時の雫-other/5周年企画(拍手お礼掲載品)

狙いごと




一人で気ままな買い物を楽しんでいる美音はのんびりと見回っていた。
生徒会もなく、バイトもなく、宿題も在校時に済ませている。問題集を買いに行くついでに足を伸ばし大きなデパートに来ていた。
 普段だったらあり得ない様な偶然。
美音はそれに気づいた。
見覚えのある姿。距離はあったが、買い物をした紙袋を数個持って商品を見ている女性を目にして、美音は足を止めた。
そして、早歩きで近づいていき、声をかけた。
「おばさま?」
一メートルも無いような距離なので、その女性は振り向き、美音を目にすると笑顔になった。
「美音ちゃん!まぁどうしたの?」
「問題集を買いに来ていて、そのついでに足を伸ばして寄ってみたんです」
「凄い偶然ねぇ。一人?」
「はい。母は今日は仕事で、妹はまだ帰って来てなかったし……。おばさまも?」
「そうなのよー。うちの息子たちは買い物にも付き合ってくれないから。前は、ヒロは一緒に行ってくれたんだけど、最近は嫌がるようになっちゃって」
「圭史君もですか?」
「圭史は毎日練習でテニス漬けだから、付き合ってくれる時間が無いのよ〜」
「テニス部は毎日練習がハードみたいですもんね」
「まぁ元気だったらそれでいいんだけど。息子しかいないとこういうとき淋しいのよね」
「そう、ですか」
「あ、そうだ。美音ちゃん、まだ時間ある?」
「ええ、今日は予定無いので時間なら」
「なら、買い物付き合ってくれないかしら?服を選ぶのも一苦労で困ってたの」
「私なんかでよかったら」
「美音ちゃんと買い物できるなんておばさん嬉しい」
「そんな・・・・・・」
恥ずかしそうに頬を赤くする美音を見て、圭史の母は尚笑顔になった。

「こっちの服とこっち、どっちが良いと思う?」
圭史の母が指を指す服を見て、美音は「うーん」と考える。
「そうですねぇ、こっちの方が普段着易いかも。あと、それとは全く違うんですけど、この服、似合いそう」
服を見ながらにこっと笑顔になっている美音。
「じゃあ両方買っちゃおう。次はねー」
るんるんと圭史の母は買い物を楽しんでいる。
美音は嫌な顔一つせず、疲れた顔にもならず、終始変わらない様子で買い物に付き合っていた。
「美音ちゃんのお陰で、頼まれていた物と予定の買い物、全部済んじゃったわー」
「いえいえ、私の力では・・・・・・」
「いつも決めるのに時間かかっちゃって、何度も足を運ばないといけなくなっちゃうのよ。本当、助かったわ。じゃ、休憩しましょ。休憩」
楽しそうに笑顔で言われて美音は笑顔で「はい」と頷いた。

「美音ちゃんは買い物は一人で来ることが多いの?」
「一人のほうが多いですね。お休みの日に家族で買い物に行く事はあるけど、友達と行く回数は少ないかな」
「生徒会で忙しいのよね。いつも美音ちゃんのお母さんが言ってる」
「・・・・・・なんか、変なこととか言ってません?うちの母」
「ううん、出来た娘で反対に頼りにしてるって言ってるわ」
それには頬を赤らめて美音は言う。
「そ、ですか・・・・・・」
圭史の母は笑顔になり紅茶に口をつけてから言う。
「学校ではどう?うちの子とか」
「圭史君ですか?」
「うん」
「圭史君は、テニス部で副部長なので、いつも部長をサポートしてます。二人仲が良いので、色々と楽しそうです。委員とかの仕事も、割とそつなくこなしてくれるので、生徒会としてはいつも助けられてました。他人のフォローがうまい人ですね。私はそういうところが苦手なので反対に羨ましいし憧れますけど」
「ほんとー。家では何も話してくれないから分からないのよね。あんまり手がかからないというか。根は優しい子なんだけど、変に我慢強くて」
「・・・・・・ああ、何となく分かるような気がします。反対にヒロ君は甘え上手って言う気がします」
「そうねー、ヒロはねぇ。小さい頃からそうだったわ。小さい頃といえば、美音ちゃん、幼馴染の男の子、なんていう子だった?」
「戸山貴洋です。同じ中学の子です」
「そうそう、その戸山君と今でも仲良いの?」
「うーん、用事があれば会いますけど。キョウダイみたいなものなので特に何かある訳でもないですけど。今は私より妹の方が仲良いみたいです。戸山貴洋も、中学のときテニス部だったから圭史君と面識ありますよ?」
「ああ、テニス部だったのね。そっかそっか」
そのあとも他愛ない話をして、ふっと思い出したように腕時計に目を向けた圭史の母。
「あら、こんな時間。あんまり遅くなったら心配するわね。そろそろ出ましょうか」
立ちながら伝票をすっと持ったのを見て、美音は慌てて立ちながら言う。
「あ、自分の分は出します」
「いーのいーの。付き合ってくれたお礼だから」
「でも・・・・・・」
「また今度お菓子作って遊びに来てね。おばさん嬉しいから」
「は、はい。ありがとうございます」

 一緒に電車に乗り、駅で降りたところで、自転車をとめている圭史の母とは道が分かれることになった。
「今日はご馳走様でした。色々とお喋りできて楽しかったです」
「こっちこそ付き合ってもらってありがとう。娘が出来たみたいで嬉しかったわ。気をつけてね」
「はい。おばさまも。じゃあ失礼します」
「またねー」
と言い合って違う方向へ歩いていく。
ふと圭史の母は足を止め振り返った。
「美音ちゃん」
「はい?」
「うちの息子、圭史、よろしくね」
にこっと笑顔でそう言った圭史の母。
美音は具体的には分かっていなかったが、とりあえずすぐ笑顔になって「はい」と返事をした。

一人駐輪所に向かいながら、圭史の母は「うっふっふっふ」と不気味な笑みをこぼしていた。




風呂上りに台所へ行き、お茶を飲んでいると、片づけをしている母が言った。
「圭史、そこの紙袋、圭史の分」
「ん?これ?」
「そう。開けて見て」
素直に紙袋の中身を出してみる。服が数着入っていた。
「あ、これとこれ、特にいいね。丁度服が欲しいって思ってたんだ。お母さんにしてはいい服選んでくれて」
持っていた物を片付けた母は、満面の笑顔で振り向きながら圭史を見る。
「そーでしょー?その服センスいいでしょー」
いつもと違う様子に、怪訝な気持ちになる圭史。いつもならこんな反応は返さない。自分で選んだものを褒められたときはサラリと流す人のはずだった。
「う、うん」
「それねー、お母さんが選んだんじゃないのよー。買い物に行ったら、偶然美音ちゃんに会ってね、選んでもらったの。その服圭史に似合いそうってチョイスもしてもらったの。他にも買い物に付き合ってもらって娘が出来たみたいで楽しかったー」
「へ、へぇ・・・・・・」
「あと、一緒にお茶もしてね、いっぱいお話して楽しかったー。息子とはそうはいかないもんね。誰か一人ぐらい娘だったら良かったのに」
上機嫌で色々と話し出した母だった。それを聞きながら俄かに不安が積る圭史は差し障りの無い言葉を選んで言う。
「は、話って・・・・・・、どんな?」
「学校での生徒会の話とか、買い物の話とか」
「そ、そう」
目を逸らし、変に渇いた喉を潤そうとお茶に手を伸ばした。
余計な事を聞いて墓穴を掘るわけには行かない。
先程と様子の変わらない母に何もなかったと思おうとする。
 すごく機嫌の良い母親を見てみぬフリをしながら、動揺をひた隠しにする圭史。
母の話はずっと続いていた。
「美音ちゃんは物事をちゃんと見れている子ね。春日さんが、出来た娘で頼りにしてるって自慢する気持ちが分かるわ。それにふとした時の仕草や笑顔がかわいーのよ」
実際に声に出して言えないけれど、心の中で、知ってる、と呟きながらお茶を飲み込む圭史。
「そうそう、圭史の事、他人のフォローがうまいって褒めてたわよ。羨ましいし憧れるって」
「そ、そう」
「いーなぁいーなぁ、美音ちゃんみたいな子。ねぇ、圭史。そう思わない?」
ひたすらお茶を飲みそれを無視する圭史。
「幼馴染君とはなんでもないって言ってたし」
一瞬吹き出そうとしたのを堪えて、思い切り飲み込んだ圭史。
一体どこまで話をしたのだろう。
どうしてその話を知っているのだろう。
美音の母と仲が良いのは知っているけど、いつもどんな話をしているのか。
聞こうとも思わなかったし、知ろうとも思わなかった。
色々と思うことはあったが、必死で口をつむぐ。
「あの子は大人になったら、いい女になるわよ〜。そして良いお嫁さんになるわよ」
「さいですか・・・・・・」
もうこれ以上余計なことを言われないように、そして聞かない為にも、もうさっさと部屋に上がろうと思った。
余計な汗をかいたせいで、喉が渇く。最後にともう一杯お茶を飲もうとした。
「ちゃんと圭史をよろしくって売り込んできたから」
それにはさすがに飲んでいたお茶をぶっと吐き出してしまった。
「・・・・・・げほっ、ごほっ」

「掴みはOKね」
一人でぐっと握りこぶしを見つめる母。
「母さんっ!!」
叫ばずにはいられなかった圭史だった。




朝、ホームに入りいつもと同じ場所に行くと、ベンチに座って美音が文庫本に目を向けていた。
「おはよう」
いつもと同じように声をかける。でも、圭史のその顔はどこかぎこちない。
「あ、おはよう」
顔を向けて挨拶を返した美音は、しおりを挟み本をしまう。
その横に腰を下ろし、圭史は頬をぽりぽり掻きながら言葉を紡ぐ。
「昨日、買い物で偶然会ったって聞いたけど」
「あ、うん。問題集買いに行ったついでに寄ったデパートでね、偶然」
普段と変わらない美音の笑顔。
「服、選んでもらったって」
「うん。あ、大丈夫だった?何か、気に入らないのあった?」
「ううん。どれも気に入ったよ、ありがと」
「それなら良かったけど」
笑顔でそういった美音に、うっすらと頬が赤くなる圭史。

「・・・・・・うちの母親、余計なこと言わなかった?」
「ううん? ・・・・・・私の事なんか言ってた?なんか余計なこと私言ったかな?」
「ううん、ないない。すっげー喜んでた。息子だったらこうはいかない、とか言って」
「ほんと?それなら良かったけど。・・・・・・お母さん、いい人だね。うん、いいお母さんで羨ましい」
独り言を言うようにそう話す美音は、柔らかな笑顔を一人浮かべていた。
「いい人かどうかは分からないけど、ある意味楽しい人ではあるよ」
「そうなの?」
「うん」
はっきりと頷く圭史。

電車がホームに来たので乗り込む。
隣に座る美音を、自然にボーっと見つめている。
一緒にいる日常の中、圭史はほとんどの時間を美音に見惚れている。それはもう無意識に。
だから、普段と違うところがあればすぐ気付くのかもしれない。
今の美音はいつもと何一つ変わらなかったから、昨日の中でおかしな話はされなかったのだろうと思う。
「母親同士仲良いけど、どんな話したとかって耳にする?」
「うーん、無い訳でもないけど、大方隠されてると思うよ。嫌がるの分かってるからね。真音なんて凄い怒るから」
「そっか。うちも似たようなもんかな」
そう言って、自分を見つめている美音に気付いて目を向けた。
目が合った美音はにこっと微笑む。
それに圭史の心臓が先に音を立てる。その後に圭史は笑顔を返すのだ。
 いつもだったら、ここで美音の手にすいっと手を伸ばす行動にも出る。
でも、今の圭史には動けなかった。

いつもなら、ふとした仕草や表情で、すいっと手を出してしまうのに今日は無理だった。
昨日の母親の言葉が頭の中に浮かんでしまう。
―― 「それにふとした時の仕草や笑顔がかわいーのよ」 ――
心の中に重苦しい何かが生まれて、圭史の顔から笑顔が消える。
 圭史は参った気持ちでため息をした。

 ―― ほんと、勘弁してよ・・・・・・、母さん。しかも、いいと思うポイントが母親と同じって何かイヤ ――

本気で思ったそれに、顔が自然と苦渋のものになる。
「どうかした?」
それに気付いた美音がそう声をかけた。
「え? ああ、うちの母親、なんか言ってただろ? 俺のこと宜しくとかなんとか」
「ああ、そう言えば、別れる時に言ってたかな。学校での事とかを言ったのかなと思ったんだけど」
「うん。……ほんと、何考えてるんだろ。あの人……」
ため息を吐きたいのを堪えて圭史は口をつぐんだ。
横で美音は首を傾げている。
再び、母親の顔を思い浮かべて、ため息を吐いた圭史だった。



 圭史が部活を終えて家に帰ると、母親が珍しく出てきた。
ドアを開けて中に入り「ただ・・・・・・」と声を出したところで、目の前には立っていた。
「遅い!」
おかえり、ではなく、文句に、圭史は続きの言葉を出せなくなった。
「何?今日も部活だったんだけど」
「遅い」
「終わって真っ直ぐ帰ってきたよ」
「いいから、早く着替えてきて」
「はいはい」
訳は分からないが、呆れた様に返事をして部屋に上がった。
 母親はすぐリビングへと姿を消した。

 着替えて片づけを終えてから圭史は1階に降りていく。
リビングへ向かうと、楽しそうな母の声が聞こえてくる。それに少し違和感を抱きながら扉を開けた。
「母さん、終わったけど、な、に……」
母の向かいに座る美音の姿に気が付いて、圭史は台詞を最後まで言えなかった。
「おかえりなさい……、おじゃましてます……」
少し引きつった笑顔に、母の「遅い」と言った理由がうっすらと分かったような気がした。
「あ、うん……、いらっしゃい」
二人の間の、微妙に息苦しいような空気。
だが、圭史の母は気付かないのか笑顔で圭史に言った。
「危ないからお家まで送ってあげて」
笑顔で有無を言わさない口調だった。
「……はい」
余計な事は言わず、素直に従うように返事をした圭史。
「あの、そんな遠い距離でもないし、一人で大丈夫ですよ」
「女の子の一人歩きは危ないからね?それでなくても美音ちゃんは可愛いんだから。この家から帰る途中で何かあったら、美音ちゃんのお母さんに顔向けできないから」
「え、えと……」
頬を赤くして目線を下に向けた美音。
それを見ていた圭史は溢れてくる何かをぎゅっと堪えて、冷静になるように母を見た。
母は「美音ちゃん可愛い」とでも言っている顔をしている。
圭史の口に、思わずため息が出そうになった。

お土産があるからと圭史の母は台所へ向かおうとする。
「圭史」
用があるからこっち来て、とでもいう呼び方に、圭史は後に続く。
「これ、美音ちゃんに持って返ってもらう物ね」
と紙袋を目の前に出した。
テーブルの上に、違う紙袋が置いてある。
「これは?」
「それは、美音ちゃんがこの間のお礼にって持ってきてくれた手作りケーキ。今日、届けに来てくれたの」
ニコニコと笑顔でそう言った母。
それを聞いて大体の予想はついた。
渡しにだけ来た美音を無理矢理家に上げてお茶を出し、話し相手にして、また良からぬ事を算段しながら圭史が帰ってくるのを待っていたのだ。
帰ろうとする美音を引き止めて、引き止めて。
圭史に送らせる為に。だから、帰宅するや否や玄関に出てきて「遅い」というあの言葉。
 ため息が出そうになった。
「あ、そうそう、圭史コレ」
手に渡されたのはお金」
「何?何か買ってくんの?」
御遣いかと思いそう訊くと、母は気持ちの悪い笑顔で言った。
「お茶代」
「……いや、それはちょっと」
「じゃあ、ヒロかお兄ちゃんに頼むけど」
隙のない笑顔に変わった母。
「……行って来ます」
目を合わせられずにそう返事をした。
渡された紙袋を持ちながら台所を出る。出てすぐ母に振り返った。
「そのケーキ、ちゃんと俺の分も残しておいてよ。前みたいにヒロに一人で食べられないようにしてよ」
「はいはい」
それにはいつもの笑顔で答えた母だった。

 ―― 付き合ってるなんて言ったら、…… ――

それを想像し、容易に思い浮かぶ母の姿に、それ以上考えることをやめた。



 圭史の母は笑顔で圭史を迎えた。
「おかえりー」
「……ただいま」
だが、息子の様子は明らかに沈んでいる。
それに一瞬息を呑んだ母。
「ん」
渡されていた千円を母に返す圭史に、母は素っ頓狂な声を出した。
「え?お茶は?してこなかったの?」
圭史は無言のまま靴を脱ぎ階段に向かう。
「ちょっと圭史」
それにやっと母に顔を向けた圭史はいつもとは違う表情で口を開いた。
「こんな時間にお茶に誘える訳ないだろ。非常識だって思われる」
「そんな、ちょっとぐらいの時間だし」
「あのね、もう高3なんだ。俺はともかくとしても、もう受験勉強は始まってる。目指すところがある人はとっくに、前から始めてるんだ。なのに、その時間を邪魔するような事出来ないだろ。何企んでるんだか知りたくも無いけど、余計な行動起こしたら本気で怒るよ」
いつもとは違う息子の様子に、母は動けなかった。
ぷいっと顔を階段に向けると、もう口を開くことなく部屋へとあがっていった。

「息子に怒られた……」
ショックを隠せない顔で肩を落としている母。
「え?俺なんか怒ったっけ?」
つい先程帰宅した功志が目をぱちくりした。
「圭史に……」
「あいつが?……そりゃー、よっぽどな事したんでしょ」
「えー?ただちょっと仲良くなって欲しいなぁとは思ったけどー」
数秒間考え込んでいた功志は、呆れたように息を吐いてから言った。
「難しい年頃だよ? それでもけいは優しいけど、よそじゃそうはいかないよ? 分かってる?」
「分かってます」
「同じ学校の女の子の親が、自分の親と親しいなんて、普通それだけで避ける理由になるんだから」
「そういうものなの?」
「そーいうもん。俺が高校時代の後輩に聞いた話によると、美音ちゃんはおいそれと近寄る事ができない高嶺の花みたいだし」
「高嶺の花。なんか分かる気がするわー」
「美音ちゃんの周りが色々とうるさいみたいだしね。まぁ、けいももてるけど」
「そりゃ、私の息子だし」
「へーへー。だから、余計な手を出さず親として見ていてあげて下さいな」
「そっかー。美音ちゃんとお買い物してお茶してお喋りして、楽しかったのになー」
「……え? そんな事までしてたの?」
「偶然よ、偶然。デパートで会ったの」
「二人に?」
「美音ちゃんが本屋のついでに寄ったから……。二人?」
「いや、友達と二人でいたとか?」
「ううん、美音ちゃん一人よ」
「あ、そう。俺は又……」
「また?なによ?」
「ううん。……あ、電話だ」
廊下から聞こえる電話の音に、普段なら出向かない功志が歩いていった。
そして、電話に出た功志は、言葉を交わすと保留にして声を上げた。
「母さん、春日さん。美音ちゃんのお母さんから」
「あ、はーい」


 二人並んで道を歩く中、零すように圭史は言った。
「ごめん、うちの母親が」
「え? ううん、別にかまわないよ?」
「この後も予定あっただろ?」
「でも、勉強くらいだし、それは調整きくから」
「……ごめん。ほんとに」
「大丈夫だよ。私も楽しかったし」
笑顔のまま、圭史の言葉にフォローするように言う美音。
圭史はそんな美音をチロリと見て、目線を足元に落とした。そこを見ていない眼差しで。
「……2組ってことは、国公立大志望だろ? 志望校だって……」
そこまで言って口を噤んだ。だけど、意を決したように言う。
「志望校、決めてる?よな、多分」
「あー……、うん、まぁ」
歯切れ悪そうに答えたそれに、圭史は、そろ……、と、目を向けて聞いた。
「参考程度に、どこ?」
「え、と、まだ誰にも言ってないんだけど、T国際大学を第一志望で」
その大学名を聞いて軽くめまいがしそうになった圭史だった。
「でも、志望校っていうだけで、この先どうなるか分からないけど」
そう言って笑顔を向けた美音。
圭史の胸は何故だか痛かった。

 美音を家まで送っていたときの事を思い出して、圭史は深々とため息をついた。
すると、部屋の戸がノックされ母の声と共に開けられた。
「けーいし」
「なに?」
無意識に無愛想になっていた。
「ごめんね。おかーさん、しずかーに見守ってるから」
「……はぁ」
何か腑に落ちないけど、とりあえず返事をした圭史。
母は子機を差し出した。
意味が分からない圭史に、にこっと笑顔で母が言った。
「美音ちゃん。圭史君にかわってって」
子機を躊躇いながら受け取った圭史。
母はそのまま圭史の部屋を出て行き、扉を閉めると廊下を行き階段を下りて行った。
 階段を下りていく音を聞いてから圭史は電話に出た。

聞こえてくる美音の声に、沈んでいた気持ちが浮上していく。
圭史は少し安心したように息を吐いた。

 電話を終えて、圭史は1階に下りて行った。
キッチンに母は立っていた。
「電話ここに置いとくよ」
「はーい」
最後の洗い物をしている後ろ姿を見て、圭史は口を開いた。
「凄く喜んでたよ、春日。ピンクの猫のブローチ。ありがとうって伝えておいてって言われた」
「私と電話でもお礼言ってくれたのに」
「うん、凄く嬉しかったから、俺からも伝えたら気持ち伝わるかもって」
「ほんとー。嬉しいなぁ」
 母の後ろ姿に圭史は黙考する。
「じゃ、風呂入るから」
「はーい」
親の寝室に置いてある子機を部屋にわざわざ持って来てくれた事に、入らぬ気を感じる。

 ―― ま、いいか ――


 直接、プレゼントを渡せば遠慮されるのは目に見えている。
だから、美音の母に渡すように準備し、それを受け取った美音の母が美音に渡す……。
そうすれば、素直に受け取ってもらえるだろうから、と。
「この間のお礼に」買った可愛らしいブローチ。
確かに息子3人相手では可愛いものは買えない。

 ―― ヒロが女だったら良かったのに。そうしたら、もっと可愛げがあったかも。
    しかし、直接渡さないプレゼントか。母さんもやるなぁ。大人の気遣いか…… ――

「瀧野くんのお母さん、素敵なお母さんだね。羨ましい。凄く嬉しかったよ」
美音が言ったことを思い出して、圭史の頬はほんのり赤く染まった。
 母の一連の騒動を頭に思い浮かべたが、圭史は思う。

 ―― ま、いいや ――

今回はコレで目を瞑ろう。
部屋の机の上に用意されていた、美音の手作りケーキとお茶を見つめて圭史はそう思った。
 


2009.10.01
あとがき


  素材:工房雪月華