時の雫・風に乗って君に届けば

§1 其処までの距離


Episode 1 /1




 日中は太陽が出ていると、陽射しで温かく感じる。
未だ上着一枚は必要で、夜になるとまだ肌寒い。それでも、桜は満開を迎えようとしていた。

 まだ春休みの今日、昼の部の練習に出る為に圭史は学校へ赴いていた。

その日、家では母親が客を持て成していた。
「春休みだって言うのに、役員の仕事で学校へ行くことが多くてねー、なんか忙しそうにやってるわ」
出されたお茶に口をつけながら、来訪者は言った。
「うちの子は殆ど毎日部活でいないわよ。
同じ学校でもあまり顔を会わす事が無いって言っていたけど」
テーブルの向かいに座って、圭史の母は言った。

「テニスの試合で入賞して朝礼のときよく表彰されてるって聞いてるわよ。凄いわねー、それだけ出来るのなら」
「そーなの?あんまりそういう事話さないから知らないんだけど。よく賞状やらトロフィーやら貰っているみたいなのは知ってるんだけどね」
「まーいいわねー」
そう言って来訪者は自分の膝元の横に目を向けた。そこにあるのは自分の鞄だけだ。
「あっ!ケーキ焼いて貰ったの忘れてきたわ!ちょっと電話お借りしていい?娘がいるはずだから届けてもらうわ」
「折角だから家で食べたらいいじゃない」
「ううん、家の分も作って貰ってるから。娘が作ってくれたのよー」
「そうなの?女の子だといいわねー。うちは息子しかいないから洗濯物を増やしてくれるだけだもの」
圭史の母はそう言って電話の子機を手渡した。そして電話している様子を眺めている。
「もしもし、私。あのね……」



 昨日今日と久々に家にいた。
新学期になれば、入学式や新入生歓迎式があるので、生徒会役員は春休みも集まらなくてはいけない。この2日間は、骨休みと言ったところだろう。
良い天気で気持ちが良いので、久々にお菓子作りをしてみた。
母が友達のところへ行くと言うので、その分も作ってあげると、喜んでくれたので、娘としては中々嬉しかった。

 −さぁ、何をしようかなー−

そう思って2階の部屋に階段を上っていると家の電話が鳴った。
何も考えることなく電話に出ると、出かけた筈の母親からだった。

「え?忘れてったの?! え? 届けて欲しい? …いいけど、どこ?」
別に暇なのだから、そう思ったので届けてあげることにした。

「瀧野君ち?あぁー、分った。今から行くから」

受話器を置くと、ため息を一つして1階に下りた。

台所に行くと、母が持っていこうと用意したケーキがテーブルの上に紙袋に入れられて置いてある。
「抜けてるんだから……」

 瀧野家には、過去に何度か母に着いて行った事があるので家は知っている。
でも、そこの家の息子とは中学高校と一緒だが、まともに話した事が無い。
その家で彼に会っても、同じ学校の同学年と言う事でなんか変に意識してしまい喋ることは出来なかった。
何やら気まずくて話題も頭に浮かばない。多分、相手もそうだろう。

 −部活でいないだろうけど−

彼の弟には、そんなことは無かった。昔は一緒にゲームしたりして遊んだものだった。

そして彼の家は、家から徒歩約10分の所にある。
今日は天気が良いから歩きで行こう、と美音は機嫌良く家を出た。


 インターホンを鳴らすと、聞き覚えのある声が聞こえ、玄関の扉が開いた。
「こんにちは。母の忘れ物届けに来ました」
美音の姿を見て、圭史の母は笑顔になって言ったのだった。
「久しぶりねぇ、折角来たんだから上がっていって。どーぞどーぞ」
勧められたのを断るのも気が悪いな、と思った美音は素直に上がっていくことにした。

−少しして失礼したらいいかな−


 それから暫らくして、練習を終えた圭史が帰宅した。
扉を開け玄関に入ると、見慣れない女物の靴が2足並べてあった。

 −お客さんかな?−

大して気にも留めることなく靴を脱ぎ、家に上がると、玄関に正面を向けて廊下を歩いてくる姿に気がついた。
……リビングに向かっている美音に。

圭史は一瞬我が目を疑ったが、すぐ親同士の付き合いを思い出し、状況に納得すると、彼女から視線を外すように目を廊下に向けた。

「あ、お邪魔してます」
美音にそう言葉をかけられ、そのままの目線で口にしたのだった。
「あ、うん」

美音がどんな表情だったのかも分らない状態で、圭史は2階の自分の部屋へと向かう。
 そのままリビングに入り、母に声をかけられている様子が、圭史の耳まで届いてくる。
「どれが帰ってきたの?」
「圭史君です」

 名前を口にされたことにドギマギしながらも、自分の家だと言うのに居づらさを感じつつ部屋の中に入っていった。
「はぁ」
 鞄を放り投げるように置くと、とりあえず私服に着替えた。
言うほどすることも無いので、先日に買った雑誌でも読むことにした。

暫らくすると小腹が空いたので、おやつを取りに1階へと下りていく事にした。
 階段を下りながら、玄関に目を向けると、靴が1足なくなっている。
きっと、彼女が帰ったのだろう。

台所に入り、戸棚からポテトチップスの袋を取り出した頃、母が来た。
「ケーキ頂いてるよ、食べたら?」
もうすでに気持ちは手にしたお菓子を食べる気満々なので、少し悩んだが答えた。
「んー、後で食べる」

それが後に後悔することになろうとは、この時は全く思っていなかった。

 夕方、お腹が空いたので下に下りると、弟の広司(ひろし)がフォークに刺した最後の1口を幸せそうに口に運んでいたところだった。
「これ美味しいねー、お母さん作ったの?」
「違うよー、春日さんとこの上の娘さんの手作り頂いたの」
「へー、すんごい美味しかったから残ってたの全部食べちゃった」
あっけらかんと言う弟に、圭史は硬直した表情のまま、言葉を発した。

「はっ?」

母は広司の台詞に驚いて口にした。
「え?あんた全部食べちゃったの?」
「うん、……え?」
兄の姿に気がつき、母に言われた言葉を頭の中で反芻すると、嫌な予感が心を翳めた。
「……俺も兄貴も食ってねぇんだよっ」
と、末っ子三男の背中を蹴り飛ばし、圭史はリビングに行くと不機嫌にソファに座った。





 新学期が始まり、又変わらない毎日が始まった。
朝、いつものように改札口を通り、来た電車に乗ると、偶然に2年になっても又同じクラスになった友人に会った。
他愛も無い話をしながら、電車に揺られていると、何かに気付いたように話してきた。
「あ、あそこにいるの春日さん?」
同じ車両の端の方を顔で示すと、圭史の方に顔を向けた。
言われた圭史は、ちら、と、目を向け、その姿を探した。
標準の体型に身長、肩まで伸びたさらさらした髪の彼女は、カバーをした文庫本を読んでいるようだった。
「うん、あれそう」
圭史が肯定すると、友人はその風情に目を向け、ため息とともに口にする。
「はー、今日は朝から良い日だー。見える景色にあの存在がいるだけで何時もと違って見える」
陶酔している様子に、たまらないように圭史は心の中で呟く。

 −寝言は寝て言え−

しかしながら、こういう男は少なくないだろう。彼女の見た目に憧憬の念を抱く奴は。
 そして圭史は知っている。
男子生徒の密かに憧れの的、春日美音は、外見で夢を抱かれることにかなりの抵抗感を持っているということに。

彼女を見つめながら、友人は尚も言う。
「あーあ、彼女からデートの誘いがあったら、即OKするんだけどなー」
その声が大きかったのか、美音の手がピクリと反応してこちらを振り向いていく。
それを察知した圭史は、友人に顔を向けて半ば吐き捨てるように言った。
「トチ狂った想像も行き過ぎると犯罪だって」
友人は構うことなく尚も言う。
「いやぁ、世の中には信じられないような事が人生には何度か起きるんだって」
根拠の無い自信で言い切った友人に、諭すかのように口にする。
「一握りの奴に限られていて、しかも、起き得るかもしれない、だろ」
それを聞いた友人は肩を落として力なく言った。
「そーね、ちょっと高望みしすぎたね。ふー、取りあえず今日の委員選抜で当たらない事を祈るかねー」
「そうだなぁ」

目の端には、再び本に顔を向けている姿が映っていた。



 その日の4時限目の授業が終わり、圭史のクラスは、特別教室から自分たちの教室へと戻るために廊下を歩いている。
暖かい太陽の陽射しが窓を透過して校舎内に降り注いでいた。
それだけで仄々とした雰囲気を作り上げる。

そんな中、美音が友人たちと歩いて来ていた。

−平穏だなぁ…−

友人たちと喋っている声が耳に届いてくる。髪が風に靡いてサラッ…と音をたてながら、圭史の横をすれ違っていった。

 目線を再び廊下に向けると、圭史は無口のまま教室に向かっていく。


 6時限目のホームルームは、委員選抜が行われていた。

温かい陽射しを感じながら、圭史はそよ風を心地よく感じていた。
頬杖を突きながら、顔は教壇に向かれていたが、瞳には何も捉えられていなかった。




 中学時代の3年間は、同じクラスになったことは無く、又同じ委員会になったことも無く、1年のときは彼女の存在さえ知らなかった。2、3年のときはお互い各委員会の委員長をやっていたので、総会等では顔を会わせた事はあったが、必要以外口を利いた事は無かった。
ただ、1年の時お互いの親がPTAで役員をしていた関係で親しくなり、親が家を行き来する仲になった。最初名前を親から聞いたときは、別に気にも留めなかったので、その事自体忘れていた。
2年になった新学期、しばらくして、よくクラスに顔を見せに来る女の子がその子だったと知ったのだ。
……それでも、彼女の中では、「あの人の友達」くらいの認識しかなかっただろう。
彼女が好きだったのは、自分の隣にいた奴だったのだから。




「という事で、立候補も他に推薦も無いようなので、決定します。では瀧野君よろしく」
教壇に立っている学級委員に不意に名を呼ばれ、はっとトリップから戻った。

 −え?−

と思い、顎に当てていた腕を離して黒板に目を向けると、圭史の名が書かれていた。

『実行委員(1名)、瀧野』

生徒会役員の指揮の下、各学校行事の裏方をしなくてはいけない。イベント企画実行委員会。
一番忙しい委員会と言えよう。

「……え?…いつの間に……?」

誰もが無視した圭史の困惑。
それが取り消されることは、一度も無いままホームルームは終了した。


 放課後、部室に向かう中、圭史の横を友人は着いて来ていた。彼の部室も同じ並びにあるからだ。
「実行委員、おいしいよなぁ。是非俺のこと宣伝しておいてね」
実行委員は生徒会と一番親密だから、そう友人が言っているのだ。
美音に自分を紹介しろ、と。
そして実行委員は忙しい。

「他力本願は神社に行ってやってくれよ」
ため息とともに、そう吐き出した。

 友人と別れ、部室に入ると、鞄を鬱陶しそうに床に捨て置き着替え始めた。
着替えている間に、尚、苛々が積もっていく。
ロッカーの扉を手荒に閉めると同時に、鬱憤を吐き出すように声を放った。

「どいつもこいつもてめぇで動けっ」

 丁度そこに入ってきた同じ学年の谷折が、意外とでも言うような顔をして声をかけた。
「珍しく荒れてんなぁ?」
それで幾分頭が冷えた圭史は、落ち着きを戻すように口にする。
「あー…、気が付いたら実行委員に決定してた」
それを聞いた谷折は、静かな表情になって言葉をかける。
「それはご愁傷様だな」
「ほんとにな。………はぁ」
ため息を一つして、天井を仰いだ。



 次週の水曜日、定例委員会。毎週水曜日、部活動は試合前を除いて禁止となっている。
掃除当番を終えた圭史は、重たい足を引きずるように進めながら、生徒会室の隣にある会議室に向かっている。
心の中に広がっているのは、ある種の気まずさだけ。それが圭史を浮かない気分にさせていた。
 会議室の扉は開けっ放しになっている。中に入ると、集まっている人の数は半分といったところだった。教室の時計に目を向けると、開始時間にはまだ時間がある。
適当な席に座って、圭史はぼーっとしていた。
 それから10分ほどの時間が経った頃、会長を除いた生徒会メンバーが入ってきた。
副会長の足立が教壇机の前に立ち、他の3人はプリントを配り始めた。
 実行委員の名簿と1学期の行事予定ならびに準備工程がかかれている。

生徒会役員の実行委員学年担当者、3年担当−溝口、2年担当−春日、1年担当−橋枝

 副会長によってプリントの説明がざっと行われテンポよく話が進められていった。
「連絡質問等は各担当者までお願いします。
で、次は、新入生歓迎会なんですが、日にちは知ってのとおり約10日後の金曜日に執り行われます。
行われるのは2、3年の一般生徒は自習時間となっている3、4時限目に、講堂で各部活の紹介や学校の紹介といった内容のものです。
で、実行委員は2時限目から準備にかかります。
そうそう1年の実行委員は生徒会選挙から活動してもらいます」

実際、委員会が始まると余計なことを考えている暇は無かった。
必要なことをプリントにメモしながら話を聞いているだけで時間はあっという間に過ぎていく。
 そして、思いの外早い時間に委員会は終了した。
プリントと筆箱を鞄に仕舞っている間に、会議室に残っているのはもう僅かになってしまった。

圭史は別に焦ることなく、鞄を持つとゆっくり会議室を出た。

丁度その頃、いったん生徒会室に戻った美音が再び出て来た所だった。
ふと目が合うと、彼女はなんの躊躇いも無く声を放った。
「瀧野くん、実行委員は別に部活優先でいいよ?テニス部って忙しいでしょ。それに瀧野くんてよく試合に勝って表彰されてるもんねぇ」

なんとなしに鞄を持つ手に力が入った。
一言口篭ってから、圭史は言葉をいつもより柔らかく口にしていた。
「あ……、新歓は担当から外れてるから大丈夫だし、部活の方はやれる範囲でやっているから。何かあるときはお願いすると思うから、その時はよろしく」

美音は、ふんわりと微笑して答えた。
「うん、こちらこそ。じゃあ気をつけてね」
と、小さく手を振られ、圭史は笑顔を微かに向けて一言口にした。
「うん」

 そして美音は会議室の鍵を閉めに足を向けた。それを目にして圭史は足を進めた。

今更ながら、自分がテニス部で活躍していることを認識してもらっている事に気付くと、−生徒会役員の美音は朝礼のときは、祭壇の脇に整列しているので表される生徒のことは知っていて当然なのだが−さっきまで重かった心が軽くなったような気持ちになった。


「で、実行委員会のほうはどう?」
とある日の休憩時間、友人はそう訊ねた。
 突如、話を振られた圭史は怪訝な顔をして聞き返していた。
「は?何が?」
「ん?仲良くなれた?」
ぢっ…と細目になると文句がありそうな顔で言葉を紡いだ。
「忙しくてそんな余裕ねぇよ」

実際、本当に忙しかった。
新入生歓迎会は2部構成になっていて、それぞれが2年と3年の実行委員が進行を担当する。
必要な機材やら材料やらの調達調整、時間の計算やら各部との調整やらで毎日追われている。
学校紹介は生徒会が受け持っているので、最終決断や煮詰まった時などの最後の頼りとして2年担当の美音の所に話を持っていくのだ。
それでも、美音は1日に1度は実行委員のほうに顔を出してくれるのだが。
 忙しい委員会と聞いていたが、本当にここまで忙しいとは思っていなかった。

「何を贅沢なことを言っているんだ」
半分茶化して半分本気で友人は言ってきた。

「なら、変わるか?」
至って冷静に切り替えした圭史に、友人は顔を横に必死で振って答えた。
「いいえ、結構です」
「…ま、お前だったら手を抜く癖があるから、すぐ春日に目を向けてもらえると思うよ」
「え?」
ちょっと期待した瞳を圭史に向けた。
圭史はそんな友人に目だけを向けると突き落とす気持ちで言い放った。
「中学のときから仕事に関してだけは厳しくて有名だから。怒ったら怖いんだ」
「嫌われるだけかい!」
と突っ込んだ友人であった。


 放課後、会議室に向かうと、他に数人が集まっている中で、美音が2年実行委員担当の進行表を見ていた。
その表情は真面目で、普段彼女が友人たちに見せるものとは違っていた。
 ホワイトボードには前日からの決定事項が書き綴られている。
圭史は昼休みに受け取ったある部活の新歓内容書から必要な事項をそこに書き足していった。
 その間に、進行表に何かを書き足し終えた美音は「よし」と一言言うと、席を立って会議室を出て行った。
美音の後ろ姿を目の端に捉えた圭史は、ホワイトボードに書き終えて鞄を置いた机に向かう途中、美音が見ていた進行表を覗いてみた。
 そこには、抜け落ちていた事柄や一番早い段取りの取り方などの助言が書かれていて、次の仕事が判り易いようにされていた。

 −あーこれだったら、あと今日明日で終わるかも−

彼女が真面目な表情で進行表を見つめていた姿を思い出し、圭史は本当に感心した。

 2年実行委員全員が集まったとき、数人が進行表に書かれている事に気付いた。
「おー、これ済んだら新歓前日まで委員会なしでいけそう」
「え?どれどれ」
最終確認を待つだけになれば、その予定表を生徒会に提出し、不備が無ければ次は前日に行われる工程確認打ち合わせを待つだけになる。
急に皆のやる気が高まった。そして、それは圭史が掛かると思われた半分の時間で終えることになった。

「あれ、誰が書いてくれたの?」
一人の問いに圭史が口を開いた。
「俺が来たとき春日がそれに向かってたよ」
「春日さん様様だなぁ」
皆美音の優しさに感謝しつつ仕事に取り掛かった。



 仕事が終わり、他の委員は帰路についたが、圭史は部活に向かった。
「すいません、今終わったんですけど、入ってもいいですか?」
それに部長が普段の様子と変わりなく答える。
「おー、そのまま入ったらいいから」
その台詞を聞いて、他の部員1名が声をあげた。
「えー?部長瀧野にあまーい」
「ばかもん、あいつは委員会だろーが!それにあいつは練習出られない分は朝練出てるんだよ」
おどけるように口を閉じると肩を竦めた。
 圭史は既に部室へと着替えに向かっていて、その場所にはいなかった。

その日の練習が終わって後片付けの最中、圭史は部長と副部長に呼び止められていた。
「大丈夫、練習も頑張ってるの分ってるから」
副部長が爽やかな笑顔で言うと、部長も笑顔で言う。
「それに、生徒会のほうからも言われてるしな。新歓の事で各部長が集合掛かったときに」
「え?」
何の事だろうと顔を上げた。それを見て、部長はにっと笑って口を開く。
「実行委員とのかけもちで不備があったら生徒会の方に言ってくれって。試合前は練習優先で構わないからって。俺は生徒会にたてつく度胸は無いけどな」
「副会長の足立が言ってたよ。うちで今怖い2年女子の書記に言うように言われて、とこぼしてた」
「しっかりしてるから逆らえないんだってさ。ま、体壊さないようにだけしろよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
少し呆けような感じで、圭史はそう言うと、片付けに回った。
頬をぽりぽりと掻きながら、今日見た美音の姿を思い出した。
 適わないな、
そんな気持ちが心に広がっていた。





 新入生歓迎会当日、1時限目が終了すると、圭史は教科書等を仕舞うと席を立って教室を出て行こうとした。
「あれ?瀧野、どこ行くんだよ」
そう問うた友人に顔を向けて口を開いた。
「新歓の準備。委員は講堂集合だから、先生に言っておいて」
「おー、頑張れよー」
「はいよ」

教室を出ると、既に講堂に向かって走っていく美音の後ろ姿が見えた。

圭史は歩いて講堂に向かった。
2時限目開始のチャイムが鳴ると、講堂では準備に取り掛かる。
新入生の人数分のパイプ椅子出しから、舞台袖に置く備品の数々からさまざまだ。
 物を運びながら、舞台上にいる美音に目を向けると、忙しそうに準備に掛かっている。
いつも忙しそうにしているのに、よく気が回るな、と感心しつつ圭史は黙々と進めていた。

 2時限目終了15分前になると、大方の準備は整ってきた。
「ふー」
と圭史が伸びをした頃、美音が袋を携えてやって来た。
「お疲れ様。ジュース好きなの選んで?生徒会から差し入れです」
「あ、ありがと。何があるの?」
笑顔の美音に正面から顔を向けられなかったが、圭史はそう訊ねていた。
「えー、とね、リンゴオレンジぶどうコーラ、ポカリ、カフェオレだったかな。何がいい?」
「ポカリかな」
それを聞いて、美音は片手で袋を持ちもう片手で中を探る。そのもどかしい姿に圭史は気付いて手を出して言った。
「あ、ごめん、持つよ」
空いた袋の持ち手を持ち、美音が持っている持ち手の方も圭史は持とうと手を伸ばした。
圭史の手が袋に触れたのを見て、美音は袋の中身に目を向けつつ言う。
「あ、ごめん。えーと、ポカリ、これかな」
それを取り出すと、笑顔で圭史に差し出した。
「はい」
差し出された圭史は、片手で袋を持ち直し空いた手で受け取り礼を言った。
 美音は袋を持って他の2年実行委員の所へ向かう。
「お疲れサマー、はーいジュース早い者勝ちー」
「はーい、3年の実行委員の人はこっちでーす」
やって来た亮太はそう声を上げていた。
 どうやら圭史は1番に選ばせてもらったようだ。
 配り終えた美音は、同じ役員の亮太と言葉を交わしていた。
表情から察するに仕事の話のようだ。
「進行表この舞台袖に貼っておくんだったよな?」
亮太の問いに、舞台中央でマイクの微調整をしていた美音は顔を向けて口を開く。
「そーだよ。生徒会室に置きっぱなしだから、今から急いで取ってくるよ」
「じゃあお願いな」
「うん、じゃ行って来る」
そう返事をすると、舞台の端につかつかと歩いてきたと思ったら、結構な高さを簡単に飛び降りた。
タンッと着地をすると、走って講堂を後にした。

 −……元気だよな、−

女子ながらに無茶をする美音を見て、圭史はそう思った。


 2時限目の終了を告げるチャイムが鳴って暫らくすると、新入生たちがざわめきながら講堂に入ってきた。
3時限目のチャイムが鳴り、薫によって開式の言葉が放たれ新入生歓迎会が開催された。
学校長の挨拶、生徒会長の挨拶が済むと、生徒会による学校紹介が行われた。
副会長と亮太、そして美音の3人が舞台に出る。
内容は学校の役員体制や、校舎内の教室の分布やら食堂や購買のお薦めやら、大まかな部活の紹介だ。

 圭史は舞台袖から様子を目にしていた。
これが終われば、次から始まる部紹介の段取りを行うのだ。
道具を設置するのは各部の仕事だが、配線の位置確認や設置の最終確認をして暗幕を揚げる合図を出すのも仕事だった。

……美音は一つも緊張した様子を見せることなく紹介を進めていた。
中学の時、初めの頃の委員会では緊張した様子で発表している姿を目にしたが、今ではすっかり板についている。

 圭史が今見つめている彼女は、真っ直ぐと前に目を向けている。
いる場所の違いをありありと感じた圭史だった。

 各部の紹介は着々と消化されていく。
そんな中、とりあえず自分の出番待ちといった感じで、圭史は奥に引っ込んでいた。
「お、瀧野頑張ってるみたいだな」
「あ、部長。次でしたっけ?」
横に現れたテニス部部長に、声をかけられて気付いた。
「そうそう。今年は後ろでデモンストレーションするんだけど、ボールが飛んできそうで怖いんだよ。なんか緊張してるみたいだしな」
「ああ、舞台上ですることなんて早々無いですからね。ボールが2、3個飛んでくる程度なら良いですけど」
微笑して圭史は答えた。そしてその予想は大いにあたったのだ。
マイクを使って話している部長のところに、緊張して手元が狂ったボールが次々と飛んでくる。
最初のうちは堪えていた部長だったが、それが次から次へと続くと、
「こらぁお前等わざとじゃないだろーなぁ!」
辛抱たまらなくなった部長はマイクを離して、後ろにいる部員たちにそう怒鳴っていた。
それで講堂は笑いの渦の囲まれた。
 思わず圭史も笑ってしまった。
気が付けば、舞台袖で美音も声を出すのを堪えながら笑っていた。

 午前中の新歓が終わると、昼食を取って午後は各部活への見学となっている。
圭史も講堂の後片付けが終われば、次の行事まで心置きなく練習に参加できる毎日が始まる。

やれやれ、といった感じで息を吐き、圭史は日常に戻っていった。