時の雫・風が向かう先
§0 距離の向こうに
Episode 3
とある日の放課後、着替えるために校庭に面して建てられている部室棟へと向かっていた。
今日は特別室の掃除当番だったので、いつもとは違う場所から向かっている。
いつも使用している道とは違う、人の少ない通り。
角を曲がり、一歩足を進めた時、地面に重なった二人の人影に気付き、ふと顔を上げた。
目に入った光景に思わず声をあげそうになったが、それより先に、慌てて隠れるように引き返した。
向こう側の景色が見えないのを確認して、とりあえず安心の息をつく。
テニス部の笠井は、参ったような表情を浮かべている。
目にしたのは、クラブメートの圭史と女子、相田先輩のキスシーン。
壁側に立った圭史の腕に相田は手を乗せていた。圭史はまだ制服姿のままだった。
2人が親しいと言うことは知っていたが、そう言う関係だという事までは気付いていなかった。
「うーん」
動くに動けないこの状況。
仕方ない。遠回りをするか。
そう思ったとき、向こう側から声が微かに聞こえた。
「じゃあね」
離れていく足音から察するに別れたらしい。
顔を合わせぬよう、もう暫くしてから歩き出そうと思った頃、その角から圭史が現れた。
「悪い気使わせて」
笠井が目撃したのは、ばれていたらしい。
笠井は参ったような顔をして口を開いた。
「そんなとこでしてんなよな」
何事も無かったような顔で、圭史は部室の方向に指を向け言う。
「行こうぜ」
部室に入り、それぞれのロッカーの前で着替えながら言葉を交わす。
「いつから?」
制服のカッターを脱ぎながら圭史に尋ねた。
圭史は普段と表情を変えることなく、鞄の中からタオルやらTシャツやらを出しながら口を開く。
「何が?」
自分の問いに問いで返す圭史に、白々しさを感じながら返した。
「相田先輩とだよ」
「あぁ。学祭から」
「へー。…俺今日相田先輩の顔見られないかも」
変なところを見てしまったので意識して、だ。
「はは」
圭史はそう笑っただけだった。
そんな圭史を横目でちらりと見てから、笠井はその話を止めた。
練習が始まると、全員の表情が引き締まる。
時折、部員たちと言葉を交わしながら、練習メニューを進めていく。
ボールを打つ快音を耳にして、そちらに目を向ける。
他人のナイスプレーも吸収するように。
順番待ちになり、女子の方に目をやった。
少し視線を動かすと、相田の姿を見つけた。今日も真面目に頑張っている。
ボールを追い、ラケットで受けるとすぐ帰ってくる位置を予想して走っている。
いつもの練習風景だった。
そして、すいっと視線を戻し、練習に気を向けた。
本日の練習も終え、着替え終わった圭史は一人校門に向かって歩いていた。
日が暮れるのも早くなったな…、と思いながら足を進めていると後方から自分を呼ぶ声が耳に届いた。
「瀧野ちゃん」
相田の声に足を止め、ゆっくりと振り向いた。
「一緒にかえろ」
小走りで寄って来た彼女に笑顔を向けてから、ふと、斜め後ろ横方向に、見慣れた姿を発見した。
今日も生徒会活動を終え、校舎を後にしたであろう美音の姿だった。
美音の瞳は、校門に向けられている。
割としゃんとした姿勢に、歩くスピードは少し速め。
まるで自分に纏ってこようとする何かを払いのけているような隙の無い表情。
風を起こさぬように彼女から静かに視線を外し、それとなく相田の横に立つようにして、背を向けた。
彼女は彼女のままだった。
圭史は、ぽつりと靴先に目を向けて自嘲するように口端を微かに上げると、ゆっくりと歩き出した。
取立て平穏無事な生活に不満もなく過ごしていた。
休み時間、思い出したように友人が口にした。
「そう言えば最近春日さんとあの3年の人が一緒にいるところ見たことないよなぁ」
「あー俺も見てない」
圭史は頬杖をしながら聞いていた。
「部活の先輩が、後夜祭の時、春日さんじゃない人と踊ってるの見たって」
ぐいっと見を寄せて、もう一人の友人がそう言った。
「えー?それって終わったってこと?」
「いやー、そういう話は聞かない」
「知ってる?」
話を振られた圭史はただ一言。
「知らない」
そして休憩時間を終えるチャイムが鳴り、話は終わった。
無造作に椅子の背もたれに寄りかかると、ズボンのポケットに両手を突っ込み、窓の外に目を向けた。外は寒そうな風が木を揺らしている。
「はぁ…」
我知らず、ため息が出た。
自分のそんな反応にたまらず苦笑すると、顔を前方に向け次の授業の用意をし始めた。平生を装うように。
今日は何時もより部活が早くに終わる。
帰りにマクドにでも誘ってみようか
頬杖をつき目を教科書の上に向け、そう考えた。
本日の終礼も終わり、部室へと向かっている中、相田に肩を叩かれた。
「やっほ」
ニコニコと笑顔で相田は横に並んで歩く。
圭史もふと笑顔になる。
一緒にいて、それなりに好かれているのが分るので、自然に笑顔を向けていた。
いろんな話をしたし、教えてもらいもした。彼女のことを割かし気に入っていると、自分でも思っている。なのに。
……今日はなんとなく気が重い。
それについては深いことを考えず、漠然とそう思うと、ふと相田に目を向けた。
部室に向かっている中、色々と彼女は話している。
聞いているのだが頭に残っていかない。
……疲れてるのかな。
「来月、12月は球技大会だけど、何に出る?」
そう聞かれて、やっと彼女の台詞が頭に残った。
「種目って何があるの?」
圭史が聞き返すと、相田は嫌な顔一つせず答えてくれる。
「ソフトボールと卓球、バスケ、バレーかな。最低1種目全員参加だから」
「じゃあ、ソフトボールかな」
そう答えつつ圭史はぼんやりと他のことを考えていた。