時の雫-風に乗って君に届けば

§11 揺さぶられた想い


Episode 6 /10




 翌日、水曜日の放課後。
 亮太は廊下で偶然会った圭史に進行表の追加書類を手渡していた。
「んじゃま、他の委員の奴らに渡しておいてな」
「うん、分かった」
いつもこういう仕事は美音がやっていた。書類の字を見れば美音のものだ。
なのにコピーに行った帰りと言う亮太がこれを持っているという事は、あの事件のせいでコピー室には近寄りたくないのだろう。
それとも、亮太が気を利かして自ずから行ったのだろうか。
どちらにせよ、又あの時の事を思い出して圭史の心には腹立たしい感情が沸き上がるのだ。
 圭史の顔を見て何かを察したのか、亮太は言葉を紡ぐ。
「まだ病み上がりでしんどいみたいだよ。あそこまで行くのしんどいからって頼まれたんだけど。さっきも机の上で顔をつけてぐったりしてたし」
「……ほんと」
「帰り、頼むわな」
美音を気遣う亮太の言葉に、圭史は素直に頷いた。
「ああ。 あ、……そう言えば、昨日春日から貰っただろ?」
それに亮太は笑顔で答える。
「貰った貰った、あれはうまかった。メーカーもんのチョコで」
聞きたかった事を先に答えられ、圭史は正直ほっとしながら口にする。
「……そっか」
「お前こそあのたくさんのチョコどーした?」
「ああ、弟にやった。で夜集計報告に来たよ」
「ふーん。それは大変なこって。噂に聞いたけど、手渡しの物は全部断ったんだろ?」
「あー、まぁ、うん」
「春日は女からチョコ貰って今年は豊作だーって喜んでたな。10、……何個貰ってたぞ?あいつ」
「……まじで、同性にはしってたらどうしよう……」
思わず出た圭史の呟きに亮太は笑いを噴出しかけて必死で食い止めたのだった。
「あー、溝口さん!こんなところにいた!探したんですよー」
大仰にそう言って走って来たのは快だ。
「なんだよ?」
「先生が 呼んでて、溝口さん呼んで来いって」
「えー?もっと早く来いよ。俺ついさっきまでその近くにいたのによ」
「そんな事言われてもー」
「分かった分かった。じゃあな」
「おう」
数歩歩き出した亮太が思い出したように足を止めて振り向き言った。
「で、ちなみに幾つだったわけ?」
「知りたい?」
「いくつだよ」
「46個」
「げっ。マジで?」
「まじ」

亮太は圭史と別れて、快と二人教員室へと歩いて行った。
教員室から生徒会室に戻っている最中、快は今頃思い出したそれを隣を歩いている亮太に訊ねた。
「そう言えば、春日さんが頼んで作って貰ったって言っていたキーホルダーって誰に造って貰ったんですか?」
訊かれた亮太はそれに思わずと言った様子で快に目を向けると、言い難そうな表情を浮かべながら言葉を紡いだ。
「あー……、余計な奴に言うなよ?」
「はい」
「俺がけしかけたんだけどな、……瀧野だよ」
「……!」
その名を聞いた快の表情は凍りついたように固まった。
それを見て亮太は、内心まずったかな、と思いつつ言ったものは仕方がないか、という表情で何もなかったように前方を見つめた。



 本日の仕事を終え委員会が終了すると、圭史は今日もまた生徒会室に寄って行く。
扉を開け中に目を向けると、亮太が言っていたように今も美音は頭を机に預けるようにして休んでいた。目もぼんやりとしてしんどそうな様子だった。
体を中にいれ扉を閉めた頃、美音は気付いたように目を向けて圭史だと知ると、はっとした目になり、そろそろと体を起こしてちょこんと座り直した。
その様子はどこか恥かしげで、圭史の顔には自然に笑みが生まれていた。
 圭史はそのまま奥へと進み、亮太の隣の椅子に座ると本日活動分の提出書類の記入に取り掛かった。
「ここ数が合わないんだけど何でだと思う?」
収支の合計が合わないらしく訊ねてきた亮太に、圭史はそれを覗き込んで答える。
「えーと、……あ、ここ、前見た時と数が変わってない」
「ん?ああ、変更忘れだ。どーりで数が合わないはずだよなぁ。サンキュ」
「それはいーけど、溝口って会計、だよな?」
シャープペンを持ったままの手で頬杖を突きながら、圭史は意味ありげにそう言った。
「ん?そこらへんは気にするな。要は滞りなく仕事が出来りゃいいんだ」
あっけらかんと言う亮太に、圭史はなお言う。
「この間の時も手伝わされたような気がするんだけど?」
「気にするな気にするな。世の中そんな事もあるある」
手をふらふらとしながら軽い調子で言った亮太。そんな様子に圭史は思った事を素直に言う。
「……なんか、谷折の性格うつってきてない?」
「え?それは冗談きついぞー」
嫌そうな顔でそう言った亮太に圭史は思わず笑い声を上げた。

 大人しく座っている美音は帰宅するのに机の上を片付けていた。書類を主要別にまとめながらふと手を止め、目だけを左に右に向け、そーっと上に動かした。
その視線の先には、「えーと」と悩ませながら書類を記入している圭史の姿があった。
それだけを確認したかったのか、視線を元に戻し何処か和やかな表情を浮かべて美音は再び手を動かし始めた。
「……」
美音のそんな様子に気付いていたのが一人だけいた。
それは向かいの席で暇さえあれば美音を眺めているという快だった。

 書き終えた圭史はシャープペンを胸ポケットに差し入れると美音に提出すべく椅子から立ち上がった。顔を向けた時、美音は書類をファイルに綴じているところで顔は伏せられていた。そのまま足を進め美音のすぐ横まで行き片手を机に置きながら覗き込むようにして用紙を差し出した。
「はい」
「あ、お疲れ様」
差し出されたそれを手で受け取りそのまま中身を確認する。
「誤字なし?」
「……うん、ないよ」
圭史の言葉に用紙に向けたままの美音が答えると、亮太が声を放ってきた。
「春日、あと何の仕事残ってんの?」
「え?もうこれ片付けるだけだよ。何か手伝おうか?」
「いや、俺はまだかかるから終わったんだったら先帰れよ。そしてとっとと寝ろ」
「人を子供みたいに……」
「じゃー、僕も仕事ないんでー」
どさくさに紛れて…、と言った感じで口にした快に亮太は口調厳しく言う。
「藤田はこれ手伝え。1年は覚える事いっぱいあるんだよ」
思い切り不満な顔をした快に、美音はすかさず笑顔を向けて言葉をかけた。
「頑張ってね。期待してるから」
途端に快はやる気を見せた顔になり口を開く。
「はい!頑張ります」
 それを見ていた圭史は笑い出したいのを必死に堪えながら、落ち着いた頃を見計らって美音に聞こえるように言葉をかけた。
「じゃ、下駄箱にいるから」
「あ、うん……」
顔は圭史の方に向けたものの、目は合わせられないでいる美音だった。
 その様子にふっと笑みを溢しながら圭史は生徒会室を後にしていく。
「んじゃお疲れー」
圭史の言葉に亮太と丈斗が返した。
「おーお疲れー」
「お疲れ様です」
険悪な色が快の顔には浮かんでいた……。



 他に生徒の姿が見えない下駄箱で一人美音を待っていた。
微妙に心臓が緊張の声を上げているのが分かる。
昨日のバレンタイン、朝に顔を合わせて以来二人きりになるのは初めてのことだった。
 頭の中には同じ事が浮かんでいた。
渡されたあれにどこまでの気持ちが込められているのだろうかと。
もし、これが他の子からの物なら、「そうだ」と決め付ける事はできた。
けれど、美音の場合にはそう思える自信がなかった。
2学期の終業式の時のように「お礼」なのかもしれない。でも、バレンタインの前日、圭史ははっきりと意思表示をした。

 ― ……まさか、あれでも通じていないとかいうんじゃないだろうなぁ? ―

心に浮かぶ一抹の不安。

 ― ……あ、なんかマジで不安になってきた ―

そう思い出した頃に急ぎ足で向かってくる足音が聞こえ、圭史はそれを美音だと予感した。
「ごめん、……」
現れたのはやっぱり美音で、そのまま自分の下駄箱の場所に行き持っていたカバンを下に置いて靴の履き替えを行った。
いつもだったら肩にかけたままの動作が、今日は違った。
「……」
圭史は素早く履き替えると美音の元へと行きそのカバンを手に取った。
「あ……」
漏れた美音の声に圭史は気にした様子を見せず言う。
「持つから」
「で、でも……」
「しんどそうだから」
「……あ、ありがと……」
行き場のなくなった手を誤魔化すようにスカートの裾の方を軽く握りながら美音はそう口にした。そんな様子に、先程まで考えていた事など忘れて圭史は笑顔を浮かべて言葉を口にする。
「帰ろうか」
「……うん」
赤い頬を隠すように顔を伏せて答えた美音に、優しい眼差しを送るとゆっくりと歩き始めた。



 今二人の間には、以前の様なお喋りを楽しんでいた時の空気はなかった。
例えて言うのなら、お互いがお互いの様子を窺うようなそんな緊張が漂っている。
美音が何かを話したそうにしながら躊躇っている事にも気付いていた。でも、それを自分から聞く勇気は出せずに、圭史は美音の歩調に合わせながら歩いている。
 圭史にも聞いてみたい事はたくさんあった。
月曜日に言った事、どう思っている?
バレンタインのチョコはどこまでの意味?
そして、一番気になっていたのは、あんな場面で伝えてしまった「告白」。
歩きながら隣を歩く美音にそっと目を向けてみた。
少し俯き加減で黙々と歩いている。時折、どちらかから話題を振り会話をするのだがそれも長くは続かない。
 圭史の中に様々な思いが交錯する。それの殆どは不安だった。必死でそれに流されてしまわないようにしながら、又美音に視線を向けた。
丁度、美音が圭史に向かって顔を上げた時で誤魔化しようがないくらいに目が合った。
反応に困った顔―それはとても必死な様子だった―をして、美音はどうにか笑顔を向けて堪えきれずに俯いてしまった。
その反応を圭史は予想していなかったので多少なりとも驚いて目を大きく開いたのだが、すぐ前方に顔を向けた。
 きっと、月曜に言った言葉を気にしているのだろう。そして、それに応えようとしてくれているのだろう。
そうしてくれている事だけでも、圭史には嬉しく感じた。
美音は嫌いな相手に決して応えようとはしないから。
そして漂う沈黙の中、胸に広がる淡い感情に後押しされるように圭史は空いている手をそっと伸ばして美音の手を優しく握った。
美音のはっとした様子が空気に伝わって圭史に届く。

「……嫌だったら離していいよ」
静かだが、どこか淋しげで不安げな声だった。

圭史はただ美音の反応を待った。
だが、美音は何かを言う訳でもなく手をそのままにしている。ただ彼女の躊躇いだけは伝わってきていた。
 圭史の心臓はいつもより賑やかだった。手だって力を入れそうになるのを必死で堪えながら適度な力加減を意識して美音の手を握っていた。
手は汗ばんでいて、それはどちらのものなのかすら分からない。

 ― だって、また一週間委員会無いし、次はいつ一緒にいられるか分からない…… ―

自分の行動に言い訳するかのように圭史は心の中で言うと、繋がれたままの美音の手に、一人の時に感じていたものが嘘の様に、何かを期待する気持ちが心の中を広がっていった。

 ― 俺、諦めないよ…… ―

言葉には出来ないけれど、美音に向かう気持ちを圭史は素直に感じていた。