時の雫・風に乗って君に届けば
§2 染み入る雫のように
Episode 2 /4
廊下をとぼとぼと歩く美音の隣で、亮太は先程の二人の様子について訊ねていた。
「話の内容がやけに親しい間柄に聞こえたけど」
「え?……あぁ、うちの親と瀧野君の親、‘つーつー’なんだよ。母親同士仲良くてね」
「ふぅん。の割に瀧野の話し方がいつもと違うような……」
「んー、なんか親が仲いいから変に意識して話せないと言うのがあって。向こうもそんなので話し難いみたい。
嫌われてるまでは、いってないと思うんだけど」
美音は歩く先に顔を向けている。
その真面目な表情は、これから教員達に説得される事を予想して対応を考えているからだろう。
「いや、瀧野のあれはどっちかと言うと……」
もごもごと言った亮太の言葉など、美音の耳には届いていないようで、頭の中は今から向かう先の事に悩ませていた。
翌日木曜日の放課後、生徒会室では明日の実行委員会で渡す事になっている書類の準備をしていた。
前年度まで、行事等に使用される書類の原本は、中身バラバラで適当にあちらこちらにファイリングされている。
美音はその都度、必要な原本を探し出して揃えると、それ専用にファイルを作って整理していた。
「じゃ溝口君、この背表紙の見出し作りよろしく」
「はいよ」
同じ部屋で薫は別の書類を整理していた。
そこに、生徒会顧問が久々に姿を現し、苦笑しながら声を出した。
「春日、毎度悪いけど、今日も帰りに教員室に寄ってくれな」
それを聞いて露骨に嫌な顔をし、美音は非難めいた声を上げた。
「またですかぁ?たまには違う人を呼んでくださいよ」
そうして亮太に視線を転じると、彼は熱心に仕事しているフリをしていた。
「まぁまぁ、そう言うな」
それだけ言うとさっさと教員室に戻って行った顧問である。
「ふぅ」
こつん…、と額を机にうつ伏せると、疲れたように目を閉じた。
「私の性格は会長向きではないんだけどな……」
ポツリと呟かれたそれ。
他は黙々と作業を進めており反応を誰も示さなかった。
夕暮れ時、美音がやっと教員室から出てきた頃には、他のメンバーはすっかり帰宅した後だった。
疲れきった気表情で鞄を肩にかけ直すとゆっくりと学校を出た。
「さよーならぁ」
門衛に挨拶をして校門を出る。
いつもと変わらない風景を歩いていた。
生徒が帰宅するような時間ではないので、道に人の気配は殆ど無かった。
「はぁ」
ここのところ、気が付けば溜め息を吐いていた。
生徒会の仕事はこの時期は殆ど無いのだから、こんなに気分が沈んでいなくても良い筈だ。
もっとも、仕事が忙しくても気分が沈む事は殆ど無かった。
いつも歩き慣れた道を無意識でも足は進んでいく。
長い間ボーっとしていたように感じた、その次の瞬間、美音は自分の後方から聞こえる足音に気付いた。
−……?−
自然に足の速度は落ちた。様子を伺うように、警戒するように。
すると、背後の気配が一瞬そこで停まった。
美音は顔を動かさないようにしつつ怪訝な表情を浮かべた。そしてすぐ足の速度を速めた。
−きっと、気のせいだ−
そう思って早歩きで道を進む。
だが、後方の足音は美音の速度に着いて来るではないか。
−………!−
途中、道路の端にミラーがあった。
足を動かしながら、大きな動作にならないようそれに目を向け背後の人間を様子見た。
学校の制服ではない。もっと地味な服装だ。
顔はよく分からなかった。ミラーに映ったその姿は歪んで見えるからだ。
このまま駅に向かう道を真っ直ぐ行けば、途中細い道が一ヶ所ある。
人気の少ない時間帯。日が沈みかかっているので辺りは段々と薄暗くなっている。
心臓の音が嫌な音になって体中を駆け巡った。
−次の曲がり角を曲がって全速力で学校に戻ろう……、誰かしらいる筈…っ−
泣き出したい気持ちを必死で堪えて、恐怖心で足元を取られないように注意を払いながら、美音は懸命に歩いた。
それでも、少しずつ距離が縮められている気がした。
後ろの嫌な気配が段々忍び寄ってくる。
体中の血の気が引き、堪えても目の端には涙が浮かんでくる。
あまりの恐怖心に足が縺れそうになるのを、懸命に運んでいた。
縋る思いで必死に歩いた。
数メートル行った先に脇に続く道を見つけ、美音はそこを曲がると一目散に学校に向かって走り出した。
後方でそれを見て走り出した音が、耳に届いた。
そして何かを口にしていた。男の悔しそうな声だった。
それが何なのか、今の美音には分からない。
美音は今までに無いくらいの全力疾走で、出たはずの学校に向かった。
追いかけて来ていた足音がどこまで着いて来たのかさえ美音はもう分からなかった。
あまりの恐怖心で爆発してしまうのではないかと思った。自分の心が。