時の雫-紡がれていく想い

零度の距離 -1


§10

3学期が始まって、私の中でのちょっとしたことが何個かあった。
まず1つは、本当に他愛も無いことなんだけど、微妙に疑問符が残っているから。
それは、始業式の朝礼が終わって廊下を歩いていた時の事だった。
何か考え事をしている訳でもなく、ただぼんやりとしながら歩いていた。だから、すぐには気がつかなかったんだ。前方でこちらを向いて歩いて来ていた人がふと足を止めていたことに。その人との距離が1メートルをきろうとした頃に気がついた。
女子の私より確実に背の高い男子がじっとまっすぐに見ていた。
「?」
その視線に疑問を感じながら目を向けて見れば、同じ2年生の実行委員でもある金沢君だった。何か言いたげな、それでもまっすぐとぶつけてくるそれに私は何か嫌な感じを受けつつも口を開いた。
「おはよ?」
それは暗に「何か用?」と非難めいた声が含まれていたんだけど。
金沢君のその表情は変わらないまま言葉は返ってきた。
「はよっす」
そう答えたままずっと見てくる。何かを問うている目で。
「……なに?」
怪訝な気持ちになった私は思わず無愛想にそう口にしていた。
「うーん、別に何も、ない、よ?」
何かを考えながらそう言った金沢君。私には、何もないとは聞こえなかった。
言い終えて数秒してから、私に視線を向けて何か含みを持った顔でにやっと笑った。
それらに私の感情は逆立ったように反応したんだけど。だって、何か小ばかにされてるような気がして。考えすぎかもしれないけど。
微かに頬がぴく、と動いた気がした。消化しきれない何かを感じている間に、金沢君は向かっていた先に足を進めていった。
「…………」
不快な感情、不可解な一連の態度に、私の心は形容できない感情が渦巻いていた。
何だったんだろう?一体。物凄く気になる。全くもって分からない。
 止めていた足を動かした時に背後から人の気配を感じたと思った瞬間……。
「やっぱさ」
「わぁ!」
行ったと思った金沢君がすぐ横から声を放ってきた。このフェイントにすんごい驚いちゃったよ。
思わず非難の目を向けてしまった。
それを気にすることなく金沢君は私にだけ聞こえるように言ってきた。
「瀧野、どうしてる?」
その名前を心の準備無く耳にして、どもりそうになった。頬が微かに赤くなったような気さえする。だけど、必死に冷静を装って言う。
「今日も特に見かけてないから知らないけど?」
「……そっか。それはどーも失礼しました」
そう言った金沢君は目を合わせることなくぺこりとお辞儀して去っていった。
……なんだったんだ、一体?!
疑問よりも怒りのほうが湧き上がってくるのは何故だろう?
けれど、考えるだけ無駄なので、忘れようと努めた。

そして2つめは、今思い出しても赤面してしまうこと。
生徒会室にいる時の話。その日は3学期1回目の委員会の日だった。
部屋には生徒会メンバーしかいないと思っていた私は気を抜いていたのかもしれない。
 藤田君がしつこく付きまとってくる事に内心嫌気を感じながら仕事をしていた。
あれやこれやと色々聞いてくるのが煩わしかった。
いい加減、静かになってくれないかと思ってた私は、適当に答えていた。
「春日さんは冬休みどう過ごしてたんですかー?」
「色々」
「たとえば?」
「例えばぁ?」
「教えてくださいよー」
「うーん」
本当にしつこい。いい加減、分かればいいのに。そんなことまで思ってしまう。
この遠まわしな言い方に、何かを言うことも出来ない。言われてもいない事を私が答えるのはおかしいとも思うから。だから、遠まわしな問いかけに、遠まわしな返答をする。
正直に言えば、一瞬にして思いついたことだった。だけど、静かになることを期待して。
「そうねぇ、言うほどの事と言えば、カッコイイ人とデートしたくらいかな」
でまかせを言った訳じゃない。真実でもないけど、嘘でもない。
そう言った後の藤田君は予想通りの反応を見せた。私にはそれが嬉しくて思わず笑顔になっていた。
「なーんて、ね、……」
そう口にしながら、視線を感じた方に呼ばれるように目を向けたんだ。
その人の顔を見た瞬間、時間が止まったような気さえした。
まさか、当の本人がここにいるなんて思っていなかったから。
生徒会メンバーしかいないと思っていたのに、瀧野くんはいつのまにかここにいた。
一体いつ入って来ていたんだろう。全く気がついていなかった。
すごく驚いた。でも、わたわたとしながら顔を反らした。痛いほどの視線を感じながらも、ノートに目を向けて仕事を続けるふりをした。内容は全く頭に無かったんだけど、そうすることしか出来なかった。
恥ずかしい!恥ずかしすぎる!
台詞的に瀧野くんの名前を出した訳じゃないけど、休み中に出かけたって言ったら分かる話だもん!
心臓どきどき言って手が震えだしそうだった。
何も誰も言っている訳でもないのに、重く辛い空気が漂っているような気がして顔を上げられなかった。だって、ずっと瀧野くんの視線が向けられている気がして。
心臓にも汗を掻いている気分だった。
そこへ、野口君が話を彼に振ったので、視線が外れた事に心底安堵した。
 この場に居続けることが苦しく感じていた私は必死で何か無いかと探していた。
そうして、先生に頼まれていたことを思い出して、今思えば少しわざとらしかったかもしれないけど、声を出したんだ。
「あ!冊子取りに行かなくちゃいけなかったんだ」
それは逃げるように見えていたのかもしれない。私は怖くて彼の方に顔を向けることは出来ずに生徒会室を出て行った。藤田君を連れて。
余計な事は言われずに済むと胸を撫で下ろして廊下を歩いていった。
 それでも、廊下を歩きながら、心の中で声を上げていた。
 ああ、本当に恥ずかしすぎる!瀧野くんのあの驚いたような顔が……!
瀧野くんも入って来る時は何かこう音を何かしら立ててくれたらいいのに!
いると分かっていたら、あんな事言わなかったのにー!
 一人恥ずかしい思いで悶々として歩いていたら、藤田君が言ってきた。
「デートの相手って、俺も知っている人、ですか?」
まぁ何となく聞かれるかな、とは思っていたんだ。それ。
だから、別に慌てる事も無く言った。
「そうだね、知らないって言う事はないかもしれない。……楽しかったよ」
最後の台詞はふいっと天井を眺めて零す様に言っていた。
それきり藤田君は何も聞かなかった。

職員室からの荷物を持った帰り道。とは言っても殆どは藤田君に持たせていたんだけど。
向かい合うように廊下を歩き進んでいる瀧野くんと会った。
ちょうどその時、途中で道を反れていたので藤田君は先を行く形になっていた。
彼はごく普通に目を向けてくれていたので、自然と足を止めていた。
この時、彼にどんな表情を向けていたのか自覚は無かったんだ。
ただ覚えているのは、彼が優しい笑顔を向けてくれたことだけ。
「あ、髪留めが落ちそうになってる。ちょっと待って」
「あ、うん」
近い距離になって、そう言った彼が手をすっと伸ばした時、不意に心臓がどきんと声を上げた。もうそうなるとどんな顔をすれば良いのかわからなくなってしまう。
取れかけていた髪留めを壊れ物でも扱うようにそっと外して渡してくれた。
心臓がどきどき言って何を言えばよいのか、どうすればよいのか分からなくなっていた。
だけど、彼の視線をじっと感じて我に返ったようになった私は言葉を口にした。まるで取って付けたような……。
「あ、ありがと」
彼が思っていたことは別だったのか、気がついて言ったように感じた。
「あ、……今日は図書室に、いるから。……じゃ……」
「あ、うん」
委員会がある日は送っていくと約束してくれた彼の言葉をその時思い出した。
頭の中で微かに「もう無効かな」なんて考えていた。学期が変わったこともあったし、自然消滅的みたいな感じで。
だけど、それは私の思い過ごしだったみたい。
彼の優しさに、というよりは、彼と過ごせる時間に、嬉しさを感じて思わず笑顔になっていた。私にしてはすごい素直な反応をしていたと思う。
たぶん、無意識だったから出来たことで、普段の他の人が居る前や何かに捕らわれている時ではそんな反応できなかっただろう。
ふとした瞬間に、気持ちが溢れ出すのを感じた。
自分の筈なのに、違う自分が顔を出したようなそんな感覚だった。だけど、それも私自身で、決して作っているものじゃない。
きっとこれが恋による影響。
自分の中で、今までと変化していく何かを感じていた。
彼と一緒にいられる穏やかな時間の中で。

帰り道に、はっと思い出したので勢いで言っていた。
「そう言えば、金沢君はフツーだった?」
そう口にしてからはっとした。
凄く意味の通じない台詞だったから。
けど、彼の反応を目の端に捉えてそんな考えは飛んでいった。
金沢君の名前を聞いて、瀧野くんの肩がぴくりと反応したのを見たから。
そして、私から明らかに顔を逸らして向こう斜め上に視線を向けて言う彼。
「……普通、だった、と思うけど」
「……」
思い切り疑問を感じたのが本当のところだった。
なんていうか、彼の反応がいつもとは違う。テンポが違う?
心の中に沸いてくる感情で言葉に出来ずにいると、その沈黙に奇妙なものを感じたのか、彼は訊いてきた。
「金沢が何?何かあった?」
「……何かがあった訳じゃないけど、先週に偶然廊下で会った時に……奇妙だったから」
「……」
ちらりと彼を見た。だけど、彼の顔は向こうを見たまま。
おかしい。こういう反応をする瀧野くんは珍しい。殆ど見ないよ?
だから、あえて訊いてみた。
「なんか、瀧野くんを探していたみたいだったよ?」
「え?俺?」
「うん」
きっぱりと頷いた私。
なんでだか彼の顔にうろたえが見えるんだけど……。
だから思わず訊いてしまった。
「なんで?」
「な、なんで、って……。いや、今日初めて金沢とは会ったから、俺にも良く分からないんだけど」
「……そっか、気になるなー、あれ」
顎に手を当ててそう言ったら、瀧野くんはにこりと笑顔で言った。
「多分、その場のノリみたいなもので意味はそんなにないと思うよ?」
……瀧野くんにそう言われるともう何も言えなくなってしまう。
だって、もう余計なことを頭が考えられなくなってしまうから。
……やっぱり、その笑顔は卑怯だと思う。ずっと思っていたんだけど。
ねぇ、瀧野くん、その笑顔は計算だよね?絶対。
勝手にどきどき言い出した心臓を持て余してる私だった。



 そして、次の日の朝もホームで顔を合わせて一緒に登校していた。
いつもと変わらない、一日の中で一番待ち遠しく感じているかもしれない、彼と一緒に過ごすことが出来るじかん
 そんな毎日がずっと続くのだと思っていた。
この時間が毎日あって、この嬉しい空気がずっとあるのだと。

 昼休み、お弁当を食べ終わってから教室を出た。
廊下に出た途端、ひんやりとした空気が身を襲って寒さに身が震えた。
そうしている時に、視界の端に男子が一人で立っているのが見えていた。
その人から視線を感じているような気がしたけど、気にしないふりをしてそのまま通り過ぎようとした。
けど、前に差し掛かろうとした時、大きな声ではなかったけど、意思を感じる声が聞こえてきた。
「あの、春日さん……」
名前を呼ばれてしまって、無視することも出来ず、無言のまま足を止めて顔を向けた。
3組の人だった。あんまり話したことは無かったけど知っている人だった。
亮太と仲良い中山君。いつもクラスで一緒に居る人だった。そして……。
 私も急ぐ用事が無い限り亮太のクラスに足を運ぶことが無かった。
ちょっとした用事があって亮太の所に行った時、ついでにそのまま紛れ込んで雑談をして帰ることもあった。だけど、最近は滅多とない。
多分、無意識に避けていたのかもしれない。
「話があるので、とりあえず場所を移して、……と思うのですが、えーと、あの、少し、いいでしょうか?」
頬を赤くして、いっぱいいっぱいの中山君に、私の中の緊張は飛んでいってしまった。思わず笑いが零れそうになるのを必死で堪えつつ言った。
「うん、大丈夫だよ?」
そこから場所を移して予想はしていた事を中山君の口から聞くことになった。
「あの、返事はいらないって、手紙には書いたんだけど、……でもやっぱり……。勝手なこと言って本当に悪いと思うんだけど」
必死にそう話す中山君の事を私はじっと見ていた。それは殆ど無意識だった。
そんな私の様子に、急に不安になった様子で中山君は言った。
「あの、俺の事、覚えて、ない?亮太と同じクラスで、あと、学祭の時に手紙を……」
「知ってる。ちゃんと覚えてる。え、と……」
最後の言葉を口にした時、私は困ったような表情を浮かべていたと思う。
私の顔を見て、慌てた様に中山君が言った。
「あの、亮太や周りのやつには言ってないから。俺が、その、そう、だって事は」
「あ、……うん」
なんて言って良いか分からずに、ただそうとだけ口にした。
中山君は困った様子で何か言葉を捜しているように見えた。だけど、意を決したように話し出した。
「あの、今別に誰とも付き合ってないんだったら、最初は何とも思って無くてもいいから、つきあって、ほしいな、と。……チャンス、ほしくて」
多分、それは本心からの言葉だったと思う。何て答えてよいか分からなかった。
必死になって言ってくれた事に、私はちゃんと答えなくちゃいけない。
「あの、ごめんなさい。そんな風に言ってもらったのは本当に嬉しいんだけど」
いい人だと思う。多分、好きな人がいなかったら、うんって頷いていたかもしれない。
「……瀧野と付き合ってるの?」
私からすれば、突然のそれに驚いて顔を上げていた。
「え?う、ううん。瀧野くんとはそんなんじゃ……」
そう言っているうちに意識してきた。自然と俯いてしまう。
じっと見つめられているのが分かった。
普段、視線をどれだけ浴びても平気なのに。顔が赤くなりそうだった。
「最近、またさ、雰囲気が変わったなと思って。あ、いい意味で。なんとなく分かるくらいのものかもしれないけど。それで、今だったら、とも思って」
自嘲気味の笑顔に胸が少し痛んだのを感じた。
「あの、なんて言ったらいいか分からないけど、でも、ありがとう」
「……好きな人、いるんでしょ?」
「え?」
またその台詞に驚いて顔を上げた。中山君の顔は至って真面目で、それを見た私は素直に答えてしまった。
「あ、うん。相手はどう思ってるか分からないけど」
それに中山君は苦笑していた。その理由が分からず、私は不思議な顔をしていたかもしれない。
「あの、迷惑じゃなかったら、亮太の友達としてで話したりするのは許してもらえる?」
「あ、うん、いや、こっちこそ、ごめんなさい」
気まずさを残しつつ、休憩時間を終えた。

この時私は、少々変わったことがあっても、毎日の生活の中にある平穏な時間は変わらないんだと思っていた。
それは殆ど思い込みというものなのかもしれないけど。
それらは嵐の前の静けさだってことに気がついていなかった。


2007.1.21


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