二人のじかん

chapter4 どんより雲の切れ間 後編

 冬休みの間、ずっと康平は部員の誰よりも早い時間に登校していた。
そして、今日も同じように家を出た。
学校に到着し、自転車をとめて部室に向かう途中でばったりと瀧野に会った。
普段どおりの空気の中、挨拶を交わした二人。
一緒に歩く中、ぽつりと瀧野が口を開く。
「……昨日、変な話してごめんな」
どこか気まずそうな様子に、康平は普段よりも愛想よく応えていた。
「いや? ……どこも変な内容じゃなかったよ。気になるようなこと、無かったし、……俺で良ければいつでも」
「……サンキュ」
そう言って微笑した瀧野の表情が少し柔らかい事に康平は気付いていた。


部室に入ってきた谷折と挨拶を交わしてから、康平は瀧野に話しかけた。
「そういや、瀧野ってラーメンは塩派?」
「んー、あんまり気にしたこと無いけど、塩が多いかな」
「へぇ。じゃあ強いこだわりがあって、っていう訳でもないんだ」
「まぁ。とんこつはあえて避けるけど」
「ああ、俺も。あの油加減と独特の匂いがちょっと苦手で」
「ああ、俺も同じ。あの独特さが」
その背後でどさっと言う重いかばんが落ちた音が響いた。
聞こえたのはその音だけで、他に何の動きも感じられなかった。
だから、二人は「ん?」と振り返る。
そこには、ショックを受けた顔をした谷折が茫然と立っていた。
「……んだよ?」
眉間にしわを寄せた瀧野がそう聞いた。
「……だって、とんこつが拒否されるなんて!」
「へー、谷折はとんこつが好きなんだ」
谷折の反応にそう康平が言った。
「とんこつなしのラーメンなんて、俺耐えられない!」
「……お前の好みって、そのうち……」
そこで口を噤んだ瀧野に、食いつくように谷折は言う。
「そのうち、何?!」
「横2倍の体になるぞ」
「ひぃ」
その反応を見て康平は声を出して笑った。
「んだよー、そこまで笑わなくてもいいじゃんかー」
「いやー、ごめん。谷折って、甘いものもすごい好きだろ。味の濃いものとか。ジュースも結構飲むし。部活やめたらやばそうだよ?」
「……そ、だねー。まぁそれもあるから、運動部入ってるんだけどさ。家は、お母さんが和食中心の献立にしてくれてるから問題ないけど。あ、そうそう一度聞いてみたかったんだけど、笠井は、自分で晩飯作ったりしてて偏ったりしないの?」
「うーん、俺は作り易さを重視に手軽なものを」
「え?」
康平の返答を聞いて、手を止めて瀧野がそう声を出していた。
その様子に谷折が答える。
「笠井んち、父親と二人暮らしだから晩飯は自炊してんだって」
「へぇ。すごいな。俺んちは休日の朝食とかはセルフだけど。またそれとは訳が違うもんな」
その顔には感心している様子が見て取れた。

 こういう時、どんな反応を返せばいいんだろう。普段と違う光景に、康平は口をすぼめる様に噤んでいた。慣れない空気、慣れない感情。

 うっすらと唇の端に笑みを浮かべた瀧野が、目の端に映っていた。


 冬休み最後の今日の練習は、1年対2年の試合だった。
大体の1年は実力の差で負けてしまうのだが、目の前では一番時間が長く試合が繰り広げられていた。部員全員がそれを見守っている。
ぼんやりと眺めている様子の康平にも、2年が必死になっているのは分かっていた。
それに対する1年も真剣な様子は分かる。だが、それ以上に2年は全力を尽くしている。
 康平は試合を終えていた。本気でやって、割と押す試合が出来ていたと思ったが、結局最後は2年にすっぱりと試合を終わらされた。最後の最後まで気を引き締めてかかろう、と終わってから反省をし、自己分析を行っている中、目の前で繰り広げられる試合に、それも中断していた。
隣では、谷折があくびをかみ締めている。
「峯にしたら、やけに真剣にやってんな」
「……そーだなぁ」
谷折の言葉にそう答えた康平。
「公式試合ではあんなに力出してないのにな」
「三村先輩に、大人しく負けられない何かがあるんかな」
「何かって?」
「さぁ? でも、1年に苦戦を強いられるのって、あの三村先輩じゃ屈辱だろうなぁ」
それまで大人しく観戦していた瀧野がぼそっと声を漏らした。
「でも、少しいい気味、かな」
何気なく言ったそれ。
だが、康平も谷折も、何も声を発する事はできなかった。言葉にかかっている重さを分かってしまっているから。
 普段、誰を相手にしていても表情は同じ瀧野。
だからといって、何をも思っていないわけではないんだな、と実感した康平だった。
 結局、同点のままで試合を終えると顧問からの声がかかり、そこで中断となった。
次のオーダーが発表された。瀧野と部長だった。
「えー? 俺、瀧野とですかぁ? 勘弁してくださいよー」
部長の嘆きに他の2年部員が声をかける。
「いやぁ、何となくそれは予想してた」
「俺も俺も」
「だよなー」
康平が見た、コートに入る瀧野はクールなままだった。その顔に何かの感情は見られない。
そして、康平はぽつりと呟く。
「あいつ、かっこいいなぁ」
「ほぇ?」
間の抜けた谷折の声に康平は沈黙を保った。


 冬休み最終日の練習が終わり、部員たちは冬休み独特の緊張が取れた様子で帰り支度をしていた。
「あー、明日から学校かー」
「あっという間だなー。特に冬休みは」
「そうだよな。明後日からは勉強時間が増えるんだな」
「やなこと言うなよ……」
「でも、学校が始まらないと、生徒会のあの人たちの姿は目に出来ないしなー」
「そうだなー」
「今の生徒会メンバーになってから、本当、朝礼の時の整列が早くなったよな」
気だるさとともにお喋りをしている分、時間がかかっている様子だった。
 黙々と作業を進めていた康平は帰り支度が済み、挨拶を交わして部室を出た。
薄暗い空になっていた。

 そのまま足を進めていくと、とっくに部室を出た瀧野の後ろ姿が前方遠くにあった。
そのまま真っ直ぐ家に帰るのであろう、すたすたと歩いている瀧野。
声をかけて途中まで一緒に帰ろうとは思わなかった康平は、数メートル斜め先に相田がいるのに気づいた。
確実に瀧野の後ろ姿を見つめている。
その様子を、割と近い距離で見た康平は、相田の表情に気づいた。
何か言いたげな、もの悲しそうな顔。
そして頭に浮かぶ、ラーメン屋で話していた瀧野の顔。
「……」
言葉に出来ないある気配の予感に、目線を足元に移して足を進める。

 その場から数メートル離れた頃でも、相田は動こうとしなかった。
そして、耳に聞こえてきた相田のため息。
視界の端に小さい黒い点だったものが段々と大きくなってきた。
それは軽快に走ってくる三村の姿。
康平の傍をあっという間に素通りして、後方でやっと止まっていた。
確認しなくても分かる。相田の所だと。
「帰らないでどうしたの? 一人?」
不思議そうに訊ねる相田に、三村は笑顔で言った。
「それはこっちの台詞。こんな所で突っ立ってどうしたの?」
「え? 何も無いんだけど。なんかぼーっとしてたみたい」
苦笑してそう言った相田に三村は変わらず言葉をかけていた。


 ― 頑張るなぁ、三村先輩……。確かに相田先輩は美人だしね ―

自分には関係の無い事だと言う様に心の中で呟いた。
そことここは空気までも分断されているような気がする。
毎日が変わらず、何の変哲も無く感じられる康平は、また明日から学校生活が始まるのだと漠然と思っていた。
事実、今までもそうだったのだから。

 駐輪所に行き、自転車を引いて学校を出る。
そこで自転車にまたがり家へと向かう。冷たい風を頬に受けながら進んでいくと、大きい通りに出る。そこに、同じ学校の人間が数人いるのを見つけた。
 他の部活の人だろう、としか康平は思わなかった。
赤信号で止まり、目の前の道路を行き交う車をぼんやりと眺めていた。
「……−い、笠井くーん!!」
どこからか聞こえてきた声が自分を呼んでいるのだと気づいて、慌てて顔を向けた。
そっちは、さっき目にした同じ学校の生徒が固まっていたところだ。
「笠井くーん! ばいばーい!」
大きな声でそう言い放っているのは、和花だった。
おお、と内心驚く康平。
それでも手をひらひらと振ってみた。
すると、和花は元気いっぱいに両手を挙げて大きく振り返してきた。
それに康平が笑顔になったら、和花のカバンの中に入っていた荷物がどさどさっと落ちて散らばった。
あっ、と固まったように動きを止めた和花。
思わず康平は吹き出してしまった。
周りの生徒たちは「おーい、何やってんだよー」と言葉を放っていく。
和花は、ぎこちなく小さく手を振る。
それに返すように康平が手を振ると、和花はじっと見ていた。
この場所から康平が立ち去らないと拾えないんだろう、ということを察した康平は自転車のペダルを漕ぎ出した。
口は可笑しそうに笑いを零しながら。




2010.9.26

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