時の雫・風に乗って君に届けば

§4 期待して壊れて、期待して…


Episode 2 /4




「すっかり日も暮れたねー」
下駄箱から出た所で、すっかり暮れてしまった空を眺めて薫が言った。
「うん、終わったーって感じだね」

疲れた体を伸ばすように腕を空に向けた。美音の表情も、どこなく疲れていた。

「春日さん、自転車取ってきますから、校門の所で待ってて下さい」
丈斗はそう言うなり駐輪場の方へ駆けて行った。
生徒会で帰りが一緒のときは、いつも駅まで送ってくれるようになっていた。
「うん、ごめんねー」
丈斗の後ろ姿に声をかけると、他のメンバーはゆっくりと校門に向かって歩き出した。
美音もそれに続いていく。
校門の外に出た頃に、ちょうど良く丈斗が自転車に乗って着くという頃だった。

「もう暗いですし、後ろ乗ってください」
「ええー?私決して軽い体重じゃないよ?」
突然の申し出に、美音は一歩下がってそう言っていた。
「大丈夫ですよー。それに俺男ですし」
丈斗は笑顔のままそう言った。

見た感じ、本人が言うほど重そうには見えない。
でも美音は躊躇っている様だった。

 どうして、こう、女というものは体重にこだわるのだろう。
と思いつつ、亮太は押し進めるように言葉を放った。
「暗くて遅いから乗せてもらえよ。野口もその方が早く帰れるだろう」
「……あ、うん。では失礼させてもらって。後ろ向きに乗っていい?」
「いーですよ」
丈斗は動じることなく答えた。
動じたのは快の方だった。
「フツー横乗りするでしょー?」
「えー?いや。私は後ろ向きに乗るの」
きっぱりと言った美音。

自転車の後輪の上に後ろ向きで座ると、美音は平生とした様子で声をかけた。
「野口君乗ったよー。じゃあ、又月曜ねーお疲れ様―」
「お疲れ様ですー」
丈斗も続いてそう言うと自転車をこぎ始めた。
それらを目にしながら残されたメンバーは声をかけた。
「おーおつかれー」
「気をつけてねー」

 二人乗りにしては結構速いスピードで丈斗は漕いでいた。

−やっぱ男の子は違うなぁ−

感心しているうちに見慣れた景色はどんどん変わっていく。
学校から駅までの道のりは、自転車だとこんなにも近く感じるのかとぼんやりと思った。
駅まであと少し、という所で同じ高校の子を抜いたのに気づいた。
もう暗くなっているので、はっきりとは見えなかったが、何となく圭史のような気がした。

 駅前に着いた所で、反動が起きないよう自転車を止めて、丈斗は声をかけた。
「着きましたー」
「ありがとー。重かったでしょごめんね」
「大丈夫ですよ。じゃお疲れ様でした」
「うん、お疲れ様―またねー」
美音が手を振ると、それに笑顔で応え丈斗は自転車を漕ぎ出した。
あっという間に姿は小さくなっていく。

そして美音は改札口へと向かった。




 帰宅ラッシュも過ぎた時間、電車に揺られながらぼんやりと窓の外を眺めていた。
その間に、いつの間にやら、といった感じで地元の駅に着いていた。
いつものように扉は開き、そしてホームに降り立った。

改札口を抜けた所で、前方を歩いている美音に気づいた。
 あの後ろ姿は間違い無い、と、追いつくように走り出していた。

「体育祭お疲れ様」
距離が20,30センチに縮まった所でそう声をかけた。
彼女は思い切り油断をしていたようで、体をビクっ、と反応させてゆっくりと振り返った。

「あ、瀧野君。……駅の近くですれ違ったの、そうだったんだ」
そう言う彼女の表情は疲れが見えていた。
1日、生徒会の仕事で働いていたから無理も無いだろう。
「? え?全然気が付かなかったけど」

横に並んだのを見て、彼女は歩き出した。

 他愛も無い、それでも共通の話題を見つけ出しては、それを会話にした。
「生徒会の1年生は皆真面目?」
「んー、1名要領の悪いのがいてねー。なんか目が放せないかなぁ」
「それって、背の高い方?」
「そうそう。実行委員が見ててもそう思う?」

尋ねながら圭史を見上げてきた。その様子にさり気なく視線を外し言葉を綴った。

「いや、頑張ってるのが分かる子だなぁと。もう1人の子はてきぱきしてるよな」
「あー野口君ね。彼は気のつく良い子だよ。私の部下にしておきたいくらい」
そう言って、美音は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

「……部下、ね」
それを見て、思わず圭史はぽつりと呟いていた。
その僅か数秒後、言った後ではっとした。

心臓が不気味に鳴っているのを感じながら、美音の方を見られないでいた。
美音の怪訝な様子が伝わってくる。

「……、部下だよー?下僕じゃないよー?」

美音のその反応に、思わず吹き出していた。それは安堵の気落ちも含まれていた。

「ええぇえ?なんで笑うのー?」
「あ、ごめん、つい。悪気はないです」
「じゃあどういう意味だったの?」
仕事で食って掛かる様子が、今の表情にも少し表れていた。

「……え?」
美音の質問に、圭史は一人で気まずさを感じ、恐る恐る美音の顔を見た。
むーっとした顔を圭史に向けて答えを待っている。

「え、と、悪い意味で言ったんじゃないけど、すぐに悪い方向にとったから、さ」
本当の事を言える筈が無く、圭史はそう口にした。

「そーかなぁ?」
首を傾げながら美音はそう返した。

とりあえずその答えで納得してくれたようなので、安心の息を小さく吐いた。

「そう、だよ」

「そう?」

念を押すように、再び美音は尋ねた。圭史をじ…、と見つめて。

「そ、そう」

そのしぐさに、じわじわと湧き上がってくる自分の中の何かを感じながら、ぎこちなく圭史は頷いた。
その時、そう返すのがやっとだった。

心臓はどきどき言っている。
薄暗い道を二人で歩いていて、彼女は飾りの無い自分を向けてくれていた。

なぜ心臓はこんなに騒いでいるのだろう。

変わりの無い毎日のはずなのに、今まで抱いたことの無い感覚が圭史を襲っていた。

自然と手に力が入り拳を作っていた。

そして心の中に生じる躊躇い。

 ちろ、と隣にいる美音を様子見た。彼女は仕事中と違って柔らかな表情だった。


暫く沈黙が続き、思い出したように美音が口を開いた。
「そー言えば、同じ中学の子って他にいたっけ?」
「……、男子はあと4人いたと思うけど」
「そんなもんだっけ?」
「結局受かったのがその人数みたい。まぁ、殆ど野田高校に行ってるから」
「あー、そうだよねぇ」

野田高校、と口にして、圭史は体の中に冷たい戦慄のような物が走った感覚を受けた。

「うん」
どうにか、そう相槌を打って目線を俯かせた。

忘れていた嫌な感覚が、心の中を渦巻いていくようだった。
そして、なんとく、次に紡がれる言葉は分かっていた。

「今でも、中学の子と付き合いある?」
彼女は遠慮がちな微笑と、躊躇いがちにそう尋ねていた。

一瞬先に分かっていても、心は少なからず動揺を見せていた。
「えと、たまに電話きてるみたいで。……、まぁ、いろいろ」
圭史は無理矢理笑顔を作って美音に向けた。

「そう」
美音はそう口にして微笑んだ。

それ以上、聞いてくることはせず、再び沈黙が二人を覆った。

嫌な心臓の音が圭史の心を締め付けていた。

 そして、不意に呟かれた美音の言葉。
「……仲良かったから知ってて当たり前、だよね…、私の事……」

心臓がどきーっと嫌な叫び声を上げた。

圭史は美音のそれに聞こえなかったフリをし、黙々と歩いた。


 美音の家の前につくと、圭史は笑顔を向けて言った。
「じゃ又学校で」

そう言われて、美音は笑顔で圭史に口を開いた。
「送ってくれて、ありがとう」

美音が手を振ってくれたので、圭史も軽く手を上げて応えた。

 それだけで、少し穏やかな気持ちになり、圭史は又歩き出した。

美音はじぃ…と見つめていた。その背中を、角を曲がって見えなくなるまで。

それに圭史は気づく事はなかった。

 角を曲がって、圭史は家に向かって歩いている。

そして思い出される美音の台詞。
「……仲良かったから知ってて当たり前、だよね…、私の事……」

美音が好きだった辻谷 聡と圭史は仲が良かった。実際今でもたまに、連絡があったり、時間が合えば会ったりしている。
 圭史は聞かれることが無い限り、聡に美音の事を話さない。

 この所、一緒にいる時間が楽しくて、頼りにされる事が嬉しくて、……忘れていた。
その事を。

一番良くわかっているはずなのに。

 圭史は自分の手のひらを見つめると、それを顔に当て大きくため息を吐いた。

−ばかだ、おれ……−