時の雫・風が向かう先

§0 距離の向こうに


Episode 4




 たった一名から流れる空気は、その部屋全てを包み込んでいた。
片隅で向こうまで聞こえないように書類で口を隠して、小声で足立は聞いた。
「なんであんなに荒れている訳?」
聞かれた亮太は平然と答える。
「知りません」
そして二人はそろりと目を向けた。
恐ろしいほどの気迫を撒き散らしている美音を。

 がりがりと、書いている音まで聞こえてきそうなくらいの勢いで美音は書類の空白欄を埋めていた。
顔には不機嫌がはっきりと濃く映し出されている。

男共は迂闊に話し掛けられないでいた。
そこへ、教員室から戻ってきた薫が生徒会室の扉を開け美音を見ると、笑顔で話し掛けた。
「美音ちゃん、お菓子持ってきてるの食べる?」
美音は顔を上げて薫を見ると、先程までの表情とはうってかわって、気の抜けたような今にも泣き出してしまいそうな表情になって口にした。
「食べるぅーちょうだーい」

それを聞いて、亮太はお茶の用意をしだした。

足立はその3人を見て、いいメンバーだな、と変に思っていた。
 会長は不在のまま、4人でお茶を楽しんでいる。
「美音ちゃん、最近ストレスたまりまくりだねぇ」
薫の言葉に、美音は頷くように言う。
「うん、もーたまりまくり。原因はわかってるんだけど」
「で、原因何?」
亮太はずばりと訊いた。

ずずず、とお茶を飲むと、美音は遠い目をして窓の外を眺めた。
「あー、なんて言うか、こう、疲れを感じると言うか、一緒にいればいるほど嫌になるっていうの私初めてで、こーどうしたらいいんだろうね」
ふぅ、とため息をつき、美音はうな垂れた。

「なんで付き合いOKしたの?」
「なんとなく」
即答で素っ気無く返ってきた台詞に足立は閉口した。

「そんなに一緒にいるの?」
薫が訊くと、天井に目を向けて思い出すように口にする。
「んー、忘れた頃に来るから。それで、なんか、こうぐちぐち…と言われてねぇ」
「ふーん?」
疲れた表情の美音に薫は首を傾げた。

 お茶を飲み終えようとしている頃、生徒会長が帰って来た。
「みんなー、仕事だよ。球技大会の進行作り」
「ええー?」
和んでいた表情も一瞬で不満を露にしたものになってそれは全て生徒会長に注がれた。
「今日はとりあえず担当決めようか」
注がれたそれらに構わず、会長の轟は笑顔でそう言った。
 各々の担当が決まり書類を渡される。進行予定表やら各委員会の担当配置など細部まで計画しなくてはならない。
美音は前年度までのファイルを書棚から出すと、軽いため息をつきながら開いていった。
 目に入る時候は、自分が未だ中学生で恋をしていた時のものだ。
ふと心は、遠い空の向こうに、気球のように上昇していき、今さっきまで目の前に広がっていた地の景色は何も見えなくなっていった。



▽  ▽  ▽  ▽  ▽

 9月の終わり、地元の野田高校の学園祭があった。
美音が卒業した中学の大半はそこへ進学している。
中3の最終進路懇談まで、そこを受験するか、今の南藤高校を受験するか悩んだ。
でも、結局、今の高校を受験することに決めたのだ。
もしかしたら、本当は最初から決めていたのかもしれない。
ただ、踏ん切りがつかなかっただけで。

 中学時代好きだったあの人が、その地元校を受けることを知っていたからだ。
親しくなる努力も大してせず、そのくせ諦めが悪く想い続けていた。
でも、自分を曲げてまで追いかけることに疑問を感じ、自分の中で結論を出した。
自分は自分の進む道を行こう。
そうして今の高校を受験したのだが、入学しても、まだその人のことを思い出していたりした。

 日曜日、生徒会の仕事で疲れていたが、美音はその人の通っている学園祭に足を向けていた。
その高校へ進学した友人が、前もってチケットを届けに来てくれていた。
友達の気遣いに感謝しつつも、自分の諦めの悪さに失笑しながら、その高校の門をくぐった。
もしかしたら、通っていたかもしれない高校の門を。

 心のどこかで逢える事を期待しつつも、友人たちの顔を見に回った。
久しぶりに会う友人たちは、スッカリ高校生で、自分とは違う空間になんとなく疎外感を感じたが、それでも楽しかった。
来月に行われる南藤高校学園祭の参考にしながら、美音は校内を見て回っていた。
歩き疲れていた美音の元に、休憩に入った友人が来てくれたので、ベンチに座りながらジュースを飲むことにした。
 そして、背後の方から聞こえてきた会話に美音は気付いた。
辺りは結構な人なので、その会話の主たちは美音たちに気付いていないし、友人はその会話の主たちに気付いていない。

「聡、春日来てたよ」
「ほんと。一人で?」
「いや、そこまで見てない。…何かあった?」
「……、別に周りが期待するほど何も無いし。なんか、女の子らしいって感じの子だしなぁ」
 その最後の言葉を耳にして、美音の手はピク、と反応した。

「いやぁ、結構元気な子だけど?」
「あんまり俺、中身知らないから」

正直言って、美音は落ち込んだ。

「でも、気ぃあるんなら付き合ってみたらいーじゃん」
「別にこっちから言うほどでもないしなぁ。きっかけもないし」

確かに接点は言うほどない。
美音も、好きな彼の考え方を知っているかと問われれば、知らないに等しいだろう。
でも、そういうものではないだろうか。
友達と言えどそんなに深い付き合いをしている人が何人といるだろう。
……美音はそう思った。

だが、女の子らしいと思われているのなら、付き合うことが出来ても、次第に幻滅されていきそうだ、……と思った。
今まで嫌と言うほど、外見のイメージに判断されて、勝手に衝撃を受けられてきた。

たまらず、ため息をついてうな垂れた。

 自分から頑張って押してみたらウマクいくかもしれない。

言う勇気も無いし、彼の前では大人しくなってしまう自分を知っているので、無理だろうな、ぼんやり思った。それらのイメージを打破する強さは無かった。
……そこまでの、想いなのだろう。これは。
 やっぱり、諦めるしかないかな……
ため息をするとともにそう思い、もうすでに諦めている自分にも気付いていた。


 そして、その4日後だ。美音が津田に付き合いを申しこまれたのは。
虚脱感のある心を感じていた美音は、本当になんとなくOKしたのだった。

△  △  △  △  △



 とりあえず、今日の仕事を終え、美音は薫と下駄箱を出て中庭を歩いていた。
部活が終わって帰宅していく生徒たちの姿。中にはカップルで下校している姿もある。
そんな風景を力なく、ただボー、と眺めて、ぽつり呟いた。
「あーぁ、」
「?どうしたの?」
隣で首を傾げて訊ねた薫に、美音はたまらず苦笑すると、力なく言う。
「なんか疲れちゃったなぁ。次はうきうきする恋愛したいなぁー…」
「んー?そんなに気使う人なの?」
「うーん、…使うつもり無くても、気がついたら使ってるかもね」
愛想笑いを浮かべた後、自分を通り過ぎていった風を感じて、ふと後方を見つめた。
まるで風が何かを導いているように感じたから。

 そこには練習を終えたテニス部員たちが前庭に姿を現した所だった。