時の雫-風に乗って君に届けば
§12 光が満ちるトキ
Episode 9 /12
１、２年生の一般生徒は休校扱いとなる卒業式、実行委員は役目があるため登校だった。その日の朝、圭史は駅の改札口で壁に背を預け立っていた。
登校にしては遅い時間なので人の姿はまばらだった。だから、すぐ気付いた。
「おはよう」
目が合った瞬間にお互いがそう挨拶を交わした。
目が合う一瞬前に美音は驚いた顔をしていたが、すぐ笑顔を浮かべていて。
「こんな時間に登校って言うのも悪くないよね」
「そうだよな」
ようやっと最近は、顔を合わしても、つい先ほどまで会って話していたかのように接してくれるようにまでなっていた。
美音の歩調に合わせて階段を上り、ホームに出た所で圭史は言葉を紡いだ。
「ほんと、伊沢と仲いいよね」
その台詞に「ん？」と顔を上げてすぐ笑顔を浮かべると、美音はとても嬉しそうに言う。
「うん。いさちゃんは私の憧れでもあって、私が男だったら絶対惚れてたと思う」
― ……。 ―
本当に好きなんだと言うのが顔を見るだけでも分かる美音の様子に、内心複雑な気持ちを抱いている。
客観的に見て、栞は美音とは違う雰囲気を持っている。穏やかな空気とでも言うのだろうか。見るからに細身の体で柔らかそうな長い髪はいつも結われていた。
物腰が落ち着いていて、誰かといても聞き役の姿を見た事しかなかった。
だから最初、圭史は栞の事を大人しいタイプの子なのだとしか思っていなかった。
― ……まぁ、ただ大人しい子だったら、春日も谷折も好きになってないだろうけどな ―
「……で、現実女の今は絶対に惚れてるのは誰？」
少々意地悪な視線を美音に向けながら圭史はそうぼそりと呟いた。
耳に届いた数秒後、美音はびたっと動きを止めたが、すぐ笑顔をぎこちなくても浮かべると口を開く。
「や、やっぱり、……」
思ってもいなかった返答に圭史の心臓はドキッと鳴った。
「いさちゃんかな。あはは」
とって付けた様なその笑い。赤い頬でぎこちない笑顔を向ける美音に、「しょうがないなぁ」という表情を浮かべてから来た電車に顔を向けた圭史はため息混じりに放った。
「……立場ないなー俺」
その後、美音が何かを言っていたのだが、電車の音で圭史の耳にその言葉は届いてこなかった。
会議室が実行委員の招集場所になっており、圭史も他の実行委員同様そこにいた。
「あれ、腕章一つ足りなくね？」
一人がそう声を上げた。それに目を向けると、確かに一人分足らない。
「生徒会室行って貰って来いよ」
「えー？ 生徒会室なんて行きにくいよ」
そう話しているのは１年生だった。
圭史は手に持っていた腕章を彼らに差し出し言った。
「これ使えよ。貰ってくるからさ」
「あ、すいません。ありがとうございます」
「どー、いたしまして」
緊張気味の彼らにふっと笑みを浮かべると、圭史は言葉を放ってから会議室を出て行く。
隣の部屋の生徒会室に行くと、そこには丈斗と美音がいた。
亮太と薫は講堂に行っているらしく、顔を合わせずに済んだ事を内心ほっとしたりもした。
「ごめん、腕章一つ足りないみたい」
「腕章？ 今すぐ出すね」
圭史の言葉を聞いて美音がすぐ立ち上がり扉にいる圭史の方へと歩いてくる。
「腕章、書庫室なんだ」
笑顔で美音は言うと、また一つ隣の部屋へと向かう。それについて行くように圭史も進んだ。
ポケットの中から鍵の束を出すと、美音は慣れた様子で一つの鍵を選び出しノブにある鍵穴に差し込んだ。
扉を開け中に入ると、出入り口付近以外の所はじゅうたん敷きになっている。
美音は靴を脱ぎ入っていくが、圭史はそこで立ち止まったままだ。
すると、美音は振り向いて笑顔で言った。
「入っていいよ」
「うん」
それを聞いて圭史も靴を脱ぎ中に入っていく。
美音はとある棚の前で止まると思い切り背伸びをして棚の上にある箱に手を伸ばした。
「あ、やっぱ無理か」
全然届かないのでそう言葉を溢した美音。圭史は後ろから手を伸ばしひょいと取った。
「はい」
「あ、ありがと。……また、背伸びた？」
箱を受け取ってから美音は見上げるようにして圭史に目を向けそう言った。
「……どうだろ？ ４月しか身長計ってないしね」
「４月の時は、もっと目線がここら辺だったような気がするなー。いいなー男子はまだ成長期で」
「春日って何センチあるの？」
「１６０センチあるかないか」
「それくらいが丁度いいよ。体重は？」
「中１の時は同じくらいだったよね。あんまり目線変わらなかったから」
「あ、うん。あの頃はかわいいもんだったよな」
「あんまり男女差なかったもんね。今とはえらい違いだわ」
「うん」
覚えていないだろうと思っていた昔の頃の話を聞いて、圭史は心の奥が懐かしい様なくすぐったいような気持ちに駆られた。
「まだ伸びそうだよね」
「どーかな。兄貴は１７６センチで止まったみたいだけど」
「へー」
「……って、密かに話し逸らしてるよね？」
「……え？何が？」
「体重」
「……うう、その話は許してください」
目をぎゅっと閉じて箱を抱え込んで言う美音に、圭史は不思議そうな顔をしながら口を開く。
「気にするような体形でもないのになぁ。何と比べてんの？」
「だって、妹細いし、中学の時はもっと軽かったし、……うにゃうにゃ……」
「細すぎは魅力ないと思うけど……？」
そう口にした圭史はじーっと美音を見つめている。
明らかに顔ではない所を見られているのが分かる美音は頬を赤くしながら言う。
「な、なに？」
「んー、やっぱり中学の頃と今では発育が違うしさ、付くべく所に付いてるし気にするものでは」
「……え？」
「胸とか」
そう言われて、視線の先が自分の胸だという事を知った美音。
「ひゃああぁ」
顔を真っ赤にさせて圭史を突き飛ばした。
「おっと」
よろめいてもすぐ体勢を整えた圭史は、しゃがみ込んでいる美音を見てお腹を抱えて笑い出した。
「もう！……な、なんか、瀧野くんってばキャラ違くない？前からそんなだったっけ？」
「ははは、……いや、多分違う」
「なんで？」
「ん、春日限定だから」
圭史がそう言った途端、ぼっと音が出るくらいに美音の顔が赤く染まり、それに耐え切れず声を上げながら必死で顔を隠して背を向ける美音だった。
「きゃーきゃーきゃー。反則技―、それ反則技」
圭史は楽しそうにくくくっと笑っている。
「わ、分かっててやってるでしょ……！」
赤い顔のまま目の端に涙を浮かべながら、迫力なくキッと目を向けた美音に、目線を斜め上に向けて圭史は素知らぬ顔で言った。
「ん？何が？」
「その顔は分かってるくせに……！」
それにただにっこりと笑顔を向けた圭史に、美音は何も言えなくなった。
「……もう」
諦めた美音は箱の中から腕章を取り出し元の場所に戻そうと手を伸ばしかけた時に、すいっと手に取り棚の上に圭史が上げた。
受け取った腕章をその場で左腕に通し、安全ピンに指をかけた時だった。
「つけたげる」
そう言って圭史の左腕に手を伸ばした美音にそっと目を向ける圭史。
間近で見る彼女に、心の中では勝手に愛しい気持ちが湧きあがってくる。
― いま手を動かしたら刺される、いや、刺さるだろうなぁ ―
そんな事を思った頃、視界に入っていた扉にふと気付いた。
ちゃんと締め切ってはおらず、数センチ空いた隙間から廊下の様子が見えていた。
美音が安全ピンを付け終えたのを確認して圭史は声を出した。
「美音サン」
名を呼ばれて顔を上げた美音の手をすっと握り圭史は身を屈めた。
したのは頬に触れただけのキス。
それに美音はくすぐったそうに片目を瞑り、頬を赤く染めて言う。
「くすぐったいよ」
圭史はそれに優しい笑みを向けてから、そのまま目だけを扉に向けた。
扉の隙間から快の姿が見えていた。
愕然とした表情を浮かべて、固まったその体を動かすのさえやっとのように見えた。
蒼ざめたままの顔。
そんな快が圭史の視線に気づいたようだった。
圭史は細めた目に、ただ冷たい笑みを浮かべた。
校内放送で役員は講堂に招集がかかり、圭史もそこへと向かった。
美音は校舎入り口の所に案内係として既に向かっており圭史とは別れた後だった。
講堂に入ると、壇上前で出入り口に背を向けて亮太が立っておいた。
圭史が姿を捉えてすぐ、亮太は振り返り気づくといつものように言葉を放つ。
「おっす」
「おっす。昨日はお迎え間に合った？」
「おう、どうにか。今朝も幼稚園まで送り届けてきたよ」
「妹がいるってどんな感じ？」
「なんで？」
「俺、男兄弟の真ん中だから」
「うーん、言う事は生意気だけど、でも可愛いかな。やっぱ」
「ふーん、溝口も家ではフツーのお兄ちゃんしてそうだなぁ」
「おま……、まるでここではフツーじゃない言い方すんなよ。……って、前春日とまんま同じ会話だよ。あーやだやだ」
そう言って首を横に振る亮太に、圭史は笑いながら言う。
「何がやだって言うんだよ。失礼なやつめ」
「どっちがだ」
靴を履き替えた美音は校舎入り口付近に立っていた。
今日は天気がよく小春日和だった。まだそんなに卒業生の保護者が来校していない時間なので、美音はのんびりとしている。
そこへ近寄ってきた足音があった。最後に砂を踏む音がし背後で止まったのを耳にして美音は何気なく振り向いた。
それは暗い表情をした快だった。
美音は何の表情も浮かべずただ一言言った。
「何？」
「……今、一人ですよね？」
「？ もう少しすれば、実行委員が来るけど？」
いつもと違う雰囲気に疑問を抱きながらも美音はそう答えていた。
「あ、いや……。俺の事、見てもらえないんですか？」
悲壮な顔でそう言う快に美音は真っ直ぐと視線を向けた。
「……。５月の顔合わせの時から、ずっと藤田君は生徒会での後輩とだけ思ってきてるから。それ以上でもそれ以下でもないよ。仕事を真面目にしてる分、野口君の方がまだ特別に思えるかもしれないけどね」
何の感情も込めずそうさらりと言った美音に、快は尚口を開く。
「……あの、瀧野って言う人と付き合ってるんですか？ 今」
その問に美音はため息をつきたい気分に駆られながら言葉を紡ぐ。
「そう、だけど？」
「なんで、ですか？」
「私が好きだから。それ以外に理由はないでしょう？ 以上説明終わり。早く持ち場に行きなさい」
「……はい」
快が向きを変えその場から歩いていったのを見て、美音は「まったく…」とぼやきながらため息を吐いた。
青空の見える空を見上げると、そよ風が美音の髪を撫でていった。
何かを思った訳でもないのだが、風が通り過ぎた方向に顔を向けると、丁度そこにはここに向かってくる圭史の姿が見えた。
美音の顔に自然と笑顔が浮かんだ。
丁度来校のピークが過ぎ去った頃、人が空き、美音の傍で圭史は缶ジュースを飲んでいた。
とある卒業生の母親と一緒に歩いていたこの学校の制服を着ている女子生徒が、校門を抜けた所で美音に向かって一直線に走ってきた。
「……？」
口から缶ジュースを離し、圭史は傍観する。
あっという間に近づいてくるその姿に、美音も気がついたようで微妙に笑みを浮かべたまま顔を向けている。
「美音せんぱーい！」
あっという間に近づいてきたと思ったその生徒は、そのまま美音に飛び込むように抱きついた。美音も分かっていたようで余裕の表情で彼女を抱きとめていた。
「……。」
それは松内だった。圭史の顔は無表情になっていた。
松内は美音から離れる事無く、事もあろうにそのまま美音の胸に頬付けていた。
圭史の手に持った缶がぺキッと音をたてて指で持っている所がへこんでいる。
松内はその体勢のまま圭史にちらっと目線を向けたかと思うと、にっと言う意地悪い笑みを浮かべた。
尚更へこむ缶に無表情のままの圭史だった。
「あ、この間はお手紙ありがとね」
思い出したように笑顔で言った美音。
そこでようやっと松内は顔を上げ離れた。
「あ、いいえー。友達が手に入れてきたヤツですから。私はいらないですし」
「んー、でも今度お礼するね」
「いーですよー。で、あとどうしたんですか？」
「１枚は部屋に置いてて、小さい方は手帳に」
「そうですかー」
圭史は残りをぐびっと飲むと徐に声を出した。
「で、何の話？」
それに美音は存在を思い出したような顔をし、ぎこちなくも笑顔を浮かべる。
傍までやって来た母親が松内の名を呼び、松内は二人に笑顔で挨拶をして行ってしまった。
残った二人。美音は変わらずぎこちない表情でいるし、圭史は何か言いたげな視線を横目で向けている。圭史は諦めたように息を吐くと声を放った。
「あーあ、空き缶捨ててこよ」
走って行ってしまったのを視界に捕らえて、ほっと安心の息を吐いた。
空を見上げれば良い天気で気持ちまで良くなってくる。
そして、美音はごそっとスカートのポケットから生徒手帳を取り出しそっと表表紙を捲る。
「へへ」
そこには手帳サイズに切られた１枚の写真。テニスウェアを着た圭史の姿が映っていた。
「一番凛々しい瀧野くん。テニスしてる姿好きなんだー」
「……どれ」
突然降って出た肩越しの声に美音は心底驚いた。
「きゃあああ」
叫び声を上げつつ真っ赤な顔で振り向けば亮太だった。
「うお。耳がキーンときた」
「なっ、なっ、……！」
「まぁ落ち着け。とり合えず、写真は見といたから。独り言も聞いておいた」
「〜〜〜っ！け、気配消して、後ろから！悪趣味！」
「気付かなかったのはそっちだろーが。俺は何も悪くない」
無防備だと言うように両手を広げてみせる亮太。
そこへ圭史が戻ってきた。
「？」
何かあったのかと不思議そうな顔をする圭史を見て、亮太は美音に顔を向けにっと笑った。
それを見て汗をかいたような顔をする美音。
その隙を衝いて亮太は手に持っていた生徒手帳を素早く取り上げると、ほいっと圭史に投げた。
「ほらよ」
「あっ！！」
「おっと」
「春日、１０分後に講堂入り口に集合な。……瀧野、それが一番凛々しくて好きなんだとよ」
「うきゃー！」
あまり見られない美音の焦りように、圭史は受け取った手帳を広げようとした。
慌ててそれを取り返そうとするも、圭史はそれを片手で持って宙に上げ美音の手が届かないようにした。
「わーん」
必死で圭史の腕を下ろそうと掴んでみてもびくともしない。
圭史はそこに入れられている写真を見て一瞬止まった後、声を漏らした。
「おー」
そうして、美音に目を向けると真っ赤になっていた。
「これが一番だったら、今一緒にいる俺は？」
これ以上染まる所がないくらいに真っ赤になった美音は必死の様子で言葉を放つ。
「……知らない！もう行く！！」
涙目になったそれを構わずに美音はその場から脱兎の如く走り去っていった。
「……あ、……」
やり過ぎたのかな、と思いつつも、顔はにやけてきて治まり様がなかったのだった。
生徒会招集の時間、美音は亮太と目が合うと、思い切り不機嫌な顔しあてつけのように顔を逸らしていた。
亮太はその度に「やれやれ」という顔をし、後一人だけ思い切り沈んでいる人間に目を向けては何とも言えない顔を浮かべていた。
それに丈斗は最初は首をかしげていたがそのうち気にもしなくなり、薫は我関せずという様子で、卒業式は無事終わる事となる。
2005.9.17