時の雫-紡がれていく想い

零度の距離 -1


§9-10

 自分の想いを認識した後、……そう球技大会が終わった後、私はあまりの体のしんどさに生徒会室のソファに身を預けて休んでいた。
その日の仕事は無しにしたから、部屋にいるのは私一人、と思っていた。
 疲れにいつの間にか眠っていて、誰かの話し声で目を覚ました。
休んでいたのは少しの時間だったと思う。だけど、十分体はラクになった。
寝起きに伸びをして腕を下ろしてから何気なく目を向けた先に瀧野くんがいて、……もう本当に驚いた。
それは心臓に何かが突き刺したのかと思ったくらいの衝撃。
私の驚きとはよそに、彼の口に笑みが浮かんだのを見たんだ。
それは決して意地悪な笑みではなかったけど。どちらかというと優しいものだったけど。
だけど、私を動揺させるには十分のものだった。
 気持ちを認める前と認めた後では心臓の反応が違った。
やたらとけたたましくドキドキ鳴っている。
何故か緊張してしまって、彼に顔を向けることさえ難題のように思われた。
彼を気にしないようにしても気になっている。
意識し過ぎて彼と目を合わす事も出来なくて、彼からの視線を感じると勝手に顔が赤くなっている。
認めてしまって、コレだけはしまったと思った……。
彼に顔を向けていなくても、自分の背中にレーダーがついているのかと思うくらい彼に反応している。反応すればするほど私の動きはぎこちなくなるというのに。

きっと彼は、寝顔を又見られてあたふたしてると思っているんだろう。
それはそれで、助かったな、と思っていた。

 生徒会室での時間を終えると帰路についた。
校門を出て道の途中で亮太とは別れる。亮太はバス通学だったから。
小さく手を振り笑顔で別れた後、日が沈もうとしている空を視界に入れつつ駅に向かって歩いていた。二人になったばかりの最初の時間、何とはなしに沈黙になっていた。
だけど、私の心臓は小さくてもドキドキと小走りのように音をたてている。

 気持ちを認めてしまうと、こうも違うものなのだろうか。
明らかに昨日二人でいた時と、私の緊張が違う。
彼の存在を隣に感じているだけで、ゆとりをなくしてしまった猫のように私はぎこちない。
何か喋ろうと思っても話題は浮かばない。適当に何かを言おうとしても言葉は口を割って出てこない。
なんて恋って厄介な代物なんだろう。
恋をするだけで全てが違って見える。このいつも見慣れている景色も、この時間も。
……本当は、恋なんてただの錯覚なんじゃないだろうか。そう思ってみても、私の心臓はドキドキいっている。確かに特別な音を奏でている。
改めて思う。私は彼が好きなんだと。
彼を隣に感じながらそう思うと、なんだか幸せな気持ちがこの身に広がっていった。
まるで空白だった空間に温かい何かが満たされたような、そんな感覚だった。
思わず何かに感謝せずにはいられない。この気持ちに気づかせてもらったことに。
思わず何かに祈らずにいられない。この気持ちが昔のように他の人によって壊されないようにと。
 たとえ実らなくても。彼が気づかぬままこの世界が終わってしまっても。
この気持ちがあるだけで幸せだと思った。

静かな空気の中、言葉を口に出したのは彼の方からだった。
「今日も生徒会は仕事に追われてたね」
「あ、うん。行事で暇な時って殆ど無い、かな。実行委員もお疲れ様でした」
「うん。でも春日に比べれば」
「そんなこと無いよ。それぞれがそれぞれの仕事に大変だから」
そんな私の話にも、彼は微笑を浮かべて聞いてくれていた。彼の優しい空気はそんな時も醸し出されていて、私は自然と安心するんだ。シャットアウトされてない、話していいんだって。
「最後のリレーって予定には無かった、よな?」
「うん、突然先生に言われたみたい。時間が予定より早く終わったから余興しろって。で、他にする事もなく流れ的にリレーで」
「うん、放送聞いて少し驚いたから。それに春日が出てるのにもちょっと驚いた」
「え?」
彼の台詞に思わず声を出してしまった。出してからしまったと思った。だって、かすかに声が裏返ったんだもの。
「な、なんで?」
慌ててそう口にすると、彼は進行方向に顔を向けたまま言った。
「……春日がああいうのに出ることあんまりなかったろ?」
「……あー、うん」
分かられているそれに、気まずくなって顔を逸らしてしまった。遠回しに理由を聞かれているような気がした。だけど、答えられず曖昧にして口を閉じてしまった。
正直、触れられたくない話。正直には話せないでしょう、さすがに。
 このまま、都合よく話が流れて変わってくれないかな。
と思っていたら訊かれてしまった。
「今回はなんで?」
「……誘われてね、気が向いたから出てみたんだ。ただそれだけ」
何て言えば良いのか正直困ったけど、そういう台詞しか出てこなかった。他に言える事はないし、少しでも含みの在る言い方をすれば追求されそうで怖い。
言い終えた後、何かを聞かれたらどうしようかと思って緊張していた。
でも彼はその時何も言わなかった。
感じるのは形容しがたい空気だけ。何かを孕んだような奇妙な沈黙。
 そーっと窺うように彼を見た。
彼は何かを計るような目で私を見ていた。
そんな彼を見て、油断すればこっちがぼろを出してしまうんじゃないかと思ったけど、とりあえず笑顔を向けてみた。にこ、と。
だけど、彼はそれに誤魔化される事なんてなく静かな口調で言ったんだ。
「……それだけで?」
短い言葉に聞こえるけど、私には長い文章に聞こえていた。いろんな問がその中には隠れているような気がして、額には汗が浮かんでくるような感じがしていた。
それに、彼は私の反応をしっかりと見ているんだもの。
だけど、私は気づかないフリをする。
「うん、……何かおかしいかな」
自然と目は逸らしていた。そう言いつつも心臓はドキドキ。
「うーん……。おかしいというより珍しい、かな」
言葉に困った様子の彼。だけど、そういう反応を装っているのだと何となく分かっていた。
「そっかな」
笑顔でそう言った私。
キッパリと聞かれたらどうしようか、どう返そうか、そんな事を思っていると、彼の声が聞こえてきた。
「…………そっか」
一見、会話が噛み合っていない様な気もするだろうけど、意味は通じていた。
詳しく説明する言葉たちが無くても。
とりあえず、これでこの話は終わった事に、内心ほっとした。
と思っていたら、少し間が空いてから彼が再び。
「本当に気が向いただけで?」
心臓がどきー!と鳴ったよ、その瞬間。
「うん、そうだよ」
それでも顔は笑顔でそう答えた私。
歩きながらも彼の視線は私に向けられている。内心、嫌な汗が浮かぶのを感じていたけど、それでも必死に気づかないフリをして。
「……ふぅん」
ポツリと呟かれた彼のそれ。
心臓は穏やかでは決してなかったけど、でも、何度問われたとしても、いくらなんでも言えるわけが無い。
 そして、それを最後にもう聞かれることは無かった。



 学校の無い土日はバイトに行っていた。
バイトに向かう道でも、休憩中でも、ふと彼の顔を思い浮かべていた。
そうすると、自然と顔は笑顔になって心も何かに湧きあがるような感情を感じて、頑張ろうっていう気になる。家に帰って、机に向かって勉強する時でもそれは同じだった。
今までと変わらない生活のはずなのに、確実に私の心は変わっていて不思議なパワーの源を感じている。
 月曜日の朝、いつもより鏡を眺めている時間が長くなったような気がする。
いつもとかわらないはずの顔。なのに、変わった様にも見える。
思い出したように時計を見て、慌てて家を出る。十分に学校には間に合う時間なんだけど。
先週と違って、駅に向かう足取りは軽かった。心も軽く感じていた。
ワクワクする心、ドキドキいう心臓。それは、私は彼に会うことを意識しているからだった。そして、学校に向かう中、彼の姿を見つけたら何かを思うより先に体は動いていた。彼の元へと小走りにより声をかける。
「おはよう」
彼は足を止めてから振り向いて、挨拶を返してくれる。
たったそれだけの事なのに、私はとても嬉しく感じるんだ。
日常の些細な事。だけど、私には十分幸せに感じる出来事だった。

 本当に不思議だった。
彼を想う度、心が温かくなる。
彼の姿を見かけるだけで嬉しくなる。
彼の声を聞くだけで幸せだと感じる。
一日の中でたった数秒でも彼との時間を持てただけでも喜びを感じる。
 彼との出来事を忘れてしまうのは勿体無いと感じるくらい。
全部全部覚えていたい。そんな事を思ってしまう。
まるで、彼が鮮やかな色を与えてくれたみたいに、私の心は変わっていた。
 こんな自分がいたんだと、そうぼんやりと思った。


以前とは違う感覚を感じながら、日々を過ごしていった。
彼との些細な時間に満足している私は他に何かを望む事もなく、ただ毎日が楽しかった。
そうすると、時間の流れがあっという間に感じて、気がつけばもう12月。
そして、期末テストを通過し、あとは終業式を待つだけになっていた。
 テスト休みは、赤点を取っていない者にとっては本当にほね休みとなっていた。
いつもなら部活動で忙しいいさちゃんだけど、この日はフリーだというので一緒に買い物に出たんだ。
 街中はどこもクリスマス一色だった。街並みもどこの壁も窓ガラスも街路樹も。
日頃の鬱憤を晴らすように、二人でいろんな所を回った。勿論、買い物で。
気がつけばいさちゃんと落ち合ってから3時間が過ぎようとしている。お昼に待ち合わせたから今はもうすぐ3時。
近くにあった喫茶店に入って休憩していたら、丁度そこから見える物に気がついたんだ。
男物の手袋やマフラーが。
 すぐ私の頭には前の出来事が浮かんでいた。
期末テスト期間の登校時、急に冷え込んだ日があった。
マフラーを巻いている私には彼の姿が本当に寒そうに見えた。
「瀧野くん首さむそー」
「うん、寒い。春日はそれ暖かそう」
お気に入りのマフラーを見てそう言った彼に思わず私は言った。
「貸そうか?」
「ううん、いいよ」
だけど、彼は微笑んでそう言ったんだけど。
 彼がマフラーをしている姿は見たことなかった。
マフラーがあるだけでも結構違うのに。
 そして、飾られているマフラーを見て思わず声に出していたんだ。
「あ!あそこのマフラーいいなぁ」
一番最初に目に入ったのは、綺麗なグリーン。ちょっと水色に近いラインが入ったヤツ。爽やかそうなイメージが彼にぴったりだと思った。
だけど、すぐその横に置いてあるマフラーもいいなって思ったんだ。茶色でソフトな生地感でさりげない編み模様のランダムリブマフラー。
こういうのも凄く似合うだろうなって思って。
いさちゃんと会話をしながらだったのに、私の頭はその事で一杯になっていた。
「茶色の方が普段使えていいかな……」
グリーンの方だと返って目立つし、あわせるのが面倒かもしれないし。そう思って。
「で、誰にプレゼントするの?」
自分の作業をしながらそう訊ねてきたいさちゃんの言葉を聞いてはっとした。
「え?……え?あの、知り合い……」
そう言った後で、しまったかな、と思った。
なんで私そう言っちゃったんだろう。
だけど、本当の事を言うのは凄く恥ずかしく感じて、言えそうになかった。
でも、いさちゃんなのに。変に隠す方が……。ああ、だけど、なんて言ったら良いんだろう、今更……。
「もしかして、瀧野君、だったりとか?」
あう!と心臓が飛び出るかと思った。素直に頷けば良いのに、そうする事ができなくて。
「えと、お世話になってる人にお礼で……」
「そうなんだ」
「うん……」
嘘は言ってない。これも本当のこと。
いつも迷惑かけてるから、何かお礼したいなぁと思ってた。素直な気持ちで。
だけど、前の私だったら、このシーズンに買い物に出ていても、こういった物をプレゼントしようとは思わなかったかもしれない。だけど、何て言ったらいいのか分からない。
意味ありげに笑みでも向けられたらどうしようかと思って。
……でも、いさちゃんはそれ以上何も言わなかった。
いや、本当は分かっているのかもしれないけど。うーん、きっとばれちゃってるんだろうなぁ。
 言ってみようかな、と何度と思ったんだけど、結局言えないまま別れる時間になったんだ。

 何にでも合わせ易そうな茶色のマフラーを選んだんだ。優しくて柔らかな感じが瀧野くんに合いそうな気がして。
半ば、勢いで買ってしまったけど。
 家に帰ってから、机の上においてみて少し悩んだりもした。
マフラーなんて貰っても迷惑なだけかもしれない。
普段マフラーしないのは、マフラーが嫌だからかもしれないし。
それに、誰かからプレゼントを受け取ったりしないという話も聞いたことがある。
だとしたら、それに例外なんて無いだろうし。困ったように笑って「ごめん」なんて言われちゃうかもしれない。
……だけど、実際に渡してみない事には分からない。
単にコレは日頃のお礼というだけで、そういうモノではないのだから。
もしかしたら、……もしかしたら、いつものあの笑顔で「ありがと」とひょいと受け取ってくれちゃうかもしれないし。
感謝の気持ちなのだから、渡すだけ渡してみよう、そう思ったんだ。

 けれど、そんな私の想いは他人の手によって打ち壊されたんだ。

終業式の朝、一般生徒より早く登校する生徒会役員は、一番に教室に行って荷物を置く。
それから講堂へと準備に向かうんだ。
そして、ホームルームの終わりかけの頃に気づいた。カバンと一緒にかけていたはずの、彼への贈り物は姿を消していた。
クリスマスを表すように深い緑色の包装紙と紐のついた紙袋。大仰なリボンをつけてもらうのはやめたんだ。ちょっと地味目にしてもらった。少しでも目立たないようにと。
 だけど、それは無くて。
とても泣きたくなったよ。だけど、必死に堪えて終礼を終わるのを待って教室に出たんだ。廊下を出た所で、よその教室に寄っていたナミちゃんに会って言葉を交わしたのを覚えてる。
「春日ちゃん、今日も生徒会―?」
「あ、うん。ナミちゃんは部活?」
「うん、いつより早めに昼ごはん食べてから練習なんだ」
「そっか。頑張ってね」
「うん、春日ちゃんもね。じゃあね」
ナミちゃんは他にも寄る所があるようで私が向かう方向とは別に体を向けた。
本当はずっと聞いてみようかと迷っていたんだ。ここで聞かずにいて後でうじうじするのも嫌だと思って、思い切って言った。
「あ、あの、ね?」
いつもと違う様子に、ナミちゃんは首をかしげていた。
「うん?」
「どこに置いたか分からなくなっちゃって、これくらいの濃い緑の紙袋なんだけど、……見てない、よね?」
そう言いながらも本当は泣きそうになってた。いろんな感情が私の中を流れていく。
「うーん、置いてあるのを見たりはしなかったけど、似たようなのを誰かが持っていたような……」
頭を硬い何かで殴られたような衝撃を受けた。まさか、とは思った。その可能性を思い浮べては何度も否定していたのに。
「そっか……、分かった。ありがと。ナミちゃん、また3学期ね」
「あ、うん、良いお年を」
ナミちゃんの言葉に返す余裕もなく、生徒会室に行って荷物を置き、そして探しに出た。
無くなってからこんなに時間が経っていたら、見つからないだろうとも思っていた。
だけど、どうしても諦めきれない気持ちが湧いてくる。
 初めてだったから。
こんな風に何かを贈ろうとしたのは。
 彼に向けようとした感謝の気持ちを、こんな風に誰かに潰されるのは嫌だと思った。
どこをどう探すなんて事は頭になかった。だけど、探さずにいられなかった。
いろんな思いが頭の中を駆け巡っていく。その度に泣きそうになる。
だけど、必死に堪えて学校の中を見回していた。どこかに放り投げられていないだろうか、そう思って校舎の外に出たんだ。
あちこちの庭を探し回っていて、ふと頭に浮かんだのは焼却炉。
今日は大掃除もしていたから。
そう思いついた次の瞬間には走り出していた。
 いろんな思いを抱えて向かったら、生徒達が揉めている光景が目に入った。
これは以前にも見たことのある光景と同じ。男子テニス部のファンの子達と松内さんの姿があった。多勢に無勢で何かを奪い合っているのを見て、何かを考えるより先に声を上げていた。
「ちょっと!そこで何してるの!!」
すると、松内さんを残して彼女たちはいなくなってしまった。
急いで松内さんの所へと行き、彼女の安否を確かめたんだ。
前にあれだけ言ったのに。そんな怒りが私の中を駆け巡っていく。
だけど、思っていたより彼女は大丈夫な様子だった。それに安心の息を漏らした所に松内さんが言ったんだ。
「大丈夫です、なんともないです」
松内さんは転がったままの紙袋に手を伸ばすと、汚れを払い落としながら言った。
「これ、取り返そうとしてて……。春日さんの探し物」
そう言って差し出してくれた物は、私が探し回っていた物だった。ちょっと包装がくたびれてしまっているけど。
もうそれは渡せるような形にはなっていなくて。
……心に悲しみが広がっていた。

彼女と別れてから、私はその場にしゃがみ込んでしまった。
探し回っていた疲れがどっと押し寄せてきたような、そんな状態で。
ぼろぼろにされてしまった私の気持ちを眺めながら、ただ呆然としていた。
 木枯らしが私の髪を揺らしていく。
そして、それが向かった先は彼へ贈ろうと思っていたマフラーのような気がして、ふっと自嘲気味に笑みを溢していた。
 ……こんなもの、もう渡せない。渡せるわけが無い。
そう思ったら、目の前にある包みを手に持ってその場を立った。
向かうはすぐ近くにある焼却炉。
扉を開けて、そこへ放り込もうと腕を上げたんだ。
だけど、どうしても振り下ろせなかった。くしゃくしゃになったこれでは渡せないと分かっているのに。こんな気持ちで彼に贈れないと分かっているのに。
相反する気持ちで震える私の腕。
静かに腕を下ろして両手に持った。汚くなってしまった包装紙を剥がしてマフラーをぎゅっと握ると、紙だけを放り入れたんだ。
 ……クリスマスプレゼントなんて、用意するべきじゃなかったのかもしれない。
そう思いながら。
堪らずため息を吐いて、その場から離れると校舎の壁にもたれるようにして座り込んだ。
なんか、何をする気にもなれなかった。力の入らない体。何も考えられない頭と心。
そんな中で膝の上に置いたマフラーがやけに温かく感じていた。
 前まで、すべての事を否定して、何も見ないようにしていた事の罰なのかもしれない。
ふとそんな事を考えて空を見上げていた。真っ青な空。まだ陽射しがあるだけ暖かく感じる。風は冷たいんだけど。
 肌に感じながらも、私の頭は違う事を考えている。
あの子達に取ったら、私なんて言う人間は面白くない存在になるんだろう。
私が持っていたあの紙袋を、次に彼が持っているのを目にしたら……。きっとすごい心理状態になるんだろう。それを思えば、今の状態の方がましなのかもしれない……。
「さて、……どうしたものかな……」
 ぼんやりとたそがれていたら、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。
誰だろうと思って目を向けたら彼だった。
一瞬、何でこんな所に?にと思ったけどすぐ松内さんを思い出していた。
きっと、彼女が何か言ってくれたんだろう。
だって、彼の顔は心配をありありと浮かべているから。

 本当はこんな状態になってしまって、渡そうとは思っていなかった。
このまま生徒会室に戻って何事もなかったように一日を終えるのかとも思ったから。
 だけど、目の前にいる彼の首元がやっぱり寒そうに見える。
吹き付けていった風に身を強張らせる彼を見て、ああやっぱり渡したい、と素直な気持ちで思っていた。
だから、聞いたんだ。
「瀧野くんってマフラー持ってたっけ?」
「いや、持ってないよ」
「あったら、する?」
「うん」
その声に何のためらいも感じない。そのまんまを答えてくれたのだと分かった。
だから、この手に持っていたマフラーをすいっと差し出したんだ。
これは本当に、彼にと思って選んだものだから。
「……え?」
躊躇った様子の彼に私は全く動じず言った。
「あげる」
だけど、彼は戸惑ったままで手を伸ばそうとはしなかった。
「え?でも……」
「マフラーいらない?」
思わずそう聞いた私。いらなかったら捨てるだけだから。
「いや、そうじゃなくて……。本当にいいの?」
私がそう言ったのに、彼は心配げな顔でそう訊いてくる。何かに気を使っているのを感じ取った私はずっと頭に浮かべていた言葉たちを口に出したんだ。本当はこんなカタチじゃなくて、もっと違う形で渡したかったんだけど。
「……数学、教えてもらって順位がすごく上がったんだ。他にも色々助けてもらってるし、だから、そのお礼」
そう、その気持ちを伝えたかったんだ。彼に。手にしているカタチは当初と違っていたけど、伝えられて嬉しかった。だから、自然と笑顔になっていた。
そうしたら、彼は笑顔で答えてくれた。
「……そっか。ありがとう」
いつもに比べて静かでどこか淋しい感じのするものだった。
だけど、私はそれを気に留める事無く、思い描いていたものをこの目で確かめたくて聞いたんだ。
「ね、ね。巻いてみていい?」
すでに手にはマフラーをかけられるように準備していたんだけど。
「う、うん」
戸惑っているのは気づいていたんだけど、今の私には気にかける事ではなくて近寄っていった。
それに気づいた彼がすっと身を屈めてくれたのを見て、そのままマフラーを巻いた。そして、両先を交差させて重ねるように結んだ。
その時、空気がふわっと舞った。
それと同時に彼の匂いが鼻をくすぐっていく。何て形容すればよいのか分からない。彼の匂いは抱いている印象そのものと同じもので、とても優しくて爽やかでほっとするような……。
 このまま時間が止まってしまえばいいのに。
そんな事をうっすらと思ってしまうほど彼との時間は穏やかに感じたんだ。
 少し距離を取ってみてマフラーをした彼を眺めてみた。
想像通りだった。その姿に満足な気分になった。
「うん、似合ってる」
思ったとおりに。
「……ありがとう……」
そう言ってくれた彼の笑顔はどこか淋しげだったけど。
それは何故なのか私には分からないけど。
もしかしたら、他の人にあげるものだと思われているのかな。……だとしたら、悲しいけど、でも、私が彼にと思ったのは間違いないことだから。
 たとえ誤解をされていても、障害が出たとしても、
私の気持ちは変わらない。
 それだけははっきりと言える。今の私には。

2006.11.28


投票です。宜しければポチと。