時の雫-紡がれていく想い

零度の距離 -2


§9-10

 次の日からは冬休みに入った。
休みの間、学校に行く用事は無く、毎日練習がある瀧野くんと偶然でも会うことは無かった。
この学校の宿題の量は中学の時のような少量ではなく、ちゃんとやらないと終わらないくらいの量があった。
毎日の私の生活は、家で宿題をしているか、バイトに行っているかだった。
ずっと変わらない毎日だったのに、ある日バイトをしていたドーナツ屋に彼らが来たのには驚いた。いさちゃん以外の人には誰にも言っていなかった。生徒会のメンバーにだって。
お母さんにだって口止めするように言ってあるのに。
地元の人間でも私がいる北店にはあまり来ないのを見越してバイトに選んだのに。
 まさか会うなんて。瀧野くんと谷折君に。
いつもと変わらない日常だったのに、その偶然だけで特別な日になった。私の中では。
私服姿で会うと雰囲気違うし、それに私はバイトの制服姿。何か、いつもみたいに話せなかった。バイトが終わってから二人の席に行ったんだけど、どうもなんかギクシャクしてしまって。変に意識してしまっていた。
どうにかいつもと変わりなく話せるようになったのは帰り道だった。
私は自転車だったから途中の道まで一緒に帰った。
いつもだったら、瀧野くんは家まで送ってくれるんだけど。今日は私自転車だから。
本当に突然の出来事だったけど、とても楽しかったんだ。
休みに彼と一緒にいられる時間が出来て嬉しいと思ったんだ。短い時間ではあったけど幸せだと感じた。

 それからはまたいつもと変わらない時間を過ごしていた。
だけど、私の中では違っていたんだ。いつもの休みと違って。
だって、心の中では彼の事ばかり考えてる。
今何してるかなぁ、とか。宿題をしている時でも、ここはもう終わったのかなぁとか。
ぼんやりとする時間は、窓の外を眺めて見えない彼の姿を見つめていたりもした。
……そして、頑張ろうと思うんだ。今自分がしなければならない事を。
何も手につかなくなって自堕落な生活にはならないようにと言い聞かせて。

 冬休みが始まって数日が経った時、いつも仕事の母親が今日はお休みで昼食を3人でとった。その時、話していたんだ。「今度のお休みは瀧野さんの所に遊びに行くのよ」って。別にそれは珍しい事じゃなかった。母親同士、気が合うらしくて月に何度か会ったりしているから。うちにも何度か瀧野くんのお母さんが来た事もある。回数的には、私の母親が行くことが多い。
私は話を聞いているだけ。妹の真音が色々と話していた。
「家に行っても息子達に会うことないんでしょ?」
「そうねぇ。殆ど無いかな。学校から帰ってきても声が玄関から聞こえてくるだけだしね。つまんなーい」
「つまんないって、お母さん……」
思わずそう声を出した私。
「だって、あそこの息子さんたち男前ぞろいで、いいわぁ〜」
それには思わず苦笑いの私に、真音は楽しそうに言っている。
「わかるー。本当カッコイイよね。偶然見れただけでもポーってなるよね。いいなぁお姉ちゃん、圭史さんと同じ学校なんだよねー。今更だけど」
「本当今更な話題だけど。ずっと同じ学年で見かけるけど、カッコイイって思って見てた訳じゃないから」
「ええ?お姉ちゃん、圭史さん見てもかっこいいとは思わないの?」
「しょっちゅう顔を合わす機会があるのに、その度に思ってられないって。話できないじゃない」
「あーそうだねぇ。お母さん、なんでああいうお兄ちゃん産んでくれなかったのー?」
「お母さんもああいう息子欲しかったよー。あんた達、どちらかでもいいから瀧野さんとこのどれかと結婚して頂戴。そしたら、念願の息子が出来て嬉しいから」
また何か言ってる……、冷ややかな顔になる私。この話はもう何度か聞いているから。
お母さんも真音も面食いだから。
 そんな雑談兼昼食の時間を終えると、各自は部屋にこもる。
妹は今中学3年生の受験生。息抜きの時間以外は部屋にこもって受験勉強だった。
私は学校の宿題に取り掛かる。休みの前半で宿題を終わらせるのが私の毎回の目標。
 午後からは苦手な数学に取り掛かった。
出だしは順調だった。だけど、一度躓くと中々脱する事ができない。まだ躓いた1問目はどうにかできた。だけど、次の問題はどれだけ必死で考えても解けなかった。教科書や参考書なんかを見てみるのだけど、宿題に出されているのは殆ど応用問題。
……解けそうに無かった。
これが学校でだったら、瀧野くんに会った時に言えば、すぐ教えてもらう事ができるのに。
彼の教え方はとても的確で余計な説明は無いんだけどポイントをついて教えてくれるので分かり易いから、私でもすぐ解けるようになる。
 彼は毎日学校に行っている。部活があるから。
私は学校に行く用事はないし。年末年始で学校の図書室はお休み。
そんな事をぼんやりと考えてふと気づいた。確か、一日中部活という訳ではなかった気がする。年末にかけては午前中だけだったような。
それを思い出すと母親の所へ向かった。
今度、瀧野くんちに行くと言っていたから、大丈夫だったら一緒に行こうと思って。
数学、いつでも教えてくれるって言っていたし。彼に言われた言葉に甘んじようと思ったから。
お母さんは都合のよい時間に電話をしてくれていた。もし息子の都合が悪いようだったら電話するわね、という話だった。だけど、次の日、向かう時間になっても電話はなかったので大丈夫という事なんだろう、と私も一緒に行った。
玄関先で久しぶりに会ったおばさんに挨拶をすると「美音ちゃん久しぶりね。来てくれて嬉しいわ」と笑顔を向けられた。何だか恥かしかった。
「圭史は大体、練習終わってからテニス部の子達と一緒にお昼食べてくるのよ。それから帰って来るから。もう暫くしたら帰って来ると思うから」
「あ、はい。あの、迷惑だったらすみません」
私はたまらずそう言うと、おばさんは尚笑顔になって言った。
「いいのよ、来てくれて嬉しいから。うちの息子でよかったらどんどん使ってやって。他にも大きいのと小さいのもいるし。息子達も美音ちゃんだったら喜ぶから」
それがどんな意味を持っているのかは分からなかったけど、顔が赤くなった私は言った。
「あ、いえ……。圭史君には学校でいつも教えて貰ってるので……」
自分でも何を言おうとしているのか分からなくなっていた。
そんな中で、やっぱり来ない方が良かったかな、なんていう事も考えていた。
 だけど、実際に彼が帰ってきたのを聞いて、そんな思いは消え去っていたんだけど。
「お帰りなさい」と顔を出したら、凄い驚いた顔をしていた。一瞬動きがとまった様にも見えて「あ、やっぱり迷惑だったかな」と思ったんだけど、首に巻かれたマフラーを目にして現金にも喜びが広がっていたんだ。
私が贈ったマフラー使ってくれてるという事がすごい嬉しかった。
 着替え終えた彼がリビングにやってきておばさんに言っていた。キッチン寒いし部屋でいいかって。
たったそれだけの台詞なんだけど、瀧野くんの気遣いが凝縮されているなと思ったんだ。
これがタカと私だったら別に何も気にしない。お互いの親も取り立て気にしないで部屋に上げている。一応性別は違うんだけど、お互いの親がこの二人は大丈夫って思っているのが分かる。当人同士もそうなんだけど。そういう意識全くない。
だけど、それはタカと私だけの場合だけであって、他では通用しない事なんだ。
部屋に異性を入れること。それは気をつけなくちゃいけない事があるんだなぁって思った。

 案内されて部屋に入った。なんかすんごい緊張していた。
これが同じ小学校の男子だったら絶対違ってた。何にも気にしてなかったと思う。
気にせず男子の部屋に入っていたあの頃が子供だったと言えば、それまでなんだけど。
 彼の部屋で二人きり、緊張しないと言ったら嘘になる。だけど、こんな風に一緒にいられて嬉しいと思うの事実。彼の空間だし、普段は見えない彼の内面を見ているようで。
でも、気にしないようにして数学の問題を広げた。今日の目的はコレ。
気を逸らすようにしてやっていたら、やけに進みが良く感じた。
出来る所までやろう、という事になって、私が分からない所を聞く以外黙々と勉強していた。
 大分時間が経った頃、おばさんに呼ばれて彼は部屋を出て行った。
休憩しなさいとおやつを用意してくれたみたいで。
それからはそれをご馳走になりながら二人でお喋りをしていた。
学校にいる時では話せない事とか。どれも他愛な話だけど、楽しかったんだ。

「いつも冬休みとかどう過ごしてるの?」
ずっと気になってたから聞いてみた。
それに嫌な顔せず彼は答えてくれていた。殆ど毎日部活だって。体育会系は大変みたい。
反対に私も聞かれたから素直に答えた。何となく話が途切れた時、目を伏せたままの彼が訊いてきたんだ。
「……春日は、バイト先の人とどこか行ったりとか……」
「ううん、殆どしない。っていうか、した事ない、な。それは生徒会メンバーも同じかな」
「へー、結構休みの日でも会ってそうな感じがするけど」
「不思議とそういう話はあんまり出ないよ。放課後とかよく一緒にいる分、休みの日まで……っていう感じじゃないかな。瀧野くんは谷折君と休みの日もよく一緒にいるの?」
「いないいない。学校のない日も部活で毎日顔合わせてるから、たまのオフの日まであいつの顔見たくない」
「ははははは。あんまり谷折君愛されてないんだね」
「当然。冬休みは他に始業式の2日前しかオフの日ないのに」
「貴重な1日?」
「そう。……」
「そっか」
そんな話をして顔には笑顔を浮かべていたけど、本当は最初に訊かれた時、心臓がどきっと言ったんだ。そんな事を聞かれるとは思っていなかったから。思わず、小さくどういう意味なのか気になったりはしたんだけど、でも聞ける訳が無い。そんなこと。
それに、変な事を言ってこの空気を壊したくは無かったから。
 ちょっとの間が空いた後、彼が私に目を向けた。その表情がいつもと違うものに見えたと思った次の瞬間だった。
「その日、映画見に行かない?」
「映画?」
思ってもいなかった事にそう聞き返していたんだ。
「あ、うん。兄貴が、彼女に振られていらなくなった映画の券2枚安値で売ってくれたんだけど、……良かったら」
功志さん振られちゃったのかぁ。それを聞いたらお母さん、私が慰めてあげたいとか言うんだろうな。何て事を考えてしまった。
「あ、うん。じゃあ半分出すよ、お金」
何も考える事無く私はそう言っていた。素直に嬉しかった。
「いいよ。その、マフラーのお礼」
「え?いいの?」
「うん」
そう言われてなんか嬉しいのと恥かしいのとがごちゃまぜになった。
「……ありがとう」
やっとの思いでそう言った……。
そして、彼が出してくれた映画の券は私が見たいと思っていた奴だったんだ。
「あ、これ見たいって思ってたやつ!」
思わずそう言ったら、彼は笑顔で言った。
「うん。それ、春日が持ってて」
「うん」
生徒会室で話していた事があった。その時にいたのは彼と亮太の3人で。
確か亮太とその話をしていたと思う。そんな事を覚えてくれていたんだと思ったら嬉しくなった。きっと、私が見たいって言っていたから誘ってくれたのかな。
待ち合わせの場所と時間を決めて、まだ休憩をしていた。
おやつの中に見慣れない物があって、試しに食べてみたら洋酒の入ったチョコだったんだ。私、これダメなんだよね。慌ててジュースで流し込んだ。
瀧野くんはコレ好物なんだって。美味しそうに食べるからもう一度挑戦してみたんだけどやっぱりダメだった。次第に頭がボーっとしてきた。多分、目も虚ろになっていたと思う。そんな時だったと思う。いつもとは違う私にいつもと違う事を訊いてきたのは。
「……春日?」
「なぁに?」
ふわふわして、いつもより現実感が無かった。そのせいもあって間延びした言い方をしていたと思う。
「……バイト先で、気になる人、とか、いる?」
「んー、いない」
思いも寄らなかった質問だった。だけど、素面じゃない私は普通に答えていたんだ。
「じゃあ、学校でとかは?」
本人に聞かれて、はいあなたです、なんて言えない。だけど、いないとは言えない。
「んー?ふふふふふ。なんで?」
私はズルイからそう切り替えした。
「……うん、……」
困ったように彼は口を閉じてしまった。
何かを考え込んでいるのだろうか。ぐらぐらする頭を支えながら彼を見つめていた。
すぐ近くにいる彼を。この空間がとても居心地良くてこのまま眠ってしまいたいくらい。
ううん、本当ならこのままずっと彼を眺めていたいと思った。
その後はあんまり覚えていない。少し眠っていたんだ。はっと目を開けたら彼の姿が無くて、さっきのは夢じゃなく、下に行ったままなんだと。
「……気になる人、か……」
思わず口に出していた。
誰かに聞く様に頼まれたとか?でも、映画に誘ってくれたし。
「……気にしないでおこう」
自分に言い聞かすように言ってから、横に置いたままの数学の宿題を目にした。
何となく顔を合わせにくく感じたので、それを広げて勉強を開始した。
そうしていなければ、余計な事を陥ったように考え込んでしまいそうで怖かったから。
あんまり怖いことは考えたくない。

 黙々と問題を解いていた。また解けないのが出てきて、それを教えてもらっていた。
丁度それが終わった頃だった。急にドアが開かれたのは。バタン!という大きな音に、私はびっくりして「わ!」と声を上げて胸を押さえたんだ。
ドアに顔を向けた瀧野くんは不機嫌そうに声を上げていた。
「お前なぁ開ける時はノックぐらいしろよ」
「だってさ、部屋にいるって言うから〜大丈夫かと思って」
「はぁ?」
それは弟の広司君だった。瀧野くんの声から逃げるようにヒロ君は私が座っている横に来た。
「お姉ちゃん、何してるの?」
「冬休みの宿題の数学だよ」
「へー」
真音より一つ下のヒロ君は可愛いと思う。私が一緒に遊びに来た時、ヒロ君はいつも寄ってきて遊ぼうって言うんだ。私もそれが嬉しくて何度か来たこともあった。
「何でけい兄と?」
「分からないとこ教えてもらってるの私」
「えー?けい兄じゃ頼り……」
と言った所でヒロ君は殴られてました。
「勉強の邪魔」
瀧野くんにそう言われてヒロ君はしぶしぶと言った様子で立ち上がった。そして、私を見るので笑顔で「またね」と手を振っておいた。
それでも名残惜しそうに部屋から後一歩出て行かないヒロ君に瀧野くんは言葉を放っていた。
「邪魔だ、行け」
弟に見せるだけの威圧的な眼差しで。こういう顔もするんだ、と思いながら私は眺めていたんだ。
知らない彼を一つ知ることが出来て嬉しいと思った。
 お母さんがそろそろ帰るというので、私も一緒に帰ることにした。
片付けながら彼と言葉を交わす。
「ありがとう。数学、思っていたより大分早く進んだよ」
「うん、俺も。分からない所出てきたら又聞いて」
「うん。えーと、じゃあ、又ね?」
「またね」
彼の部屋を出て玄関で待っている母親の所へ行った。
そこにはおばさんも居て、私は笑顔で言ったんだ。
「どうもお邪魔しました。数学、大分進んで大助かりです」
「あら本当?あの子ちゃんと教えてた?」
「はい、とても分かり易いんです。数学嫌いが大分マシになりました」
「それだったらいいんだけど。美音ちゃん、また来てね。おばさん待ってるから」
「はい、また」
そして、お母さんと瀧野家を後にした。
瀧野家3兄弟のうち、2人と会えた母親は上機嫌だった。
……多分、この母はミーハーなのだと思う……。

 機嫌の良いまま新年を迎えた。
今回初めて彼に年賀状を送ったんだ。それが数日遅れて彼から年賀状が届いた。
たった1枚の紙なんだけど、私には十分な物でそれだけで幸せな気分になった。

 そして、冬休みが残り僅かで終わろうとする頃、初売りセールで買った服を着て出かける準備をしていた。
持っている服では納得できなくて真音と買いに行ったんだ。普段いいなぁ欲しいなぁと思っても買うまでには至らなかった服。でも今回は意を決して買ったんだ。
さすがに普段着では気が引けて。
時間よりゆとりを持って家を出た。待ち合わせは駅の改札口。
柱を背にして待っていたんだ。そしたら、いつの間にやら視界に男の人2人がいて。
心の中で、早くどっか行ってくれないかなぁと思っていたんだ。嫌な感じを受けながら。
だけど、その人たちは近寄ってきて声を放ってきた。
「ねぇ、誰待ってんの?」
私の顔は歪んだろう。嫌だと思うのが出てしまった。だけど、それを無視して尚言って来る。
「友達だったら、奢るから一緒に」
その嫌悪感に体が固まるのを感じた。絶対返事なんかするもんか、と思いながら。でも本当は怖かったんだ。
「ちょっと」
急に荒いだ声に、反射的にびくっとなった。
……怖い。
そう思った時だった。
「ごめん、お待たせ」
そう声が聞こえてきた次の瞬間には、腕を掴まれて改札口に引っ張られていた。
顔を上げれば、それは彼で。すんごくほっとしたんだ。ほっとしてなんか泣きたくなってたんだ。
それまであった嫌な感じもどこかへ消えてしまった。
彼が現れただけで、空気が変わってしまうんだ。

 上映時間までまだ時間があったから近くの店で早い昼食を取った。
こんな事さえにも少なからず緊張していて、でもなんだかワクワクしていて。不思議な感情だったけど嫌じゃなかった。相手が瀧野君で良かったと心底思っていた。
 ふと話が私服の話になって、今日の私の服装も話題になった。
妹と行った初売りセールで、気に入って諦め切れなかったから買ったんだ。って言ったら似合ってるって言ってもらえた。たったそれだけの台詞なんだけどあんまりにも嬉しくて笑顔になっていたんだ。こんな自分がいたのも驚きだけど。こんな風に素直に笑顔になっているのも驚きだけど。今日の為にとめかし込んで、それを相手に褒められたらすんごく嬉しいんだね。初めて経験したよ、こんな気持ち。
 以前、先輩と外で会った時、服装の事を良く言われたんだけど、あの時は何とも思わなかった。ああ、そうですか。って感じに。きっと相手にも寄るんだね。
 時間が近づいてきて、映画館に向かってる時、ふと気がついた。
私もそうだけど、瀧野くんが視線を浴びてる事に。女の子は瀧野くんに目を向けて行ってるよ?そして、その流れで私のほうにも目を向けられるんだけど。
……傍から見たら、どう見えるんだろう?
そんな事を思って、心臓がどきっと鳴った。あまり慣れない事を考えると心臓がパンクしそうになる。タカと二人で出かけても全然平気なのに。そんな事何も思わないのに。
 そして、彼に目を向けてみて、そのかっこよさに笑みが零れた。
この格好をしてきて良かったと思った。いつもの服装だったら、今頃落ち込んでるかな。
普段は女の子らしいとは遠い服装をしているから。
 館内に入り、通路を真っ直ぐに行った。そして適当な場所の椅子に腰を下ろした。勿論、彼と隣同士。たったそれだけのこと。今まで学校で何度もあった事だろうに、今はやたらと緊張する。
だけど、その緊張も、映画が始まり話が進んでいくといつの間にやら消えていた。
思っていた通りとても面白い映画だった。終わりの方はずっと感動してて涙が出っ放しだった。エンディングが始まるとあちらこちらで席を立つ人が見られた。最後まで待たず混雑を避けて帰るんだろう。だけど、私はまだぐしぐしとしていたので立てる状況じゃなかった。彼はそれを分かっているのかただ静かに待ってくれているようだった。
言葉の無い気遣いが凄く伝わってきて心が温かくなるようだった。
 彼の優しさはいつもそんなだった。心に染み入るような優しさ。私には真似できなくて、彼の温かさに救われるような気持ちになるんだ。

 外に出て映画の話をしながら、何となく駅に向かって歩いていた。
でも行きよりもゆっくりの歩調だった。そして、途中で見かけたゲーム館。奪われたように見ていると、それに気づいた彼が「寄って行ってみようか」と言ってくれた。
本当はまだ帰りたくないし、ゲームの類は好きだったから誘ってみようかな、なんて思っていたところだったんだ。だから、先に彼に言われて、何だかくすぐったいような嬉しいような変な気持ちになって、どんな顔をしたら良いのかわからなくなって思わず顔を伏せてしまった。そんな風に思う自分がなんだか恥かしくて。
 好きなゲームを見つける度に、瀧野くんを誘っていった。
内容は女の子らしいとは程遠いものばかりだったけど。だけど、好きなものだし、今更変にぶりっ子になるのもおかしいし、素直にしたいものはしようと思って。
だけど、二人でいる時に、お手洗いは言いにくい。言うのに凄い勇気がいる……。我慢する気はなくても中々言い出せなくて我慢してしまう。どうにかこうにか告げてからお手洗いに向かったんだ。急ぎ足で向かって行ったんだけど、その途中に見覚えのある顔があった様な気がした。だけど、それについて深くを考えている場合じゃなくてその場は流したんだけど。用を済ませてゆったりとした気分で歩いている時、ふと思った。
見覚えのある顔だったんだけど、向こうもこっちに気がついて見ていたような気がする。
どこで見た顔だったっけ?……そう考えてみて、はっと浮かんだ。2年実行委員の一人。
……まさかね?そんな偶然もないでしょう、と思い気にしないでおくことにした。
 瀧野くんはどこにいるかな、と思いながら歩いていたら、とある占いに気がついた。
いつもならそんなにやろうとはしないんだけど、その説明がやけに気になる文面で。
「恋愛価値観」―これはもうやらないといけないでしょう。
瀧野くんに見つからないうちに……。そう思ってこっそりとやっていたつもりだったんだけど、不意に隣に来てコインを入れていた瀧野くんがいた。いつのまに横に来ていたんだろう。
占いをするのに生年月日を入れなくてはいけない。自分のを入れてから横を覗いて見る。初めて瀧野くんの誕生日を知った。好きな人の誕生日って知りたいものなんだよね。なんか嬉しくなったりとかして。
結果が出てきたら夢中で読んでた私。結構面白かった。こんな風に二人で戯れる日が来るなんて思ってもいなかった。とても楽しかった。
診断結果を見せてと言われて「後でね」と言ったんだ。なんか見られるのを恥かしく感じたから。後でって言ってたら、帰る間に忘れちゃうかなあと思って。

 ようやっと家に向かって帰りだした頃、街中は人混みにごった返していた。
休日の夕刻はいろんな人で溢れていた。履きなれないブーツに慣れない短めのスカートでは、中々身動きが取れない。必死で彼についていこうとするんだけど、おたおたしているうちに人ごみに流されてしまう。早く追いつかなくちゃと内心焦りながら足を動かしていた。そこに名前を呼ばれて顔を上げたら、彼は足を止めて待っていてくれた。そして、やっと追いついた私の手をすっと繋いでくれて今度はさっきよりもゆっくりと歩き出した彼。
ごく自然に繋がられていて。何度も助けられた彼の手の温もりにほっとしながらも嬉しく感じた。
まるでデートみたい。
ふんわりとそう思って、嬉しさと共に笑みが零れていた。
ずっと彼とこうしていたくて。その想いが通じているのか、改札口を通るのに一旦手を離しても、ごく当たり前のように再び手を繋いでいる。
それが嬉しくて。こうしていられるのが嬉しくて。彼が隣にいるのが嬉しくて。
嬉しくて彼をじっと見つめていた。まるで惹きつけられる様に。
二人の間に言葉は無かったんだけど心地よい空気だった。視線に気がついた彼がこちらを振り向く。それさえも嬉しく思って、自然と笑顔を返していた。彼も微笑んで返してくれる。そのやり取りさえ、私は幸せに思う。
こんな幸福感、今までは知らなかった。
目が合っただけでも嬉しい。同じ場所にいるだけでも嬉しい。微かに触れ得ただけでも嬉しい。声を聞けるだけでも、顔を見れるだけでも、彼の何かを一つ知っただけでも。
 これを、何て言うんだろう。
その溢れんばかりの想いは顔に出ているようで、始終ニコニコしていたと思う。
 電車に乗っている間も、彼から目が逸らせなかった。また彼がこちらを向いて目があった。だから、自然と言っていた。
「今日、楽しかったね」
正真正銘の私の気持ち。今日一日を彼と過ごしての。
そうしたら、彼は言ってくれたんだ。
「うん。……また、ね?」
それに凄く嬉しくなって、すぐ「うん」と答えていた私。
普段の私からは想像も出来ないくらい素直で、一番女の子らしい時だったと思う。
抵抗ある「女の子らしいと言われる姿」なのに、それを微塵も感じないくらい、私は彼への想いで一杯だった。彼の事で一杯だった。
 この時間がずっと続けばいいのに。密かにそう思っていたかもしれない。
あとは帰るだけか……、寂しく感じながらそう思った頃、彼が言った。
「あ、占いの結果、まだ見せてもらってない」
「……え?覚えてたの?」
もう絶対忘れていると思っていたのに。
「覚えてるよ、ちゃんと」
彼の顔が誤魔化そうとしていたのはバレバレだといっている。
まだ一緒にいたい気持ちも手伝って公園に寄って行く事にした。
「あ、ホットドリンク買ってくるから待ってて」
「あ、うん」
彼の台詞に顔を上げて頷くと、笑顔を向けて駆けていってしまった。
彼はいつも些細な気遣いをしてくれる。じっとしているには寒いからとホットドリンクを買いに行ってくれたんだって、彼の後ろ姿を見ながら思った。
私はそういう事にその場で気付かないどんくさい子で……。
 彼が差し出してくれた飲み物は、ホットミルクティーとホット緑茶だった。
どちらも私が良く好んで飲むもの。緑茶でも良かったんだけど、彼の事を思ってミルクティーを選んだ。だって、彼は、本当は甘いものはあんまり好まないから。
そんな話を、昔お母さんづてに聞いたことがあった。
 彼から受け取ったドリンクはほっとする温かさだった。彼の優しさにお礼を言うように小さくぺこりと頭でお辞儀すると言った。
「いただきます」
「はい」
それに答えてくれた優しい彼の声。尚心に染みていくようだった。
隣で彼は簡単に開けて飲んでいた。だけど、私のほうは何度指をかけてみても滑るばかりでプルトックを開けるに至らなかった。
「あいたたた」と言いながら手を振っていた。
それを見た彼が「貸して」と言って持って行って簡単に開けてくれた。
彼の、スマートな優しさ。他の人には真似できないものだと思う。
「ありがと」
それにはにかんだ笑顔でお礼を言っていた。
彼の優しさってごく自然に心に入ってくるんだよね。抵抗無く。
だから、私は彼に対して素直になるんだろう。普段は、男子に対して可愛くない態度しか取れないから。例え自分で可愛くないと分かっていても。
 自分は自分。可愛くないと思われても私は何者にも代わらない。
いつもそう思っていたのに、彼の傍にいると不思議と心は変化していた。
 それはなんでなんだろう。

今日ゲーム館でした占いの診断書を交換して見た。読んでいて楽しかった。
知られざる一面を知ったようなそんな楽しさだった。
それから、相性診断書があった事もふと思い出した。その事を聞いてみたら、彼がその用紙を持っていた。ちょっと驚きだった。
「でも、すごいよ?それでも見る?」
何か意味ありげに言った彼の言葉。いつものクセでムキになって言っていた。
「うん、見るよ。見せて」
ふっと微笑を浮かべた彼はすっと差し出してくれた。こういう対応が彼は大人だと思うんだ。そして、敵わないと思うんだ。
診断書には点数が出てた。その数字を見て本当に驚いたんだ。あまりにも良い数字に。94%って100%に近い数字。あまりの驚きに声が出なかった。
 読み終えて畳み直している時に彼が訊いて来た。
「で、どうでした?」
まさか訊かれるとは思っていなかったから気の利いた言葉も出なかったんだけど。
「え?……驚いた。こんな点本当に出る事ってあるんだーって思って」
それを聞いた彼が苦笑いしたのを見て「あ、しまった」と思った。
言うべきじゃなかったって思った。
その台詞で今まで散々してきたというのがばれてしまった。ニュアンス的に。
心臓は嫌な音を奏でていた。
……でも、今は違うんだよ?
そう思ってみても、言える訳が無い。そんな勇気も出ない。
 嫌な過去、全部消してしまえたらいいのに。
そんな事を思ってしまう。

 ……そんな私なのに、彼はどうして誘ってくれたんだろう。
マフラーのお礼だって分かってる。分かってるけど、だけど、その他の理由を聞きたい自分がいた。
お礼だって言うんなら、チケットを「あげる」だけで済む事だから。
一緒に行ってくれた理由は?
ドキドキと期待する自分がいる。不相応にもそう思ってしまう私がいる。
彼も映画を見たかったから。だから。折角だからって。
そう思っても、私は納得し得なくて。それを聞いてみたくて……。

「……そろそろ、……」
「あ、うん」
彼の言葉にベンチから立ち上がって公園の出口に向かい始める。
私は彼をじっと見つめていた。まるで引力でもあるように他を見ることが出来なくなってた。彼に向かう気持ちがそうさせていた。きっと、心の中で何度も彼の名を呼んでいた。
その視線に気づいて彼は振り向くのだけど。目が合った私はごく自然に笑顔を向ける。そんな自分がらしくないとは思いつつも、彼への想いにはそうなってしまうんだ。
だけど、いつも笑顔を返してくれる彼が今回は違った。
彼の頬が少し赤く染まり、意識されたように顔を逸らされてしまった。
それに私の心臓がどきんと声を上げる。
変にドキドキし始める心臓。変に期待してしまう心。
いつもとちょっと違う空気に、背中を押されるように声を出していた。
「……あの、瀧野くん、今日は、……」
なけなしの勇気を振り絞って口から出たそれ。
こちらを振り向いた彼の顔を見ると、そんな勇気は跡形もなく消え去った。
残ったのは情けない自分だけ。
ついさっきの自分を押し隠して、いつもの様子を装って、笑顔を向ける。そして言う。
「誘ってくれて、ありがとう。楽しかった」
「うん、こっちこそ」
それに笑顔で返してくれた彼。
ほっとする反面、行き場を失った台詞に少し悲しくなっていた。
本当に言いたい言葉はそれじゃなかったのに。
……でも、言えない。
 ……どうして誘ってくれたの?その一言が。
些細な言葉のようだけど、言ってしまえば大きい事になってしまう気がして。
今まであったものが一瞬にして消えてしまうような気がして、……言えなかった。
でも、きっとそれは、ずるい言葉だ。
自分の伝えたい本心を隠しているのに、自分だけが求める答えを知ろうとする卑怯な台詞だ。
……言えない。言っちゃいけない。

 ぐちゃぐちゃと歩きながら考えていたから、何かに思い切り躓いてしまった。
地面と衝突だと思った。
だけど、私の体は予想した衝撃は襲ってこなかった。
躓いた足は痛かったのだけど。
数秒して彼が抱きとめてくれたのだと理解した。
一瞬の驚きに心臓はまだドキドキ言っている。だけど、感じる彼の温もり。
居心地の良いそれに私は次第に落ち着いていった。そして、はっと我に返り声を出す。
「あ、ごめん……」
その後、少しだけ冷たい風を感じた。
「あ、大丈夫?」
咄嗟の事に彼も驚きが残っている様子だった。
申し訳ない気持ちが一杯で彼にお礼を言った。
「うん、ありがとう。大丈夫」
何事もなかったかのように歩き出した。
あーびっくりした。また助けられちゃった。
心の中でそう思って歩いていた。その直後、ふっとほんの一瞬の温もりを思い出したような気がした。ほんの一瞬、彼に抱き締められたような感覚。
それにピタッと足を止めていた。
え?まさか。
そんな気持ちで。……多分、気のせい。だと思った時、振り向いた彼が、いつもと変わらない笑顔で言った。
「どうかした?」
もしそうだったら、もっと違う反応だっただろう。
「う、ううん、なんでも、ない」
どうにか笑顔で返して歩き始めた。
でも、心臓がドキドキいっている。
 私の目は彼の手を見つめていた。
ここに入るまでは、確かに感触があった彼の手。
今はすっかり距離が出来てしまったけど。
 なんだかそれから家に着くまで、ぎこちなさだけが残ってしまった。
衝動的に聞こうとして残ってしまった後味の悪さだけ。
 彼の一言一句が気になって仕方がない。彼の素振りにだって。
そのいつもと違う私に、きっと彼はやり難さを感じているのかもしれない。
なんかいつもと彼の様子が違っていたから。
 家まで送ってくれた彼が、今度は私を後にして自分の家に向かっていく。
その後ろ姿をずっと見つめていたい気持ちになっていた。
彼の背中が角を曲がって見えなくなっても。
 こんな気持ちを何と言うんだろう。
切なくて淋しいような、でも心が一杯の想い。

……そうか。片想い、なんだ。
それは立派な片想いだった。彼にだけに向かういろんな気持ち。いろんな想い。
それが私の心を一杯にする。

明かりの無い空を見上げて私は満足げに微笑んだ。
自分の中にある彼への思いを胸に抱いて。
 それは、彼が好きという正真正銘私の真実の想いが心一杯に広がっていた。
そして、誰もいない、誰の耳にも届かない言葉を小さく口にした。
「瀧野くんが、好き」
どきどきと奏でる心臓に私は満たされる想いでいっぱいだった……。

2006.11.29


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