時の雫-other/辻谷聡 高1

冷たい声



「聡、春日来てたよ」
9月、高校での学園祭で同じ中学の奴にそう言われた。
まるで報告するのが義務のように。

「ほんと。一人で?」
普通、他の友達とかと一緒に来るよな?単純にそう思ったから聞いただけだった。
「いや、そこまで見てない。…何かあった?」
だが、相手はそう取らない。邪推をする。どんな一言でも、普段と変わらない言葉でも。
「……、別に周りが期待するほど何も無いし。なんか、女の子らしいって感じの子だしなぁ」
自然と湧き出る感情をよそに置いて、普通にそう言った。
その台詞は、周りが思っていることに反するように言ったものだったんだ。
いつも、周りに何かを言われる事に内心イライラしていたから。

だが、相手は真意に気づくことなく言う。
「いやぁ、結構元気な子だけど?」
「あんまり俺、中身知らないから」
それは俺なりの遮断。相手は気づいていないだろうが。
「でも、気ぃあるんなら付き合ってみたらいーじゃん」
「別にこっちから言うほどでもないしなぁ。きっかけもないし」
周りはいつだってそんなふうに勝手な事を言う。第三者だけの勝手な意見。
当人の気持ちなんて無視した意見。
いつもそればかりだ。
 高校に入って一人になっても、周りの言うことは変わらなかった。
相変わらず、俺の気は晴れない。




今、教室の窓の外は、寒い風が枯葉を転がしていた。
空はどんより雲。日差しが届くことはない厚い雲に、気分までも重たくなってしまう。
「ふぅ」
一人で頬杖をつきながらため息を零していた。


「なー、辻谷ぃ」
そう声を掛けられて現実に戻った辻谷 聡はクラスメイトに顔を向けた。
相手は高校で初めて一緒になる橋本 樹だった。
「なんだ?」
「さっきから、廊下の所からこっちを見てるのがいるんだけど?」
そう言われて樹が指差すほうを見て、どっと気分は重くなった。
 聡が見たのを機に、その生徒は嬉しそうな笑顔を浮かべると意気揚々と中に入ってきた。
「はぁ」
思わず出したため息に、樹は訊く。
「誰?」
「あいつ、腐れ縁の川口」
「そう言う顔は嫌そうだな」
「まぁな」
そう言葉を交わしているうちに目の前に来た川口に聡は低い調子のまま声を放った。
「どうしたんだよ。こんなとこまで来るなんて珍しい。……教科書でも忘れたか?」
「ん?いや。どうしてるのかと思ってさ」
「……ふーん」
ひどくつまらなさそうに口にした。
「だって結局部活にも入ってないんだろう?」
「ああ。なんかやる気がおきなくてなぁ。お前は?」
「おれ?硬式テニス部入ったよ。あと戸山もいる」
「ふぅん。他は?」
「あと何人かいたかなぁ。聡は入部すると思ってたんだけどなぁ」
「……」
その笑顔が聡には鼻についた。早く休憩時間が終わってくれないかとも思った。
「あれ?でも部活に何も入ってないということは放課後自由って言うことだよな?」
「……そーだな」
自然とトーンの低くなる声。
「へー」
一人でそう言いながら楽しそうな顔で聡を見ている。
聡はちらっと川口を見ただけで違う方向を眺めた。
「じゃあ、放課後に時間が出来たって事は、あの子とデートしてるって事?なんだかんだ言ってうまくいっちゃったわけ。聡も素直に言えよ〜」
「違うよ、ばか」
最後の一言にはやけに重さがあった。
だが、川口はそんな事も全く気にせずに口を開く。
「だったら何でだよ?」
「……さっき言っただろ。やる気がおきないんだって」
「そのやる気ってさぁ、あの子のことを考えてるからってこと?」
その台詞には深々とため息を吐いた聡。
川口は何でもかんでもそれに繋げたがる。元々余計なお喋りをしない聡は何かを言われるのも言うのも億劫に感じていた。特に目の前に居るこの人間には。
ノリの悪い聡を感じてか、川口は傍に居る樹に気づくと、楽しそうな顔になり話し出した。
「こいつさぁ、中学時に1人の女子に熱烈に好かれててさぁ。その子っていうのがまた」

 ― ……全く。こいつは昔っからこうだ。何でも吹聴したがる。人の話は聞かない。聞いても自分の都合の良い意味でしか捉えない ―

嫌気の差した顔で深いため息を吐くと、遠い向こうに目を向け意識を手放した。
 それから意識を元に戻したときは、川口がやっとこの場所から去ったときだ。
「……やっと行ったか」
ぽつりと呟いた聡に、樹は少しばかり引きつった様な顔で口を開いた。
「今の話ってどこまでが本当?」
樹の反応は今までのどの人間のとも違った。それが自然と聡の口を開かせた。
「俺は別に本人から話を聞いたわけじゃないけど、好意を持たれているってのは自惚れではないなぁと。でも、そんだけだよ」
「は〜、そっかぁ。しかし、あの川口って子、命知らずだよなぁ」
「まぁ、あいつの口は命知らずだな。どれだけ痛い目見ても」
「いやぁ、おれさぁ、実は春日と同じ小学校なんだよね。しかもタカ、……え、と、戸山と3人で遊んだりとかして。あの川口って子、知らないって事は幸せだよなぁ」
「……へー」
初耳だな、と心の中で呟いた。でも、と頭の奥底で声が聞こえてくる。そんな話を他所から聞いたことがあるような、ないような……。

 ― まぁどっちにしろ、俺には関係ないか ―

「……はぁ」
それでもため息が零れるのはどうしてだろう。


教室の窓から見える空を眺めて、聡はぼんやりと思う。

 ― けい、元気にしてるかな ―

中学3年間同じテニス部だった。2年時では同じクラスになり尚親しくなった。
不思議と気が合うというか、一緒にいて自然に楽しかった。あんまり好んで人とつるまない聡だったが、その人間だけは違った。
高校は別々だから、今はあの頃のように時間を持てなくしまったが。




 中学3年の3学期、本命の公立校の願書を担任に出し終えて暫く経った頃、久々に家に遊びに来た。その日の帰り際だったと思う。
「卒業式が終わったら入試だな。その前に願書出しに行くんだったっけ。あれっていつだった?」
という台詞を投げたんだ。
そうしたら、けいは「あー……」とちょっと言いにくそうな顔をして、数秒のためらいが見えた後、――それまでのためらいは嘘のような様子で言った。
「俺、南藤受けるんだ。多分、……言ってなかったよな?」
「おう。聞いてないと、思う。へー、いつのまにそんなに頑張ってたんだ?いやらしい奴だな」
「な……。人をむっつりのように言うなよ。兄貴がさ、南藤出てるんだよ。それもあって自然に」
「ふうん。そっか。頑張れよ」
「おう、お互いにな」
そう笑顔で言い合ってけいは帰っていった。
 俺の前、いや、人の前では普通にしているから、そのままの延長線で行くのだと思っていた。
そっか、努力、してんだな。
確か、そんな事を思ったと思う。
まぁ、人前で努力なんてもの、見せるものじゃないんだろうけど。
普段からけいは自分の中にあるものを易々と人に見せるような真似はしなかった。
だから良かった。人に見せ付けて自慢するような奴はどちらかというと嫌いだったから。
けいは、自分の立つ位置を変えないで、さらりと人をフォローしてみせる。押し付ける事もせずでしゃばる事もせず、さりげなく人に気を使うあたり、「うまいやつだな」と思っていた。
そういうものが俺にはなくて、少しばかり憧れもした。多分、ないものねだりで、けいの事を気に入っているんだとも思う。

 今あいつは何をしてるんだろう。

ふとそんな事を思ってしまう。そして、今日当たり、夜にでも電話してみるか、と思う。




 ……ふと、無作為に過去の出来事が頭を過ぎった。
それは中2の初めの頃。二人が一緒にいるのが当たり前のようになって来た頃だ。
「あの子の事、気になってんだろ?」
そう静かに言ったのは圭史だった。
 毎日必ずクラスに姿を見せる美少女がいた。その時ばかりは、クラスの男子共がいつもより活気付いていた。
ひっそりと視線を向けている方向は、聡と圭史がいる所で、そんな時は二人とも自然と知らん振りをしていた。
「え?それはそっちだろ」
圭史はちらりと聡に目を向けるとあっけなくとも取れる口ぶりで言った。
「別に。あの子が見てるのは俺じゃないよ。で、そっちは?」
「……うーん?よく、わかんねぇ」
「……」
それでその話は終わってしまった。その後もその話をする事はなかった。
 結局、いつからか圭史には彼女が出来ていて、うまく言っているのだと聞かされていた。


 いつもならそんなに物思いにふけることはなかった。
だが、一定期間の間を置くと、忘れた頃に何かを考え込むときがある。
別に考え込んでも考え込まなくても日常に差が出ないものなのだが。
 川口との付き合いは小学校の低学年の頃からだった。
あの性格の少し歪んだところは、あの頃から見え隠れしていた。
それでも気にしなかったのは、聡の元々物事を考え込まない性格のせいもあったし、幼い頃からの付き合いだから流す事に慣れていたからだ。
こちらからは好んで寄る事もなかったが、気が向いたようにふらりとやってくる川口だった。だから、自然と気にせず友達でいた。
 ただ、中学に上がってからは、あの性格に輪がかかりかなり嫌気を感じるようにはなっていた。
そんな中で、けい、―瀧野圭史の存在はほっとするものになっていた。
あの子供じみたような人間を、同じように流してみせる圭史は、初めて、自分と同じ位置にいる人間にも感じた。
 中学時代一緒にいた圭史は、まだ幼さの残る顔で一緒にとある行事の時にはしゃいだり、テニスの練習でもうまくいったときはぐっと小さく手でガッツポーズをして喜んでいたりした。ただ、兄弟の真ん中である圭史は、我慢する術に長けていたように思う。
どちらかという穏やかにいて、心の激情を見せる事はしなかった。
だから、我慢している、という事を気づかせない。
それでも聡が気づいたのは、ふとした時に圭史が零すため息や些細な表情を見ることがあったからだ。他にも、ぽつりと本人の口から零れる言葉を聞かされることも多々あったから。
川口のあの口は、大概の人間なら嫌になる。中傷された人間が頭に来て喧嘩になったことも何回かあった。だけど、懲りない奴だった。

 ― こいつは何が楽しくて生きてるんだろう…… ―

目の前でいつものように意気揚々と喋りまくる川口から視線を離して聡はそう思っていた。
憶測だけで喋っている。良く知りもしない人間の事を面白おかしく言って一人楽しんでいる。それで、本当に何が楽しいと言うんだろう。
川口が言う事に反論でもすれば、他所で何を言われるか。気持ちはげんなりするばかりで、付き合いが長い分、怒るという発想も浮かばなかった。
 そして、一番川口のそれがひどかった頃。
練習が始まる時間までまだ時間があった日、教室で着替え終えていたテニス部員はそのまま時間を持て余していた。そこにいるのはそのクラスと隣のクラスの生徒、テニス部員だけ。
相変わらず良く動きまくる口にその場にいた人間は辟易していた。
今日のテーマは美少女とも称されている春日美音についてだった。
よくもまぁそれだけ好き勝手な言葉が飛び出るもんだと感心すらする。
顔を引きつらせているのは、その春日美音と同じ小学校という人間。
聡は嫌気がさしてほとんど話を聞いていなかった。
 別にこれだけ川口が好き勝手な事を言い、どんなに悪く言っていたとしても、聡の中で彼女のイメージが悪くなるという事はなかった。ただ、これだけ聞きたくもない話を聞いていると、彼女の話は自然と聞きたくないと感じるようになっていた。
……そんな聡の視界の端に圭史は静かに座っていた。机に頬杖を突いて俯いているから表情は見えない。でも、いつもと雰囲気が違う事だけは察する事ができた。
密度が増している、というのだろうか。
それに少しばかり怖さを感じた時、川口は耳障りな声で耳障りな言葉を放っていた。
よくもまぁそこまで春日美音を悪く言えるもんだ、という内容だった。
たった一度見た場面だけで、勝手な推測。
「ほんと、面白すぎて腹抱えて笑いそうになったわ」
一人楽しそうに言った川口に、ぽつり、と声が聞こえてきた。
「……いい加減にしろ」
その台詞自体、何の珍しい言葉でもない。
だけど、まるで初めて聞いたような声に聞こえた。とても冷たい声に、聡は本能的に「あ、やば」と思った。
だけど川口は笑った顔のまま、声を放った圭史に顔を向けた。
「え?」
それを見て、聡もつられたように圭史に顔を向けた。
……先程と変わらない格好をしていた。だけど、纏う空気だけが重さを増している。
「なんだよ、あの女を庇う訳?それってさぁ、気があるって言っているようなもん……」
さすがの川口もそこで口を止めた。
傍で見ている聡でさえ、横から目を向けた圭史の眼差しに背筋が凍る思いをした。
「そういうことじゃないだろ。お前が言っている事は、この場にいる全員の気分を害してんだよ。そして、おまえ自身の価値を底値にしてるって分かんないくらいバカなのか」
静かなのに恐ろしいほどの冷気。
それに対しても多少どもりながらも川口は反論を試みた。
圭史はその場をすくっと立ち上がると川口の胸ぐらを掴み、半ば引きずるようにして壁にだん!と追いやった。そのすぐ隣は空きっぱなしの窓。ここは2階。余裕で下は見える。
川口の顔が引きつった。
「お前の話は聞くに値しないんだよ。俺ら全員胸糞悪くなるんだよっ。毎度毎度低レベルな話ばかりしやがって。分かってんのか!?」
その場は耳が痛くなるくらいに静かになっていたから、そんなに大きくない声でもその場の人間の頭に良く届いていた。当人たち以外の人間は硬直したように動けなかった。圭史のそんな姿を見るのはとても意外だったから。
見た目が大人しそうな人間ほど怒ると怖い、という話は嘘ではなかったんだと知る瞬間だった。
その後の二人の言った台詞は、今はもう思い出せない。
あまりにも驚いたから、その衝撃ばかりが記憶に残っている。
その後圭史は荷物を持って先に教室を出て行った。
 まだ時間早くにコートに行った圭史。聡は川口たちを残してそこへ向かった。
横に立った聡に、ポツリと圭史は話した。
「……あの子さ、何かに傷ついて堪えられない時、誰も来ない場所で、一人で泣いてんだよ。きっと、一番つらいの、あの子だと思うよ……」
「……そうだな」
そんな言葉しか口から出なかった。
何もない遠くの風景を眺めながら言った圭史の顔が、何とも言えない表情だった。
いつも隣にいる見知った顔が、少しだけ知らない人間に思えた。まるで先に大人になってしまったようなそんな錯覚さえ感じた。
手の届かない何かを思う時、と、似たような心情に思えた。
 今、隣にいるこいつは何を思っているんだろう、漠然と思った。
だが、それを聞くことは憚られた。聞いてはいけないことのように感じたし、聞いてしまえば、自分の首を絞めることになるような予感がして。
「……彼女とうまくいってんの?」
ぽつり、とそう訊いてみた。
「うん?いってるよ」
いつもの見知った笑顔でそう答えた圭史に、なぜか聡はほっとしたのを覚えている。
「ふぅん、新しいゲーム買ったんだけど、じゃあ次の日曜とか……」
「彼女との先約なんだ。土曜ならあいてるけど」
「じゃ、土曜で」
 その後、圭史は川口たちに普段どおりの態度で接していた。それはそれ、これはこれ。という風に。見事なもんだな、と傍で見ていて聡は感心していた。
自分だったら当分の間は尾を引くだろう。
そんな圭史の態度に一番救われていたのは川口だっただろうが。




 夜、親友の圭史に電話をして暫くぶりに弾んだ会話をした。
その会話の中で「今付き合っている子がいる」と聞き、小さく胸が鳴った。
だけど、その理由を聡自身分かる事はなかった。
「女子テニス部の1つ上。結構美人だよ」と聞き、「自慢話はいい」と面白くなさそうに答えた。
 圭史とのお喋りを楽しいと感じる中で、頭の片隅ではあの時に聞いた圭史の冷たい声が未だに響いていた。
そして、今でも心に残っている。
――「一番つらいの、あの子だと思うよ……」という圭史の台詞。
 まるで意味不明の自分の感情に、聡はあの頃から気づかないままだった。
解き放たれたいと思うのに、纏わりつく何かにため息を零さないではいられなかった。

2007.10.22
あとがき


  素材:工房雪月華 タイトル: