時の雫-紡がれていく想い Story22

零度の距離 -1


§12

  気がつけば、もう卒業シーズン。
もう今週には先輩方が卒業する。そうしたら、私たちが次の3年生になる。
遠い向こうに感じていた進路についてもはっきりと目指して向っていかなければならない。今一緒にいられるこの時間がずっと続けばいいのにとさえ思うのに。
ふと、そんな事を考えてしまうのは、親しい人が一足先に卒業していく寂しさからだろか。

 頭の中にふと思い出すことがあった。
「谷折と、テニス部の卒プレとホワイトデーの何か買いに行くんだけど、一緒にどう?」
そう瀧野くんに誘われて、嬉しい気持ちはあったんだけど素直に行けるものではない、と思ってしまった。
これが、個人的な買い物とかだったら気にせず行けたのだけど。
やっぱり目的が部活のものだとしたら、……行けないなぁ、と思ったんだ。
後々、私が一緒に行ったと公になって問題にでもなったら大変だし。
それこそ迷惑かけちゃうし。
それで断ったんだけど、心の中では残念な気持ちでいっぱいだった。
その気になれば一緒にいられる時間だったのだけど。
あと、その同じ日に、生徒会での卒業プレゼントを買いに行くのがもう決まっていた。
薫ちゃんと亮太と3人で。なぜその日になったのかと言うと、薫ちゃんの都合に合わせてなんだ。
……なんだけど、「私もその日買い物に行くんだ」って、なぜか言えなかった。
嫌な顔、というか、嫌な気分になるかなぁとかその時漠然と思っていたから。
 本当は、その日を別の日にして瀧野くんについていきたかった。
けど、出来るわけもなく……。
ちゃんと頭では分かっているのに、心の中ではもやもやしてる。
だから、口から勝手にため息が幾度と零れていた。


 そして今日、3人で行くはずの買い物が亮太と二人になってしまった。
明日卒業式本番なので他の日に変える事もできない。
一人で買いに行くにも、一人で見る自信もないし。
頭には瀧野くんの顔が浮かんだ。
ああ、こんな事ならちゃんと言っておくべきだった……。と後悔の念が浮かぶ。
そんな心境の中、亮太が言ってきたんだ。
「しかし、いい加減どうにかしないといけないんじゃないの?」
何の事かと思ったら、私に対する藤田君の事だった。
「だから今仕事して貰う様にしてるんでしょ」
だけど、亮太が言おうとしている事はそれだけではなかったらしい。
「そういうんじゃなくてだなぁ、もっとメンタル面での話で」
「メンタル面? 仕事するのに何で私がそこまで気を使わなくちゃいけないの?」
藤田君の行動の原因も分かってる。だけど、仕事に対してそれをどうしろというのだろう。特別に好意を抱かれているといって何をどうするべきだと言っているのだろう。
そう思えば思うほどイライラは積もっていった。
何を言われても反感しか抱けず腹が立つだけだった。
そして、それはずっと尾を引いた。

……なのに、問題の原因は私を尚苦しめる。
終礼が終わって教室を出て廊下を進んでいたら、途中で、こんな所にいるはずのない藤田君に遭遇した。
「あ、春日さん」
その安心したような笑顔を見てすぐ分かった。
私を待つ為だけにそこに居たんだと。
たったそれだけの事にも凄く不快になった。
「こんな所で何してるの?」
それは突き放すつもりで言った。私は相手にしない、という意思表示でもあった。
「え?いや、ちょっと」
そうとしか答えなかったから、そのまま通り過ぎたのだけど、藤田君は後をついてきた。
今日私が生徒会室に寄らないのは分かっているはずで、しなくてはいけない仕事が一年にはあるはずで。だけど、ここで相手にしたら駄目だと思うから放っておいた。
なのに、後ろからついてくる藤田君。
その気配を感じている時間が増すごとにイライラだけが増していく。
そして、角を曲がっても藤田君はついてくる。
その道は図書室に向かうもの。藤田君が向かうべき場所はこっちじゃない。
そして、このままついてこられて、大事な時間を壊されるのも堪ったものじゃないと思った私は、足を止め振り返らないまま言葉を放った。
「藤田君が向かうのはあっちの生徒会室でしょ」
激しく吹き出しそうな感情をどうにか堪えて。でも、イライラはその声には十分に現れていたはずだ。
だけど、藤田君はそんな事には一向に構わない様子で言ってきたんだ。
「春日さんはどこに行くんですか?」
答えたくないのを答える。
「……図書室」
「生徒会室、その後で寄って行きますよね?」
「行かない」
何かを吐き捨てたい気持ちに駆られていた。
感情全てをぶつけてしまいたかった。だけど、そんな事をしても無意味だろうってことはなんとなく察していた。
「何でですか?新聞の仕上がりはいつも最後に目を通していたじゃないですか」
なんで同じことを毎度毎度言わせるんだろう。思わず感情が迸る。
「今回は二人に任せたでしょう!」
「でも、いつもだったら、ちゃんと最後まで付き合ってくれたじゃないですか。なんで今回に限って」
「いつまでも私が傍にいると思ってるの?!4月になったら、二人が全部を取り纏めていかなくちゃいけないの!」
「分かってます。でも今はまだ3月です」
通じてない全てに怒りだけが自分を支配しそうになって、どうにか抑え込んだ。
きっとこの子には分からない。何度も説明してきたのに。
本当に放っておいたわけじゃないのに。
今日の私の精神状態と、今まで積もり積もったものが、私を縛り付けていくように感じた。
「……それに、ずっと様子がおかしいじゃないですか。何て言ったらいいか分からないけど、話していてどこかぴりぴりしてるし。……俺の事、避けてませんか?」
……今までの色んな思いが駆け巡っていく。
そして、亮太の言葉が頭の中を回っていく。
―「いい加減どうにかしないといけないんじゃね?」―
どうにか、していない訳じゃないのに。
藤田君からの好意ならもう昔に跳ね除けているのに。
私には彼との穏やかな時間があればそれでいいのに。
どうして、伝わらないんだろう。
どうして、問題の当の本人は何も気づいていないんだろう。
「……こうやっている時間に、野口君は一人で仕事してるんだよ。二人に任せたらいつも藤田君は野口君に任せっ放しで、すぐ人を頼ってくる。
二度手間なんて当たり前で、それどころか人の負担を増やすだけ増やして……!
どうしていつも人を当てにするの?!どうしてそれで生徒会役員になったの?!私は藤田君の面倒を見る為にいるんじゃない!私を困らせないで!」
諭そうと言い始めた言葉も、段々と感情が露わになって殆ど叫んでいた。
こんな自分も、こんな時間も嫌だった。
だけど、通じない。
「だって、仕方ないじゃないですか」
「だらしなさで仕事が出来ていない事に仕方が無いなんて理由にはならない!」
「じゃあ俺の事避けないで下さい。ちゃんと見てください。一人の男として、見て欲しいんです……」
かみ合わない言葉にいい加減頭にきていた。
もう傷つけたくて仕方がない衝動に駆られていた。
「……一人の?」
この目の前に居る人間を心底嫌いだと思う瞬間でもあった。
「満足に与えられた仕事もこなせない様な1年が。……それに、……後輩として以外何も思えない。今までもこれからも!それは前と変わらない!」
「それでも、ずっと」
もうこれ以上、藤田君の勝手な言い分を耳にしたくなくて、遮って言葉を放った。
「藤田君が今しなくちゃいけない事は何?ここにいる事じゃないでしょう?私がこれだけ言っても野口君に仕事を任せっきりにするの?それとも私を怒らせたいの?困らせたいの?」
「ただ……」
「何回も同じことを言わせないでね。私はただ生徒会の後輩に一日も早く仕事が真っ当に出来るようになって欲しいだけだから。それ以上の事は何もないから。今日この後も用事があって時間が無いし、もう行くから」
それで終わりにして、図書室に向かい始めようとした。だけど、まだついてこようとする足音に堪らなくなって叫ぶように言っていた。
「いい加減にして!!」
ホントに、彼の存在が嫌になってた。
頭の中も、心の中も、精神状態も何もかもがめちゃくちゃになってた。
きっと今ひどい顔してる。こんな状態のままで彼と顔を合わせたくなくて、奥の方へと進んでいった。
目には涙が浮かんできていた。
その場所に自分ひとりだと思っていた。だから、尚奥へと進もうと足を動かしていた。
目に浮かんでくる涙を拭いながら。
ぐちゃぐちゃになっている感情さえ嫌で仕方なかった。
だけど、予測しない感触があった。前方からぐいっと腕を掴まれて注がれた声。
「春日?」
瀧野くんだった。思わず顔を上げて彼の顔を見る。
心配そうに見つめる彼に荒れていた感情が嘘のように納まっていく。
「どうした?」
だけど、彼の問いに答える言葉は浮かんでこなかった。
彼を心配させたくないのと、藤田君の事を話したくないのと、嫌な自分を見せたくなくて、ただ堪えて首を横に振った。
落ち着かなくちゃ。
彼に心配をかけてしまう。
深く息を吐くと、自然と震えていた。でも、それで悪いものが全部出て行ったような感じだった。瞬きをすると溜まっていた涙が零れていったけど、新しい涙は浮かんでこなかった。
彼の胸がすぐそこにあって、自然とそこに顔をつけていた。
彼の温もりに心が穏やかになっていくようだった。
彼は静かにぽんぽんと背を優しく叩いてくれていた。
私の頭にそっと近づけられる彼の頬。
その仕草にも彼の優しさが込められていて、不思議と心の中がすーっと落ち着いていく。
私をこうやって救ってくれるのは彼だけなのだ。
 そうしている間、余計な事は何も聞かずにただ包んでいてくれた。
声を出そうという気持ちにまで落ち着き、そっと顔を上げ言った。
まだ声は少し震えていたけど。
「……ごめん」
それで自分がかなりひどい心理状況だったのだと知る。
そうしたら、彼の指がそっと目元をかすめていった。反射的に閉じる目。
涙の後を拭ってくれたみたい。そう思った直後、彼の手は頬に触れて唇に彼からのキスが落とされた。そっと触れるだけの、優しいキスに、心の中はピンク色に染まっていくようだった。
離れた彼を感じて、そっと俯き静かに目を開ける。
恥ずかしくて顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。

それはまるで魔法のようだった。
あのときの私が嘘のよう。
彼からすれば、どうしてこうなったのか分からないのに。
それでもそっと優しさで包んでくれる。
私の中で彼の存在は大きくて何にも敵わない。
こんな瞬間にも、自分がどれだけ彼のことを好きなのか自覚してしまう。
彼の視線を感じて、そっと顔を向けた。
彼の目はまだどこか心配そうで。
「あまりにもイライラして、それが爆発してしまって、堪えきれなくなっただけなの。……もう大丈夫」
藤田君の事を説明する事は無理だけど。そうしたら、きっとまた自分を見失っちゃいそうだから。自分の問題だし、彼にあんまり心配かけたくないし。
こんな自分が少しだけ情けなく感じたりもして。
少しの沈黙の後、優しく頭を撫でてくれた彼は、微笑で言った。
「……帰ろうか」
「……うん」
それは無言の励ましにも聞こえて、心が少し強くなった気がした。


 デパート入り口の前での亮太との待ち合わせに、私は時間ぎりぎりに間に合った。
……彼と一緒に帰る時間だけは割きたくなかったから。
だから一旦家に帰ると言い張ったんだ。
卒業のプレゼントを贈る相手は男性だから、亮太の意見で決まると言ってもいい。
「普段使えて勿体ぶってないのがいいと思うけど」
「手帳とかハンカチとか、万年筆……ボールペンとか?」
「まぁ、順番に見てみるか」
エスカレーターに乗りながらフロアを見渡していく。
 なんか違和感。こういう場所に亮太と二人ってなんか落ち着かない。
目的のフロアへ向かう途中、展示品を眺めている亮太が言った。
「なんか欲しいのあったら言えよ。ホワイトデーで買うから」
「え?いーよ、もう。それよりプレゼント見よ」
余計な誰かに会う前に、目的のものを買ってさっさと帰りたかったんだ。
それに自分が見たいものに亮太に付き合ってもらうっていうのにも抵抗を感じた。
向かったのは5階の文具雑貨フロア。二人で見て候補を絞っていった。
 買う品目を決めたとしても、気に入った物が見つかなければいけない。
二人であれやこれやと見ていったんだ。
相手が亮太な分、余計な言葉は考えなくていいし、思った事をそのまま口にしても大丈夫だから、気を使わなくてラクだった。
「これなんかどーだよ?」
そう品を手にとって見せてきたのを見て、即座に答えた。
「それは嫌。なんかデザインがイメージと合わない」
「ふーん?俺は別に使えれば何でもいい派だからなー。やっぱり女はこだわるなぁ」
「えー?女とかいう問題じゃなくて、個人の趣味の問題なんじゃないの?」
「……まぁそうかもな」
「ちょっとあっちも見てくる」
「おう」
その場にいる亮太の所を離れて、違う品物が置いてある所へ行った。
何か他にいいものはないだろうか。そう思って。
 そして、一人になった途端、思うんだ。
こんな場面を学校の誰かにでも見られて噂流されたら嫌だなぁ、とか。
もしかして、瀧野くんも買い物に来てるんじゃないだろうか、とか。
そして、鉢合わせしちゃったりとか……、したら、きっといい思いはしない、よね?
普通、そうだよね。
ああ、やっぱり初めからちゃんと言っておけばよかった。今更後悔しても遅いけど。
まさか亮太と二人になるなんて思っていなかったから。
偶然会ったとしても、ここに薫ちゃんがいたら、また違うんだろうけど。
……ああ、私、何を色々と考えてるんだろう。別に何もないのに……。
 見たものの中に、やっぱり気に入るものはなくて、区切りをつけるように亮太のところに戻った。
相変わらず、並んでいるものを適当に眺めている亮太だった。
「あっちにはいいものなかったよ」
「そーか。どーする?この候補の中から決めるか?もっと他のところも見てみるか?納得できないんだったら他の店見に行っても良いけど、急がないといけなくなるが」
「うーん、とりあえず、あっちの方も見てくるよ」
「分かった。俺、適当に見てるからな」
「うん」
雑貨のフロアの方に移っていったんだ。置物とかあるから。
写真たてとかもいいかなぁと思ってみたので、それが置いてある所へと行ったんだ。
そして、目的の陳列棚の手前で見知った人物を見かけた。
私服姿のいさちゃんだった。私が彼女を見間違えるはずがない。
思わず「あ!」と声を上げていた。
そんな偶然に嬉しくなって、何かを思うより早く駆けて行き声を上げた。
「いさちゃん!すごい偶然―!」
そのまま腕に抱きついたんだ。
その視界に隣の陳列棚に向かって立っている男子の姿が入った。
ちらりと視線を向けられたのを感じて顔を見れば、それは間違いなく瀧野くんだった……。私が顔を向けたときには、コツ……と商品を棚に戻していて、その雰囲気がどことなく機嫌悪そうに感じたんだ。
だから、内心顔が青ざめる気持ちになった。
ついさっきまで思っていた、悪い考えが一気に頭の中で溢れ出す。
そんな状態でいさちゃんに訊ねられた。
「春日ちゃんも買い物?」
買い物と訊かれて、違うとは言えない。
これが一人で来ているものだったら、もっと気を楽にして答えられただろう……。
「うん、生徒会の先輩への贈り物で。……いさちゃん、は?」
いつもみたいにはっきりと声を出せない私。
だって、すぐそこには瀧野くんがいる。
だって、私、買い物に誘われたとき、私も買い物の予定があるって話ひとつもしなかった……。
私がこうして喋っていてもちっとも目を向けようとしない。
いつもとは明らかに違う反応に凄く心細くなっていく。
「テニス部の買い物。谷折君もいるよ?」
まるで、気にしないでね、というようにいさちゃんは明るくそう言った。
瀧野くんと二人でいるところに私が来て、それを気にしているのかと気を使ってくれているんだろう。
でもね、いさちゃん。私の不安はそれじゃないんだよ……。
って、付き合ってること、ちゃんと報告できていないんだけど……。

……どうしよう。

 なんて言って瀧野くんに声をかけよう……。
いさちゃんに向きながらもそう考えていた。
だけど、何も浮かんでこない。
 今日本当は私も買い物だったの……、なんて今更言えない……。
しかも、亮太と二人で。
何を言っても墓穴を掘るような気がして固まったみたいになっていた。

 そんな空気の中、向こうの方から声が聞こえてきた。私を探しているだろう亮太の声。それが谷折君との会話になって聞こえてくる。
「亮太―。会いたかったー」
「うわっ!なんなんだよっお前!」
がばっと抱きついていった谷折君に、亮太は本気で嫌がって逃げようとする。
その光景に私といさちゃんは大笑いしてしまった。
そこで亮太がこちらへやってきて言う。
谷折君を無理矢理、力ずくで引き剥がしてから。
それに痛手を負ったという顔をする谷折君は見ていて笑えた。
「栞と瀧野もいるじゃん。お前らも卒業生への買い物か?」
「うん、そう」
それに答えたのはいさちゃんじゃなくて、亮太にくっ付いてきている谷折君が答えていた。
「俺らは橋枝の都合に合わせて今日にしたんだけど、結局来れなくなったから仕方なく二人でだよ。渡すのは明日だから買いに行かない訳には行かないしな。で、何かあったか?」
亮太の言った説明に、内心ほっとしていた。言って貰えて感謝したいくらい。
最後の言葉にはっとして冷静さを取り戻し答えていた。
「めぼしい物は特になかったよ。最初のでいいと私は思うけど」
「じゃー、あれにすっか。つー事は、どこに戻ればいいんだ?」
「奥のエレベーターの所だよ」
「あんな場所だったけか?」
「そうだよっ。もう!」
のんびりとした様子に思わず声を上げていた。
それは緊張のごまかしでもあった。
こんな風にしていても、ずっと瀧野くんがいる方向に顔を向けられないでいた。
どんな表情をしているのか知るのが怖い。
ずっと目をあっちに向けられていても、怖いと思った。
視界に入っていなくても、なんか彼から流れてくる空気が重い気がして……。
どうしよう……。そんな思いが込みあがる。
この場をそつなく別れたとしても、次に会ったときどんな顔をすればいいんだろう。
彼はいつものように反応してくれるだろうか。
心臓が嫌な音を奏でていた。
怖くてどうしたらよいのか分からなくなってきた。
一人で気まずさを感じているとき、静かな空気を壊すように谷折君が声を上げた。
「あ!この後買い物終わって、お茶して行こうよ」
「は?」
片眉を上げてそう口にする亮太に負けじと言う谷折君。
「なぁ!お茶!なぁなぁ!お茶しよ!」
「わ、分かった分かった。だから手ぇ離せ」
ねだるように腕にくっ付いている谷折君を、心底嫌がっている亮太は承諾していた。
それでやっと手を放した谷折君。
さっきまでのそれを無かったような顔で亮太は言う。
「じゃ、とり合えず買ってくるから」
「あ、うん」
一緒に行くつもりで足を進めたら、こっちをみて言った亮太。
「ここにいとけよ。どうせ買う物決まってるから一人で行って来る」
「……うん」
そう言われて、ううん私も行くよ、とは言えなかった。
言ったら、瀧野くんに変な風に思われるんじゃないかと思って。
あと、この場に居ることにすごーく気まずさを感じているのは私。
できる事ならとりあえず一旦この場から身を離したかったのだけど……。
瀧野くんはどうしてるだろう。
そう思って、この身を向けた。
耳に入ってきたのは谷折君といさちゃんの声。
「伊沢さん、候補3つほどあるんだけど、どれがいいと思う?」
「何があるの?」
「えーと、こっちの方にあったんだけど」
二人はこの場からいなくなってしまった。
この場所で会ってから未だ言葉を交わしてない私と瀧野くんだけになってしまった。
気分を害しているんだと言っている背中に、何を言っていいのか皆目見当もつかない。
今の私には変に説明する事もできなかった。彼が余計に機嫌を悪くしそうで……。
嫌な顔をされでもしたら、きっと泣いてしまう。
けれど、こんな空気にしてしまっているのは私のせい。
そう思っても、心の中では「でも……」という思いばかりが回ってる。
逃げたい心境になりながらも必死で掛ける言葉を探していた。
ずっと陳列棚を見ている瀧野くんに。彼の手には写真たてがあるのに。
「……瀧野くん、何見てるの?」
このまま反応がなかったらどうしよう、そんな事を思いながら。
そして少しの沈黙があった。
私には長くも感じた。
「部屋に、どれがいいかなと思って。……どれがいいと思う?」
やっと向けてくれた彼に、恐る恐る横に行き答えた。
「これ、かな。……瀧野くんはどれ選んだの?」
彼の部屋にはそれが似合うと思って。私もそれがいいと思ったから。
「これとこれ。どっちにしようか迷ってたんだ。これにしよ」
そして、その商品を手に取ると顔を向けた彼。
「買ってくるから待ってて」
その台詞と、その、ふ、とした柔らかい微笑にほっとした。

 だけど、戻ってきた彼との間にはぎこちない空気があった。
いつものように弾まない話。浮かない表情。
いつもと違う様子の彼に私の気持ちは引きずられていくようだった。
沈んでしまったこの気持ちに、いつものように明るく笑顔を向けて話をする事がとても難しいことのように感じてただ傍に立っているだけの状態になっていた。

「谷折の奴、まだ少しかかるって言うから、先行ってようぜ。俺は疲れた」
買うものを買ってきた亮太の声が後ろから飛んできて反射的に振り返っていた。
「あ、うん。待ってなくていいの?」
「いいんじゃね?先行っといていいって言ってたし」
「ホント。じゃあ一応いさちゃんに言ってくる」
そう言った後で自然と彼を見ていた。それに答えてくれたように彼は指を指しつつ言う。
「あっちだよ」
そして進んでいくのでついていった。

谷折君といさちゃんのところに行き、皆でこの後お茶する事になり先に言っておくと告げた。てっきり、瀧野くんもここに残るのだと思っていたんだ。
だけど、その予想は違った。
「俺も先行っておくから」
「おー」
「じゃ、悪いけど、伊沢、そいつの事よろしく」
「あ、うん」
ぽかんとした様子でそう返事したいさちゃんに瀧野くんは言った。
稀に見る意地悪な笑みを浮かべて。
「手がかかるけど、見放さないで調教してやって」
「……おまえなーっ!」
顔を赤くして声を出した谷折くん。
それに瀧野くんは楽しそうに「ははは」と笑いを溢していた。
それがどんな意味を持っているのか私には分からなかったけど。
その後、二人になって亮太が待っているところに向かうとき、思わず訊いたんだ。
「……いいの?」
「うん、もう疲れたし。俺がいてもする事ないから」
そう言って、笑顔を向けてくれた彼。
いつもと変わらない彼の笑顔だった。
 谷折君との会話でそれまであった瀧野くんの空気が変わった気がした。
それに少し感謝しつつ、ほっとする私。
私は今、彼に嫌われる事に恐怖を感じてる。


 3人で他愛無い話をしながら店に向かった。
亮太という奴は、時々物事をずばっと言ってくるのでこっちが閉口してしまうときがある。言われたくない事、答えたくない事、気づかないフリをしたい事とかを、ごく稀についてくるんだ。
今もそうだった。
 亮太は言った。
「今日はやけに不安定じゃねーか。イライラを堪えてるんだろうけど、見ててもピリピリしてんだよ」
その原因は、今日泣いてしまった理由でもあって、きっと瀧野くんも気になってる。
本音は、その話題を流してしまいたかったけど、今この場ではそれは出来ないってこと重々分かってた。
「……そんなにピリピリしてた?」
誤魔化すなんて出来ないそれを理解しながらもそう訊ねてみた。
亮太はキッパリハッキリと言う。
「ああ、してた」
「……そっか」
我慢していても表に出ていたそれを私自身が受け入れたくなかったのも事実。
 何をどう話そう。
全部を話す事は出来ないけど、理由を説明しなくちゃいけない。
この二人を前にしての理由。
悩んでいたら亮太が零す様に言った。
「……なんだよ、予行終わって教室に戻ってる時に俺が言った事のせいか?」
「……それも、ない訳ではないけど」
「けど? けど、なんだよ?」
爆発しそうになった理由、それは一つしかない。
だから、それを話すべきなんだろう。
きっと、瀧野くんもそれを待っているのだろう。
今日伝えられなかったそれを、ようやっと伝えるべく彼を見た。
「今日の、堪えきれないイライラに爆発した理由、なんだけど……」
「うん」
静かに聞く体制に入ってくれていた瀧野くん。
そんな彼の表情や仕草にさえ油断すれば見惚れてしまう。
亮太は何を話すんだ?という顔をしている。
「まぁ理由は、生徒会役員のせいで」
とりあえず、私がそう言うと二人は少しも驚く事はなく言う。
「1年の藤田クン?だよな」
「まぁあいつしかいないわな」
けど、それがどんな内容なのかまでは知らないはず。
「……今日帰り、教室出て階段に出た所に、いたのよ」
「あいつが?」
「そう。生徒会室に向かわなくちゃいけないのに、そんな所にいるから、こんな所で何してるの?って聞いたんだけど、言葉濁すだけで。だから素通りしたんだけど、後くっ付いてくるんだよね」
一旦口に出したら言葉がすらすら出てくる。
まるで鬱憤を晴らすかのように。
亮太の顔は、それ想像つく、という表情をしている。
「すぐそこが図書室っていう所までついて来るから、堪え切れなくなって、口開いてしまったんだけど」
「はあ」
「いい加減仕事が出来るようになって欲しくて、二人に任せてるのに、今日は生徒会室に来ますよねって聞いてくるし、いつもは最後まで付き合ったのに何で今回は?とか。だから4月になったら二人で纏めて行かなくちゃいけないでしょって言ったら、まだ3月だからって言うし。減らず口ばかり」
思い出せば出すほど苛立ちが湧いてくるようだった。
「……まぁ、あいつは観点が違うからな」
遠いどこかを眺めたままそう言った亮太だった。
だけど、そういう問題でもない。
「挙句の果てに、俺の事避けてませんかって聞いてくるし。人の負担増やして面倒見させてだから困らせないでって言ったら、仕方ないじゃないですかって言うんだよ」
「うーん……」
と二人は唸る。
「もう腹立つから、だらしなさで仕事が出来ていない事に仕方が無いなんて理由にはならないって言ったんだけど、返ってきた言葉が、じゃあ俺の事避けないで下さい。ちゃんと見てください。一人の男として、見て欲しいんですって言うんだよ?」
それ以前に異性としてみた事ない人間で、基準も超えられていないのに。
言う事がおかしすぎる。
なんでそんな台詞を堂々と言えるのか。私には分からない。理解できない。
亮太は深くため息をついて聞いてきた。
「で、春日はなんて答えたんだよ」
「うん、はっきり言ったよ」
「どんな風に?」
そう訊いたのは瀧野くん。
「えーと、満足に与えられた仕事もこなせない様な1年、後輩として以外何も思えない。今までもこれからもって。まだしつこく言ってくるから、ただ生徒会の後輩に一日も早く仕事が真っ当に出来るようになって欲しいだけだから。それ以上の事は何もないからって」
それは私なりの突き放し。これ以上近寄るなって。
亮太は珍しく真剣な顔で訊いてきた。
「……マジで言ったんか?」
だからハッキリと答えた。
「うん」
「で、そこまではっきり藤田に言われて、まだ気付いてないとか言うんじゃないよな?」
「何を?」
素直に思った事を口にしたら、脱力したようすで水を掴んだ亮太は口にする。
「お前、なぁ、……」
私はそれを無視して口にした。
「大体さ、生徒会で仕事してるのに、毎日毎日つまらない事ばかり言ってきて、だらしない事ばっかりしてる人間をなんで私が相手しないといけない訳?他に何を言えって言うの?」
「いや、そういうんじゃなくて、あいつからすれば」
「だから、なんで私が彼の事でそこまで考えて何かをしてあげなくちゃいけない訳?する意味がないよね?」
私は何一つ気を持たせるような態度は取ってない。
ちゃんと距離を置いて、生徒会の先輩後輩として線を引いて接してきた。
なのに、亮太は尚言う。
「だーっ、そーじゃないだろー。だから藤田の奴は気が引きたくてしてるだけであって」
「だから!そういうところで公私混同する人間を相手するのは嫌なんだってば!」
「お前、嫌っつっても仕方ないだろー、あいつはそうなんだから。ただ必死でアプローチしてんだから。だから俺はずっと前からどうにかしてやれって言ってんだよっ」
気がつけば言い合いみたいになってた。
まぁ生徒会で1年前では日常茶飯事だった光景だけど。
「んな事分かってるよ!それに言われる前からこっちは何とかしてるんだから」
「分かってるって何分かってるって言うんだよ?!何をどうしてるって言うんだよ?!あいつはお前の事が好きなんだろーが」
「分かってるよ!そんな事くらい!トウの昔に!」
まだ亮太は何か言ってくるのだと思ったら、意外にも口を閉じていた。
なんだろう?別に変なことは言っていないんだけど。
そう思った次の瞬間、二人が同時に言った。
「えっ?」
こっちを硬く見つめたまま。
なんだろう?この反応は?
「な、なに?二人して」
「……いや、正直気付いていないんだと俺は思ってた」
「……俺も」
「……なっ、二人して人を何だと……」
意外な二人の台詞に、こっちが驚いた。
まさかそう思われてるとは……。
それで亮太の台詞に納得する。
だけど、それって……。
この空気を中断させるように、やってきた谷折君が声を放った。
「どしたの?なんか空気が異様だけど?」
その後ろにはいさちゃんもいる。
説明をすることもなく二人は疲れた顔を向けただけだった。
なんで二人はそんな顔をするの?

 やってきた二人に、簡単にことの説明をした。
同じ生徒会役員、1年の藤田君の事を。
すると、表情を変えることなく谷折君は言った。
「あぁ、あの1年生徒会役員の子だろ? いっつも朝礼の時とか春日さんの事見てるもんな」
それはまるで当たり前の事のように。
だから、二人の反応が頭にこびりついて離れないから、訊いてみた。
「……谷折君も、私の事鈍感だとか思ってた?」
皆にそう思われているのだろうか。
いくらなんでも、藤田君のあれは気付かない訳が無いと思うんだけど……。
「……いやぁ、俺は別にぃー」
「お前、一人だけそんなつもりか」
まるで私から責められるのを感じているかのような亮太の様子。
だけど、それに対して谷折君は思いがけない事を言い出した。
「えー?だって俺はそんな事言った事ないよ?亮太が言ってたんだよ、あの鈍さは一級品だって」
「おまっ……」
慌てる亮太は余計な事を言うなとばかりに谷折君を叩く。
それに動じず話し続ける谷折君。
「いたいなぁ。そんで、そうは見えないからタチ悪いって言ってたじゃん」
その台詞に、私の顔は引きつる。そして、亮太に殺意を抱きもする。
「……亮太。そう言う事をあちらこちらに言い回ってる訳?!」
逃げ腰になっている亮太は、また思いもよらない事を言った。
「それに瀧野にその話したら、知ってるって言ってたよ」
それにはもう脱力した。
……皆にそう思われていたなんて。
「……瀧野くんまで……」
「まぁいいじゃないですか。それだけ、皆春日さんには惑わされてるって事で」
それフォローにもなってないから。
「惑わすって、谷折君……」
そうしたら、亮太が言い出してきた。
「じゃあ、谷折はこいつが始めから分かってるって言うのかよ?」
「うん、春日さんって、気付かないフリするのうまいんだよね。皆騙されてるけどさ」
え?!と声に出せない声。ちょ、ちょっと、そんな事この面子で言わないでよ!
心臓が本当にギクッとなった。
「その根拠は何だよ?」
亮太も余計な事を聞かないで。
そう思うのに、谷折君は平気な顔で話し出す。
私には瀧野くんの視線が痛く感じて半ば固まっていた。
「だってさ、春日さんは怖いとか近寄りがたいっていう話はよく耳にしてるけど、反対に話しやすいとかさばさばしてて一緒にいると楽しいっていう奴も多数でさ。その差は何なんだろうって思ったんだよね」
「……あー、見かけの問題じゃねーの?」
「でもさ、初めて目にした奴は皆同じ事思うだろ。で、見てて分かったんだけど、春日さんがキツク接する相手ってさ、勝手に妄想して変な期待抱いて近寄ってくる男共なんだよね。あからさまに下世話な顔してさ」
「あー、なるほど」
そう言った亮太の顔は本当に納得した顔をしていた。
なぜか心臓がドキドキ言っている。このまま何もなくこの話が終わってくれたら……、と思う。
まるで神に祈るような気持ちでいたその時、谷折君は言い出したんだ。
「それに俺、春日さん本人にその話したことあるもん」
や、やばい。そんな気持ちがあふれ出る。
どうしよう、どうしようか。なんて言ったらいい?
変な反応したら絶対後で瀧野くんに訊かれる。
逃げられないような状況にされて、絶対口を割られる!
そして耳に届く瀧野くんの声。
「どんな話でいつに?」
「えーと、あれは確か球技大会の」
もう限界だった。それ以上話をされたくなくて無理矢理だとわかっていても、明らかにやましいものがあるといわれる態度でも、そう反応をせざるを得なかった。
「わーわーわー! た、谷折君、ケーキ食べない?私奢るし、ね?」
「え?ホント?」
その気が変わらないうちにメニューを差し出して選んでもらった。速攻で店員さんに注文する。
取り合えず、これでこの場で話の続きをされないだろうと心の中で胸を撫で下ろした。
……けど、ずっとこちらに向けられている瀧野くんの視線が、……痛い。
とてもじゃないけど、怖くて顔を向けられなかった。
うう、谷折君のバカ。

「でも、藤田君って本当しつこいよね」
場の雰囲気を変えるようにそう言ったいさちゃん。
「う、うん、そーだよね」
「……なんか、最初はまだああでもなかったけどなぁ」
ぼんやりとした目で言った亮太に私は言う。
「そぉ?最初からあんな感じだったよ?」
「そーか? まー、藤田は春日といる男に牽制球投げてくるからな。俺も最初の頃くらった」
「へぇ? 目悪いんじゃないあの子」
なんで亮太?
私にはそんな思いしか浮かばない。
何にも見分けがつかない子だ。藤田君は。
周りのものばかりに目がいって、中心とか大事なものに気付いていない。
そんな人間性にも嫌気が差してくる。
きっと、生徒会でつながりが無かったら、知り合いになることも無かっただろうな。
そんな事を思っていたら、亮太が言い出した。
「お前もさ、イーかげん誰かとくっつきゃいーんだよ、そーすりゃあいつもちっとは大人しくなるんじゃねーの?」
その台詞に、すぐ何も言えなかった。
反対に息を飲み込んでしまった。瀧野くんも沈黙。
コレは、私にちゃんと言えということかしら?
ど、どうしよう。なんて言おう。
だって、大事な友達であるいさちゃんに、その報告を未だ出来ていない……。
ああ、もう、なんて今日は場が悪い事ばかり起こるんだろう……。
そして、事実を明らかにしてくれたのはやっぱり谷折君だった……。
「二人、付き合ってるのよ?今」と。
そして、その後、いさちゃんに笑顔で責められました。
うすうすは気付いていたみたいだったけど……。
わ〜、今日は散々な日だー。
もう泣きたい気持ちだった。
その後、亮太が言った台詞とそれに答える谷折君の台詞である事実を知った。
二人はなんと、「瀧野が振られるに五千円」「振られないにいくら」といって賭けをしていた。
で、振られるに賭けていたのは谷折君。
……なのに、色々とお世話焼いていたんだね。変わった人だ。

 亮太はその後、妹の幼稚園お迎えの為に先に店を出た。
残ったのは4人。私はいさちゃんとお喋りに盛り上がり、キリのいいところで店を出た。
谷折君がスポーツショップに寄ると言うと、瀧野くんも用事があるので一緒に行くらしい。いさちゃんは帰宅。
一緒にどう?と瀧野くんに誘われたけど……。
何もない普段だったら笑顔でうんと言って一緒に行ったけど、今日は別。
今は忘れていても、一緒にいれば絶対思い出して真意を問われるから。
そんな状況に陥ったときは、絶対逃げられないだろうってこと分かってるから、今日はあえてお断りした。
その時の、何か言っている瀧野くんの眼差しは忘れられない。
 私が一番怖いと思ってる存在って、やっぱり瀧野くんなのよ。
どうか次会うときには今日のことは忘れていますように。
そう一人心の中で願って、瀧野くんたちと別れた。

あー、本当に今日は色々と疲れた。
ため息を零してそんな事を思いながら家に帰っていった。

2007.12.02