羽を届けてくれた人

聖夜の贈り物


8、そして、結末


 大きな通りに出る前くらいの所で、彼は聞いて来た。
「行きたい所とか、ある?特になかったら、俺の知ってる所、行くけど?」
「うん、そこで……」
目は俯きがちにそう返事をした。
まともに顔を見られないまま、横の座席に座っていた。
 思いもがけず、感情をあらわにして言い放ったのと、その後に自分にしては大胆な事を言ったので恥ずかしさで顔を向けられないのだ。
彼はどんな反応をしたのだろうと、盗み見ても彼は運転に集中しているようだった。

  我ながら、珍しい事を言ったもんだ……。

冷静であるのだと言い聞かせるように心の中で呟く自分に恥ずかしさを感じながら、照れ隠しに腕を伸ばして膝を触る。
明るい場所で互いが向かい合っている時でなくて良かったとも思っていた。
 敦は車をそのまま走らせて、とある駅の近くにあるホテルのパーキングに車を入れた。
ざわつく心臓に翻弄されそうになるのを必死で堪えながら敦の横にいた。
「ここのバーラウンジが良くてね」
「へぇ……」
そう話をしてくれながらホテルの最上階に直通エレベーターで案内してくれた。
 案内された席は、壁一面ガラスに向いたカウンターの席。
そこの夜景は、レストランで見た夜景とはまた感じが違っていた。
色で例えるなら、レストランでは白が基調だった。ここから見える夜景は赤が配色されているように見える。
「綺麗ね」
笑顔で言うと、彼はにこりと笑みを見せた。

 今日はどこに行ってもクリスマス仕様。二人が座っているカウンター席にも、キャンドルが置かれていたり、カクテルにはポインセチアの花が模った物が飾られていたり。

  ほんと、ツボを心得ているというか、なんというか……。

ふっと小さく息を吐くと、キャンドルの炎に目を向けた。
小さくゆらゆらと燃えているその灯りはどこか懐かしい印象を受ける。
小さなその灯火は、まるで自分の心を映し出しているように感じた。
「いつも、クリスマスはどうやって過ごしているの?」
隣から聞こえてきた敦の声に現実に返った。
「……ここ数年は、仕事終わった後にいつも会社の人たちと飲みに行ってたかな。行ってた、というか、付き合わされてたというか。彼女と喧嘩した満井君の愚痴を聞いてあげたり、振られた苅谷君を慰めたり、……あ。大体武藤さんも一緒にいたかな」
思い出して言っただけだった。
だが、彼はそれに反応を示した。
「……へぇ?武藤さんって、……」
そこで口を閉じてしまった彼。気になる日花里は訊く。
「ん?なに?」
「……ううん。ごめん、なんでもない」
「?」
疑問な顔を向けてみたが、彼はそれ以上何も言おうとはしてくれなかった。
気まずく途切れた会話に、他に言う話も見つからない。
グラスに手をかけ外を眺めたのを見て、日花里も外に顔を向けた。
昼間の喧騒が嘘のような夜の時間に、沈黙なのをいい事に自分の気持ちに目を向けた。

 彼が家に送るといって沈黙の時、日花里の心臓は大きく鳴っていた。
甘い痺れにも似た緊張が指先まで奔っていた。
 彼の言葉に気持ちは囚われて、期待を浮かべれば次の瞬間には霧散して。
そして、紡がれた言葉と紡いだ言葉にはズレがあって、何かが引っ掛かって上手く通らないようなそんな気持ちと無性に腹立たしい気持ちが混ざり合って言葉がそれ以上出てこなかった。
……いつもそうだった。
感情が混みあがってきた時、言葉にならない。だから口で言えない。
そうした時、いつも相手が先に諦める。
悪いのは自分だと分かっているけど、それを認めたくない気持ちがあった。
 彼はいつも訊いてくるばかりで、大事な、はっきりとした言葉は言ってくれなかった。
……自分も怖くて口に出来ないのだから、本当は責める事のできる立場ではないのに。
そんな事を色々と考えていたら、ふと頭に浮かんだ。
 これで家に帰ってさようなら?
途端に胸には、寂しい気持ちが切ないくらいに広がった。
そうしたら、きっと明日からは何もなくなる。
そう思った。
 本当は、自分の前に現れてくれて、嬉しかったのに。

  ……でも。
  でも?
  ……でも、怖い。打たれるのが怖い。

心の中に広がる恐怖感。それと同時に浮かぶ思いがあった。
このまま別れていい?と。
 車はどんどん道を進んでいくのに。
別れたくない。まだ一緒にいたい。
何にも誤魔化す事のできない気持ちがそこにはあった。
 ……彼はさっきの言葉の意味を理解していない。
だから、このまま家に送るだろう。
そして、また一人になる自分を考えて、辛さが身を襲った。
 本当は、彼と別れた後の淋しくて悲しい気持ちは、いつも一人になった時に襲ってきたのだから。

  一緒に、いたい……。

それは願いにも似た切実な思い。

  一度くらい、素直に言ってみてもいい?

それは凄く勇気がいった。
普段の自分なら出せない勇気。
だけど、夜という時間が、車の中という場所が、クリスマスイブという時が、魔法をかけたみたいに日花里を衝き動かした。
見せ掛けの言葉を理由にして真実の想いを込めて言ったのだった。
  「……夜景の見えるトコで、まだ飲みたいな」
もう一度出せと言われても、もう出せない勇気。

  今日はあなたと一緒にいたい。

彼が実は嬉しそうなのに気付いていた。それが、なんだか恥かしかった。
 こんな風にドキドキして、偶然にでも会えるのを楽しみにして、些細な事でも言葉を交わせるのが嬉しくて……。
大人になってから、それを経験した最初はいつだっただろう?
一緒にいた男性に心を衝動的に動かされた事、あっただろうか。
 好きな理由を言う人はいるけれど、本当は、好きになるのに理由はいらない。
理由が言える好きなんて、心が囚われていない証拠だから。

  だから、……。
  好きだから、怖かった。
  自分を見失いそうになって怖かった……。
  これ以上近くに行って、傷つくのが怖かった。
  だって、彼が見せる節々に感じる事があって。

「……そう言えば」
思い出してそう言葉を紡ぎ敦の顔を見た。
そこで言葉が止まってしまい数秒の沈黙。
「……なに?」
優しい落ち着いた口調でそう敦は言った。
「うーん、……こういう事言っていいのかな……?」
言おうとしていた事を悩む日花里。
「気になるので言って下さい」
半ば参った様子で敦が言うので、言う事にした。
「今はいなくても、割と近くまで彼女、いたでしょう?」
横目で見ながら。

  最近じゃなくても、今までいろんな人、泣かせてきたでしょう?
  「遠野君って、オンナ慣れしてるよね?」

すると敦は微妙に変な顔をして、ビタ。と止まってしまった。
汗を一筋垂らす勢いの困った様子を必死で堪えながら口を開き始めた。
「え、えーと、近くと言うほど最近の事ではないけど……」
「ふぅん?」
「な、なんで?」
「……。」
敦の問に、日花里は黙ってしまい、ついっと顔を背けた。
すると、困ったように息を吐いた敦は観念した様に口を開いた。
「もう2ヶ月以上前の事になるよ?職種違ったし、時間も合わなかったし、他にも色々ズレがあったから上手くいかなくて別れたんだけど。……昔の事、なんですが」
「そう」
あっけなくもそう言っただけの日花里。
「どーして、そんな話?」
「んー……、台所周り見ただけでも、分かるんだよね。あー、女いるなって」
「え?でも、俺料理くらい」
「しないでしょ?」
強い口調で言ってみれば、敦は目線を伏せて言った。
「……はい。しないです」
「んー、まぁ別にいい話なんだけどね。未だに彼女の物があるのは未練があるからなのかな〜とか人は思うだろうけど」
「今はもうないから。ただ仕事が忙しくて暇がないのと疲れて時間が出来なかっただけで」
「そうなの」
会社で見せるような隙のない笑顔を浮かべて日花里はそう返事をした。
「ま、槙田さん?」
戸惑いを見せる敦に、日花里は顔を夜景に向けながら言葉を紡ぐ。
「遠野君は、昔から何だかんだともててたもんねぇ」
「え?俺はそんなことは」
「うちの庶務課の女の子たちが騒いでいるの聞いた事あるよ」
「ふーん」
それは素っ気無い口調だった。
「……苅谷君だったら喰らい付いてくるのにな」
「……一緒にしないでよ」
不服そうに言った言葉に、思わず日花里は笑いを溢した。

 このところずっと仕事が忙しく残業もしていた。今日も仕事をしてきたから、体は疲れていた。頭の中でどこかは冴えているのに、体は重く力が抜けているような感覚だった。
気を抜けばボーっとしていて瞼が勝手に落ちてきてしまいそうな……。
「しんどい?出ようか?」
「え?あ、うん……」
ぼんやりとする頭を起こして、もう椅子から立とうとしている敦に倣った。
そして、ラウンジの出入り口に着くと、敦は日花里を出た所のフロアに出してそこで待たせた。
丁度、敦がその場所へ戻ってきた頃、バッグに入れたままにしている携帯が着信で震えているのに気がついた。

  あ、入れっ放しだったな……。
  誰からだろ?

昼間のようには働かない頭で携帯を取り出し画面を開けた。
他にも数件メールがあったり、着信があったりだった。
「……あ、武藤さん。なんだろ?」
そう声を漏らした時、目の前が暗くなるのを感じて無造作に顔を上げた。
「と、……」
敦の顔がもう近くにあって名前を口にしようとしたが、敦の表情があまりにも神妙なものだったので、それは最後まで言えずに終えてしまった。
「そんなに、武藤さんが気になる?」
何故そんな事を言われたのか分からない日花里は不思議そうな顔をしたまま口を閉じていた。
「俺よりも武藤さんが気になる?」
「……え?」
繰り返されるそれに、日花里は困惑の色を見せる。
「武藤さんと、俺。……どっちを選ぶ?」
そう訊かれて、心臓がドキッと高鳴った。思わず顔を伏せてしまった日花里。
それでも心臓の高鳴りはやまず、震える指先を感じながらやっとの思いで口を開いた。
「……と、遠野君……」
そう言った途端、体中に巡る鼓動が響き渡っているのが聞こえてきた。
気が遠くなってしまいそうな感覚だったが、あまりの彼の沈黙に不安に思い、恐る恐る顔を上げた。
「あ、の……?」
だが、その後の言葉は口に出せなかった。
その口は、彼の唇に塞がれたから。
その温かくてやさしい感触、重い体が沈んでいくような感覚、痺れのようなものが身を襲った。
それらに促されるように目を閉じて、彼を感じた。
 重ねただけの唇が離されて、自然と目を開ければ、真っ直ぐと見つめている敦の顔が目の前にあった。見つめられている事に恥ずかしさを感じて、頬が勝手に赤く染まったのを感じる。
すると、敦は優しい笑顔になって言った。
「可愛い」
それに尚顔が赤くなった。
 差し出された敦の手と差し出した日花里の手は自然に繋がられた。
そして足は自然とエレベーターに向かわれる。
「あ、コート」
エレベーターに乗る手前で、思い出して日花里は言ったのだが、敦は笑顔のまま言う。
「大丈夫。もう届けてもらってるから」
「?」
その時はその台詞の意味が分からなかった。
 敦が乗ったエレベーターは、ラウンジに向かう時に乗ったものとは違うのだった。
そして、降り立ったのは、ホテルの部屋のある階。
突き進んで行くと、ある部屋の前で足を止めポケットの中からカードキーを出した敦を見て、日花里は言わずにはいられなかった。
「……用意周到……」
「これでも、色々と頑張ったんだよ。ほんとに」
「いろいろ?」
「そう、色々」
そう言葉を交わしあいながら部屋の中に入り扉は閉まる。
「遠野君って、ソツなく何でもこなしているように見えるけど?」
「全然。これでも俺、いっぱいいっぱいだよ。今なんか特に」
「そう?」
「軽く見られるなんて冗談じゃないよ」
「うーん?ごめん?」
首をかしげて言ってみた。
すると、参ったように頭を落として敦は言葉を溢す。
「俺って、どんな風に思われんの?」
「だって、遠野君意地悪だもん」
「……いーですよ、もう」
何かを諦めたようにそう言った敦は日花里をぎゅうっと抱き締めた。






敦は彼女を抱き締めたまま言葉を紡いでいく。
「最初に顔を合わせた時から、俺の事気付いていた?」
日花里は敦の腕に頬を埋めながら声を出した。
「一番初めは会社の受付に来ている所で顔を見たけど、その時は気付いてなかった。その後、お茶を出しに行って、顔見て思い出したよ」
「そっかぁ。俺は途中から、どっかで見た事あるなぁと思ってはいたけど……、まさかこんなに逃げられようとは……」
そう話をしているのに、日花里の反応はなく静かだった。動きを見せないので声をかける。
「槙田さん?」
「……ん、心地よくて……」
そう言ってあげた顔を見てみれば、眠そうにとろんとしている。
「もう寝る?シャワー入る?どうする?」
だからと言って、口にする言葉は意味が違うのだけど。
「んー……?」
そう声は出すものの動きを見せない日花里に、笑みを浮かべて言う。
「一緒に入る?それだったら、お湯入れてくるよ」
途端に敦の胸元から顔を引き剥がした日花里は、頬を赤くして言う。
「一人でシャワー入ってくる。何で男の人ってそんな事ばっかり言うの?!」
ぷいっと逸らしてそのままシャワーを浴びに行った日花里に、残された敦は言葉を溢した。
「って、誰と一緒にしてんだよ……」
暫しの間呆然と立ちっ放しだったが、やれやれと頭を掻くと冷蔵庫から缶ビールを出し窓側のソファに腰を下ろした。

 突然彼女の態度が柔和になった。
飲みに行きたいと言われてからだ。
それまでは、笑顔すら見せてもらえなくて、本当に迷惑がられているだけなのかとも思った。いつも、何かを言おうとするのに、結局は言ってくれない彼女だったから。
ラウンジで時折ぼんやりとした表情をしていた彼女を見て、何か他の事を考えているのだと分かった。でも、遠くにいるようには感じなかった。
反対に彼女が傍にいるのを感じていた。
そんな感覚は不思議で、自分の意識はずっと彼女に向けられているからなのかとも思った。
 けど、日花里が昔の彼女の話をしてきて、一瞬は動揺したのだが、言葉を交わしているうち確信めいたものが心にも浮かんだ。
……気があるからなのだと。
そうでなければ、あんな含みのある言い方はしない。
だけど、他の女性の話をされて、本音は意味が分からなかった。
そうだとしたら、なぜ、そんな話をまだするんだろう?そう思ったのだ。
結局はあまり気にしない事にしたのだが。
「俺は俺で必死だったんだよ……、マジで」
意地悪だと感情的に言った日花里が、暫くの沈黙の後に言った言葉で、捉えていた意味を間違えていたのだと理解した。
それでも、今までが今までだったので、本当にそうなのか自信が持てなかった。
 ラウンジを出た所で、武藤の名を彼女の口から聞いて一瞬にして落ち込んだ自分がいた。
ここにいるのは、違う理由だから?
そう、思って。
泣きたい気持ちに駆られながら、それでも訊かずにいられなかった。
訊きながら、同じ事を何度も聞く自分がバカだとも思った。
けど、彼女の口から出た自分の名前に、一瞬耳を疑った。
それが幻聴ではないのだと認識した瞬間、本能的に体は動いていた。
キスをしても、彼女は受け入れてくれていたし、手も自然に重ねていた。エレベーターを途中で降りても抗議の声などは上げなかったし。

  彼女も同じ気持ちなんだと、思いたい……。

缶ビールをグイッと勢い良く口に注ぐと、視界に入った外の景色に目を向けた。
 夜景がきれいだった。
日花里が夜景を好きそうなのだと、満井に聞いていた。
好きな食べ物だって以前聞いた事を覚えていたのだ。殆どの情報源は勿論、苅谷だったりする。

  苅谷君から教えてもらったとか言ったら、怒るだろうな……。
  苅谷君って、言う事が余計な時があるんだよなぁ。
  だから、あんなに怒るんだろうなぁ、槙田さん。

先ほどの日花里を思い出し敦は思う。
自分の胸の中にいる時が、今まで見た中でも、他の誰かといる時よりも、一番穏やかで彼女らしい姿なのでは、と。

  だって、……可愛い……。
  あー、でも、自分がこんな一面を持っているなんて、初めて知ったなぁ。
  俺って、意外と諦め悪くて頑張る人だったのね……。

そうしてまたグイッとビールを口に入れた。
 それから暫くして、洗面所の扉が開く音がして、心臓はどきっと鳴った。
妙に緊張している自分もまた意外な一面に違いない。
「遠野君、シャワーは?」
この部屋に帰ってきた日花里はそう言った。
「ん?俺のことは気になさらずに」
「そうなの?」
「うん」
顔だけを日花里に向けて敦はそう返事をした。
日花里はソファに座っている敦の所には来ないで、ベッドの布団を上げそろそろと中に入った。
「じゃあ私寝ますー。おやすみなさーい」
そう言って肩まで布団を上げる日花里。
「って、おいおい」
そう突っ込みを入れてみたが、彼女は反応を示さない。
だから、敦はこっそりと彼女の所へと向かった。そして、寝たフリをしている彼女の上に体を乗せた。
「槙田さん?」
それにそーっと目を開けた日花里は、真っ直ぐと見つめる敦と目が合うと笑みを溢した。
「なぁに?」
「いじわる」
「遠野君に言われたくないなぁ」
微笑しながらそう言った唇に重ねるだけのキスをして放すと、彼女は思い出したように声を出した。
「あ、クリスマスのプレゼント用意できてない」
「あー、じゃあ君がプレゼントと言う事で」
組み敷いた彼女を見下げながら言ったら、可愛らしい仕草で言う。
「それって、すんごいベタだよ?」
「いーの。俺がいいって言ってんだから。それに、ずっと欲しかったんだから」
それに、え?と恥ずかしそうな顔をした日花里。
それを見て、敦は口を塞ぎにいきながら台詞を言った。
「もうずっと俺のもん」
普段だったら、どの言葉も口に出来ないものばかりだった。
酒に酔っているから。クリスマスイブだから。やっと手に入りそうだから。もう放したくないから。
だから、口に出来た。それは敦にとっても特別な言葉だった。
 キスを受け入れてくれている日花里を見て、乾いた気持ちが満たされたような幸福感が心の中に確かにあった。そして、相反するかのように彼女を渇望する思いが湧き出てくる。
 もっと自分のモノに。
そんな思いが、敦の体を熱い衝動に駆らしていく。
キスをする度、触れる度に、彼女の顔はもうとろけんばかりで、激情に溺れていこうとする自分を感じた。
「この間みたいに、今日はセーブしてあげられないかも」
「……え?」
「ごめんね」
今もう堪えるのも辛い中、やっとの思いでそう言った。

 彼女をもっと感じさせたくて、もっと可愛い声を聞きたくて、早く繋がりたい気持ちに暴走しそうな自分が信じられなかった。
彼女との時間に酔いながら、口からは彼女への想いが言葉になって出ていた。
こんな、甘い自分がいたなんて。
「……日花里、可愛い……。もっと聞かせて。俺でいっぱいになって」
「……ぁあ、と、の君……、んんんぅ」
身を捩って逃げようとする日花里を敦は放したりしない。尚更快感を送って逃げられないようにする。
「俺の事、離さないでよ……もっと、呼んで」
「ぁあああっ、やぁん」
敦の手の攻めに耐え切れず日花里は声を上げる。
「だって、日花里が欲しくておかしくなりそうだったんだよ……」
二人の夜の時間は始まったばかりだった。


 最後、気を失うように眠ってしまった日花里は、今も敦の胸の中で眠り続けていた。
「呼んで」というのにいつまでも「遠野君」と言うから、その度に攻め立てあげた。
ようやっと「敦」と呼ぶようになった頃には、もう何も分かっていなかったに違いない。

  やりすぎた……。壊しちゃったかな……?
  身を捩って逃げようとするから、ついムキになってしまった。
  ……でも、また離れていかないように、体で覚えさせておけば、さ。

眠っている日花里の頬をそっと優しく撫でた敦の瞳はとても優しい光が燈っている。
「もう、俺のモノ」
心の中では早く起きないかな、と思うものの、このまままだ暫く寝顔を見ていたいと思う思いが交錯していた。
 そして、気がつけばうとうとと眠っていた頃、ようやっと日花里が目を覚ました。
ぼんやりとした目で宙を眺め、ゆっくりと敦に顔を向けた。
眠っているその姿を見て、またゆっくりと瞼を閉じていく。そのまま、敦に背を向けるように横を向くと、のそのそとベッドの端にと体をずらして行った。
だるそうな様子で、外に足を出し、体を起こす。下に落ちている浴衣を拾い上げ身に纏った彼女の背に声をかけた。
「どこ行くの?まだ横になってた方がいいよ?」
「あ……。そんな事言っても、シャワー浴びなきゃ」
枕の上に肘を立て手で頭を支えて、敦は口の端には笑みを浮かべてのんびりと眺めている。
そんな様子を、日花里は背を向けているので気付かない。
そして、立ち上がろうと体を起こし、次の瞬間にはなし崩しの様に地べたに座り込んだ状態になった。
「え?え?」
訳が分かっていないという様子に、敦は起き上がると日花里の所に行った。
「無茶させちゃったから。足に力入らないんだよ」
抱き上げてベッドに戻し、敦もまた隣に落ち着く。
「ついついウブな反応に燃え上がってしまって」
「なっ……、もう最後の方なんて痛いからやめてって何回も言ったのに……」
「ホントウブな体よね」
嬉しそうに言った敦に、日花里は顔を真っ赤にさせて布団の中に潜り込んだ。
「もう!いじわる!」
それに尚更嬉しそうな顔をする敦だった。
布団の上からぎゅうっと抱き締め、よしよしと撫でながら敦は言う。
「可愛い可愛い俺の日花里さん、いい加減俺への気持ち、聞かせてよ」


布団をかぶっていても、敦の温もりが体に伝わってくる。
それだけでも、胸はドキドキするというのに、その上から力強く抱き締められ聞き慣れない甘い言葉を囁かれた。そして問われた。
「可愛い可愛い俺の日花里さん、いい加減俺への気持ち、聞かせてよ」
夕べ、どれだけ激しく抱かれたかイヤと言うほど分かっている。
その間に、どれだけ、甘い言葉を言われたかも分かっている。
恥かしくて逃げようとすれば、より激しく慣れない快感を起こされて、必死にしがみついていた。
……これだけされれば、さすがに認めてしまう。自分は想われているんだと。
日花里は勇気を出して言った。
「……傍にいて、いいの?」
敦の腕から力が抜かれたのを感じて、日花里は顔を出した。
すると額に彼のキスが落ちてきて思わず目を閉じたら声が聞こえた。
「いいよ。その代わり、」
そう言われて、条件反射的に不安に身構えてしまった。
「鍵、今度は勝手に返さないでよ?あれかなりへこむから」
「あ、……うん」
自然と笑顔がこぼれた日花里に堪らなくなって敦は再びぎゅうっと抱き締めた。
「……でも、悔しいから好きは言ってあげないよ……」
「え?何か言った?」
「ううん?初めて、サンタさんからプレゼント貰ったなぁと思って」
笑顔でそう言ったら、敦が驚きに目を大きくした。
それを見て日花里は怪訝に言う。
「何?」
「え?堤さんでもそういう事言うんだなぁと思って」
「……悪かったわね」
思わず笑顔が消え低い声になった日花里。
敦は思わず再び抱き締めた。それは誤魔化しの為。
そして、日花里は思う。

  もう。……まぁ、いっか。
  仕返しは、これから出来るし。

そして押し寄せる幸福感に日花里は目を閉じた。
初めて感じる、不安のない穏やかな時間だった。



後日談。
「うちのグループさぁ、遠野君が頑張ってくれたから、クリスマスイブの休日出勤はそこの仕事なかったんだよ」
「え?そうなの?」
「そうだよ。嘘じゃないよ。まぁ、俺から見ても、すんごく頑張ってたもんなぁ遠野君」
「……。念の為訊くけど、それは、どっちの意味で?」
「……今なら分かる。あれはクリスマスイブを過ごす為だったんだと。そして思う。槙田さんに本気なんだと。あれは俺には真似できんなぁ」
それに日花里はぽそっと反論。
「……真似したら、怖いし」
「ほんと、槙田さんって悪魔なオンナだよ」
「失敬なっ」

 そして、敦と会った時に、苅谷に「悪魔なオンナ」と言われたと話したら、大笑いしていたと言う。
気を悪くした日花里に、笑顔で敦は言う。
「まぁ、俺が分かってるんだから、別にいいじゃん。ね?」
「……そういう事に、しておく……」
そうして二人は、これからお互いの気持ちを思いやっていくのだろう。


2006.2.2完了

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