二人のじかん

chapter1 いやな時間の断片で 前編

  学園祭まで残すところも後数日になっていた。
午後の授業は、学園祭準備に当てられどこもかしくも賑やかになっていた。
そんな中でも、康平は友人たちに混じって雑談を交わしながら、自分の仕事を着実に進めていた。
放課後になれば部活に行き、進行予定通りの学祭準備が終われば、いつものとおり練習をする。

 決められたコースを康平は一人黙々と走っていた。
外周が済み校内へと戻ってきたら、その途中にキャンバスを両手に抱えたあの女の子が廊下を歩いているのが見えた。他にも同じような格好をした生徒がいる。
 察するに美術部が展示場所に運んでいるようだ。

チラッと見えたそれに青い色が染まっていた。
それだけを見て、視線を前方に向けた康平だった。



 学園祭のラストを飾るのは後夜祭のダンスだった。
付き合っている相手がいない人は、この準備期間中に約束を交わして相手を決めたり、好きな人がいる場合は、相手がフリーかどうか探りを入れて、約束を取り付けようと必死になっている人もいる。
 仕事をこつこつとしてる康平は、ふと、そこに見慣れない女子がやってきたのを見た。
その視線から察するに、横にいる友人のところにやってきたらしい。
恐らく、勇気を出して後夜祭の申し出に来たのだろう。
知らん振りを決め込んで作業をしている康平だったが、その女子が必死な表情になっていることに気付いた。困窮しているとも言えるような顔だった。
でも、康平はその場の仕事を進める。
残り少ないと知っているガムテープをダンボールに貼り付けた。予想通り足りないそれに、隣にいた友人に声を放った。
「あ、やばい。ガムテープが足りない。武藤の貸して」
「え?あ、……ないから取って来るわ」
「よろしく」
貼れていない部分をずれないように手で押さえている康平。
武藤はその場から立ち上がり、丁度女子がいる所を通ろうとしていた。
か細い声で必死に武藤を呼び止めた女子の様子を目の端に捕らえて、小さく息を吐いた康平は、足元に隠していたもう一つのガムテープを取り出した。
そして、再び黙々と作業を続ける。

 それからどれくらいの時間が経ったのか分からないが、相変わらず作業を真面目にしている康平は、ふとクラスの中がざわついているのに気付いて顔を上げた。
黒板に近い出入り口に、人目を惹く容貌をした女子生徒が藁半紙の束を抱えて立っていた。
クラスの中を、誰か探すように見回している。
どこかで見た顔だとも思いながら、それ以上気にはならなかった。
諦めたように息を吐いた女子は、小さく息を吸うと大きめな声を放った。
「実行委員さん、いますかー?」
そこから視線を外した康平の目に、あの女の子の姿がとまった。
真剣とも言える位の視線を、実行委員を呼んでいた女子に向けている。

 ―― ……え……? ――

まるでそれは恋している目にも見えて、康平は自分の目を疑った。
確かめるようにその女の子を見てしまう。だが、見間違いではなかった。

 ―― ……え? ――

「そっち系」なのだろうか、と思わず思っていたら、用を終えた女子がこのクラスから去っていたのを見て、また元通り作業をしている女の子に暫し呆然とした。
何もなかったような今の光景に、さっきのは幻だったのではないか、とも思ってしまう。
だけど、それが現実だったということは分かっていた。

「あの、笠井君」
突然名前を呼ばれて、驚きながらも顔を向けた。そこには同じくクラスの女子が2人立っていた。不意に小さくも音を立てた心臓に戸惑いながら、作業を止めて体を向けた。
「谷折君って決まった子いるの?」
「同じテニス部だよね?仲いい?」
「……まぁ、普通に。付き合っている子がいるかどうかは知らないけど、学祭では、先輩にこきつかわれてると思うよ」
一瞬動揺したのがまるで労力の無駄に感じて、今の康平の中は沈んでいた。口では淡々と返答していたが。
「じゃあ、瀧野君は?」
そう訊いてくる目には期待の光がともっているのに気付いて、康平はなぜか嫌な気分になった。
「瀧野は、そういう話自体しないから。だから、俺にも分からないよ」
「そうなんだ。学祭のダンスの話も?」
「そう」
それ以上話しているのが嫌になってきた康平は顔を明後日の方向に向けていた。
頭の中は、中断された作業の事が気になっている。
康平のその態度に、話す気が殺がれたのか、その女子たちはその場から離れて行った。
元の位置に戻り、嫌な気分を吐き出すようにため息をすると、手を動かし始めた。
その後に戻ってきた武藤の顔はほころんでいたと言うのに。


 その後も似たような事は2、3回あった。
1年男子テニス部には、周りが言うところの「カッコイイ男子」が3人いた。
入学したての頃はそうでもなかったのに、段々と女子からの人気が高まっていた。
そうなると、その他大勢に分類される他部員は、ファンと称する女子に利用価値ありと認識されていく。

 ―― どうでもいいけど、そっとしといてくれないかな ――

ため息をつきながら康平はそう思っていた。
彼らが悪い訳ではないと分かっている。それに彼らの練習態度は真面目だし、人から反感を買うような人間でもなかった。

 けれど、学園祭が始まってから、ぱたりと女子のそういう「話」がなくなっていた。



 学園祭が始まったからと言っても、康平にとっては時間を潰す手間が必要になるだけだった。クラスの出し物の当番と、テニス部での当番。それがない時間は、クラスのいつも一緒にいる友人たちとぶらぶらしているか、次の当番へ行く短いあいた時間では一人で時間を潰していた。
 ここぞとばかりにカップルで過ごす生徒もいれば、グループで学祭を楽しんでいる生徒もいる。普段とは違う表情があちらこちらにあった。

 次の当番までまだ時間のある康平は、なんとなくぶらぶらと歩いていた。
サボるのに適当な場所など康平は知らない。部室に行けば、先輩たちがいるだろう。
そこに行って挨拶をして気を使いながら一緒にいるのも康平にはしんどく感じた。
そして、予定より多くの仕事をさせられるのも嫌だった。
 ジュースを買って、適当な場所でそれを飲んでから再び歩き出した。
そんな康平の目に展示室が映った。
どうせ時間を潰すなら、ここをゆっくりと眺めていこう。そんな気持ちでその教室に入った。
そこにはいろんな絵や石膏品、多種多様なものが展示されていた。
どうやら美術部の作品展示らしい。
何かに熱中するわけでもなく、のんびりと一つずつ眺めていた。
そんな康平は、準備期間中に遠くから見た、あの女の子が持っていた絵を思い出した。
青い絵。あれは一体何の絵なんだろう。
順番に見ていたのをやめて、その「青」を探し始めた。
流すように見て行って、後半の方にそれを見つけた。

 青い空。青い海。白い鳥。丘の上には柴犬が一匹。
なんて事はない一場面のはずなのに、康平にはそれが日常の光景よりとても鮮明に映った。
その目にも心にも。
そして、その作品に添えられている説明紙に目を向けた。
〔秋山 和花。いちが駆けられない世界〕

 ―― 秋山、和花……。この説明が少し、理解できないけど…… ――

 出席番号が女子の一番。新学期の頃を思い出してみる。
一番左側の最前列に座っていた女子。丁度、康平の席からは顔が見えない。
ハッキリとは思い出せないけど、なんとなく覚えている。小さめの女の子。

 クラスの当番の時間に、教室に行った時、自然とあの女の子の姿を探していた。
だけど、その姿はなかった。
わざわざ当番表を見ようとは思わなかった。康平は自分で折り合いをつけて探すのを止めた。これ以上、あの子の姿を探して見つけたからと言って、どうにかなる訳でも、何かしたい訳でもない。そう理由を述べて、また同じ時間を過ごしていった。


 康平にとっては、特別ではない学祭が終わりに近づいている頃、ようやっと解放される時間が見えてきて、ほっと息を吐いていた。
テニス部の出し物の片付けも済み、クラスの方もようやっと片付き終わって後は後夜祭だけとなった。
 少しだけ後夜祭の様子を見てから家に帰ろうと康平は思っていた。
なんとなく、いつもは通らない道からグラウンドへと向かう。暗がりのその道を康平は少し不思議な気持ちで歩いていた。
 様子を見て帰るだけなら、一番近い道からさっさと行って、そして帰ればいいのに。
そんな風にも思うのに、康平はのんびりと歩いていた。

 教室の窓から漏れている明かりがその道を照らしていた。
まだ片付けている所があるのかと、顔を上げてその教室を眺めた。
丁度その教室から窓を開けて、見えないはずのグラウンドの方を眺めている女子生徒がいた。
あ、と康平の足が止まる。
その美術室の、窓の桟に上半身を預けるようにして両腕を組んで置いている女子生徒は、康平が逢ってみたいと思っていた秋山和花だった。
今までなら視界に入っていても記憶に残っていなかった人物に、康平は目を向けていた。
やはり、顔は見えない角度。
 このまま知らないフリをして前を歩いていこうか、どうしようか、と思っていたら、中から名前を呼ばれたらしい彼女は「はーい」と返事をして振り向いた。
その一瞬にだけ見えた顔。
はっと康平は目を見遣る。
 やっぱり、あの時見かけた女の子。犬の散歩に出かけようとしていた子だ。
それは同じクラスの秋山和花。

 彼女がいなくなったその場所を康平は歩き、通り過ぎて行った。


グラウンドで行われている後夜祭を眺めながら、自分の周りの静けさにぼんやりとしていった。
 クラスの片付け時、武藤はフットワーク軽く動いていた。後夜祭を楽しみにしているんだろう。他の子も、落ち着かない様子の子や、最後のチャンスとばかりに奮闘している子や、興味はなく淡々と片付けている子もいた。
 日常とは違う、行事のこういう時間が、康平は嫌いだった。
――いやな事を思い出すから。
日常だったら、康平も変わらないで普通に過ごしていられるのに。
 普段は目に付かない事が、特別な時間に違いを見せ付けられるその事が堪らなく辛かった。
普段は、周りの目に留まらない程度の存在なのに。
 そこまで考えて、ふと頭に彼女の姿が浮かんだ。
今まで自分が気づいていなかったように、彼女も自分の事に気づいていないだろう。

 自分は、そんなもんだから。

「……帰るか」
ぽつり、そう呟いて、康平は歩き出した。



 家に到着すると、リビングの明かりがついていた。
点けっ放しにして行ったかな、と思いながらリビングの戸を開けると、父親が箸と醤油さしを手に持ってキッチンからリビングテーブルに向かって歩いていた。
康平に気づいた父親が声をかけた。
「お。お帰り。めしは?」
「うーん、食べたような食べてないような……」
「今日は寿司買って来たぞ。お父さんは今から食べるところだ。康平は?」
「あ、じゃあ俺も食べる」
 テーブルの目に腰を下ろして、包まれたままの折り詰めを開けにかかりながら、康平は口を開く。
「今日は休日出勤?そして、残業?」
「まぁ、ほどほどにな」
返答になっていないそれを受け流しながら、康平は箸を動かす。
 父親が休みの日ぐらいしか一緒に晩御飯を食べるときが無い。
平日は専ら一人だ。
今日は康平が学祭で家にいないという事で仕事を片付けに出勤していた。
だから、いつもと変わらない夜だろうと思っていた……。

 彼女の顔を確認できて、少しだけ、つまらない学祭が特別に感じた。
目の前で一緒に寿司を食べる父親の姿を視界の端に映しながら、康平は静かに食べながらそう思っていた。

2009.4.17

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