時の雫-風に乗って君に届けば

§7 二人の隙間に潜むもの


Episode 4 /6




学園祭3日目。最終日。

 昼を過ぎて、テニスコートには男子テニス部員が揃っていた。
圭史もスポーツウエア姿でコートの整備をしている。
今日は他校との公開練習試合が予定されているからだ。

黙々と作業を行っている様子を見せながら、頭の中は他の事に奪われていた。

 ―まぁ、あいつは今帰宅部らしいから、最悪顔を合わす事はないけど……―

一人他の事に不安を抱きつつ、圭史は美音の顔を思い浮かべた。

心理テストの結果に変な事が書いてあったのか、彼女の反応はいつもと違っていた。
微妙に目を逸らされている様な気がしてならない。
 何度も顔を赤くさせるようなことを狙って言っていたのが原因だろうか?
以前と違って、自分の事に反応を示してくれる彼女が面白くて嬉しくて、自分なりに意思表示をしているのだけど、彼女はそれに気づいている風でもないし。
 ……嫌がられている、とか?

 圭史はそこまで考えて、眉をひそめて「うーん……」と唸り始めた。

「おおーい、何渋い顔でいつまで一人でしてるんだよ」
 谷折の声に我に返った圭史はすぐ平生を装い彼の元に行った。
「あぁ、なんでもない。一応これで終わったよな?」
「おう。じゃ、時間まで自由時間ということで」
「俺、集合時間まで正門受付にいるから」
「実行委員は大変ねー、受付までしないといけないなんてなぁ」
「はい仕事仕事で後夜祭の相手見つける暇も無いな」
「え?お前なら相手より取り見取りだろー?……そう言えば、悉く振っている話を聞いたけど、それって決まってる子がいるって事だろう?」
「……誰の話?」
「お前の話だよ!しらばっくれて。相手誰だよ、教えろよ」
「いや、別に委員の仕事で忙しいから遠慮しているだけで」
「俺はちゃんと耳にしているんだ。委員で忙しいからって断ってもシツコイ子がいて、それで最後には他に踊りたい子がいるってはっきり言って断ったと言う事を」
「あまりにしつこかったからそう言っただけだよ」
目を反らしていった圭史に、尚も谷折は詰め寄る。
「お前が嘘でそういう事を言う奴じゃないって事は俺は分かってるんだ。それがホントなら俺の目を見て言え」
「・・・・・・」
目を反らしたまま、圭史は谷折の顔を見られなかった。
「……内緒」
「お前ばっかりずるいぞ、俺の事ばかり聞いていてよ、ちょっとは教えろよ」
「それはお前の方が話してくるからだろーが」
「少しは教えろよー」
子供のようにいじけた顔になって言う谷折に、圭史は参ったように息を吐いてから言う。
「……まぁ、そのうち気が向いたらな。実はこれから誘ってみようと思っているところで、多分、断られるだろうから。もし、万が一断られなかったらきっと後夜祭はその子といるよ」
「えー?お前が断られるってどんな子なんだよ?」
「……。さぁ」
「おーい、白々しいこと言うなー?」
「なんだよ、やけにしつこいな」
「そりゃ、気になるし」
「伊沢でないことは確かだから安心しろ」
「……おい、それは思ってなかったぞ。ていうか話逸らそうとしてるだろ」
全く引く様子の無い谷折に、少し観念して口を開いた。
「……、今どう思われてるか分からないけど、その子にはずっと何とも思われていなかった、という事は知ってる。……知りたかったら、当ててみろよ」
「えー?」
不満な声を上げる谷折だったが、それ以上話をすることを避けるようにして、圭史は歩き出す。
「じゃあな、俺行くから」
「おー……」
仕事だと言っている彼をさすがにこれ以上引き止めることは憚られ、谷折は大人しく不満ながら返答をした。
「えー……?一体誰だよー?わかんねーよ」
谷折は首を傾げつつコートを後にした。



 受付で仕事をこなしていた委員2人が圭史に気付くとその場を立って口を開いた。
「おーやっと来たか」
「遅くなってごめん」
「いいや、まだもう一人の方も来てないから。まぁ、じゃあ後宜しくー」
「おお」
圭史1人のまま、2人は交代すべく受付を去っていった。
 一人で座ってまだ数分という頃に、外庭からこちらに向かって走ってくる音が聞こえてきた。
もう一人の奴だな、と思って顔を動かすこと無いまま圭史はいたのだが。
「時間に遅れてごめんねー」
と横にやってきたのは美音だった。
「……え?」
内心驚いた圭史はつい当番表に目を向けた。この時間は、圭史と1組の阿部になっている。
そんな圭史に気付いたのか、美音は座りながら説明をした。
「突然阿部君の彼女が来てね、困ってたから代わってあげたんだ」
「あ、ほんと……」
ついさっきしていた後夜祭の話を思い出して、圭史の体に緊張が走った。

 ―これは話をするチャンスかな……?―

そう思ったものの、中々話し出す機会を図れずにいた。
来賓が来れば受付の仕事を。
話し出そうと思えば、美音が話を提供してくれるし、話題が途切れてすぐには何故だか言葉を紡げないでいた。
言おうと思えば思うほど自分の中では言い難くなっていく。
変に心臓は鳴り響いているし、緊張して手に力は入っているしで、いつものように美音に顔を向けられないでいた。
今は来賓受付にいるので、顔を向き合っている場合ではないのだが。

 人が来なくなって暫くが過ぎた頃、圭史は思い切って口を開いた。
「そー言えば、春日は他所の学校との子と阿部みたいに回ったりは?」
その台詞に、美音は少し驚いた表情で圭史に目を向けた。
そしてすぐ笑みを浮かべながら言う。
「それは彼氏のいない私への嫌味ですか?」
「えー、……と、一応、俺も独り身なので、そういう意味ではなく」
「そっか。妹が来るって言ってたけど、忙しいから相手してあげられないしねー」
「そ、だよな」
違う方向に話しが行ってしまい、圭史は結局言えないまま、受付の時間を終える事となった……。

 とりあえず、これから巡回だと言う美音と別れ、圭史はテニスコートへと向かった。
コートの中には谷折がいる。
コートの外付近には、野田高校生と思えるテニス部員が数人いた。
 その前を通過してコートの中へ向かおうと足を進めていたら、懐かしい声が飛んできた。
「あ!瀧野!」
ぴたっと足を止めて顔を向けてみれば、懐かしい顔がいた。
中2の時同じクラスだった川口と3年間一緒に軟式テニス部で頑張っていた戸山 貴洋が笑顔で圭史を眺めていた。
「よお。2人も硬式やってたんだ」
圭史がそう言うと、自分よりも少し背の高い戸山が口を開いた。
「うん。久しぶりだなー。テニスの大会では顔を合わした事なかったけど、名前は聞いてたからさ。
県大会でベスト10入りした南藤高の瀧野って。やっぱお前だった訳ね?」
「そーだよ。野田高校からのご指名って聞いてたから、絶対知ってる奴が言ってきたんだと思った」
そう言って笑った圭史だったが、川口の顔を見て思い出したように声を出した。
「で、まだ他の部員は……?」
「俺らは折角だし早目に来てここの学園祭堪能してました」
「……聡も来てたりすんの?」
「いやぁ、あいつはずっと忙しそうにしてるよ」
「帰宅部だろう?」
「うん、バイトしてるんだよ、あいつ」
「へえ?」


 川口と言葉を交わしていた圭史を戸山は洞察するかのように目を向けていた。
そして、躊躇いがちに発せられたその声に、反応するかのように顔を向けた圭史。

「なぁ、もしかして今って……」

そこまで聞いた所で、自分の姿を見つけて駆け出した美音の姿を目の端に捉えた。
圭史は必然的に戸山から美音に目を移す。
「瀧野くん、丁度良かった。今日片付け済んだら晩御飯かねて打ち上げあるから……」
そう話しながらいつものように笑顔を向けたまま圭史の前で足を止めた美音。

それを聞きながら、この2人の存在を思い出し嫌な予感を圭史は感じた。

最初に何かを言おうとしていた戸山は驚いた様子で口を噤んでいる。

 美音が圭史と一緒にいる彼らの存在に気付き、顔を向けたとき、平穏なはずの時間が、思いも寄らない場面に変わった。
 
「あ!!聡を好きな女!」

美音の顔を見るなり、川口ははっきりとそう言い切ったのだ。
 その場は一瞬にしてやたらと静かな空気に包まれた。

突然の事に硬直する美音。
気まずい沈黙に陥った戸山。
あまりの出来事に固まったままの圭史。

このメンバーの中で先に動きを見せたのは、他ならぬ美音だった。
 美音の顔色は一瞬にして変わった。
手にしていたバインダーを川口の顔目掛けて投げつけた。
気持ち良い位の音がその場を駆け巡っていった。
尚、し…ん、となるこの場。

その静寂さえ美音は一番に打破したのだった。
「面識ないも同然の女子に中学卒業以来に顔を合わせて開口一番に言う台詞がそれか!?」
その気迫に圧されながらも、川口は口を開く。
「な、なんだよ!嘘は言ってないだろう!お前だって散々本人目の前にして好きだって言ってたじゃないか!」
「言ってない!!周りが勝手に冷やかしてただけじゃない!!」
「それでもお前がその原因だろーが!」
「冷やかして困らせて面白がってた一人のくせに!よくそういう事……っ」
「春日、注目浴びてるしもうそれ以上はやめておいた方が……」
戸山の言葉に、美音は尚も声を上げた。
「今ここで口を噤んだ方が誤解を招く!昔の話を今更蒸し返されて、公衆の面前で、しかもこんなふざけた奴に!!」
「誤解って何だよ!!事実だろう!?嘘は言ってないだろ!それとも振り向いて貰えなくて恥かかされたとでも思ってんのかよ?!悪いのはお前で…」
全く悪びれもしない川口の態度に、尚美音の表情が変わった。
川口が吐き出した言葉に、美音の中にまだ残っていた理性は吹っ飛んでいった。
大きく振り上げられた美音の手を見て、戸山が慌てて後ろから腕を羽交い絞めするように取り押さえた。
「落ち着けって!みお坊!ここで手上げたらさすがにやばいって」
急に自由の利かなくなった体に、美音は必死に力を入れて動かそうとする。
「放して!こんな奴!こんな無神経な奴……」
一瞬でも力を抜いたら殴りかかりそうな勢いの美音を必死で抑えながら戸山は声を出す。
「みお坊は悪くないからっ分かってるから落ち着けって!お前が手を上げたら事は悪化する一方だろ?!もう気にしないって言っただろうが」

この時、圭史は川口に「落ち着け」と言わんばかりに胸をぽんと軽く押しやっていた。
いつもと違う、真剣な表情の圭史のその顔を見て、川口ははっと表情を変えた。

戸山の言葉に幾分冷静さを取り戻した美音は体に入っていた力を抜いて口を開いた。
「……タカ、はなして」
その声を聞いて、大丈夫だと思ったのか戸山は美音からそっと離れた。

美音が戸山の事を「タカ」と呼んでいるのを耳にして、そっと目を向けた圭史。
そして、戸山は美音のことを「みお坊」と呼んでいたのにも気付いていた。
 美音は俯いて顔を上げようとしなかった。

「川口、お前満足か?それで。無神経無責任にも度が超えてるんじゃないのか。以前にもそれで痛い目見てるだろう」
ひどく静かな圭史の物言いだった。だが、圭史の顔は決して静かとは形容できない面だった。
川口は蒼ざめた顔をして何か口に出そうとするのだが言葉に詰まっている。

 無言の状態が数分続いたところで、美音が口をきゅっと結んで顔を上げた。
そして、真っ直ぐと川口を見据えると言葉を紡いだ。
「次似たような事したら今度はグウで殴ってやる。……分かった?!」

川口は横からの威圧感を感じていた。
戸山も非難めいた顔を川口に目を向けている。
ここで何かを言おうものなら、さすがにただではすまないと、川口の本能が言っている。
そして川口はぎこちない表情で頷き声を出した。
「は、はい」

すると、美音は微かに震えた声で大きく息を吐くと、きっと川口を睨みつけながら声を出した。
「忘れるなよ。……じゃあ、またねタカ」
美音は戸山の胸をぽん、と軽く手を置いてから、その場を走り去った。

「あ……」
後を追いかけようとして走り出そうとした戸山を、制止するように手を向けた圭史。
微かに戸惑いを見せた戸山をよそに、コートから不安な顔一杯でこちらを見ていたテニス部部長に声を投げた。
「谷折!」

「…あ、はい」
谷折が返事したのを見て、すぐ戸山に顔を向けて言う。
「あいつがうちのキャプテンだから、後はアイツに従って。じゃ後でな」
と言い終わるなり、圭史はその場を離れるべく動いた。
途中で美音が投げたバインダーを片手で拾い上げると美音が向かった方向に走っていった。
 川口は蒼ざめたまま、呆然と立ち尽くし動けずにいた。
美音の一睨みがきいたのか、圭史の様子に怖さを感じてなのかは本人さえ判っていない。



 追うようにして走っている圭史の視界の先には、美音の姿は見えない。
だが圭史は行き先に迷うことなく走っていた。向かう先は、生徒会室ではない。
 人通りの少ない校舎である一番端の棟に向かっていた。
そして、その校舎と塀の間に、顔を疼くめるようにして膝を抱え込んで座っている美音の姿を見つけた。足を止め校舎の壁に片手をつけて足を止めた。
落ち着かすように一度大きく呼吸すると、ゆっくりと静かにそこへ歩いていった。
 小さく丸められた彼女の肩が微かに揺れた。
圭史は何も言わず隣に腰を下ろし、沈黙を守っている。
すると、気を遣ってか、美音は静かに顔を上げて、視線は地面に落としたまま口を開いた。
「……、ごめん、ね」
泣き出しそうな気持ちを必死で堪えて、必死に絞り出した声。

「……謝られるような事、何もないよ」

圭史の台詞に美音は何も答えなかった。
「あいつ、さ、昔から無神経なところあるから、後で又ちゃんと言い聞かしておくよ」
「……、うん、知ってる。今に始まった事じゃないけど、……うん、大丈夫」
そう言いながら、目尻には涙が浮かんでいる。無理やり笑顔を浮かべた美音は、更に言葉を紡ぐ。
「ごめん、……いつも瀧野君に変なとこ見せて。大丈夫だから。……もっと、しっかりしないと駄目だよね。ほんと、ごめん……」
それを聞いて、圭史は美音を見つめたまま躊躇ったような表情を浮かべた。
そして、目線を落として静かに息を吐いた後、口を開いた。
「充分、しっかりしてるよ」
圭史のその台詞に、美音は空を眺めながら言う。
「……そうかなぁ。そんなことないよ」

圭史の心の中にモヤモヤとした気持ちが生じてきた。

圭史は美音からそういう事を聞きたいのではない。美音の気持ちを追い詰めようとしている訳ではないのに、美音は一人で自分を追い詰めようとしている。

だから、圭史は気持ちを吐き出すように言葉を吐いていた。
「……しっかり、してるよ。だから、こうやって、…見せないように、見られないように、一人になってたんだろ?本当は見られない所で一人になって泣こうとしてたんだろ?」

圭史の強い眼差しに、美音は目を大きく開けて見つめていた。

「ほんとは泣き虫だって事知ってる。俺、春日なら胸くらいいつでも貸すよ」

その台詞に美音は顔を反対方向へと反らし手にぎゅう、と力を込めた。

圭史はそれでも言葉を続けた。
「感情を押し殺そうとして無理してでもなんでも一人でこなそうとする。……もっと頼ったらいいのに。一人で無理しなくていいのに」

美音の体がびく、と反応を示した。動きを見せたのはそれだけで、後はずっと硬直しているように動かない。ぎゅう、と手に力を入れたままその場にいる。

自分の言った事はもしかしたら、彼女の心を無視して追い詰めているだけなのかもしれない、そう思った。
でも、今のままでは、心の中で彼女はバリアを張っていていつまで経っても自分の事を見てくれないのではないのか、そして周りが見る圭史像ばかり気にされて。
 そして、初めて知った、美音に近い異性が圭史の頭を遮っていた。

圭史はゆっくり立ち上がると、美音の頭を優しくぽんぽんと撫でた。
意地悪で言っているんじゃない、と。

美音はじっとしたままだ。

そのまま、その場を立ち去ろうとし数歩歩いた所で足を止め、口を開く。
「……戸山が心配してる様子だったよ。
あと打ち上げ少し遅れるかもしれないけど参加するから。帰る頃にはもう真っ暗だし送っていくよ。……あと、余計な事言ってごめん……」
そうして、圭史は振り返る事のないまま、歩いていった。



圭史の試合が先程終わって、次の試合が今始まっていた。
圧勝で終えた圭史はクラブメイトと談笑をしている。
きりの良いところで圭史はその場を離れ、端のほうに立って試合を眺めていた戸山の横に身を置いた。
「川口は?」
「大人しいから少しは反省でもしてるだろ。春日は……?」
平生を見せている戸山の瞳には、美音を心配している様子が見える。
「……多分、そのうちいつもの笑顔で現れるんじゃないかな」
「……じゃ、大丈夫だな」

美音の事を分かっている口ぶりに、暫し沈黙して圭史は口を開いた。
「戸山と春日って名前で呼び合うような仲なんだな」

その台詞に戸山は数秒考え込んでからはっと顔色を変えた。
「いや、幼稚園からずっと一緒で、もっと小さい時から家が近所で、幼馴染なんだよ。中学の時にあっちが引越しして今は離れてるけど。それだけだよ」

「ふーーーん?」

その冷たい圭史の視線に戸山は動揺を見せた。
「な、なんだよ。兄弟みたいなもんで、サバケタ間柄だぞ?」

それを聞いて、圭史は顔を前方に向け両手をポケットに入れると呟くように言った。
「……"みお坊"ね」

数秒間が空いて、うろたえた顔で戸山は言い出した。
「頼むから、み、…春日に何も言わないでくれよ?お前に余計な事言ったってばれたら何されるか……。ただでさえ辻谷関係者には神経過敏なところがあるんだ、あいつは」
戸山をちらりと見ると、すいっと顔を背けた圭史。
戸山は参ったように顔に手を当てため息を吐いた。
「あーあ……」
「なんだよ。ため息なんかして」
「明日辺り家に殴りこみに来そうで怖い……」
「あー殴られろ殴られろ」
冗談めかして言った圭史だったが、心の中は言いようのない気持ちが渦巻いていた。

 口では昔の事だと言うのに、実際名前が出たら、彼女は冷静さを欠く。
そんなに美音の中では、辻谷聡という人物は消せないのだろうか。

 圭史は堪らない気持ちになって、深いため息を零した。

 練習試合が終わり、野田校生がばらばらとテニスコートを後にしていく中、圭史は一人の姿を目に捉えるとそこへ足を向けた。
距離が一メートルと縮まった頃に、その人物は圭史の影に気づき顔を上げた。
「瀧野……」
「……聡に、余計な事言うなよ」
そう言った圭史の眼差しは強い意思が読み取れた。
「う、うん。言わないよ、絶対」
そう口にした川口の表情は真面目なものだった。作り物ではなく、心から言っている顔だ。
「……じゃあ、今日の事は大目に見といてやるよ。とりあえず」
圭史は片手を軽く挙げて、その場を後にしようとした。
「な、なぁ」
だが、躊躇いがちに川口に声をかけられて足を止めた。
「ん?」
「……ごめん」
殊勝な川口の態度に圭史はふっ、と笑みを零し言った。
「謝る相手が違うだろ?」
圭史はそう言ってからその場を離れた。

歩いていく先に、川口とのやり取りを見ていたであろう戸山の姿があった。

 小さな時から美音を知っているという存在。
美音が名前を呼び捨てにするほど気を許している男を圭史は今日初めて知った。
亮太の事も美音は呼び捨てにしているが、別にそれが特別の意ではないと分かっている。

 圭史は愛想笑いを浮かべることなく声を放った。
「じゃあな」
「おう、また」


そうして、圭史は僅かに残った学園祭へと戻っていった。