時の雫-風に乗って君に届けば

§9 向かい風に煽られて


Episode 6 /9




 試験最終日の翌日は、一日テストの解答用紙返却と解答合わせに設けられている日だった。それが済むと次の日からテスト休みだった。でもそれは追試組みの登校日なのだ。試験が無事終了してテスト休みである美音は栞と買い物に来ていた。

「あー、これ可愛いね」
「うん、あ!いさちゃん見て見て。あれ。木馬に乗ったくまのぬいぐるみ」
「あー可愛いー」
街の中、店の中もクリスマス一色だった。大きなツリーの飾り、明るい時間であるのが勿体無いイルミネーション。
見ているだけでも楽しいのだが、いつは部活で忙しい栞とこうしてのんびり外で一緒にいられるのも楽しく感じていた。
 傍から見ると、美音の強さにどこか頼りなげな雰囲気の栞がついて行っている関係に見える。だが、実際はそんな事はなかった。お互いが悩みを相談しあう仲だった。

 あちらこちらをお喋りしながら見て回っているとかなりの距離を歩いていた。
気がつけばもう3時になろうとしていた。
「休憩しよっか」
栞の提案に美音は笑顔で頷いた。
 すぐ近くにあった喫茶店に入り、好物でもあるフレッシュオレンジジュースを注文した。ジュースが届きストローを口に入れると、思っていたより喉が渇いている事に気付かされた。一気に半分まで減ってしまった。
「結構歩いたねー」
「でも気に入ったの買えたし」
「うん、……あ!あそこのマフラーいいなぁ」
栞の後ろはガラス窓で売り場が見渡せるようになっている。
美音のその台詞に後ろを振り返ってみると、紳士物の飾られているマフラーがあった。
「あの男物の?」
「うん、あの綺麗なグリーン。ちょっと水色に近いラインが入ったヤツ。あ、隣のもいいなぁ」
そして美音が指差したのは、茶色でソフトな生地感でさりげない編み模様のランダムリブマフラー。
「うーん、どっちも似合いそう……」
真剣に悩んでいる美音の姿を栞は微笑みながら見つめていた。
「茶色の方が普段使えていいかな……」
独り言を言っている美音に栞はストローでかき混ぜながら聞く。
「で、誰にプレゼントするの?」
「え?……え?あの、知り合い……」
うろたえた反応を見せる美音に、栞は楽しそうな顔をしながら聞く。
「もしかして、瀧野君、だったりとか?」
「えと、お世話になってる人にお礼で……」
「そうなんだ」
「うん……」
何とも言えない顔で俯いてしまった美音。
栞は微笑みながらそれを見つめていた。





3日間あったテスト休みが終わって、2学期最後の登校日、終業式を迎えた。
 その日の朝、いつもより早い電車で登校していた美音は教室に一人で席に着いていた。
さすがにこの時間はまだ誰も来ていない。
終業式の準備で早目に着ていた美音は机の上に置いている小さめの紙袋を両手で包み込むように持っていた。濃緑の手さげの紙袋の中に包装された物が入っている。
息も潜ませるように沈黙を保っていた美音は小さく息を吐いた。
「美音ちゃーん、いこー」
薫が廊下からそう声をかけてきた。
「はーい」
美音は慌ててそれに返事をしながらカバンをかけているフックに紙袋をさげ、薫の所へ急いだ。
 薫と並んで歩きながら、美音は俯きながら目に入っていない廊下を眺めている。
そのぼんやりとした様子に薫は声をかけていた。
「美音ちゃん?寝不足?」
「あ、う、うん、ちょっとね本読んでたら遅くなってしまって」
「私も休みの間朝ゆっくりだったから今日はつらいよ。校長先生の話で寝ちゃったらどうしよ」
「うーん、それはやばいよね」
「ね。生徒皆にばれちゃうもんね」
他愛ない話をしながら二人は講堂に向かった。一番乗りの美音と薫がのんびりとマイク等をセットしていると、丈斗がやって来た。
「おはよーございます」
「おはよー」
「おはよう。野口くん一人?」
「はい、藤田とは別々です」
「じゃあ、亮太とどっちが早く来るかなぁ」
「私は亮太」
「じゃあ私は藤田君。野口くんは?」
「じゃ俺も溝口さんが早い方で」
そうして5分後に姿を現したのは快だった。
「あらー、珍しく藤田君だったよー」
「ほんとだ」
「え?なんすか?」
「亮太と藤田君どっちが遅いかなぁって言ってたの。賭けは私の勝ちでジュース獲得!」
「はー」
そう話し始めた頃に亮太が走ってきた。急いでやって来たのが分かる位に息が上がっている。
「おーわりぃ遅くなった」
「あー、別にイーよ。珍しいねぇ、亮太が遅いなんて」
荷物を運びながら声をかける美音に、亮太は息を整えながら言葉を紡ぐ。
「いや、テスト休みでずっと家にいたもんだから、今朝家を出ようとしたら、妹が愚図ってさ……」
「妹に愛されてると大変だねぇ」
「え?妹さんていくつなんですか?」
「うーん、聞いたら驚くよー、ねぇ」
同意を求めるように薫に顔を向ける美音。
「まぁ大概は驚くよね。年の差に」
「……一回り離れてるとか?」
「せいかーい」
「へー」
「亮太のお母さん、すっごい若いんだよね。今幾つだっけ?亮太」
「今、35歳」
「へー」
「見たけりゃクリスマス家に来いよ。毎年クリスマスはお袋が料理作って友達呼べって言ってるから」
「会長と春日さんも行くんですか?」
「うん。去年も行ったよ。勿論今年も。……って、その話してなかったっけ?」
「初耳でーす。……行きたいけど、うーん」
そう首をひねる様子の丈斗を見て、笑顔で言う美音。
「クリスマスだもん、彼女と約束してるんでしょ。そっち優先しなよ」
「あ、はい。一緒に行こうって行っても、嫌な顔するだろうし……」
「そりゃあねぇ」
「藤田君は?」
薫の問いに、快は複雑そうな顔で言う。
「俺は友達と先に約束してて……。でも、春日さんも行くって言うし」
それに美音は笑顔を向けてスッパリ言った。
「友達と先に約束してるんだから、そっちにしておきなさい」
「……はい」
うな垂れる快に、同情の眼差しを注ぐ男二人だった。



 いつもと変わらぬ風景の中、朝礼が行われた。ただ違うのはそれが終業式というだけの事。生徒会役員は、壇上の右端、その下に整列している。
朝礼中、それぞれが一定の視線を浴びているのだが、それに一つも注意を払うことなく各内容に耳を傾けている。司会は美音が行い、薫が会長の挨拶をし、校長の挨拶、表彰、生活指導の教師からの話が終わると、生徒会からの諸注意で亮太が話をして式は終わる。
 あとは、教室の大掃除を終えて各クラス毎のホームルームで、通知表の配布。
宿題の冊子の配布などを行ってその日は終える。

 配られた通知表を取り合えずフックにかけているカバンの中にしまった。
冬休みの注意事項のプリントに目を通していて、美音ははっと気付いた。
 教室を出る時に、カバンと一緒にかけた筈の紙袋がない事に。
美音の体は一瞬にして硬直した。頭の中でつい数秒前の行動を思い返す。
通知表を入れようとカバンに手を伸ばした。確かに他の感触はなかったのだ。
式を終えて教室に戻ってきた時、何も気にする事無く着席した。
そう言えばその時、一部の生徒が私語を止め美音の様子をなんら伺っていたような気がした。だけど、美音は一々そんな事を気にしない。自分の知らぬ所で興味を向けられているのは珍しい事ではなかったから。

 ―ホントにない。机の中にもない。……カバンの中にも入ってないよね……?―

今すぐにでも全部をひっくり返して探し出したいのだが、誰かがそれを見ているような気がして、美音は慌てた様子を表に出せなかった。
 泣きたい気持ちを必死に堪えながら、ホームルームが終わるのをひたすら待った。
 長く感じた終礼が終わると、生徒達はバラバラと教室を出て行く。
美音は自分の元にないのを確認するかのようにゆっくりとプリント等をカバンにしまっていた。何度確かめても、家から持ってきた紙袋は見当たらない。
泣きたい気持ちのまま、席から立った。教室を見渡してもそれらしき物の姿はない。
美音はいつもより軽いカバンを重く感じながら廊下に出た。
「春日ちゃん、今日も生徒会―?」
2組の教室から出てきた川浪が美音を見かけてそう声をかけてきた。
「あ、うん。ナミちゃんは部活?」
「うん、いつより早めに昼ごはん食べてから練習なんだ」
「そっか。頑張ってね」
「うん、春日ちゃんもね。じゃあね」
行こうと向きを変えた川浪に、聞くまいかずっと悩んでいた美音は思い切って言葉を紡いだ。
「あ、あの、ね?」
「うん?」
「どこに置いたか分からなくなっちゃって、これくらいの濃い緑の紙袋なんだけど、……見てない、よね?」
不安そうな顔をありありと浮かべて美音は言った。
そのいつもと違う様子に川浪は気付きながらも、今日一日の記憶を思い返していた。
「うーん、置いてあるのを見たりはしなかったけど、似たようなのを誰かが持っていたような……」
それを聞いた美音の表情が一瞬ショックを受けたようなものになっていた。
「そっか……、分かった。ありがと。ナミちゃん、また3学期ね」
「あ、うん、良いお年を」
そう言葉を交わして、美音は生徒会室に急いで向かった。
 生徒会室に入るなり自分の机に荷物を置いて、美音は又廊下に出ようと足を向ける。
「おおーい、えらく慌ててんなぁ」
「荷物置いとくからよろしくね。ちょっと探し物行って来る」
早口にそう言うと、亮太に目を向けることもなく走って行った。

 ―今更、探したって見つからないだろうけど、でも、探さずにはいられないよ……―

 頭をかすめるように言葉が浮かんでは消えていく。
誰が持っていった?
何でわざわざそれを選んで?
どうして?
もしかして、贈り物だって分かって……?
それを考える所ではなく無性に泣き出したい気持ちを必死で堪えながら美音は校舎の外に出た。何処かの庭に落ちていないだろうか、と。あちらこちらを探し回っていて、ふと思いついたのが焼却炉だった。次の瞬間にはそこに向かって走り出していた。





「絶対そうだって!」
「でも、さすがにこれはやばいんじゃない?」
「だからこうやって証拠隠滅するんでしょ」
「そーだけど、誰かに見つかったら」
「何言ってんの。誰も見てないよ」
「そうそう、これだけ見たって誰が春日さんのだってわかんの」
「いい気味じゃん」
女子数人がそう話しながら端の校舎の裏を歩いていた。
 まさかそこに生徒がいるとは思わずに。
「ちょっと待ってください!」
突然飛んできた、初めてではない声に、彼女たちは足を止め振り返った。
そこにいたのはスポーツウエアに着替えた松内だった。
ぎっ、ときつい眼差しを向けたまま、そのまま彼女たちにつかつかと歩いていく松内。
「それ!渡してください!!」
一人が不安な顔をし、それを持っている子に目を向けた。向けられた彼女はたじろぎながらも声を放つ。
「な、なんであんたに渡さなきゃいけないのよ!」
「あなたみたいな人達に言う理由はないです!よこして下さいそれ!」
松内は彼女に近づくとそれに手を伸ばした。
取られるものかと彼女は取られない様に引き寄せたのだが、松内の手は既に紐にかかっていた。引っ張り合いのような奪い合いに、松内は少しも手を緩めない。
周りの子もそれに応戦をして松内を引き剥がそうとした。
「……っ、こんな事したって瀧野先輩の気持ちは変わらないですよ!」
その台詞に全く手を離そうとしない彼女は目を憎悪の色に変えた。
「そんな事あんたに言われたくないわよっ!」
そう言うなり松内を突き飛ばして、歪んだ表情のまま、地面に尻をついた松内を見下ろした。その険悪な空気に他の女子は不安な思いを露にしていた。

「ちょっと!そこで何してるの!!」
その緊迫した一瞬の空気を打ち破ったのは、焼却炉に向かって駆けていた美音だった。
「ちょっと……」
「やばっ」
その声の主に、彼女たちは顔色を変えてその場を走り出していく。
あっという間に彼女達は姿を消してしまった。無くそうとした物まで放り投げて。

 彼女たちを呼び止める事もなく、追いかける事もなく、美音はあがったままの息をして松内に近寄り手を差し伸べた。
「大丈夫?突き飛ばされただけ?怪我はない?」
  探している物がすぐそこにあるというのに、それが視界に入っている筈であるのに、美音は松内を助ける事を優先していた。
そんな美音に、松内の心に今まであったはずの敵意が忽ち小さくなっていくのを感じた。
あの球技大会以来、松内の中には以前ほどその気持ちは大きくはなかったのだが。
 美音の手を借り立ち上がった松内は素直に言葉を口にした。
「大丈夫です、なんともないです」
その言葉に安心の表情を見せる美音。
松内は転がったままの紙袋に手を伸ばすと、汚れを払い落としながら言った。
「これ、取り返そうとしてて……。春日さんの探し物」
それに美音は悲しげな表情を浮かべていた。
ずっと探していた筈の濃緑の紙袋を松内の手で向けられて、美音は悲しげ瞳を揺らして言葉を紡いだ。それを受け取りながら。
「うん……、探してたんだ。ありがとう。でもどうして?」
「川浪先輩が話していたのを聞いたので、もしかしたら、と思って」
「……あぁ、ナミちゃんか。そっか」
何処か悲しげにそれを見つめている美音に、松内は沈黙を打破するように訊ねていた。
「……誰かへのプレゼント、ですよね?クリスマスの?」
「あ、……ううん、そんなんじゃないんだけど、別に、ね……いいんだけど」
その危うげな雰囲気に思わず松内は言葉をかけていた。
その場しのぎでも、ほんの少しでも、その雰囲気が壊れるようにと。
「あの、球技大会のリレー、あれって真剣に走ってくれたんですよね?」
「あ、うん。次の日体ガタガタになったんだけどね」
「……早いんですね、足」
「あ、中学の時、陸上部だったから。でも、全力で走ったことはなかったんだよ、今まで」
「そうなんですか?春日さんって何でも出来そうなイメージがあるんですけど」
「実際は苦手なものいっぱいあるよー。お裁縫は嫌いだし、嫌いな相手には愛想ないし、理数系弱いし、気が強いくせに変なとこ気が弱いし」
「あの、ありがとうございました。私色々失礼なこと言って」
「ううん、こちらこそ、ありがとう」
どこか儚げな笑顔に戸惑いを感じつつも松内は挨拶を口にする。
「じゃあ、失礼します……」
「あ、川浪さんにあったからってそれだけ伝えておいて貰える?」
「はい、伝えておきます」
美音がにこりと微笑むと、松内はその場を走り出していた。
数メートルほど進んでから足を止め、そっと振り向いた。

美音はスカートを膝に織り込んでその場にしゃがみ込んでいた。
手に持っていたはずの紙袋はその目線の下に置かれている。
 美音はぼろぼろになった紙袋をじっ…と見つめていた。



 自動販売機の前でジュースを飲みながら谷折と雑談をしている圭史は、いつもとなんら変わらない日を過ごしていた。
「あ、そうだ。24、25、26日瀧野んち泊まらせて」
突然の谷折の言葉に一瞬動きが止まったものの口を開いた。
「24日は練習試合あるだろ?」
「そうなんだけどさ、その日うちの親は旅行行くもんで、姉貴に帰ってくるなって言われててさ、家に入れてもらえないだろうから、……泊めてください……」
最後の言葉はやけに謙虚だった。
「……いーけど、兄貴と弟いるぞ?あー、兄貴はいないか、多分」
彼女のいる兄はデートで家を空けているはずだ。
「構わないです。部活終わってそのまま着いていきます」
一旦帰宅する事無く、荷物を持ってそのまま部活に行くのだろう。
「へーへー。好きにして下さい」

「あ、瀧野先輩!」
そう名前を呼ばれて顔を向けた先には、走り回っていた様子が見受けられる松内が足の速度を落としながらこちらに向かって来ていた。
「……どうした?」
別に表情を変えることなく圭史はそう訊ねた。
 そんな二人を、谷折はじっと伺っている。
「焼却炉に向かう校舎の端で春日さんを見かけたんですけど、物凄く落ち込んでて今にも泣いちゃいそうな感じでした。以上、報告終わりです」
松内はそう言ってぺこりとお辞儀をすると、テニスコートに向かって走って行った。
そしてフェンス前にいる川浪を呼んでいる声が耳に届いた。
 風のようにやってきて、風のように去っていく松内に、圭史は何も言葉を返すことがなかった。
「……」
隣にいる圭史から威圧感を感じるくらいの沈黙が漂ってくる。
谷折は言葉をかけるのを控えていた。
だが、あまりにも何も言わないので様子を伺うのに顔を向けたら、……もう既に圭史の姿はなかった。
「はや……」



 あれから、松内が圭史に付き纏う事はなく、熱烈な視線も向けてくることもなかった。
それでも時折目が合ったりすると、少しつらそうな笑顔を浮かべていた。
……それだけだった。
同じテニス部員として、会えば挨拶を交わす。
 今の松内の美音に対しての言葉は、以前感じたような刺々しさがなかった。
だから圭史は向かった。

最後の棟に向かう途中、圭史はふと足を止めた。丁度それは校舎と校舎の間だった。
彼女は、落ち込んで一人になって泣きたい時は必ずそこにいたから。
 顔をそこに向け彼女がいないことを確認すると、再び足を動かした。
 校舎を抜けて出た先は、学校敷地の塀と端の校舎の間にあるスペースだった。そこは焼却炉に向かう道筋でもあった。塀側には一定の間隔ごとに木が植えられていて、地面も緑に覆われている。春頃になると、休み時間には生徒が寛いでいる姿も見られなくはない。
確かめるように顔を向けた先に、校舎を背にして座り込んでいる美音の姿を発見した。圭史は静かに足を運んだ。
 足を低い三角にした美音の膝の上には、手頃な大きさに畳まれた茶色の物が置かれていた。美音はぼんやりとしているようだった。
ある程度まで近づいた時、進める足の音に気付いて美音が顔を向けた。
圭史の顔を見て微笑した美音は、どこか淋しげに見えた。
「……寒いのに、こんな所でどうしたの?」
圭史のその言葉に、美音はその場を立ち、スカートの汚れを片手で払い落としながら言葉を紡いだ。
「ちょっとたそがれてたんだ」
意味の取れないその台詞に、圭史は心配の色をした目を向けた。
美音はそれに困ったように微笑を浮かべただけだった。

 そんな二人に、冷たい風が吹き付けた。
反射的に身を強張せて風が通り過ぎるのを待った。
 スポーツウエアを着ている圭史の首元は寒そうに見える。
その様子を見ていた美音は静かに口を開いた。
「瀧野くんってマフラー持ってたっけ?」
「いや、持ってないよ」
「あったら、する?」
「うん」
素直にそう返事をした。
ずっと片手に持っていた物を差し出した美音に、圭史は躊躇った。
「……え?」
「あげる」
圭史の疑問に答えるように、美音の口からすらりと言葉が出た。
それでも、圭史は手を伸ばせないでいた。
「え?でも……」
「マフラーいらない?」
躊躇う圭史に、美音は首を傾げながらそう訊ねた。
「いや、そうじゃなくて……。本当にいいの?」
そう言った圭史はなぜか不安げな表情を浮かべていた。
美音はそれを一旦胸元まで戻して両手で抱えると、何かを思い浮かべているような表情でそれを見つめたまま圭史に言う。
「……数学、教えてもらって順位がすごく上がったんだ。他にも色々助けてもらってるし、だから、そのお礼」
最後は圭史に笑顔を向けて言った。
「……そっか。ありがとう」
胸中には戸惑いと共に少しの期待が混じっていた。けれど、美音のその台詞で、心の中には寂しいと感じる思いが波打っていた。淡い期待は抱くものではなかったと。
「ね、ね。巻いてみていい?」
延ばしたマフラーをすぐ首にかけることが出来るように両手に持っていた。
それを見て彼女にそうされる事を恥かしく感じながら頷いた。
「う、うん」
美音の足が自分の方へ歩み寄ってきたのを見て、かけやすい様に上半身を屈めた。
腕を伸ばせば抱きしめられる距離まで来ると、美音はそっと腕を伸ばし圭史の首にマフラーをかけて両先を前に持ってくると見栄えが良いように緩く結んだ。
 鼻に届いた、彼女の甘くてよい匂いは、圭史をどうしようもなく堪らない気持ちにさせる。けれど、そんな気持ちは美音には分からないだろう。
そして、美音は50センチほど後ろに下がってみてから口を開いた。
「うん、似合ってる」
その言葉に顔を向けると、美音は柔らかな笑顔を浮かべていた。
その柔らかい感触は肌に馴染むほど優しくて温かさを感じるマフラーに、圭史は嬉しく思いながらも少し切なかった。
「……ありがとう……」
そう言った圭史の顔はどこか切なげな微笑を浮かべていた。



 巻いてもらったマフラーを外すのが何だか勿体無いような気がして、その首に纏ったまま部室に向かっていた。
肌触りも良くて本当に温かい。それを感じるたびに美音の顔が頭に浮かぶのだが、心の中には沈んでいる自分がいた。
 そんな気分のまま、用具室の脇を通ろうとしている時、誰かの声が耳に届いた。
「あ!」
それに顔を向けると、このマフラーに注目している栞と目が合った。
 栞はすぐ笑顔になって圭史に言った。
「やっぱり瀧野君だったんだ。春日ちゃんが似合いそうって言ってたの」

 ―……そう言えば、一緒に買い物行くって言う話してったけ。じゃ、その時に買ってくれたのかな。これ―

栞の明るい声に、テンションの低い自分を感じつつ圭史は放つ言葉を捜した。
「…………お礼、だって」
声も勝手に落ち込んでいる。
栞は何となく困ったような笑顔を向けると、何かを押し隠すように口を開いた。
「うん、でも真剣に選んでたよ。いくらお礼でも他の人だったら、そういうのは無理だろうけど」
栞は「そういうの」の所でマフラーを指差していた。
その言葉に思わず顔を向けた圭史に、栞は笑みを向け用具室に向かいながら独り言のように言った。
「春日ちゃんは素直じゃないんだよね」

「…………え?」
そう声を洩らした時には、もう栞の姿は見えなくなっていた。

 美音と親しい栞の言葉は、圭史の頭の中をぐるぐる回っている。

 ―今のはどういう……?―

 その疑問に答えてくれる人物はもう目の前にはいないというのに。