接吻けの後




 他に誰もいない廊下に由衣と二人。
二人の間に言葉なく、それでも抱きしめたままでいた。
 由衣の温もりにそのまま溺れていたかった。
「……ねぇ、下校しないと門閉まっちゃうよ?」
胸の中、抱きしめられたままの由衣の不安げな声。
「あー……、そう言えばそうだな」
そう言われて、仕方なしに腕を緩め解放した。
まだ腕の中に残る感触に名残惜しさを感じる。
自然と足はゆっくり歩き出したが、不意にとある現実を思い出して足をぴたっと止めた。
「?」
不思議そうな顔の由衣が振り向く。まだ頬に赤さは残ったまま。
「俺、カバン置いてきたままだ」
その赤い頬のまま呆れたような表情で返してくる。
「早く取ってきなさいよ」
それに無言で思う俺。
一緒に取りに行く気のない言葉に、拗ねるような気持ちが湧く。
 ためしにちろっと目を向けてみる。
由衣はそこに立ったままで一緒に保健室に戻る気配は感じられなかった。
「……」
沈黙の中にとある行動を思いつく俺。
にっと笑みを浮かべると由衣に向かって歩き出した。
「?」
どうしたんだろうという顔をしている由衣をその片腕で抱き上げるとひょいと肩に上げた。
「きゃあ!ちょ、ちょっと!」
慌てる由衣に構わず、来た道をずんずんと戻っていく。
「こ、怖いってば!おろしてよ!」
「大丈夫だって。大人しく担がれてろよ」
「ちょっと〜」
ぎゅうっと背中にしがみつく由衣に笑みが浮かぶ。
俺にしがみつくそれが可愛いと感じて。

ようやっと由衣をおろしたのは、勿論保健室のベッドの上。そこにすとんと座らせるように置いた。
じっと見つめるように見上げるその目がいい。
「何笑ってるの?」
「いや、別に」
顔は笑ったままでカバンを手にする為にくるっと背を向ける。
椅子の上にあるカバンを手に持ちかけて俺の動きは止まった。
「やっぱ、……気が変わった」
「え?」
そんな由衣の声を耳にしつつ、一度持ったカバンを椅子の上に放り投げ振り返る。
そのまま、ずいっと上半身を下ろし覆いかぶさる様にして由衣に迫った。
「え?あ、ちょ、ちょっと?」
戸惑う姿も中々いいもんだ。なんてことを思いつつ……。

 今日一日で、俺の中の由衣の位置が変わった。
今まで散々「気の合うだけのやつ」という位置づけをしていたのに、それが今日突然俺の中で「女」に変わった。
単に自分自身が気づいていなかっただけなのかもしれない。
傍にいるのが自然で話をしているのが楽しかったから、それで満足して何も見ていなかった。
由衣を見ても、由衣の顔を見ていなかった。その瞳に何が映っているかなんて見もしなかった。 

顔を至近距離に近づけて、真っ直ぐと見つめながら口を開く。俺の両手は座っている由衣を挟むようにしてベッドの上に置いている。
「なぁ、俺の事、いつから好きだった?」
普通にそう思ったから素直に聞いただけ。
分からない事は聞く。思った事は言う。俺はいつだってそうだった。
 だけど、それを聞いた由衣は目を大きく開いた後「な?!」という顔をして口を開けた。
「……もう、そんな事どうでもいいでしょ!!」
と言いながら顔は真っ赤になっていく。
一生懸命睨んでくるが、いつにも増して可愛さが溢れて見えた。
その顔で、しまりの無い顔になるのが自分でも分かる。
「もう!むかつく!その顔!」
由衣の怒った顔だった。だけど、尚更笑みがこぼれる。
「ふーん?」
今までだったらなかった由衣の面白さに、心がまるでほくほくしてた。
そんな俺の態度が気に入らなかったのか、尚怒った顔で言ってきた。
「早く着替えなよ。じゃないと先に帰るからっ」
「どうぞ?帰れるもんなら」
明らかにむっとした顔をした。上体を浮かせてどかすように手で押しのけようとしてくる。
その手をひょいと掴むと、そのまま押し倒すように唇を塞いだ。
「!!」
驚いた様子の由衣の手に力がこもったのを感じて、俺の手にも逃がさないように力がこもる。
数瞬無言の攻防が繰り広げられたが、すぐ観念したらしかった。
閉じられる瞼。震える睫毛。赤い頬。
この瞬間、とても愛しさが湧く。自分がオスだという事を認識させられるような感覚もあった。
 溜まった切なさを吐き出すように唇を離す。
睫毛が震えて開けられた目を見て、俺の顔には笑みが浮かぶ。
「……なんでそんなににやけてるわけ?」
不服そうな顔でそう言った由衣。
「んー、満足だから」
「……」
何とも言えない顔をする由衣の肩に顔を埋めた。
ためらいがちに俺の背に手を置く由衣。そんな反応さえ可愛いと感じる。
だけど、それから動くのは俺の手と顔。
もぞもぞと顔はうなじに埋めていき、手は由衣の腰から胸へと向かう。
その途端、由衣の体にびくっと力が入った。
そんな事にも気にせず、今度は頬にキスを落としていく。
「ちょ、ちょっと」
「なんだよ」
「こ、ここ、保健室……」
「だからこうしてベッドがあるんじゃん」
俺の手はもそもそと動いている。俺のキスから由衣は顔を逸らしながら言う。
「じゃなくて、誰か来たら……」
「こねーよ、こんな時間に誰も」
俺の胸に両手を必死に押し付けて離れようとする由衣。
「先生が……」
「最初っからいないじゃん」
「今日は職員会議でいないだけで、終わったら戻ってくるって!」
必死の叫びにも構うことなく押し進めていく手。
由衣の胸の柔らかさを確かめてリボンを解き、そしてボタンを外していく。
「あ、ちょ……」
首筋にキスをしてそれから唇に……。
「た、拓真」
かすかに語尾が震えている声だった。だけど視界にはもう何も映らない状態に陥っていた。
期待し欲しているのはこれから待ち受けているだろう悦びだけで。
「拓真、だめだってば!」
必死であがいて俺の腕の中から逃げようとする由衣。だけど逃がすはずもなく。
そのまま自分のものにしようと行動する俺に由衣はたまらずといった様子で声を放った。
「あーもう!」
そして次の瞬間には、ガツン!という鈍い音と痛み。
「……ってぇ〜」
あまりの痛さに動きが止まった。思わず上半身を上げてよろめいた。
抑えの聞かない俺を止める為に、由衣は頭突きをした。俺のあごに。これはきいた。
その隙にベッドから離れ立った由衣はしっかりとカバンを手に持っていた。
「ほら早く用意して。先に下駄箱で靴履き替えて待ってるからね」
と言うなり素早い動作で保健室を出て行ってしまった。
一人ぽつんと残された俺。
「……ちぇ」
まだ痛いあごをさすりながらそう声を漏らした。
実に残念。……だけど。
「調教しがいあって楽しそうだけど」
こんな事を言ったらどんな顔するだろう。
それを想像するのも楽しいかも。

 今までは横にいたのが、これからは俺の腕の中であたふたするする由衣を見るのも楽しい。
そう思うと同時に心の中から不思議と温かな感情が湧き出てくる。
 そして知る。マジで由衣にほれてるんだって事を。





 急に、隙あらば襲い掛かってこようとした拓真との帰りは、心臓がドキドキするのを必死で誤魔化そうと、相変わらずの可愛くない態度で私はいた。
こんな自分もどうかなと思うんだけど、拓真は相変わらずだった。
あまり気にしているようではなかったのでとりあえずよしとしよう。

 今日の出来事が、普通にしているとまるで信じられない。
隣を歩いている拓真は今はもういつも通りで、明日になったらまたいつもの二人に戻るんじゃないかって思うくらいだった。
だから、いつも別れる場所で言葉を交わすとき、物凄く寂しかった。
もうこの時間は終わりのような気がして。

 次の日、何かに期待する思いを抑制させて普段と変わらない日常を過ごした。
そりゃあ、心の中で「今何してる?」って拓真の事を気にしてるけど。
本当は拓真の顔を見に行きたいと何度も思ったけど行動には移さなかった。
なんにもなかった時が怖く感じたから。
結構長い事、「いい友達」をしていたのが身に染み付いているせいだろう。

 部活の為に放課後更衣室へと向かう。
この後、体育館で拓真と顔を合わせるのかと思うと心臓が高鳴っていた。
でも、いつもと変わらない拓真なんだろうな。
そう思いながら、着替え終わった私は体育館へと向かう。
中に入ったところで拓真の姿が一番に目に入った。
丁度、後輩のあの子にすれ違いざまに何かを言っていた。
昨日、告白してくれたあの子。
 ……何を、言ったんだろう?
そう気になっていたら、そのまま歩いてきた拓真は私に気づき、ぱっと顔を見せて口を開いた。
「よっ」
笑顔だった。すんごい晴れやかな笑顔で、こっちの胸がきゅんとした。
でも、それを素直に出せない私。
「今、何を言ってたの?」
すると拓真はふいっと顔を逸らした。
「……別に」
「ちょっと、気になるじゃない。何もないって態度じゃないでしょ」
顔は向こうに向けたまま拓真は言う。
「あー……、昨日は悪かったなって話だよ」
「……――」
そう言われて、なんて返したらいいか分からない。
慣れないこの状況に顔が火照ってきてしまいそうだった。
そしたら、拓真は振り向いて私の顔を見ると少し不満そうな顔で言った。
「なんて顔してんだよ」
指は私の頬を軽くつねる感じで伸びていた。
「だって……」
思わず出た言葉。
だけど、それは最後まで口にする事はなかった。
「おーい、何そこでいちゃついてんだよー」
「悪いかよー」
ぱっと手を放し、彼らのもとへと向かい始める拓真。
「邪魔だ邪魔―」
そう彼らの言葉に何かを言っている拓真だった。
 前だったら、何いちゃついてんだよ、と言われたら「何言ってんだよ、ばーか」って言っていたのに。


部活を終え、特に約束をしている訳でもなかったから、その場にいたクラブメイトたちと帰っていた。
私が出た時には男子の姿は特に見えなかったから。
 姿が見えたときは、話しかけたりとかしてその場の雰囲気で一緒に帰ったりとかしてたんだ。
他愛ない話をしながら歩いていたら、後方から声が飛んできた。
「由衣!」
拓真の私を呼ぶ声。
振り向き足を止めた所へ走り急いできた。
何だろうと顔を向けると、ちょっとむくれた顔で拓真は言う。
「俺の事放ったらかしにして先帰るなよ」
「……え、あ、うん」
意外な台詞にそう口にした私。
周りにいたクラブメイトたちは笑みを浮かべながら「ばいばーい」と先に帰っていった。
目は何か言いたげだったけど。周りは私の気持ち知っているから「良かったね」と言っているんだろう。
でも、これはこれで微妙に照れる……。

 いつものように並んで歩いて、他愛ない話をする。
内容は他愛ない話でも私にとっては一つ一つが大事だった。拓真の事を一つ知るたびに頭にインプットされていく。それはもう自然に。
 話をしていてふと目を向けた。拓真と目が合う。
いつもなら特に目が合ったりすることはなかった。拓真は話をしていても相手の顔をみているタイプでもなかったから。
でも、今は違った。その目もいつもと違った。
笑みの浮かんだ優しい目。思わずどきんと反応してしまう。
それと同時に「え?何?」と思ってしまう。慣れない拓真の態度に。
「……どうか、した?」
なんでだかおっかなびっくりそう聞いてしまった。
口元にも笑みを浮かべた拓真は顔を前方に向けるとぽそっと呟いた。
「……いと思って」
一瞬頭が聞き取れなかった。何を今言ったんだろうって数秒考えてしまっていた。
「可愛いと思って」今、拓真はそう言ったんだ。
遅れながら、言葉の意味を把握できたとき、心底驚いたんだ。
それは今までの私への対応と天と地ほどの差があったから。
「……こ、この、癖毛のくるくる加減が?」
毛先を摘んで見せるようにそんな事を言っていた。バカみたいな照れ隠し。
そうしたら、拓真は「しゃーねぇなぁ」って顔して笑って言った。
「ばーか」
なんか、拓真が拓真じゃないみたい。
どうしよう。変に緊張してきた。
今日はもうこれ以上駄目みたい。
「拓真、今日はここで。ちょっと急用思い出したし」
早口でそう言っていた。顔は拓真から逸らしてカバンをぎゅっと持つ。
「由衣」
「ごめんね、私、先行くし」
「由衣」
「じゃ、そういう事で。拓真も気をつけて」
呼び止めているのも聞かず、言いたいことだけを並べてその場からさっさと去ろうとしていた。
「……由衣っ」
だけど、拓真はそれを許さず、背中を見せて行こうとした私の腕を掴んでいた。
何故か硬直したように動けない……。
そんな私に、軽くため息をした拓真は言う。
「何、逃げようとしてんだよ」
……う。だって、そんな急にスイッチを入れられていても、こっちは対応できないんですけど。
なんて、口に出来ず、困惑していた。
「俺ん所から簡単に逃げられると思うなよ」
なのに、そんな余計に困惑する台詞を言われて……。
顔が真っ赤になったのを感じた。今は日もすっかり沈んで暗がりだから拓真には見えないだろうけど。
「てゆーか、俺は放さないからな」
ノックアウト寸前の、拓真の言葉。
それに観念したように顔を向けた。そんな事を言われたら逃げられないじゃない。
多分、その台詞から察するに、拓真を不安にさせてしまったらしい。
いや、そんなつもりは毛頭なかったんだけど。
そんな反応をする拓真にも、正直どうして良いのか分からない……。
なんかこう、縋るようなどうしてよいか分からない顔をしていたと思う。
 私の顔を見た拓真が、「うっ」という顔をして数秒固まっていた。
「拓真?」
「……それ、誘ってんの?」
「は?何が?何言ってんの?」
「……だよなぁ。素、だよなぁ」
「だから何?!」
訳が分からなくて、少し苛立ちながらそう言った。
「……なんか、面白いよな。からかいがいがあるというか」
その台詞にかっとなった。今までの台詞はからかわれていただけ。
「……もう!腹立つ!」
開いている片手で拓真をびしびしと叩いた。
「いて、いてって」
「人のことからかってそんなに楽しいわけ!」
「いてっ。からかってなんかないって」
「嘘ばっかり!……もうっ」
なんか自分が情けなく感じて、涙が勝手に浮かんできていた。
そんな私に気づいたのか、拓真が不意に動きを止めた。雰囲気でこちらを見ているのが分かる。
「……由衣?」
心配した声。
「……なんでもない」
やはり素直になれなくて仏頂面でそう言った。
 拓真は掴んでいた腕を離して、参ったように頭をかいた。
「マジでからかってなんかないって」
「じゃあ、なんだっていうのよ」
目じりをグスッと拭いながら可愛くなく言った。
「あ〜、お前が、……すぎなんだよ」
「え?何?よく聞こえなかった」
顔を上げれば、少し困ったような顔に意味不明の怒りが込みあがってきた。
「何よ!もういいよ!」
やっぱりからかって遊んでるんじゃない。
ぱっと踵を返して一人行こうとしたら、再びぱっと腕を掴まれた。
「だから、由衣、お前可愛すぎ、なんだって」
これも本気で頭に思っていなかった台詞だった。
心底驚いて動きが止まっていた。
固まっていたら、後ろからそっと両腕を回されて抱きしめられていた。
「た、拓真?」
「ん?」
「二日前までとかなり対応違うよね?別人?頭強く打ちすぎた?」
どう反応してよいのか分からず口から出た台詞はそんなだった。
「……。認識したら男はこんなもんだよ。まぁ、これからの俺に期待しとけ」
「期待?何を?」
「……ばーか」
また言われたその台詞。
だけど、この格好ではもう反論できなかった。
心臓がずっとどきどき言ってる。肌を通して伝わっているんじゃないだろうか。
それさえもろバレになるのは恥ずかしいと思うのに、このときめきは止められない。

 まんまと捕まってしまったような気がして、頭の中で嬉しそうに笑う拓真の顔がずっと浮かんでいた。
 ずっと捕らえたかった人なのに、いつのまにやら囚われた?

知らない拓真が姿を現した。
それでも胸はときめく。
だって、……好きなんだからしょーがない。

2007.10.13

Girl's side Boy's side  あとがき


 special thanks!
イラスト:no color/ミチさま 素材:Egg*Station タイトル: