きく息を吸って歩き出した。
彼の家に向かって。
 向かっている間、ずっと心臓は騒がしく鳴りっぱなし。カバンを持つ手にも力が入っている。こんなに緊張して彼の家に向うなんて事も初めてかもしれない。
 好きな相手にちゃんと「好き」って伝えられる人って凄いな。だって、私に家に向かっているだけでもこんなに心臓どきどき言っているんだよ?これで告白するってどれだけ緊張するんだろう。
勇気がいることをやってのけるって、本当凄いことだよ。
私は、……正直自信ない。全く無い。
彼を前にすると、もう勝手に体は逃げようとする。
……なんでだろう?
体中全身が熱くなって自由が利かなくなってしまう。
それはどうしてなんだろう?
 そうこう考えているうちに家に到着してしまった。
まだ静かなこの辺り。耳を澄ませば、中から生活の音が聞こえてきそうな気はするけど。
 こんな時間にインターホンを鳴らして迷惑じゃないだろうか。
やっぱり止めておいた方がいいだろうか。朝のばたばたしている時間……。
それに、おばさんが出てくるよね?
なんて言ったらいいんだろう。どんな顔すればいいんだろう。
 ここまで来て今更なのにそんな事を考えていた。
もうこの場から去ってしまおう。じゃないと誰か通るかもしれない。瀧野家と見知った人が。
そんなことまで臆病な心は思っていた。
だけど、もう一人の自分が言う。
 早くインターホンを押さなきゃ。そう思うと余計に心臓が大きく鳴ってくる。そして、指先が震えている。
体が動いてくれなくて本当に「ああ、どうしよう」と思ったときだった。
扉が開く音がここに響いたんだ。
はっと顔を上げた。
中から出てきたのは長男の功志さんだった。
目が合った次の瞬間に声を放っていた。
「お、おはようございます」
「あ、おはよう。制服姿だとまた感じ変わるね」
別に驚いた様子もなくさらりと言葉をかけてくれた功志さん。
「え?そうですか?」
思わず自分の身なりを見てしまう。見たからといっても何か分かる訳じゃないけど。
はたっと我に返って功志さんを見ると、優しい笑顔で見てくれていた。それですんなりと言えたんだ。
「あ、あの、た、……えーと、圭史君呼んでもらえますか?その、大丈夫だったら」
「うん、下にいたからすぐ出れるよ。ちょっと待っててね」
優しい笑顔のままそう言ってくれた功志さんは、するりと新聞を手にとって中に入っていった。
いかにも優しいお兄さんといった感じの人だった。私にとっては。
 功志さんは確か、4つ上だったと思う。どっちだったか覚えてないけど国立か公立大学に行っている。いつだったか、真面目と言うか堅実と言うか賢い人生の生き方をするタイプだと言っていたのを聞いたような気がする。
 兄弟だと聞いて功志さんと瀧野くんをじっくり見てみると、やっぱり似てる。タイプは違うんだけどなんとなく似てるんだ。
最初の頃、こんなお兄さんが欲しかったな、と思っていたっけ。
 しん、と静かなこの空間を再び感じると、無意識に両手に力を入れていた。

この手に持っているのは、学校に行く為にあるカバンと、彼に渡す為の紙袋。
 昨日、材料を買いに行く前にスポーツ店に寄った。
何か形に残るものも一つ残したくて。そして、貰っても何か困らない物を、と。
普段何気なく使えて、いくら貰っても困らない物と言ったら、これぐらいかな、とスポーツタオルを選んだ。スポーツブランドの。最近人気が出てきたやつだけど、いいよね?
 そして、渡す為のケーキを作り終えて、ラッピングも済ませてから部屋に戻って、メッセージカードを書いたんだ。
何を文に書こうか、とたった数行の文章に凄く時間がかかってしまった。
気持ちを言葉にしよう。そう思って、頭の中で色々考えた。他に頭に浮かんだ言葉たちがあった。だけど、思いに流されて全てを言葉に表してしまうのは凄く勇気がいることで、私にはちょっと無理だった。
精一杯の勇気で書けたのは、
「いつも色々ありがとう
委員会に部活にと毎日忙しいけど 頑張ってね」
だった。本当は手紙にして事細かに御礼も書きたかった。だけど、そこまでするのは気が引けた。思い切り重いような気がした。思いを色々綴って、何を思われるか、……本当は怖かったんだ。
 そう思っても自分の気持ちをそこに書いてしまいたかった。一番伝えたかったこと。
あなたが好きです。って。
だけど、出来なかった。
彼から貰った気持ちを、このイベントに乗じてこのカードで返すなんて、自分が情けなく感じて。
どうせなら、直接伝えたい。自分の声で。
そんな願いも込めて、最後の文は「気持ちを込めて」と書いた。

 ちゃんと言えるだろうか。
心臓がドキドキ鳴っているのを聞きながら息を潜めるようにしてそこにいた。
 そして、僅かな時間が過ぎて、がちゃ、という扉が開く音が聞こえて顔を上げた。
そこに現れたのは彼。まだネクタイは締めていなくて、白い方のスクールセーターを着ている。カッターシャツの第1ボタンは開けたまま。
いつもとはちょっと違う雰囲気に胸は高鳴りをみせる。
彼の姿にどぎまぎする。そう、いつだって、彼にだけ。
その事実が、心の中に温かい感情を湧き起こさせる。
 彼がすぐ近くまで来てくれた頃に勇気を出して言葉を紡いだ。
「あ、あの、朝にごめんね。これ、良かったら食べて?」
今日バレンタインで、その為に作ったケーキだから。
心の中でそう言っているのに、声には出せなかった。
それをすぐ受け取ってくれた彼。
「ありがとう」
優しい声音で言ってくれた彼に嬉しくなって、僅かに顔を上げた。
目に映ったのは彼の笑顔で。
それだけで胸いっぱいになってしまって、もう小躍りしたい気持ちになってしまって、満足してしまった私は早口に言った。
「じゃあ又学校で」
じっとしていられない気持ちだったから、そのまま小走りに駆け出していた。
渡せた事にほっとして、彼のお礼の言葉と笑顔を見ることが出来て喜ぶ自分。
まるでこのまま宙に浮いてしまいそうな感覚だった。
心の中にはずっと溢れていた。温かい幸せなものが絶え間なく。
 だけど、駅近くになった頃ではっと足を止めて、あることに気づいた。
血の気が引く思いで心の中で声を上げていた。
 あー!一番肝心なことすっかり抜け落ちてた!
一言、好きだって言おうと思っていたのに……。
どっか抜けてるんだ、いつも。
今から戻って言う事も出来ない。こればかりはタイミングを逃してしまったら中々言い出せないもの。……単に、私が臆病者なだけかもしれないけど。

 それから、嬉しい気持ちと落ち込む気持ちと半々になりながら学校へと急いだ。
別に朝から用事があった訳じゃないけど、急がずにはいられなかったんだ。
学校に着けば、いつもより登校している生徒の数が多かった。それも殆ど女子。
どことなく落ち着かない様子が辺りに漂っている。それは全て、バレンタインだから。
 朝一番にイベントを終えた私は、自分の席に腰を下ろして、ようやっと落ち着いた気持ちになったんだ。まだ心臓がどきどきいってる。
頭の中は今朝の彼の顔ばかり浮かんでる。
渡せて良かった。渡して良かった。本当に心からそう思っていたんだ。
 体の余計な力が抜け切った頃、廊下に出たんだ。
いさちゃんに会いに行こうと思って。そうしたら、いさちゃんも同じだったみたい。
お互いにバレンタインのチョコを交換してお喋りしてた。
で、調子に乗って抱きついていたら、丁度通りかかった亮太に言われた。もちろん冗談だと分かるけど。
「おいおい、何そこでレズってんだよ」
「うるさいなぁ、ラブラブなのよ、放っておいて」
気にすることは無く言った台詞だったけど、いさちゃんに嫌な思いを抱かせるのは嫌だったから素直に離れたんだ。けど、その後に飛んできた亮太の台詞。
「いくら男嫌いだからって、同性にはしるなよ。恐ろしいから」
それは本気の声に聞こえた。普段の私の様子を見てそう言ったんだろう。
「なっ?!何バカな事……っ」
思わずそう声を上げて顔を上げたら、その先に瀧野くんの顔が見えた。
教室に入ろうと戸に手をかけているところ。だけど、彼の目は真っ直ぐ私を見ていて思い切り目が合った。私の顔はすぐ反応を見せて真っ赤になった。自分でもよく分かる。顔が熱いもの。
変な内容の話のところを聞かれていたし、今日は朝一番に会いに行ったから……。
そう思っていたら、私の表情に彼が噴出していた。いやだなぁ、そんな変な顔してたんだろうか。だけど、軽くショックを受けた。
冗談も交えて、傍に居たいさちゃんに泣きついたんだ。
多分、いつもとテンションは違っていた。いつもより高揚していたと思う。
「わ、笑われたー、今笑われたー」
「あーはいはい、よしよし」
もう行ったかと思って彼がいた所に目を向けたら、まだいた。
さっきと変わらない笑みを浮かべて、彼まで冗談を言うかのように手をひらひらと振り戸をゆっくりと閉めていった。彼がそんな反応をするなんて思っていなかった。だから尚堪らなくなっていさちゃんに言った。
「まだ笑ってたーわーん」
「はいはい」
いさちゃんは流すようにあやしていたけど。

その日、学校生活を過ごしている間に、他の人が話しているのが耳に聞こえてきたりした。
今日はバレンタインだから、あちらこちらで内緒話が横行しているんだけど。
「呼び出されたりとか、直接渡しに来た人のは全部断ってるんだって」
「えー……」
「下駄箱や机の中とかに入れられてるのは仕方ないからってことらしいよ」
「そーなんだー……」
聞きながら、ぼんやりと、誰の話何だろう、って思っていたんだ。
「やっぱ噂は本当なのかな」
「……噂って、春日さんとの?」
「そう」
心臓がどきっと音を立てる。その話にも自分の心臓にも驚いて、あさっての方向に顔を向けていた。何かを考えるより先に知らないふりをしていた。
 あー、びっくりした。
思わず心の中で呟いていた。という事は瀧野くんのことを話していたのかな?なんて思ってみたり。

時間が過ぎて大分気持ちが落ち着いてきた時、席に着いたままでぼんやりと考えていた。
私が今噂されているのは瀧野くんとだけなはずだから。
 じゃあ、受け取ってくれたのは、私のだけって事?
そうすると、心の中に期待が広がっていく。それはまるで自惚れにも似たような感覚だった。そんな事はあんまり考えちゃいけない。考えてしまうと後でしっぺ返しをくらうから。
……ああ、でも、頭の中には今朝の瀧野くんの顔が浮かんでいて、口端が緩んでくる。
もうそれだけで幸せいっぱいになってしまう……。
「……さん、春日さーん、春日さーん!」
「あ、え?はい、はい!」
ぼんやりしていて、自分が呼ばれている事に気づいていなかった。
慌ててそう返事をすると、相手は何事も無かったように言った。
「なんか、1年の子来てるよ。用事だって」
「あ、ありがと」
1年の子?誰だろう。わざわざ教室に来るなんて。生徒会の二人がここに来る事は無かったから予想がつかなかった。他に1年生で目ぼしい子も思い当たらない。
廊下に出て私を待っているという1年に目を向けたら、そこには松内さんがいた。
予想外のそれに思わず目が大きくなっていた、と思う。
「まつ、うちさん?」
私に用事ってこの子?そう思いながら確かめるように名を呼んでいた。
すると、松内さんはいつもと変わらないまっすぐな目を向けてくる。
「春日さん、これ……」
と差し出されたのはどう見てもバレンタインのチョコ。可愛くラッピングされた既製品。
額に汗が一滴たれていくのを感じながらも、戸惑いつつ口にした。
「あの、こういうのは、自分で渡した方が……」
松内さんは慄然とした顔をすると放った。
「春日さんにです!これ」
「え?わたし?」
思いもよらなかった答えに素っ頓狂な声を出してしまった。
その視界に、少々驚いた表情だったのが呆れを隠したような笑みを浮かべた亮太の姿があった。それにすぐ我に返る私。
「今までのお詫びとお礼を兼ねてです。どうぞ」
ぐいっと差し出されたそれを、迫力に押されたように手にとって言葉を口にする。
「あ、ありがと。わざわざ……」
「いえ、じゃ」
にこっと笑って見せた松内さんはそう言って自分の教室へと戻っていった。
茫然としたままの私は、暫くその場に立ちっ放しだった。
どれくらいの時間そこにいたのか把握できないくらい。
手に持っている、貰ったチョコを眺めて思考が働き出す。
 ……そう言えば、中学の時同じクラブの子から貰ったことあったなぁ。
なんて松内さんと関係のことを思い出していたりした。
だけど、すぐ松内さんの顔を思い出して、ふっと笑みをこぼしていた。
前までは厳しい目つきの顔しか見たこと無かったから、今日の表情を見れて嬉しいと思っていた。何が理由で心境が変わったのか分からないけど、でも素直に嬉しいと感じていた。
今日はなんだか不思議な一日のようにも感じて明日になるのが勿体ないと思えてしまったくらいだった。

方向を変え、教室に戻ろうとした時、廊下の向こうから声が聞こえてきた。
「あ、春日さんいる!」
「ほんとだ!」
それに顔を向けると、1年の子が数人。
「春日さん!」
「これ持ってきたんです」
「受け取ってくださーい」
 うち、男女共学、だよね?
思わず確かめるように辺りを見回した瞬間だった……。


その日の放課後、生徒会室で亮太と二人の時にその話が出た。
「いやー、何事かと思ったわ。正直」
「だけど、その光景を見てもなんとなく違和感がないところが恐ろしいところだ」
「は?何よ、それ」
「同性にそれだけチョコを貰っても納得できてしまうってことだよ」
「えー?そんなに男っぽい?私」
「……分からないなら、もう流しとけ。で、合計何個貰ったんだよ?」
「んーとね、じゅう…何個かな。あんまりはっきりと覚えてないけど」
そう言っていたところに薫ちゃんが来て、カバンの中から笑顔ではいっと差し出してくれた。
「美音ちゃんに」
「わーありがとう」
笑顔で受け取ると、薫ちゃんは次に亮太に渡していた。
「はい、亮太にはこっちね」
亮太は私が貰った物を自分が貰った物を見比べている。
うーん、明らかに私の方が大きい、かな。
少し不服そうな顔をしてそっぽを向きながら亮太は言っていた。
「ありがとよ」
そして、ちょっとの沈黙があった。
亮太はそっぽを向いているまんまだ。
なんとなくいつもと違う空気を感じて思考を働かせる私。そして思い出した。
あ、私、亮太にまだ渡してないや。
思い出して慌ててカバンから取り出す。
「忘れてた忘れてた。はい、亮太―」
それに「ん?」と振り向いた亮太は、差し出したチョコを見て忽ち機嫌の良い笑顔になった。だって、亮太に買ったのは有名どころのチョコですから。
「お。どもども」
これで満足したらしい。
……良かった、ちゃんと用意して。最初思っていたように亮太にもあげなかったら、今頃機嫌悪い中を過ごさないといけなかったかもしれない。
「あ、1年の子たちにはないから、見られないうちにしまっておいてよ」
「オーケーオーケー」
亮太はそう言ってごそごそとカバンにしまっていた。

2007.4.8


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