時の雫-風に乗って君に届けば

§8 確認までの坂道


Episode 2 /6




 ―なんか嫌な予感がする……―

何となく圭史は朝からずっとそう感じていた。
今はもう4時間目を終わろうとしている時刻だった。
そう思う割に、朝から今までに的中するところは何も起こっていない。

 無事4時間目が終了すると、いつものように友人らと弁当を広げて昼食をとった。
他愛も無い雑談をしつつ箸を進める。
「球技大会何参加するー?」
「ソフトボールでいいんじゃね?」
「そうだなぁ」
適当に返事をしながら、拭い去れない不安を解消すべく圭史は一人考える。

 ―うーん、図書室でも行ってみるかなぁ……―

昼食を食べ終わると、圭史は一人で図書室へと向かった。
 静かな空間に身を置きたいと思う場所としてここは最適だった。
生徒の姿も言うほど多くないし、何かに邪魔をされるという事もない。
 そのまま本棚の方に足を進め、整列されている本の背表紙に目を向けたところで、ふと思い出したように、本棚の反対側にある読書テーブルに目を向けた。

端の席に、横に何冊も本を積み上げてページを捲っている美音の姿があった。
何か調べ物をしているらしい。

無表情だった顔に微笑を浮かべて、圭史は本棚に顔を戻し適当に本を一冊手に取るとぱらぱらと中身を眺めた。
あまり興味が湧かなかったようで、本を元の場所に戻すとそのまま足を進める。
そしてスポーツジャンルの所で足を止めた。

 ―暇つぶしにテニスの本でも読んでみようか―

テニス雑誌に手を伸ばし表紙を見た。

 ―これでいいかな―

それを引き抜いて片手に持つと、テーブルの方へと向かうために足を進める。

 その静かな空間に少々賑やかな足音が圭史の耳にも聞こえていた。
そんな事は特別珍しい事ではない。だから、圭史は気にしなかった。
 あと数歩で本棚を抜けるという所で、まだ遠く聞こえていたその足音が接近してきたと思った次の瞬間に、圭史の身にいきなりの衝撃が襲った。

驚いて息を呑んだ。
その衝撃に耐え切れず、体は後方によろめき本棚に背を預けた格好になった。

 ―やられた……―

朝からあった嫌な予感は当たった。
何もこんなところでそれが訪れなくてもいいのに、と、気分が滅入りながらも圭史は、その元凶に手を触れないように腕を上げている。

そして、少しも動こうとしない、人の背に腕を回したまま抱きついて胸に額を寄せている人物に、ため息を零すように声を放った。
「あの、離して、ほしいんだけど」
それでも腕を緩めようとしない。
こういう場面は決して見られたくないな……、何て事を思ったときだった。
ぎし、という床の軋む音が聞こえた。
え? と思い目を向けてみれば、棚に本を戻している美音がいたのだ。

思わず圭史は、肩を突き放すようにして引き離した。

そして、抱きついてきたその子は、真剣な表情で言葉を放った。
「好きなんです!」

一瞬、目の前が真っ暗になった気さえした。
「……悪いけど」
それだけ口にして、とりあえずその場を離れようとした。
だが、真剣な声が飛んできた。
「先輩!私、あの……」
静かな図書館では、大きすぎるだろうその声。

 足を止め、振り向くと、静かにはっきりと口にする。
「ごめん。応えてあげられない」
圭史のその表情に躊躇いも動揺も浮かんではいない。

首をもたげた彼女を見て、再びその場を離れようと足を進めた。
 テーブルに向かうと、美音が座っていた場所にはもう何の本も置かれておらず姿もない。
参ったように息を吐くと、適当な椅子に座り雑誌を開き始めた。
そして、ページを捲る手が止まったかと思うと口に出るのはため息だった。
「……はぁ」




 教室に向かっている最中に予鈴が鳴り響いた。
ため息をつきたい心境のまま、圭史は重い足を運んでいる。

 ―よりにもよって、あんなトコ見られて、……また距離置かれるんだろうか―

自分のクラスがある階に辿り着くと、前方に栞と楽しそうに話している美音の姿が見えた。離れる時間を惜しむように言葉を交わしている二人の姿。
 図書室であった事など何も気にはなっていない様子を見て、圭史はため息をついた。

 ―あー、俺落ち込みそう……―

浮かない気分のまま午後の授業を受け、いつもより時間が長く感じていた。やっとの思いで放課後を迎えた。それでも気分が浮上することはない。
 いつものように部室に向かっているはずなのに、なぜか違和感を感じた。

 ―? なんだ?―

時折すれ違う生徒の半分が、圭史を注視していく。まるで追い討ちをかけるようなそれ。
圭史は居心地の悪さを感じながら部室に足早に向かった。
部室に入ると、先に来ていた数人が圭史の顔を見るなり、はやし立てる様に口を開いた。
「お、もてもての瀧野君」
「今日もご登場ですか」
「……なんだよ」
その台詞に、圭史は沈んだ表情のままそう言葉を放った。
「松内にとうとう告白されたんだろー?」
返ってきた台詞に、圭史はたまらずため息を吐いた。
「つーか、なんでもう回ってるんだよ……」
「本人が言ってたからなー」
「……どーいう神経してんだよ……」
「そこまで惚れられたら男冥利につきるんじゃね?」
「そーだよ、彼女にすんのに申し分ないじゃん」
「俺は無理」
きっぱりと言い切りながら、圭史はロッカーを開けて準備をしだす。
「瀧野ってどんな子ならいいわけ?告られても全部断ってるしさ」
「松内にしつこいくらい後夜祭誘われてもガンとして断ってたもんな」
「そうそう。時々女子に聞かれるんだよ、好きなタイプ」
「そりゃ俺にだって好みくらいあるだろ」
「そーだろうけど、だってお前相田先輩と付き合ったキリだろ?」
「まぁ、な」
「今時清い交際だった訳じゃないだろ?」
「そりゃ」
「だったら、フツー誰かと付き合ってるだろー」
「うるせー、お前らと一緒にするな。俺は忙しいんだよ委員会もあるし」
「忙しいって言う割に、後夜祭踊ってたんだろ?」
「そうそう、俺も聞いたぞー。誰かと踊ってたって」
「誰と踊ってたんだよ、お前」
「……あー、谷折とだよ」
「お前嘘吐くならもっとましな嘘をつけ」
「えーと、じゃあ、生徒会の……」
「お前なー、春日さん橋枝さんつったら振られ率100%やんけ。手の届く相手じゃないだろ」
「だから嘘吐くならましな嘘つけっての」
「悪い、ネタ切れだ。……つーか、俺今日はもう帰ろうかなー」
浮かない表情で言った圭史にクラブメイト達は口を開く。は
「……モテル男は大変だね。せめて誰かと付き合えば、もう少し落ち着くだろうによ」
「そんな暇も気力もねー」

そうしているところへ、谷折が暗い顔をしてやってきた。
ばたんっ。
彼にしては珍しく手荒に扉を開けて入ってきたのだ。
圭史も含めてその場にいた部員は驚きの表情を浮かべた。
そんな彼らに目もくれず、自分のロッカーを力任せに開けて顔を突っ込むと、数秒間があってから谷折の口からため息が吐かれた。

「……何なんだよ、お前は」
呆れたように言いながら背中を小突いた圭史に、谷折はゆっくり振り返ると情けない顔をしながら抱きついてきた。
「瀧野―、俺、俺……」
ひしっと抱きついて離れない谷折。
「お、おい、ちょっと」
うろたえる圭史をよそに、他の部員はどこか納得したように口にすると部室を出て行った。
「なんだー、二人はデキてたのかー」
「あー後夜祭は二人で踊ったんだって言ってたなー」

「おーい、変な気ぃ利かすなー?」
圭史の言葉は宙に舞ったのだった。

「……で、なんなんだよ、お前は」
抱きついたままの谷折を無理やり引き離して圭史はたまらずそう言葉を零した。
「伊沢さんが、亮太の事、亮太って呼んでた」
「……うん、それで?」
「亮太も伊沢さんの事名前呼び捨てにしてた。あの二人ってそういうこと?!」
「……俺はそんな話聞いたことないけどな」
「一体なんなんだよー!なんで名前で呼び合ってるんだよー!」
「お前、溝口と仲良いんだろ。それぐらい聞けよ」
「聞けるかー!」
圭史は呆れたようにため息をついた。



 用具室の前辺りで、部長の谷折、副部長の圭史、マネージャーの3人が今日の練習メニューについて談義を交わしていた。
その3人の耳に、誰かが駆けてくる足音が聞こえてきていた。
その音は次第に近づいてくる。もうそこの角を曲がるところまで来ている。
谷折がそちらの方向に顔を向けたとき、元気一杯の声が飛んできた。
「瀧野せんぱーい」
突進してくるかのようなその声の主を、圭史は反射神経の良さを見せて、さっと避けた。
被害を被ったのは谷折で、目標物を見失った声の主はそのまま谷折にぶつかっていったのだった。
「いてー」
たまらずに谷折は声を上げた。
「あ、すいませーん、つい」

「じゃ、谷折そういうことで先行ってる」
早口で言うと圭史は一人さっさとテニスコートへ行ってしまった。

「あ、逃げられた」
圭史の後ろ姿を目にしてその人物は言った。
マネージャーの男子は呆れたように言葉を紡ぐ。
「君は懲りないねぇ」
「一度や二度振られた位では諦めませんよ。私は宣戦布告に来たんです。……逃げられちゃったけど」
それを聞いて谷折は痛いところを摩りながら口を開いた。
「頑張ってもあいつは見込みないと思うよ?」
「何もしないで諦めるよりはマシです!」
「あら、そう。勇猛果敢な人ね……」
感心を通り越して呆れ口調で言った谷折に、彼女はえっへんと胸を張っていた。