時の雫-風に乗って君に届けば

§6 装う日常


Episode 1 /4




 2学期が始まると、慌ただしく学園祭の準備に追われていった。
始業式があった2日後に各委員会では学園祭の役割について話し合われた。
各行事恒例で実行委員会は特に忙しく、役員達は授業が終わり準備に割り当てられた時間になると各教室から姿が見えなくなっていた。

 生徒会室では、苛々した表情を隠し切れない3人が書類に埋もれながら1枚ずつ消化していく作業を繰り返している。
「あ〜っおわらねー」
堪えきれず、とうとう亮太が声を上げた。
「なぁ!休憩しようぜ休憩」
机の上に倒れ込むようにして作業を中断した。もう我慢の限界らしい。
亮太にちらっと目を向け、合わせるようにして手を止めたのは薫。
美音は黙々と手を動かしていた。

この状態がもう1週間を過ぎようとしている。各々がかなりのストレスを溜め込んでいた。それでも仕事の量は減らない。

薫も手にしていたペンを置き、伸びをしている。
「休憩しようか」
薫がそう言うと、亮太はお茶を用意すべく椅子から立った。
「この1枚あとちょっとで終わるからー」
美音は顔を書類に向けながらそう伝えた。

 お茶をコップに注いでいる亮太を、両手で顔を支え見つめながら薫は話し掛けた。
「選択の技術で、今月の課題シルバー細工らしいねぇ?」
「おーそうだよ。何しようか考え中でさ何かない?」
「んー?例えばどんなの作るの?」
薫の問いに、それぞれの机にコップを置きながら亮太は答える。
「まぁネックレスの飾りの部分とか、バッジやらキーホルダーやら」
「あー、キーホルダー欲しいー。作ってー」
薫のいつもと変わらない様子に、亮太は笑顔で口にする。
「おう。これでちょっとは考えるの楽になるわ」

丁度終えた美音が、その会話を聞いていたらしく、手を止めて「ふぅ〜ん?」と意地悪い笑みを亮太に向けた。
機嫌の良い笑みを浮かべていた亮太は、美音のそれに気付くと、何かを言いたそうな顔を浮かべてはいたのだが、すぐ顔を反らすようにしてコップに手を伸ばし口をつけた。

肩の疲れを取るように伸びをして一段落着くと、美音は窓の外に目を向けた。
外は秋の気配が少し見えつつある。
そしてそれが夏休みからかなりの時間が経過したように感じさせる。

そんな美音の耳に生徒会室の扉が開く音が耳に届いていた。
だが、きっと丈斗か快だろうと思って気にも留めなかった。
「いーなぁ、キーホルダー。私も欲しいなぁ家の鍵用に。私のも作ってよー」

亮太に向けて言ったところ、一瞬「バカ言え」という表情を浮かべたのだが、何かに気付いたようですぐ含みを浮かべた笑みになって言葉を返してきた。

「そこの同じ選択科目の奴に作って貰えよ。そいつは頼んだら作ってくれるだろ」
と、美音の横を指差すので、美音は、1年の彼らに何を言っているのだろう、と深く考えずぼんやり思った事をそのまま口に出した。
「えー?作れないでしょー?」
頬杖をつきながらため息混じりに言った美音。
その横後ろから聞こえてきた声は、丈斗でも快のものでもなかった。

「……俺、そこまで不器用ではないけど」

充分聞き覚えのある声に、驚いた顔で慌てて振り向いた美音。
そこには、いつもと変わらない表情に見えても、少し気落ちした様子の圭史が立っていた。てっきり、1年の2人だろうと思い込んでいた美音は慌てて口にする。
「あ、ごめ、野口君か藤田君だと思ってたから、ついそう言ったんだけど。ちゃんと瀧野くんだって分かってたら、ほんとー?作ってくれるー?って言ってた。うん」
美音が弁明しながらも必死に平生を装うとしているのが圭史には分かっているだろう。

そんな彼女に、自然と微笑を浮かべてしまう。そして圭史は亮太が見ていることにも気付かずに言う。
「じゃあ、春日の作るよ」
そう言われて、美音の顔は圭史に向けているものの、目は圭史の足の辺りを彷徨っていた。亮太から美音の顔は見えない。
圭史のその台詞を聞いて、美音の頬はほんのりと紅く染まった。
「……え、……いいの?」
「いいよ」
美音から見て、いつもと変わらない微笑を圭史は浮かべて答えた。
それが嫌々ではないのだと分かると、美音は小さく安心の息を吐いた。

「瀧野もお茶飲んでいけよ」
亮太にそう声をかけられて、圭史は美音から視線を外し返事をする。
「おう」
その時には先程の美音に向けた微笑は消えていて、普段友人達に見せる顔だった。
圭史は亮太からお茶を受け取ると、ニッと笑いながら言葉をかけた。
「じゃ、お返しにこれな」
と不意に差し出した書類の束を思わず受け取ってしまってから、亮太は顔を歪めて声を出した。
「おいー、俺に渡すなよー。誰か……」
と他の二人に顔を向けると、美音は何かを思い出したようにして席を立ったところだった。
「今日のおやつ〜♪」
白々しい台詞だが、おやつと聞いては自分の分を確保する為に、渡すことは出来ない。
亮太は男の割に甘い物が好きだった。
そして、薫はと言うと、机の上に山積みになっている書類に目を向けわざとらしくため息を吐いて言った。
「私って、一番進み具合が遅くって……」
「〜〜〜〜〜っ、おれかよ?!もー気ぃ狂いそう」
よほど精神的に追い詰められているようで、辛そうな表情を浮かべた亮太だ。
 美音はおやつのクッキーを器に盛り、部屋の奥にあるテーブルにそれを置くと、軽くため息を吐きながら亮太の手に捕まれた書類を取り上げた。
「しょーがないなぁ。私が貰ってあげるよ。1番仕事速いし〜」
「おっし!さぁおやつだおやつだ」
急に元気を見せると奥のソファに座り意気揚揚とつまみ出した。
美音はただただ苦笑するしかなかった。



 全員がソファに座っての休憩タイム。
薫の横に座っている美音は、クッキーを口にしてぼんやりとしていた。
「瀧野はうまいことおやつの時に来るな」
すでに3枚を食べ終わり、次に手を伸ばしながら亮太は言った。
「そうだよなぁ」
自分の事ながら感心したような物言いの圭史。
「もしかして狙って?」
冗談混じりの薫の声に、笑顔で答える圭史。
「あー実は、朝小さめの紙袋を持って春日が登校してきたら、今日は生徒会室でお茶会があるなぁと思って」
「チェックされてるんだ」
「はは、それは冗談だけど」
「あーでも、春日の作るやつは美味いからなぁ。この時ばかりは春日が女だという事を思い出すね」
その台詞が吐き出されたすぐ後、べし!という良い音が生徒会室に響いた。
それは、一瞬にしてテーブルの端に置いてあったモノサシを手に掴み、亮太の頭に叩きつけた音だった。
それを瞬時に行ったのは薫だ。
「あいたたたたっ」
「失礼極まりないなっこの男は」
薫の言葉に、美音は横で宥めるように手をひらひらさせて口を開いた。
「私もこの男に女扱いされても気色悪いだけだから。いーのいーの。
まー言われなくても自分の事は分かってるけど、ね」
諦めたような口調に、薫は一人ムキになって声を上げた。
「えー?そんな事ないよー?私男だったら絶対美音ちゃんに惚れてたよ!」
「そーそー、今だって橋枝はラブ春日の会会長だから」
半分投げやりな感じで亮太が言うと、薫はキッ!と鋭い視線を投げつけた。
亮太は「あ、やば」とでも言うように顔を背け逃げの体勢を作った。
 美音は乾いた笑いを口にしていた。
その様子を見て、薫は怒ったように言う。
「こんなに可愛いのに。ねぇ瀧野君」
急に薫から同意を求められた圭史。
「あ、え?……う、うん」
一瞬驚きを見せたが、戸惑いを見せながらも同意した。

それを見た美音の頬に、赤みがほんのりと浮かんだのだが亮太と薫は気付いていない。
俯きかげんのまま、手にしていたクッキーを口に運んだ美音と、圭史の間には微妙な空気が流れていた。
それでも美音はいつもと何も変わらないようにしてお茶を飲む。

「・・・・・・、あんまり食べないんだな春日」
亮太の声に、顔を上げた美音の顔は、いつもと変わらない表情に戻っている。
「あー、今ダイエット中―」
それを聞くや否や、亮太は隣に座っている圭史に顔を向けて訊いていた。
「こいつそんなに重かった?」
次の瞬間、美音の手に先程のモノサシが握られ、亮太の頭に叩きつけられていた。
「余計なことばっかり!そうやっていつもいつも!」
流石の美音も、亮太の言っているそれが、キャンプでのあの夜に抱き上げられた時の事を言っているのだとわかった。
叩かれた場所に手を当てながら美音の言葉に亮太は声を上げた。
「大体、体重でも何でも気にしすぎなんだよ!男から見たら細いだけで抱き心地も悪そうなの、誰がいいって言うんだよ。肉付きがいいくらいで丁度いいんだよ。お前の体型なんて誰も気にもしてねぇよ」
「こンのっ……」
美音はモノサシをこれでもか、というくらい反らして亮太に叩きつけようとしていた。
亮太は弁明するように言う。
「男なら誰でもそう思うって!なぁ瀧野」
同意を求められた圭史は、亮太と反対に顔を向けて頬杖をしながら言葉を紡いだ。
「巻き込まないで。それに今そう思ってるのは溝口だろ?」
「おい゛ーっ」
切羽詰った亮太の様子に、ため息を吐いてから圭史は美音に目を向けると笑顔で言った。
 今一番泣きそうな心境なのは美音だった。
「まぁ溝口の言う事は忘れて、春日は他の子より十分スタイルもいいし気にする事はないと思うよ」
「……あ、りがと……」
美音の手から力は抜け、テーブルにモノサシが置かれたかと思うと、その場を立ち出入り口へと向かっていく。
「どこ行くんだよ?」
亮太の問いに、振り返ることも無く答える美音。
「お手洗い」
そのまま美音は部屋を出て行った。
「なんだよ?気ぃ悪くしたのか?」
という亮太の言葉と同時に、横にいる圭史の顔からは笑みが零れていた。
「違うよー。照れて恥かしいから落ち着かせに行ったんだよ」
笑顔で薫がそう言うと、亮太は圭史に言葉をかける。
「ああいう事をよく正面きって言えるよな。俺は言えん」
「お前なー、そっちの言動が俺には言えないって」
「亮太は言い方が悪いの。あんな言い方で気にするなって言われても逆効果」
薫にそう言われ、顔をあちらに向けて亮太はぶちぶち言っている。
 圭史は、先程の美音の顔を思い出して、再び笑みを零した。
耳まで赤くなった、何とも言えない美音の表情を。


 それから数分経って美音が戻ってきた。すっかりいつもの表情だった。
手には小さな用紙が握られている。ソファに座ると、胸ポケットに入れていたシャープペンを取り出しカチカチと心を出して用紙に目を向けている。もうすっかり気持ちを変えてきたようだ。
「何それ?」
薫の問いかけに、それに目を向けたまま返した。
「廊下で入りにくそうにしていた5組の子に、書いてくれって頼まれたんだけどね。出し物に使うからって」
「何書くの?」
「次の色にイメージする人異性を書いて下さいって。心理テストかな?」
テーブルに用紙を置いて、書く準備をしだした。
「えーと、[黒]、……内藤君。[青]、……青ねぇ、轟会長しておこう。[赤]、は、足立さん、で、[黄]色は、……思い浮かばないから溝口亮太でいいや。適当適当」
「おい、適当で俺か?!」
「だって他に浮かばないしー、いいじゃん」
亮太にそう言って笑顔を向ける美音を、圭史は静かに微笑みながら見つめていた。
「んで、あとは[白]。うーん、白、白と言われて思いつく人」
誰か思い浮かばないかと、目を上に向けて考えていたが、ふと、亮太に目を向けてから隣にいる圭史の顔をジーっと見つめた。
それに耐え切れず、声を出そうとした圭史だったが、それより先に美音は用紙に目を戻した。
「瀧野君でいーや」
「お前ホントに適当だなぁ」
亮太の呆れた声に、美音は明るい笑顔で言う。
「まー、心理テストとはそういうもんよ。深く考えちゃダメなのよ」
「そうでっか」
 そして、この結果は、ここにいたメンバーが忘れ去っている頃の、学園祭当日に美音の手に届く事となる。

 美音は平生を装いつつ、圭史の普段と変わりない様子に目を向けていた。

―あの笑顔で誉めるのは、反則技もいいとこよね…―

さっきの動揺をひた隠しにしたまま、静かにお茶を飲んでいる。
 圭史にああ言われても、この日、美音はおやつのクッキーを1枚食べただけだった。