二人のじかん

chapter2 遮断された視線

「そう言えば、グループの届けの期限って明日までじゃなかったっけ?」
思い出したように一人がそう言って康平含むほかの友人たちは顔を向けた。
「何それ?」
「室やん先生の授業のグループ学習だよ」
「ああ、そう言えばそんなのもあったなぁ」
「あったなぁって、明日だぞ」
「あー、俺、もう届け済んでる。こいつとこいつと、あと女子3人で」
「ええー」
「いつのまにぃ」
友人たちがそう賑やかにやっていても傍観していた康平。
そんな康平がやっと口を開いたのは、話の進展が見られなくなってからだ。
「じゃあ、あと残ってる奴誰?」
その台詞に該当者は素直に手をあげた。ちなみに康平も手を上げている。
「丁度3人。5人以上が基本って言ってたよなぁ」
「うん。あと、誰残ってるんだろ」
「女子、どうかな」
数秒の沈黙の後、再び友人たちの中から声が放たれた。
「じゃあ、お前が聞きに回ってこいよ」
「ええ〜、出来ないよ。お前行ってこいよ」
「やだよ」
「じゃあ、とりあえず後ろの黒板に募集って書いておいてみたら?」
その意見が通り、一人が書きに行った。

 その二日後、グループごとでの授業が開始された。席はグループごとだった。
康平は残りのメンバーが誰かも知らないまま、友人に促されるまま言われた席に着く。
グループの一人が教師の立っている教壇に人数分のプリントを取りに行き、手元に手渡されるまで康平はずっとぼんやりとしていた。
自分が座っている所の、他のメンバーが誰か、ということに顔も向けず、プリントを捲って内容に目を通す。1枚目は、各グループ編成だった。
自分の名前を見つけ、そこで初めて同じグループの名前を知った。
自分を含む男子3人に女子4人。そして、その女子の中に、和花の名前があることに気付いた。
けれど、康平は普段より尚大人しくその席に座っていた。

話し合いの時間になって、友人たちに言葉をかける事はあっても、発言する事は殆どなかった。女子たちと言葉を交わすことも。
友人たちは割りと積極的に女子に話しかけていた。
本題の事も、ちょっとした世間話も。
けれど、和花の声を耳にする機会はなかった。

男子たちと女子たち、お互いに気があって出来たグループではなかったので、思うような進行にはならなかった。何か意見を言い合うときにはちょっとした沈黙が訪れたりした。
その沈黙が気まずく感じたりするのだが、中々回避できないのが現状。
こういう時に率先できる人間が一人でもいれば、状況は変わったのだろうが、生憎寄せ集めで出来たようなグループなのでそういう人材はここにはいなかった。


「なぁ、グループ学習ってちゃんと出来てる?」
練習が始まる前の、余った時間にコートでぼんやりとしていた康平は隣にいる谷折に訊ねてみた。
「え?地理の授業の?」
「そう」
「まぁ、予定通りに進んでいる方かな」
「へー。俺んトコは無駄に時間ばかりかかって進まないなぁ」
「ふぅん。担当決めて、学校での授業ではまとめるって感じでやってるから特に何も問題なく」
「へぇ。グループがうまくかみ合ってるんだな。俺んトコ、ちゃんと期限までに終わるんだろうか……」
眉を寄せた康平の浮かない顔に、谷折は希望的観測を述べた。
「……終わるといいね……」

 その康平の不安は的中していた。
期限が押し迫ってきているのに、康平のグループは予定の半分も進んでいなかった。
「という訳で、放課後に集まってやるしかない」
と友人1名がはっきりと言った。
それに康平の表情は曇ったものになった。なぜなら。
「あー、俺殆ど毎日部活があるんだけど……」
「じゃあ、土日では?」
「時間による、かな」
余計な文句を言われたらどうしよう、と、内心ドキドキしながら康平はそう答えた。
ほんの一瞬静かになった場だが、すぐ言葉が飛んだ。
「他に無理な人いるー?」
それに次々と言葉が返ってくる。
「前もって日時が決まったら大丈夫」
「私もー」
「じゃあ、場所はどこにする?」
「うーん、学校では無理だし……」
結局、学校から一番近い人の家になり、土曜日の午後に学校の前で待ち合わせとなった。


 約束のその日、午前中に練習があった康平は、手間を省く為に、一度家に帰るという事はせず、コンビニで買ったお弁当を校内の適当な場所で昼食を済ませるとのんびりと校門前でメンバーが集まるのを待った。
他の人間が私服姿でも、スポーツウエアの康平は一向に気にすることなかった。
全員が集まり彼女らの中の一人の家に向かった。
 皆に合わせて自転車を押しながら歩く康平は、見慣れた通りを行く事に気づき、ぼんやりと考える。
学校から一番近い人間の家。
答えが出るより先に到着し、「ああ」と一人納得をした。
以前に一度見かけた、和花の家だった。
和花が門扉を開けて玄関のドアを開ける。その間、康平は適当に邪魔にならないように門の辺りに自転車を止めていた。
女子たちが先に上がっていく。男子たちはその後に続いて前に進んでいく。
一番後ろで順番を待っている康平は何気なく庭に顔を向けた。
そこには犬小屋があって、柴犬が寝ていた。
その犬に既視感を覚えた康平は、ふと頭の片隅に浮かんだ何かに意識を傾ける。
そして数秒の時間を要して気付く。
学祭の美術部展示のあの絵は、この飼い犬がモデルなのだと。
 和花の家はまるで普通の一軒家。だけど、ゆとりのあるお宅に見えるこの家は、家族全員が食卓に揃う団欒の姿が垣間見えるような雰囲気だった。
普通に生活し、平凡を行くものには、十分魅力的な一家に見えるだろう。
 康平はそれ以上考える事を止め、フイッと静かに首を振った。

彼らが通された部屋は和室の客間だった。床の間があり季節の花が飾られた、綺麗に手入れされた部屋。
康平は、なんとなくこの部屋には場違いなものを感じつつも、みんなのペースを眺めながらカバンを開けて荷物を出していく。
慣れない場所に全員が少し浮き足立っているような雰囲気で、本題に集中を見せるのに時間がかかった。
ようやっと全員が真剣に取り組んでいる時分、閉められている襖の向こうから声が飛んできた。
「和花ネエ、母さんが呼んでるよ」
「あ、うん」
和花が立ちながらそう返事をした後に、ここから去っていく足音が聞こえた。
姿は見えないけれど、声とその呼び名に弟だと分かる。
部屋を出て行った和花が持ってきたのは飲み物とお菓子だった。
男子どもから歓喜の声が上がる。進み始めた本題は止まった……。
 出されたお菓子は手作り品だった。横で友人たちが美味しいと必死に頬張っている。
そんなにお腹が空いていなかった康平は飲み物だけを口にしていただけだったが、食べ始めてから今も美味しそうに食べる様子に、少々厚みがあってふっくらしたココア色のクッキーを取り食べてみた。さくっとした感触に口の中に優しく広がっていく味。
「あ、うまい」
思わず口に出したその呟きに、本人ははっとして顔を上げた。
その視界に和花の顔が入る。
和花は康平の呟きに気づいたのか真っ直ぐと目を向けてきた。
だが康平は、にこっと笑顔を浮かべた和花にどきっという緊張に似た驚きでぱっと顔を伏せてしまった。
そして、静かに続きを食べる康平はずっと物静かだった。



「はぁ……」
地面に立てたラケットの柄の上に両手を乗せて空を眺めながらため息をする康平。
制服もすっかり長袖で空も秋模様。
心なしか空が遠くなったような気がする。
「はぁ」
勝手に口から零れてくるそれに康平自身も分からない。
別に悩み事があるわけでもないのに浮かない心。
「どーしたぁ?ため息なんかついて」
首を傾げながら訊いてきた谷折に、変わらない様子で答える康平。
「んー、分からない」
「分からないって、疲れてるんじゃないの?」
「うーん?」
 練習は休憩になり、そのまま谷折と康平は自動販売機に行く事にした。
「疲れてるときは甘いものに癒されるぞー」
「そういうもん?」
「そうそう。購買で俺がロールケーキでも奢ったる」
「おー、サンキュー」
歩きながらも康平の気は晴れないでいた。
「そう言えば、前に言っていたグループ学習のはどうなった?」
「あー、あれね、どうにか期限内に終わらせる事ができた」
「へー、良かったじゃん。とりあえず点数貰えるし」
「まぁなぁ」
言ったとおり谷折は購買でロールケーキを買い、康平に差し出した。
ロールケーキが本当に売っているのか分からなかった康平だったが、谷折は慣れている様子でロールケーキを手に取りお金を払っていた。
その様子に本当にあるのだと知って少し驚いていた。
数センチの厚さに切ってあるのが一つ入っている物だ。
何が置いてあるのか知っているらしい谷折に、康平は一人思う。自称するだけあって、本当に甘いものが好きなんだな、と。

購買部からコートへの帰り道、途中で違う方向に足を向けそうになったが、すぐ何もなかったように戻した。
一人のときに通っている道に足だけは行きそうになったのだ。
誰かと一緒のときに、その道に向かえば、おかしいと思われる。説明するほどの理由でもないが、その事について何かを言うのが嫌だった。
だから、気付かなかった谷折を見て、心の中で安心していた。

 グランドに出て、少し歩いたところで視界に入った女子生徒に気がついた。
木陰の下で画板を膝に乗せて座っている。それはスケッチの最中だ。
そして、その場所と相対する所にもう一人女子生徒がいるのに康平は気がついた。
和花だった。
数歩進む間も、気がつかないまま見ていた。
 ふと、彼女の顔が上がり、見ていた康平はばっちりと目が合った。
彼女を見ていた事実にギクリとする康平だった。だが、彼女の目はそのまま流れるようにすいっと外され画板に向けられた。
言葉に出来ない思いが心の中を駆けていく。
「ん?笠井?」
今の一瞬を谷折の前から掻き消すように康平は口を開いていた。いつもと変わらない表情のまま。
「なぁ、晩御飯のお献立って言ったら何が浮かぶ?」
「えーと、この時期だったら、炊き込みご飯に秋刀魚かな。あと、味噌汁とおひたしがあれば言う事ないね」
「ふーん、秋の味覚かぁ。それくらいだったら大丈夫か」
「え?自分で作るの?」
自分で進んでするほど料理が好きな訳ではない。必要だからするだけだ。でも、その理由を曖昧に話せば、相手には不快を与えるだけでお互いの間にくどい言葉だけが飛び交うだけだ。だから、康平は口を開く。
「うん、父子家庭だから」
心の中のどよめきを表に出さないよう閉じ込めて、過去に何度も言ってきた台詞を口にする。これから訪れる、普通だったら味わう事もない、重い空気を覚悟して。
だけど、今回の相手、谷折は違った。
「ああ、だから、笠井って落ち着いてるんだな。同じ歳なのに俺と違って大人びてる雰囲気持ってるなぁって思ってたんだ」
その台詞に無意識に入っていた肩の力が抜けていった。
そして、新たに頭に浮かんだことを言う。
「……でも、さっき言った献立も、普通、俺らの歳で言えないぞ?」
「え?そうかぁ?でも、和食が一番体に良いぞ?」
「まぁ、そうだけどさ」
普通とは違う言葉のやり取りに、力が抜けていく思いだった。
謎な男子。という説明書きを彼に付け加えた康平。

――でも、父子家庭と聞いて、「え?」とか言う反応をしない谷折も大人な反応だと思う――

ぼんやり思いながら足はコートへと向かう。
辿りついたコートの端で飲み物を口にして、横にいたはずの谷折に目を向ければ、他のクラブメイトと話している。
それを見た途端、康平の意識はその場から離れた。
目の前の景色はその目に映っていない。


 ……しっかり目が合った、はずだった。
あれは気のせいではないと確かに思う。
だが、彼女は何もなかったようにすいっと顔を逸らしていた。
それにショックを受けた康平だ。ただ本人はそこまでショックを受けたとは実感していないかもしれない。
 ついこの間までグループ学習で顔を合わせていたのだから、クラスメートでも顔を覚えられていない、ということはないはずだ。
 それに、あの時、呟いた言葉が聞こえたらしい彼女は康平を見て笑顔を向けてくれたのだから。

 ―― もしかして、あの時に顔を伏せるという失礼な反応が……? ――

 それも、仕方がないのだ。
同じクラスといえど、取立て会話をする事もなく、クラスではいつも一緒の人間といるだけだった。
康平はその女子とはおろか、他の女子とも殆ど口を利くことがなかった。
友人たちは割りと積極的に会話をしていた。
だが、康平はそういうタイプではなかったし、会話を見つけられなくて話せない、のと、言葉を見つけられたとしても、重圧とも取れる意識を抱いてしまい、声を出せなくなってしまう。
その不器用さは本人も自覚しており、あえて考えないように生活していた。
そして今も普通に生活している。別にやりにくさを感じたりはしていない。
今のままの自分なら。

なのに、頭の中で、顔を伏せてしまったあの時の自分と、ついさっき顔を逸らした彼女を思い出しては、口からため息ばかりが零れていくのはなぜなのだろう。
 康平はいつもより重く感じる体をフェンスに預けた。



2009.7.10

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