二人のじかん

chapter1 いやな時間の断片で 後編

   学園祭が終わっての代休明けの日は、大体の生徒がだるそうな様子でいた。
行事を終えた後は、まるで腑抜け状態でぼーとなっている。
だけど、学祭が終われば次は中間テスト。いつまでも学祭の余韻に浸ってはいられなかった。
 ここは、学区内、1、2位を争う進学校。
おのずと生徒は次のテストに照準を合わせ、教室の中のムードもそれに変わっていく。
真面目に試験対策をする者、いつもと変わらない者、グループでヤマを張る者、それぞれの様子の生徒がいた。
康平はいつもと変わらぬ様子で学校での生活を過ごしている中の一人だった。
家に帰れば、それなりの勉強をし、テスト前の部活動が停止になる期間は、家で真面目に試験勉強をする。
成績を落とせば、何かあったのかと勘ぐられ、懇談に余計な時間を割くことも出てくる。
父親を煩わせるのも嫌だったし、それに他人に余計な何かを言われるのも嫌だった。
 そして、その結果は、返された答案に反映していた。
大して良くもなく、かと言って悪くはなく。自分で「まぁほどほど」と納得できる位の結果に康平は一つのハードルを終えてほっとしていた。

 テストが終われば、すぐに部活動が再開される。
いつもより早く終礼が終わって、部室での着替えを終えた康平は、間食を買いに購買へと足を運んだ。適当にパンを2個とジュースを買い部室に戻る。
歩きながら、後夜祭の日を思い出した康平は、場所を確かめるようにあの日通った道を辿り始めた。
確かこの道だったはず、と思いながら端の校舎を横に歩く。
あの日開いていた窓は、今はしっかりと閉められている。
その教室の前を通る前に、歩きながら目を中に向けてみれば、一人二人くらいの生徒が画材を出していた。これから美術部の活動が始まるのだろう。
その中にはまだ秋山和花の姿はなかった。

 ―― 今日は活動日か…… ――

ぼんやりそう思いながらその場を通り過ぎていった。

 部室に戻っても、まだ他の部員の姿はなかった。
安心して、康平はベンチに座りパンの袋を開ける。
それを半分食べた頃、やっと一人入ってきた。
挨拶を交わした相手はドンといい音を立ててバッグを床に下ろした。
「遅い昼飯?なわけないよなぁ?」
康平を眺めながらそう言った同じ1年の谷折に、康平は普段と変わらず返す。
「運動の前の腹ごしらえだよ。もう1個あるけど、食う?」
「え?どんなやつ?甘い?」
「えーと、クリームがはさんである」
「食べる食べる。サンキュー」
嬉しそうな笑顔で横に座った谷折に、康平はひょいと渡した。
受け取ったそれを嬉しそうな顔で食べ始める様子に、康平は自然と笑みが零れた。
「え?なに?」
「いや、嬉しそうに食べるなぁと思って」
「甘いもの大好きだからね」
「ふーん」
食べ終わった谷折は「ごちそーさん」と笑顔で言うとロッカーの前に行き着替え始めた。
 ジュースを飲み終えた頃に、谷折は用意を終えていた。
くるりと顔を向けた谷折は、康平が終わっているのを見て二カッと笑顔で言った。
「じゃあ、行きまっか」
「おお」
立ち上がり、二人で部室を出た。
 途中、部室に向かう女子テニス部と会った。
「谷折くーん、元気―?」
康平が静かにいる横で、谷折は元気に声を放つ。
「元気でーす。先輩方も今日も練習頑張ってくださいねー」
「うん、がんばるー」
谷折は何かと声をかけられる存在だった。また、明るいキャラでもあったので、周りも話しかけやすいのだろうと思う。だから、よく色々な頼まれごともしているのを見かける。
それはそれで損な性分だろうな、と康平は思っていた。
「そういうモテ方ってストレスたまりそうだな」
ぽつりと康平がそう言葉を漏らすと、谷折の動きがぴたっと止まった。
ん?と顔を向けると、珍しく素の表情で目を向けてきていた。
「はずれ?」
そう康平が聞くと、谷折はふっと動きを取り戻し、口を開いた。
「まぁ、はずれじゃないけど。でもモテルのとは違うと思うよ?」
「そーかぁ?声をかけてくる子の中には、意外と本気で谷折を好きだって子も多いと思うけど?」
「そーかなぁ。分からないなぁ。俺、中学のときでもそういう部類じゃなかったしなぁ」
「じゃあ、どういう部類?」
急に口を閉じてしまった谷折を見て、瞬時に、そこから話を変えるように口を開いた。
「あともてる部類と言ったら……、瀧野ももてるし、峯も。はたからすればこの3人がテニス部のメインキャラになってるよ」
「笠井は?」
「その他大勢」
「あはは。そんな事自分で言うか」
「自分だからいいんだよ。他人に言われる方が落ち込む」
「あはは」
谷折の笑顔を見て、内心、ほっと胸を撫で下ろす康平だった。



 授業の最後に小テストが行われていた。
時間がくるよりも早くに問題を解き終えた康平は一通り見直しをして、頬杖を突いた。
ぼんやりと黒板を眺めていたその視界の端に、シャープペンを持って問題を解いている和花が見えた。

小柄な女の子、という印象の彼女は、クラスの中で特に目立つ方の存在ではなかった。
普通に生活している中では、特に目に留まるタイプではない。
でも、可愛い部類だと思うくらいの器量だ。
見た目大人しく思える彼女。
康平が覚えている限りでは、特に会話をしたことがない。
 それより前に、康平は自分から異性に話しかける事はしないし、何か物を拾ってあげるにしても行動だけで声を放つこともない。
同じクラスというだけで他に接点がない康平が、彼女の記憶の中にあるのかどうか……。



 今週、特別室の掃除当番に当たった康平は、普段とは違う道から部室へと向かっていた。
普段なら部室へと行くのに通らない美術室前を、ほんの少しの寄り道で回っていた。
静かな美術室前。人の姿は全くない。どうやら今日は活動のない日らしい。
 急ぐ事もなく自分の歩調で歩いていく。最後の角を曲がった所で、前方に見覚えのある二人が歩いていた。
その後ろ姿をじっと見てみて判別する。
隣を歩く男子の顔を見ながら笑顔で話しているのは女子テニス部の相田。
彼女に顔を向けがちにしながらも前方に視線を向けて歩いているのは瀧野だった。
その二人の様子に特に何かを思うわけでもなく、康平は一定距離を保って歩いていった。



 ―― 今日は活動日か…… ――

一人心の中でそれをインプットしながら康平は歩いていた。
今日も特別室の掃除を終えて、美術室の前を通っていた。
特別室から部室に向かうのに、そこは通り道になるのだと、自分に釈明しながら歩いていく。
人通りのないそこなら、とある女子たちに捕まって、余計な質問をされずにすむ……。
そんな事も心の中でぶつぶつと言いながら歩いていた。
 そして、尚、人の目がない校舎の横を通ろうと角を曲がる。
それは、いつもと同じつもりで足を進めた康平だった。
だが、角を曲がって一歩足を進めた直後、ふと顔を上げた視界に映る、地面に重なった二人の人影。尚、顔を上げ影の主に目を向けた。
その光景に声を上げそうになったのを必死で押しとどめながら、体は隠れるように今来たばかりの角の向こうに引き返していた。
その場所から向こう側の景色が見えないのを確認して、とりあえず安心の息を吐く。
予想もしていなかった、二人のキスシーンに、心臓だけがバクバク言っている。
この場所から身動き取れない現状に参りながら。

 二人が親しいというのは分かっていた。
だから、先日見た、前方を二人で部室に向かう様子も意味のあるものだとは思っていなかった。途中に会ったから一緒に向かう。ただそれだけの事だと思っていた。
あれは付き合っているのだろう。

 ――……だから、ある時から瀧野の事を聞かれなくなったのか。 ――

頭の中で感じていた違和感に納得しながら、康平は身を固めていた。
 それとは別に頭に浮かぶ違和感に、康平は考える。
一瞬目にしたシーン。壁側に立った瀧野の腕に手を置いていた相田。
一般に頭に浮かべるそういうシーンにしてはどこかと違うような。
まるで男性の方が受身にも思えたが。
そんな事を考えてみても、経験乏しい康平が分かるはずもない。
それに、自分とは遠い世界の事にいまいち実感が湧かない。
そうして、現実に返った康平は、部室に向かわなくてはいけない事を思い出した。
「うーん」
部室まだあと少しの距離。だけど、この先を進む勇気など到底ない。
遠回りする以外道はないのだから、諦めて足を動かそうとした。
だが、角の向こうから声が聞こえてきて、反射的に硬直した康平。
遠ざかっていく足音にほっと息を漏らし、もう暫く時間をやり過ごしてから行こうと思った。
顔を合わせぬよう、もう暫くしてから歩き出そうと思った頃、その角から圭史が現れた。
「悪い気使わせて」
突然、その角から現れた瀧野がそう声を放ってきた。
傍から見たら顔には出ていないが、康平は心底驚いていた。
それに驚いたのと、自分がいることに気付いていたのと。
 瀧野の顔に目を向けてみれば、どこかやるせないように苦笑している。
きっと全部分かっていたんだろう。
康平は参ったような顔をして口を開いた。
「そんなとこでしてんなよな」
一瞬だけ苦笑した瀧野の顔を見たが、すぐ何事も無かったような顔で部室の方向に指を向け言った。
「行こうぜ」
それに素直に従う康平だった。

歩きながら考えていた。
分かった事は、いつからそういう仲になっているのか全く分からないという事。
だから、ロッカーの前で着替えながら言葉を投げた。
「いつから?」
瀧野は鞄の中から衣類やらを出しながらごく普通に声を出した。
「何が?」
敢えてそう返してくる事に、瀧野の性格を一つ知りつつ康平は聞く。
「相田先輩とだよ」
「あぁ。学祭から」
「へー。……俺今日相田先輩の顔見られないかも」
「はは」
乾いた笑い。愛想笑い。どこか気の進まない感情を受ける瀧野の様子に、言葉なく距離を置かれたように感じた康平は口を閉じた。

心がふっと静かになるその瞬間、自分には無いものがやたらと心を凍らせるように感じた。
いつものように練習をして、部活動が終わったら帰宅し、いつものように夜を過ごす。
静かな家の中。
 どうしてだか、学祭のとき見た和花の絵を思い出していた。
どこまでも広がるような青い空に、丘の上に佇む一匹の犬。
あの絵を恋しいと思うのはなぜなのだろう。


2009.5.14

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