時の雫-風に乗って君に届けば
§11 揺さぶられた想い
Episode 3 /10
日曜日、午前中の練習を終え、圭史は昼食を買いに学校を出てコンビニへと向かっていた。ずっと気持ちは晴れないままだった。注意をしなければ、ひどく落ち込んでいる顔をしている事も分かっている。だけど、注意をしていても暗い表情なのは変わりがなかった。
「……はぁ」
口から出るのはため息ばかりだった。
何度も美音のことを思い出しては、同じ台詞を呟いていた。
― ……訳が分からない…… ―
悶々としているうちに目的の場所に着き、買い物をし終え外に出ようと扉に向かった時、同じように扉から出ようとしていた栞と顔を鉢合わせた。
向かう先は同じなので自然と歩調は並んでいた。
いつもだったら一定の距離を保つはずの圭史なのに、今日はあえて肩を並んで歩いているように見えた。
「瀧野君、最近元気ないみたいね」
「あー、……否定しない」
「……春日ちゃんの髪の事、まだ気にしているの?」
「……いや、それは今はそれほど……。本人が気にされるの嫌がってるから」
「うん」
そうして、言葉は途切れて沈黙が漂っている。
栞は美音と最も親しい人間だ。他の人に気を許さない美音も栞には色々と話をしているらしいのを聞いたことがある。見ている限り、美音は栞には気を許しているので圭史が知らない事も知っているような気もする。
思い切って聞いてみようか。そんな思いに駆られながら、無言のまま圭史は歩いていた。
でも、情けない事を栞に言ってどうしようというのだろう。
……それでも、ほんの些細な事でも知る事ができたら、少しはこの気も浮上するかもしれない。
「あの、さ、春日何か言ってなかった……?」
そう口にしただけで、体中に気味の悪い緊張が奔っていた。
悪い事は知りたくない。なのに、聞かずにはいられない。
「何か……?」
栞はそう口にして圭史の様子を窺った。圭史はずっと俯いたまま顔を上げようとしない。
「……最近の春日ちゃんは、ずっとしんどそうだから。休み時間はずっと自分の席で寝てるみたいだし。春日ちゃんが欠席してからはゆっくり話してないから良くは知らないけど、悪い話は聞いてないよ?」
「……そう」
多分、金曜日の事は何も聞いてないらしい。
意気消沈してしまっている自分にため息を吐いて圭史は口を噤んだ。
そんな圭史にちらりと目を向けて、少し考え込んでから栞は口を開いた。
「普段はすんごいしっかりしてて、あまりそういうところは見せない人だけど、見ているこっちが恥かしくなるくらい超照れ屋なんだよね。だから、あんまり素直じゃないし結構天邪鬼な所あるし。……今度、よぉく見て見るといいよ」
「……うん」
何かを伝えようとしてくれている栞の言葉だった。
だが圭史の頭は何も働かなくてただそう返事だけを口にする事しか出来なかった。
心の中に渦巻くのは、諦めにも似た気持ちと、あれからずっと消えない悲しい気持ちと、美音への想いだった。
午後の練習は3時には終了した。
部室で各々が着替えている中、圭史はゆっくりしている時間はない筈なのに帰る為の気力が沸いてこなかった。そこに笠井から声が飛んできた。
「おい瀧野、これからちょっと寄って行こうかっていう話になってるんだけど行くか?」
「あー、今日これから友達と会う約束してるから」
「そっか」
ずっと暗い様子の圭史に、谷折は声も掛けられずただ様子を目にしていた。
学校から家に帰る為の道と何ら変わりはなかった。
ただ、駅から出て向かった先が普段は利用しない本屋だっただけのこと。
そこが待ち合わせ場所だったからだ。
久々に連絡があって会う約束をしたのだ。
正直言うと、彼と会うと今は思い出したくもないことまで思い出してしまいそうで気は進まなかったのだが、親しい友人なのだからそうは言えない。
その場所にたどり着いて数分後、その友人が姿を見せた。
「よ!けい久しぶり」
懐かしい顔に圭史は目を細めて微笑しながら言う。
「よお。誘った方が遅れてくるってどうなんだよ」
「悪い悪い。早くに来て本見てたらこんな時間になった」
「しゃーねぇなぁ」
「どこいく?」
「喉渇いてるから近くのマクドナルドでいいだろ」
「んじゃ行きますか」
肩を並べて歩く友人は、かの辻谷聡だった。
そのまま真っ直ぐとマクドナルドに向かう中、今は悩みなんて見せない明るい笑顔を浮かべている聡を横目で見ると圭史は堪らなくなってため息を吐いた。
「……なんだよ、ため息なんかついて」
「……いや、俺にだってため息つくことはあるよ」
「ふぅん?」
浮かない表情の圭史に、聡はそれ以上訊ねる事はせず歩を進めた。
あと一つ信号を渡れば、そこはマクドナルドだった。
高校に入ってからは殆ど来た事がなかったそこも、よく来ていた中学時代が、懐かしくさえ感じてしまう。あの頃は、まだこんな気持ちにはならなかったから。
信号待ちで足を止めている時、聡は横の店に顔を向けていた。
何か気になる物が見えたようで熱心に見ている様子だった。
そんな聡から目を離し前方に顔を向けたとき、圭史はその光景にめまいを起こして倒れるかと思った。
圭史が向かおうとしている方向から、事もあろうに美音が歩いてきていたから。
― ぅげ。この状況は最悪なんじゃ…… ―
圭史がそう思った次の瞬間、顔を上げた美音は「あ」という驚いた表情をし、その瞬後顔を青ざめた。これは明らかに聡を見ての反応だ。
彼女が過剰なまでに聡に反応を示すのは知っている。だが、今の圭史にはこの状況はつらすぎた。
美音はバッグを握り締めると踵を返し走り出し横の筋に入っていった。
圭史の肩にかけていたカバンのショルダーが力なくずり落ちていった。
「…………さいあく」
信じもしない神様を恨みたくなるこの瞬間に、圭史はすべての活力を奪い取られたような気がした。
「んじゃ、俺バイトあるからそろそろ出るけど?」
「あー、俺もうちょっと休んでく」
「おう分かった。じゃあまたな」
「おー、またなー」
力の入っていない声に、聡は首を傾げつつ去っていった。
圭史はずり落ちるように椅子に浅く座りぼんやりと目の前にある光景を眺めていた。
楽しそうにカップルで向かい合っているのが大半。友達同士で盛り上がっているのも少々。どこを見ても自分とは違って楽しそうに見える。
嫌になってテーブルに額を預けた。
「……ほんと、さいあく」
周りの喧騒が圭史の耳から遠くなりかけていたその時、聞き覚えのある声が頭から振ってきた。
「おーい、瀧野。生きてんのか?」
重く感じる頭を起こして目を向けて見れば、3階から降りて帰ろうとしていた様子の貴洋だった。
「……生きてるよ。なんだお前もいたのか」
「お前もって、誰といたんだよ?」
「ん、聡と。信号の所で春日見かけたけど」
そう言ってから、貴洋の後ろに真音がいるのに気づいた。
「一緒にいたからな」
貴洋がそう言ってから、真音が顔を出して口を開いた。
「こんにちは、圭史さん」
「……こんにちは」
笑顔を向けては見たが、きっと疲れた表情だろう。圭史は自分でそう思った。
「タカちゃん、私本屋に行ってるから話してたら?」
「じゃ終わったら行くし、先に真音が用済んだらこっちこいよ?」
「うんわかったー」
真音はかわいらしい笑顔を見せると一人で行ってしまった。
「ふーん、幼馴染だけあって仲良いんだな」
テーブルの上に視線を置いたまま低いトーンで呟いていた。
圭史の誰が見てもわかる落ち込んだ様子に、貴洋は息を吐くと向かいの席に腰を下ろした。
「で、学校での春日はどんな様子?」
「んー、先々週は熱出して殆ど休んでたから、まだしんどそうだよ」
「ああ。お袋に頼まれて行ったら、寝込んでたよ。俺だと認識してから何が夢で現実かわからないって呟いてたけど」
「何を?」
「さぁ、まだ熱のある顔で何か喋ってるだけだったからなぁ。半分はもう二度と見たくない夢で、もう半分は都合の良い夢だったって。何が何だか分からなくて、どんな顔すれば良いのか分からないって、虚ろな目で言ってた。その後また寝てたから、結局何の話なのかは分からなかったけど。あいつ、学校で何かあったのか?」
「あー……、ちょっとごたごたがあったから。俺が言うような話じゃないから、さ」
「ふーん。……そう言えば、辻谷とどんな話してんの?」
「半分はノロケだったな。まさか、中学の時バレンタインのチョコの数競って勝った相手にあてられる日がこようとは思ってもいなかったけど」
「はは。瀧野は結構貰ってたもんなー」
「殆ど義理だよ。そんな大喜びする物でもないって」
「貰えない奴が聞いたらブーイングの嵐だな。で、今年は義理以外貰えそうな訳?」
「さぁ無理じゃね?」
半ば投げやりに圭史はそう言っていた。心の中は一向に晴れ間が見えない。
油断をすれば、美音と幼馴染の貴洋に嫉みをぶつけてしまいそうになる自分の感情を必死に抑えて耐えていた。
頭の中には美音の顔がちらついてやるせない気持ちは増すばかりだった。
いっそのこと、全部ぶちまけてしまおうか。
そう思う反面、美音と幼馴染の貴洋に話に乗ってもらうのは許せない気持ちがあった。
「なぁ、瀧野さ、正直姉と妹どっちが可愛いと思うよ?」
突然出された質問に、圭史は眉を顰めた。
「は?」
「春日んとこの話だよ」
貴洋は動じることなくそう返した。
「……客観的一般論で言うと、妹の方が多数なんじゃないか?」
考え巡らせて出した答えはそれだった。
貴洋はそれを聞いて笑んでいる。
「まぁ、そうかもな。あいつは恋愛事になると不器用だからな。恋愛音痴っぽいから」
「……」
突っ込んで聞きたくなる自分を必死で抑えた。それでも、目は貴洋を真っ直ぐと見つめているだろう。
「小学校の時だって好きな子にはからっきしで、喋る事はおろか、近寄ることも出来ず反対に逃げてばっかりで、いつも相手には嫌われてるんだと思われていたからな。そういう時のあいつは亀のようだ。俺が何を言っても聞きやしない。
……あの天邪鬼には強引過ぎるくらいで丁度いいぞ」
最後の台詞は、にやっと言う不敵な笑みを向けて圭史にあてた。
それに圭史はすぐに反応できなかった。
言葉の意味を処理するのに多少の時間を要し、口から出てきた言葉は動揺しきっていた。
「……え?だって、……お前だって……。……いいのかよ……?」
「可愛いと思ってるの真音の方だもん。あいつもそれはよく知ってるよ」
余裕綽々と言った貴洋。
圭史は深くため息をついて頬杖を突くとそっぽに顔を向けた。
その顔には不満がありありと浮かんでいる。
圭史が何を言わなくても聞きたいことはばればれだったのだ。
それほどまでに自分は美音の事になると余裕を無くす。
それがどういうことか、今更考えなくても答えは出る。
心はやるせない気持ちに覆われていて真っ暗な穴の中にでも閉じ篭ってしまいたかった。だけど、もう、とるべき道は照らされていて、圭史は突き進む決断をするしかほかなかった。
本当はずっと手に入れる方法を見つけたくて仕方なかったのだから。