時の雫-風に乗って君に届けば

§9 向かい風に煽られて


Episode 3 /9




 金曜日、球技大会。
この日、前日の曇り空が嘘の様な晴天になった。
 朝のショートホームルームを終えると、生徒たちは皆体操服に着替え、それぞれの種目開催場所へと向かっていく。
 美音は開催場所へ向かう前に生徒会室に寄り所用を済ませていた。
「えーと、あったあった」
机の引き出しからプリントを取り出すと、それを折りポケットにしまった。
そして、生徒会室を出て行く。
小走りにその校舎棟を出て行くと、一人歩いている栞を発見して美音は駆けて行った。
「いっさちゃーん」
「あ、春日ちゃん、おはよー」
「おはよー。昨日ねー瀧野くんの忘れ物を届けにテニスコート行ったんだけど」
「あー、見てたよ。なんか凄い注目浴びてたね」
「そーそー。なんかすっごい視線浴びてたから恥かしくなって思わずさっさと帰ったよー」
そう話をしている楽しそうな二人の背中に、突然声をかける人物がいた。
「春日さん!」
ぴた。と足を止める美音に、栞もつられて足を止めた。
二人は同じタイミングで呼び止めたその人物に振り向いた。
 そこには、確固たる意志を持った表情をした松内が立っていた。
その後ろには友人達らしき人物が二人支える様にして両脇に立っている。

 栞はテニス部の後輩である彼女のその態度に表情を曇らせている。
昨日の川浪たちとの会話は栞の耳にも聞こえていた。
言うべきことは全て川浪が言っていたから、余計な口を挟むまではないと思って栞は静かにしていた。
 彼女達も、男子テニス部のモテ組には少々熱をあげているところもあった。
1学期には1年の女子部員を呼び出しを行っていた事実もあるのだが、それは決して「面白くない」という理由だけではなく、テニス部の秩序を乱すことを嫌っている事もあり厳しい面があったからだ。そこの辺りを誤解する人間がいるが、彼女達は決して筋違いなことをしよとはしていない。
そして、キツイ性格の彼女達が美音にはある種の信頼を寄せていて好意的な態度でいることを栞は分かっていた。

 松内は栞に顔を向けると口を開いた。
「伊沢先輩、おはようございます」
「おはよう」
栞は、きちんと挨拶をする松内に、年下に見せる柔らかい表情で返した。
 その反応を見てから松内は引き締めた表情を美音に向け、口を開く。
「春日さんは、何の競技に出るんですか?」
それに躊躇いを感じながらも美音は答える。
「……バスケ、だけど」
「……あなたには、負けませんから」
挑戦的な目を向けてそれだけ言った松内は、すぐさま早足で体育館に向かっていった。

 遠くなっていく松内の背中を眺めながら、「はぁ……」とため息を吐いた美音。
隣で栞は気まずそうな顔をして言った。
「うちの後輩が、ごめんね」
「いやぁ、別にいさちゃんが悪い訳じゃ……」
「うん。……でも、昨日もなんか川浪さんたちに何か言ってたみたいだから」
「そうなの?」
「春日ちゃんの事、誤解してるみたいで、川浪さんが、そんな人じゃないって説明してたけど」
「そっか……。まぁ、見てても好かれてないのだけは分かるよ。私は別にそんな事ないんだけどなぁ」
「……そうなの?」
「うん、むしろ好きなほう?」
「ほんと?」
「うん。他の子みたいに陰でグジグジ言ったりなんかしてきたりする訳じゃなくて、はっきりしてるから、かな」
「うーん……」



 体育館で行われているバスケは、順調に進み2回戦が終わろうとしていた。
美音のクラス2年1組は3回戦に勝ち進み、次に試合を控えていた。
「次はどこのクラスと試合だっけ?」
クラスメートの問いに、美音は髪を左肩の方で1本に結いながらリーグ表を眺めつつ答える。
「えーと1年8組。……って、藤田君のクラスか」
「春日ちゃーん、試合始めるから整列してってー」
「え?もう?予定より時間早いのね」
進行予定表より試合の進みが早いのに驚きながら美音は他のメンバーについていくようにコートの中に入り整列をし、掛け声とともに礼をする。
「よろしくお願いしマース」
そうして顔を上げた時、自分を真っ直ぐに見ている生徒がいたのに気付き、そして知った。

 ―あ、松内さん。……負けませんから、の台詞は同じバスケだったから……―



「あの子、すごい徹底したマークしてる」
観客の内の一人がそう言葉を洩らした。隣の友人がそれに答える。
「うん、あれだけぴったりされてたら、やりづらいだろうね」
その言葉通り美音は松内にマークされている。執拗なくらいのそれにさすがの美音も動きを取れないでいた。松内の顔には美音に対する敵意がはっきりと表れている。
身動きの取れない美音は心の中でため息を吐くより他なかった。

 ―前半後半各10分ずつ。そして今後半残り数分。この子タフだなぁ―

半ば諦めにも似た感心を抱きつつ、美音はボールに目を向けた。
すると、クラスメートがボールを取られまいと投げ放とうとしているところだった。
だがその方向には誰もいない。それは美音の右方向。

 ―終わりよければ全て良し……っていうし!―

美音はそう思うと、左に重心をかけ、松内の動きを誘った。
思惑通り、松内が美音の左方向へ足を運ぶのを見ると、美音はすぐさま右に動く。
離れて床に着いたボールをそのまま手に取り、顔はゴールに向けシュートの体勢になった。
だが、松内がその邪魔に入る。
美音はそれを視界に入れると、後ろ方向にジャンプしながらボールを放った。
その信じられない動きに驚きながらも松内はすぐさまボールに目を向ける。
ボールはそのまま見事に決まった。まるで弧を描くように。
ボール放った後の美音はバランスを崩して床に尻を着いていた。
 ボールが床に落ち跳ねてから、どっと観客から歓声が上がった。
「春日ちゃん大丈夫?」
手を差し伸べてくれたクラスメートに、美音は素直に手を伸ばし笑顔で言う。
「うん、踏ん張るよりこっちの方が早かったから」
「それに凄いね今の」
「まぐれまぐれ」
荒くなった呼吸を整えている松内はそんな美音の様子を目にして、静かに俯いた。
 この試合は結局同点で時間を終えた。
どちらが優勝決定戦に出るかフリースロー勝負になった。
「春日ちゃんよろしくー」
「え?私?」
「そりゃあ、あれを見せられちゃ他はいないでしょ」
「あんなのまぐれだよ?」
「いーからいーから」
皆に押し出されるようにしてシュート位置に出された美音。相手は松内が出てきた。
気が進まない様子が美音の顔に出ている。
 そんな様子にも松内はきつい眼差しを向けてから、審判に顔を向けた。
「どっちから投げる?ジャンケンする?」
審判のその台詞に美音は言う。
「私は後でも先でもどっちでもいいよ。好きな方どうぞ」
「じゃあ、先で」
美音が後ろのほうに下がると、審判は松内にボールを渡した。
 松内は何度かボールをつくと、両手に持ちゴールを静かに見つめる。
そして、しん…、とした中ボールを放った。
それはそのまま真っ直ぐに飛んで行き、跳ね返るようにしてリングに落ちた。

 それを見て美音は足を位置に進める。
そこで審判からボールを受け取り、ゆっくりとボールをつきそのままスイッと両手に持ったかと思うと流れるように体しなやかにボールを放った。吸い込まれるようにリングに落ちたボールはぽすっと音を立ててそのまま床に転がっていった。
それは流れるような一連の動作。
そして沸きあがる歓声。美音は、やりにくいと言うかのような表情を浮かべた。
 2投目。松内は美音に向ける表情のままボールを放つ。それはどうにかゴールに入った。
美音はボールを受け取って、その位置に立つと、松内からの痛いほどの視線を受けてたまらず息を吐いた。ボールを両手に持ち顔を向けた美音は、やりきれない顔をしている。
静かに放たれたボールは当たった位置がずれていてリングの外に落ちた。
「外れちゃった」
ため息混じりに言った美音は頭をぽりぽりと掻きながらそう呟いた。
 そのまま整列になり礼をして試合は終了。
解散の足を運びながら美音はクラスメートたちに言う。
「ごめんねープレッシャーに負けてしまいました」
「仕方ない仕方ない、上出来上出来」

 クラスメートに喜びの言葉をかけられている松内の顔に笑顔は浮かんでいなかった。
それどころか、口をぎゅっと結びハーフズボンの裾を握り締めている。
「……あの人、わざとだ……」
その松内の呟きは、誰の耳にも届くことなくざわめきの中に消えた。



 ―さぁて、どこに行こうかなぁ―

美音の参加種目、バスケは3回戦敗退という事で、本日あと残っている事と言えば、もう生徒会の仕事のみだ。
 昼までにはまだ時間がある。それまでどこに居ようか。
生徒会室か、グランドにある本部席か、他の種目の応援か。
他の種目の応援と言っても、美音のクラスがどこまで勝ち進んでいるかは本部席に行かないと分からない。
体育館ではバスケ、講堂で卓球、グランドではソフトボール、グランドの奥にあるコートでバレーボールが行われている。

「よし、グランドいこ」
下駄箱に行き、外靴に履き替えるとグランドに向かった。
ソフトボールの試合が行われているのだが、そこには人だかりが出来ていた。
それも殆どが男子。珍しい光景に、美音は本部に行く前に足を向けた。
「ねぇ?どこのクラスが対戦してるの?」
とりあえず近くに居る一人にそう尋ねた。
すると、その男子は必死で試合状況に目を向けながら言う。
「2年4組と7組」
「ありがと」
教えてもらった事にお礼を言い、背伸びをして目を向けてみても、試合の様子は他の生徒の姿で遮られていて見えない。
尋ねられた一人が必死で覗き込もうとしている美音に何気なく目を向けてみて、驚きの声を上げた。
「あ!春日さん!」
周りにもどよめきが走った。
 そんな反応に美音は怪訝な表情を浮かべる。
「?」

 観客から聞こえたその声に顔を上げたのは、2年4組の圭史の友人たちである内藤と池田だった。二人は輪の外まで行き、美音の姿を見つけるとそこへ向かう。
「春日さん、折角だからこっちにどーぞ」
「ささ、どーぞどーぞ」
「え?え?別にそんなつもりは……」
「いーからいーから」
「応援に寄ってくれたんでしょ?」
内藤に背中を押され、池田に腕を引っ張られて彼ら参加生徒がいる場所へと連れて行かれた。その光景に誰も何も言わない。そこには当然圭史もいる。
 圭史は美音の姿を目にすると笑顔を浮かべた。
観客が上げた声は圭史の耳にも届いていたらしい。

 見た所、4組が攻撃で、7組のピッチャーに目を向けるとマウンドに立っているのは片岡だった。
何か言われた訳でもないのに、美音の表情は曇っていた。
「こっちに春日さんがいてくれたら、それだけで4組の勝ちだろう」
誇らしげに内藤がそう言った。それに続くように池田が口を開く。
「あ、気付いたみたいだぞ。悔しそうな顔してら」
圭史は後ろ手にグローブを持ち、足を交差させて立っている形でマウンドに顔を向けている。そんな圭史に、美音は彼らの台詞に疑問を感じて素朴に訊ねた。
「なんで?」
「……知らない方がいいと思うよ」
目をチラリと向けて、圭史はそう言った。
それを聞いて美音は一層怪訝な顔をして、何か言いたげに圭史を見つめる。
圭史は「ん?」という表情をしつつ笑顔を向けると、美音はそれに誤魔化されてしまうのだ。

「今何対何?」
多少不貞腐れた顔をしつつ聞いてきた美音に圭史は変わらず笑顔で答える。
「1対0で負けてます。残念ながら」
「うーむ……」
そう唸りながら美音はマウンドに目を向ける。
片岡が投げた球は吸い込まれるようにミットに納まり、ぱしん、という良い音を響かせている。
「いいボール投げるなぁ。バスケ部なのに」
腕を組みながら言った美音に圭史は肩を竦めながら返す。
「だろ?お陰で点にならなくてな」
「そっかー。……って、4組負けても私被害被らないよね?」
美音が先程の彼らの台詞を思い出して言ったその台詞に、視線を反らして答える圭史。
「うーん、……多分」
それに美音はまた怪訝な顔を浮かべた。

つい、と美音の額に指を当て、圭史は優しい口調で言った。
「しわよってる。似合わないよ」
圭史は笑顔を浮かべながら、その所作を流すかのようにマウンドに顔を向けた。
 まだ圭史の指の感触が残る額に手を当て、何とも言えない表情を浮かべた美音。その頬はほんのりと色づいていた。

 ふと、視線を感じて目を向けると、池田がこちらを見ていた。
瞬時に美音はいつもの調子になって、笑顔を浮かべつつ言葉をかける。
「片岡君のボール、当てる事できた?」
「一度ヒットは出したんだけど」
それに美音が笑顔向けた瞬間、声が飛んでくる。
「え?何々?バットに当てたら何かくれるの?」
横から身を乗り出してきた内藤に、美音はたじろぐことなく言葉を紡いだ。
「当てたくらいじゃ駄目だよ。せめて外野まで飛ばして、キャッチされなかったら」
「えー? で、それが出来たら何くれるの?」
「えーと、……そうだなぁ、私が作ったのでよければ、今日のお弁当のサンドイッチとか」
「OK!サンドイッチ好き!よーしやる気出てきた」
「俺もがんばろ」
美音のそれを冗談と取ることはなく、意気揚揚としているその様子に思わず美音は苦笑していた。

 結局、内藤は空振りで終わり、池田はヒットを出し塁に出た。そして圭史の打順。
「外野、飛ばしたら春日の弁当食べれるんだよな?」
その場を離れる時、圭史は横にいる美音に目を向けてそう言った。
「う、うん。キャッチされなかったら、だよ?」
「うん、当たるといいな」
圭史は笑顔でそう言い、バッターボックスに向かっていった。
 圭史の後ろ姿に、美音は眼差しを向けていた。
まるで、彼の本気か冗談か分からないそれを知ろうとするように。

 圭史の顔を見るなり片岡の表情が変わった。余裕のあった笑みが消えて険しいものが浮かんでいる。
一方圭史は涼しげな顔で静かに目を向けていた。
そんな二人の間からはただならぬ空気が流れていて、周りの観客たちは興味をむき出しにして見ている。

 ―なんだろう、このムードは……?私、又何か賭けの対象にされてるんだろうか。今度は私の知らない所で―

その考えを否定したい気持ちで、バットを構えている圭史に目向けた。
彼は涼しげな顔をしているものの、瞳の奥には何か揺らいで見える。
それはやる気にも見える。
 そして、不気味に静まり返った中、一球目が渾身の力で投げ放たれた。
それは見るからに他の投球よりスピードがあり、スパァアン!という快音がなった。
観客の中から、何かのひやかしで「ひゅう〜」と口笛が吹かれ、美音の眉が微かに顰められた。
「?」
圭史が軽くバットをスイングして構えると、2球目を片岡はその手に握った。
またしても辺りは静寂に包まれ、観客は視線を注いでいる。
 不気味なムードを感じつつ、美音の目はなぜかくぎつけになっていた。
投げられた2球目に圭史はバットを動かした。
それは芯を捉えずトーン、と地面に落ち転がっていった。ファールだ。
バットを構えつつ息を吐くと圭史は何かを呟いた。そして迷いのない目を向ける。
 そして放たれた3球目、圭史は思い切りバットを振った。
「あ!」
「わーいった」
圭史は見事に飛ばして見せたのだ。
「うーん、やっぱりテニス部は打つタイミング分かってるなぁ」
感心した声で美音はそう呟いていた。
そんな美音に周りは一斉に視線を注ぐ。
その視線に気づいた美音は、「ん?」と顔を上げ、ぎこちなく周りを見ると、その何か言いたげな様々な視線にうろたえながら、……顔を伏せた。

 ―何が何だと言うんだろう?―

美音はそれ以上この場所にいることに抵抗感を感じ、逃げるようにして本部に身柄を移した。



 試合を終えて、圭史は7組の実行委員と結果を報告に本部に向かった。
そこで真面目な顔で書類を見つめ黙々と手を動かしている美音の姿があった。
受付場所にいる丈斗にもう一人の実行委員が声をかける。
「ソフトボール7組と4組の試合、1対2で7組の負け」
「はい、分かりました」
圭史はその横で美音を眺めながら立っている。
顔を上げることなく黙々と仕事を続けている様子に、頭をぽりぽりと掻いてから心の中で呟いた。

 ―ま、いいか……―

そのまま美音に声をかけることなく圭史は教室に戻っていった。
内藤達と雑談をしているうちに昼休みを迎え、圭史は席を立ち言葉を放った。
「んじゃ俺学食行って来るから」
そして注がれたのはジト目の視線。
「……なんだよ」
圭史が低くそう言うと、彼等は顔を逸らし他愛のない話に戻っていた。
教室の扉を開け廊下に出ると、そこには待つようにして美音が立っている。壁に背を預けて。
圭史は心臓がドキッと鳴ったと同時に、期待が胸を広がっていった。
圭史が言葉を口にするより早く美音が近寄ってきて口を開く。
「はい、サンドイッチ」
差し出されたそれに反射的に両手を出して受け取ってしまっていた。
「え?いいの?ホントに」
「うん、いいよ」
その台詞に圭史の頭に考えが過ぎり、様子を伺うように目を向けると声を出す。
「これって、春日の今日のお昼だよな?」
「うん、適当に何か買って食べるからいいよ。じゃ」
そうして行こうとした美音に圭史は慌てて口を開く。
「じゃ俺、昼おごるよ、悪いから」
美音はピタッと足を止めて振り向く。
「いいよ、そんな気にしなくて。ね?」
不意に向けられた可愛い笑顔に、圭史の心臓は反応する。
「えぇと、今日一人で学食行く予定で、だから一緒に……」
圭史にしては珍しく必死で言葉を紡いでいた。本人もそれに気付き、そんな自分に戸惑いを感じた瞬間、顔が火照っていく。

 ―うわっ……、俺、なに……。もっとスマートに言えるだろー?―

握った手の甲で口元を隠しつつ、美音から目を逸らしている。
この後、何をどう言って良いものか分からなくなって、圭史は口を閉じてしまった。
緊張が走った次の瞬間。
「うん、いいよ」
そう放たれた優しい声音に圭史は思わず顔を向けた。
そこには穏やかに微笑んでいる美音の顔があった。






 谷折は鼻唄交じりに日替わりセットを受け取り、空いている席を探していた。
今日は全員体操服姿で、いつもと違う空気を感じる。
そのせいなのか、食堂内は何やらざわついていた。
そんな中で見慣れた人物を見つけ、そこへ進んでいく。
「隣空いてる?」
「空いてるよ」
その返事を聞いて谷折は鼻唄を歌いながらトレーを置いて椅子に座った。
他は混雑しているのに、この人物の周りはやけに空いているのか、と少し疑問に思い顔を上げて、素直に谷折は驚いた。
隣の圭史の前に座っていたのは美音だったから。

その驚きを隠せぬまま顔を向ける谷折に、圭史は何も答えず目を逸らした。

 目の前にある日替わり定食の魅力には勝てず、とりあえず箸を割った。
そして、ざわついている原因を谷折は食べながら今知った。

 ―そりゃ渦中の2人が昼一緒にいるの見たら、誰もおいそれと近寄れないよなぁ―

黙々と食べている谷折に、圭史は会話を振ることなくサンドイッチを食べている。
 ふとそれが目に入って思わず口を開いていた。
「あ、玉子サンド一つちょーだい」
その台詞に圭史の動きが止まった。
何か言いたげな目が向けられても、谷折は犬のようなひたむきな目を向け貰えるのを待っている。
「あげていい?」
圭史にそう訊ねられた美音は笑顔で返事をした。
「うん」
「え?もしかして春日さんの手作り?」
「うん、そうだよ」
変わらない笑顔で言った美音に谷折は思わず呟く。
「まぁなんと羨ましい……」
「谷折君もソフトボールで外野まで飛ばしたら貰えたかもしれない」
「まー残念。俺バレーボールなのよ。1回戦で負けましたが」
「あ、ほんとー。私バスケで3回戦敗退」
「うん、丁度その試合見てたよ」
そう言った谷折に、横目を向けた圭史。
「隣でうちのクラスが試合してたんだけど、殆どのヤツはその試合見てたよ。
最後の方凄かったね。しつこいマークをフェイクで離した瞬間、飛んできたボールをキャッチしてシュートか?!って思ったら松内さんが戻り早くて無理かなと見てた奴は思ったんだけど」
松内の名前が出た瞬間、圭史は噎せていた。それに構わず谷折は話を続ける。
「後ろに飛びながらシュートして入っちゃうんだもん。あれは凄い」
「あれはまぐれまぐれ。着地できなくて尻餅ついちゃったし」
「フリースローもカッコ良かったよ」
「2投目外しちゃったけどね」
「いやぁ1投目の見てたら全部入れそうな気がしたけどなぁ」
「2投目は集中できなかったから」
「バスケ経験あり?」
「あー、小学校の時ミニバス入ってた」
「どーりで。瀧野見たことあんの?」
「いや、小学校は別だから」
「見れなくて残念ねー。俺のクラスの友達なんか食い入る様に見てたよ」
「……あの、もうその話はいいです」
恥かしそうな表情を浮かべながら言った美音。
その様子を見て思わず二人は微笑を浮かべた。

 ふとトレーの上を見て谷折は突然声を上げた。
「あ!お茶がない!……瀧野お茶くれー」
「は?」
「喋ったら喉渇いた」
わがままなお子さまの物言いに、呆れ顔で圭史は美音にも聞く。
「春日も飲む?」
「あ、飲む」
それを聞いて圭史はお茶を取りに行った。
谷折は「いってらっしゃーい」と手を振って送り出したのだった。

圭史が離れたのを確認してから、谷折は笑顔を向けて美音に言った。
美音に聞こえるくらいの小さめな声。
「こうして二人が一緒にいるの見るとさ、噂はホントなのかなーって思うよね」
それに美音は「え?」という顔を向けた。
「事の真相を聞かれても、あいつは何も答えないしね。……春日さんも」
そこまで言って美音に顔を向けた。美音は俯いている。
谷折は「自分達の噂知ってるでしょ?」と言葉を続けようとしたのだが、美音のその様子を見て聞くまでもないと判断した。
 谷折がそこで台詞をとめたのに気付いて美音は顔を上げた。
「……なに?」
 その美音の問いに谷折は微笑を浮かべた目を真っ直ぐ向けながら言う。
「ううん、春日さん、他の奴には手厳しいのにアイツには割と優しいよね?」
 美音は僅かに目を見開いた。
「それはなんで?」
 そう訊ねてきた谷折に美音はたじろぎながら口を開く。
「それは、私が瀧野くんには頭が上がらないって言うのがあるから」
頬杖を突いたままにっこりと笑顔を向けると、谷折は言葉を返す。
「ん?なんで?」
「え、いや、その、痴漢に助けられた事が数回、解らない問題教えてもらった事も数回あって……、だから……」
「……あいつがねー。見掛けほど優しくない奴、のはずなんだけどなぁ。やっぱ春日さんには違うんだ」
お茶を持ってこちらに向かって来ている圭史の姿に目を向けながら呟くように言った谷折は、斜め向かいに居る美音に目を向けてみて、思わず言っていた。
どこか恥かしげに俯いている美音は何とも言えない表情をして可愛かったから。
「そうしてる春日さん、フツーの女の子って感じがする。なんかかわいー」
 その思ってもいない台詞に、美音は驚きの目を向け思わず口にする。
「な、なに、言って……」
「んー、素直な感想。そのギャップが良いのかもね。普段はピシッとしててカッコいいし」
「も、もう、そういう話はいいから……」
頬を赤くしてたじろぐその姿に、谷折は笑顔を浮かべた。
そして、少し意地悪そうな笑みを浮かべて、頬杖をしたままの格好で谷折は口を開く。
「じゃあ、話を変えて、……結構さ、知っているのに気付いてないフリするよね?春日さんって」
 その突然の台詞に、美音はただ驚き大きく開けた瞳を谷折にぶつけた。
だが、それは一瞬の事で、美音はスッと隙のない表情で笑顔を返しただけだった。
 その反応に谷折は微笑を浮かべて肩を竦めた。