時の雫-紡がれていく想い Story23

零度の距離


§12

「はぁ」
一体何回目のため息だろう。数え切れないくらいしてる。
気がつくとボーっとしていて、ため息は口から勝手に零れていく。
そして、何度この電話機の前に立っているだろう。
 頭の中は彼でいっぱいなのにこの手を受話器に動かす事が出来ないでいた。
「……電話したとして、何を話そう……」
そんなことを考えるだけでも心臓はパンクしそうなくらいドキドキいっている。
 冷静に考えれば、自分がバカみたいに思えてくる。
だけど、どうにもならないのだから仕方がない。
でも、……やっと「普通」に接する事が出来るようになってきた頃だったのに。
今までのあの努力は何だったのだろうと思うくらい今又振り出しに戻ったような気がして仕方がない。
 ……ああ、これは本当に重症だ。
彼を想うだけで心臓がドキドキ騒ぎ出して指先までが震えだしてくる。
もうこのまま呼吸困難に陥って倒れてしまいそうなくらい。
胸はこんなにも切ないのに。
どうして、うまく伝える事ができないんだろう。
「あー、胸痛い……」
電話の前で独り言を言ってしまうほど、心境的に追い詰められてる。
「あー……、きっと嫌な感じだと思ってるだろうなぁ」
そう呟き彼の顔を思い出せば、忽ち心臓が騒がしくなる。
 ああ、なんて私って、どうにもできないんだろう……。

 ……数日前のあの夜、熱いキスをされてから、彼の顔をまともに見ることが叶わなくなった。
いつも優しい彼がみせたもの。
自分への想いの熱さや重さを見せ付けられたようで私の心はショートしたみたいになった。
あの時のことを思い出すたび身悶えしそうなほどだ。
 自分が自分でなくなる。
彼を思い浮かべるたび、顔を見るたび、声を聞くたび、傍に居るのを感じるたびに、体が熱くなる。足先から指先まで、頭の天辺まで。
体の中を疼く様に、熱さと痺れが混じったようなものが駆けて行く。
もうどうして良いのか分からなくなる。体が固くなったようになっていう事を聞かなくなる。
彼からの想いを見せ付けられると、忽ち右往左往してしまう。
想われている事は嬉しい事のはずなのに、彼の前に姿を見せる事が困難になっていた。

 試験期間中、ずっと避けていたような感じになっている。
そして、気がつけば、今週最後の登校日。答案用紙返却日になっていた。
朝も彼と会うことは叶わず、教室に閉じこもりっぱなしの私は廊下で彼とすれ違う事もなかった。
明日明後日は学校休み。そうなれば後残すは終業式だけ。
春休みに入ってしまう。
まさかこのまま顔を合わさないでいる訳には行かない。
さすがにまずいと思う。
怒らせたいわけじゃない。嫌な思いをさせたいわけじゃない。
だけど、この私の行動はそれらを否定できない。
……なんていうことだろう。
 教室で帰り支度をのろのろしていた。彼に会いに行かなくちゃと思うのに踏ん切りみたいのがつかなくて。だけど、彼のあの辛そうな顔を思い出せばそうもしていられない。
「……よし」
小さく意を決してカバンを両手に握ると教室を出たんだ。
他の教室はもちろんの事、彼が在籍する4組も終礼が終わって解散になっていた。
廊下に彼の姿がないか見渡し、教室の中も確認し、3組の谷折君の所にもいないか確認した。
だけど、彼の姿は無かった。
小さなショックを感じながらも、早足で下駄箱に向かいながら彼の姿を探す。
見つからないまま下駄箱に到着し、彼の下駄箱の中を確認してみれば、上靴はもう置かれていた。……部活に向かった後だ。
ああ、なんて間が悪いんだろう。
 どうせだからこのまま部室に向かってしまおうか。そんな思いも過ぎる。
だけど、出来る訳がない。他の部員の注目を浴びながら彼と話すなんて……。
正当な理由、前みたいに忘れ物を届けに行くとか、があれば、行けただろうけど。
今のこの状況、この心境で行ける訳がない……。
この軟弱モノと罵られても無理だ……。
 がっくりと肩を落として家に帰っていった。

 その悶々とした気分はずっと続いていた。
帰宅しても、暇を持て余してボーっとしている間も、何かをしている時もずっと頭に浮かぶのは彼のことばかり。そして口から出るのはため息ばかり。
 日が暮れて、決心して電話機の前に立ったんだ。受話器を取ろうとした時、お母さんが廊下に出てきたから心臓がどきっと言って電話どころじゃなくなってしまった。
何回か電話をかけようとしたけど、その度に家族の邪魔が入ってかけられなかった。
意気消沈して部屋に戻り、ベッドにパフンとうつ伏した。
「はぁ」
彼に会いたい……、そう思うのに。
こんな所で燻ったままの私。そんな自分に感じるもどかしさ。
あー、ほんと、だめだめだ、私。
 土曜日の昼間、家族がいないときを見計らって電話をかけてみたけれど、瀧野家は誰も電話に出ることがなかった。
そーだよね。皆忙しいよね。
瀧野くんだって練習あるし……。
そんな事を思いながら、しゅんとして部屋に戻っていったんだ。
 同じことをぐるぐる頭の中で考えながらいた私は、正直このままおかしくなってしまいそうだった。
日曜日の晩、再度、意を決して電話をかけた。
この時間なら絶対いるだろうって思って。
悉く遂行できない現実に自棄を起こしていたといっても過言ではない精神状態だったけど。
大きく息を吸って番号を押す。受話器を持つ手には力が入っていた。そうじゃないと手が震えだしそうだったから。コール音が聞こえると心臓の音も一緒に聞こえていた。
何回目かのコール音の後、受話器の向こうに人が出る音がして、声を出す準備をする。
受話器の向こうから聞こえてきた声に言葉を放つ。
「あ、春日です。え、と、その声はヒロ君だよね?」
「あ、おねーさん。久しぶりー」
「久しぶりだね。元気してるの?」
「うん。毎日部活に頑張ってるよー。おねーさんは?部活は?」
「高校では部活はしてないんだ。そのかわり生徒会やってるから」
「へー、そうなんだ。凄いなぁ」
「そんな凄いもんでもないんだけどね」
「又おばさんと家に遊びにおいでよー」
「うん、そーだね」
「そして、またゲームしよー」
「うん、分かった。……ところであの、お兄さん、えと、圭史君いる?」
「うん、ちょっと待ってね」
カチャリ、受話器を置く音が聞こえて、心臓が騒ぎ出す。
どうせならちゃんと保留にしてくれないかなぁと思いつつも緊張は隠せなかった。
短い時間の後、再び受話器をとる音が聞こえて、心臓が音を立てた。
「今出かけてるみたいー」
それはヒロ君の声だった。
一瞬頭の中真っ白。それでもすぐ声を出す。
「え、あー……、じゃあ、帰ってきたら電話もらえるように伝えておいてもらえる?」
「うん、分かった」
電話を切ると体から力が抜けていくのを感じた。それもだるく。
なんて、こう、間が悪いんだろう……。
自分の運の悪さを呪う瞬間でもあった。
 その後、部屋で彼からかかってくるだろう電話を待ってはいたけど、かかってくる事はなかった。

 翌朝、終業式の日の目覚めは最悪だった。
目を覚まし、上半身を起こすと出るのはため息だった。
「はー……」
結局彼からの電話はなく、私の気持ちは沈む一方だった。
 怒ってるのかな。呆れてるのかな。
……きっと、怒ってるんだろうなぁ。こんな私の態度じゃ。
 今日はいつもと違う時間の登校だから朝に彼と会うこともなく、気がつけば終業式が始まっていた。
生徒会役員が並んでいるところから彼の姿を見ただけ。
ああ、なんて遠い……。
普段では思わなかったことでも今はそう思ってしまう。
 放課後、偶然会った谷折君に、分かっていながらも聞いてみた。
今日部活あるんだよね?って。
もし午前中だけって言われたら、その後一緒にいられるかもしれない。
お昼から、と言われれば、昼食の時間に会いに行く事も可能。
だけど、実際は、昼食までも、その後も彼は練習があるということ。
淡い期待は打ち崩され現実の寂しさだけが心を吹き付けていくようだった。
力の入らない体を感じながら、その日も淡々と時間は過ぎていく。
生徒会室で打ち合わせをしてから昼食。そして、校内の見回りと補修箇所の点検。
明日から春休みだというのに気分は浮かないままだった。

 頑張って電話をしてみたけれど、それはもう遅すぎたのかもしれない。
かかってこなかった電話。同じ学校だというのに会えない現実。
全ての事象が私を責めているような気がする。
空気は穏やかで空は綺麗な青空が広がっているというのに。

 心は他の事に囚われていたら、なぜか藤田君と見回ることが決まっていた。
それにすら不運を感じる。ボーっとしていた私が悪いんだけど。
 以前よりはいくらかマシになった藤田君だったけど、それでも感じる煩わしさはあった。
堂々とした春休みの誘いを無碍にしつつ足を進める私の後をついてくる藤田君。
しつこさに堪らなくなったから、見回りの仕事を藤田君にも一人で行くよう押し付けてみる。以前と違うのは、それに素直に応じるようになった事だ。
「はーい」と景気よく返事をすると、藤田君はその場所へと向かって行った。
一人になった私はそのまま足を進め通路を歩いて行く。
そして、不意に気付いた、雑草に隠れるように転がったままのテニスボールが一つ。
「こんなところに」
そう呟いて拾い上げた。彼に関係するものは全部愛おしく思えるだから不思議だ。
ついでだから用具室に戻しておこう。
そのままテニス部の用具室に向かい扉を開けた。
中には誰もいなくてほっとして中に入っていった。
誰かいて変に気を使われるのも嫌だったし、何の用?と嫌な顔をされるのも嫌だったから。
 すぐボールがたくさん入っているかごを見つけ、その場所から放り投げてみた。
だけどうまく入らず転がっていってしまったボール。
たったそれだけの事にも、今の自分はなんてついていないのかと思ってしまう。
どうにもならない思いを胸に、拾いに向かう。薄暗い場所。
あまりの埃っぽさに窓を開けようと進めば、ちゃんと置かれていなかったトンボに足を引っ掛けてしまい派手に転んでしまった。
そして次々と何かが倒れていく音がしている。
「……いったー! もう!ちゃんと立てかけないで!」
続く運の悪さにそう声を荒げた。
痛い足を引きずりながら、とりあえず行く手の邪魔になったトンボを綺麗に立てかけてから窓を開けた。
幾分明るくなった部屋を見渡してみて、あまりの惨状に一瞬動きを忘れた。
「……すごい有様。はー……」
何がどうしてこうなったのか……。
もう運が悪いとしか言いようがないのだけど、もうそんな事すら考えたくなかった。
 そして、手伝いがほしいと思うこの時に限っては誰も来ることはなかった。

半分くらいが片付いた頃、まだ終わらない現状を見て思わず呟いてしまう。
「はぁ、何やってんだか……一体」
疲れた気持ちをひしひしと感じながら、次はボールを拾い始めた。
たった一個のボールから、とんだ目に遭っているものだ。
 そのボールを拾い終えて立ったとき、がらっと扉の開く音が聞こえて顔を向けたら、それは何ともいえない顔をした瀧野くんだった。
見た瞬間に私の体は反応を示す。勝手に落ちていくかごは、見事にボールを散らばせていた。
「……あ。」
しまったと思い出た声。
そして聞こえてきた声は呆れを通り越したようなものだった。
「……なに、してるの?」
それに申し訳なさを感じつつ、彼に反応する心臓と必死と戦いながらこんな状況になった説明をした。
目の前に彼が立っていると思うだけで、もうなんか自分が何をしているのか、何を言っているのかよく分からなくなってくる。
多分、呆れているだろうその様子にもどぎまぎしていた。
そして耳に聞こえてくる彼のため息。頭をかく音。
かなり呆れているんだろうな、と思う。というか、参ったな、くらい思われているかも。
そんな彼が大きなものを片付けに動いたのを見て、小さなものを片付け始めたんだ。
「……これって、新手の嫌がらせ?」
呆れた様子の彼の声。
「うっ……。いえ、あの、決してそんなつもりはないんですが……」
もごもごとそう答えた私。
いえ、本当にそんな気はないんです。たとえその台詞が冗談だと分かっていても今の私には返せる余裕もなく……。
いや、でもそれくらい思われて当然かもしれない。
ここ最近の私のあの態度、そして、これ、じゃあ……。
 何も言えなくって、泣きたい気持ちになりながらボールを黙々と拾う私。
彼には背を向ける格好で。でも、背にも彼を感じて緊張していた。
拾っているうちに、向けていた背も違う方向になってた。
 ふと、何かに呼ばれるように顔を上げたら、彼がこちらを見ていて、目が合った瞬間顔を伏せくるっと背を向けて体を小さくした。それだけで心臓はパンクしそうな勢いだった。
一連のそれを誤魔化す気持ちで懸命にボールを拾い続けた。
背から聞こえてくる彼のため息に、心の中で必死に謝る私だった。

 せっせと片付けながら気を紛らわせていた。
そうしないと彼の事ばかり気になってしまって、又緊張に固まってしまいそうだったから。
ようやっとボールを拾い終えて、かごを持ちつつ立ち上がって直そうとした時だった。
「俺の事、怖い?」
突然、前置きなく言われた言葉に、心臓が特に反応してしまい両手からかごが落ちてしまった。
散らばっていくボールの音がなんと間抜けに聞こえる事か……。
何処か躊躇いがちに呟かれた言葉だったのに、転がっていくボールを見て彼の顔は固まっていた。
「……美音さん?」
それに、現実にはっとして思わず声を上げる。
「ああぁあ〜!殆ど拾い終えてたのに〜!」
「……やっぱり、新手の嫌がらせ?」
「ち、違う〜。た、瀧野くんが変な事言うから〜」
何もこんな時に言わなくてもいいのに。と思ってしまう。
というより、そんな事聞かないで欲しい。
あたふたする私をよそに、瀧野くんは足元のボールを一つ拾い上げ、何かを持て余すように掌で遊び始めた。
だけど、その口から放たれた言葉はいつもの彼らしくなかった。
「いつになったら俺、溝口みたいに呼んでもらえる?」
溝口みたいに、と言われ、その言葉の意味を理解するのに少しの時間がかかった。
亮太が何?と思い、数秒してそれが名前を呼ぶことだと理解した。
それが分かったのか、彼は聞く。
「いつ?」
「え? ……あ、……た、あ、……う」
いつと具体的に問われても、すぐ答えなんて出てこない。
思わず、苗字で呼ぼうとして思いとどまった。でもなんて言ったら良いのか分からなくて言葉に詰まってしまった。
そりゃ、家では瀧野家の話をする時は「圭史君」と呼んではいるけど……。
急に呼べといわれたら意識してしまって中々簡単には口に出来ないよ。
なのに彼は言う。
「呼んでみてよ、今」
穏やかな口調は、それ以外のことを許さない圧力も含んでいるように感じた。
呼んでみようと口を開けてみるが、声は出せなかった。
どうしても、どうしても、声が出てこない。
圭史クン。たったその一言が言おうと思えば思うほど難しい言葉に感じて。
……ギブアップした。
「ま、まだ暫く猶予を下さい……」
それに小さく息を吐いた彼が、宙に上げたボールをその手でキャッチすると滑らかな放物線を描いて、私の足元のカゴに放り入れた。まるでそれは持て余した感情をどうにか昇華させているようにも見えた。
「じゃ、待つよ。待てるから」
いつもと同じ声には聞こえる。だけど、微妙に違う声。彼の手だって硬く握り締められている。だから、思ってしまう。
「瀧野くん……? ……やっぱり、怒ってるの?」
何か言いたそうに見えたけど、それはほんの一瞬にして消え去った。困ったように小さく息を吐いて彼は言った。転がっているボールを次々と拾いながら。
「……まー、フツー一週間放っておかれたら、どんな人間でもひねてしまうとは思うけど」
そう言われたら私は何も言えない。
まるで私の気持ちなんてお見通しなんていうように、しょうがないなぁという微笑を浮かべて彼は優しい声で言った。
「ここ、片付けてしまおうよ」
「う、うん……」
そうとしか今の私には口に出来なかった。

片付けている間、沈黙だった。
でもそれは気まずいとか言う類のものではなかった。
心臓はずっとどきどきいっている。
彼の動きが目の端に入っているくらい意識してる。
彼のことが好きで好きでたまらないのにどうしていいのか分からない。

ガチゴチになってしまう体と心。指先まで熱くなってふとした事にでも震えてしまいそうになる。
こうやって片付けている彼の背中を見るだけでも、こんなにも心臓はときめいているのに。彼が少しでもこちらを向く動きをするだけで、目を伏せてしまう。
目が合ったらどうしよう、なんて思ってしまって。
彼と目が合うだけでもこんなに意識してしまう……。

……なのに、そんな状態だって言うのに、彼は静かな空気の中話し出したんだ。
「一緒にいられるのだって、嬉しいと思う。だけど、……美音にとっては大変な事なんだろうか? そりゃ、俺だって男だから、一緒にいるだけで満足っていう訳にいかない時があるけど」
その台詞に思考能力を奪われたみたいになった。
顔がカーッと熱くなっていく。
目は彼の背中に釘ツケになっていた。
急に振り向いた彼に、どう反応して良いのか分からない私は慌てふためいて壁の隅に逃げていた。それは考えるよりも早い行動だった。
「な、……逃げなくても。そりゃ逃げられるような事したけど、でも、俺すんごい傷つくんだけど」
傷ついた様子で胸に手を当てよろめいてみせる彼に、私の心はぎょっとする。
そんなつもりないけど、そういう思いさせているのは事実で、自分でもいけないと思っているから。
だけど、この想いだけはどうにもならない。
好きで仕方ないだけなのに。うまくいかない。うまく伝えられない。
どうして良いのか分からない。
もう追い詰められた気持ちで声を放っていた。
「だ、だって、だって、ダメなんだもんっ。瀧野くんにはダメなんだもんっ。もっと私、さらっと流せるのに……。いつもこんなんじゃないのに……っ。だけど、いくらそう思っても瀧野くんにはフツーでいられなくてっ。顔も見れなくて、おかしいの分かってるけど、ダメなんだもん!胸は苦しくなるし、もう残りの人生の分使い切るんじゃないかって言うくらい心臓はバクバク言うし!頑張ってフツーなふりするけど、本当はいつだっていっぱいいっぱいで……。どうにかなってしまいそうなのっいつも必死で堪えて……!逃げたい訳じゃないけどっ、でもっ、自分がいう事聞いてくれない……!」
震える声。泣きたくなるこの思い。
精一杯の、正直な気持ちだった。
自分でも何を言っているのかよく分からなくて、頭が熱さのあまりくらくらしてきていた。本当はこの場から逃げ出したい気持ちだった。もう恥ずかしくて恥ずかしくて隠れてしまいたくて、両手で必死に顔を覆う。
こんな私、知らない。
自分の中では絶えず叫び声をあげていた。そうしないと本当におかしくなってしまいそうだったから。
恥ずかしくて仕方がない。こんな思いしたことないってくらいに。
そして、彼が目の前にしゃがんだのに気付き、体がびくっと反応した。
尚、動けなくなる。なのに……。
「……美音」
聞いた事がないくらいの声。もうそれを聞いただけでこっちは骨まで溶けてしまいそうなくらい。だから、変に手に力が入る。
今どんな顔をしてるだろう、私は。
恥ずかしくて見せられない。
「美音?」
また名前を呼ばれて、心の中で叫ぶ私。
「……名前で呼ばれるの嫌?」
私の反応が悪く、そう訊ねられた。必死の思いで首を横に振る。
だけど、彼は言う。
「じゃ、手離して」
優しい声だった。うう、だけど、動けない。
「……じゃないと、ひねて今後暫く美音の近くには寄らないよ」
それに体が先に反応する。
会えなかった今までどんなに辛いと思ったか。
いや、自分が悪いんだけど。会いにも行けなかったのは私だから。
そして、その台詞が冗談ではないんだと分かる。
背に腹は変えられない気持ちで、必死に両手を下ろしていった。
自分だって分かるのに。顔が真っ赤になってるって事。
どんな顔をすれば良いのか、どこ見たらいいのか分からなくて視点が定まらなかった。
恥ずかしすぎて彼を見ることが出来ない。
彼を見たら、どうにかなってしまいそうなんだもん。
けど、私のその気持ちなんてお構いなしに、彼の手は頬に向かって伸ばされた。
それだけでもビクッと目を瞑ってしまう。
けど、一向にそこから動かない彼の手に、私はそーっと目を開けた。
どうしたんだろうと思って。
そうしたら、頬に彼の手の感触が。
体が先に反応する。不思議な感覚。全てが熱くなっていくような感じ。もう彼しか目に映っていない。彼のことしか考えられない。
「……キス、してい?」
心臓がどきっと鳴った。うん、なんて恥ずかしくて言えないよ。
「こ、こんな状態で、聞いてくるなんて、……ずるい」
それに、彼が微笑んだのを見て、ぽーっとなった。
そーっと近づいてくる彼に任せるように目を瞑る。
彼のキスは優しかった。
だけど、前までのただ重ねるだけのキスじゃない。
心臓はドキドキと鳴っている。でも痛いとか辛いとか言うものじゃない。
反対に心地よいと感じてしまうくらいのときめきだった。
一瞬、離れたと思ったらすぐ塞がれた。
彼だけしか感じられない幸せな時間だった。
ずっとこのまま時が止まってしまえばいいのに。
だけど、指を組むように手を握られて、次第に最初より激しくなっていくキスに心拍数は上がって、不慣れな私は息苦しくなっていた。
自然と力が入っていたと思う。
そこで唇が離されて、口から息が零れていく。
「大丈夫?立てる?」
「え、あ」
優しい所作で手を貸してくれる彼。
そんな彼を見て思ってしまう。
相手が私だから、かけなくていい不安をかけさせてしまう。
こんな私だから……。
それが負い目にもなってた。
本当に、私でいいんだろうか。
そんな思いで彼を見つめていた。
「なに?」
「……ほんとに、私でいいの?」
思わず呟いてしまったそれに、彼ははたっと動きを止め、じっと見つめてくる。
その顔は少し怒っているようにも見えた。
言うんじゃなかったとすぐ後悔した。
「それはこっちが聞きたいくらいなんだけどね。……でも、今更だよ」
そんな台詞が返ってくるとは思わなかった。
でも、今更って何が?
「……何が?」
それに笑顔で答える彼。
「だって、今更だよ。諦めて手放す気も、他のヤツに譲る気もない」
そんな台詞を真正面で言われて、顔が真っ赤になった。
強い眼差しが本気なのだと言っている。
「それとも、俺が他の子の処にいってもいいと思ってるの?」
その台詞に思わず頭は勝手に想像してしまって胸が痛んだ。
「……それは、いや、だけど……」
「じゃあ、もうそういう話はしないで」
「……はい」
彼が少し怒っているのがわかった。
さっきから言わなくていいことばかり言っている。後悔ばかりだ。
「ホントは、こっちの方がもう捨てられるのかと思ったよ。まる一週間放っておかれて」
「で、でも、昨日電話したんだよ?私」
考えるより早くそう言葉が出ていた。電話するのにも必死だったから。
「……え?いつ?」
「き、昨日の夜、9時前くらい」
「……あ、多分、その時兄貴と出かけてた。電話出たの、弟だった?」
「うん。……出来たら、電話欲しいって、言ったんだけどね、ヒロ君に。でも、電話なかったし、怒ってるのかなって思って……」
やっぱり、怒ってるのかな……。顔が怒ってる様に見える。
「怒ってはないよ。ただやさぐれてただけで」
その台詞に胸が痛んだ。
「……ご、ごめんなさい」
「いーよ、今はもう」
そう言っている顔だって怒っているように思えてしまう。
だから心もとなく感じて、嫌われたくなくて、縋る様に彼のウエアの裾をぎゅっと握り不安げに見つめた。
「ホントに?」
「ホント」
そう返してくれる彼の顔がなんかいつもと違う気がして、不安は拭いきれなかった。
心配でずっと彼を見つめてた。
私、ただ好きなだけなんだよ……。
未だ言葉に出来ないその気持ちが、心の中を駆け巡る。
「……もう、……」
彼が堪らないといように出した声だった。
それを耳にしたと思ったら、キスされていた。
心の準備のないそれにされている事を受け入れるのに必死になってた。
それは激しいキスで今までのどのキスよりも熱くて頭の心までボーっとしてしまう。
初めてのそれに苦しさで唇が開き、彼が攻めてくる。感じた事のない痺れにどうして良いのか分からない。勝手に漏れる声。
「……っ、……んんっ」
苦しさのあまり、離れようと必死に両手を彼の胸に押し当てても、彼は許してくれなかった。反対に逃げられないようにしっかりと抱きしめられていた。
 ……あ、もう駄目。
そう思った次の瞬間、それまで懸命に堪えていたものが抜けていく感じがした。
余計な事は何も考えられなくなって、彼のことだけ。力なんてもう入らなくなってた。
長いキスが終わって自然と彼の胸の中にいた。
懐かしくも感じる彼の温もり。彼の匂い。全てが私を包んでいてまるで日常とは別世界だった。彼のことしか感じられない。私の全ては彼にしか向いていないから。
好き。彼が好き。彼だけが。
「……一番、すき」
今まで好きになったどの人よりも。
こんなに人を好きになった事が無いくらい。
自然と声に出た想い。今まで口に出すのが困難だったのが嘘のようにするりと出た。
「俺も好き」
彼から返ってきた言葉に、もっと素直に思いを告げられるようなりたいと思った。
やっと伝えられた気持ち。遠まわしな表現じゃなく、一番シンプルで難しい言葉。
心の中では数え切れないくらいずっと言っていた。

あなたがすき。

それは正真正銘の想い。ずっと声に出して伝えたかった想い。
伝えるのに時間がかかってしまったけど。
自分の中のこの気持ちにとても愛しさを感じる。
 私が言ったその言葉で嬉しそうな顔をするあなたも。

2007.12.28 美音サイド了