時の雫-風に乗って君に届けば

§9 向かい風に煽られて


Episode 1 /9




 今週、暦は11月から12月へと替わった。

 部長の谷折は、部員の練習風景を眺めながらほっと一人で胸を撫で下ろしていた。
その理由は、先週まで練習に身が入っていなかった圭史が今週になって、以前よりもやる気を見せているからだった。
 その理由を谷折は分かっている。
月曜日、トレーニングウエアに着替えた圭史が集合時間までの間に図書室に行ってから、彼の表情は打って変わった。

 ―なんとかこじれてたのは無事解けたみたいで、ホント良かった―

この学校の男子テニス部の中で一番強い圭史が練習に身を入れてくれないとクラブ全体の士気がないのだ。

 ―それに機嫌が悪いあいつは、怖くて扱いに困る……―

 谷折はこそっと女子テニス部に目を向けた。
ここ1ヶ月ほど、圭史が練習を機嫌悪く行うのは、1年の松内が原因だった。

 ―どうにかしてくんないかね、ほんとに……―

男子の中には面白がってからかう輩もいる。
それに松内は喜ぶが圭史はそうではない。側にいる谷折としては、いつも気が気でないのだ。圭史のオーラが目に見えるほど不機嫌になるのだから。

 ―そのうち、女子の方の部長と相談しないといけないかなー―

「おい、何ぼんやりしてるんだよ。次谷折の番だよ」
いい汗をかいた圭史がいつの間にやら谷折の前に立っていた。
すぐさま谷折は何も考えてなかったような顔をして返事をする。
「おう」
谷折がラケットを持ってその場を離れると、圭史は持っていたラケットをフェンスに立てかけタオルを取った。そして背もフェンスに預ける。
 そして女子の方から注がれるそれらに圭史は沈黙を守る。
「……」
女子の方から視線を感じても、圭史はその方向に目を向けない。
それらを遮るように頭にタオルをかけて、ただ地面に目を向ける。

今、女子の間で起こっている不協和音を圭史は知らない訳ではなかった。



 今日の練習も終わりコートの整備を行いながら笠井と言葉を交わしていた。
「なんか水曜に部活って違和感感じるよなー」
そんな笠井の言葉に手を動かしながら圭史は答える。
「そうだな。いつもは練習ないもんな」
「なんで今週の水曜は練習あったんだっけ?」
「金曜日は球技大会で放課後練習禁止だからだよ。その振替え」
「あーそうだったな。球技大会って実行委員は何すんの?」
「進行とクラスごとの勝利数計算するくらい」
「ふーん。ごくろうさんだなぁ。あ、じゃあさ、うちのクラスの勝利数プラスしておいてよ」
「無理無理。生徒会が最後に確認するから」
「そっかー」

コート整備を終えて道具の片付けにかかった。
いつもと同じように用具室にしまい、そして部室に戻っていく。
 途中、女子テニス部数人が待ち構えるようにして立っていた。
圭史はあえて目を向けず進行方向に足を進める。
 その中から1名が飛び出してきたのを目にして、笠井は様子を伺うように圭史に目を向けた。圭史は顔進行方向に真っ直ぐと目を向けている。
突進して来たのは例の如く松内。
抱きつくまであと数十センチ。という所で声が飛んだ。
「ストップ!それ以上近づくな」
その圭史の声を聞いて、一瞬止まりはしたものの、松内は容易く圭史の腕に抱きついた。
「先輩先輩、クリスマス遊びに行きましょう」
まるで人の言葉を聞いていない台詞に、圭史はただただ息を吐いた。
隣で笠井は乾いた笑いを浮かべている。
「じゃあ考えておいて下さいねー」
人の言葉を聞くことなく松内はクラブメイトがいる場所へと戻っていった。
 ただそれだけの台詞を伝えるためにやって来たらしい。
 深いため息を吐いてから再び歩き出した圭史に、笠井は冷めた笑いを浮かべながら言う。
「なんかてこずってんな」
「……人の話聞きやしないし……。周りは面白がってはやし立てるし」
「誰にも相手にされないよりいーじゃん」
「……そうは言ってもなぁ、やっぱり思う人に思われなかったら意味ないだろ」
「……」
圭史のその台詞を聞いて、折笠はじっと見つめている。
その何か言いたげな眼差しに、ぽつりと口にした。
「……なんだよ」
「いや、そういう子、いるんだと思って」
「……こういう話すると、よくそういう風に言われるんだけどなんで?」
「普段の姿からは想像つかないからさ。でも、あれだな、瀧野に彼女できたら、ファンの子の攻撃を一斉に受けるんだろうな、その子」
「……恐ろしい事言うなよ」
それに笠井は笑いを見せただけだった。

 そのまま部室に入り、他のメンバーに混じって帰り支度を進めていく。
圭史が準備終えた頃には最後の一人となっていた。
外は真っ暗で、校内も静まり返っている。
 こういう時、今頃彼女は何をしているのかな、と圭史はぼんやりと思う。
感傷気味になっている自分に気付いて、自嘲気味に笑みを零してから荷物に腕を伸ばし肩においてその場を離れる。電気を消し戸締りをしてから校門へと向かうのだ。

 校門へと向かう外庭に出るところで女生徒が一人立っているのに気がついた。
制服のスカートが風に揺れている。暗がりなので姿はハッキリ見えないが、頭の形で髪が短いという事がわかる。
 圭史は嫌な予感がして深いため息をつきたい気分になった。
これが明るい時間だったら、この場を遠回りして校門に向かっただろう。
だが、そんな時間、先に見つけられて抱き疲れるのがオチだろうが。
 他の部員は帰った後であろうこの時間、一人でいるのを目にしてしまっては放って帰ることは出来ない。
ある程度近づいたところで、その女子が圭史の予想と一致していた事が分かった。
少々嫌な気持ちになりながらも、圭史は言葉を放つ。
「何してんだよ、一人になってまで」
「あ。待ってたんです」
そう飄々と言ってのける松内に、内心に隠せぬ怒りが湧いてくる。
「女子は数人で帰るのが鉄則だろーが。基本的な規律守れないようなやつはそのうち痛い目見るぞ」
「でも、一人だったら先輩に送ってもらえるし」
「そういう真似はもう二度とするな」
厳しい目を真っ直ぐに向けて圭史はそう言った。
松内は一瞬言葉につまり目を伏せるとか細い声で口にする。
「だって……、そうでもしないと話してくれないじゃないですか……」
 打って変わった様子に、圭史の心は静まり返る。自分の中に漂う冷気を感じながら、松内の台詞に「今までまともに相手にした事がなかった」事に気付かされて言葉を紡いだ。
「明日からこういう真似はしないって言うんだったら、今日は家まで送っていく。どうする?」
一見優しい言い方に見えるのに、声の調子は有無を言わせない厳しさがあった。
何かを諦めるように松内はしゅん……、とうな垂れて声を出した。
「……分かりました……」
俯いた視界に歩き始めた圭史の足を見て、そのまま行く後を歩き始めた。
いつものように言葉をかける事が出来ず歩いていく。
 校門を出るところでやっと圭史が口を開いた。
「電車?」
「いえ、バスです。……先輩は電車なんですよね」
「うん、そうだよ」
校門を出てから暫くの間、二人の間は沈黙に覆われていた。
 圭史はいつもなら通りを真っ直ぐに抜けて駅に向かう道を右に曲がり、松内が乗るバス停に向かっていく。
 バス停までの距離があと数分という所で、普段一人でも賑やかな松内がやっと声を出した。
「あの、今更な話ですけど、後夜祭に踊ってた相手が、前に言ってた踊りたい人なんですか?」
その台詞に数秒悩んだが、圭史は静かに言う。
「……そうだよ」
「一緒にいるの見かけますけど、その人と付き合ってるんですか?」
あまり答えたくない質問に圭史は胸の奥を締め付けられるような気持ちになりながら答える。
「……いいや」
「じゃあ、他の誰かと付き合ってたりするんですか?」
「いいや」
圭史のその言葉に、松内が小さく息を呑んだのが分かった。
「じゃあ、それじゃあ、私と付き合ってください。別に一番に好きになってほしいとは言いません!私、もう先輩が嫌がる事しないし、……先輩の傍に居たいんです。だから……」
必死に伝えられるその想いにも、圭史はただ静かに台詞を言う。
「そう言ってられるのは最初だけだよ。そのうち欲が出てきてそう言った事さえ忘れる」
「だって、……あの人いろんな人と噂があってハッキリしないじゃないですか!
他の色んな男の人と二人でよくいるし、誰にでも笑顔振りまいて皆にいい顔して本当はなに考えているのか分からないような人!私、あの人には負けたくありません!」
感情的になって言い放ったであろう松内の言葉に、圭史は何も返さず、ゆっくりと足を止めた。もうバス停に着いたからだった。
「何番のバス?」
まるで何も聞いていなかったなような圭史の反応に、泣きたい気持ちを抑え込みながら答える。
「17番です……」
圭史はそれを聞いて時刻表を見つめる。次のバスの到着予定時刻を確認し、腕時計で今の時間を確認すると手をズボンのポケットに入れた。
「……松内が誰をどう思おうがそれは勝手だけど、それを俺に押し付けないで欲しい」
松内に、何かを堪えるようにぐっと力が入ったのを目にした。
「……先輩、ひどいです……」
圭史は小さく息を吐き、微かに肩から力を抜いた。
「だから、応えて上げられないって前に言っただろ」
優しい声音。それはこんな場面になって初めて聞かせる声だった。
「そんな言葉一つじゃ諦められません……」
それにふっとした笑みを見せた圭史。今の圭史が心に思う本音を言う気になったからだった。
「ずっと好きな子がいる。振られたとしても、他の子とは付き合えない。付き合う気にならない。そう簡単に思えるくらい好きな子なんだ。だから何を言っても無駄だよ」
皮肉にも初めて向ける笑顔で言った事はそれだった。
「私、ホントに先輩の事好きです……」
「ありがとう。でも、ごめん」
松内は俯くとカバンを持つ手に力を入れた。
「……分かりました。ここまででいいです。今日は送ってもらってありがとうございました」
「俺なんかに構ってないで自分の時間大事にしろよ。あと、部活頑張れよ、松内結構センスあるから」
初めて向けられた優しさに、松内は涙で滲む目を必死に堪えようとしながら声を出した。
「……はい、頑張ります」
今、受け取ってもらえるのは、その言葉だけだと分かっていたからだった。

 圭史は、バスが来てそれに松内が乗り込んだのを見てからその場に背を向けた。