時の雫-風に乗って君に届けば

§11 揺さぶられた想い


Episode 10 /10




翌日、3年生送別会が講堂で行われている中、圭史はテニス部が余興の為に待機している場所にいた。
実行委員としての役目は午後の部の担当なのだ。
 適当な椅子に腰を下ろしているのだが、思い出したように時計に目を向けると腰を上げ扉に向かう。
顔を覗きこむように廊下に出し、誰も通らないのを確認して又中に引っ込んでいく。
先程と同じ椅子に腰を下ろし、不機嫌そうに髪の毛をくしゃくしゃと掻いた。
頭に手をのせたままで膝元を見つめているかと思えば、今度は背もたれに上半身を預け天井を見上げている。
「……はー」
それを怪訝な表情で眺めていた谷折と笠井の二人は呆れたように顔を見合わせた。

「おーい、今日はそわそわして落ち着きないなぁ」
その表情はどこか呆れていて、少し心配している顔だった。
 圭史はその谷折の顔から目を放すと、諦めたように息を吐き腕を組んだ。

昨日の図書室の一件以来、本番を待つのみとなった実行委員会とは反対に、生徒会役員はずっと慌しく走り回っている様子だった。
だから、昨日の帰りも今朝の登校時も、学校に到着してから今の今まで圭史は美音と会えていない。送別会が始まれば、講堂の役員席に生徒会は座りっぱなしになり、何か用がなければ外へは出てこない。

まだ何も話す気になれず適当な言葉を口にする。
「ちょっとな。まぁ、暫くすれば、……おさまるよ」
「ふぅん?」
落ち着かない自分をひしひしと感じながら言った圭史に、谷折は信じきれていない表情でそう答えていた。
「あーあ、早く終わんないかな……」
珍しい台詞を吐いた圭史に、谷折は尚訝しげな表情を浮かべた。



 結局、送別会が終わりクラスでの終礼を終えても、圭史は美音と会うことは出来ないでいた。

 ― ……まさか、避けられてる、訳じゃないよなぁ……? ―

鞄の中にちょっとしかない荷物を詰めながら、圭史はそんな事を思っていた。
 いつも仕事で忙しく動き回っているのは分かっているのだが、ここまで姿を確認できない事に、心の中では勝手に嫌な思いがふつふつと湧いてくる。
「おーい、瀧野―」
廊下から飛んできた声に顔を向ければ、それは3組の実行委員の佐藤だった。
カバンを手に持って教室を後にしながら圭史は彼の元へ向かう。
「どした?」
「今日打ち上げするって」
「……話ないから、ないかと思ってた」
「うん俺も。なんか急に先生がするって言い出したみたいで、生徒会が買出し行ったって」
「……そっか。時間とか聞いてる?」
「30分後には始めるってさ」
「30分後かー」
「何?……ああ、クラブあるんだよな」
「うん。じゃあ、とりあえず着替えに行って基礎トレだけしてこようかな」
「おー、分かった。……しかし、真面目だよな」
「……そーか?」
「うん。ただ真面目なだけじゃないけどさ。……まぁいいや。じゃ後でな」
「おお」
何か他に言いたげだったのに、それをやめた彼に少し違和感を感じたが気にしないようにして流していた。




 圭史が会議室へとやって来たのはその時間より1時間遅れてだった。
打ち上げは程よく盛り上がっており、皆バラバラと雑談を楽しんでいる様子だ。
スポーツウエアを着たままの圭史はクラスの近いものが集まっている所へと身を投じた。
「おー、練習終わったのかー?」
「いや、終わった訳じゃないけど……。とりあえず顔出しに」
そう口にしながら、会議室の中を目だけで確認し美音の姿だけがないのに気付いた。
「しかし、瀧野もこの2月いっぱいまで部活と委員会とよくやってきたよなぁ」
「え?……ああ、まぁ」
頭の中では違う事を考えていたので、返事をするまでに微妙な間があった。
「これで実行委員の仕事もほぼ完了になったよな」
「そー、だな。卒業式なんてクラスの引率程度くらいだもんな」
「そうそう。これで終わりと言うのも正直淋しい気もするけどな」
彼らの言葉に圭史は言う。
「まぁ気持ちは分かるけど、仕事は結構ハードだったし、俺としては肩の荷が降りたっていう方が強いかな」
「まぁ、瀧野はなぁ。……なぁ、瀧野はなんで実行委員になった?」
何かを思いながら訊ねてくる様子に気付きながら、圭史はそれに答える。
「誰もなりたい奴がいなくて、気がつけば勝手に俺が決定されてた」
「へぇ。うちのクラスは立候補者数人いて、その中からクジで決めたんだよ」
「へー、そんなにいたんだ」
「そ。……なんだ、てっきり瀧野もそうかと思ってたよ」
「いや、うちのクラスは、仕事がキツイの知ってるから立候補がいなかったんだよ。でも……なんで?」
圭史のその台詞に彼らは苦笑して見せただけだった。

「あ、瀧野に聞いてみたかった事あんだけど」
休憩にも似た暫しの沈黙の後、2組の実行委員が思い出したようにそう言った。
圭史は深くを考えずに反射的に言う。
「何?」
「バレンタインにチョコいくつ貰った?」
「えーと、……確か今年は、あれ、…いくつだったかな」
それに一人が細目になって言う。
「数え切れないくらい貰ってみたいね」
「貰ったというか、机とかに勝手に入ってた分だし。俺は別に受け取った訳じゃ」
「へー。それだけ貰ってなんで彼女いないん?」
意味ありげな笑みを浮かべ、細めた横目で見てくる一人の問に、圭史は特に困った表情をすることなく口を開く。
「別にそれとこれとは関係ないんじゃない?」
なのに、彼らは意味ありげな顔をしたまま台詞を口にする。
「もてるくせに誰とも付き合わないなんてなー。それっておかしいよなぁ」
「そうそう、噂ばかりが広がっていてさ」
彼らが言わんとしている事に知らないふりをしたままジュースに口をつけ沈黙を保った。
「前に聞いた時も、話をはぐらかすばかりではっきりとした事言わなかったけど」
「そーだよなぁ。数人で朝から事の真相を聞きに行ったのに」
「……前って、春日が電車に乗ってる時に具合悪くなったから途中で降りて様子見てたって何度も説明しただろ」
彼らと目を合わさず圭史は言った。
そんな台詞にも彼らは聞く耳を持たず口々に言う。
「ってゆーか、二人って最初から雰囲気違ってたもんな」
「そうだよなぁ、なんていうか入り込めない空気というか」
「目に見えない何か」
思いもしなかった台詞に、圭史は反応を見せた。
「……え?」
本気で驚いている圭史の顔を見て、彼は笑みを浮かべながら言う。
「なんだよ、やっぱり何かあるんじゃないの?」
「白状しろー」
「そうだよ、最近様子おかしかったしよー」
「……いや、別に何も……」
たじろぐ様子の圭史に、彼らは話を続ける。
「そりゃあ春日さんに比べたら、他の子なんて気にならないよなー」
「そうだよな。近くにあんな子いたらさ」
「さあ、いい加減はっきりしてもらいましょか」
「は、はっきりって……」
「お前が誰とも付き合わない理由だよ」
「……」
それを肯定ととった彼らは笑顔で言う。
「今日で実行委員の仕事も終わりだし、思い切って伝えて来いよ」
「え、それは……」
圭史が言葉に困った時、会議室にいなかった美音がやって来た。
「おにぎり作って来たよー、どうぞー」
その声に圭史の心臓はどきん!と音をたてた。
彼らは笑顔で顔を見合わせると、明るく声をかける。
「春日さーん」
名前を呼ばれて反射的に返事をし歩み寄ってくる美音に、彼らは笑顔で言う。
「唐突な質問なんだけど、怒らないで聞いてー」
「え?なに?」
美音は至って笑顔で応えていた。
それとは反対に圭史は心臓を俄かにうるさくして、どうしてよいものかと困っている様子だ。
「春日さんて、今付き合ってる人とかいないって話だよね」
「え?」
その質問に美音の顔からはすっと笑顔が消え、圭史は反応に困ってしまって視線を横に流していた。
「んでさ、良かったら、俺らのお墨付きでこいつなんてどう?」
その台詞を言い終えた途端、彼らは一斉に圭史を指していた。
美音の視線はぎこちなく圭史を捉えた後、硬直を見せた。
「こいついい男だよー」
「え、……あ、……」
「俺たちもこいつなら納得できるし」
「……その、……え、と、」
返答に困っている美音の顔は段々と赤みを増し、結果染まる所がないくらい真っ赤になった。

「春日―、おにぎりちょうだーい」
亮太の声が飛んできた途端、美音は顔を伏せたまま方向を変えて、その場を去っていってしまった。

それはとても恥かしそうに見えて、彼らは次々に物言いたげな笑顔で圭史の肩やら背中やらを叩いていく。
「いてて。お前ら何なんだよ」
痛さに顔を歪めながら圭史が言うと、隣にいる一人が小声で意味ありげに話し出した。
「2年実行委員は、二人に気を回していた、つったらどーする?」
「……え?」
そう口にして、今までの事を思い返してみれば、思い当たる事があった。
例えば、美音への用事は全部任されていた事などがある。
「……あー、……」
「春日さんも最近雰囲気柔らかくなったしなー、これはもう決定的だよな」
「表情とかもかなりなぁ」
「うんうん」
満足に浸っている彼らの元を、もうこれ以上の話題にされないようにと圭史はそっと離れていった。

「……はー、参った」

それから他の人間とお喋りをして、会議室に来てから30分が過ぎた頃に圭史は部活へと戻るべく教室を出た時、その廊下の前方に美音の姿を見つけた。
 心の中に、ようやっと、という盛り上がる気持ちが涌き出てくる。
「春日」
「は、はいっ」
その思いがけない反応に驚きを隠せないながらも、足は美音の元へと急いでいた。
 美音はその驚いた表情のまま横に来た圭史の顔を見上げて、赤い頬で口を開く。
「練習、戻るの?」
「うん、そーなんだけど」
目線を圭史の顔から胸元に下ろして美音は言う。
「……練習、何時まで?」
「練習が5時半に終わって、それから雑用に追われて6時には終わるかなってかんじ」
「……あの、待ってて、いいかな……?」
その台詞に、圭史は自分の顔がほころぶのを感じた。情けない顔にならないように必死で堪えながら言葉を紡ぐ。
「でも、時間の約束が出来ないよ?」
「うん、大丈夫」
「……じゃあ、生徒会室に終わったら来るから」
「うん」
そう言った美音の微笑みに、正直圭史は蕩けそうになっていた。



 気がつけば弛んでしまっている自分の顔をひしひしと感じながら、圭史は今日の練習を終えていつもより早くその後の雑用を終え谷折と別れて生徒会室へと向かった。
その廊下は、前に来た時とはまるで別の場所のように静かになっている。
 すっかり慣れているはずのその扉を、今は初めて開ける場所のように緊張しながら、そっとノブを回して開けた。
中に入って見渡すそこに人の姿はなかったが暖房はつけられていた。
美音の机には、今日の分の課題であるプリントが広げられている状態になっている。

 ― ……もしかしたら ―

そう思った圭史は奥にある応接セットを覗き込んでみた。
思ったとおり美音はソファで眠っていた。肘置きに上半身を預けるような形で。
「……やっぱり」
そう呟いて笑みを溢すと、羽織っていたウインドブレーカーを脱ぎ静かにかけてあげた。
そして、空いている美音の隣の席に座り、課題のプリントに取り掛かることにした。



 自分を守るように暖かい空気に抱きしめられているのにまどろみを残したまま、美音は眠りから目を覚ました。肩が何故こんなに暖かいのだろうと思ったのと同時に、圭史の香りがして、この心地よさにまどろみに浸ろうと目を瞑ろうとする。
その狭い視界に入ったのは、圭史の物であろうウインドブレーカー。
それを認識した次の瞬間、美音ははっと体を起こした。
 目を向けた先に、机に向かってプリントを解いている圭史の姿を捉えて、美音の顔は赤く染まっていく。
その気配に気付いたのか、シャープペンを持ったままの圭史は顔を向けた。
目が合いにこりと微笑んだ圭史を目にして尚顔を赤くしながら美音は口を開く。
「……ま、また。起こしてくれたらいいのにー……」
それに笑顔を向けながら圭史は言う。
「気持ち良さそうに寝てたから」
美音は恥かしい気持ちで顔を両手で覆うと、堪らずと言った感じに声をあげた。
「も〜〜〜」
圭史はそれに穏やかな気持ちで笑いを溢していた。



 本当は何度も目を向けてみては、美音の眠っている顔を確認していた。
本当なら済んでいる筈であろうプリントは殆ど進んでいなかった。

 暗くなっている帰り道、横にいる美音の存在を感じながら圭史は自然と浮かぶ微笑に気持ちを委ねていた。
 二人の間は微妙な距離があった。
それは美音が意識している為に生じるぎこちない距離で、それさえも圭史には嬉しく感じていた。美音は足先を見つめるように俯きながら歩いていて恥かしそうにしている。
そんな美音を十分に分かっていながら、圭史は照れくさそうに鼻先をぽりぽりと掻きながら言葉を紡ぎ始めた。
「あの、さ、……」
「……ん?」
「……あの、手、繋いでい?」
今まで何度と勝手に手を伸ばして繋いできていたのに、何故かそれが出来ないでいて、そう訊ねてしまっていた。
「え、あ、うん……」
目を泳がせて、仕草がぎこちなくなった美音を、暗がりの中でも分かっていた。
 訊ねた瞬間から、変に力の入ってしまっている手を、そっと包み込むようにして優しく握った。それは今までと違って特別のような事みたいに感じて、心の中は踊りだしそうになっていた。
圭史にも緊張はあったが、それよりも喜びのほうに心は囚われているので、二人の間に漂う沈黙などには気まずさを感じてはいなかった。
そして、家に向かって歩いている中で、圭史はそっと美音に目を向けてから口を開いた。
「今日、打ち上げの時に連中に訊かれても、なんでだか言うに言えなかったんだけど」
「うん?」
その台詞だけでは何の事を言っているのか分からない様子の美音は、真意を読み取るかのように圭史の顔を見る。
「その、次又訊かれたらさ、ちゃんと答えたいから、ここで言うんだけど……。……俺と、付き合ってくれる?」
その台詞に美音はドキ!とした顔をしてから、見るからに精一杯という表情で言葉を紡ぐ。
「あ、……はい……っ。私、その、こういう事に免疫ないから、困らせてしまう事とかあるかもしれないけど、……慣れるよう頑張るから……」
声が震えていて、それでも頑張って紡がれたそれに圭史は胸の中がいっぱいになるのを感じた。多分、美音は今かなり緊張していて、それでもそれだけの台詞を口にできたのはきっと昨日のあれからずっと同じ事を思っていただろうから。
それを感じて、尚体中に広がる温かい気持ちに背中を押されるように言葉にした。
「ありがとう。こっちこそ、嫌な思いとかさせてしまうかもしれないけど、その時でもいつでも何でも話して。その方が嬉しいから」
繋いでいる美音の手に、きゅう。と力がこもり、声が聞こえた。
「……うん、瀧野くんありがとう」



 こんなトキが来るなんて、今までに予想した事があっただろうか。
彼女と付き合えるなんて、考えた事があっただろうか。
 男だったら一度は夢見るそんな事さえも、圭史は見ないようにしていただろう。
それはきっと、見るだけ絶望に打ちひしがれるだけだ、と心の中で思っていたから。
でも、似たような事は強い願いとして抱いていただろう。それは加速する想いと比例して。

 もっと、気軽に話していたい。
 もっと、傍にいていたい。
 もっと、近くで守っていたい。
 もっと、頼られたい。
 もっと、彼女の事を理解したい。
 もっと、知らない彼女を知っていきたい。

それは、挙げればキリがないほどのもの。

 圭史の心の中は、ただ、大切にしたい、とこの時強く想っていた。