時の雫-紡がれていく想い

零度の距離


§7 貴洋

 部屋で一人ごろんと横になってテニス雑誌を眺めていた。
今日も天気が良く窓の向こうには青空が見える。
目は紙面を見つめているものの、頭の中は違う事に囚われていた。

南藤校の学園祭で交流試合が行なわれた。貴洋の所属する野田校のテニス部と。
問題児的要素の多い川口もテニス部員だったから、交流試合に赴くと幼馴染の美音には言えなかった。やり過ごす事ができたら……、そう思ったのだが、現実はそう上手くはいかなかった。
こんな結果になってみて後悔した。ちゃんと言っておけば、美音は川口に会う事を避けあんな醜態を晒す事もなかった。
圭史の前であんな姿を見せた美音は、その後、何でもなかったように笑顔を見せ平気なフリをするだろう。強がって見せるだろう。それは相手が圭史だからだ。
勿論、聡の親友という理由だけじゃない。親同士の親しさや、美音が圭史に抱いている好印象と、今も同じ学校に通っているという現実からだ。
それぐらいの事は幼馴染の貴洋は十分分かっている。
ただ知らなかったのは、意外にも美音と圭史が打ち解けていた事だった。
それは勿論、中学の時と比べて、なのだが。
 ……多分、圭史が聡と親友で、一応川口の友人でもあるから、他の人間には圭史の話なんてしないだろう。したがらないだろう。美音は。

  ― まぁ、それはいいとして ―

貴洋が疑問を抱くのは圭史の態度。
様子を窺うように聡の事を聞いた。今ではあんまり連絡を取っていない様子だった。
聡が今バイトをしている事も知らないみたいだった。
聡も今の生活にいっぱいいっぱいだから、圭史との時間をとれないだけなのか。

 ― 見ている分では、聡の方が誘ってたクチだなぁ。瀧野は聡の誘いにはいつも機嫌よく受けていたなぁ ―

それだけで二人は仲が良いと分かる。圭史には厚い信頼を寄せていた。そして圭史も他の人間には滅多にそんな顔は見せない。
誘われても、数秒は様子を窺うようにしている。

 ― あいつは結構、隙を見せないからな。……多分、あれは打算的な男だと思うけど。見た目で大概の奴は騙されてるか、それを見せない瀧野の腕が凄いのか ―

そして、美音の、圭史に向けていた顔を思い出して、貴洋は天井を見上げながら思う。

 ― みお坊も、絶対騙されてるクチだよなぁ。……でも、みお坊がそうだという事は、瀧野が見せないようにしているという事か…… ―

ある瞬間にぷちんと感情が暴走したとしても、美音は人を見る目は厳しい。そして、中々人に気を許さない。相手が自分に抱くものを鏡のように返す。

 ― だから、みお坊が瀧野に対して気を許しているという事は、瀧野の方もそうだということか…… ―

そう思ったところで疑問が浮かぶ。それはなんでだ?と。
圭史が美音の事を妹のように可愛がっているとでもいうのだろうか。
聡を気にしていた様子だったが、今気付いたが、一番に美音を気にかけていたからなのでは。
 そして浮かぶひとつの考えに、貴洋は一瞬思考を止めた。

 ― ……まさか、な ―

そう自分の考えを否定して、ずっと止まっていたページをようやく捲った。





 夕飯を済ませた頃に、一人の訪問客がこの家のインターホンを鳴らした。この家の住人たちは、それぞれの時間を過ごしている。
1階のリビングには、父親がテレビを見ながら寛いでおり、キッチンでは母親が後片付けを行っている。母親がそこから返事をし、タオルで手を拭っている間に、訪問客は玄関先まで足を運んで扉を開けた。
「こんばんはー」
「あらぁ、どうしたのぉ?こんな時間に一人で来たの?」
「はい、これお母さんに頼まれて。お裾分けって」
「本当。ありがとうね。あがっていったら?部屋にいるから」
「あ、じゃあお邪魔しマース」
扉を閉めて靴を脱ぎ始めたのを見て、お茶の用意をし始めた。トレーにカップ2つとお菓子を皿に盛っていると、来訪者は横にやってきて口を開く。
「一緒に持って上がっていい?」
「お願いね」
「うん」
用意したそれを手にして台所を出ると、階段を上がる前にリビングに顔を出して声を出した。
「おじさん、こんばんは。お邪魔しますね」
「おーいらっしゃーい」
自分の家と変わらない様子で2階に上がり、突当りの部屋をノックしてから戸を開けて中に入った。

 この家の息子は、勉強机に学校の教科書とノートを睨みつけながら向かっていた。
部屋の戸がノックされ、眉を顰めたまま「はーい」と返事をした。
すると、戸が開かれてノックした人物が入ってきた。
「お茶お持ちしましたよー」
その声を聞いて握っていたシャープペンを机に置き、椅子の向きを変えて体を向けた。
「なんだ、今のインターホンはみお坊か」
顔を見ながらそう言った貴洋に、美音はいつもどおりに答える。
「そうだよ。お母さんに御遣い頼まれてさ。何してんの?」
「古文の予習。駄目だ、さっぱりわかんねー」
貴洋は両手を挙げると頭の後ろで手を組んだ。
 トレーを机に置きながら、美音はノートを覗き込む。
「……ここ、うちのガッコ終わったトコ」
「じゃあやって。もう無理」
「いーけど、私高いよ?」
ちろり、と意味ありげな目を向け、笑みを浮かべながら言った美音。
それが何を言っているのかすぐに貴洋は察する。
「あー、何?」
「欲しい本があってさ。文庫本なんだけど」
「あーわかったわかった。買ってやるよ」
「やった。まだ出てないんだけどね」
嬉しそうに言う美音に、貴洋は呆れたように言う。
「出たら言ってくれ」
「うん、商談成立ということで、ほら」
椅子からどけと言わんばかりに美音は手をひらひらと動かした。
貴洋は大人しく椅子を譲り渡すと、クッションの上に座り込んで、美音の様子を眺めている。
 椅子に座ると、もう真面目な表情になりノートを覗き込みながらシャープペンを手に取った。それから数秒間があったかと思うと、美音はすらすらと手を動かしていく。時には脇に置いてある辞書を引きつつ、教科書に目を向けつつ、貴洋がかかるであろう時間の半分くらいの早さでそれを終えた。
「出来たよー」
「おー助かったわ」
「いえいえ、どーいたしまして」


 椅子から離れ、もう一つのクッションの上に腰を下ろした美音を眺めつつ、貴洋は口を開いた。
「瀧野は最近どうしてる?」
貴洋と反対方向に顔を逸らしてから美音は思い出すように言う。
「……、変わりなく部活頑張ってるみたい」
平生を装っている美音に、貴洋は机の上に置いたままのトレーを二人が座っている間に下ろした。
「ふぅん。瀧野付き合ってるヤツいんの?」
コップを口に運びながら美音の様子に目を向けている貴洋。
美音は膝を抱えながら声を出した。
「詳しくは知らない。……多分、今はいないんじゃない?なんで?」
「なんとなく疑問に思っただけ。そういうみお坊は?」
「いないよ。いるように見える?」
「さあ」
美音の返答に素っ気無く答えた貴洋。
「……何よそれ」
少々怒気を含んだ声に貴洋はうろたえる事無く言う。
「深い意味はない。学祭の時、川口にアイツの事言われて過剰反応してたから、まぁいないだろうと思ってるけど」
突然出されたその話に、美音は表情を変えた。
「あれは!よりによって瀧野くんのいる前で言われたから!辻谷君と仲いい人間目の前にして」
どこかムキになって答えた美音だった。
貴洋はそんな様子にも動じる事無く口を開く。
「なんか瀧野も今はあんまり会ってない話してたけどなぁ。川口も瀧野に余計なこと言うなって言われてたし。そう気にする事はないと思うけど」
「ううっ……」
半ば悔しそうな表情で声を洩らした美音に、貴洋はちらりと目を向ける。
「それとも、瀧野にアイツの事で何か言われたりとかした?」
「それはない!瀧野くんはそういうことしない」
断定ではっきりと言った美音に、少し意外さをも感じたが深くを考えずに言う。
「ふーん?ま、瀧野がみお坊にどういう態度取ってるのか俺は知らないし」
「態度?瀧野くんはいつも優しいけど。辻谷君の話も聞いた事がない。というか、あまり口にしようとしないっていうか……。まぁ、私もそうなんだけど。
……あと、友達が言うには、女の子には素っ気無いって言うんだけど、私はそう思わないんだけどなぁ」
美音の言葉に、昼間考えていた事が今再び浮かんできた。
しかし、美音を目の前にしている貴洋はそれを押し隠す。
「まぁ、感じ方は人それぞれだからなぁ。ま、基本的に瀧野はいいやつだけどな。怒らせたら人一倍怖いけど」
「そうなの?」
「そうだよ、あの時だって、川口がすぐ大人しくなったのだって瀧野の顔が怒ってたから……」
「ふぅん?」
貴洋はそこまで言ってから、頭にはふとその時の光景が浮かんだ。それと同時に何かを感じた心。
 話している途中にもかかわらず、圭史は美音の姿を目にし視線を注いでいた。貴洋の事なんて放ったらかしにして。


 ― いや、みお坊は生徒会だし、それの用事だと分かっていたんだろう。
瀧野は賢いヤツだし、どんな場面でも冷静に推測するヤツだしなぁ。
……あれ?ちょっと待てよ?あの場面で瀧野があれだけ怒るって言うのも……?
中学の時に川口に本気で怒った時も、確か、川口の悪ふざけが酷すぎた時だったよなぁ。
でも、瀧野は、普段は何言われてもさらっと流してるヤツで……。あの時、何で怒ったんだったけ?まさか瀧野が怒るとは思ってなかったんだよな……。なんだったんだっけ? ―


いくら考えても思い出せないそれに、貴洋は諦めてまた次の思考に頭をめぐらせた。
 あの場面で、美音の後を追った圭史。
それはもの凄く意外だった。
かつて、圭史のそんな姿を見た事があっただろうか。


 ― うーん? ―


 みお坊、タカ、と呼び合う事を知った圭史は、その事を突っ込んできた。
それはからかいの一種だとその時は思った。それに貴洋は今まで何度も味わった。
けれど、今思ってみて、もしかして、という考えが浮かんだ。


― ……あれは、ひょっとして、牽制……? ―

そして、頭の中に浮かんだのは、あの時見ていた圭史の姿。
帰りしな、川口に「聡に余計な事を言うな」と言った圭史は、その後、川口の元へ向かっていた貴洋に声を放った。
「じゃあな」と。
あの時は別に何も気にせず「おう、また」と返事をしたが、あの時のあの表情、トーンの低い声。他にも、そのときは大して気にも留めなかったが、直感的に腑に落ちない点が幾つかあった。

― まさか、な……? ―

浮かび上がった考えを何となく打ち消して、自分を納得させるように一人思った。
美音が聡を好きだったのは、同じ中学の同学年なら知っている話だった。
だから、美音に想いを寄せていた男は皆告げることなくはなから諦めていた。
圭史は聡と一番親しく、軟式テニス部で大概一緒にいるくらいの仲だった。
当時の事情らしきものを一番知っているはずだ。親友を好きだという女の子を彼が好きになるだろうか。



― ん?ちょっと待てよ? ―

そう言って思い出されるのは、中学時代の圭史だった。
練習中に時折、テニスコートからグランドを眺めていた。そこは様々なクラブが練習を行っていた。野球部、サッカー部、ラグビー部、ソフト部、陸上部。
圭史が見つめていた先は、今振り返れば陸上部だったように思う。
当時は別に気にした事もなかった事だ。

 貴洋はちらりと美音を盗み見て再び思う。


― まさかなぁ ―


 それに、中学時代に圭史には付き合ってる女の子がいた。


― ……まさか、だよなぁ? ―

浮かぶ考えを、何度と否定する貴洋。それは認められないと感情が言うように。
そして、湧き出た疑問に確固たる答えが導き出せぬまま、言いにくそうに言葉を紡ぎ始めた美音に貴洋は気を向けた。

「……あのさ、帰りにたまーに一緒になった時とかに、手を繋ぐのって意味ある?」
それに、何を訊いてくるんだろう、と思いつつもすんなり答えた貴洋。
「付き合ってるんじゃないの?」
怪訝そうな表情がそのまま声にも出ている貴洋。
あっさりと言った貴洋の言葉に美音は即答する。
「ちっ、違うよっそんな話、聞いてないもん」
頬をほんのりと赤くさせ、どもりながらもそう言った美音を、呆れた面持ちになりながら膝で支えつつ頬杖をしたまま見つめた。
その視線に、訝しげな顔で美音は言う。
「な、何?」
「いや、なにも」
素っ気無く言われ、ふてくされた様に顔を背けると、美音はクッションに顔を埋めた。
「友達に聞かれた話なんだけど、どうなのかなと思って」
顔を見せようとしない美音の様子を見たまま貴洋は言う。
「……嫌いだったら手なんか繋ごうとしないだろ」
「そりゃ、そうだけど……」

 貴洋と美音は、物心つく前からの付き合いだ。家は同じ通りの向かいにあった。今は美音の家が中学生の時に新築を購入して引越しをして違うが変わらず交流がある。
幼稚園、小学校、中学校と一緒だった幼馴染の事は、よくわかっている。
兄弟同然に育ってきた二人だった。親もこの二人が一緒なら何の心配もしない。
 幼馴染の嘘くらい見抜くのは簡単だ。

「……男の方は間違いなく気があってアプローチしてるんだろう。女の方もまんざらじゃないんだろうし。多分、その男は待ってるんだろうなぁ」
「何を?」
そう聞いてきた美音を、貴洋は意味ありげな視線を送ると後頭部に組んだ手を当て天井を見上げながら言葉を紡いだ。
「……そりゃ、まぁ……。……みお坊、あんまり気づかないフリしてると、そのうち送り狼されるぞ」
貴洋のその台詞を聞いて、美音は顔をクッションから上げた。そして、何かを言おうとして口をあけたのだが、声が出るより先に顔が真っ赤に染まったのだった。
それを見て、貴洋は楽しそうに言う。
「あ?もう遅かったか?」
「ち!違うー!何もないー!っていうか、友達の話って……」
「はーん、そんな嘘に俺が騙される訳ないだろー。みお坊顔に出まくりなんだよ」
「なんでよー!!出てないー!」
「あー、そうですかねー。その割にムキになってるみたいだけどー」
「もーその態度腹立つー!」


― 一応、"そういう男"はいるみたいか。ま、何にせよ、後ろ向きではないという事だから、いいことだな ―



他の奴が美音の事をどう思ってるのか、言わずと知れている。
外見しか知らない人間は、「女の子」って感じの子だと言うし、中身を知っている(小・中学校同じクラスだった)人間は、敵に回したくない、か、元気な子と言うだろう。
性格に似合わず、菓子作りや料理が得意だったりする。
親は共働きだから、いつも妹のために土曜のお昼ご飯やおやつを作っていた。
美音はいつだって妹の真音を可愛がっていた。2つしか違わないどちらかというと体の弱い妹。
小学校の時だって、体つくりのために真音が学校のクラブのミニバスに入ると言ったら、美音も入部していた。妹をいつも近くで守るために。

 貴洋の幼馴染である美音は、明るくて元気が良い。自分が頑張る事に対しては、負けん気の強さを見せる。意外に静かに怒りの炎を燃やすタイプなので、時として何を考えているか分からないと言われる事もあるそうだ。それでも、貴洋の前では感情を素直に表に出すし、態度とか見ても十分に女の子だと貴洋は思う。
だが、色恋沙汰に関しては一際不器用で、普段の美音では見せない気の弱さを見せる。そんなところがアンバランスで美音の面白いところだと貴洋は思っている。

「……く、苦しい……」
美音に後ろから首を腕で絞められて、貴洋は必死に腕を叩く。
「ギブギブ」
美音は腕を緩めると、貴洋の肩にそのまま腕を伸ばしダラーっと力を抜いた。
「……タカは、好きな子いないの?」
「まぁ、気になる程度の子は、いたりいなかったり」
寄りかかるようにしている美音を気にしながら貴洋はそう口にした。
「ふーん……」
気のない返事に貴洋は念の為きいてみる。
「まだ辻谷の事気にかかってんの?」
「うーん、それはないけど、……」
そう言って、美音は次の言葉を中々口にしようとしなかった。
「の割にはまだ引きずってんだろ?」
「そういうつもりじゃないけど、身近に接点のある人がいるし、やっぱ時々気にしてしまうかも。……辻谷君と瀧野君、今でも仲いいんだよね?」
やっぱり気にしてるんじゃないか、と一人思う貴洋。
「あー……、今はどうなんだろな。1年の時はたまに会ってたみたいだけど。2年になってからは辻谷とクラス離れたからおれ自身話する事も減ったし」
他にも理由はあるのだが、今の美音に言う話ではないと判断した。
「ふーん。でも、同じ中学の子からしたらさ、私が瀧野君と一緒にいるところ見たら、皆思うことは同じだよね」
聡の親友だから親しくしてるんだろう、と。
「まぁ……そう思うヤツは少なからずいるかもな。……でも、今だったら違う事思われるだろ」
違う事。二人はできたのかな、という事だ。あえて口に出さなくても分かるはず……。
「ふーん。でも、私はそう思ってなくても瀧野君は、私の事だと辻谷君に連なって思われてるのかなぁ、とか思っちゃうんだけど。時々凄い気を使われてるし。まぁ、理由はそれだけじゃないのかもしれないけど。親同士の交流もあるしね。おまけに役員で私達も関わり必須だし」
「瀧野は、いいやつだよ。そのたまーに帰りが一緒になるヤツはどうだか知らんが、俺としては、瀧野に恋するのもいいと思うけどね」
それは中学の最初の頃から思っていたことだった。
時間の問題で、美音は圭史に惚れるだろうとも思っていたのだ。

― あいつは懐に入れた人間に対しては情が厚いからな ―

「なんでそこでそういう話になるのっ」
「単なる俺の個人的意見だ、気にするな。……あんまり難しく考えるなよ?」
「……はーい」

そして暫く沈黙が続いてから、美音は再び口を開く。
「あのさ、辻谷君に今カノジョいるのタカ知ってるでしょ」
その言葉に貴洋の体は強張りを見せた。
「あ、その反応はやっぱりそうなんだ」
「……え?今もしかしてカマかけられた?俺」
「ううん、野田高行った友達が教えてくれたしー」
「そっかぁ、知ってたのか」
「うん。別に気にしないで教えてくれて良かったのに」
笑みすら浮かべて言った美音の顔を見て、頭を抱えるように腕を頭に上げると顔を天井に向けながらぼやいた。
「……言える訳、ないじゃん」
「なんで?」
そう言える時点で、美音はもう聡の事を吹っ切っているのだとわかる。

 ― そうか、いつのまにやら本当に卒業してんだな ―

まだ引きずっているのだと思っていたのだ。美音の事を知っているからこそ。
「変に気にするんじゃないかと思って言えなかったんだよ、俺は」
すると美音はにこりと笑顔で言った。
「私は辻谷君が今、ハッピーならそれはそれで嬉しいよ」
それに貴洋は何も言えなかった。言う言葉が浮かばなかった。
 美音がそう言った気持ちとは反対に、貴洋は何故だかもの悲しい気持ちになった。
なぜ、この世には報われない気持ちが存在するのだろう、と胸が痛くなった。
「それに、さ、私もそれなりに楽しいし、心配されるほど痛手は負ってないよ」
「……みお坊に似合ったヤツが他にいるよ、多分」
多分。それはいつ出逢えるのか分からないけど。
「んー、でも私男の趣味悪いしなー」
ちょっと冗談めかしていった美音の台詞に、貴洋は驚きながらも言う。
「なんだ、自覚あったのか」
思っていた反応よりも素の様子に、美音は少々ムキになって返してきた。
「やかましっ」



「じゃ、そろそろ帰るわね」
そう言いながら立ち上がった美音を見て貴洋も身を起こしながら口を開く。
「ああ、じゃあ送ってくか」
「んー?自転車だしいいよー?」
美音の後を歩きながら貴洋は言う。
「危ないだろー」
「ダッシュで帰るから大丈夫だよ。1人のほうが急いで帰れるから」
「そーかぁ?」
「うん」
階段を降り、台所の電気が消えているのをチェックすると、美音はリビングに顔を出し笑顔を振りまいて言う。
「夜分にお邪魔しましたー」
その言葉に、貴洋の父が動こうと片足をつきながら口を開く。
「送っていくよ」
「おじさん、いいよー、自転車だから。急いで帰るし」
それに心配した様子で貴洋の母が言う。
「また明るい時に取りに来たら?」
「お父さんの借りてきたから。また通勤に使うし乗って帰らないと」
「そうかい?じゃあ家に着いたら連絡してね」
「はい、わかりました」
玄関で靴を履く頃には、貴洋が草履をはいて扉に立っていた。
「気をつけて帰れよ」
「うん」
「そうだ、真音どうしてる?」
「受験勉強の真っ最中。今日もこれから夜食作ってあげるんだー」
「そうかー、受験生なんだな」
「うん、頑張ってるみたい。今度息抜き一緒に付き合ってよ」
「おう。連絡よこせよ」
「りょーかい。じゃあねー」
笑顔で手を振って美音は走り出していった。
貴洋はその姿を見送りながら一人思う。


 ― 次の恋が叶えられるように……。
みお坊が好きになったやつが今度は想ってくれるヤツである事を願うよ。
ほんと、いいやつなんだから。みお坊は。……ちょっとおてんばで天邪鬼だが ―


 頭に圭史の顔が浮かんだ。
いつも穏やかな表情で、特定の周りの人間だけに柔らかい微笑を見せる姿。
顔のつくりで人に人懐こそうなイメージを与える彼。中身はもっと男前だとも思う。
 こういう人間が、美音の相手ならよかったのに。
きっと彼なら、聡の時と違って大事にしてくれただろう。もっとうまく扱ってくれただろう。
そう思ってみて、ため息が零れた。
世の中はうまくいかない。


 幼馴染への正直な思いを貴洋は夜空に馳せた。
叶うなら、良かったと思える相手と恋愛できるように……。


2005.1.17
加筆修正2006.8.5


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