時の雫・風そよぐ青空の下で
キリリク作品−333,333HITしょうさま
つなぐあいだに
太陽が空に姿を見せると、陽気な気候、暖かくて優しい陽射し、花の香りを乗せたそよ風が開けている窓から部屋に入ってくる。季節は春。もう4月。
休みの期間中、時間があれば毎日でも書類や仕様書の修正、整理を行っている。
飽きても仕方ない事でも、心が穏やかで春の空気に幸福感を感じるとちっとも苦に感じなかった。
楽しい時間でもある今日のお昼はもう済んでしまった。あとは適当に片づけをして部屋の戸締りをして帰宅するだけだった。
髪を靡かせていった風の行き先に目を向ける。そこには開いた窓の向こう、青い空が見えていた。耳を澄ませば、部活動の音が聞こえてきそうな気がする。
……そして、美音は今日もここに訪れた彼の姿を思い出す。
ここで一緒にお昼をとる圭史を。
今日も隣のこの席に座って笑顔でいた彼。
ここに向かってくる途中の自動販売機で美音の為にジュースを一本。そして、午後の休憩時に自分が飲むためのスポーツドリンクを一本買って来るのが日課のようになっていた。
圭史が一緒に昼食をとるようになって、美音は大きなお弁当箱で持ってくるようになった。
たくさん作ってきたから一緒に食べよう。と。
そうするに至ったのは、休み中はコンビニで買ったものを食べると聞いてから。
あからさまに2つの弁当箱で作って持ってくるのは恥ずかしいという理由で大きな弁当箱に詰めている。ご飯は食べやすいようにいつもおにぎりにして。
その楽しい時間も今日で終わり。
明日学校で入学式が行われる。その翌日には始業式。またいつもの学校風景が繰り広げられるだろうから。そして学年は3年に上がり受験生になる。今までのような時間の送り方をしていられなくなる。
そして、今日の練習は夕方にまで延長になったから、春休みの最後にと一緒に下校することも適わない。
運動部の引退時期は大体夏休み中。盛んでない部は1学期の期末テスト前。
生徒会役員の引退は5月。登下校が一緒に出来るのは2学期から。
― ……今まで、もったいない事したなぁ ―
美音はそんな事を思った。
両想いになるまでの時間。もっと早くに想いに気づいて……。そんなもしもを思ったのだ。
ふと淋しげな眼差しを窓の外に向けると、ふっと笑みを零す様に自分の仕事に戻った。
ファイルを棚に戻しながら耳に聞こえてくる音があった。
誰かが廊下を走っている様子の足音。
心の中でそれを疑問に思いながら手を動かしていた。
そして、それは段々と大きくなっていき、美音の中で疑問が大きくなって顔を上げた時、生徒会室のドアが勢いよく開けられた。
「あ、いた」
そこに現れたのは珍しい様子の圭史だった。急いでここまで走ってきて、少し息が上がっている。風を正面から受けてサイドへ流れたままの前髪。
美音がそれを見て口を開くより先に圭史が声を放った。
「もう帰ったかなとも思って……」
ドアノブから手を離し、背筋を伸ばすと呼吸を少し整えて言葉を繋ぐ。
「明日、午後空いてる?」
「え?あ、うん、入学式が終われば何も……」
「じゃあ、休み中どこにも出かけてないから遊園地とか行かない?映画は見たいのないって言っていたし」
思ってもいなかった突然の誘いに美音は驚いたけども返事をする。
「あ、うん。遊園地」
すると、にっこりと圭史は嬉しそうに笑顔を向けた。
それにどきんと鼓動が鳴った。――まるで不意打ちのそれに。
けれど、すぐ頭に浮かんだことを美音は訊く。
「あ、でも、部活は?」
「今日が延びた代わりに、明日の練習無しになったんだ」
「……あ、そうなんだ」
納得してそう言った台詞。でも、嬉しさに自然と顔は笑顔になっていく。
それを見て圭史は笑顔を浮かべてから言った。
「じゃ、明日適当な時間に家に迎えに行くから。休憩時間でもう戻らないといけないから、じゃまた」
爽やかな笑顔と共に彼は颯爽と行ってしまった。
圭史の走っていく足音が段々と遠のいていきながらも耳に届いている。だけど、今は淋しく感じない。
部屋に再び一人になった美音の顔からは留めようなく笑顔が零れ落ちていく。
思ってもいなかった「明日」。思ってもいなかった彼の思いやり。空白がまるで埋められたような感覚に嬉しさを感じて心の中は溢れる思いでいっぱいになっていく。
そして、晴れた空を眺める。
笑みを浮かべた瞳のまま、声を漏らした。
「……遊園地、かぁ」
ちょっと昔の自分なら、デートで行く所としては縁遠いものだと思っていた場所。
だけど、彼氏が出来たなら、行ってみたいと夢見ていた場所。
……そんな日が来るなんて。幸せを感じながら美音は笑顔になっていた。
いつもの制服姿に白っぽいグレー地のネクタイをした美音は急ぎ足で歩いていた。
思ったより後片付けに時間を取ってしまった。焦りの色を浮かべながら向かっている先は生徒会室。慌てた様子のまま扉を開ければ、薫が驚いた顔を浮かべた。
それにも構わず声を放つ。
「薫ちゃんごめん。急いで帰らなくちゃいけないから。他の皆はもうすぐしたら戻ってくるから」
「あ、うん」
「ごめんね、後よろしくね」
机の上に置いていたカバンを手に取ると、今来た道をダッシュで戻っていく。
走りながら腕時計を見て、余計に気は焦るばかりだった。
― うわぁ〜。もうこんな時間。急いで帰ってパンでも何でもいいから適当に食べて、用意しなくちゃ ―
駅からも急いで帰っていく。家の前に繋がる通りに入った時、自宅の門扉に目を向けた。
彼の姿はそこにはまだない。心持ちほっとすると急ぎ足だった速度を少し緩めた後、息を大きく吐いた。誰もいない自分の家。鍵を開けて中に入るとすぐさまキッチンに向かい、テーブルの上に置かれているパンを開けて口に放り入れる。短い時間で昼食を食べ終わると2階に上がっていった。部屋に入りすぐにブレザーを脱いでハンガーにかけ、ネクタイを外す。
― さすがに遊園地じゃスカートはNGよね。やっぱ、……ジーパン? ―
自分がしようとする格好に色気は全くないな、と思いながら、もう一方の心で、普段から色気なんてものは持ってないけど、とも思う美音。
― プリーツのミニスカートに中スパッツ……って、春なのに暑苦しいか…… ―
洋服タンスを覗き込みながら美音は必死に着ていく服を考えている。
焦る気持ちで考えても、一向に考えはまとまらない。
「あーもう、こっちでいいや」
そう言って選んだのはジーパンだった。そして、上はレースのキャミソールに水色のV字のカットソーを着た。
着替えをした後の髪の毛はぼさぼさだった。サイドの髪をまとめていた髪留めを外し、ヘアスプレーをしてからブラシで梳いていく。
― えーと、貰った髪留めつけようかな……。でも時間あるかなぁ? ―
そう思った時だった。家のインターホンが鳴ったのは。
手にしていたブラシを置いて、急いで玄関に下りていく。
「はーい」
と扉を少し開けて外を覗けば、思っていた通り圭史が来ていた。
「あ、カバン取ってくるから」
美音が少し照れながらそう言うと、圭史は笑顔で返事をした。
「うん」
それを見るとすぐ扉から手を離して再び2階へ。
閊えがなくなった扉は自然と閉まっていく。そんなのも気にならず、部屋に戻った美音は慌ててカバンを手にするとすぐ部屋を後にしようとする。
そして、鏡の前でふと足を止めた。
「あ、髪の毛……。いいや、今日はおろしたまんまで」
諦めた様に呟くと、圭史を待たせてはいけないと急いで降りていった。
いつもより緊張している自分。心臓がどきどきと鳴っている。
いつもと同じ彼女。だけど、何か違うものを感じる。
隣を歩いている彼女を見つめてみて分かった。
いつも必ず留められている髪の毛。今はすべておろされている姿がいつもと違う雰囲気を醸し出している。さら……、と流れていく艶やかな髪の毛。
それに圭史の心臓は参っているのだった。
いつもだったら既に手を繋いでいるはずなのに、何故かそれすら出来ないでいて遊園地にたどり着いてしまった。
しかも、今日は胸元があいているので、ふとした瞬間に見えてしまいそうなそんな気がして油断すれば無意識に視線を注いでしまいそうになる。
はっと我に返るたび自分を諌めてそこから気を逸らそうとしているのだった。
視線を感じてふと目を向けると、美音と目が合った。
彼女は嬉しそうに、でも恥ずかしそうに笑みを向けて園内地図に顔を向けた。
それを見ただけで、「かわいい」と思うのと同時に、自分は溶けてしまうような感覚になって他の事は何も考えられない状態になる。そうして再認識する。
― ……ほんと、やられちゃってるよなぁ、俺 ―
今でも時々思う時があるのだ。目が覚めたら夢だった、なんて。今までかなり焦らされてきたから。
「……る?……瀧野くん?」
「え?あ、ごめん」
「大丈夫?しんどい?」
心配している顔に、心は勝手に和んでいく。ふっと笑みを浮かべて圭史は言う。
「ううん、そうじゃなくて、……幸せ噛み締めてました」
驚いたように目を大きく開けた美音はすぐ顔が赤く染まった。
ぱっと顔をそらして、赤くなった頬を隠すように目を伏せて言う。
「え、と、の、乗りたいのなかったら、あ、あっち行くけど」
「いいよ」
動揺を隠し切れない美音を見つめながら圭史は余裕の笑顔のままそう返事した。
数歩先を歩く美音をついていくような感じになって圭史は歩いていく。
その後ろ姿にも動揺しているのが見えて、圭史は一人笑みを零していた。
「ちょっと休憩……、お願いします」
うっ……、と辛そうな顔の圭史。それでもどうにか堪えている様子。
一方、美音の方はケロンとした顔をしている。何も疲れた様子は見えない。
「あ、うん。じゃあ、飲み物買ってくるね。何がいい?」
「お茶系で」
「うん、分かった」
とたたたた……、と小走りで駆けていった美音を見て、ほっと息を吐くようにベンチの背もたれに身を預けるようにして顔をうつ伏せた。
― ……まさか、初っ端からスピード系行くとは思わなかった。連続8回。うち3回はジェットコースター。始めは真ん中の席。次は一番後ろの席。そしてラストは一番前の席……。あー、地面が回ってる気がする。スピード系がこれほど好きだとは初めて知った…… ―
「……お化け屋敷……、平気なんだろうな。きっと」
遠い目を空に向けながらポツリと呟いた圭史だった。
数分が経った頃、どうにか気分が落ち着いてきたようで身を起こしてしゃんと座った。そして、美音が去っていった方向を眺める。もうそろそろ戻ってきても良い頃だから。
それは予想通りで、飲み物とフライドポテトを持った美音が見えてきた。
眺めている圭史に気がつくと、美音は恥ずかしげに笑みを浮かべた。
それを見て圭史は自然と顔が緩んでいる。ここは学校でもないし、知り合いが周りにいる訳でもないから、油断して緩められるものというもの。傍から見れば、とろけ切った笑顔だと思われているだろう。
圭史の左に座った美音はお茶を手渡すと自分の飲み物を横に置いてすぐポテトを口にしていた。圭史は小腹も空いていないのでストローを口にくわえお茶を飲む。
隣の美音がいい顔で食べているのを眺めていた。
その視線に気づいたのか、右手で一本持ったところに声を放った。
「食べる?」
普通ににこ。と笑顔で言ったそれに、圭史は思う。別に食べたくて見ていた訳ではないけど……。
「じゃあ一本」
すると美音は左手に持っているポテトの入れ物をがさっと向けながら言う。
「はい、どー」
それを言い終えるより早く、美音の行動と台詞に淡い期待を破られた圭史はひょいと動いた。美音の右手にあるポテトをぱくっと口にくわえた。
それに声は出さずとも「え?」と動きを固めた美音。
圭史は何もないフリをしつつも、美音の頬を赤くなっていくのを目の端に捉えていた。
ポテトを食べ終えてから、圭史はほくそ笑んだ様な笑顔で美音に言った。
「ご馳走様。ポテト堪能しました」
「…………」
固まったままと言うべきか、惚けたままと言うべきか、頬が赤いままの美音は何かを言いたそうで何も言えない様子のままだった。
それに圭史はたまらず違う方向に顔を向ける。にやける口元を隠すように手の甲を当てて。
向こうを見ているフリをして美音を見ていると、顔を少し伏せて静かにポテトを口に運び始めた。恥ずかしそうで初々しい感じが圭史の心をくすぐるのだけど。
それからそこに座っている間、会話はなくなってしまった。
だけど、重い緊張や空気はなく、心穏やかで心地よかった。前髪を撫でていくそよ風も。
優しい風を顔に受けながら、隣の美音に目を向ける。
まだポテトを食べている様子に、圭史の眼差しは温かい笑みが浮かぶ。
さら……、と流れていく彼女の髪。ポテトを口元に運ぶ小さくて細い指。今まで見得なかったシーンの美音に心には喜びが浮かぶ。多分、この光景をこれから何度目にしてもその度に同じ気持ちになるのだろうと圭史は思っていた。
見つめている圭史の視線に気づいた美音は、目をむけ圭史と目が合うと恥ずかしげにぱっと目を下方に転じた。
それにだって圭史には心がくすぐられるような感じになって思わず笑みを零す。
「じゃ、行こうか」
「あ、うん」
食べ終わってから一息ついた様子の美音を見て、圭史は笑顔を向けてそう言った。
圭史の言葉をそのまま受け取った美音は動く用意をする。
圭史は隣に来るのを待ちながら微笑を浮かべたまま美音を見つめている。
並んでゆっくりと歩きながら、マップを出した美音は楽しそうな顔で声を出す。
「次はどこ行こうか。……何乗ろうかなー」
「……、マップ見せて」
「うん」
笑顔で渡してくれた美音に内心ほっとしつつ目を向ける圭史。
内心、またスピード系の連続乗用を選ばれるのは嫌だなと思っての行動だった。
「……、えーと、お化け屋敷とかは?」
ちらりと目を向けて聞いてみた圭史。
「うーん、別にいいかな。他のが良いな」
「そう。えーと」
マップを眺めながら圭史は何かないかと探している。
― この反応じゃ別に平気なんだろうな。他は…… ―
「うーん……」
悩みながらマップを見続ける圭史。
横に並んで歩いていた美音が足を止めたのを目の端に捉えて足を自然と止める。
横から身をすっと移動させた美音に、圭史はマップから目を離して顔を向けた。
すると、美音は花壇に向かって小走りに寄っていく。
どうしたのだろうと思いその先が見えるように顔を動かして目を向けた。
小さな男の子が声を出すのを堪える様に泣いている。次から次へと出てくる涙を手で拭いながら。
美音はその子の前で足を止めると、同じ目線に立つようにしゃがみ込んで声を放った。
「どうしたの?一人になっちゃったの?」
男の子の手がピタリと止まった。恐る恐るといった様子で相手を見る。
美音はそれににこりと笑みを向けると、幾分安心したのか目に涙をためて声を震わせながら言った。
「だってママさっちゃんの事ばかり。しゅんが言ってるのに聞いてくれない。あれ何って言ってママ見たらいなくなってて……」
そして再びぐしぐしと泣き出してしまった。
「そっか、それでここに座ってたの?」
「……ん。ママがしゅんの所に来ると思って」
「一人で待ってたんだね。偉いねしゅん君。さすがお兄ちゃんだね」
美音がそう言うと、その男の子しゅんは顔を上げ、美音の笑顔を見ると濡れたままの頬で笑顔を浮かべた。
「うん!」
「しゅん君偉いからオネーサンが飴あげる」
そう言ってバッグから一つ取り出して差し出すと、しゅんはすっかり笑顔で言った。
「ありがとう!」
その様子を美音の後方で眺めていた圭史は半ば感心していた。
子供のあやし方が上手だという事と、飴を常備しているという事に。
「総合案内所にとりあえず行こうか」
マップを見ながら圭史は言った。
「そうだね。ここでじっとしているより」
「途中で、レンジャーのショーもやってるよ」
しゅんに向かってそう言うと、ぱあっと嬉しそうな表情になった。
「じゃあ行こうか」
美音がそう言って歩き出そうとした。だが、しゅんは立ち止まったままでもじもじと両手を動かしている。圭史と美音は「?」と顔を向ける。
「あの、ね、おねーさんとおにーさんと、手、繋ぎたい……」
「……!」
その様子と台詞に美音は胸きゅんしたらしく、顔が見たことのない表情になったのを圭史は見た。確かに、圭史から見ても子供のそんな様子は可愛らしいと思った。
美音は嬉しそうな顔をしてしゅんに手を出したのを見て、圭史も手を繋ごうと手を伸ばす。
二人と手を繋いだしゅんは本当に嬉しそうな顔をして歩き出した。
きっと、親は小さい子供に手一杯なのだろう。その忙しさに目を配る余裕がなかったのかもしれない。周りの大人も小さい子の方に目が行きしゅんは普段寂しい思いをしているのかもしれない。
圭史はふとそんな事を思った。
そして自分の小さい頃を思い出し、ふっと笑みを浮かべていた。
― そんな頃もあったな……。そう言えば ―
小さな子を間に挟んで手を繋ぐ美音はとても嬉しそうに見えた。
「しゅん君いくつ?」
「4歳!幼稚園行くの!」
「そっかぁ。幼稚園楽しみだね。お友達たくさんできるね、きっと」
「うん!」
春に相応しい光景だった。
そして、美音の表情も、圭史が見るに新しく新鮮に感じた。だけど、心和む光景。
こんなデートもいい。素直にそう感じていた。
子供のペースに合わせてゆっくりと足を進めていた。途中、たくさんの人だかりがあった。目に映った立て看板によると、ここでレンジャーのショーが行われているようだ。
しゅんを挟んだ隣では、美音が背伸びをして様子を眺めていた。
「人いっぱいで見えないねぇ」
それでも必死で先を見ようとつま先を伸ばす美音。
その台詞にしゅんは酷くショックを受けた顔をしている。
「高台に行ったら、小さくしか見えないしね。どうしよう」
美音の台詞を聞いて圭史は繋いでいた手を離した。それにしゅんは不安そうな顔を向ける。
それに構うことはせず、圭史はしゅんの脇の下に手を伸ばすとそのまま持ち上げるように肩車をした。
「頭に捕まってろよ?落ちないようにな」
「わぁ!ありがとう!」
「いいよ。これで見えるだろ?」
「うん!」
それからしゅんはショーに夢中になって見ていた。
時折、美音が圭史の頭を眺めて笑顔を浮かべていた。そして、圭史の顔を見て微笑んだのを目の端に捕らえて圭史は言葉を紡いだ。
「小さい頃、こうやってヒロの奴が父親に肩車して貰ってるの見て羨ましかったんだよな。ヒロばっかりずるいなんて思った事もあったんだ」
「うん、あるよね。私も、昔。妹ばっかり可愛がられてるなんて思っていた頃があったなぁ。今は別に、思ってないけどね」
茶目っ気たっぷりに笑顔を向けた美音に、なんだか心救われたような気にもなって圭史はほっと笑みを浮かべた。
そんな圭史の笑顔に美音は頬を赤らめていた。
ショーが終わると観客の子供にカードのお土産が配られた。それを受け取ってからそこを離れていく。
「しゅん君、喉渇いてない?」
「あ、……うん」
「じゃあ、瀧野くん、あそこのベンチにでも座ろう」
「うん」
「しゅん君、オレンジジュースとりんごジュースどっちがいい?」
「りんごジュース」
「じゃあ買ってくるから」
そう言って美音は颯爽と売店に走っていった。残された圭史は美音が指していたベンチに向かい、到着したところでしゅんをおろした。
「おにいさん、ありがとう」
「どういたしまして。よく見えた?」
「うん、とっても!」
「それは良かった」
圭史はそう言って微笑むとしゅんの頭に手を置きぽんぽんと撫でた。
それにしゅんは嬉しそうで恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。
それに圭史は今まで感じたことのない不思議な感情が湧いたのを感じた。
ジュースを持って戻ってきた美音はしゅんの隣に腰を下ろした。
渡されたジュースを飲むしゅんの様子は、本当に喉が渇いていたのだと分かる。
それを美音は暖かい眼差しで見つめていた。
こんな美音の母性に、圭史の胸はドキドキも言っているのだが。
ジュースを飲んでいる時に、余所見をしたしゅんは手元がおろそかになってジュースを零してしまった。
「零れてる零れてる!」
慌ててそう言った美音は、バッグからハンカチを取り出す。
その間、圭史はジュースを手に持ちフォローに回る。
美音が零れた所を拭いている間、しゅんは目をきょろきょろさせ二人を交互に見ている。
圭史はそれに気づき、どうしたのかと思っていたら、しゅんははにかみながらぽつりと言った。
「ママとパパみたい」
それに美音の動きはピタリと止まった。目は驚きに大きくなっている。
「……」
そして、その顔のまま目線を上げていく。視界にしゅんを映してはいるが焦点は圭史に向かっていた。
圭史も動きが止まって美音を見つめていた。
視線が交差した時、二人の頬が赤くなっていく。すぐ二人は照れた様子で目をぱっと逸らした。
にわかに心臓がドキドキと騒がしくなったのだが、美音はまっすぐに注がれてる視線に気づき顔を向けた。しゅんがじーっと見つめている。その瞳には表に出してはいけないと思いつつも不安に堪えているのが見える。そんな感情をこんな小さな子に抱かせてはいけないと、すぐ美音は笑顔になって言った。
「ほんと?嬉しいな。ありがと」
けれど、頬は赤いままだった。いや、赤味は増していたかもしれない。顔はしゅんに向けているが、圭史のことを意識してしまって心臓がまだどきどき言っているのだから。
しゅんは安心したように笑顔になった。
何とも言えない表情で圭史は目を向こうに逸らしながらも、言葉に出来ないくすぐったさと照れを感じていた。
それから、しゅんがジュースを飲み終え落ち着いた頃にベンチから立った。
にこやかに手を繋ぎ3人仲良く歩き始める。それは一日の中で短い時間ではあるけど、日常とは違うとても楽しい時間。
手を繋いで歩きながら、美音としゅんが笑顔でお喋りをし、それを圭史が見つめている。
まるで絵に描いたような光景だった。
楽しい時間を経てたどり着いたのは総合案内所。
ガラスで中が見えるようになっているドアを開けて中に入った。他に人はいないようで、係員は笑顔を向けてきた。
「あの、迷子の子なんですが」
美音がそう声を出したときだった。
その場に勢いよく女の人が入ってきた。その威勢のよさに美音も圭史も顔を向ける。
血相を変えて息を切らしながら中の様子に目を向ける女性。
「しゅん!!」
「ママ!」
その言葉たちに圭史と美音は自然と繋いでいた手を離した。
母親はしゅんの元に来て膝を突くと小さなわが子を抱きしめた。
「しゅん……!ほんとに心配した!……良かったっ」
「……ママ」
必死な様子にしゅんは少し驚いている様子だった。
その光景を見て、圭史はふと美音に目を向けた。
美音は「良かったね」と言う様に温かい笑顔を浮かべていた。
案内所を出たところで、母親は深々と二人に頭を下げていた。
「面倒をおかけしてすみませんでした。本当にありがとうございました」
「いえ、大した事は何もしていないですから。無事にママさんと会えて本当に良かったです」
美音は笑顔でそう言った。
しゅんの母親は圭史に向かっても深々と頭を下げている。
美音は自分を見上げているしゅんを見ると、目線を合わせるようにしゃがむと笑顔で言った。
「しゅん君が赤ちゃんの時はさっちゃんと同じ様にママに抱っこされたりしてたんだよ。ママがしゅん君大事なのは今も変わらないからね。今はしゅん君大きくなってもう幼稚園に行くんだから、ママの事助けてあげようね。ママとても喜ぶと思うよ」
しゅんは目を大きくさせて頬も赤く染めた。そして笑顔で言った。
「うん!頑張る!しゅん、大きくなったからママ助けるよ」
「うん、偉いぞ」
「おねーさん、おにーさん、ありがとう!」
それに美音は笑顔で手を振るだけだった。圭史は微笑みながら言う。
「おう、頑張れよ」
「うん」
そして、母親は申し訳なさそうにお辞儀を繰り返しながらしゅんの手をひいて去っていく。しゅんは笑顔で手を振っている。
こちらを向いている間、美音はずっと笑顔で手を振っていた。
圭史もしゅんの行く姿を眺めていた。
二人がすっかり小さくなり振り返ることもなくなった頃、何かに気づいたように圭史は美音にそっと目を向けた。
顔は笑顔だったが、遠くなっていく姿を見つめているその瞳は淋しげだった。
しゅんといて楽しそうだった美音の姿が頭に思い出される。
圭史は、この手の中にあった小さな手を思い出して、そっと美音の手を握った。
それに一瞬驚いた顔を向けた美音だったが、自分を見つめる圭史の優しい表情を見て笑みを零した。
「おかーさんと無事会えて良かったね、しゅん君」
「そうだな……」
良かったねと思う気持ちの中に、寂しいと思う気持ちがひしひしと伝わってくる。
だけど、他に言える言葉は見つけられなかった。圭史も同じ気持ちだったから。
美音から目を離し眺めた先にはもう姿は見えなくなっていた。圭史は小さく息を吐くと笑顔で言った。
「さぁて、俺乗りたいのあるんだ」
「え?何?」
「観覧車」
「へー、観覧車かぁ」
「ん?どうかした?」
「ううん。観覧車ってのんびりと景色眺めるくらいだよね」
それに圭史は目を細めて少々意地悪い笑みを浮かべた。
それに警戒心を抱く美音。
「……何?」
「ん?まぁ友達らで乗ればね」
「え?」
「二人で乗って二人きりになるからいいってハナシ」
「……えっ?」
そう口にしながら顔を真っ赤にさせる美音に圭史は笑みを零しつつも半ば引っ張るように足を進めていった。向かうは勿論観覧車乗り場。
観覧車に乗って向かい合わせで座っているのだが、美音は緊張した様子のままだった。
ぎゅっと手を握って視線は足元に。そのぎこちなさに思わず内心ため息をついてしまう圭史。
ぼーっと外の景色を眺めているフリをしみいる。だけど相変わらず美音はぎこちない様子のまま。
圭史は何かに気づいたように声を出した。
「あ、あれ?」
「え?」
それに美音は顔を上げた。
圭史は指を指しながら言う。
「ほら、あそこ。しゅん君かも」
「え?どこどこ?」
今まであった緊張のことなど忘れて、美音はすぐさまガラスに額を見つけて下界の光景に目を向けた。ちらほらと親子連れが見える。
「あ、いた」
そう言うなり美音はじーっと眺めている。
その様子を見て圭史は微笑みながら訊いた。
「子供好き?」
「うん、好き。瀧野くんは?」
「まぁ好き、かな」
それには美音はにっこりと笑顔を浮かべた。
それに胸がドキッとなる。思わず深く意味を考えてしまいたくもなった。だけど、慌てて打ち消す心の中の自分。
― まぁ、そんなに意味はないんだろうな ―
まだしゅん達を眺めている美音の横顔を見て、ふと圭史は連想する。
まだ今は遠い未来。けれど、必ずやってくる将来。その時に、彼女の面影がある小さな子と手を繋いで歩いている今よりも大人になった美音を。
顔が緩みそうになるのを必死に堪え、心臓がやたらとどきどき言っているのを感じた。
慌てて冷静になろうとする圭史。
そして、今もずっとしゅんを見つめている美音の顔に、胸が何かがちりっと疼いたのを感じた。
「……」
もうじき、この観覧車は頂上に達しようとしていた。
まだ下を眺めている美音。
その様子に、圭史の気は変わった。本当は冗談で言ったつもりだった。観覧車を選んだ理由なんて。
圭史はすっと腰を上げ静かに美音へと寄る。逃げられないようにと腕を伸ばし美音を確保する。それでもまだ気づかない美音に苦笑しつつ、静かに名を呼んだ。
「美音」
それに素直に顔を向けた美音。目の前にある圭史の顔に、目は驚きの色が隠せない。
頬にすっと赤味が差した。
頭では分かってる。小さな子供相手にヤキモチを焼くなんて。
だけど、その眼差しをこっちに向けてほしいと心は素直に思ってしまう。
もう余計なことは考えられなくなる。
お互いのことだけ。この空気だけ。自分の中から溢れてくる想いだけ。
恥ずかしそうにする美音に、そのまま顔を近づけていきそっと唇を重ねた。
お互いの前髪が触れてくすぐったさを感じるのだけど、それ以上に胸のときめきはお互いに向いていた。物凄く近くに感じて、相手の鼓動も体温も感じるその瞬間。胸から湧き出るのは相手に向かう想いばかり。
静かに唇を離した圭史はそのまま美音の横に座った。
足を組んで静かなままの美音を見れば、顔を逸らすように外を眺めている。
髪の間から見える耳は真っ赤になっていた。
圭史は一人笑みを零すと言葉を紡いだ。
「そんなに外眺めて面白いものでもある?」
美音はそれに肩をびくっと震わせた。そして、数秒の沈黙の後、拗ねた口ぶりで言った。
「……瀧野くんの、いじわる」
一瞬驚きの顔をした圭史はすぐに笑みを零して楽しげに口にする。
「ごめんね、小学生並みの愛情表現で」
またそれに反応して耳を赤くする美音だった。
まるで初心な反応に圭史の心はいっぱいになる。まるで春の日差しに満たされた草木のように。
2006.12.18