時の雫-風に乗って君に届けば
§8 確認までの坂道
Episode 6 /6
次の日から圭史は顔を合わせると微妙に気まずさを感じるようになっていた。
水曜日に行われた球技大会の打ち合わせである実行委員会は、滞りなく進行され明るいうちに解散となった。
圭史が書類を出しに帰りに生徒会室に寄った時には、美音の姿はなかった。
机に目を向けると荷物はないのでもう下校したのだろう。
圭史は小さくため息を吐くと、生徒会室を出て下駄箱に続く廊下を進んで行った。
自分に対して否定的な気持ちを抱かれている、と圭史は思うようになっていた。
抱いている想いは、彼女にとって迷惑でしかないのかもしれない……、と。
そして、その週最後の授業日。
「おーい、瀧野―」
昼休み、谷折が教室のドアを開けて入ってくるなり大きい声で呼んだ。
いつものように友人たちの雑談に適当に耳を傾けていた圭史は、谷折の姿が目に入った時点で席を立っていた。
そして何も言わず廊下に出て行く。こういう呼び出し方は部活の話だからだ。
教室よりも涼しい廊下で二人は話を進めていった。
「それでクリスマスに練習試合だってさ。よりにもよってそんな日にしなくていいのになぁ」
谷折のぼやきに圭史はつまらなそうな顔で言葉を放った。
「試合がなくても練習があるだろ。それに彼女いないお前にクリスマスなんて意味ないだろ」
「うわっ、他は遠慮して言わない事を平気で言うか?!」
「俺には遠慮する理由がない」
「……同じ独り身だものね。俺はクリスマスより前に誕生日があるんだー」
「……それで?」
「プレゼント受付中」
「あっそ」
「何だよ、その素っ気無い言い方」
「バカか?何が悲しくて男の誕生日にプレゼントやらないといけないんだよ」
「うわーつめたー」
「……一応聞くけど、何日だよ?」
「12日」
「お前期末テスト真っ只中じゃないか。絶対お前の誕生日なんか頭にない」
「うわーかなりつめたー」
「冷たくて結構」
そんな会話をしながら、二人の視界の端に1組の女子数人たちが教室の前で何やら騒いでいるのが映った。
顔を見ると殆どが見覚えのある顔だった。
テニス部に差し入れやら応援によくやって来る子達だ。
その中心に美音の姿があり、それは見慣れぬ光景だった。
彼女たちが一方的に盛り上がって何かを頼んでいる様子だった。
美音の表情を見る限りそれは気が進まない事らしく困っているのが遠目でも何となくわかるくらいのそれだった。
なのに彼女たちはお構いなしに美音の両腕に手を回し強引に足を進めさせていく。
「えっ?!い、今?」
うろたえる美音の言葉に彼女たちは笑顔で言う。
「そうそう、タイミングいいし」
彼女たちに引っ張られるようにして連れて来られた美音は、圭史と谷折の傍まで来るとその腕を開放された。
「じゃよろしく」
彼女たちは美音にそう言うと自分たちの教室の方へと戻っていく。
そしてその場にただ一人残された美音。
自ずと二人の視線は美音に注がれる。
それを察していながら目を合わせにくそうにしている美音は困り果てた顔をしている。
気まずい雰囲気をひしひしと感じながら自分の教室の方へちらり、と顔を向けてみた美音。
そこには様子を見張るかのように彼女たちが揃っている。誰一人教室の中に入ろうとしていなかった。
美音は参ったようにため息を吐いた。
そして、顔を二人に向けはしたものの目を上げようとはしないまま口を開く。
「え、と……、二人に聞いてみたい事があって……」
「何?」
谷折は優しい笑顔でそう答えていた。
「あの、好きな子のタイプ教えてくれないかな……?」
「なんで?」
谷折の素朴な問い。
「クラスの子に頼まれて……」
「あーあの子達ね。だってさ。どーする?」
隣にいて何も発しない圭史に谷折は言葉をかけた。
いつもと違う調子の美音に、圭史もいつもの柔和なムードではなかった。
谷折から見ても不機嫌さが顔に出ている。
美音の目から見てもそれは明らかだろう。
見るからにしゅん…、とうな垂れている美音は心許なく口にした。
「……ごめん……」
美音のそんな様子に心に堪らない気持ちが湧き上がってくる。圭史は小さく息を吐くと声を出した。
「……いーよ」
それを聞いて笑顔で谷折が話し出した。
多分、居心地の悪いその場の空気を少しでも軽くしようと言う彼の気遣いだろう。
「好きな子のタイプねー、俺は女の子らしくて優しくて思いやりのある子かな。気の強い子はパスかな。瀧野は?」
投げられた問いに、圭史は乗らない気分のまま言葉を紡ぐ。
「俺も気が強すぎる子は遠慮するな」
「お前はやり手が好きだろ」
間髪いれずに言葉を投げてきた谷折に圭史は言葉を詰まらせた。
「やり手って……」
「えーと才色兼備タイプっての?仕事とかも出来るタイプ」
谷折のその台詞に含まれた意味を圭史はあえて触らぬように答えた。
「……そーだな」
「まぁそんなところかなぁ」
谷折がそう言った所で、4組の教室の方から声が飛んできた。
「瀧野―、次の授業教室移動だってよー」
「おーわかった」
そちらの方に顔を向けてそう答えると、圭史はちらりと美音に目を向け言葉をかけた。
「じゃ行くから」
その態度は今の圭史の気持ちがそのまま出ていただろう。
言い終わるや否や教室へと向かう圭史に二人から言葉は返ってこなかった。
美音と話す事に辛さを感じたのはこの時が初めてだった。
顔を見るのも辛い、そんな事すら思い始めていた……
放課後になっても圭史の気分は晴れぬまま、部活に出た。
いつも集中して行うはずの練習も、部室に向かう途中に姿を見つけていつもと変わらない松内の行動に、圭史のイライラはボールを追う姿にも見えている。
自分でも持て余すほどのそれに圭史は抗いようがなかった。
部活を終え、いつものように帰宅し、夜は机に向かっていた。
「はぁ……」
部屋に入ってから何度目のため息だろう。手にはシャープペンを持ったままで勉強は何ひとつはかどっていない。
「あー、何も手につかない……、くそ……」
机の上に放り投げるようにシャープペンを置くとそこから離れベッドの上に仰向けになった。
頭の下で腕を組み、何もない天井を眺める。
その目に浮かぶのは、ここ最近のよそよそしい態度の美音の姿。
圭史が好きだと思っている美音の笑顔をいつから見ていないのだろう。
「はぁ……」
誤解しないで欲しい、そう言ったのは本音だった。
けど、本当に何も思われていないなら、独りよがりの言葉になってしまう。
「バカみたいじゃん、俺……」
今年、2年の初めは殆ど口を交わす事がなく、1年の頃と同じように次の学年へ進んでいくのだと思っていた。
だからずっと抱いていた想いに蓋をして極力それに目を向けないようにしてきた。
余計な何かを願わないように。例え心の奥底で何かを期待していたとしても。
なのに、いくつもの偶然が重なって以前では考えられないほど距離が縮まった。
必死で蓋に重石を載せても溢れ出そうとする自分の想いにいつしか翻弄されるようになった。
―――あの夏の晩、彼女の無防備な寝顔を見て溢れ出た感情が、今まで必死で抑えていた蓋を意味を成さないもののように簡単に開けていってしまった。
彼女に向かうこの気持ちが誤魔化しのきかないものになっていた。
―――本当は気付いていた。
彼女の行動を始終確認している訳でないのに、すぐ彼女の姿に気付いてしまう自分。
目にした瞬間から彼女から離れられない心。いつまでも見つめてしまう自分。
他の女性に揺らがないこの心。自分を好きだと言う後輩に抱き着かれる度に湧き上がる嫌悪感。
―……どうして、だめなんだろう……―
又ため息を一つ吐くと、ぼんやり天井を見つめていた目を静かに閉じた。
もう昔に諦めていたはずの、彼女への恋心。
それがあの頃より強く今圭史を切なくさせていた。
―今の状況でいいと思ったはずなのに、すぐ心は欲張りになる。少しでも期待して、それが叶わないからって傷つくのは、ガキだからだろうか。勝手だよな……。こんな俺、好きになってもらえる訳ないよな……―
月曜日の2時限目が終わり中休み、教科書を借りに来た谷折は圭史の表情を見るなり呆れたように口を開いた。
「なんでそんなに落ち込んでんの?」
「……落ち込んでる訳ではないんだけど」
「じゃあ何だって言うんだよ。先週はずっとイライラしてたし。今日は打って変わって暗いし。顔に出るくらいの理由なんて、あの子の事だろ。態度おかしかったしさ」
谷折にこう正面きって言われるくらい自分の態度はおかしかったのだろう。
「……俺って思ったより何とも思われてないんだなーと実感しちゃってさ」
自嘲気味に笑みを浮かべた圭史。谷折は一瞬躊躇してから口を開く。
「……なんでだよ」
「前は、本当に何も思われてなかったのは分かってた。けど、でも、最近は少しくらいいい方向にいってるかなとは思ってたんだけど、それはちょっと自意識過剰だったみたい。前より少しでも距離が近くなると人間期待してしまって駄目だよな」
「って、お前、別にアクション起こしてる訳でもないだろ?」
「起こしてなかった訳でもないよ。でも、何も通じてないみたいだし」
「……ハッキリ言わないと伝わらないんじゃないの?」
「こんな状況で振られて追い討ちかけられたら、ちょっとキツイな……」
圭史の目は違う景色を眺めているように見えた。
その表情からして大分落ち込んでいるのがわかる。
いつもと違う空気を圭史は纏っている。そのまま違う風に流れていってしまうのではないかと思った時、小さく息を吐いてから言った。
「まあいいや、その話は。教科書は昼休みに返しに来てくれたらいいから」
「あ、おう分かった」
「じゃあな」
その背中を見ても明らかに元気がない。
「……あいつ、本当にあの子に惚れてるんだな」
谷折はそう呟いてから教室へと戻って行った。
圭史の気分は浮上せぬまま昼休みを迎えた。
いつものように昼食をとり終えて暫くすると、谷折が教科書を返しに来た。
今日も廊下に出て話をしていたのだが、視線を感じて目を向けると、1組の教室の前に女子数人が固まっているのが見えた。
その光景に少なからず気分が悪くなるのを感じた。
だがその中に美音の姿は見えない。それだけでも何となくほっと安心した気分になった。又この間のような事は起きないだろう、と思ったからだ。
そして、圭史が何となく視線を転じた先、4組を越した向こう階段の方に本を片手に持った美音の姿が見えた。
―今日は図書室に行ってたのか―
美音が前を通り過ぎるまで、二人は自然と無言になっていた。
美音は二人に気付くことなくスタスタと歩いていく。3組の前を過ぎて自分が向かっている教室に目を向け、そして、その状態を目にして足を止めた。
二人の所からははっきりと顔が見えた訳ではないのだが、様子からして困惑しているのが分かった。この時、彼らも同じ事を予想していただろう。
美音が二の足を踏んでいるうちに彼女たちは喜々として美音の所へやって来たのだ。
「春日さん春日さん、今日はねこれお願いしたいの」
「そうそうお願い」
そう言って差し出されたのは使い捨てカメラだった。
「……え?」
呆気にとられた美音に、彼女たちはお構いなしに口を開く。
「ほら、今日もあそこにいるから」
「一度で二度美味しいショットだしね」
「……まるきこえだよ……」
呆れたように苦笑しながらそう呟いた谷折。圭史は無言だった。
心底困った顔をして美音は言う。
「あの、ちょっとこれは……」
「大丈夫大丈夫。ほらあそこ」
戸惑っている美音に、一人は圭史たちがいる方に指をさして笑顔で言った。
「え……?」
素直に指された方向に顔を向け、美音の目に圭史と谷折の姿が映った。
その途端、美音の表情がさっと曇ったのに谷折は気付いた。
「あの、……こういう事はやめておいた方が……」
「きっと大丈夫。春日さんだったら」
「あ、でもやっぱり嫌だと思うから……」
それでも強引に推し進めようとする彼女たちに美音はひたすら困惑している。
それでも、カメラには手を伸ばそうとはしなかった。
「なぁ」
静かにそれでもはっきりと紡がれたその声に、谷折は返事をする。
「何?」
「あそこから春日を連れ出してやって」
「え?お前がすればいいんじゃないの?」
そう言って谷折は圭史に顔を向けた。
圭史は表情のない顔で彼女たちに目を向けていた。
「やめるように言うから」
何の迷いもないその声を聞いて谷折は承諾するしかなかった。
「……わかった」
谷折はそう圭史に返事をすると、彼女たちに捕まっている美音の元へと歩き出した。
そしていつもと変わらないように声を放った。
「ねぇ春日さーん」
谷折が近づいてくるのを見て、彼女たちはきゃあきゃあ言い出した。
彼女たちからすれば舞台の上の人間が間近にやってきた感覚だ。
呼ばれた美音は不安そうな顔を向けた。これから何が起こるんだろう、という表情だ。
「ごめん、ちょっとこっち来て」
顔は笑顔のまま、美音の腕を掴むとぐいぐいと引っ張っていきそのまま3組の教室へと入っていった。
美音のその不安そうな顔を目の端に捕えながらも圭史は真っ直ぐと彼女たちの前に立った。
「春日にそういう事頼むのやめてもらえる?そういうの嫌いなんだよ」
その表情と口調は厳しいものだった。
それに彼女たちは何も言えなかった。彼女たちが知っている穏やかな圭史の表情ではなかったから。
彼女たちを一瞥するとそれ以上何も言わずに自分の教室へと戻って行った。
もうこれ以上関わりあいたくない、という意思をその背中に表して。
腹立たしい気持ちを自分の中に感じながら、圭史は席に着いた。
美音が余計な何かに巻き込まれる事にひどく嫌悪するというのを圭史は知っている。
だから、美音はいつだって圭史に目を向ける女子を気にしている。
余計な反感、揉め事を起こさないように気を遣っている。
圭史からすれば、他の子の事なんてどうでもいいのに。
―だから俺はそこまで好かれてないって事だよな……―
両手をズボンのポケットに入れたまま、俯くように机に顔を向けていた。
そのひどく傷ついたような哀しげな表情は他の人間を拒みながらそのまま周りの喧騒に埋もれていった。
部室で重い気持ちのまま部活に出る準備を黙々と進めていた。
他のメンバーはまだ来ていないこの時間、谷折がやってきた。
谷折が着替え始めた頃、圭史は準備を終えていた。
前までだったら、集合時間より早くてもコートに出ていたのだが、今はそれをしない。
それをすると開始時間まで1年女子の松内に付き纏われるからだ。
適当な椅子に座り背もたれに肘を任せてぼんやりとしている。
「なぁ瀧野」
着替えながら声をかけた谷折に圭史は答える。
「何?」
「昼休み以降春日さんと顔合わした?」
「すれ違うくらいならしたけど、別に言葉は交わしてないよ」
「そっか」
何かを知っている様子に圭史は訊ねずに入られない。
「それが何?」
「いや、終礼終わってから春日さんと偶然会ったんだけど、お前の事気にしてたよ」
「……なんで?」
「んー、怒ってるんじゃないかって。自分のせいで」
「……え?」
それは予想外の言葉だった。
「今にも泣きそうな顔でさ、こう縋るような感じでこう上目遣いで。もうすんごい男心くすぐられたわー。さすがに俺もやばかったね男として。理性飛びそうになったもん」
それを聞き終えるや否や圭史は谷折のすねに蹴りを入れていた。
その光景が容易に目に浮かぶ。許せない思いが沸々と湧いてくる。
「いっ……」
あまりの痛さにそれ以上の声が出ない谷折。
圭史は素知らぬ顔をしてその場を立った。
部室を出ようと背を向ける圭史に、痛みを堪えながら谷折は声を出す。
「おーい、どこ行くんだよ」
「ちょっと時間つぶし」
「へー、どこに」
「……散歩だよ」
そんな圭史に谷折は必死で足を擦りながら言葉を放つ。
「ふーん、春日さんなら図書室行ったよ」
「……」
「情報料は12月12日受付です」
「……それってお前の誕生日だろーが」
「あ?覚えててくれたんだ。うれしー」
「もう忘れる」
そう言ってスタスタと圭史は歩き出した。
足元を見ながら図書室の扉を静かに開け中に入っていった。
殆ど生徒はいない。まだ昼休みのほうが人気はあった。
そして奥の方へ足を進めていくと、いつもの席に美音の姿はあった。
ひどく落ち込んでいる表情をしている。
右手にはシャープペンを持ち左手で頬杖をつき広げたノートに顔を向けている。
その様子に自然と圭史の足は止まっていた。
美音は手にしていたシャープペンをノートの上に転がすと小さくため息をし、両手を組んでその上に額を乗せた。そして、肩と手が小さく震えている。
―泣いてる……?―
圭史が目を凝らした時、美音は大きく息を吐きポケットからハンカチを取り出して目に当てた。
そしてすぐポケットにしまい背もたれに背を預けた。美音の目はノートに注がれている。
圭史は参ったように息を吐くと、顔を美音に向け歩き出した。
小さな心臓が騒がしく声を上げている。また、あんな顔をさせたらどうしよう、と。
「……何してるの?宿題?」
昼のような態度にならないように気をつけながら声を放った。
美音は一瞬驚いた顔を浮かべたが、圭史の顔を見てすぐ肩の力を抜いたようだった。
自分の表情が硬くなっていない事に安心しつつ美音に目を向けた。
「うん、時間内に出来なくて、答え合わせ次の時間だから」
美音の隣の椅子に手をかけそこに座った。そしてノートを覗き込みそれが数学だと分かると圭史は言った。
「どれ?」
「これなんだけど、全然分からなくて……」
「ああ、これは……」
そうして、その問題の解き方を圭史はゆっくりと説明していった。
前に「数学、前に教えてもらって、その、凄く解り易かったから、また……」と言っていたのを思い出していた。教えて欲しい、彼女はそう言おうとしていたはずだから。
美音は素直にそれを聞きシャープペンを動かしていく。全然分からないと言ったのが嘘のように、美音は糸をほどいていくように問題を解いていった。
「解けた!ありがとう」
解けるや否や美音は笑顔になって圭史にそう言った。
圭史はその笑顔が嬉しくて微笑を浮かべていた。そして思う。
―この笑顔が見れたら、それでいいかな。今はまだ―
けれど、圭史のそれに反して、はっとした顔を一瞬浮かべると、美音は俯き手を膝の上に置きぎゅっと握った。
そんな美音に視線を注いでいると、彼女は神妙な顔で口を開いた。
「あの、今日の昼休み、前もそうだけど、ご、ごめんね」
「え?」
「ああいう風にされるの瀧野くんは嫌いだって知ってたんだけど、クラスの子に頼み込まれて、断りきれなかったから、嫌な思いさせてしまって……。私悪いことしたなってずっと思ってて」
美音のその台詞で、彼女たちに頼まれて目の前に来た時のあの様子は一緒に帰ったあの日を引きずったものではないのだと分かった。
「あ、いや、……気にしなくていいよ。春日が悪いわけじゃないし」
俯きがちにそう言った圭史。一人で悲観的に考えて落ち込んでいた自分がなんだか情けなくて。
美音は思わずといった感じで顔を上げていた。そんな言葉を返されるとは思っていなかったみたいだ。
圭史はゆっくりと美音に目を向けそして微笑んだ。
すると美音は頬をほんのりとピンクに染めて、気恥ずかしそうに目線を外しながら言葉を紡ぐ。
「瀧野くんって、優しいよね。誤解されたりしない?」
圭史の心に届いた美音の声。
皆に優しい瀧野くん。女の子は優しくされると好意をもたれているのかと期待しちゃうでしょ?そうして皆に期待させてるの?
圭史は考え込むフリをして顔を窓に向けた。
そして微笑を浮かべて美音を見つめながら言葉をかける。
「んー、俺は人を選ぶよ。春日みたいに正義心が強い付き合い方しないし。特別に思ってない人にまで優しくしようとは思ってないから。だって誤解されたくないから」
最後ににこり、と笑顔を向けると、時計に目を向け椅子から立った。そろそろ時間だった。
「じゃあ、練習始まるから。また明日」
届いただろうか。言葉に乗せた想いは。
優しくするのは特別な子にだけ。
「あ、うん、頑張って、ね」
目を泳がせながらそう言った美音は真っ赤になっていた。
「うん、ありがと」
圭史はそのまま踵を返し扉に向かって歩いていく。
普通通りに、と気を使いながら図書室を出て戸を閉める。
早足で1メートルほど歩いた所で足を止めた。
「よしっ!」
そう言い放ちながら片手をぎゅっと握り締めた圭史。
今なら何でも出来そうな気さえした。そして一番やる気に満ちた表情だった。