二人のじかん

chapter3 動き出す空気 後編

  期末テストが終わり、テスト休みの最終日午後に部活動が開始になった。
家で昼食を取って、普段とは違いトレーニングウエアで家を出た。
自転車通学の者は正門を通らず、駐輪場に直通の門を通る。
他の生徒に会うことなく来たのでそこまでの道のりはスムーズだった。
自転車を停め、そこから部室へと向かう。その途中、康平には理由が見当たらない方向に向かって瀧野が歩いているのを見かけた。
 部室の扉の鍵は開いていた。だが、中に入っても誰もいない。
細かい事はあえて気にせず、準備を始める。
荷物を整理し終えても、まだ他の生徒は来ない。時間潰しもかねて自動販売機へ行き、ジュースを買った。
そこで飲むことも、歩きながら飲むこともせず部室に戻る。
途中で、ばったりと瀧野に会った。
「おお」
「おー」
お互いが少し驚いていた。挨拶もかねたような声が出て、二人は一緒に部室に向かう。
 その行動は何もおかしなところは無い。なのに横から感じる空気が沈んでいるように感じた。
康平はちらっと目を向けてみる。その顔にはハッキリとした感情は出ていないが、どこか翳が見えるようだった。
「さっき、違う方向に向かっているのを見かけたけど、どこに用事だった?」
様子を探る理由もあって聞いてみた。
「え?ああ、部長に部練届けを生徒会に持っていくのを頼まれてな。部室であったのが俺だけで、顧問のところにも行かないといけないからってさ。時間短縮したかったらしいよ」
「へぇ。部練届け、そういうのあるんだ」
「そうみたいだな」
そこで話は一旦終わり、特に何も話さずに二人足を進めていく。
「……ふぅ」
まるでため息のようなそれに康平は口を開く。
「テスト、でも、悪かった?」
「え?なんで?」
そう問われたことに顔を上げ聞き返した瀧野。
「いや、なんか、気分が悪そうに見えたから」
「……テストは特に悪くも無かったかな。どちらかと言えばいつもより出来が良かった方」
「へぇ。あ、じゃあ」
なんで?と聞きそうになって口を閉じた。違う事の理由、まして、内容が内容だったら、瀧野の表情が一変するかもしれない。頭の中で慌てて考えて言葉を紡いだ。
「良かったのって数学?」
「あ、うん」
「俺もあの問題集のお陰で割りと良かったんだ。ほんと、貸してもらえて良かった」
「それなら良かったよ」
「結果も良いに越したことはないし。まして、いつもより悪いと親や先生に心配されるからなぁ」
「そうだな。いつもと違うと変に口を出されるというか、自由が奪われるというか」
「そうそう。でも、やる事やらないと意見のんで貰えないし」
「そうだよなぁ。……真面目にやってると、不真面目にやってる奴の巻き添え食らうと凄く腹たたね?」
「あー、分かる。あ、期末テスト赤点4つ以上取ったやつが一人でもいたら休み中の部活動停止だったっけ?」
「そうそう。何年か前に一度あったみたいだよ」
「へー」
部室に入ったところでお喋りは止んだ。
二人はまた沈黙の中、用意をする。
途中、視界の端に入った瀧野の動きが停止していた。その数秒後に、ため息が吐き出された。
また、様子の違う瀧野に気付きながら、康平は口を噤んでいる。
「あ、ラケットまでしまってた……」
独り言に、額に汗が浮かぶような心境の康平だった。
ガチャ、というロッカーの開ける音がしたと思ったら、ごん!という鈍い音が響き、「いてー」という瀧野のうめき声が聞こえてきた。
「だ、大丈夫?」
それには思わず声をかけていた。
「あー、うん。……はぁー」
重いため息を吐いた瀧野は大丈夫なようには見えなかった。

練習が始まる前の1年が集まっている中、一人が声を上げた。
「あれ?谷折は?」
それに他の部員が答える。
「一つ補習だってー」
「へー、赤点取ったんだな」
それに康平と瀧野は無言で聞いていた。
 その谷折は練習に途中から参加した。勿論、補習が終わってから。

フェンス脇に転がっているボールを拾っている康平は、上半身を立てたときに視界に入った瀧野に目を向けた。
 珍しく空を見上げていた。
練習中にそんな姿を見せる事自体珍しい。
……あれからまだ少し様子のおかしいままの瀧野に康平は気付いていた。
けれど、本人に何か声をかけることも無く、ただ普段どおりにいる。
余計な詮索はせず、そっとしておくのが一番得策だとも思うからだ。
よっぽど心に重いことがあったんだろう、と康平は思っていた。

 休憩時間になると、ラケットをフェンスに立てかけ歩き出した康平に谷折は声をかけた。
「どこ行くん?」
「ジュース買いに」
「ふーん。ふーん」
谷折はそう言ってじーっと康平を見てくる。
それに、康平は引きつった笑みを浮かべて、言ってほしいだろう言葉を口にした。
「ついでに買ってこようか?代金は貰うけど」
すると、ぱああと笑顔になった谷折。
「おう。いちごみるくね」
「……うん」
今日は飲み物が甘いものか、と心の中で思いながらそう返事をした。


 それから、終業式の放課後。
練習の合間にある休憩時間に、康平はコートを後にしようとフェンスの扉に向かう。
「笠井―、俺ウーロン茶―」
「おー」
飛んできた谷折の声に返事をすると康平は足を進める。
お茶を頼んだという事は今日はおやつはあるのか、と思いながら向かっていく。
 自動販売機に到着すると、先に自分のを押し出てきたのをすぐ開けて口をつけた。
飲みながら頼まれた分を購入する。
左手に頼まれたウーロン茶を持ち、右手では自分のを持ち口に運びながら来た道を戻っていく。
 ごくっ。と口に含んだ分を飲み込んで目を向けた先。
そこに姿を見せた和花に驚いた康平の足は、ビタッと止まった。
窓から身を乗り出すように両腕を桟に置いている。今彼女の目はしっかりと康平に注がれていた。
「……あ、これ、どうぞ」
何故だか、その空気に耐えられなくなって、康平は谷折の分を差し出していた。
きょとんとした顔で素直に受け取ってしまっている和花。
「これ、笠井君のじゃないの?」
「あ、いや、俺のこれだし、……どうぞ」
谷折の、と言おうとして飲み込み、違う言葉を口にする。
「いいの?」
「うん」
「ありがとう」
にこっと笑顔で言った和花。康平はなぜだか妙に気恥ずかしく感じていた。
この時期には冷たく感じるウーロン茶を肘の横に置いて、まだ真っ直ぐと康平を見ている和花。
その様子に「じゃ」と去ることが出来ず、康平は口を開いた。
「あの、美術部だったけ?」
知っているけど、まるで確かめるように。
とりあえず、浮かぶ事と言えばそんな事くらいだったから。
「うん、そーだよ。笠井君は?」
その無邪気な顔で訊かれた。本当に知らない様子に見えた。
知られていなかった事に軽いショックを受けながら答える康平だった。
「て、テニス部」
そうしたら、数秒の黙考があって和花は口にした。
「……ああ、ラケット持ってたんもんねぇ」
どこか間延びした口調。

 ― ……もしかして、天然? ―

初めて知ったそれに康平はぎこちない表情を浮かべた。
口にする言葉が浮かばない。
「終業式の日にも練習?」
「あ、うん。基本的に毎日」
「へー、毎日。大変だねぇ」
「美術部は?」
「火曜日と木曜日の週2回。あとは自由。今日は新春作品会の説明があるから出ないといけないんだ」
「作品会?」
「そー。夏の絵画展では優良賞貰ったよー」
「へぇ凄いんだ」
「へへー」
照れ笑いを浮かべる和花に、思わず視線を注ぐ康平。

 不意に教室の方から呼ぶ声がして、中に向かって返事をした和花は、すぐ康平に顔を向けて言った。
「じゃあまたねー」
「あ、うん」
乗り出していた上半身を引き、窓を閉めていく。康平は歩き出しコートへと向かう。
「あ」
声を上げた和花が慌てて窓を開けた。
「笠井君、これ、ありがとうね」
名前を呼ばれて振り向いた康平は、その事自体既に忘れていたようだ。
「あ、うん」
返事をしながらも呆然とする康平は、そこから見える、急いだ様子で奥へと行った和花の後ろ姿を眺めていた。
 殆どボーっとしたままの状態でコートに戻った康平は谷折の顔を見ても思い出さなかった。
「ねぇ、俺のは?」
「え?」
「頼んだウーロン茶」
「あ」
どこか拗ねた表情をしている谷折との間に奇妙な沈黙が漂う。
「あ〜、悪い、忘れた……」
「なんで忘れるんだよー。ウーロン茶〜」
「わ、忘れたというか、なんというか……」
「うう〜、ウーロン茶〜」
すると、近くに居た瀧野が冷えた目と共に声を吐き出した。
「はっ」
ぴたりと止んだ谷折と康平は顔を向けた。
「笠井もわざとじゃないんだから。お前いくつだよ」
「16歳」
素直に答えた谷折。
「じゃあ落ち着け。今からダッシュで買いに行くか、他から分けてもらうか」
「じゃあ分けて」
「俺のはポカリだから。あっちらへんが水筒のお茶持参だから頼んで分けてもらって来い。お前ならイケル」
「いえっさー」
谷折は颯爽と瀧野が示した方向に向かい、明るい声でお願いしていた。
「あ、ありがと……」
ふう、ため息をついた瀧野にお礼を言った康平。
瀧野は別に気にした様子も無く言う。
「いや、いいけど。谷折はああいう感じの奴だけど、笠井も別に人の分まで頼まれなくてもいいんじゃね?」
「いやー、本当についでだから構わないんだけど。今日はたまたま途中でばったり会った子につい思わず差し出してしまって……」
ぽりぽりと頭を掻いてそう話した康平。
「ふぅん。それがわらしべ長者になるといいな」
「いやー……、なったら凄いけど」
「はは」
その笑顔がいつも見せるものとは違って、柔らかいものだった。

康平は心が少し浮いたような、不思議な感じに捕われていた。
今までの空気が変わったかのような、少しだけ何かに期待する時と似た気持ちになっていた。


2009.10.5

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