時の雫-風に乗って君に届けば

§6 装う日常


Episode 2 /4




 日が過ぎていくにつれ、学校の中は学園祭に向かって賑やかになっていた。
朝のちょっとした時間や休憩時間でも、あちらこちらで設定の打ち合わせ等がされている。どこのクラスも学園祭に向けて活気付いていた。

 その日も、いつもと変わらず午前の授業が終わり昼休みに突入した。
「じゃ俺売店行って来るな」
いつも一緒に食べている友人達にそう声をかけて教室を出ようと向かおうとした所で声が飛んできた。
「あ!ジュースもついでに買って来て」
「へいへい」

その注文を受けて、圭史は売店へと向かっていく。
1階に下りて売店に向かう途中に、この時間にしては、向かうには珍しい方向に、美音がお弁当を携えて一人で歩いていた。

―あの、方向は、生徒会室だよなぁ? この時間に?―

美音の姿に疑問を抱きつつも目的の物を買い終えると来た道を戻っていく。

手にビニール袋をぶら下げて返って来た圭史を見て、池田が口を開いた。
「谷折がさっき来てたよ。また後ででいいわ、つって帰って行ったけど」
珍しい訪問客に少しばかりの戸惑いを感じつつ、平生を装いつつ言う。
「そう。食べたら行ってみるか」

隣のクラスに行って亮太がいなければ、今の時間生徒会の用事で集まっている、という事だろう。
そんな事を思いながら圭史は昼食を済ませた。

 だが、谷折の所に行った圭史の目には、亮太の姿がしっかりと確認された。
そうではない事に気付きながら、出入り口から谷折を呼び訪問の理由を訊ねる。
それを聞いて、谷折はいつもと変わらずに口を開いた。
「学祭最終日の日曜日にな、練習試合申し込まれてるって話あっただろ?」
「うん。覚えてるよ」
2学期が始まって各部では3年の引退に伴い新部長が決定されていた。
テニス部の新部長は谷折だった。だから大まかな段取りは彼がこなしている。
「で、瀧野御指名なんだけど」
「……おれ?」
「そう。学祭当日だから公開試合になるんだけど、実行委員で忙しいだろ?」
「最終日だもんなぁ。 相手どこ?」
「隣の学校だよ、確か、野田高校だったと思ったけど」
きっと中学の時の奴が半分冷やかしで言って来たに違いない。
忙しいからと辞退したら後で何を言われるか分かったものではない。
「うーん、なんとか、してみるよ」
半分諦め口調で口にした圭史だった。
「で、これ後よろしく」
と谷折は用紙を一枚差し出した。
「何これ」
「学祭の出し物追加申請用紙」
「……同じクラスに溝口いるだろ?」
わざわざ隣のクラスの俺に頼むより早いだろう?という台詞だった。
「あいつは追われている仕事の量が半端じゃないらしく大変機嫌がよろしくない。
隣のクラスの橋枝会長は正直苦手だし、春日さんはここんとこ昼休みはいないし、放課後もつかまらないし」
圭史の目にも、校内を走り回っている美音の姿が映っている。
生徒会内でミスがあったとか無かったとかで、書類の消化が滞っていると耳にしていた。仕事で確認をとるにも実行委員は苦労をしているのが現状だった。
だから、圭史も最近まともに美音と会えていなかった。
「……頼まれてやるよ。出すだけでいーのか?」
「あと空白のとこ埋めといて欲しいんだけど」
「お前なぁ」
どこまで人に頼む気だ、と言わんばかりに眉を顰めて口にした圭史に、谷折は微笑を浮かべて言うのだ。
「頼むよ、文章書くの苦手なんだよ。それに本当は瀧野が部長だったんだから」
「ちげぇよ、俺は副部長だよ」
「どっちにしろ委員会で忙しいって言わなけりゃお前だったって」
「現にお前が部長なんだから、その話はもういいだろ。じゃ、これ出しとくから」
そう言ってその場を去ろうとして向きを変えた圭史に、谷折は軽口を叩きながら抱きついてきた。
「最近つれないなー、前まではもっとゆっくりしてっただろー」
「俺は忙しいんだよ、離せ気持ち悪い」
本気で嫌な顔をする圭史の肩に、谷折は腕を置いたまま、声を潜めて話して来た。
 圭史は動かそうとしていた足を止めた。

「ちょっとさ、小耳に挟んだんだけどさ、技術の課題でお前が“誰か”のを作っているらしいってのと、合宿の時夜に抜けて、委員会の方に顔を出しに行ったのは、女に会うからだって」

圭史の動きはピタリと止まった。顔も無表情になっている。

「実際2学期くらいから、なんか変わったよなぁ」
「……どこが?」
「うーん、はっきりとは言えないけど、こう、いつもつまらなさそうな何かに諦めたような顔してたけど、今はなんて言うか、目が以前と違って、うーん……」
首をひねる谷折に、「は、」とため息を吐いて口を開いた。
「で、俺が何だと言うんだよ?」
「俺が思うに、……彼女、いるんだろ?」
笑顔でそう聞いてきた谷折に、圭史は横目で軽く睨みつけてから、彼の首に腕をかけて締め付けながら言葉を放つ。
「委員会と部活で忙しい俺に、それは嫌味か。技術の課題のヤツは委員会の時に、丁度キーホルダーが欲しいって頼まれたからだよ」
「いたたたたた…、き、聞かれたんだよ、何か知らないのかって」
腕に尚力を入れながら圭史は言う。
「それで、そういう適当な事を言ったんじゃないだろうなぁ」
「い、い、言ってないっ、ギブギブ」
ぱしぱしと腕を叩いてきたので、谷折の首にかけていた腕を外してやった。
谷折は「ぜぇはぁ」と酸素を体に流し込んでいる。
そんな姿を目にしながら、一体どこからそういう話が回ってくるのか……、と思ってすぐ、一人の存在を思い出して、確認すべく問いかけた。
「お前、溝口と仲良かったよな?」
歪んだネクタイを直しながら、谷折はそれに返す。
「おう。一緒に飯食うくらいの。それが何?」
 この様子からして、別に「何かを」聞いている訳ではなさそうだ。
何かを聞いていたら、こういう時、谷折はニタぁーという無気味な笑みを向けるはずだから。
反対に余計な事を訊いて墓穴を掘ることは避けたいので圭史はそれ以上言うのはやめた。そして、他に抱いていた事を代わりに言う事にした。
「あいつって、結構くえない奴だよな」
「まぁ、そんなトコもあるかもネ」
まるで人事のように言い切った谷折。
軽くため息を吐いて、圭史は向きを変えながら用紙を見せるように上げて言う。
「んじゃ、これ出しとくからな」
「おう、よろしくー」

すたすたと廊下を歩いていく圭史の後ろ姿を眺めながら、さっき言った台詞を思い出して呟いた。
「……コートのお前見て知ってる俺は、お前の方がくえない奴だと思うぞ」



 途中、販売機で紙パックのオレンジジュースを2つ買い、その先へと足を進めた。
この時間は全く人気の無いこの場所で圭史は足を止めた。

―いるだろうか?―

そう思いつつ静かにノックをして戸を開け中に入った。
中からは少し冷たい冷房の効いた風がそよいできた。静かな生徒会室。
そして目に入ってきたのは、書類を片付けている途中で、眠気に勝てずそのまま眠ってしまったであろう美音の姿だった。
机の上で腕を組み敷いてその上で眠っている。
仕事の途中で眠ってしまうほど、彼女は疲れているのだろう。

最近はトラブルがあったとかで放課後は1つの場所に止まっていられないから、きっとこうして、昼に一人で頑張っているのだろう。前に見たときより大分書類の量が減っている。
 音を立てないように、出入り口近くの机に歩み寄ってジュースを置くと、そこの椅子に座り、手にしていた書類に目を向けた。
一通り書類に目を通すと、その用紙の端から盗み見るように美音の寝顔を眺めた。

ここのところ、忙しくて顔を合わせることが無かったのだが、活気付いた校内の様子とは反対に、美音の顔は疲労の色が濃くなっている。

まだ眠っている美音を確認して圭史は胸ポケットからシャープペンを取り出すと、用紙の空欄の所を埋めにかかった。
静かな部屋の中に、その音だけが聞こえていた。
それはすぐ終え、少し躊躇うように指でシャープペンを動かしていたが、悩んでいた何かを一掃するかのようにシャープペンを胸ポケットにポスンと入れ込んだ。
音を立てないようにその席を立つと、静かに彼女の机まで歩み寄る。
 美音の横に、書き終えた用紙とジュースを1つ置くと、微笑みながら静かに口にした。
「お疲れさん」
そうして、もう一つのジュースを手にして、圭史はその部屋を後にした。



 誰かの気配を感じて目が覚めた。
まだぼんやりとする意識を必死に抱えながら扉の方に目を向けた。
でも、誰かの姿が見える訳でもなく、景色は眠る前と変わっていなかった。
 だるい頭を起こしたものの、まだ意識がハッキリしなかった。

―なんで、寝てたんだっけ?・・・・・・ああ、どうしようもなく睡魔に襲われて、それで少しのつもりで寝たんだっけ―

体を起こすつもりで、両手を思い切り上に上げて伸びをした。

 今週中にこれを終わらせるのだと、美音は闘志を燃やしていた。
そうでなければ、落ち着いて他の任務にもついていられなかったからだ。

―さぁ、がんばろ―

そう思ってシャープペンを手に取った時、横に置かれていた物に気が付いた。
テニス部の追加申請用紙と、美音が好きなオレンジジュースに。
「はて?」
首を傾げつつ、それらに手を伸ばし美音はじっと見つめた。



 予鈴が鳴るより先に、教室に向かっていた。どこのクラスも、昼休みののんびりとした空間から少し鎮圧された空気に変わっていっていく最中だった。
3組の教室を通り過ぎているとき、体操服に着替えた男子生徒が出てきているところだった。
 亮太を含んだ数人のグループの中に、テニス部部長の谷折の姿を見つけて、美音は呼び止めていた。
「あの追加申請用紙、さっき届けに来てくれた時って一人だった?」
出しに来たのが彼だと思っている美音の台詞を本人はあっさりと否定した。
「え?俺じゃないよ瀧野に頼んだから。なんで?」
「え、と、ちょっと気付かなくて。気が付いたらあったから。あの変な事聞いてごめんね」

そう言って取り繕うように笑顔を向けた美音に、彼は少し惹きつけられたようで照れたとも言える表情を浮かべると、すぐに笑顔で言った。
「ううん、いいよ。……春日さんて、笑った顔可愛いね。思わず見とれちゃったよ」
言うだけ言って走って輪の中へ戻っていた。

言われた美音は目を大きく開けて暫しの間、動きを忘れていた。
思いもよらない言葉に反応できなかった。



 戻ってきた谷折のニヤついた顔を見て、亮太は多少呆れた顔で訊いた。
「どーした?そのニヤついた顔」
「え?春日さんて笑った顔可愛いなぁと思って」
それを思い出したのか、尚更谷折の口元は緩みきっている。
何か言いたげに谷折を見つめると、すいっと視線を外して言葉を投げた。
「あいつの中身は笑顔ほど可愛いものじゃないぞ。あんなの相手にしてたらこっちの身がもたん」
「なんで?」
「男は頼るものでなく、競争相手か仇と思ってるところがあるからなぁ。それに」
そこで言葉を止め、息を吸った亮太に、谷折は繰り返す。
「それに?」
まるでため息をつくような所作で亮太は言葉を続けた。
「自分の事に関してだけは、超疎い。あいつの事知ってる瀧野でも、あのニブさは一級品だと言うことはまだ知らないと思うぞ。知ってるのは俺ぐらいだろうな」
それを聞いても、納得いかないように口にする。
「ふーん、そんな風に見えないけどなぁ」
「……見えないからタチ悪いんだよ」
静かに紡がれた言葉に、谷折は言う。
「へー、じゃあ俺ちょっとそれ確かめる為にも彼女にプッシュしてみてもいいかしら?」
手をぶらぶらと振りながら、亮太は告げた。
「やめとけやめとけ、そんな事したらお前次は首締められるだけで済まないぞ」
「え?誰に?」
「さぁあな」
その含みを持った言い方に、谷折はただ首をかしげた。