時の雫-風に乗って君に届けば
§12 光が満ちるトキ
Episode 7 /12
美音の家の前で別れてから圭史は急いで家に帰り、即座に部屋に上がり服を着替えてすぐ玄関に降りた。
毎日歩きで行く道のりを今日は自転車で向かい待ち合わせ場所へと向かって行った。
そして、待ち合わせ場所に12時半丁度に圭史は辿り着いた。
「あれ?谷折は?」
既に待っていた栞に圭史は開口一番そう訊ねた。
「ううん、まだ姿見えてないよ」
その台詞に圭史は深くため息を吐いてから栞の横に立ち柱に寄りかかった。
そして谷折がやってきたのは10分後だった。
「ごめーん、遅くなって」
急ぎ足でやって来た谷折を圭史は頭をぽかりと殴ってやった。
「いてー」
「何でお前が遅れて来るんだよ!」
「だって家に帰ったら姉貴がいて、昼飯作らされたんだよー。これでも急いで来たんだって。待たせてごめんって」
「ったく」
「じゃあ谷折君、昼食とってきたの?」
「え?ううん、食べてない。……二人は?」
栞が見上げてきたのを見て、圭史が口を開いた。
「食べてないよ」
それを聞いてから栞は言う。
「うん私も」
「じゃとり合えず腹ごしらえ腹ごしらえ」
ご機嫌をあらわにしている谷折を見て、圭史はため息を吐かずにはいられなかった。
ファミレスで昼食をとってから、その駅にある地元では有名な店に入った。
若者向けのデパートで1階から7階まである。
「とり合えず、ホワイトデーの方から見ようか?」
栞の言葉に谷折が笑顔で頷く。そのまま1階に突き進んで行きながら栞は言う。
「どんなのにするか考えてるの?」
「えーと、予算が○○○円なので、それにはまればって感じかな。何がいいかな?」
その隣に立つように谷折が答えている。それを少し後ろで眺めている圭史がいた。
「……。」
ふと横に並んでいるヘアアクセサリー類が目に入った圭史は足を止めて眺め始めた。
それから隈なく商品を目にしてから顔を上げた。
― うーん、今結べるほど長くないしなぁ。……どーかなぁ。ちょっと聞いてみよ ―
顔を上げると圭史は二人が見ている所へと向かった。
そこでは、谷折が人数分あるか数えているところで邪魔をしないように、栞に聞こえる声で圭史は言う。
「髪留めとかどう思う?」
「どんなの?」
「えーと、ゴムにモチーフでビーズがついてるやつとか。でも、今結んだりしないよな?」
「喜ぶと思うよ?ちょっと結ぶのにも使えるし。あと、ヘアクリップとか勉強してる時便利だけど」
「ヘアクリップね。見てこよ」
そう言うなり圭史はまた先程の場所へと向かっていった。
そんな圭史を眺めて栞は一人微笑んだ。
そこでの買い物を終えて、今度は5階の文具雑貨に移動した。
卒業生へのプレゼントを見ている時、ふと圭史の手が止まった。
「ん? 今春日の声が聞こえたような……?」
そう呟いて辺りを見るが姿は見えない。暫く沈黙したが、聞き間違いかと思いまた顔を戻した。
それから間もなくして谷折が驚いた様子で駆けて来たのだ。
「おいおいおい、瀧野瀧野」
大きい声を上げたいのを堪えたその声に圭史は面倒くさそうに顔を向ける。
それに構わず谷折は圭史の腕を掴んで引っ張っていく。
「おい、なんだよ」
「今、春日さんらしき人物を見かけた様な気がしたんだけど、違う?」
「……、どこで?」
「手帳や万年筆が置いてある所なんだけど」
それを聞くと、圭史は一人でそこへと歩いて行った。
そこへ向かう途中に、見慣れた人物を一人目にしたような気がして、圭史は足を止め振り向いて確かめるように目を向けた。
そこは紳士雑貨が置いてあるコーナーでそこの一人の青年が手に商品を持って眺めている。
― ……あれは……? ―
いつも見慣れた制服ではないが、背格好は頭に浮かんだ彼のはず。
圭史が動こうとする前に、その彼は圭史が向かおうとしていた場所、奥の方へと顔を向けた。
その横顔を見るに、彼は間違いなく亮太だった。
だが圭史は亮太の表情を目にして動く事を忘れ去っていた。
亮太のそんな表情を見たのは初めてだったから。
彼の瞳は穏やかでありながら、どこか哀しげな諦めにも似た色を燈していた。口元は優しい笑みを浮かべていたが、自嘲気味にも取れるそれ。 普段からの彼にしては想像のつかないそれに、圭史は驚きと共に嫌なものを感じた。
― …………? ―
後を追ってきた谷折が、圭史の肩に腕を置き言った。
「あれあれ、ほら。あれって春日さんだろ?」
谷折の示す方向に目を向け、圭史の動きは止まった。
谷折の言うとおりそこに見えるのは美音だった。
だが、その方向は亮太が目を向けていた方向でもあったから。
今はもう亮太は手元の商品に顔を向け、先ほどの表情は見られない。
美音がふいっと見ていた所から顔を逸らし亮太の元へと歩いていく。
その顔になんの表情も見られない。普段どおりの彼女。
亮太の隣で足を止め何かを話し出す美音を、顔は変わらず商品に向けたまま亮太は笑みを浮かべ言葉を交わしていた。
圭史の心には本人気付かずうちに重いものに覆われていた。
美音の横にいるのは亮太でその様子は仲睦まじく見えたからだ。顔には笑顔が浮かんでいて、美音の表情には少しもたじろぐ様子は見られず二人の距離の近さが窺い知れる。
「なんかこうして見ると、あっち二人がカップルに見えるな」
何気ない谷折のその言葉を聞いて、圭史は無条件で膝蹴りを入れた。
「つまらんこと言ってないで、買う物さっさと決めろよ」
「……あい」
その反応で、自分の言った台詞がどんなに圭史を不機嫌にさせたのか分かった谷折はそれ以上何も口にしなかった。反対にぎこちない表情を浮かべたまま、圭史を見る。
圭史はそのまま踵を返すと先程いた場所に戻っていった。
一変して曇り空のような心を抱いたまま、圭史は目の前にある商品を眺めている。
そこに並んでいるものは以前から欲しいと思っていた物だったのに、全く目に入ってこなかった。
それでも、必死にどれが良いだろうと考えようとする自分自身に、どこか焦燥感にも似たものを感じつつ懸命に冷静になろうとした。
一瞬しか目にしなかった光景が、目の前をちらちらと過ぎっていく度に圭史は鬱蒼とした気分になる。
考えなくても良い事まで頭は勝手に考えてしまう。
今日の買い物に誘った時の美音の反応は予想通りで、その時の言葉も嘘ではなかったと分かる。
……でも、その今日に亮太と二人で買い物に行くとは聞いていなかった。
ほんの数時間前には、何か起こった事に耐えるように涙を流して自分と一緒にいてもまだ元気を取り戻せていない様子だったのに。
「……溝口には、すぐにあんな顔できるんだな」
「……へ?」
実はまだ隣にいた谷折が、ぼそっと吐き出された圭史の言葉に耳を疑ったような顔をしてそう声を漏らしていた。
それを聞いてはっとした圭史は、ふいっと顔を向こうに向けて言う。
「……買い終わったら帰るぞ、早くしろよ」
「え?でも」
谷折の言葉に何も返事をせず、圭史は目に入ってこない商品たちを眺めていた。
そんな圭史の様子を暫くの間、谷折は眺めていたが、小さくため息を吐くとその場を静かに離れていった。
谷折がいなくなってすぐに、圭史もたまらないといった様子でため息を吐いた。
まるでそれは見たものに蓋をするような行動に似ていた。
気晴らしにと、他の商品を見回ったりもしたが、見ていた商品がやっぱり気になり圭史はその場所に戻っていた。
あの二人がいた場所には決して顔を向けないようにして。
圭史が今眺めているのは、写真たてで手に持って見てたのはモノクロデザインのとてもシックなものだった。
そして、何気なく目を向けた隣の陳列棚には栞が立っているのに気付いた時、その向こうの方から声が飛んできた。
「あ!」
「え?」
その聞きなれた声に栞は反応して顔を向けると、あっという間に栞の元へと駆けて来ていた美音だった。
「いさちゃん!すごい偶然―!」
と言うなり美音は栞に腕に抱きついた。
それを横で視界に入れていた圭史は、美音がはっと気付いて圭史に目を向ける瞬間に逸らす様にして顔を手元に向け、手にしていたそれを元の場所に戻した。
「春日ちゃんも買い物?」
耳に届いてきたのは、いつもと変わらない様子の栞の声。
「うん、生徒会の先輩への贈り物で。……いさちゃん、は?」
その名を呼ぶ声は、どこか心細そうに聞こえた。
「テニス部の買い物。谷折君もいるよ?」
それに対して栞は明るい口調で答えていた。
後方の、美音がついさっきまでいた所では、急に姿が見えなくなった美音を探して亮太が辺りを見回しながら歩いていた。
「あれ?いねぇな。 おーい、どこ行ったー?春日―」
名前を呼ばれて振り向いた美音だったが、亮太は美音を見つけるより先にしょんぼりと落ち込んでいる谷折の姿を発見し声を上げた。
「お。タニじゃん。えらい偶然に会うな」
そのかけられた言葉に潤ませた目を向けて言い放ちながら谷折は亮太に抱きついていった。
「亮太―。会いたかったー」
「うわっ!なんなんだよっお前!」
反射的に引き離すように谷折の顔に腕を押し当て亮太は身を引く。
それを見ていた栞と美音は大爆笑だった。
二人に気付いた亮太は、谷折を無理矢理引き剥がして向かってくる。
「栞と瀧野もいるじゃん。お前らも卒業生への買い物か?」
「うん、そう」
それには亮太の隣にくっ付いて来ていた谷折が答えた。
「テスト前に買い物なんて余裕だなー」
「って、それは私らもでしょうが」
亮太の台詞に言葉を投げる美音。
「そういやそうだな。……俺らは橋枝の都合に合わせて今日にしたんだけど、結局来れなくなったから仕方なく二人でだよ。渡すのは明日だから買いに行かない訳には行かないしな。で、何かあったか?」
最後の言葉は美音に向けていた。
「めぼしい物は特になかったよ。最初のでいいと私は思うけど」
「じゃー、あれにすっか。つー事は、どこに戻ればいいんだ?」
「奥のエレベーターの所だよ」
「あんな場所だったけか?」
「そうだよっ。もう!」
イライラした声を上げた美音だった。
「あ!」
突然、そう声を上げて亮太の腕をがっちりと掴みながら谷折は言う。
「この後買い物終わって、お茶して行こうよ」
「は?」
片眉を上げてそう口にする亮太。
「なぁ!お茶!なぁなぁ!お茶しよ!」
「わ、分かった分かった。だから手ぇ離せ」
びったりとくっ付いてくる谷折に、本気で嫌そうな顔をして亮太は言った。
亮太のその言葉を聞いて、安心した表情を浮かべて谷折は大人しく手を離した。
「じゃ、とり合えず買ってくるから」
「あ、うん」
亮太の言葉を聞いて、亮太と共に売り場に戻ろうと足を進めた美音。
それを見て亮太は口を開く。
「ここにいとけよ。どうせ買う物決まってるから一人で行って来る」
「……うん」
どこか沈んだ美音の声を圭史は聞いていた。その理由を本当はどこかで分かっている。
なのに、圭史は全く顔を向ける事が出来ずにいた。
亮太は美音の返事を聞くとすぐに足を向けた。美音はどこか不安げな表情を浮かべている。
谷折は足を進めながら栞に言葉を放った。
「伊沢さん、候補3つほどあるんだけど、どれがいいと思う?」
「何があるの?」
「えーと、こっちの方にあったんだけど」
と谷折と栞は反対側の売り場に行ってしまった。
圭史は背中から美音が困っている気配を感じながらも尚言葉をかけられずにいた。
つまらない事だと、本当は分かっている。だけど、感情が全く言う事を聞きそうにない。
美音の困惑を背中にひしひしと感じながら、心の中は醜く熱いものが渦まいていた。
「……瀧野くん、何見てるの?」
遠慮がちな声だった。写真たてを見てるなんて事、分かっている筈だろうに訊ねてくるのは相当困惑している証拠だった。
それほどまでに、自分はいつもと様子が違うのだと教えされる。
そして、いつものように美音に顔が向けられないでいた。
けど、彼女は待っているだろう。反応を。
身の内から蠢いて出てこようとする負の感情を必死で飲み込んで圭史は言葉を紡いだ。
「部屋に、どれがいいかなと思って。……どれがいいと思う?」
圭史がそう訊ねると、美音はおず、と横にやって来て商品に目を向けた。
「これ、かな。……瀧野くんはどれ選んだの?」
「これとこれ。どっちにしようか迷ってたんだ。これにしよ」
美音が選んだのは、圭史がどちらにしようかと悩んでいた方の一つだった。
それは些細な偶然かもしれない。
たったそれだけの事なのに、圭史のどんよりした心の中に一筋の光が差し込んだ。
少しだけ心が軽くなったような気がして、ようやっと美音の顔を見る事が出来た圭史。
「買ってくるから待ってて」
それに美音は少し安堵した笑みを浮かべたようだった。
そこから離れレジに向かう途中、まだ少し心の中でくすぶっているものに圭史は堪らなくなって切なくつらい感情に息を吐いた。
こんな感情など気付きたくないのに、振り回されてしまう今の自分。
前だったら、この感情に気付いていても流す事ができていたのに。
……いや、多分、相手が悪い。
いつも、何か違和感を感じていた時があった。
その時は深く物事を考えはしなかったけど、今なら分かる。いや、理解した。
― ……溝口も、だったんだ ―
「買ってきた」
分かっている事を口にして圭史は美音の元へ行った。
美音はそれに笑顔を向けてから、少し遠慮がちに口を開く。
「今日はまだ他に予定あるの?」
「えーと、この買い物が済めば用は全部済むと思うんだけど。ま、谷折次第かな」
「……そっか」
どこか淋しげに口に出された言葉だった。
胸を小さくチクン、と痛む何かに圭史は心の中で目を伏せる。
素直になれない意地悪なもう一人の自分が言った言葉だったのに。
でも、なんで自分はこんなに不安になっているんだろう?
そんな疑問が微かに浮かんでいる。でも、それをしっかりとは考えられない心の状態に圭史はきゅっと口を閉じた。
二人でいるのにいつものように話が弾む事がなくてぎこちない空気が漂っていた。
目に映る美音がどこか悲しげに見えるのに、圭史は躊躇った表情をその微笑に見せながらうまく言葉を紡げないでいた。
― ……何やってんだろ、俺 ―
上手い言葉が浮かばず、その顔に苦笑じみたものを浮かべた時、用を済ませてきた亮太が登場した。
「谷折の奴、まだ少しかかるって言うから、先行ってようぜ。俺は疲れた」
その声に美音は振り返り口を開く。
「あ、うん。待ってなくていいの?」
「いいんじゃね?先行っといていいって言ってたし」
「ホント。じゃあ一応いさちゃんに言ってくる」
美音はそう言うと圭史に顔を向けた。
何も問われてはいないが、圭史は自然に指をさし言う。
「あっちだよ」
それに美音は微笑を浮かべ圭史の進む方について行く。
「俺はそこの椅子に座ってるからなー」
後ろから聞こえた声に美音は振り返り返事をした。
そのまま進んで行った先に谷折と栞が一緒にいた。
品物を二人で見ながら何か色々と話している。
「……」
そんな二人の姿を眺めながら圭史は一人何かを思う。
美音は笑顔で栞を呼ぶと小走りに駆けて行った。
「いっさちゃーん」
笑顔で栞の元へと向かう美音。見ているだけでも、美音は栞の事が大好きなのだと分かる。
― ……あんな笑顔、向けられた事ないぞ? ―
そんな事を思いながら、圭史は目を向けた。
谷折はどこか幸せそうに栞に視線を向けている。あまり目にする事のない表情に、圭史は言葉を紡ぐ。
「俺も先行っておくから」
「おー」
「じゃ、悪いけど、伊沢、そいつの事よろしく」
「あ、うん」
栞は意外だとも言う表情を浮かべている。その斜め後ろでは谷折がどこか照れた表情を浮かべていた。
思わず、圭史の顔に意地悪な笑みが浮かぶ。
「手がかかるけど、見放さないで調教してやって」
「……おまえなーっ!」
顔を赤くして声を出した谷折に圭史は「ははは」と楽しそうな笑いを溢した。
美音と二人、そこから離れる圭史は、谷折の顔を思い出して笑みを浮かべている。
「……いいの?」
どこか様子を窺うように訊ねてきた美音に、圭史はどこかすっきりした表情で言う。
「うん、もう疲れたし。俺がいてもする事ないから」
一番の本音は美音と亮太をこれ以上二人きりにしたくなかっただけ。
この時、ようやっと美音に笑顔向けた圭史だった。