羽を届けてくれた人

聖夜の贈り物


5、それは曖昧、


「……はぁー」
思い出すたびに顔を両手で覆いため息を吐いた。
本当のことなら頭を抱え込んでしまいたい。
何度思い出しても感じる思いは変わらなかった。
 昨日今日と日花里は仕事をしていても上の空が多かった。
 何度と思い出すのは二日前の事。

 お酒を飲んだ後の朝は、低血圧の症状がひどく「まとも」ではなかった。
「服が変わってないと」という敦の気遣いで一度家に帰れるくらいの時間に起こされた。
だから、頭の中霧状態のままでそこを出る準備をした。
何も働かない頭は、その場を淡々と過ごさせ、事実に気づかないでいた。
 時間が過ぎていくと共に覚めていくと、イヤでも事実が突きつけられる。
ちぐはぐにシーンが頭に思い出されていく。
段々と日花里の顔は青くなった。
何がどうなって朝に至ったのか……。
定かでないにしろ、時間が経って頭が平常どおりに動くようになれば大体の予想はついた。

  あたし、あたし、……どうしよう……?!
  合わす顔ない……!

K社が来訪の時、日花里は使われる会議室には近寄ろうともしなかった。
 書類を他の部署へ届けに行くのに廊下を歩いていた。
もう勝手にため息が零れていく。
角を曲がろうとして、そこに聞こえてきた声に日花里はピタッと足を止めた。
 すぐ分かった。敦の声だと。
足の先まで、指の先まで緊張で手が震えるようだった。心臓は騒がしく鳴り出し汗が噴出してくるようだった。
ぎゅっと腕に力を入れると、その場から走って離れていく日花里。
とある場所で足を止めると、あがった息を整えるように呼吸を繰り返した。
 まだ心臓がドキドキいっている。
落ち着かすように大きく息を吐くと、目的の場所へと歩いて行った。

  えーと、何も憶えてない。
  何も分からない。酔いすぎて、私おかしかった……。

書類を届け終わった後、部署に戻ろうと歩いていた。
部屋に入れば敦と会う事はない。行きよりも軽くなった心で歩いていた。
「槙田さん」
思いもがけず後ろから飛んできた声に、日花里の肩は一瞬ビクッとなった。
驚きながらも振り向いたそれは、日花里らしくないかもしれない。
 そこには真っ直ぐと視線を注ぐ敦がいた。
いつもらしくいられない自分をありありと感じながらも、日花里は言わないではいられなかった。
「あの、この間は、その、ごめんなさい。途中から、憶えてなくて、でも迷惑かけてごめんなさい。あの、ホントに憶えてなくて……」
言い切って去った日花里だった。

 残された敦。少し目を大きくして口は堅く閉じられていた。


  あうあう。喉から心臓が飛び出そう。
  う〜、びっくりしたー。

そのうろたえを引きずったまま、昼を過ごした日花里は重い気持ちで部署へ戻ろうとしていた。
 いつもならもっと早く気付いていただろうに。
前方から歩いて来る数名はK社の人間だった。その距離が1メートル手前ぐらいの所でそこに敦がいることに気付いた。
 はっと気づいた時には、彼もう真っ直ぐと見つめてきて放さなかった。
まるで掴まったように動けなくなった自分の体。
指先まで心臓があるように音をたてている。何も考えられないのに怖いと感じる心だった。
 すれ違い様、敦の手は日花里の腕をしっかりと握った。
その動きにも腕の力にもビクッとなり一瞬で固まった日花里。
そして、日花里にだけ聞こえるくらいの声で敦は言った。
「本当に憶えてないの?」
目の前の視界が彼以外何も映さなくなった。
腕を離しそのまま通り過ぎていった敦だった。
 ……たったそれだけの台詞だった。
なのに、日花里の思考は止まっていた。その場からも動けずにいた。
うるさい心臓に、これ以上にないくらい熱くなる顔が余計に攻めているように感じた。
フラッと顔を向けた先には、外で昼を済ませて戻ってきた満井の姿があった。
「あの、私、今、真っ赤でしょう?」
「うん、すっごくね」
「は、はは……」
力の入らない身体でふらふらと部屋に戻っていった日花里だった。
 生じて止まない自責の念が日花里から離れずにいた。

  もう、倒れそう……。


 それから会わずにすんで数日が過ぎた。
ようやっと平生にいられるようになった頃、ロッカーに向かおうとしている所に満井に会い声をかけられた。
「あ、槙田さん、今晩どう?いつもの飲み屋なんだけど」
「んー?今日ねぇ。行けるよー」
「苅谷は後から来るって。用事済んでからって」
「そう。別にどうでもいいけどね〜」
その素っ気無い言い方に満井は口を開いた。
「そう言えば、苅谷が、槙田さんが冷たいって嘆いていたなぁ」
「ん?気のせいじゃないの?」
分かっていながらもあえてそう答えた。その理由を何度も思い出したくはなかったから。
「そうなの?」
「そうよ」

 いつものメンバーと団欒しながら日花里は笑顔を溢していた。
他愛のない仕事での話をしている頃に、ようやっと苅谷が姿を現した。
「どうにか今日の仕事終わらせてきたよー」
「おーお疲れ」
言葉をかけるメンバーの面々。
それにつられるように日花里も顔を向けてみて、その後ろに見えた姿に瞠目し体を強張らせた。
「ちわーす」
「一緒だったから連れてきてみた。K社の遠野君」
「おー、どうぞどうぞ」
皆に促されて、敦は日花里の向かいの席に座った。
途端に顔を伏せがちになる日花里は、テーブルの下の膝の腕で両手をきゅっと握った。

  な、なんで?遠野君が?!
  え?え?
  か、顔、上げられない!

彼らの空腹をとりあえず満たした頃、何故だか話は女性社員の事になっていた。
「もっと労ってくれてもいいんじゃないのか?」
「苅谷のは調子に乗りすぎだろー」
「そんな事ないー。そんな事ないよね?槙田さん」
「え?そうだよねぇ」
突然自分に話題を振られてとりあえず返答した。
「わー、槙田さん俺には冷たいー」
それが違う意味にとられて内心苦笑もした。
「や、そんな事はないんだけど……」
「いつも素っ気無いしさー」
「そっかなぁ?」

  そんなつもりはないんだけどなー?

内心困った気持ちでいた。だけど、何を言っても聞き入れてもらえないだろう事は分かっているから、あえて何も言わずにいた。それはいつもと同じだった。
だけど、違うものが次の瞬間やってきた。
「結構ね、出てるよ。感情に不器用で表に出せないだけで」
そう紡がれた言葉に、日花里はビクッとなった。
心は「ぎくっ」と声を上げていた。
誰も気付いていないと思っていた事を、敦はさらりと言った。
周りの反応を見るのが怖くて顔を俯かせて日花里は固まった。
勝手に赤くなっていく顔。

  誰も、気付きませんように。
  誰も気付いていませんように。

まるで祈るように日花里は思っていた。
それから尚の事、敦のほうに顔を向けられないでいた。
出来る事ならこの場から逃げ出してしまいたいと……。

 バッグを持って席を立とうとしている日花里に隣に座っていた満井が訊いた。
「どこ行くの?」
「オテアライ」
「あ、はい」
向かいの席から感じる視線に顔を微塵も向けられないでいた。
急ぎ足で店の玄関口へと向かった。
お手洗いはこの店を出た所のフロアの突き当たりにあるからだ。
 鏡で自分の顔を見て、分かってはいたけど声に出して言わずに入られなかった。
「わー、顔赤いー」
両手を頬に当ててみても赤さは取れない。
「……はー」
たまらず出るため息にうな垂れた日花里だった。
 用を終えても、フロアの壁にもたれたまま戻ろうとしない。
壁の冷たさで頬の赤みが取れないかと、もう少し緊張が緩和されないかと待っているのだ。

  相変わらず顔熱い……。
  あーもう、どうしようかなぁ。
  もうこのまま帰っちゃおうかなぁ。
  武藤さんもいないし別に止められたりしないだろうし。
  あ、コート置きっぱなし。
  誰か来ないかなぁ。そしたら、コート持って来て貰う事出来るし。
  うー……帰りたい。

一人で悶々と考えている所に響いてきた足音にようやっと気付いた日花里ははっとして顔を向けた。これで帰れる、と。
だが、それは今一番顔を合わせたくない敦だった。
一瞬にして日花里の顔は努力の甲斐なく元の赤さに戻った……。
「こんなトコで何してるの?」
心なしかいつもより冷たく響いて聞こえる敦の声。目もスッと細められていて、何故か恐怖心を抱いた。
「あ、ちょっと酔い覚ましで。もう戻るから。遠野君お手洗いだよね、そこにあるから。じゃ私先に……」
そう矢継ぎ早に言ってその場を去ろうとしたのだが、行く手を遮るように敦が面前に立った。思わずたじろぐ日花里。
「今度は避けるの?」
はっきりとした言葉に内心ぎくりと震わせた。
それでも顔を上げることはできず、目に入るのは彼の胸元ばかり。
「な、何言ってるの?別に避けてなんか……」
「へー?……じゃあ今日に限って1次会で帰ったりしないよな?」
実はチラリと思っていた事を言われ、尚日花里はぎくりと心臓を振るわせた。
「し、しないよ」
上擦ってしまいそうな返答だった。
それでも顔は上げられず目は俯かせたまま。自然と逃げ腰になっている自分の身体。
「ふーん?」
他に何か言いたげな彼の声にさえ身を縮めてしまう。
だけど、それ以上何も言わなかった。
お手洗いに向かって歩き出された彼の足にほっと力が抜けた時、頭に温かい感触が乗せられた。
「無邪気な寝顔、可愛かったよ」
通り過ぎる間に頭にぽんと手を置き、そう言葉を放った敦だった。

  ぎゃーーー!

日花里の心の中に響いたのは、声には出せない叫びだった。

 緊張をひた隠しにして飲み会の席にいた。
気を緩めれば緊張で指先が震えてしまいそうだった。
緊張したままアルコールを飲んでいく。
いつもならもっとゆっくり飲んで2、3杯でやめているのに。
場所は2次会へと移りカラオケにいた。
出来る事なら1次会で帰ってしまいたかったが、敦のあの言葉が忘れられず怖くて家路につけなかった。それに、いない間に彼らに何かを言われる事に恐れも感じて。

  だめだ……。冷たい空気吸いに行こう。

見るからにふらふら……、としながら部屋の外に出て行った。
 素面であれば、外の冷たい空気に震え上がっているのに、今は反対に火照った顔には気持ちよかった。

  私、おかしい……。
  あからさまにおかしい……。
  落ち着け、落ち着くんだ。

深呼吸を繰り返し必死で平生に努めようとしたのだが、酔いは確実に身体を侵食していった。理性が段々と失われていく。そして、自分の望む事以外考えられなくなっていく。
急速に視界が狭まれて行く感覚だった。

  あ、やばい……。

誰かが様子を見る事もなく、敦が来る事もなく日花里は暫く一人でいた。
自分で感じる限りで、頬の熱さが取れた頃に部屋へと戻っていった。
酔いが回り視界が狭まれても、目の端には敦の姿が映っていた。
彼は今日花里と同じ部署の女性と横に座り会話をしている。
目の端の捕らえただけのその光景。日花里は決して顔を向けず自分の中にこもっていく。
心の中では、逸らしたいどろどろとした感情が渦巻いていた。

  ムカムカする……!

飲み込まれたくないそれに必死で抗いながら日花里はその場を耐えていた。





 カラオケで延長した時間の消化もし、部屋で話していた延長線上でY社の女性と店の外に歩いていた。
「遠野さんってお幾つなんですか?」
「んー、槙田さんと苅谷君と一緒」
「そうなんですか」
そこで鳴り響いてきた携帯電話の着信音に、反射的に顔を向けた。
カバンから電話を取り出した所の日花里と目が合ったのだが、すぐぷいっと顔を逸らされた。頭の中に「?」が浮かぶ。
あっという間に店の外に出て行った彼女はそこで電話に出たようだった。
敦の耳に届いてくる日花里の声。
「お疲れさまねー。……今から来るの?3次会あるみたいだよ。……ううん、私は帰るけど。……そう?え?24日?休日出勤確定。武藤さんもでしょ?ははは。そっちの方がいつも時間遅いくせに。えー?またそういう事言って。まー昨年同様お互い仕事頑張りましょ。……はいはい。じゃ月曜日会社で。はーい」
そう言ったところで男性社員から声が飛んできた。
「槙田さーん、次、○○―」
返事をするように片手を小さく挙げ微笑を見せた日花里だった。
それをみて声を放った一人も、他のメンバーも次の場所へと足を進めて行く。
敦も倣って足を進め始めた。
だが、何かが気になって次の場所へ向かう事を躊躇い、ゆっくりと足を止め彼女がいた場所へと顔を向けた。そこに彼女の姿はなかった。
一瞬驚きの色を浮かべた敦。
だがすぐにその場から足を動かす。多分、彼女が向かったであろう方向に。
急ぎ足で道を行き角を曲がると、その通りの向こうに日花里の姿を見つけた。
その場所まで走ったのであろう彼女はあがった息を整えているようだった。

  ……最後に言った事、怒ってるのかな?
  だから、顔合わせてくれない?
  追いかけて、普通に名前呼んでも無視される可能性、大だよな……。

数瞬の間、考えこんでから足音を立てないように日花里の元へと早足に向かっていった。
顔は自然と意地悪な笑みを浮かべている敦は、ある程度近くなった所ではっきりとした声を放った。
「堤さん、堤日花里さん」
静寂な中、突如として聞こえたそれに、無防備な表情で振り返り声を出した日花里。
「はい?」
思わずにっと笑みを浮かべてしまう敦。
目が合った彼女はあっという間に総てを固まらせ驚きに目を大きくした。
予想よりも成功のそれに、敦は嬉しくて笑みが止まらない。
「嘘!!うそうそうそうそ!」
真剣に驚き慌てた彼女の姿を何人の男が見る事が出来ただろう?
忽ち目に涙を浮かべ始めた日花里に気づき敦の心はギクッと声を上げた。
次の瞬間には、向きを変え走り出そうとした姿を見て我に返り即座に彼女の腰に腕を伸ばした。しっかりと捕らえた彼女を両腕で閉じ込めて温もりを感じた。
「とっ……!なっ……!」
あまりの出来事に言葉がちゃんと声に出ない様子の日花里に敦は平然と言う。
「また人から逃げようとするから」
そう言っている間にも、必死に抵抗して抜け出そうと試みる彼女。
逃げられないようにとしっかり腕に力を込める敦。
すると、日花里の体から力が抜けたのを感じた。
「……逃げないから、放して下さい」
「えー?反対に抵抗してもらった方が、こうぎゅっと出来て、うれ……」
「遠野君。」
「はい」
強くハッキリと言われた声に素直に応じてしまった。
背中を向けていた日花里はゆっくりと向きをこちらに向ける。
それでも敦は不意をつかれて逃げられないようにと片方の腕を掴んだ。
それに諦めたように息を吐いた日花里。
「……最初から、気付いてたの?」
いつもよりトーンの低い声に気付きながら普通に答えた。
「最初からではないよ。最初は可愛い子がいるなぁと思ってたから」
「そんな冗談はいいの。……絶対気付いてないと思ってたのに……」
あえてそれには答えないでおいた。

  冗談、ねぇ?
  いつもそうやって流されるな。

顔を伏せたままの日花里は口を開く。
「驚きのあまり酔いも冷めたわ。……3次会、行こうかなぁ」
帰る気も失せたらしいその台詞に、敦は笑みを浮かべると嬉しそうに言った。
「まぁまぁ。思い出話に花を咲かせに行きましょ。はいはい」
軽く腕を引っ張るようにして日花里を促した。
諦めたように息を吐き歩き出したのを見て、掴んでいた腕を離しそのまま下に下ろして手を繋いだ。それに日花里は何も言葉を溢さなかった。
替わりに紡がれた言葉があった。
「ねぇ、いつ気付いたの?」
「その話は後でゆっくりね」
笑顔でそう言い何も答えようとしなかった。
いつでも手が外れるようにと全く手に力を入れず指先を伸ばしたままなのを見て敦は少々素っ気無く言う。
「逃げたら卒アル会社に持ってくから」
それに日花里はビクッと肩を震わせた。

 敦は繋いだ手を一向に外そうとはしなかった。
それについては、先ほどの足掻きで日花里は既に諦めているらしく何も言わない。
電車に乗りとある駅で降り、そこから歩いて数分の所でようやっと顔を上げた日花里だった。その後すぐ繋いでいる日花里の手に力が入った。
「……ここって、……」
溢すように言った日花里。
自然と足が止められた二人の前に見える建物は、敦が住んでいるアパートだった。
敦は何も気にした風でなく足を進める。だが、動こうとしない日花里に、変わらない笑顔を向け敦は言う。
「ゆっくり話をするにはうってつけの場所デショ。それともホテルの方がいい?」
「そんな事言ってない!」
ムキになって否定する日花里に思わず笑いを溢した敦。
「じゃイーでしょ」
「……でも」
それでも不安そうに言う日花里に、敦は意味ありげに目を細めながら言う。
「身の保障は過去に2度もされてるでしょ」
それに言葉を返さない日花里を見て部屋へと向かいだした。

「はい、どーぞ。あがってください。散らかってるけど適当に」
開けた扉の中に日花里を先に入れると、ようやっと手を放した。
「……お邪魔します……」
しぶしぶと言った様子で靴を脱ぎあがっていく。
敦は上機嫌で扉を閉めて鍵を閉める。
 部屋の電気をつけ全てがはっきりと見えるようになると、テーブルの上に視線を止めた日花里は驚いた様子で口を開いた。
「これ……」
中学の卒業アルバムだった。
「ああ、それ」
手に取ろうとした敦を見て、日花里は慌てた様子で奪い両腕に抱き締めた。
それに半ば呆れながらも声を出す敦。
「皆同じの持ってるんだから。それ俺のだし何度も見てるんだよ?」
「でも、目の前で見られるのはイヤー!絶対イヤー」
「はいはい。じゃあ、どこぞに仕舞っておいて下さいな」
「うう。とりあえず目のつかない所に……」
敦の部屋であるにもかかわらず、素直に今目のつかない所に置く日花里だった。
 敦は思わず苦笑しながら冷蔵庫に行き、缶ビールを2本取り出して戻っていく。
「はい、どーぞ」
「ありがと……」
1本を日花里に差し出し、もう1本をテーブルに置くと、背広を脱ぎネクタイを外してからテーブルを挟んで隣に座った。
いつもと変わりなく目を向けてみても、彼女は顔を伏せがちで目を合わせようとしなかった。
 ゆっくりと進む時間に身を任せながら、敦は他愛ない話から始める事にした。

 それから、日花里の緊張も取れた頃に昔の話をしだした。
「中学の時の俺って、どんなだった?」
最初、「中学の時」と言った時、日花里の肩がビクッと震えたが、敦の話だと分かると少し安心したような表情になった。
「えーと、1年の時は元気な子っていうイメージが強かったかな。それからは、カッコ可愛いって思ってた」
最後の台詞は笑顔と共に言われて、何だかくすぐったい様な照れくさいような気持ちになった。照れ隠しにビールを口に運ぶ。
「それで、実際山本とはどうだったの?」
「だからぁ、なんで山本タケルが出てくるの?」
少し気分を害したような顔で言った日花里にあっけらかんと答える。
「だって、当時もっぱらの噂だったもん。周りの奴らが、あの2人は付き合ってるって」
「違うー。塾が一緒でクラスも一緒だったから。塾で同じ仲良いグループだったから」
「へー。その割には山本だけに笑顔向けてたんじゃないの?」
「なんで?」
「なんでって、……傍から見ても笑顔可愛いと思ったから」
どこか拗ねたように言った敦。
様子を窺うようにチロリと目を向けてみれば、頬を赤くして目を伏せている日花里に何ともいえない想いが膨らんでいくのを感じた。
「今の俺の事、どー思う?」
彼女への、少しの切ない気持ちと嬉しい気持ちが重なって後押しして口からそう言葉が出ていた。
日花里の目が驚きに揺れた後、目を合わせる事無く言った。
「さぁ、どうだろ」
「……微妙にさ、普段俺の事避けがちだよね」
「……そんな事は……」
目を伏せてそう弱々しく口にした日花里。
そんな姿にやるせない気持ちになり小さく息を吐いた。
「槙田さんは俺の事嫌いなんだ」
「ち、違うっ」
慌てた様子で顔を向けて言ったその姿は本心だったろう。
日花里を見る敦の顔には笑顔が浮かんでいた。それを目にしてはっとする彼女に敦は言う。
「あとさ、24日の事考えてくれた?」
「え?休日出勤って言ったよね?」
「……。その後のこと、本当に覚えてないの?」
見る間にか〜と赤くなる顔で頼り無さそうに声を放った日花里。
「あの、お、憶えてなくて……」
「ふーん?」
そんな様子に目を細めてそう声を出した。
彼女は赤い顔を伏せてぎこちなく身体を小さく固めている。

  だめだなぁ。気持ちを聞くと決まってヒク態度とる……。
  嫌われてはないと思うし、と言って何とも思われていない訳じゃないと思うんだけど。
  俺だって、軽い気持ちで家にあげたりしない……。
  だけど、男だし下心はある。
  けど、ホントに見込みないんなら、なぁ……。

「そう言えば、そっちの会社の常務ってさ面白い人だよね」
まるで何もなかった笑顔で話題を振る敦。
「ああ、田所常務?」
「うん、そう」
安心したような笑顔で応える日花里に、敦はそっと微笑んだ。
暫しの間雑談に転じていた。会話をしながら笑顔を見せる日花里に内心喜びながら。
「あ、そう言えば、K社の開発部の主任さんってカッコイイ人よね」
笑顔で突然そう言われてハタッと止まった。そんな自分に気付いて慌てて平生なフリをしてビールを口に運ぶ。
「主任、うん、そーだね」
「結婚指輪ちゃんとはめてるの見てなんか納得しちゃった」
「年上が好み?」
相手が日花里でなければ、こんな事訊きはしなかっただろう。
日花里の口から誰かの事を聞く度、自分はどうなのだろう、とそんな事ばかり思ってしまう。
「好みっていう事はないけど、年下に比べればまだ」
「へー。どんな人が好み?」
「……え。あんまりそういう事って考えた事ないから……」
途端に日花里の口調は弱々しくなる。伏せがちになる目に反するかのように行動に出た。
「俺はどう?」
自分の左手で、彼女の右手をしっかりと握ってそう訊いた。真っ直ぐな目を向けて。
身動きが取れなくなりながら、日花里はうろたえながら言う。
「ど、どうって……」
「前にも聞いたけど、俺の事どう思う?」
「と、遠野君……」
困ったようにそう口にした日花里に、眼差しも手も緩めない。
「答えてよ」
強い口調で圧す敦に、日花里は顔を逸らして頬を赤くして言う。
「訊いてくるばっかりで……、そんなの、ずるいよ……」
そう恥ずかしそうにした姿は、容易く敦を衝き動かした。
繋いだ手で彼女を引き寄せて、もう片方の腕を伸ばし抱き締めた。
彼女の温もりから伝わってくる、声にならない驚きに尚ぎゅっと抱き締めた。
繋いだままの手から、固まった手が緊張を伝えている。
急ぎ足のように駆け抜けていく鼓動は一体どちらのものだろうか。
それすら今の敦には判別出来なくなっていた。
「……あ、の……」
弱々しい日花里の声すら、敦を煽るものになって衝動は押し止まりそうになかった。
片方の手を日花里の後頭部に当て自分の方に向かせ、そのまま唇を重ねた。
その温かく柔らかい感触が甘い電流と痺れになって体を駆け巡っていく。
自分の動きに促されるように彼女の唇が開くと、そのままゆっくりと舌を絡めていった。
彼女の吐息と自分のが混ざり合って溶けていく。身を任すように力の抜けた彼女の体で、受け入れられているんだと認識した。
 心臓があまりにもドキドキいって気が遠くなりそうな自分の意識を感じてゆっくりと顔を離しとりあえず彼女を自由にした。
そっと目を開けた彼女。
目が合うと照れた様子で戸惑いながら目線を下に向けた彼女。
心の中に温かくてくすぐったい気持ちが広がっていく。
 そう、見事に敦は日花里に惚れている。
微妙な緊張と沈黙がその空間を覆っていた。
日花里のその恥ずかしそうな仕草にも、どうにかなってしまいそうな自分を感じていた。
心の中では、想いをどうにか言葉にして口にしなくてはと思うのに、中々声に出てこない。
敦が躊躇っている間に、日花里は一瞬にしてはっとした顔をし部屋の掛け時計に目を向けた。
それに冷たいものが心臓を掴んだ感覚が身を襲った。
「もう、こんな時間……、私、帰らなきゃ」
そう言って立とうとした彼女の腕を掴んで言っていた。
「帰すと思う?」
「あ、……は、なして」
「放さない」
意志の宿った強い眼差しを真っ直ぐと日花里に注いでいる。
それにも彼女はうろたえを見せているようにも見えた。
「……な、何もしないって、入る前に……」
「そんな言葉は一言も口にしてません」
スッパリはっきり言った敦を、最初はあぐっと口を閉じたがすぐ非難めいた目を向けてきた。
「と、遠野君っ、ずるいっ」
「男が部屋に上げるのに何もないと本気で思う?」
「……っ、私じゃなくても、遠野君なら他に」
 会った時には、必ず耳にするニュアンスのそれに、苛立ったものが心に沸き立つ。
それに乗るように彼女を引き寄せ、強引とも言える位の流れで抱き上げてそのままベッドの上におろした。
「……あ……」
不安な色をいっぱいにした瞳を向けてくる日花里に、小さくも胸の痛みを感じながら敦は揺らぐ事無く言った。
「槙田さんだからだよ」
「……遠野君……」
揺らいだその瞳は何の感情からなのか敦には分からない。
だけど、敦は微笑を浮かべて言う。
「普段は隙を見せない、ように見えるけど、……無防備だよね、実際は」
驚いた目を向けてくる日花里に敦は身を近づけていく。
それに反して身を引いていく彼女に、とても優しいけれど熱い目を向けた。
途端に、惚けたように動きを止めた日花里にキスをして、そのままゆっくりと押し倒した。
 彼女の潤んだ瞳と赤く染まった頬が敦を熱くさせる。

  それで煽ってないって言える……?
2006.1.14

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