時の雫・風が向かう先

§0 距離の向こうに


Episode 1




 高校の合格発表から数週間後の、4月に入るとすぐ入学式が行われた。
とりあえず朝一番に学校に来てすることと言えば、クラス発表を見ることだ。
 別にこれといって期待も無く、掲示板を見上げた。中々自分の名前が見つからず、順を追って眺めている。
 その間に、隣に僅かに距離があって、他の生徒が立った。
暫くして、ぽつりと声が聞こえた。
「…2組かぁ」
なんとなく聞き覚えのある声に、掲示板を見ていた眼をそちらにちらりと見遣った。

その人物を目にして、僅かに瞳が大きく開かれた。

同じ中学だった女の子だ。てっきり地元の高校を受験しているものと思っていたのに。
……この高校を受験するとも予想していなかった。

彼女は自分の名前と番号を確認すると、その場を後にした。

同じ中学出身と言えど、話をするほど、二人は個人的にも接点が無い。
再び掲示板に目を向け、又次のクラスに目を通す。
やっと自分の名前を見つけ、クラスを確認する。7組だ。
先ほどの女の子のクラスとは階が違う。

うーん、と軽く息を吐いて、圭史けいしは校舎の中へと入っていった。


 中学のときの学ランとは違い、高校ではブレザーにネクタイだ。
上はブレザーでもスクールセーターでも良い。女子はネクタイかリボン。
ネクタイを結ぶのに慣れず、今朝も鏡の前で奮闘した。
中学のときの入学式は、何かしら希望にも満ちていたが、高校のでは言うほど期待感と言う物はなかった。


 入学式から1週間後に行われた新入生歓迎会でも、部活動の紹介があったが、圭史はテニス部への入部を決めていたので、取り立て興味は無かった。
 ふと、入学式当日掲示板の下で見た彼女のことを思い出して、何所に入るのかは気になったが、校内でもあまり見かけることは少ないので判別できなかった。

 学校生活にも部活動にも慣れてきた頃、同じクラスで友人になった内藤がパンを食べながら話していた。
「他所のクラスの子でさ、可愛い子見つけた。可愛いと美人の間くらい」
「ふーん。どんな子?」
「うーん、それがクラスも名前も分かんなくてなぁ。教員室の前で見かけたんだけど。
バッジの色で同じ1年と言うことくらい」
「それだけじゃ何も分からないよ」
友人たちが話しているの聞きながら、なんとなく彼女の姿が頭に浮かんだ。

 −……もしかして、な…?−

友人たちも詳細を知りたそうだったが、それ以上のことは何も分からないので、結局話は終わってしまった。

 午後の授業も何も問題なく終わり、放課後を迎えた。
いつもなら部活動があるのだが、今日は顧問の都合で休みとなった。
珍しく早い時間に学校を後にした。
別に寄り道をするわけでなく、まっすぐと駅に向かい電車に乗る。
学校から地元の駅まで区間は5つ。遠いと感じることは無く通学している。
 吊革を握りながら、何気なく顔を、乗っている車両の向こう端に向けた。
……そして、圭史は気付いた。
セミロングの髪を束ねずに下ろして、鞄を肩にかけ、ブックカバーをした本を読んでいる彼女に。
中肉中背であるのに小さく見える彼女の雰囲気に暫し釘付けになっていた。
見かける度、同じ高校であるのだと認識する。
今までまともに話した事も無く、目すら合った事も無い。
相手にとって圭史はそう言う存在だとよく知っている。

お互いの親同士は仲がよく、家に遊びに来たりしていた。
今までにも何度か、部活から家に帰ると、居間に彼女と彼女の母親がいるのを目にしたことがある。
…そのお陰で尚更話しにくいというのがあった。





 5月の終わり、生徒会選挙が行われる。
2年生徒会役員は、前年度の繰り上げとなっており、1年から不足分を補充する形となっている。
立候補者の中から一人を選び、生徒の投票が多い順に役名が決まっていく。
 生徒全員が体育館に集められ、選挙演説が始まった。
男子二人が終わると、女子が壇上に上がった。
それを見た内藤が圭史に声をかけた。
「あ、あの子だ。言ってた可愛い子」
「え、……」
そう言われ、興味なかった壇上に目を向けた。
 そこには、彼女が立っていた。
「春日 美音みおだって。おれ、あの子に入れよう」
ざわついていた館内も、彼女が話し出すと静かになった。
見かけの雰囲気と違って、凛とした口調で演説をしている。透き通った声を誰もが聞いていた。
演説を聞いて、誰かがポツリと呟いた。
「あの子、通るな」
 その予想は見事に的中し、1年4人の中で1番の確保数で決まった。
1年から決められるのは、書記が二人と会計一人。
美音は書記となった。





 夏休み中に行われた新人戦で、圭史は3位と言う快挙を成し遂げた。
2学期始業式で他の部活の入賞者と表彰を受け、生徒から拍手を貰った。

「瀧野ちゃーん」
自分を呼ぶ女子の声に圭史は足を止めた。
女子テニス部の1年上の先輩だ。夏休み前くらいから何かと気をかけてくる。
圭史も一緒にいて楽しかったので、気軽にお喋りなどをするようになっていた。
「これ、言っていたやつ。はい」
雑誌を手渡した。
素直にそれを受け取り、圭史は礼を言う。
「そう言えば、学祭の出店の準備っていつからでしたっけ?」
「来週からよ。1年は何かと大変だけどねー。でも、楽しいし頑張って」
「はい」
笑顔で答えた圭史を、じっと見つめてから、何時もの調子で明るく言う。
「瀧野ちゃんなら後夜祭で一緒に踊る子、いるんでしょう?」
「いないっす。いたら、まぁ学祭ももっと楽しくなるかもしれないですけどねぇ」
「えー?嘘ぉ。いそうに見えるんだけどねぇ」
「まーこればかりは、選んでもらわないと…」
「そっかぁ。あ、じゃ又部活でねー」
「はーい」
別れて、教室に戻ると、先に戻っていた友人が少々にやけながら口を開いた。
「最近、あの人と一緒にいるの見かけるな」
「そーだなぁ」
別に気にせず圭史は答える。
「あの人って、瀧野に気があるんじゃね?」
「さぁね。まぁ、嫌われてはいないだろうけど」
表情を変えない圭史に、内藤は声を潜めて訊ねる。
「で、瀧野の方はどうな訳?」
何事も無くあっさりと口にする。
「別に。そーいうお前らは学祭目前にして、彼女とか出来たのかよ」
友人たちは、ぐっと詰まり肩を落としながら言う。
「言ってくれるな。周りには粗い粒しかないし、『あの人』は手が届かないし」
「この前も誰か玉砕したって耳にしたよ」
「だろーな」
当然。とでも言うような圭史の口調に内藤は食い付いた。
「何?なんか知ってる?その言い方」
「え?そんなんじゃないけど」
少したじろいだ様子で口にしたのを見て、距離を詰めながら問い詰める。
「じゃなんだよ?」
話をそらすのも無理なこの状況に、微かに嫌そうな表情になってしまう。
視線を友人らから外して、だるそうに口にした。
「同じ中学出身でな、玉砕した男の話しか聞いたこと無かったから」
「ええー、同じ中学?!」
「なんでもっと早く言ってくれないんだよ」
「そーだよ」
友人たちは口々に言う。
思っていたとおりの反応にため息をつきたい心境になった。
だが、実際にそれをすれば、又何を言われるか判らない。かろうじて堪え、代わりに圭史は顔を見られないよう向こうへ向け、せめてもの反抗に嫌な顔を浮かべた。
「なんでだよ」
「しょーかいしてくれよ」
「そーだよ」
「無理だよ。同じクラスになったことも話した事もないんだから。
向こうは俺のことなんてしらねぇよ」
「えー?!」
尚も口にする友人たちに、圭史は感情を出さずに言う。
「無理。相手にされないの目に見えてる」
きっぱりとした圭史の態度に、友人たちは渋々ながら諦めざるを得なかった。


 学祭まであと数日と言った頃、午後は学祭の準備時間に当てられ活気付いていた。
あちらこちらからにぎやかな声が聞こえてくる。
それらを耳にしながら、圭史は真面目に、クラスの出し物に使われるセットを作っていた。
そこへ材料を取りに行った筈の友人が急いだ様子で戻ってきた。予想よりも早い時間で。
「おいおいおーい!」
「…なんだよ」
怪訝な顔で圭史は口にした。
「今、そこで仕入れた情報なんだけど、あの春日さんが交際申し込まれてOKしたって…」
圭史はそう言った友人の顔を暫し見ていたが、すぐ顔を元に戻し、手を動かした。
他の友人がそれに返す。
「えぇ?相手どんなやつだよ」
「詳しくは知らないけど、3年だって。何か委員やってるって話してるのを聞いたけど」
「うわーショック〜」
「こんなことなら先に告っとけば良かったー」
作業から目を離さず、圭史はぼそっと呟く。

……相手にされないっての。

「ん?今誰か何か言ったか?」
怪訝な顔をしてそう言った者が1人。
皆それには反応せず、「あーあ」と いったようなやる気をなくした声を各々発し、再び作業へと戻っていった。

 10月に入ったというのにまだまだ暑い。
顔中汗だくになった圭史は、タオルを持って手洗い場へ行った。
タオルを肩にかけ蛇口をひねる。出てきた水も生温かったが、気にせずそれで顔を洗った。
幾分すっきりしてタオルで顔を拭いていると、暑い日に木陰で休んで耳にする風鈴の音のような声が、耳に届いてきた。
「じゃぁ、学祭1日目の朝は、実行委員は体育館に集合なのでよろしく」
タオルを顔から下ろす前に、声が聞こえた方向に目をそっと向けた。
圭史の隣のクラスに位置する廊下で、藁半紙の束を手にした美音が男子生徒と立っていた。
生徒会役員が各クラスの実行委員に段取りの予定表を渡しているらしかった。
 拭き終えたタオルを肩にかけ、方向を自分の教室へ変え歩き出した。
 各クラスに在る実行委員は、年内を通じて学校行事に貢献しなければならない。
クラスの奴も軽い気持ちでなったらしいのだが、思っていたより数十倍も忙しく文句を洩らしていた。
ただ、他のクラスの女子と交流も持てるので、彼女が出来た事は得したと言っていた。
 そして、実行委員を束ね指揮するのが生徒会となる。
朝礼や、各行事の司会というと、祭壇の端や一般生徒達と離れた所に、生徒会役員・美音の姿をいつも目にしていた。

 後数歩で教室に入ろうという時、背後から声が飛んできた。
予想していなかった。
「瀧野くん。」
「はい?」
思わずそう出てしまった声に、心の中で己の間抜けさを感じながら、つい早く振り向いてしまっていた。
 そこには、背筋がピンと伸びて、自分を真っ直ぐと見上げている美音が立っていた。
慣れぬ光景に戸惑いを感じながら、体を美音に向けた。

凛とした表情のまま、彼女は口を開く。
「7組の実行委員の人って今教室にいる?」
それを聞いて、教室内に顔を向け見渡したが、姿は見当たらなかった。
「…いないみたいだけど」
「そう…。何所に行ったとか、知らない、よね」
微かに困った表情をして、そう口にした。
数秒間があって、圭史は言葉を紡ぐ。
「それ、渡しておくくらいならするけど?」
先程の表情はすぐに消え失せ、圭史を見上げて言う。
「ほんと?じゃあ、これお願いします」
渡されたプリントの束を受け取ると、彼女にそっと目を向けてみた。
目が合った彼女は口を開く。その時 −初めて圭史に向けた− 笑顔を浮かべて。

「ありがとう」

「あ、…うん」
どうにかそれだけ口にすると、美音は気にした風でもなく、又隣のクラスへと足を向けた。

「……、」
肩下まで伸ばされた髪が靡いて涼しげに見えた。

 美音がやってきた方向から走ってくる足音が聞こえたかと思うと、横を通過してあっという間に彼女に追いつき声が放たれた。
「春日さん」
呼ばれた美音は足を止め振り向いた。
「先輩、こんな所にどうしたんですか?」
「休憩時間になったから一緒しようと思って」
バッジの色を見ると、3年生らしかった。
横に並んで歩くのを許しているのを見ると、きっと友人たちが話していた内容の当人だろう。

手にしているプリントの束を頭にコツン…と当てると、何も無かったように目線を下に向け教室の中に入っていった。



 学祭当日、テニス部の当番で圭史は出店に出ていた。
「瀧野ちゃん、それ終わったら用具室に置いてる材料の補充お願い」
「はいはい」
手にしていた飲み物をお客に渡すと、他の人間を肩で避けるように屋台の中から出た。
用具室に取りに行く物は、箱に入れられた食材。確かにこれは女子には重くて運び出せない。
 圭史が行ったのを見て、それを頼んだ1つ上のテニス部の女子は、近くにいた女子に小声で言った。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
「うん、がんばれ」
励ましの言葉をかけられ、笑顔を取り繕い、その場を後にした。

 丁度用具室に入ったところだったが、聞こえてきた音と気配で気付きドアの方を振り向いた。
ひょこ、と覗き込んできた顔を見て圭史は声をかけた。
「先輩、何か言い忘れた物でも?」
「え?ああ、うん」
その女子も用具室の中に入り、適当にペットボトルを2本手に取ると、圭史の様子を見つめている。
箱の中身を確認して持ち上げる圭史。
すると彼女は、戸を閉まらないように手で押さえ、圭史が出るのを待ってからドアを閉めた。
 そして並んで歩きながら、遠慮がちに言葉を放つ。
「良かったらさ、後夜祭一緒に踊ってくれないかな…」
勇気を溜め込んでやっとの思いで言った台詞に、圭史は何事も無いように答える。
「いーですよ」
心意を諮りかね、しどろもどろに言葉を繋いだ。
「あの、…その時だけの、話じゃなくて、私と、っていう意味、なんだけど…」
その様子に、ふっと笑顔になりながら、優しい口調になって言った。
「わかってますよ、OKです」
それを聞いて先輩は、ほっと胸を撫で下ろした。
その時から、その先輩は圭史の彼女になった


 翌日、学祭2日目。
いつも一緒に行動していた筈の圭史の姿が見えず、一人が尋ねた。
「あれ?なんで瀧野いねぇの?当番じゃないだろ?」
そのうちの一人が思い出したように言った。
「ああ、一緒に回る約束したからって行った」
「だれと?」
「同じテニス部の人だって。なんか付き合うことになったみたい」
「えぇえ〜?!」
「うわーうらやまし」
隠すことなく口にした友人たちだった。