本当は寂しくて
「この大馬鹿!無神経最悪男!!もう二度と名前呼ぶな!あほ男!!」
込みあがった感情と共にそう吐き捨てた。
もう我慢ならなかった。
……分かってた。
それは十分分かってた。
拓真が私の気持ちに気づいてないだろうって事は。
良くて「異性の」友達くらいにしか思われていないだろうって。
本当に真っ直ぐで余計な事は考えない奴で、裏表のないさっぱりとしたいい性格。
だから惹かれた。
いつも傍にいる私のことも「いいやつ」とか、「話しやすい」くらいにしか思っていなくて、全く色のある感情を持たれてない事は分かってた。
だから、そんな思いは見せないように頑張ってた。
この私がいる場所だけは手放さないようにって。
些細な言い合い、意見の衝突でお互い感情をぶつける事があっても、次の日会った時には普段どおりいられた。
拓真はけろっとして普通に挨拶をしてくるから。
私も、言われた事をいちいち気にしないようにしていた。
些細な事に囚われていたら、拓真の相手は務まらない。
……そんな私だったから、拓真は安心しきっていたんだろう。
時々、周りの男子が私の事を「奥さん」とかいって冷やかしたりするのも知らないんだろうね。きっと。
だけど、もう我慢の限界。
女扱いされてない事は分かっていたけど、今回の拓真の言葉はもう耐えられなかった。
拓真にとって私は完璧女じゃない。
その現実がやけに痛くてもう辛かった。
今まで必死に傍にいた分、もうこれ以上は無理だった。
……同じバスケ部の1年の子に告白された。
そこにふって出た拓真に、心は期待した。
だけど、二人になっての拓真の言葉は余裕過ぎるくらいの勢いでそれを粉々にしたんだ。
「由衣って好きな奴いなそーだもんなぁ。女らしくないって言うか、そーいうのが欠如してるっていうか。反対にいるって言われも面食らうけどな。え?お前が?って」
そうはっきりと言われて何を思う?何を頑張る?
告白して振られるよりもタチが悪い。
思い自体を否定された、そんな気持ちだった。
だから、もう諦めようとした。
この想いを捨て去ろうとした。こんな辛い思いするくらいなら無くしてしまおう、そう思った。
自分の中から拓真の存在を消そうと努力したんだ。
同じ部員だから挨拶は返した。
だけど、それ以外のことは全て拒否した。
……普段だったら、拓真の行動を目で追ってしまう。話す機会は見逃さないようにしていた。
あいつの姿を同じ空間に見ていられただけで幸せだったのに……。
見ないようにすればするほど、心の中で、憎らしいくらいにあいつでいっぱいになっていく。それが、とても悔しかった。
あいつは私の事なんて何とも思っていないのに。
少しくらいは特別かもっていう期待、あったのに……。
拓真が女子の中で「由衣」って名前で呼ぶのは私だけで嬉しかったのに。
私も下の名前で呼んで貰ってるのは拓真だけなのに。
その意味くらい、少しは気づいていると思ってたのに。
……忘れよう。
拓真の事は。
今は辛くても、もう少し先になったら大丈夫になるから。きっと。
きっと……。
誰とも話したくない気分だったから、一人離れたところで立っていたんだ。
数人ずつで練習を行っていて、私は順番待ちだったから。
そのときに視界に映った男子の練習風景。試合をしてた。
拓真が絶対こっちを見ないという時に眺めてた。
いつもと変わらず体を動かしている。
練習が始まる前は、人のことを何か言いたげな顔で見ているの知ってる。
だけど、絶対顔を向けてなんかやらない。
もう私は違うんだ、って表したかったから。
だけど、気持ちはぐちゃぐちゃだった。心は、今にでも雨が降り出しそうな天気。
知らないフリをしようとすればするほど心はがんじがらめになっていく。
……そんな時だった。
もう嫌になって男子のコートには背を向けていたんだ。
すごい勢いで走ってくる音に気づいたのは大分近づいた頃だった。
なんだろう?そう思って振り向いたら、目の前に迫っていた凄い勢いのボールと、僅差で後方にいる男子が一人。
ぶつかる!
「きゃあ!」
そう思って咄嗟に目を瞑った次の瞬間、凄い空気の流れを感じた。
「……くっ……!」
まるで搾り出すような苦しげな声が聞こえたと思ったら、凄い衝撃を思わせる音が鳴り響いた。
それに目を開けると、さっきとは違う方向にとーんとーんと転がっていくボールと壁に衝突した格好でそのまま床に沈んだ拓真の姿があった。
「……拓真!?」
他の部員が駆けつけて名前をいくら呼んでもピクリともしなかった。
騒然とする場に、私は茫然としていた。何も頭に入ってこなかった。
だけど、拓真の姿を見て我に返った。
「触ったらだめ!保健医の先生呼んできて!!」
私の声がその場にこだました。
練習の合間に抜け出して、保健室に寝ている拓真の所へ行った。
まだ拓真の目は覚めない。
そっと傍にあったパイプ椅子に腰掛ける。独特の音を小さく立てて。
日は傾き始め、太陽の光は白い保健室をオレンジ色に染めていた。
拓真の顔だってオレンジ色に染まってみえる。
こうして見ると、普段のあのおちゃらけた顔が嘘のようだ。全く別人に見える。
寝顔は端正な顔してるのに。
額に乗せられているタオルはもう温かくなっていた。
それを冷たい水に浸して熱を取ってから、絞って拓真の額にのせた。
もう大分時間が経つのに拓真はまだ目覚めない。
私がいる所に飛んできたボールを必死に止めようとしてくれた拓真。
その気持ちが今の私にとっては辛かった。
もし、私が普通に拓真を見ていたら、こんな事にはならなかったかもしれない。
いつも口では素直になれなかった。
それがどうしたのよ?みたいな態度を取ってきた。
それが一番気楽で、拓真もなんだかんだと楽しそうに相手してくれたから。
でも、今、こんな事になるなら……。
こんな事になるなら?
なるなら、どうすれば良かったって言うの?
哀しくって辛くって涙が勝手に浮かんでくる。
それをぐいっと手の甲で拭って息を吐いた。
それから練習に戻っても、練習が終わっても、拓真は戻ってこなかった。
男子に当たり前のように拓真のカバンを渡されて、少し戸惑った私にそいつは言った。
「あいつ、気づいていないだけだよ。でも、本能は気づいているみたいだし大丈夫じゃねぇ?」
それが何を言っているのかハッキリとは分からなかったけど、まだ目が覚めない拓真の今の状態の事を言っているのかと思った。まだ目は覚めてないけど、意識は戻ってる。そう言っているのかと思った。
重い気持ちのまま保健室の戸を開けたら、身を起こしている拓真がいた。
ようやっと目が覚めたんだ。
心の中でこそっと安心した。
こっちに気づいた拓真に、何もなかったように普段どおりに声を掛けた。
「あ、やっと目ぇ覚めたの。はいこれ。カバン預かってきたから」
さっき私が座っていた椅子に、拓真のカバンを置いて。
本当に大丈夫かどうか確かめるように顔を眺めた。
「他の皆は帰ったから。拓真も着替えて帰んなさいよ?」
こんな自分は可愛くないと思う。
もっと素直に、助けてくれてありがとうって言えばいいのに。
心配したんだよって言えればいいのに。
いつも、強い光を燈しているその力強い目が私を見つめた。
「なぁ」
「ん?」
何を言うんだろうって思った。
「ちゃんとボールはじけたか?」
「……うん」
そう訊いてくるとは思っていなかった。途端にその時のことを思い出して胸が痛んだ。
やっぱり、私がいるのを知って、必死でボールを避けようとしてくれたんだね。
守ろうとしてくれたそんな気持ちも、今の私にはいたい……。
拓真の顔が見れない。
「そうか。なら良かった。顔にでも当たったら大変だからな」
何も声に出せなかった。
こんな時になって女の子扱いするなんて……。
切ない思いが心の中を駆け巡る。
だけど、もうこの場にはいないと決めたから。
もうこれ以上ここにいたら、挫けそうになるから。
そのまま拓真に顔を向けず廊下に向かった。
元に戻りたいのを必死で堪えて。
保健室から一歩外に出たところで足を止めた。
最後にお礼くらい、言わなきゃ。
「じゃあ私帰るから。……助けてくれて、ありがと。じゃあ、……これで」
いつもだったら、一緒に帰ったかもしれないけど。
助けてくれたのも、特別な意味なんてなくて、拓真の正義感からだろうけど。
今まで楽しいと感じた時間も、これで本当に終わり。
何かに期待していた私にもサヨナラ。
もうあんたのせいで疲れちゃったから。
私は一人そこから離れた。
本当に、拓真への想いと決別する為に。
後ろ髪引かれる思いに負けないようにと必死で足を動かす。
少しでも早く拓真の場所から遠く離れるようにと。
心に静寂さが訪れたとき、過ぎ去ったはずの廊下から激しい足音が聞こえてきた。
それに気づいたら、すぐ声が飛んできた。
「由衣っ!」
拓真の声に心底驚いて足を止めた。
自分に迫り来る拓真の様子は初めて見る迫力だった。
唖然としている間に捕まっていた。拓真の腕は私を逃がさないように壁に留めて。
こんな状況に戸惑うばかり。
驚きながらも声を出す。
「な、何?」
そんな私に拓真は言ってのけた。
「由衣、俺の事、好きなのか?」
突然のそれ。
何を言うのかと思えば。
一瞬浮かんだ空白だったけど、すぐに怒りが込みあがってきた。
この男は……!
いつだって無神経で大馬鹿で、人の気持ちなんてお構いなしで……!
その時の自分の感情だけで人を振り回すんだ。
この感情は抑えられず、拓真の頬目掛けて右手を叩きつけた。
「いってー!」
「この、超大馬鹿!超無神経!もっと言い方ってもんがあるでしょ!!」
「だって俺余計なこと考えられないタチだからさ。……知ってんでしょ」
「……う」
そう言われたら否定できない。
単細胞で思った事がそのまんま顔に出るって言うのも、よく知ってる。
あんまり細かい事を気にしないって言う性格も分かってる。
けれど、なんで?なんで今更?
なんにも気づいてなかったくせに。
「……なんでよ。なんでそんな事今聞くのよ」
やめてよ、もう……。
この男は本当無神経!
腹立たしく思ったら、ひょうひょうと拓真は言った。
「俺の横で泣いてたろ?」
一瞬何の事かと思った。
だけど、思い当たる事と言えば、今日の保健室でしかなかった。
……寝ていると思っていたのに!
目が覚めないと心配したのに!
……この男だけは!!
「だからなんだって言うのよ!」
「で、どうなわけ?聞いてんだけど俺」
素直に応えたくない気持ちで言葉を放った。
「否定と肯定にどんな差が出るっての?!」
言えるもんなら言って見なさいよ!
そんな気持ちで。
だけど、拓真はそんな私の気持ちにも構いやしない。
「うーん、差、ねぇ。まぁ大してないかな」
「は?」
まさかそんな風に答えてくるとは思わなかった。
拓真の顔を見つめて気づく。
その距離に。
こんな近い距離、今までなかったから。
平気でいようとするのに心臓は反応していた。
どうやってここから逃げようかと思っていたら、急にぐいっと引き寄せられた。
後頭部に大きな拓真の手を感じた。熱い手。
その手が私を引き寄せる。そんな事、今までだって有り得なかったのに。
「なっ?ちょ、ちょっと!」
一体なに?
心の中では動揺が広がっていた。
だけど、拓真は余裕綽々の小憎らしい笑顔で言ったんだ。
「もう片手は開けといてやるよ。本気で嫌だったら逃げられるようにな」
何を突然とちくるったの?
私の事、別に異性とも気にしたこと無かったでしょう?
そんな思いを顔に出して目を向けたんだ。
だけど反対に、真っ直ぐと見つめられて、言葉が出なかった。
まるで金縛りにあったみたいに。
拓真のまっすぐな目は私をいとも簡単に捕らえる。
なんで?
どうして?
訳が分からない私の頭の中は疑問符だらけ。
だけど、必死で諦めようとしていた私の心は、悔しいくらいに拓真に向いてる。
……初めて、真っ直ぐと見つめられて、顔が赤くなるのを感じた。
心は勝手に反応してしまう。
目が放せなくなる。
何一つ分からないままでいたら、拓真の顔が近づいてきた。
拓真の片手は言ったとおり下げられたままだった。片手だけが私の頭を支えてる。
このシチュエーションは何?
一体急にどうしたっていうの?
近づいてくる顔に戸惑って目をどこに向けたよいのか分からなくなっていた。
本気で嫌だったら逃げろよ、さっきの台詞はそういう意味だった。
本気で嫌だったら……。
諦めようと、してるのに。
もう、無くしてしまおうと決めたのに。
なのに、そんな風に決めてから拓真は私を揺さぶる。
今までちっともそんな素振り見せた事なかったくせに。
何も気づいてなかったくせに。
急にどうしたって言うの?
逃げようと思えば逃げられる状況だった。
躊躇いが浮かぶ心で拓真を見た。
こんな顔見たことないよ。今までそんな顔で私を見たことなかったくせに。
真剣な顔。真っ直ぐと見つめてくる目。
……ずっと、願っていたんだよ……。
この場所から逃げられるはず、なかった。
諦めようとして諦められず苦しんでいたんだから。
どうしたって消せない思いに。
拓真へ向かう気持ち。
少しのきっかけでもいいから、捕まえたくてしかたなかった。
本当は。
自分の気持ちに観念してまぶたを閉じた。
重ねられた唇に心が震えた気がした。
拓真が私の事……。
……そうだって思っていいんだろうか。
唇が離れたのを感じてそっと目を開けた。
拓真の目は真っ直ぐと向けられていた。
ずっとこうやって見られていたのかと思うと恥ずかしいと思った。
けど、拓真はそんな私を見て笑ってる。
それにむっとしたのと恥ずかしいのとで普段のように可愛げなく言っていた。
「で、さっき言ってた差。大してない差って何?」
「うん?」
そう言った拓真は余裕たっぷりの様子で一向に口を開ける様子がなかった。
「ちょっとってば!」
「……そうだなぁ」
と言ったかと思ったら、ぐいっと頭を引き寄せられた。
気がつけば拓真の胸の中。
はっきりと聞こえてくる拓真の心音は少し早かった。
初めて感じる拓真の体温にすぅっと引き込まれるような感覚になっていた。
……そうだって、思っていいのかな。
拓真の両腕に抱きしめられながらそう思った。
「俺が女の名前を呼ぶのは由衣だけってことかな」
「……この、ばか」
今になってそう言うなんて。
気づいたんならもっと早く言いなさいよ。
……多分、今それに気づいて言ったんだろうけど。
とりあえず許してあげるよ。
捕まえに来てくれたから、さ。
2007.9.16
special thanks!
イラスト:no color/ミチさま 素材:Egg*Station タイトル: