時の雫-風に乗って君に届けば

§7 二人の隙間に潜むもの


Episode 6 /6




 後片付けを全て終え、生徒会を筆頭に責任者の面々は打ち上げに出ていた。
学園祭の準備中とは違い、仕事を追えて皆晴れ晴れとした表情をしている。
「春日さーん、写真撮るから一緒に入ってー」
「はーい」
箸に摘んでいた、後一口のから揚げを口に放り込むと、美音はそこへ駆けて行く。

 そことは離れた場所に圭史はいた。
テーブルの上には色々と盛り付けされた皿が置かれていて、さながら立食パーティのようだ。
そこから適当に摘みながらこれ以上の疲労を増さないようにのんびりとしていた。
先程からあちらこちらのグループから写真の誘いを受けている美音は、一定の場所にいることが少ない。
「春日さん、今度は俺と撮りましょー」
そう言ってやって来たのは快だった。
「あ、じゃあ折角だから皆揃って撮ろう」
笑顔でそう言い、他の生徒会メンバーに声をかけた。
 美音は始終笑顔を振り撒きながら楽しそうにしている姿を見せていた。

「まー相変わらず、春日さんは人気者だねー」
突然横に現れた谷折に、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐ何でもない顔をして口を開く。
「お前も来てたんだ」
「うん、一応各クラブの部長もお声かけて頂いてまして」
「ふーん、……バスケ部は?」
「見たところ、来てないみたい。他にも今日打ち上げする所は来てないみたいだけど」
「そ」
「お前も一緒に写真映ってきたら?」
「……俺はいいよ」
少し、沈んだ様子の圭史に、谷折は半ば感心しながら言葉を紡いだ。
「浮かない顔してるなぁ」
谷折を横目で見てから、圭史はただため息を吐いた。
 なんな圭史に谷折は口を開く。
「それって、後夜祭誘おうかと思ってたって言ってた子と関係あったりする?」
「……。そう言えばそんな話してたっけ」
思い出したような顔をして、圭史は口にジュースを運んだ。
そんな圭史を眺めながら、谷折は口を開く。
「俺、あれから結構必死に考えてるんだけど」
「ふーん」
顔を向けずに無愛想にそう言っただけの圭史。
谷折は何も言わずにじーっとしつこいくらい圭史の顔を見ている。
 その様子を暫くは無視していたのだが、あまりのしつこさに呆れて、ため息を零すように言葉を紡いだ。
「で、なんなんだよ」
「ヒントくれ」
「はぁ?」
「どんな子?」
「……」
口を噤んで話そうとしない圭史に、谷折は諦めたように言葉を放った。
「だって、お前が想いを寄せてる子だろ?テニス部女子ではないだろうし。で、誰?」
「……黙秘」
「……。じゃあ話変わるけど、今日の練習試合の相手、知り合いか何か?」
「あぁ、野田高は俺ンとこ地元にある高校で、同じ中学の殆どはそこに行ってるんだよ。で、テニス部に知り合いがいたんだ」
「春日さんとも見知ってた感じだったけど」
「そりゃ同じ中学出身だし」
「背の高い人と春日さんて親しそうに見えたけど」
「その背の高い戸山と春日は幼馴染だってさ」
「ふぅん。……幼馴染同士って結構くっつくらしいよな」
「……。あっそ」
そう言った圭史の顔を見て、谷折は苦笑した。

 ―こいつ、今自分がどんな顔してるか分かってないだろうな―

 圭史は物言わずジュースを飲んでいる。
谷折は前方に顔を向けたまま言葉を紡いだ。
「お前のその顔で、好きな子が春日さんだと言う事が分かった」
「ごほっ!」
喉に詰まらせたのか器官に入れたのかは分からないが、圭史は咳き込み始めた。
その様子を面白げに眺めながら、谷折は笑顔で言う。
「その反応は当たりだ」
軽く咳き込みながら、圭史は出せない声を必死に出そうとしながら谷折に目を向ける。
「おま、……と…、げほっ」
「普通に聞いたって誤魔化しそうだからさ。おまえ」
まだ少し咳き込みながら、谷折の言葉に心の中で同意している圭史だった。
「お前って、周りの子には見向きもしないからさ、今日の試合前にあった騒ぎでピーンときたんだ。いつものお前らしくない態度と行動でさ。どんな子ならいいんだろうと思ってたけど、相手分かって変に納得したよ」
「そーか」
ぶっきらぼうの言い方で答えるしか術のない圭史だった。


 打ち上げが終わり、その片づけが済んだ頃、既に美音の姿は見当たらなかった。
「な、春日は?」
窓の戸締りを確認している亮太に圭史は尋ねた。
「そう言えば姿見てないな。あいつの事だから、付き纏ってくる藤田を撒きながら他の用事を済ませてるんだろ。……瀧野と春日って家近いのか?」
「まぁ、道に寄れば春日んちは通過点になるけど」
「……あいつ、絶対口に出さないけど、夜道怖いんだよ。日が暮れた校内でも灯りの無い所は行きたがらないからな」
「まぁ、女の子は危ないからなぁ。だから今日送ってく約束なんだけど」
「じゃあ、下駄箱で待ってたら、そのうち来るだろ。じゃ、俺教員室寄って帰るから。見かけたら言っておくよ」
「じゃ、よろしく」
そうして、圭史は亮太と別れ荷物を手にすると下駄箱へ向かった。
それから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
圭史はただぼーっとして美音が来るのを待っていた。
小走りに駆けて来る足音が耳に届き、それが近くで止んだのに気づいて顔を向けた。
「あの、疲れてるのに遅くなってごめん、ね」
俯き加減に、申し訳なさそうに言った美音に、圭史はただ笑顔を向けた。
美音はあたふたとしながら下駄箱を開け、靴を履き替えている。
でも、その動作に途中違和感を感じた圭史はそっと目を向けてみた。
意味の分かっていないような表情で、下駄箱に入っていたであろう白い封筒を手にし、それに視線を注いでいた。
その宛名を確認して片手に持ったまま靴を履き替え、それから慌てて手にしていた手紙をカバンに入れた。
それを呆然と見つめていた事に圭史自身が気づいた時、美音が顔を上げたので、思わず、ぱっと顔を反らしてしまった。
 心の中で、やりきれない何かが声を上げている。
彼女はその手紙をどうするのだろう。
まさか、そんな事は聞けず、言葉を交わす事無く、二人は歩き出した。
 その事が気になってしまって、いつものように話が出来なかった。今は沈黙がやたらと多い。

電車から降り、駅から出て家へ向かって歩いている途中、必死で絞り出したかのように美音が言葉を紡いだ。
「……あ、そうだ。あの、昨日はクラスの出し物の、願い事阻止の条件で無理矢理頼んでしまったんだけど、その、受けてくれて、ありがとう」
「あ、いいよ。それくらいのこと」
「ちゃんとお礼言ってなかったなと思って」
恥かしそうに笑顔を向けた美音に、圭史も笑顔を返した。
すると、美音は少し安心した顔で口を開いた。
「あと、今日も、その、色々……、ありがとう」
「色々?」
「うん、色々」
たどたどしい様子で、こくんと頷きながら言った美音。
 そうして彼女は口を噤むと、顔を地面を眺めたまま歩いている。

 そういう態度をとらせているのは、自分のせいだと分かっていた。
 それでも気になる事はたくさんあった。出来る事なら全部聞いてしまいたかった。
でも、そうしてしまえば、今の彼女は困った顔をして俯いてしまうだろう。
「あの、さ……」
意を決したように、圭史はそう言葉を紡いだ。
「うっ、うん」
驚いた様子で返事をして顔を向けた美音。
口を開く直前まで、聞くのを躊躇った。でも、結局口にした。
「戸山のこと……」
すると、美音は「ああ」という顔をしてから、なんでもない様子で話し出した。
「あ、もう聞いてるかもしれないけど幼馴染なんだ。オムツしてる時からの付き合いだから、兄弟みたいに育ってきてて、今でも普通に家族同士付き合いがあるんだ」
「……そうなんだ。仲いいんだ」
「昔はよく周りからからかわれてたけど、でもお互い異性として見てないから関係なかったなぁ。それにタカが女の子扱いするのは昔から妹の真音だけだし」
「……、そぉ?」
「うん、そう。私のこと弟位にか思ってないよ。……タカ、それとも他に何か言っていた?」
美音のその問いに、どこまで言ったら良いだろう。
「あー、取り分け何も。えー、と、かなり親しそうに見えたから、付き合って、る、のかな、と思ったから」
「え?!ないない!それは絶対ない。タカに恋愛感情なんてあり得ないよ」
美音がちょっとムキになってそう言う時は本当の事だ。
自分の不安が一掃されて、心が少し軽くなったのを感じた。思わず、安心の笑みが浮かぶ。
 ふと、美音に目を向けた時、段差に躓いて転びそうになっていた。
「あ!」
美音の声と同時に、圭史は美音の腕を引き上げるようにして彼女を抱えた。
「大丈夫?」
「……うん、ありがとう」
数秒間があいて、圭史の腕につかまる様な形でそろそろと立ち上がった。
「……今日は、重ね重ねすみません……、ほんとに助けてもらってばかりで……」
本当に申し訳なさそうに体を小さくして言う美音の姿が、この腕の中に掴まえたい位に可愛く感じた。
そして、恥かしそうに自分を見つめた彼女に、穏やかで優しい風が圭史の心を吹き抜けた。
「いいよ。……春日限定だから」
彼女に伝えたい言葉。その意味は届くだろうか。
「……それって、ほっとけない位抜けてるってこと?」
暫しの間があって答えた美音の言葉に、圭史はただ静かに微笑んだ。
 少し期待してしまった自分。
それでも自分の言葉に彼女が何かを考えてくれたら、少しでも満足できる。
 圭史は先を見つめ自分を納得させた。

 再び二人はゆっくりと歩き出した。
そこから美音の家までの短い時間、二人の間に会話はなく、町中の喧騒だけが耳に届いていた。
先程までは、沈黙になると気まずく感じられていたのに、今は反対に心地よく感じていた。
まるで、そよ風を受けているかのように。

 彼女も、同じ気持ちだろうか?
同じ気持ちであってくれたら、どんなに嬉しいだろう。

言葉に出来なかった想いが、心の中に膨れ上がっていた。
伝えたい気持ちが今圭史の中で大きくなっていた。

 美音の家の並びである路地に入った所で、圭史の足はゆっくり止まった。
圭史が美音に向いた時、彼女はどうしたのだろうと顔を向けていた。
 そんな美音を真っ直ぐと見つめながら、自分の手は美音の手を握っていた。
美音の瞳が微かに揺らいだ。

「……俺、……」

 形にならない想いが体中を駆け巡っている。
出来る事なら、想いをこのまま伝えてしまって、彼女を抱きしめてしまいたい。
 だけど、じっと圭史を見つめている美音の目は、彼女を危ない時助けている、信頼している者、圭史への眼差しだった。

「…………」
圭史は視線を外し、そしてゆっくりと手を外して、何かを諦めた。
「……瀧野くん?」
圭史を心配する声が、反対につらく感じた。
「……ごめん、なんでもない。忘れて」
それ以上問われる事を避けるようにして、圭史は美音の家へと体を向け歩き出した。
美音の家の前に到着しても、消化できずにいる気持ちをありありと感じながら圭史は言葉を紡いだ。
「じゃあ、また学校で」
「うん、明日は振り替えで休みだから、火曜日だね。今日もありがとう」
美音の笑顔に返すようにして圭史は微笑んだ。
すると、美音は無防備な顔を圭史に向けていた。
その時湧き出た気持ちには逆らえず、美音の小さな手を握った。
小さな暖かな手。どきっとした彼女の表情に、知らずと零れた笑顔で口にする。
「……おやすみ」
返事を待つことなく、そっと大事にしまうようにして手を離し、惚けたままの彼女を目に映してから圭史は歩き出していた。

 一人夜道を歩きながら、冷たい風を頬に受けて圭史は現実を見つめる。
「……まだ、早いよな……」