時の雫-風に乗って君に届けば

§10 灯火に気づくトキ


Episode 1 /5




 今日は珍しく目覚まし時計が鳴るより先に目が覚めた。
いつもよりすっきりしている頭の中を感じながら、頭の上に手を伸ばし時計を取って顔の前に向けた。時間は午前8時前。
「・・・・・・」
ベッドから体を起こすと、ヒーターのスイッチをいれカーテンを開ける。
窓の外に見える空は、青空が見えるものの所々薄曇がかかっている。
スポーツブランドのスエット姿のまま部屋を出てキッチンへと降りていった。

「あら?今日はゆっくりねぇ」
流しに食器を片付けながら母はそう言葉をかけた。
「今日は練習ないから」
「そう。お母さんもう時間ないから朝食は自分で用意してね。ご飯は炊けてるしパンもそこにあるから」
自分の事は自分でする。それが瀧野家の教育だった。
「……はーい」
 自分で朝食を済まし、洗顔を済まして部屋に戻る。
そして、ゆっくりと出かける準備をしだした。



 10時を過ぎると、珍しく家にいた兄が部屋から出てきた。
顔を見ると寝起きまるだしだ。弟はリビングで寝転びながらテレビを見ている。
休みの日の珍しくない光景に、いつもと違うのは一つだけ。
玄関で靴紐を結び直している圭史に、兄の功志は出ない声を無理やり出して言葉をかけた。
「今日は部活休みか?」
「うん、ちょっと出掛けて来る」
もう片方の靴紐に手をかけながら圭史は答えた。
普段はスニーカーを履いている圭史が今日は違うのを出している事に気付いている。
兄としての、温かい眼差しを向けながら功志は言う。
「力入れすぎず頑張れよ」
その言葉に一瞬手を止めたが、すぐ手を動かして結び終えると圭史は答える。
「……行ってきます」
そのまま振り返ることなく圭史は玄関を出て行った。

 功志がリビングに入ると、末っ子の広司が言葉を投げた。
「けい兄でかけたの?」
「そうだよ」
「休みなのに又テニス部の人と遊ぶのかー」
「今日は違うだろ」
「え?なんで?」
「いつもとナリが違う。おおよそデートだろ、あれは」
「え?!けい兄も彼女いんの?!いないの俺だけ?!」
長兄の彼女事情を知らされていない末弟はそう声を上げた。
「俺も圭史もお前の年には彼女くらいいたのにな。さびしいやつめ」
「えー!?」



 駅に向かって歩きながら、ポケットに突っ込んでいる左手を出し腕時計に目を向けた。
この調子だと約束の5分前には余裕で到着できそうだった。
黙々と歩くその表情は、心なしかいつもより硬いものだった。
心の中には、微妙な緊張が見え隠れしている。
 いつも歩き慣れている道なのに、今日はやたらと違和感を感じる。

 いつものように駅の中に入り切符売り場がある広場へと向かうと、彼女は柱に背を凭れて立っていた。
いつも学校では横髪を耳の上でヘアピンで留めているのが、今日は後ろへ流すようにして下ろされている。クリーム色のダッフルコートに幅のあるプリーツのミニスカート。
そして、ストレッチのロングブーツ。
 その姿に圭史の心臓はドキッと声を上げていた。
無意識に足は止まっており、目はひたすら美音を見つめている。

 そこへ、二人の男がさっきから立ったままの美音に近寄り声をかけてきた。
見るからに下世話な笑みを浮かべている。
それに対して美音は思い切り不機嫌な顔をすると、顔を逸らしながら何かを言ったらしかった。それでも、男は一言二言言葉を言ったのだが、美音は顔を逸らしたまま無言だった。
「ちょっと」
その態度に声を荒げて男が言った言葉が圭史の耳にまで飛んできた。
ぐ…、と体に力を入れた美音。他の人間には分からないかもしれないが、その目には怯えが見て取れた。

 圭史ははっとして我に返るとすぐさま足を動かす。
そうだった。彼女は「男」が駄目だったんだ。
「ごめん、お待たせ」
早口にそう言うと、その場から引き離すように手を掴んで改札口へと向かっていきながら心配顔で圭史はそっと美音に顔を向けた。
美音は安心した表情に笑顔を浮かべていた。けれど、心許無い表情。
その危うげな様子に圭史は思わず口にしていた。
「ごめん」
「ううん、まだ約束の時間前だよ」
本当はそういう意味だけではないのだけれど、言葉が見つからずそれを肯定として言葉を紡いだ。
「……ほんと?」
「うん」
改札口を通るのに美音の手を離し、定期券を出し機械に通す。
通り終えて出た所で足を止め美音に顔を向けた。
機械から出てきた定期券を取り、定期入れに仕舞うとそれをバッグに入れながら、圭史の元へと歩いてくる。
一度離してしまった手を再び繋ぐ事が圭史には躊躇われた。
「……」
圭史は素直にそれを諦め、美音の歩調に合わせながらホームへと足を動かした。






「次の上映時間まで結構あるね」
時間表を見上げながら言った美音に、圭史は数秒考え提案してみる。
「近くにマクドナルドあったし、そこ行く?他探して動き回るより近くの方がすぐ戻ってこれるし」
それに美音は笑顔で頷いた。
「うん」
マクドナルドに向かっている間、ずっと美音はニコニコしている。
圭史はそれに慣れない何かを感じつつ心の中にくすぐったさを感じていた。
店内に入りメニュー掲示板を見上げながら美音が聞いてくる。
「決まった?」
「うん、フィレオフィッシュセットのウーロン茶。春日は?」
「私、チーズバーガーのセット。あ、ここ出すから」
笑顔でそう言われ、圭史は多少の焦りを感じつつ言う。
「いいよ、俺出すよ」
「いーの!私出すから瀧野くんは席取ってて!」
「はい。」
びし!と美音に言われて追いやるように背中を押された圭史はその迫力に素直に従う事しかできなかった。

 ―もしかして、俺って弱い……?―

都合良く空いていた奥の端の席に座り、ジャンバーを脱いで横に置くとため息混じりに背を後ろに預けた。
自分の中にいつもと違う状況に緊張感が漂っている。
女の子と出かけるのに、こんなに緊張を感じたことがあっただろうか。
持て余しているそれに、圭史は内心頭を抱え込みたい心境になっていた。

「お待たせ」
やって来た美音の声に我に返った圭史は、顔を上げながら言葉を紡ぐ。
「あ、ありがと」
「いえいえ」
美音は笑顔でそう言うと、コートを脱ぎ椅子に座ってから膝の上にかぶせた。
食べながらの何気ないお喋り。
こうしている事に、あまり現実感を感じないのは何故だろう。
「女の子って、服装で随分雰囲気が変わるよね」
「そう?」
「うん」
「でも、男子も同じだと思うけどー」
「いや、男は別に面白みも何もないから。今日の春日の服装だったら……」
そこまで口にして、はっと思った。思った事を素直に言うのははずかしすぎる。
「あ、今日のはね、妹と初売りセールに行った時に買ったやつでね、気に入ってしまって散々悩んだけど、やっぱり諦め切れなくて買ったんだ」
嬉しそうに笑顔で言う美音に、圭史は素直に言っていた。
「うん、似合ってる」
「へへへー」
恥かしそうにそう笑ってみせる美音に、圭史の心の中に温かい何かが駆け巡っていく。
 こういう光景を夢見ようとして、期待してしまうのを恐れて歯止めをかけた事が何度あっただろう。傍からすれば、信じられない光景だろう。

 色々とお喋りをしていたら、時間はもう映画館へと向かう頃だった。
あっという間に過ぎ行く時間に心の中でため息をつきながら圭史は美音に目を向けた。
 今日のその服装にあまり正視出来ないのが心情だった。
普段の服装がどんなものなのか、圭史には知る所ではないが、過去に見たことある美音の服装の中では今日が一番可愛いと思ってしまっている。
もしそれが、今日の為のものだとしたら、本気で嬉しく思う。
でも、気に入って買ったそれを、出掛けの日に着るのはもっともの事だろう。
だから、自分の為に、ではないだろう。
 圭史は空をついっと見上げて、それ以上考えるのを止めにした。
 映画館に入ると、お互い和やかな笑顔でどこの席に座ろうかと言葉を交わしながら降りていった。傍から見ると中睦まじいカップルに見えるだろう。
圭史は歩いていてふと気付いた。美音に注がれる男共の視線に。
それにむっとした顔をする圭史に、何も気付いていない美音は心配そうに言う。
「どうかした?」
「あ、ううん。あ、この席は?」
「うん、いーよ」
美音に端の席に着かすように圭史は奥の席にと腰を下ろした。
開始前のざわついた時間、美音は受付で貰ったパンフレットに目を通している。
本当に楽しみにしていたようで顔はずっと笑顔のままだった。
間もなくして上映が始まると館内は一気に静まり返り、美音は真っ直ぐにスクリーンに目を向けている。美音の手はパンフレットを握ったまま膝の上に置かれている。
「……」
手を繋ごうと思うには遠すぎる距離に、再び手を繋ぐ事を諦め、大人しくスクリーンに目を向けた。
 始まった映画は美音の予想通り面白かった。
予定の上映時間の半分が過ぎた頃には、圭史は真剣に見ていた。
それが最高潮を迎えると、場面は感動シーンでさすがに涙がジワリと浮かんでくる。
それを必死で堪えてから、何となく隣の美音に目を向けてみた。
握ったハンカチを目の下に当てて必死で見ている。瞬きするのも惜しいと言うくらいに。
 圭史はふっと笑みを浮かべて、スクリーンに顔を向けた。
映画が終わる頃にはあちらこちらから泣いている気配がしていた。
エンディングの最中に出ようかとも思ったのだが、映画に感動した美音が必死にハンカチを抑えているのを見て、最後まで見るのも悪くないかな、と思い場内が明るくなるまでスクリーンを見たまま、美音が調子を整えるのを待つことにした。



「あー、面白かったー。観に来て良かったー」
満ち足りた笑顔でそう言う美音に、圭史は笑顔になって言う。
「うん。マジで泣きそうになった。春日は?」
「しっかり泣いてました。泣くなって言う方が無理」
観た映画の話をしながら二人は街中を歩いていく。
何となく駅に向かっている途中で、ふと美音が見つめた先に3階建てのゲーム館があった。その注がれた美音の視線の先に目を向けてみて、圭史は穏やかな表情のまま言った。
「寄って行ってみようか」
「あ、うん」
そう返事をした美音は、少し嬉しそうな笑みを浮かべて少し顔を伏せていた。
中に入り1階はテレビゲームのコーナー。そのまま2階に上がると美音の目に入ったのはエアーホッケーだった。
「あ!瀧野くん瀧野くん、あれやろう」
嬉しそうに笑顔で言う美音に、圭史も笑顔になって頷く。
「行くよー?」
「はーい」
楽しそうな美音の様子に、圭史も嬉しく思う。
美音とのエアホッケーは、幾分力を加減しているものの、油断をしたらすかさずゴールに入れられるので気は抜けなかった。2回ほど淵にバウンドさせてゴールに向けてきた球を力を入れすぎないようにして返して、そこで気を抜くと真っ直ぐにゴール目掛けて美音は投げてくる。

 ― これは中々…… ―

 美音相手なのである程度手を抜きつつも、点だけは負けないようにして、どうにかゲームをこなし終わった。
「あー面白かった」
満足そうに笑顔を浮かべて言った美音。
隣で圭史は微笑みながらそれを眺めている。
その奥に見えるドライブゲームに気がついて圭史は言う。
「今度はあれで勝負」
「うん、いこいこ」
 そうしてやったドライブゲーム。途中2回ほど美音に抜かれたのは内心驚いていた圭史。さすがに美音には負けたくないらしく、圭史にしては本気モードだった。

― あっぶねー。女の子なのに何でこんなにうまいんだろう? ―

口に出したら怒られると分かっているので圭史は思うだけに留まっている。
他にも色々見て回りながら、ふとした所で美音が言いにくそうに口を開く。
「あ、ごめん、ちょっと行ってくるね?」
恥かしそうにお手洗いに小さく指をさしながらの様子に、圭史は言葉を口にしてからその場から離れる。
「うん、適当に見てるから」
ぶらぶらと見回っているうちに、階段近くのゲーム機に足を運んで来ていた。
丁度そこに3階から降りてくる男子数人の姿があった。
「あれ?瀧野じゃん」
「え?」
名前を呼ばれて顔を向けてみれば同じ実行委員の人間がその中にいた。
「あぁ。凄い偶然だな」
「おう。今から出る所だよ。瀧野部活は?」
「今日はなしだよ。そんな日じゃないとここまで出て来れないよ」
「そうだよなぁ。んで、誰と来てんの?」
「あー、えー、と、学校の子」
歯切れの悪い言い方に相手は何かぴんと来たようで意味ありげなにたっとした笑みを浮かべて言う。
「あぁ、デートか」
「うーん……」
「なんだよ、浮かない顔して。俺は瀧野の応援してんだぞ、これでも」
「……は?」
「お前に彼女できたら、かなりの人数の女子が他の子と付き合おうと言う気になるだろ?」
「……。いや、俺そんなにもてる訳じゃないから」
「よく言う。ま、邪魔にならないうちに帰りますんで。頑張って副会長と仲良くね」
「……」
笑顔で去っていった彼に、圭史はぽりぽりと頬を掻いていた。



 ゲーム館の2階で、来た道を戻るように奥へと進みながら美音の姿を探している。
ふと立ち入らなかった箇所へ目を向けてみると、占いの画面を覗き込んでいる美音がいた。
何やら悩んだ顔で人差し指が顎に当てられている。
そして、決断した表情をすると硬貨を投入し画面に顔を向けている。
そこへ足を向けながら圭史は掲げられている説明文に目を向けた。

《恋愛価値観》あなたの恋愛観を診断してみませんか?様々な面から見たあなたの恋愛においての価値観を診断します。2人同時にすると相性診断も出ます。

 ― へぇ。気になる文面…… ―

歩きながら小銭を手に取り出すと、美音の横に並び追加金を投入した。
「あ!」
それは予想外だったらしく、美音は驚いた様子で声を上げていた。
圭史はにこりと笑顔を向けると画面に顔を向けた。
名前と生年月日をそれぞれ入れていく。
入れたところで圭史の所を覗き込む美音。
「瀧野くんって6月生まれなんだ」
「うん。春日は5月かー。結構近かったんだ」
「そうだねー。……あ、始まった始まった」
後は画面に出る質問に答えていくだけだった。
全ての質問に答え終わると、二人同時に息を吐いていた。
それは思ったより長い質問に疲れただけのことだった。
 美音は診断書の出てくる前にしゃがみ込んで、じーっと見つめながら用紙が出てくるのを待っている。

 ― 女って占い好きだよなー ―

なんて事を思っていたら、カタ、という音がして診断書が出てきていた。
美音はそれを即座に取り出し見ると立ち上がって読み始めた。その顔は真剣そのものだ。
次に出てきた用紙を気持ち苦笑しながら取り出すと次いで3枚目が出てきた。相性診断書らしい。

 ― えーと、総合コメント、……無謀な価値観?えー?この偏った恋愛観を個性だと理解してくれる器の大きいパートナーが見つかる事を切に願います……、余計なお世話だ。
で、ジャンルコメント。人生における恋愛、……あー、過去は本音を言えばこう思ってたかもね。
社会における恋愛、……うーん、今までの付き合いはまさにこんな感じだったろうな。
自己犠牲の精神、…… ―

美音をチラッと見てから、再び用紙に目を向ける圭史。

― で、ルックス。……おお。別にこだわってるつもりはないが、まさに。
財力。……ふむふむ。
安定と刺激、……はは、占いに嫌味言われてるよ。
駆け引き、……うーん、確かに春日に対しては難しく考えてるよな、俺。
許容と束縛。うーん、今まではそうだな、当たってるよな。
将来への意識。……うーん? ―

一通り読み終えて、圭史は美音に目を向けた。
美音はまだ熱心に読んでいるようだった。なので、圭史は相性診断に目を通すことにした。

 ― 相性診断。……おお!94%最高!おお!2つのジャンル以外問題なし! 殆ど◎(にじゅうまる)!―

一人喜んでいるところへ、目は用紙に向けたまま美音が聞いてきた。
「ねー、タイプなんて出たー?」
「ん?全体には非常識で、同年代には誠実そうなイメージだって。春日は?」
「全体にはお子様だって。同年代には、聖人で頼りがいがあり堅物と思われがち。敷居が高くアプローチしずらそうなイメージだって!」
「……」
口に出そうになった言葉を圭史はすんでのところで飲み込んで苦笑で済ませた。

 ― 一見バラバラな文だけど、見事に当たってるよな…… ―

「見せて」
他の診断が気になって圭史がそう言うと美音は笑顔で言った。
「後でね」
その言葉に反論はせず、それでも天を見上げて少し不満な表情を浮かべていた。



家路に着いた頃にはすっかり夕刻に入っており、街中は人混みにごった返していた。
 美音は圭史の後を行くように歩いているのだが、すぐ間に人が入り歩きにくい状況に陥っていた。行き交う人に邪魔をされて思ったように歩けないでいる。
そんな美音に気付いて、圭史は追いつくようにと足を止めた。上半身は美音に向けたまま。すぐそこまでの距離に近づいた美音を、圭史は柔らかい口調で呼ぶ。
「春日」
圭史に呼ばれて顔を上げる美音。
ようやっと圭史の元へたどり着いた美音の手を、圭史はすっと繋ぐとゆっくりと歩き出した。履き慣れていないブーツに歩き難そうにしている姿に、圭史はすんなりとそう行動していた。駅に向かう人混みの中、彼女はどんな顔をしているのだろう、と思い、そっと目を向けてみた。
 美音は笑顔のまま安心している様子で歩いている。
「…………」
圭史の中には不思議と温かい気持ちが流れ込んでくるかのように何かに満たされていた。
 駅に着き改札口を通った。行きでは一度離れてしまった手は再び繋ぐ事は無理だったけれど、圭史の後ろで改札口を通った美音が小走りに圭史の横に来ると、帰りのそれは、まるで磁石が引き寄せられるかのように自然に手を繋いでいた。
 ホームに出て電車を待っている間、特に何かを話していた訳ではなかった。
ふと視線を感じて、隣にいるはずの美音に顔を向けてみると、微笑みを浮かべた顔で自分をずっと見つめていたようだった。彼女は合った目を逸らすことなくにこっと微笑みをよこした。圭史も反射的に微笑みを返すと、丁度そこへホームに到着した電車に顔を向けた。
 電車に乗っている間も、気付いてふと目を向けると、やはり美音は見つめていたようだった。
圭史と目が合うと、美音は言葉を紡ぐ。
「今日、楽しかったね」
「うん。……また、ね?」
はっきりと言いたいのに、言えない気持ち。
圭史が言った言葉に、美音は通じているのか笑顔で答える。
「うん」
それに圭史は俯いて嬉しそうに微笑んだ。

駅を出て家に向かっている歩調が心に比例してゆっくりとなっていた。
楽しい時の時間はあっという間で、明後日には学校で又あるのだけど、まだ一緒にいたいと言う気持ちを強く感じている。
 殆ど会話は交わしていないが居心地の良い沈黙の中で圭史は美音を傍に感じていた。
そうして、公園の入り口に差し掛かろうとしている時に、圭史は思い出して口を開いた。
「あ、占いの結果、まだ見せてもらってない」
「……え?覚えてたの?」
忘れていたままだったら知らない顔をしてなかった事にしようとしていたのが分かる言葉だった。
「覚えてるよ、ちゃんと」
そんな事はさせないよ、と言わんばかりの圭史に、美音は目を泳がせながら言う。
「じゃあ、公園寄って行こうか」
「うん」
二人の足取りは迷うことなく公園に入っていく。
もう日は沈もうとしているのにまだ遊んでいる子供の姿がちらほら見える。
中が見渡せる位置まで進んできた時、圭史は声を紡ぐ。
「あ、ホットドリンク買ってくるから待ってて」
「あ、うん」
圭史の顔を見上げて美音が頷くと、笑顔を向けて駆けていってしまった。
 髪が風になびいたその先に目を向け圭史の後ろ姿を見送ると、ゆっくり、と向かう先に振り向き足を進めて行く美音だった。

 圭史が近くの自動販売機で、ホットミルクティーとホット緑茶を買い公園の中を進んでいくと、ブランコに座って足先で小さく揺らしている美音の姿があった。
 圭史に気づいた美音は、小さく「あ」と声を出すとそこから立ち上がり柵の外に出てきた。自然と二人の向きは近くのベンチに向かっていて、流れるようにそこに座った。
「はい、好きな方どうぞ」
「え、と、どっちでもいいよ?」
「俺もどっちでもいいよ。だから、先にどうぞ」
「えーと、じゃあ、こっち」
美音が指差した方を圭史は笑顔で差し出した。それを受け取り両手で包むように握ると美音は小さくぺこりと頭でお辞儀すると言った。
「いただきます」
「はい」
圭史は親指でひょいと開けてそのまま口につけた。温かいそれが体内を染みるように広がっていく。
横で美音は開け様として上手くいかず、「あいたたた」と言いながら手を振っていた。
「貸して」
それを見た圭史がそう言って美音から受け取り、開けて返した。
「ありがと」
はにかんだ笑顔でお礼を言った美音はそのまま口につけて飲んでいる。
圭史はそれを見て、微笑を零していた。
 数分経って一息ついた頃、美音がバッグの中から4つ折にされた用紙を取り出して圭史に差し出した。
「はい」
裏面には占いの概要が書かれたそれで診断書と言うのが分かる。圭史は微笑を浮かべたまま受け取り、カサカサと広げていった。
「あ、瀧野くんのは?」
「え?……あ、捨てた」
「え?!」
「……冗談」
反対の方向に目を泳がせてから、ポケットの中に手を入れて折り畳まれた用紙を1枚出し中身を覗き込んだ。それから、美音に渡した。
美音はそれを笑顔のまま開いて読み始めた。途中で吹き出しているのを見て、圭史はそれがどのジャンルか見当がついていた。
「……当たってる?それ」
下の方を読んでいる美音に圭史がそう訊ねると、美音はそのままで答える。
「うーん、でも、こんな感じはするかも。私のは?」
「うん、さすが春日さんって感じ」
「なぁに?それ」
「うーん、良い意味でね」
圭史の言葉に小首を傾げてから、数秒して思い出したように美音は言った。
「そう言えば、一緒にしたから相性診断ってあったんじゃなかったけ?」
「あー……、うん、あったよ。見たい?」
「うん、一応」
「でも、すごいよ?それでも見る?」
何か意味ありげに言った圭史に、美音は少しムキになりながら返す。
「うん、見るよ。見せて」
圭史はふっと微笑を浮かべると、ポケットの中からもう1枚を取り出して渡した。
受け取った美音が広げていくのを見て、それを見たときの反応を直視するのが怖くて圭史は顔をそっぽに向けた。すぐに紙の擦れる音は止み、気配で読んでいるのが分かった。
動きのない美音に、圭史はやっぱり気になってそっと目を向けてみる。
その顔は、悪い意味ではなく驚いた表情を浮かべていた。
それが何だか嬉しくなって、圭史の顔には笑みが零れる。
 読み終えた美音がそれを畳み直しているのを見て訊ねてみた。
「で、どうでした?」
「え?……驚いた。こんな点本当に出る事ってあるんだーって思って」
その言葉に圭史は連想してしまって思わず苦笑した。
「誰か」との相性の占いをしてきて、あまり良くない点数しか出なかった過去の出来事に。

 少しだけ、気まずさが湧き出た二人の中に、冬の冷たい風が通っていった。
身を縮める美音を見て、名残惜しさを感じながら帰ることを意識した。
すぐに学校が始まるのに、こんな所で風邪をひかせてしまってはいけないから。
「……そろそろ、……」
「あ、うん」
 急に静かになってしまった空気に、二人は腰を上げた。
公園の出口に向かって歩いている途中、圭史は今日何回目かのそれに気づいて、まるで呼ばれるように顔を向けた。
そこにはやっぱり美音が自分を見つめていて、目が合うとにっこりと笑顔を向けた。慣れないそれに、圭史の頬は少し赤く染まり、何だか恥かしくなって顔を逸らしてしまった。

「……あの、瀧野くん、今日は、……」
何か意を決したような声の言葉に、圭史は顔を向けた。
美音は小さくはっとした表情をすると、すぐ笑顔を向けて言った。
「誘ってくれて、ありがとう。楽しかった」
「うん、こっちこそ」
圭史が笑顔でそう言うと、何か少し困ったような他に言いたげな微笑を浮かべて美音は目線を落とした。

……不意に、圭史の心臓が鼓動の音を大きくたて始めていく。
「……、……っ」
無意識に手に力が入っていて、ぎゅっと拳を握っていた。
何かを期待して誘った訳じゃない。何かを告げたくて誘った訳じゃない。
だけど、今、勝手に体の中を緊張が奔っていた。

「あの……」
たまらずそう声を出した時だった。
段差に躓いてしまった美音が驚きの声を上げて体のバランスを崩していった。
「ひゃっ……」
圭史は咄嗟に腕を伸ばしてその身で彼女を抱きとめていた。
一瞬のそれに美音は体に力を入れていて、助けてもらった事を理解し力を抜くまでに時間を要した。
その間、胸の中にうずくまる様にして納まっている彼女に、息を潜めるようにして動けずに見つめていた。たった短い時間の間に、頭の中には色々な事が駆け巡っていく。

気がつけば自分を見つめていて目が合うと笑顔を向けた彼女。それが今日何度もあった。
今まで、目が合う事も、目が合って笑顔を向けられた事もなかったのに。
何故か、自分には表情の柔らかい彼女に、本当は気付いていた。
でもそれは、今までの流れ的に、期待するような物ではないと自分に言い聞かせていたのだ。何度も彼女を助けてきたのだから、そういう意味で安心されているのだと思っているから。
終業式の日の、あの放課後。向けられたプレゼントに期待をしたのが正直な所だった。だが、彼女はお礼だと言った。その言葉に自分を納得させて、それでも納得しきれない自分がいた。そんな自分に、彼女と今一番親しい子が、彼女の事を「素直じゃない」と言った。
そして、今日一日を振り返ってみて、二人の間にあった空気は良いムードのものではなかったか。これは素直に「デート」と称しても良いのではないだろうか。

「…………っ」
体内に走っていくジレンマに心を迷わせながらも、圭史は美音の背に腕を回していった。
柔らかくて温かい彼女の体は思っていたより小さかった。

 ようやっと、躓いて転びそうになった所を助けてもらった事を理解し、体から力を抜いて美音が気付いたように声を出した。
「あ、ごめん……」

一瞬にしてそれを覚った圭史は、はっとしてすぐに腕を下ろしていた。
「あ、大丈夫?」
微妙に上擦っている声に彼女は気付くだろうか。
「うん、ありがとう。大丈夫」
圭史が美音を抱きしめたのはほんの一瞬だった。
美音はどうやらそれには気付いていないようだった。
 圭史はそれ以上何も言わず、ゆっくりと歩き出した。
公園の出口を通り抜けようとする手前で、圭史のやや後ろを歩いている美音の足が急にビタッと止まった。
それに気付いた圭史が振り向き、微笑を浮かべながら訊ねる。
「どうかした?」
それに美音ははっとした表情をしたのだが、すぐ取り繕って答える。
「う、ううん、なんでも、ない」
向けられた美音の笑顔に笑顔で返すと、圭史は再び歩き出した。
 公園に向かうまでは、嬉しい気持ちで手を繋いでいられたが、今の圭史にそれは出来なくなっていた。
今、それをすれば、きっとどうしようもなくなってしまうから。

 だけど諦めきれない思いを胸に、それでもひたすら堪えて圭史はちゃんと家まで美音を送っていった。

「……はぁ。俺の意気地なし……」
誰にも聞かれることの無い呟きを胸に圭史は家に向かって歩いていた。